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2月28日()

 電話を買いに秋葉原へ。ナンバーディスプレイ対応じゃなきゃやだし、FAXもついてた方が便利だし、ジョグダイアルもあった方が……とさんざん迷ったあげく、パナソニックの「おたっくす」を買う。しかしこの商品名、なんとかならんのか。
 帰りがけに大通りを歩いていると、人だかりができている。背伸びして見てみると、建物の奥でどうやら何かのトークショーをやっているらしい。男性と女性が二人ずついて、どうも女性の方は声優らしい。男性の正体は不明。もらったチラシによれば、ソニー・ミュージックと文化放送とセントラル・ミュージックが共同で制作する「ヴェクトライダーズシリーズ いつか、重なりあう未来へ BOTTOM TOP」(長いぞタイトルが)というプレステ用ゲームの発表のようなのだが、チラシを見てもどんなゲームなのかさっぱりわからないし、人だかりの向こうで話しているのが誰なのかもまったく不明。チラシを見て、どうやら美少女が何人も登場する機動兵器ものらしいということだけはわかったのだが、女の子の絵が大きく載っているわけでもなし、メカデザインが斬新なわけでもなし、何を売りにしているのかよくつかめない。さらにあきれたことに、チラシに載っているのはキャラとメカの紹介だけで、シミュレーションなのかシューティングなのか、どんなジャンルなのかすら、どこにも書いていないのだ。まさか、まだ決まっていないわけじゃあるまいな(笑)。
 製作総指揮のおたっきい佐々木(この人物が対談者の中にいたかどうかも不明)なる人物は文化放送のアニメ・ゲーム系番組のディレクターで、カリスマ的人気を博しているらしいのだが、私は不勉強にも全然知らなかった(有名なの?)。でも人気ディレクターだからといって、いいゲームが作れるとはとても思えないのだけど。チラシの裏には「対象…アキバチルドレン&アリアケチルドレン」などという思わず赤面ものの記述もあるし、こんな企画で本当に売れるんだろうか、このゲーム。
 こうやって発売はるか前から期待をあおる手口といえば、「センチメンタル・グラフィティ」を思い出してしまうが、結局、ゲームの内容はどうでもよくって、企画だけが一人歩きして、いろんなところに利益をもたらすことになるのだろうか。しかし、こうなると、ゲームも先物取り引きだな。小豆500トン買って大損することになるのは、いったい誰だ?
 しかし、オタクってのはこういう作られたブームを極端に嫌うものだと思ってたけど、最近のオタクはそうでもないのか?
2月27日(金)

 MOF担という言葉の響き、どこかできいたことがあると思ったら、これだった。くるくるばびんちょぱぺっぴぽ、ひやひやどきんちょのMO〜F担<なんでこんなの覚えてるんだ、私は。

 きのうの日記で、新井代議士夫人の立候補の話を書いたけど、きのうの段階ではすでに立候補を取り消していたのだった。いやあ、ニュースを見ずに書くもんじゃありませんね。
 さて、ようやくSFマガジンを読みました。おお、本当に私の文章が載っている。改めて読むと、あらがいくつも見えてきて恥ずかしい限り。それに比べて森山さんのブックガイドはよくまとまった労作で参考になるなあ。精神医学における「こころ」と脳科学の「心」の違いについての考察も鋭い。
 あ、香山リカがコラムでナイフ少年と多重人格をからめて論じている。ちっやられたぜ。私も似たようなことを書こうと思っていたところだったのに。
 編集後記で塩澤編集長がわざわざ、前号は特別定価であったという説明をしているのは、やっぱり私みたいに誤解するおっちょこちょいがいたからなんでしょうね(笑)。それとも、もしかしてこの日記を読んだからなのかな?

 さて今日の買い物は、スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』、スティーヴン・キング他『魔法の猫』。小田嶋隆『日本問題外論』はBug Newsの頃からの小田嶋エッセイのファンとしては買い。でも、このタイトル、いしいひさいちのパクリでは。『幻魔大戦』6巻と『月光魔術団』12巻は、同居人へのおみやげ(笑)。
 それから、田島昭宇×大塚英志『多重人格探偵サイコ』(2)、永野のりこ『電波オデッセイ』(2)、浦沢直樹『MONSTER』(8)購入。
 あ、永野のりこと永山則夫くらい違う、というのを思いついたけど、どうか。応募してみようかな。そういや、締め切りは明日に迫っていることだし(何のことかわからない人は、冬樹蛉さんの日記を読むように)。
2月26日(木)

