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1月10日()

 そろそろ出そろってきた『BRAIN VALLEY』の書評を読むと、エピローグに言及しているものが多い。エピローグが感動的だとか蛇足だとかいうんだけど、どうも私にはぴんとこない。そういう感想を抱く人は、エピローグを素直に受け取りすぎてるんじゃないだろうか。科学知識の詳細な解説を伏線にしてあれほどぶっとんだ物語を築き上げた作者のことだ。単なるちょっとした奇跡としてあのエピローグを書いたとは思えない。素直に感動した人には申し訳ないが、あれもまた作者のたくらみなのだと思うのだが。

 深夜はケーブルテレビで新スタトレを2本見る。スタトレはSFじゃないという人がいるけど、確かにそれもうなずける。危機が起こるとラフォージかデータあたりが「こうすれば解決できます」といろいろと説明するのだけれど、この説明がいつ聞いても理解できない。「ワープ・プラズマ・コンジットに付着していた位相を異にする有機体の弱点は高周波のインターフェース・パルスです」とかいわれてもなあ。頭痛くなってくるぞ。そうするとピカードが「なるほど、うまく行きそうだ」。で、実行するとうまく行く。なんでやねん。そしてそのときに考え出された新技術は、次の回以降はまず使われない。これはどう考えても、疑似科学用語の羅列で視聴者を煙に巻いているとしか思えない。
 まあ、そんなところも含め、私はスタトレが大好きなのだからいいか(笑)。スタトレがSFでしか描けない物語であるのは確かなのだけれども、スタトレの面白さの大部分はSFではないところにあるのもまた確かなのだ。それはともかく「ヴォイジャー」早くやらないかな。

 『人と話すサル「カンジ」』『オルグ学入門』読了。前者は第一線の専門家によって書かれたわかりやすい科学書、後者は古本のトンデモ本(笑)、どちらも面白かったっすよ。
1月9日(金)

 雪じゃ雪じゃ。今度こそ雪は一晩中降り続け、起きてみればあたり一面の雪。さすが雪国だけあって朝だというのに道路はちゃんと除雪されているが、アパートから道路までは、膝下10cmという一昔前の女子高生のスカート丈くらいある雪の中をずぼずぼと行軍して出勤。
 仕事を終えて新幹線で東京へ帰ってくると、テレビでやっていたとおり、東京も雪に覆われている。なんだか帰った気がしないぞ。昨夜は東京では交通はマヒするわ、500人が転んで怪我するわでたいへんだったらしいが、柏崎から帰ってきた身としては「なんで、これくらいの雪でパニックになるかなあ」というのが正直なところだ。
 しかしこれでわかった。雪さえ降らせれば東京制圧は赤子の手をひねるようなもの(どうやって降らせるんだ)。そうか、だから二・二六事件のときも反乱軍は雪を降らせたのだな(だからどうやってだ)。

 東京に帰ってまずすることは、狂ったように本を買うこと。まずは山田正紀『神曲法廷』、森博嗣『夏のレプリカ』、西澤保彦『幻惑密室』と、講談社ノベルスを3冊。しかし辰巳四郎の装丁で水玉蛍之丞の絵というのはなかなかミスマッチ。
 文春文庫は『苦力の時代 チョンクオ風雲録その十四』。このシリーズ、買ってる人の90%はとりあえず惰性で買ってはいるが読んでいないと見た。もちろん私もそのひとり(笑)。このシリーズ、どう考えてもあまり売れてないと思うのだが、それでも出し続けてくれている文春はえらいぞ。途中まで訳しておきながら売れないと見るとやめてしまう某出版社は見習って欲しい。
 あとは上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫)に、ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』(ちくま文庫)。なんでこんなの買ったんだ? それに江川達也『GOLDEN BOY』10巻。最終巻である。むう、こういう終わり方だったか(笑)。しかし、最近の江川達也のマンガつまんないもんなあ。是非もなし。作品がつまらないことを棚に上げて「一体誰が邪魔をしてるんだ!?」「古いシステムを維持するため/知りたいことは隠される」といわれたってなあ。そりゃ陰謀論者の口ぐせではないか。『東京大学物語』も東大に入るまでは最高だったのに、どうした江川達也。
 鶴田謙二が表紙で、しかも待ちに待った作品まで読めるときては、当然週刊モーニングも買わねばなるまい。実はこの作品、去年の9月に載ると予告されていた作品だけれど、私はそんなことには動じない。鶴田謙二ファンは待つことには慣れているのである。今週の鶴田謙二のページによると、1月発売予定だった画集も1ヶ月遅れるそうだが、驚いたファンなど誰もおるまい。
 しかし、自分のことながら、なんでこんなに本を買うかなあ。やれやれ。

