12月31日(木)
きのうの新幹線の中で読み始めたジェイムズ・P・ホーガン
『量子宇宙干渉機』(創元SF文庫)を読了。久しぶりにホーガンらしいSFを読めたことには満足だけど、やっぱりかつてのホーガンに比べればかなり冗長である。それに、この小説の中の科学者たちがやっている行為は、侵略であるという点においては作中の軍人や政治家たちと大して変わらないような気がする(無自覚なだけかえってたちが悪い)。科学者が善で政治家が単純に悪という構図も、ホーガンらしいといえばホーガンらしいのだけど、いくらなんでも90年代SFとしてはナイーヴすぎるのでは。
妻の両親はふたりとも山口の出身で、流暢な山口弁を操る。山口の方言は、東北弁みたいに聞いていてわからないということはあまりないけれど、語尾の変化が特徴的。まずは「〜かいね」=〜ですか、と「〜ちょる」=〜ている、を語尾につければ、とりあえずは山口弁らしくなる。
そのほか、
「何しちょる」=何をしていますか
「ぶちうまいっちゃ」=とてもおいしいです
「はぶてる」=むくれる
「さでくり」=たっぷり
これだけ覚えればあなたも山口弁の達人……かな。
12月30日(水)
妻はゼルダ。「ファントムガノン」というボスキャラがどうしても倒せないらしく、昨日から何十回となく死亡したあげく、とうとう私に泣きついてきた。しかも
「これができたら1月は1ヶ月間食器を洗わなくてもいい」とまでいう。どうせ私にもできないだろう、とたかをくくっているらしい。
確かに私もアクションゲームは苦手だけれど、交換条件があるとなれば話は別。この好機を逃がす私ではないのだ。2回は失敗したが、3回目にしてついにボスキャラ攻略。約束は約束なので、これで1ヶ月は食器洗いなしだぜ(しかし、われながら大人気ないのう)。
午後には、新幹線で6時間かけて山口の妻の実家へ。
妻の実家に着いてみると、驚いたことに、居間には液晶ディスプレイつきのデスクトップパソコン(Windows98搭載)があって、ブラウザのホームにはこの私のページが設定されていたのであった。ってことは、妻の両親もこのページを見ているってことだ。ううむ。こりゃ参ったね。
12月29日(火)
あいかわらず妻はゼルダ、私はIQにR4とゲーム三昧。『ゼルダの伝説』には、「もだえ石」というアイテムがあって、それを取れば、振動パックがあるとコントローラが振動するようになるらしい。マニュアルを読んだらこんなことが書いてあった。
「振動パックで“もだえる”プレイ!」
そ、そういうゲームだったんですか、ゼルダって。
今年最後の読了報告本は、岡本賢一の××作品集
『鍋が笑う』(朝日ソノラマ)。ファンジン大賞を受賞した表題作は、ほのぼのとしたタッチの良質な××寓話で、加藤&後藤さんの柔らかいイラストがよくマッチしている。併録された「背中の女」と「リアの森」も叙情的で心に残る作品で、近頃では珍しく質の高い××短篇集である。ただ表題作や「リアの森」に見られるあまりにストレートな文明批判は、ちょっと古臭さを感じてしまったけど。それでも、極端な管理社会なのは地球で、自然があふれているのがスペースコロニーというひねりが加えられているところはなかなか。岡本賢一さんは、叙情××短篇の書き手として大いに期待できますね(なんで伏せ字なのかは、この本のあとがきを読めばわかります)。
明日からは妻の実家に行くため、これが今年最後の日記になります。今年はご愛読ありがとうございました。ではよいお年を。
来年は1月4日からになる予定。
12月28日(月)
自殺の話。
ドクター・キリコの事件については、インターネットを一方的に悪者扱いするマスコミの論説も陳腐だけど、それを批判したり笑い者にしたりするネットにありがちな意見もかなり陳腐化してしまっているので、あえてここで再生産することもないでしょう。私の意見は後者に近い、とひとこと言っておくだけで充分。
ただ、ネットの中では、自殺をするのはその人の自由だから止める必要はない、という極端な個人主義的意見の人をけっこう見かけるのだけれど、精神科医の立場からするとこれには賛成できない。知り合いに限らず、誰かが自殺をしようとしていたら、私はとりあえず止めるだろう。