 東京の同居人に電話したところ、早川書房からSFマガジンが届いているという。私の原稿もちゃんと載っているとのこと。翻訳ではない私の文章が雑誌に――しかも専門誌以外に――載ったのはこれが初めてだ(SFマガジンも専門誌かもしれないけど(笑))。マガジンを読んで育ってきた私としては、感慨ひとしおである(ほんとは小説でデビューしたかったんだけど)。まあ、ほんとに大したことのないエッセイでアレなのだが、今さらポケモン事件かよ、などと言わずに、ご笑覧下さい。「嗤うポケモン」というタイトルで載っていますので。ちょっと恥ずかしいと思っていたこのタイトル、少なくとも、冬樹蛉さんには気に入っていただけたようで、ほっとしているところ。
 などと書いても今一つ実感が湧かないのは、実はまだSFマガジン4月号の現物を目にしていないから。柏崎の書店には、どこにもSFマガジンが置いていないのだ! 本屋にSFマガジンがないなんて、文化的に非常に遅れているとしかいいようがないぞ。柏崎にはSF者がいないんだろうか。それとも、地方都市なんて、どこもそんなものか? ああ、東京に戻る明日が待ち遠しい。

 新井将敬代議士の妻が出馬表明したそうだ。「夫の無実を証明するため」だと言っているそうなのだが、選挙で当選することと夫の無実とどういう関係があるのかさっぱり理解できない。だったら落選したらちゃんと有罪を認めてくれなきゃ話が合わないよな。選挙と犯罪の有無という全然別なものを勝手にリンクさせないでほしい。素直に夫の地盤を守らないと秘書とか後援会とかの人たちが困るから、といえばいいのに。似たようなパターンで、選挙で当選したくらいで「禊ぎは済んだ」と言ってはばからない議員も困ったもの。選挙は人民裁判じゃないのだ。それに、私は「禊ぎ」という美しい日本語を、こういう卑俗な場面で使ってほしくない。
2月25日(水)

 てんかんの入院患者さんが流行りのインフルエンザに感染、高熱を出したのをきっかけにけいれん重積発作を起こしてしまった。こういうとき、教科書的にはジアゼパムやフェノバルビタールを注射することになっているのだけれど、それをやっても効かない。ひょっとしたら、頭や脇の下に当てていたアイスノンも刺激になっているのかもしれないと思ってはずしてみたら、ようやくおさまった。しかし高熱は下がらず、意識も混濁したまま。2、3時間たってやっと意識を回復したので一安心。苦労して薬を少しずつ調整していったおかげで、最近ではこの患者さんはほとんど発作を起こさなくなっていたのだが、インフルエンザのせいで大きく調子をくずしてしまった。残念でしかたない。

 病院で普通行われる注射には、筋注、静注、皮下注の3種類がある。下手な医者や看護婦が何度も刺し直したりするのが静脈注射、すなわち静注。筋肉注射と皮下注射は、それに比べればずっと簡単で誰にでも一発でできる。さて、このあいだ当直中に看護婦さんから報告を受けていたときのことである。「インスリンを皮下注……」と聞いたとき、ある言葉が天啓のように私の頭に浮かんだ。「皮下注、元気でちゅう」。必死で笑いをこらえる私を、看護婦さんはけげんそうに見ていた<ばか。
 「嗤うポケモン」てのも私が考案した洒落だが、考えてみりゃこれは誰でも思いつくネタだよなあ。ああ、あんなタイトルつけるんじゃなかったな。
2月24日(火)

 きのう伊藤典夫先生と話したときに、松谷健二氏の訃報について訊いてみたのだが、「亡くなったの?」とびっくりした顔をしていたのには、こちらが驚いた。ご存じなかったんですね。
 伊藤先生によれば、松谷氏は山形大学教授の職についていたのだが、山形の大学に赴任したのはひとえに「山に登れるから」だとか。「あとがきにかえて」を読んで相当の山好きだとは思っていたが、それほどまでとは。そして、週に5日は山にこもり、あとの2日には地上に戻ってきてローダンを訳していたのだ、というのだが、さすがにこれは大げさのような気がするな。第一、教授の仕事はどうしていたんだ。