 家に帰るとうれしい知らせがふたつ。まずひとつめ。古い友人がウェブ同窓会ページこの指とまれ!経由でこのページを見てメールをくれた。もう10年近く会っていない友人だが元気そうだ。こういう意外な便りはうれしい。もうひとつはまたいずれ(思わせぶり)。
1月8日(木)

 結局昨夜の雪はたいしたことがなく、うっすらと地面を白く覆った程度だったのだが、昼前からまた降り出した。山奥の診療所でお年寄りの血圧を計ったりしている間も雪は静かに降り続け、4時半ごろ仕事を終えたときには一面真っ白。積雪は30cm程度で(山間部としては)たいしたことはないのだが、空も山も田んぼも道もとにかく白い。空と地面の境も見えず、どこが道かもはっきりしない景色の中を帰りの車はゆるゆると走る。田んぼの中の一本道を通ったときなど、並んでいる電信柱と対向車のヘッドライト以外、360度全方向が白一色で遠近感すらつかめない。これは怖い。さてどうやって家まで帰ろうか(これを書いている今は病院にいるのである)。

 話は変わるが、新潟の正月で驚いたのがテレビコマーシャルだ。日の出とか富士山とかのイメージ映像を背景に、「賀正」という文字が出る。BGMは新年らしい雅楽。ナレーション「新春をことほぎ、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。○○株式会社 社長△△」。こういうCMがいくつもいくつも延々と繰り返されるのだ。まったく同じ映像で別の会社なんてのも珍しくない。おそろしく退屈なCMなので、効果があるかどうかはかなり疑問だと思うのだけれど、要するに、お得意さまに出す年賀状のつもりなんだろうな。東京のCMではこんなのは見たこともなかったので仰天したのだが、もしかしたら、地方局では珍しくないのかも。

 さてきのうの「日本醫事新報」の話の続きである。
 きのう紹介した質問のコーナーの後ろ、求人広告などが載っている「医事案内」の末尾にも見逃せないコーナーがあるのだ。「求縁」の欄である。意外に思えるかもしれないが、医者の世界もきびしい結婚難なのである。
 毎号この欄を見ているうちに(ヒマだね、私も)、広告はだいたい3つのパターンに分かれるのに気づいた。
 まず一種類目が女医さんの広告。「女医32都内近郊で良縁望」とか、「28歳女医38歳迄の医師望」など、毎号必ずひとつは女医さんの求縁広告がある。「女医38歳容姿端麗連絡乞」なんてのは大した自信だ。女医さんの場合、理想が高いためか仕事が忙しいためか、30を越えて未婚の人も珍しくない。結婚など興味がないという人もいるのだろうが、これを見ると必ずしもそういう人ばかりでもないようだ。女医さん狙いの人はチャンスかも。
 「院長60健若財有求女医50迄」とか「65歳病院長同居家族無後継可能女医再婚望」など、病院長ものというのもある。しかしこれ、伴侶と労働力を同時に求めようという虫のいい広告だね。
 三番目は、院長娘もの。「開業医娘23歳大卒健康明朗誠実容美青年医師望」なんてのは、病院の後継者がほしいのだろうが、娘23歳がかわいそうに思えてくる。同じパターンでは「都内病院長娘30歳大卒161健康美土地有35歳前後医師望都内近郊の方親書賜度」。文面の長さが都内病院長の決してあとにはひけぬという熱意を感じさせる。
 さらに、「開業医娘36歳女医 医師との良縁を望む」など、一番目と三番目の合わせ技もあったりする。たいへんですねえ。開業医娘。
1月7日(水)