別に自殺すること自体が悪だ、などと根拠のないことを言うつもりはない。自殺は善でも悪でもなく、一種の「権利」だと私は思っている。ただし、権利を行使できるのは、正常な思考ができ、自分に責任を持てる大人に限る。
先の個人主義的意見の人たちが忘れているのは「人間はときとして正常な思考ができなくなることがある」ということ(ついでにいっておくと、個人の自主性だとか人間の理性とかを重んじるという姿勢は、そういったものを持ちたくても持てない人々を排除するということにもなりかねないのだ)。「自殺したがる人」の中には、精神的に明らかに正常ではない人が相当数含まれているように思うのですね。それに、たとえ大人であっても、一過性に正常に思考できなくなってしまう人はけっこういる。そして、一見しただけでは精神的に健康かどうかはわからない。ゆえに、正常かどうか判断できないうちは、とりあえず「ちょっと待て」と自殺を止めておくべきだろう。
精神科領域には、精神分裂病やうつ病、境界例など自殺に至る可能性のある疾患は数多い。中でもうつ病は、薬を飲みさえすれば高い確率で改善する病気だ。精神科の治療では、うつ病の患者さんにはまず「あなたの落ち込みは病気によるものです。これは必ず治る病気だから
絶対に自殺はしないように」と告げるのが鉄則である。治療すれば治るはずの患者さんが自殺で死んでしまったときには、治療する側としてはやりきれないような気持ちになる。
「自殺したがるような人間はそれだけで精神的に正常ではないのだ」という人もいるだろうが、私はそのような説は採らない。もし、本当に精神的に正常であり、考えた上の結論として死を選ぶというのなら、私は止めない(例えば、三島由紀夫を止めようとは思わないし)……つもりでいるのだけれど、実際知り合いが自殺しようとしていたら止めるだろうな、やっぱり。それは、私はその人がいないと寂しいし、第一後味が悪いから、という利己的な理由によるのかもしれないけど。
今日で仕事納め。今年最後だというのに、いきなり入院が入ってもう大変。
12月27日(日)
グレッグ・アイルズ『神の狩人』(講談社文庫)読了。「『羊たちの沈黙』に匹敵する世紀末スリラー」という宣伝文句に惹かれて読んでみたけど、なんだ、普通のサイコホラーではないか。これだけの長さを一気に読ませるだけの筆力があるのは確かだが、結局はこのジャンルって似たようなネタの拡大再生産なんじゃないのかなあ。こう思ってしまうのは、私がサイコホラーというジャンルのあまりいい読者ではないからかもしれないけど。
解説によればこの小説、「インターネット・サイコキラー小説の決定版」なのだそうだけど、そこまでジャンルを狭めてしまえばそりゃ決定版にもなるような気がする。それに、そもそもこの小説に出てくる「EROS」ネットって、インターネットじゃないんですけど。
また、『羊たちの沈黙』を読んだときには、早くレクターが出てこないかと思いながらページをめくったものだが、本書の殺人鬼ブラフマンは、かなりの強敵ではあるものの、惹きつけられるほどの魅力は感じられない。要するに、レクターほど「キャラ」が立っていないのだ。
しかし、本書ではオンライン・セックスとか天才殺人鬼とかそういう派手な外見は単なるかざりであり、むしろきわめて正統的な夫婦の絆を扱った小説として評価した方がいいような気がする。主人公は妻に対し、ある重大な秘密を隠している。秘密を明かすべきか隠しとおすべきか悩む主人公、そして苦難の末に二人はどのような道を選ぶのか。この地味なテーマが後半になって殺人鬼の物語とからみあって一気に結末になだれ込む展開はけっこう読み応えがあります。
12月26日(土)
「黄色/緑色の救急車」ページを作る。アンケートも作ってみたので、ぜひご協力お願いします。
日記以外のページを作るのは実に久しぶりである。それに、フォームを使ったページを作るのは初めてなので、何時間もかかってしまったよ。ちゃんと動くかどうか不安だったのだけれど、なんとか無事届いているようだ、よしよし。