 80年代に中学、高校生だった者の多くがそうだと思うのだが、私はアイドルとともに青春を送った。河合奈保子や早見優、佐野量子も好きだったが、もっとも心惹かれたのは斉藤由貴である。なんだかその瞳は別の世界を見ているようでもあるのだが、一方で知的な発言もする。彼女は、同年代のアイドルたちとは明らかに違っていた。その後、彼女が詩や小説を書くと知って納得した。仮に私が他のアイドルと会う機会があったとしてもまったく話が合わないだろうが、斉藤由貴となら楽しく話せる、ような気がしたのだった。当時の私なら、斉藤由貴に誘われれば改宗だってしただろう(笑)。
 そんな斉藤由貴の歌手としての最高傑作が、1991年にリリースされたアルバム「LOVE」である。今日はこれを聴きながら柏崎へ向かう。有名なシングル曲は一曲も入っていないのだが、全曲本人作詞でプロデュースにも参加した力作である。特に、故郷からの旅立ちを歌う1曲目の「いつか」が群を抜いた名曲で、以前は、これだけリピートで流し続けて聴いていたこともあったほど。
 今さら由貴萌えの信仰告白をしてどうする、とお思いの読者もいるかもしれないが、ここからが本題。実は、このアルバムには聴くたびに背筋が寒くなってしまう曲があるのだ。「朝の風景」という新婚夫婦の朝の会話を描いた曲である。一番の歌詞は、「起きたの? おはよう。あんまりよく眠っていたので起こせなかったの。今日は日曜じゃないわ。まだねぼけてるの? 幸せすぎて涙が出そう。もしいままでの恋みたいにいつか消えてしまったら……ううん、考えない。今がすべてだから」(大意)という一見脳天気なもの。これを斉藤さんはささやくように、本当に幸せをかみしめるように歌う。
 これが二番になると、こうだ。「もしあなたが私に何をしても、たとえ裏切ったとしても、許してしまうでしょう。でも、もし二人が別れることがあったら、私はたぶんあなたのことを思い出さない。ひどいって? そうじゃないの。だって、思い出すためには一度忘れなくちゃならないんだもの。私はあなたを忘れることなんかないんだもの」(大意)。
 朝食のときにこんなことを笑顔で言われたら、男はどう感じるだろう。私なら、ぞっとしてしまう。女性の愛の異常なまでの強さに恐れをなしてしまうのだ。この女性は、ストーカーに極めて近い心性の持ち主なんじゃないだろうか。この歌を聴くかぎり、主人公の女性はかなり不安定な精神状態にあるようにしか思えない。外来に来たら、私なら「境界性人格障害」と診断するぞ(笑)。
 このあと歌は、「……悲しい想像はやめましょう。食事がすんだら仕事にいかなくちゃね。早く帰ってきてね。気をつけてね。待ってるから」(大意)と続く。たたみかけるような詞が恐怖を誘う、というのは考えすぎだろうか。
 この曲を聴くたびに、引き込まれるように聴き入ってしまうのだが、なによりも怖いのは、斉藤さんがこの詞を、本当に幸せな朝の風景のつもりで書いたのか、それとも女性の精神の不安定さを描きたかったのか、どちらなのかがわからないところなのだ。後者ならいいんだけど、前者だとしたら……。
2月23日(月)

 今日は大学病院へ行って外来診察。
 なんとこの仕事は無給である。大学で臨床研究をさせていただいている、という建て前なのだが、看護婦のお礼奉公すら廃止されようとしているご時世に、なんとも時代に逆行した習慣である。しかも、4月からはさらに驚いたことに、医局員以外の人間が大学で診療をするには、研修生として金を払わねばならなくなる、という。
 なぜ仕事をして、その上金まで払わなければならんのだ。
 大学とのつながりを保っておいた方が何かと便利だ、ということはわかっているが、さすがに金を払ってまで仕事をするのはばかげている(金を払って仕事をしない方がずっとましだ)。というわけで、3月いっぱいで大学の仕事はすっぱり止めることにする。まあ、ときどき研究会などに出て顔くらいはつないどかなきゃならんが。

 昼は時間があいたので池袋に出て西口のタイ料理店「メコン」でバイキングランチを食す。レッドカレーが美味だけど、あんまり辛くないのでちょっと物足りない。食後には、向かいの芸術劇場内にある「古本大學」で、ついつい絶版文庫を買いあさってしまう。光瀬龍『明日への追跡』(角川文庫)、アヴリーヌ『U路線の定期乗客』(創元推理文庫)、ポースト『アンクル・アブナーの叡知』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。
 そのあとは芳林堂で新刊チェック。おお、セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』(創元推理文庫)が出ている。ミステリ方面では、今まで幻だった本が次々と出版されていいですねえ(SFでは『アインシュタイン交点』が出たくらいだな)。ファンタジーの基礎知識として、定期重版の『ベーオウルフ』(岩波文庫)も。
 南部陽一郎『クオーク 第2版』(ブルーバックス)は、旧版部分にはあまり手が加えられていないみたいだけど、世界的第一人者が書いているだけあって期待できそう。落合仁司『〈神〉の証明』(講談社現代新書)は、パラパラとめくってみただけだけど、神の存在を数学的に検証するという奇書らしい。なんとなくSFの匂いを感じたので買い。数理神学なんて学問があることを、私は初めて知りましたよ。
 和田秀樹『多重人格』(講談社現代新書)も買っておこう。和田秀樹は「朝まで生テレビ」や「おもいっきりテレビ」などやたらとマスコミに露出の多い精神科医の一人だが、何を隠そう「中卒・東大一直線」というドラマのモデルだったという過去を持ち、受験本も山のように出版しているという方だ。この本では、多重人格、分裂病などいろいろな鑑定結果が出て話題になった幼女連続殺人のM君についても一章が割かれているのだが、東大精神科出身の著者が、師匠にあたる中安先生の鑑定(精神分裂病との診断)をどう評価しているかが読みどころでしょう(イヤな読み方だな)。
 夜は渋谷。伊藤典夫先生を囲んで勉強会。
2月22日()