 毎週病院に来るといつも、私は「日本醫事新報」を読む。たいがいの病院がとっている雑誌で、まあ、簡単にいえば医者の業界誌みたいなものだ。表紙には写真もイラストもなく、タイトルと目次だけが青一色で不愛想に印刷されている。味もそっけもない装丁だが、これがなんと週刊ペースで刊行されており、一冊660円もする。週刊にしては高い雑誌だ。
 「醫事」という表記からわかるとおり、創刊は戦前の大正10年。平成10年1月3日の号には「第3845号」とある。長い歴史を持った雑誌なのだが、内容はというと、有用な記事といえるのは医学界のニュースを扱ったページくらいのもの。何本か論文も載っているが、さほどおもしろくはない(醫事新報に論文を載せたところで、別に業績になるわけでもないのだ)。そのほか、筆に自信のある老医師(年齢は明記されていないのだが、内容からしてたいがい老医師と思われる)が書いた随筆が載っていたりするが、これも誰もが予想できるとおり、おもしろいものではない。
 毎号、巻末には「質疑応答」というコーナーがあり、読者から寄せられた質問に、専門の医師が答えるページがある。といっても質問を寄せる側もプロの医者、健康雑誌なんかの同様のコーナーとは全然違うハードさだ。「ワルファリン絶対適応例の出血性胃炎等に対する緊急処置」「キルレ病の治療および透析との関係」など、私にも意味がよくわからないような質問が並んでいる。だが、実はその質問コーナーの最後尾に、お間抜けが眠っている。
 医学とは無関係の、「雑件」に分類されている質問が必ず何件かあるのだ。たとえばこんな具合だ。

「サルビアの栽培方法」

「自転車のタイヤで、パンクしないものがあるというが、どのような製品か」

「お茶を注ぐ際、急須のふたが落ちないような仕組みになっているものはないか」

「世界で初めて掘られた鉄道用トンネルはどこにあるか。また日本の鉄道用トンネルで最長のものと最短のものはどれか」

「氷河期はなぜ起こったのか。またなぜ終息したのか」

 へなへな。
 まさに「雑件」としかいいようがない。
 なぜそんな質問を「日本醫事新報」に訊きますか。
 だが、それらの質問に、係の人は懇切丁寧に答え、あるいは係の手に負えない場合には、その道の専門家に依頼してきちんとした回答を掲載しているのである。ご苦労な話だ。
 ほかには、「中学生、高校生向けの書籍で、夫婦間の愛情、きずなをテーマにした文芸作品にはどのようなものがあるか」という、意図のよくわからない質問があるかと思えば(回答では、『智恵子抄』や『リツ子 その愛・その死』『誰のために愛するか』などが挙げられている)、「ポルシェのオイル交換はディーラーの専門工場でなければならない、と言われたがこれは本当か」などというポルシェユーザーの自慢としか思えない質問があったりする(こちらには、なぜか「東京農工大学名誉教授」なる肩書きを持った人物が回答している)。
 ふつうならサルビアの育て方は花屋にきくし、氷河期の原因が知りたいなら地球科学の本でも読むだろう。しかし、それをせず、「日本醫事新報」に訊くのが、えらいお医者さんというものなのである。
 そしてそのさらに後ろにも見逃せないコーナーがあるのだが、それはまた明日。

