人と話すサル「カンジ」
スー・サベージ-ランバウ ロジャー・ルーウィン著 石館康平訳
講談社 97/12/15発行 2800円
NHKスペシャルなどでも紹介された類人猿ボノボの子カンジについて書かれた、決定版ともいうべき本。著者の一人スー・サベージ-ランバウは類人猿言語研究の第一人者。
著者の主張はかなり先鋭的で、ボノボなどの類人猿でも生まれたときから言語が豊富な環境にさらされればある程度までは言語理解が可能だというもの。この説がどの程度の承認を得ているのかはよく知らないのだが、本書を読む限りではかなりの説得力があるように感じられる。
前半では1960年代から70年代の類人猿の言語研究の一時的な成功と挫折の様子が語られる。チンパンジーたちは手話や絵文字を覚え、「ジュースが飲みたい」などと要求を伝えることができた。研究者たちは、そうした類人猿の発話が文法に一致している、という証拠を次々と提出した。当時は、人間の脳には先天的に「普遍文法」があるというチョムスキーの説の影響で、類人猿の言語が文法に従っているかどうかが重視されていたのである。しかし、70年代末には、それも直前の実験者の発話の模倣と片づけられ、類人猿の言語研究は冬の時代を迎える。
著者はそれまでの研究方法に異議を唱える。言語の生産能力と理解能力はまったくの別物だというのが、著者の主張である。類人猿は確かに単語を覚えることができるし、シンボルを使って要求を伝えることもできる。しかし類人猿は本当に言語を理解しているのか。つまり、類人猿は、言語などのシンボルが、目の前にはない対象を象徴できることを知っているのか?
言語の理解について論理的に推論をすすめていき、そしてそれを実験で確かめていく過程は実におもしろい。
また、言語学の大御所であるチョムスキー一派が本書では完全に批判の対象になっているところのが興味深いところだ。このあたり、言語学寄りの読者はどう感じるのかな。
さて、後半になっていよいよカンジ君の登場である。ボノボの持つ驚異的な言語能力が次々と示されるのだけれど、このあたりは読んでくださいというほかはない。楽しいエピソードがいろいろと紹介されるが、単にエピソードの羅列に終わっておらず、理論的にもしっかりと一本筋が通っている。
さらに著者は、カンジが果たして石器――道具を作る道具――を作る能力を持っているのかどうか確かめる実験を行う。石器を使えば切れるロープで食べ物の箱のふたをしばり、何度もカンジに石器を作らせようとするのだが、カンジはそのたびに裏をかいて思いもよらぬ方法で報酬を手に入れてしまい、結局実験は失敗。このあたりはなかなか笑える。
キリスト教の影響か、欧米には類人猿の心というだけで拒否反応を示す人も多いようだけれど、日本ではそんな偏見もあるまい。こういう知識は、学問領域を超えて、言語学とか哲学の方でも積極的に取り入れていくべきだと思うんだけどね。
訳も読みやすく、『BRAIN VALLEY』を読むための副読本としてもお勧め。人間とは何かについて考えさせられる本。
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