 長野オリンピックも今日でおしまい。楽しかった2週間でした。
 閉会式は選手たちもリラックスしているためか、開会式よりも華やかで楽しい。5000発の花火といい、「WAになって踊ろう」といい最高の盛り上がりで、宴の終わりの楽しさと寂しさが伝わってくる。いいなあ、こういう雰囲気は。全然規模は違うけど、高校時代の学園祭の後夜祭を思い出す。社会人になってから、こういう雰囲気は味わってないなあ、と思って考えてみたら、あったじゃないか。SFセミナーの翌朝(笑)。
 しかし、萩本欽一はなあ……。欽ちゃんは、坂上次郎とか仮装大賞の出場者といった、相方や素人をいじることで面白さを醸し出すタイプのコメディアンであって(明石家さんまは、その正当な後継者だといえる)、一人だけで司会をしても面白くも何ともないのだ。「私たちのふるさとはー」「声が小さーい」って、それはいかりや長介の芸風では。でも、あのセンスのない衣装とか裏返った声とかに代表される泥臭さこそが、「日本」そのものなのかもしれないな。言葉の通じない世界中の人たちを、たったひとりで湧かせることができるコメディアンは日本には皆無なのだろうなあ(ため息)。
 サマランチ会長が「ありがとう、長野。さようなら、日本」と日本語で挨拶。続けて「すべてのメダリストにおめでとう」って言ったらどうしようかと思ったよ、私は(笑)。

 だんだん冊数が増えてきたので、本読み千年王国の並び方を、日付順から日付逆順に変更。これで、新しい本ほど上に来ることになりました。さらに、一気に『ループ』『ブギーポップは笑わない』『ライズ民間警察機構』の感想を追加。
2月21日()

 有楽町で『ゲーム』を観る。中盤まではカフカ的不条理の世界で、これをいったいどうまとめてくれるのかとわくわくしていたのだが、こう来るかい(怒)。30年前のショートショートか30分番組ならともかく、2時間の映画でこのオチはないんじゃないの。これはある意味、エヴァのテレビ版最終回に通ずるものがあるかもしれない(おめでとう、おめでとう。パチパチパチ。あ、それにこの映画のテーマも「死と新生」だし)。でも、このオチを生かすには、もっと主人公のトラウマとか、弟との葛藤とかを深く描かなきゃ。自主制作映画並みの企画なのに、何を間違えたのか大金をかけてしまった映画。

 口直しに観たのが『フェイス/オフ』。いやー、これは前評判どおり文句なくすごい。始まった直後から、まるで普通のアクション映画のクライマックスのような盛り上がりよう。しかも、そのテンションが最後まで持続しているのがすばらしい。金ぴかの二挺拳銃とか、スローモーションを多用したスタイリッシュで美しい銃撃戦とか、いかにもジョン・ウーらしい演出でうれしくなってしまう。トラボルタとケイジは異様なまでにかっこよく撮られていて、さすがはジョン・ウー、男と男の戦いを描かせたら右に出る者はいない。ハリウッド3本目にして、ようやく自分のスタイルで撮らせてもらえるようになったようだ(ツイ・ハークもあと2本くらいハリウッドで撮ったら、すごい作品を見せてくれるかも)。脚本も細部までよく練られていて、泣かせるシーンはきっちり泣かせてくれるし、脇役に至るまで気が配られている(ディートリッヒの死に様には泣けました)。アクションシーンも、普通の映画のゆうに3本分の見せ場が詰まっている。早くも個人的には今年のベストワン決定。いやいや、『ダイハード』と並ぶアクション映画のオールタイムベストかも。
 時節柄、バタフライナイフが登場するシーンには少しぎょっとしたけど(笑)。

過去の日記

98年2月中旬 松谷健二、精神保健福祉法、そしてその後の男の涙の巻
98年2月上旬 ナイフ犯罪、DHMO、そしてペリー・ローダンの巻
98年1月下旬 肥満遺伝子、名前厄、そして大阪の巻
98年1月中旬 北京原人、アンモナイト、そして織田信長の巻
98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

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