 昼過ぎから雪。風もほとんどないこんな日は、雪はまるで綿くずのように音もなくしんしんと舞い落ちる。なんて、気取って書いてる場合じゃないぞ。こういう雪は積もるのだ。今日の帰りはたいへんだ。長靴買っときゃよかった。よりにもよって明日は診療所へ行く日だ。下がこんなふうじゃ、山奥では一メートルは積もってるんじゃないかな。げげげ。

 メインページのカウンタに書いてある措置入院って何?のページを作ったので見てね。
1月6日(火)

 フレットワークの演奏によるウィリアム・バードのコンソート曲集を聴きながら柏崎へ向かう。一見地味で単調に聞こえるが、じっくり聴くと深い渋みのある曲である。
 と、書いてもほとんどの人にはわかってもらえないだろうな。ウィリアム・バードというのは16世紀イギリスの作曲家で、コンソートというのはヴィオールの合奏曲のことで、さらにヴィオールとは、ヴァイオリンやチェロなんかのご先祖にあたる弦楽器の総称。フレットワークは演奏グループの名前。ふう。
 最近でもそう教えているのかどうかは知らないが、私が小学校に行っていたころには、バッハは「音楽の父」であると教えられていた。で、確かヘンデルが「音楽の母」だったかな。それが古い偏見にすぎないことを知ったのは、ずっとあとのことだ。あたり前のことだが、バッハがいきなり何もないところから西洋音楽を作り上げるなどということがあるわけがない。バッハ以前にも作曲家は山ほどいたのであって、バッハはその歴史の中ほどの一登場人物にすぎないのである。
 大学のころ、クラシックの有名曲をひととおりいろいろと聴いてみた時期がある。ベートーベンやシューベルトなどのいわゆるクラシックは、あまりにも音が純化されすぎている感じがして好きになれなかったのだが、あるときレコード屋で「古楽」というコーナーを発見してそこに並んでいたCDを聴いてみたところ、見事にはまってしまった。そのときに知ったことだが、バッハ以前の音楽(含むバッハ)は「古楽」とよばれていて、そこにはお馴染みの「クラシック」とはまったく別の世界が広がっていたのである。
 まず楽器が違う。現在の楽器は、大ホールでも通用するように大きな音が出るように改良されたものだ。古楽では、当時使われていたものを復元した、音も小さくピッチも高い楽器を使う。演奏法もヴァイオリンはほとんどビブラートを使わないなど、一般的なクラシックとは全然違っている。
 古楽には、これまでのクラシック界の権威に対する反抗という側面がある。だから権威的な演奏法が否定されるし、まったく評価されず今まで一度も録音されたこともないような曲が発掘されて演奏されることになる。そうした曲には確立した演奏法というものは存在しないので、それぞれの演奏家が研究の末、これこそ当時の演奏法、と信じた方法で演奏するのである。しかしこれが演奏家によって千差万別(だから楽しいのだけれども)、中にはアットホームで暖かい演奏もあれば、非常に現代的で切れ味のいい演奏もある。有名なヴィヴァルディの「四季」だって、イ・ムジチのものとは全然違って、これが四季?というくらいテンポが早くてノリがいい刺激的な演奏が、アーノンクールの演奏をはじめとしていくつも出ている。
 さらにおもしろいことに、古楽演奏家の魔の手(笑)はどんどん時代を下って、ベートーベンやブラームスといった、従来はとても古楽の対象とは考えられなかった作曲家の曲まで斬新な手法で演奏して、保守主義者の眉をひそめさせている。もはや、古楽というのは作曲家の時代や様式でわけるものではなく、演奏上のひとつの運動になっているのだ。
 本物の古楽ファンは怒るかもしれないが、私としては、古楽ってのは、クラシックというよりも、むしろロックやワールドミュージックの方によほど近いんじゃないかと思っている。古楽は、クラシックの中でももっとも刺激的で先鋭的な分野なのだ。まあ、私がいくら言っても、音楽は聴いてみないことにはわからない。まずムジカ・アンティカ・ケルン演奏の「パッヘルベルのカノン」でも聴いてみてください。これほどノリのいいカノンはほかにないと思うよ。
 ただ、あらゆる運動がそうであるように、古楽もそろそろそれ自体が権威になりつつあるので、今ではなかなか新しくておもしろいものが出にくくなってはいるのだけれど。