妻は『ゼルダ』をやってるし、私はその合間にプレステで『IQ FINAL』と『R4』。ゲームをやって一日が終わる。ああ、こんなに怠惰でいいかしら。
そうそう、ずっと前にウィリアム・B・スペンサー
『ゾッド・ワロップ』(角川書店)を読み終わっていたので、その感想など。いやあ、これはおもしろかった。
まずは冒頭の結婚式シーンがすばらしい。最初はごく普通の野外結婚式。しかし、自転車でやってきた花婿は猿を連れてきて「やつらも猿には影響をおよぼせません」とか突然言い始め、病院の車で連れられてきた花嫁はよだれをたらして「があああああ」と吠え、水着の美女がほほえんだかと思ったら、空はかき曇り嵐が吹き始め、最後には無断外出した患者たちを捕まえにきた看護人たちとの大乱闘。その上、美女の白い水着は雨に濡れて透ける!(笑) 異常な人物たちの登場で日常的な光景がどんどんとんでもない方向へ転がっていくというこのファーストシーンが、この小説全体を象徴している。
ドラッグによって現実と虚構がぐちゃぐちゃになっていく様はディックを連想させるのだけど、スペンサーの作品にはディックにはない(というと言い過ぎかな)ギャグセンスがあるのが強み。それに、ディックと違って、全体に乾いた明るさがあるし、構成もしっかりしていますね(まあ破綻しててこそのディックなんだけど)。
文章もリズム感があってとても読みやすいのだが、これは原作者ももちろんだけど、翻訳の浅倉久志さんがうまいからでしょうね。
12月25日(金)
大阪工業大学電子工学科・計算機応用研究室の
渡辺和嗣さんのページに、
「黄色/緑色の救急車」関連の記述を発見。以下全文引用(すいません、無断です)。
グリーン・ピーポー? イエロー・ピーポー?
98-Dec-3
ある用途専用に使用される救急車で緑色の救急車があるといううわさが、計算機応用研究室に流れた。それは「グリーン・ピーポー」と呼ばれているらしい。
しかし、中には「緑ではなくて黄色」と言う人もいる。
こちらは「イエロー・ピーポー」と呼ぶらしい。
兵庫、京都、岐阜の人は緑色、大阪、広島は黄色と地域性があるようだ。
どちらにしろ、まだ誰一人として見たものがいない点が不自然である。
「ホルマリン付けのバイト」と同じ類のものか?
この文章でも、掲示板で何人かの方が書いていた「グリーン・ピーポー」、「イエロー・ピーポー」という呼び方が使われてますね。また、地域性についても新しい知見がある。
さて、掲示板、メール、ホームページ検索、知人からの聞きこみなどによって、かなりの数の証言が集まったので、その結果を
分布地図としてまとめてみた。なお、この地図は解説もつけて近日中に、
「黄色/緑色の救急車」ページとして独立させる予定。
今日は以前在籍していた、森下一仁先生の空想小説ワークショップの忘年会。ワークショップには1年以上行っていないので、しばらくぶりの顔や初めての顔もちらほら。まあ、
浅暮さんの出版記念パーティのときに会っている人が多いけど。
しかし、私がワークショップを離れてから1年くらいたつあいだに、以前とはまったく違う人たちが中心メンバーになっているし、受講をしなくなった友人もいるし、某君の髪は赤くなっているし、なんだかすっかり変わってしまっているのを感じる。実際にはメンバーはあまり変わっていないのだが、なんだか雰囲気が以前と違うような気がして、どうも場違いなところにいあわせてしまったようなむずがゆささえ感じてしまう。
ワークショップ自体はもちろん続いているけれど、私にとって居心地のよかったワークショップという場はもうなくなってしまったようだ。もちろん、やめてしまった人間である私にとって居心地のいい必要などまるでなく、今いる人にとって居心地がよければ当然それでいいのだ。つまりこれは、みんな変わっていくのだということ。そしてそれは仕方のないことだ、いくら寂しくても。
……でも、こりゃよく考えてみると
投影的同一視ですね。変わってしまったのは彼らではなく、ほかならぬ
私なのかも。
12月24日(木)