 柏崎に着くと、雪はまったく積もっていないものの、空はどんよりと曇っていて、氷混じりの雨が音を立てて窓に叩きつける。これからは春までずっとこんな天気が続く。やれやれ。
 精神病院に勤めていると、長い休み明けがいつも憂鬱だ。休み中の病棟ではたいがい何か思いもよらぬことが起こっているものだから。今日も病院に着いてみると、ある患者さんは自殺未遂をして保護室に入っているし、またある患者さんは服薬を拒否して点滴を受けていた。これからが忙しい。やれやれ。

 そうそう、「ワンダフル」は新潟でも放送していた。よかったよかった。
1月5日(月)

 星新一氏が亡くなった。
 星氏が、日本SFを一から作り上げた第一世代の巨匠のひとりなのはもちろんだけど、私にとっては子どもの頃、SFの道へと案内してくれた大恩人だ。私くらいの年代のSFファンはみんな、星氏に大きな恩義があるはずだ。教科書に載っていた星氏のショートショートが初めて読んだSFだったという人も多いだろう。
 私は小学生から中学生にかけて「ボッコちゃん」や「エヌ氏の遊園地」などの作品を読みあさり、国語教師のSF蔑視にもめげず、星作品の読書感想文を提出した。当時角川文庫で大量に出ていた(今思えばいい時代だったなあ)小松左京や豊田有恒、眉村卓らの作品を読み始めるにつれ、星氏の作品はしだいに読まなくなってしまったが、私を最初に広大なSFの世界へと引き込んでくれたのは、星新一氏の書いたショートショートだった。
 これからはこういうことが続くのだろうな。いつかはこういう日が来るのはわかっていたけど、悲しいね。
 しかし、乱歩や正史といった日本のミステリを作り上げた作家たちはとうに亡くなっているのに、日本SFを築いた作家たちはまだほとんどが存命というのは、それだけSFが若いジャンルということなのだろう。逆に言えば、SFでもそろそろ、最初の世代の業績をきちんとまとめて次の世代へと引き継ぐべきときがきている、ということだな。ジャストシステムの小松左京コレクションとか、出版芸術社の『塵も積もれば』とかはそういう試みとして評価できるけど、それよりももっとまとまった、後世に残すべき傑作をまとめた「日本SF全集」みたいな選集はできないんだろうか。小松左京や光瀬龍の傑作すら容易には手に入らない今の状況はあまりにもひどすぎる。私としては、昔から日本SFをリードしてきたハヤカワにその役割を期待したいんだけど、ムリなのかなあ。期待するならむしろハルキ文庫か?

 夜は、今日から始まる「すごいよ!マサルさん」だけのために「ワンダフル」を見る。おお、監督は大地丙太郎だ。なかなかいい出来ではないか。原作の味をよく生かしている、というか原作どおりだ。明日からも見なければ。でも柏崎でも「ワンダフル」ってやってたっけ。
1月4日()

 午後から池袋。PARCOの古本市へ行くのである。1月2日が初日だったので、もう掘り出し物はないだろうな、と思っていた通り、収穫ゼロ。絶版文庫コーナーがあって、『総統の頭蓋骨』とか『スラッグス』とかのハヤカワNVのモダンホラーに高値がついている。やれやれ、このへんは100円程度で手に入る本ではないか。『ハードシェル』なんか、まだ現役で出てるんじゃないか?

 ビックカメラの新パソコン館を冷やかしてから、久しぶりのBOOKSファントムへ。またスタトレの棚が増えたような、と店内を見回していると「さようならミステリー」という衝撃の貼り紙が! 2月20日をもってミステリーの棚はすべて撤去されるのだという。がーん。
 来るものが来たか、という感じである。この店、最初はミステリー専門書店としてオープンしたというのに、訪れるたびにスタトレグッズとか、同人誌とかフィギュアとかミリタリーとかのオタクコーナーが増えていき、ミステリーはどんどん隅においやられていたしなあ。そういえば、確かに私もこの店でミステリーを買った覚えはないぞ(笑)。
 だって、ミステリーの新刊書なんてリブロや芳林堂で買えるからなあ。ここに来ればなんでも揃う、というほどの品揃えでもなかったし、わざわざこんな駅から遠い店までミステリーを買いに来る必要はないのである。飯田橋の「深夜プラス1」もミステリー専門でなくなって久しいし、ミステリーの専門書店をやっていくのは難しいのだろうな。ミステリーが隆盛を誇っているからこそ普通の本屋でもミステリーが買えるわけで、そのためにミステリー専門書店がはやらないというのは、皮肉な話である。
 それよりも、フィギュアとかスタトレグッズとかの品揃えを充実させてオタクを呼び込み、書棚にはSFとかマンガとかを置いといてついでに買ってもらう方がよほど効率的ということだろう。それはわかるのだが、ミステリー専門書店(もうすでに専門ではなくなっているけど)がまた一つ消えてしまうかと思うと寂しい(ほとんど行かなかったくせに勝手なことを言ってますね)。
 しかし、逆に、グッズなどと合わせ技でメディアミックス戦略をとれば、SF専門書店なら成り立つ可能性があるということだな。BOOKSファントムの今後に注目。2月の改装がすんだらまた行ってみよっと。

 ジュンク堂をぶらりと一周したあと、「カッパドキア」という店でトルコ料理の夕食。トルコ料理は日本人の味覚に合っていて、エスニックに慣れない人でもすんなりと馴染みやすくてうまいよ。
 本日の(今年最初の)購入本は、ダニエル・デネット『解明される意識』(青土社)と、影山任佐『エゴパシー』(日本評論社)。影山先生は東京工業大学の教授で犯罪精神医学のえらい人。私が研修医だった頃、バイトで東工大へ健康診断に行ったときに一度だけお会いしたことがある。といっても、そのときはただの保健センターの校医さんだとばかり思っていたのだった(恥)。

 カウンタが400を突破。200を突破したのは開店16日目の12月19日だったが、400を超えたのもそれからぴったり16日目。着実な歩みといえば聞こえはいいが、全然訪問者が増えてないってことなんじゃないか、これは。もうちょっと宣伝活動せねばいかんかな。
1月3日()

 きのうあったことを今日書くのもどうかと思うのだが、きのう書き忘れてしまったのでここに書く。
 テレビで放映していた『ジュラシック・パーク』である。脚本がなっていないなどといってあまり評価しない人も多いのだが、私にとってははこの作品は名作である。
 たとえば初めてグラントたちが恐竜を目にする場面。目を見張りながらもしっかりと自説の正しさを確認するグラント。トリケラトプスの糞の山の中にためらいもせず手を突っ込むエリー。自分の夢が崩壊しつつあることを認識しながらたった一人暗い食堂で食事をするハモンド。終幕近くでステッキの琥珀を呆然と見つめる場面もいい。博物館の真ん中で自分の骨格標本を蹴散らして、歌舞伎役者のように見栄を切って咆哮するティラノ。そしてラストシーン、現代に生きる恐竜の末裔である鳥たちの飛翔で幕。
 いいなあ。脚本がなってないとかキャラクターが描けていないなんていう奴はいったいどこを見ているのか。この作品に登場する科学者たちは、まさにプロとして描かれている(マルカムはちょいと疑問だけど)。だからこそ恐竜を目の当たりにした彼らの驚きや感動に同調して、見ているほうも感動することができるわけだ。
 逆に『ロストワールド』を評価しないのは、目の前で恐竜が生きて動いているという素直な驚きや、科学者のプロらしさがまったく描かれていなかったからだ。プロの恐竜学者がなぜ、血のついたシャツを平気で着て歩いたり、かわいそうだからといって恐竜の子どもを基地に連れてきたりできるのだろう。