メール、掲示板などによる現在までの
黄色/緑色の救急車情報のまとめ。
黄色……北海道、青森、東京、神奈川、埼玉、富山、大阪、高知、九州(県名不明)
緑色……宮城、福島、石川、京都、大阪、山口、福岡
紫色……今のところはっきりした情報なし
まとまりがあるようなバラバラなような……。少なくとも、柳田國男の方言周圏論みたいに単純な分布ではないみたいだなあ。
任天堂のCM戦略にすっかり乗せられて、きのうは池袋ビックカメラで64を買ってきてしまった我々(きのうは救急車話が長くなって書けかったのだ)。妻はさっそくきのうから『ゼルダの伝説』にはまりまくっているよ。でもほかに欲しいソフトがないんだよなあ。ドリキャスに至ってはいまだに欲しいソフトがひとつもない始末。「ほしいほしい」度でいえば、やはりプレステに軍配が上がるな。そんなわけで、今日は『IQ FINAL』と遅ればせながら『serial experiments lain』を買ってきた私である。
本屋ではシェリー・タークル
『接続された心』(早川書房)を購入。インターネットによって変貌する人間の心理を描いたこの本、私にとっては待ちに待った邦訳である。
コンピュータと人間の関わりについて心理学、精神医学方面から考察した文献をいくつも読んでいると、必ずといっていいほどシェリー・タークルの本が引き合いに出されている。それなのにどうしたわけか、肝心のタークルの本自体はなぜか今まで一冊も邦訳が出ていなかったのだ。しびれを切らした私は、何年か前に、この本の前作である"The Second Self"の原書を注文してしまったほどである(読む自信もないくせに)。結局、品切れってことで入手はできなかったけどね。てなわけで、何年かごしの望みがようやくかなったわけだ。できれば本書に引き続き、"The Second Self"の邦訳も希望。かなり古い本だけど、これはもうこの分野の古典なんだから。
家に帰ってみれば、クリスマス・イヴだというのに(だから、か)、妻は東山紀之ディナーショーに行ってしまい不在。ひとり寂しく『IQ』をプレイする私なのであった(笑)。
12月23日(水)
今日は長いよ。
きのうの「黄色い救急車」の話には掲示板でいろいろ反応していただいてどうもありがとうございます。私が思っていたよりもけっこう知られているんですね、この話。その割りには「口裂け女」のようには、メディアにほとんど露出しないのは、やっぱりタブーに触れるからなんだろうか。
しかし、灰神楽さん(なんとなくこのハンドルからは乱歩を思い出してしまう私である)の「緑色」には驚きましたね。緑かあ。これで、きのうの最後の「高貴な色」仮説は早々と崩れ去ってしまったわけだ。
「黄色い救急車」をキーに、gooとinfoseekで検索してみたら、山ほどヒットした。やっぱりそれほどマイナーな噂というわけでもないようだ。ってことは、私の周りの人がたまたま知らなかっただけなのかな。
さて、以下はネット上における「黄色い救急車」の用例(強調引用者)。
「やーっぱしコイツ、黄色い救急車の鉄格子はまった病院にほーりこむかなぁ。」
――劉 玲良さん「ツイてない」
K2:そうだね、外でこんな会話をしたら黄色い救急車で運ばれちゃうよ。
(黄色い救急車とはK2とS1の地元ではキ○ガイの乗る救急車である。)
――K2&S1さん「これってEVA?」
黄色い救急車に乗って〜 病院に出かけたら〜
変な注射を打たれて〜 そのまま監禁〜
などとまあ、鉄格子つきの病室に閉じ込められたりられなかったり。
――ファナティック伊藤さん「オレ様日記」
季節の変わり目、プノンペンに来るような奴は、どいつもこいつも良く言って個性的、悪く言うとズバリ、黄色い救急車に乗せられて、病院でウーウー叫んでしまいかねない変人ばかりなのであるが、先日、そのなかでもとびきりスゴい超変人と出会うことができたので報告しよう。
――クーロン黒沢さん「@your own risk」
「はるばる来たぜ東京へ!待ってておくれよオレののぞみィ!」
黄色い救急車が必要な男がそこにいた。
――大神丈ノ助さん「トゥルーラブン」