 「世界に眠る幻の未公開(秘)映像大発掘スペシャル」(TBS)なる長い名前の番組を見ていたのだが、ナレーションの原稿があまりに稚拙なのであきれる。なにかと「驚くべき映像」「衝撃の映像」を連発するし、「キリンが動物園で長生きしたが、30歳で惜しくも死亡した」って、死ぬのは当たり前じゃ。30歳(人間だと100歳らしい)も生きたのなら全然惜しくないぞ。きわめつけは「日本に初めて来日」。あまりにも初歩的な誤りである。放送作家はちゃんと日本語を書きましょうね。

 『マックスマウスと仲間たち』読了。幻の作家島田清次郎『地上』の紹介も書いたので読んでね。
1月2日(金)

 鶴岡八幡宮へ初詣に行く。が、予想された通り、あまりの人出の多さに(石段の手前に巨大スクリーンまで用意され、本殿の様子が映し出されているのである)参拝する気力を無くし、脇にある旗上弁財天社と白旗神社にお参りしただけで帰ってくる。
 実家から家に戻ると、年賀状が来ている。その数わずかに7枚(ふたり分で)。とほほ。しかし引っ越したのが11月で、ほとんど誰にも住所を教えていないのでこんなものか。旧住所宛ての分が転送されてきたらもっと増えるだろう。増えてほしい。増えるといいな。
 深夜にはフジテレビで「えすえふ」というそのものズバリのタイトルの番組があって期待したのだが、これがSF心のかけらもない番組で失望。例年どおり「噂のCMガール」を見るとしよう。
1月1日(木)

 新年あけましておめでとうございます。
 今年も毎日更新を目指すこのページをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
 とはいっても例によって、どうでもいいことを書き連ねていくこのページなのだけれど。

 11時ごろに起きて、母親の作ったお節と雑煮を食べる。同居人は山口出身なので、すまし汁に角もち、鶏肉入りという関東風の雑煮が珍しいらしい。彼女によれば山口の雑煮は味噌汁に餡入りの丸もちを入れるとのこと。30年近くこの関東風雑煮を食べてきた私にとってはまったくの異文化である。たぶん来年はその雑煮を食べることになるのだろう。楽しみなような不安なような。
 しかし、雑煮ほど、同じ名称で実態の違う料理も珍しい。新明解国語辞典(第三版)も、「野菜・肉類などの入ったみそしる、または、すましじるなどにもちを入れたもの。多く、正月に食べる」と、全然明解ではない。共通するのは、もちを入れた汁、というところだけではないか。ひやむぎとそうめんが別の名前なら、各地方の雑煮だって別の名前にしてもいいはずだ。
 夜は教育テレビで「ガリバー旅行記」の再放送。イギリス製の本格的な特撮ドラマである。名作ですね。これを見て思い出したのだが、Yahoo!のネーミングの由来はガリバー旅行記だったんですね。でもYahoo!を使っている日本人の何人がこれを知ってるんだろうな。しかしこのドラマ、ラピュタや馬の国まで映像化しているのに、肝心の日本をカットしてしまっているのはなぜ?
 深夜1時ごろになると、教育テレビでは「ガリバー旅行記」をやってるし、TBSでは「アビス」、フジは「SPAWN」、テレビ朝日は「いとしの未来ちゃん」と、SFだらけである。しかも、テレビ東京の「爆笑問題のテレビ原論」では、粘土細工を使ってコミュニケーションをとる会社員という、なんだか「地球はプレーンヨーグルト」みたいなコントをやってるし、日テレは佐野史郎と武田真治のホモドラマだ(笑)。SF三昧ではないか。こいつは春から縁起がいいや。

過去の日記

97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

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