「初音ちゃんっていう妹みたいな娘と、あかりっていう犬みたいな娘と、どっちも選べなくてさぁ」
と、本当の事を言って黄色い救急車を呼ばれても嫌なので、多くは語らない(笑)。
――著者不明(リンクが切れているのだ)「97年8月上旬の日記」
ついででこれはサイテーです、「lain」。
ドロドロアングラ地獄はもう結構。
始まってすぐに女の子が飛び降り自殺(しかも飛び降りる直前に「にたり」と笑うし)、主人公はやっぱりボン並みの自閉的少女、おまけにそのオヤジは外基地的ネットジャンキーと来た。
そんで自殺した娘からメールが来て、「私は死んでないの。ここ(サイバースペース?)には神様がいるの」だって?
誰か、黄色い救急車を呼んであげてくだちゃい。
久々に「キモチワルイ」((C)みやむー)作品を観たよ。
――岸川浩士さん「ダメ人間日記」
背景がアニメーションgif、または巨大bmp。
まさに狂気の沙汰。黄色い救急車を呼ぶべき。
――Group Enyakaya「Web Page Tips ダメなページデザイン」
地域性があるのかな、と思ってそれぞれのページのプロフィールを見てみたが、出身地が書いていないのがほとんどなのでよくわからない。掲示板の記述や数少ない出身地の書いてあるページによれば、「黄色い救急車」伝説の分布は東京、大阪、北海道、と日本全国にわたっているようだ。
さらにだ。
今日は友達と「緑の救急車」の話になった。東京では「黄色い救急車」だと言っていたが、仙台では緑だった。地方によって違うのだろうか?
――Tomoko Sugayaさん「つぶやきTomoko」
という、興味深い記述も発見。掲示板でも福島の灰神楽さんが緑だと書いていたし、東北方面は緑なんだろうか? と思って、今度は「緑の救急車」で検索してみると、やはり多数ヒットしたではないか。緑ってのもけっこうポピュラーらしい。
「22性器」の奴らは「キチ○イ」か?「緑の救急車」(※)に連れてかせちまうぞ!あ!?
※緑の救急車(みどりのきゅうきゅうしゃ)…「お気の毒な人」を乗せると言われている救急車(まだ俺は見た事ないが)
――生天目 龍哉さん空想科学日記「のひ太の日記2」
電脳(1)号 「オイオイ 今度は急に怒り出して!? 緑の救急車を呼んだろか?」
――電脳兄弟さん「ツッコミ愚連隊」
「精神病院にでもいったら緑の救急車がお迎えにきてくれるわよ」
――神田さん「めぞんEVA」
実にプッツン切れてしまっていた。緑の救急車に乗せて、連れて帰ってもらいたい嫌な 連中だった。
――ヒロコさん「Hiroko's Scotland Today」
そういう人の大部分は緑色の救急車に運ばれてしまいますので、社会は自らの価値基準にあわないものを隔離するのです。
――尾池かわずさん「経済学レポート」
これもまた、激しく汗をかき、額から流れる汗は滝のように顎から流れ落ち、気づくと服はびしょびしょになり、シャツは絞れるほど濡れており、ライナーの中で濃縮された汗は目にしみ、いつしか汗はしょっぱくなくなっている始末。塩分補給と水分補給を怠った隊員はばたばたと倒れ、自衛隊の緑色の救急車で運ばれてゆく。しまいには最初から救急車が待機している場面もあった。
――JAさん「極東通信」
これは自衛隊入隊後の訓練について書かれた文章だが、事実かどうかはよくわからない。事実なら、緑色の救急車の実在を報告した文章として興味深いんだけどなあ(精神病院とはあまり関係なさそうだが)。
お客様にきめ細かなサービスが必要と花と緑の相談巡回車「緑の救急車」を始める。
――杉澤 徹さん「グリーンセンター」
これは、フォークロアとはまったく関係なし。杉澤さんは秋田県の方だが、「緑の救急車」伝説をまったく知らないとみえる(世代的なものもあるかもしれないが)。
「緑色の救急車」について書いている方の出身地は、仙台、福島、大阪、そして九州生まれで京都育ちという方が一人。それに対し、「黄色い救急車」の普及地域は北海道、東京、神奈川、大阪、高知といったところ。東北南部と関西は緑なのかな? そして、大阪では混在している?
ズバリ
「緑の救急車」という、こんなページも発見。うーむ、またも京都ですか。しかし、「ピネル」には笑いました。ピネルってのは、「フランスの精神医学者で近代精神医学の創始者」(弘文堂『精神医学辞典』)で、フランス革命のときに、長年鎖でつながれていた精神障害者を解放し、精神障害者も人間として遇するべきだ、と強く主張した人物なのですね。そんな彼の名前が無理やり連れて行かれる精神病院の別名になってるとは皮肉な話である。
infoseekでは、黄色い救急車は51件に対し、「緑色の救急車」、「緑の救急車」あわせて14件。紫はネット上では確認できず。
ここまで調べてから、ようやく山口出身の妻にも尋ねてみようと思いついた。すると、意外にも「黄色い救急車? 緑じゃないの? それなら知ってるけど」とのこと。なんと、山口も緑なのか。しかも、妻は紫という話も聞いた覚えがあるという。紫情報2人目か。
しかしいったいこの噂、どこから広まったのだろう。何か元になっている事実でもあるのだろうか。そして、黄色と緑(そして紫)という、車の色の分布はいったいどうなってるんだろう。
謎は深まるばかりなので、引き続き、
「黄色い救急車」あるいは
「緑色の救急車」に関する情報を募集中(できれば出身地も教えてください)。
SFマガジン2月号が届く。なるほど、私の文章が載るのはこういうコーナーだったのね。なんか錚々たるメンバーの中に、ひとりだけ無名な私が混じっているのが恥ずかしいなあ。それに、ほかの筆者は一応その作家についての概説を書いてるのに、私はフレデリック・ポールについて全然書いてないしなあ。なんか私だけテーマを外れてしまってるような。とほほ。
まあ私の文章はともかく、ポールの「世界を食べた男」はおもしろいので、ぜひ読んで下さい。
12月22日(火)
「黄色い車」の噂を聞いたことがあるだろうか?
「気が狂った人間は、黄色い救急車で精神病院に連れて行かれる」という話。私が小学生だったころ、まことしやかにささやかれていた噂だ。
今思えばどう考えてもそんな派手な車で搬送するわけはなく、これはいわゆる都市伝説の一つなのだろう。しかし、当時同じようにひそやかに語られていた「口裂け女」は荒唐無稽だといって全然信じていなかった私も、この話はすっかり事実として信じ込んでいた。同じクラスの友達もたいがいは事実だと思っていたのではないかなあ。
道路を眺めては黄色い救急車が通らないか探したこともあるし、何よりも「発狂して黄色い車で連れて行かれ、二度と外に出られない」というイメージには、ものすごい恐怖感があった。それこそ、「口裂け女」なんかよりもずっと怖かった覚えがある。
その後医学生になってから、この話を知っているかどうか友人に訊いてみたのだが、ほとんど誰もが、そんな話は聞いたことがない、という。それほどメジャーな都市伝説ではないようだ。ただ一人だけ、その話を聞いたことがあるという友人がいたのだが、その内容にひとつだけ違うところがあった。車の色である。彼がいうには、乗せられる車は「黄色」ではなく
「紫色」だというのだ。
紫? いくらなんでも紫ってのは現実味に乏しいんじゃないか、と思ったのだが、考えてみれば、まあ黄色だって五十歩百歩か。
救急車の噂はあまり一般的ではないのかもしれないが、近くに古くからある精神病院があるような地域には、たいがい似たような話があるようだ。「発狂したらあそこへ連れて行かれる」あるいは「悪いことをしたらあそこへ連れて行かれる」といった言い伝えである。
驚いたことに、私が研修を受けた大学病院にもそういう伝説があったらしい。知り合いに、大学病院の近くで生まれ育った人がいるのだが、その人は子供の頃、「悪いことをするとあそこへ連れて行くよ」と母親に言われて育ったのだという。いや、いくら煉瓦作りで古めかしいからといって、単なる普通の総合病院なんですけど。
まあ最後の例はともかくとして、こういう精神病院に関するフォークロアを見ていて思うのは、精神病院ってのは、一般の人にとってはまだまだ閉ざされた「異界」なのだなあ、ということ。一般の人は、病院の中で何が行われているか知る由もないし、そもそも精神病というものがどんなものなのかも知るすべがない。未知のものに対して恐れと畏れを感じるのは当然のことだ。かくして、精神病院は「異界」にまつりあげられてしまう。
「異界」としての精神病院ってのも、確かに文学的な装置としては興味深いんだけど、本当は精神病院が「異界」であってはならないんだけどなあ。病院なんだから、もっと簡単に来られるような、開かれた場所でなくっちゃ。それには病院の努力も必要だけど、社会全体として、精神病についてもっと気軽に語れる雰囲気が必要だよね。
最後に改めて始めの救急車の伝説について考えてみると、精神病院用の救急車の色とされた黄色と紫というのは、どちらも鮮やかだけどどこか現実離れした色だ。それに、紫といえば日本では古来雅やかな色だし、黄色は中国では皇帝のみが使える色。両方とも高貴とされているな色である。こんなところが、黄色と紫という色が異界への入り口として選ばれた理由なのかもしれないな。
岡本賢一
『鍋が笑う』(朝日ソノラマ)購入。SFをすべて伏せ字にしたあとがきは、ギャグとして書いているんだろうけど、もうひとりの宇宙塵出身作家の件も考えると、なんとも複雑な気分。キム・ニューマン
『ドラキュラ戦記』(創元推理文庫)、
『中井英夫全集[2]黒鳥譚』(創元ライブラリ)も購入。
12月21日(月)
今日は大学医局の忘年会。大学には最近はほとんど顔を出していないので、久しぶりに会う人ばかりである。たまには顔出さんといかんなあ。このページを読んでいるという先生が一人(案外少ない?)いて、緊張する。こりゃめったなことは書けないなあ。
さて年末といえば忘年会シーズンであると同時に、ベスト選出シーズンでもある。今年のSFマイベストは、SFマガジンのアンケートで答えてしまったので、今度は今年の映画マイベストを選んでみましょうか。
1.フェイス/オフ
2.ガタカ
3.ダークシティ
4.L.A.コンフィデンシャル
5.CUBE
6.ザ・グリード
7.スターシップ・トゥルーパーズ
8.トゥルーマン・ショー
9.ニルヴァーナ
10.ブレード/刀
てな感じでどうでしょうか。偏ってますね、見事に。『プライベート・ライアン』も捨てがたいんだけど、それよりは『スターシップ・トゥルーパーズ』の悪意を取る。1位と10位に香港監督が来るのは美しいような気もしないでもない。
ちなみに、妻のベストテンはこう。ま、ほとんど同じ映画を観てるんだから似たようなベストになるんだけど、微妙に違うところが個性の違いですね。
1.ガタカ
2.ブレード 刀
3.フェイス/オフ
4.エイリアン4
5.トゥルーマン・ショー
6.L.A.コンフィデンシャル
7.ザ・グリード
8.フル・モンティ
9.グッド・ウィル・ハンティング
10.プライベート・ライアン