措置入院 involuntary admission

 なぜか当サイトで最も人気が高く、リンクされる頻度も高いのがこのページ。
 以前のバージョンでは、措置入院患者の人権、という観点に重きを置いていたのだけれど、大阪の児童殺傷事件でアクセス数がさらに跳ね上がったことをきっかけに、大幅に書き換えてみました。

 措置入院というのは、精神障害のため、自分自身を傷つけ、他人に害を及ぼすおそれのある者については、精神保険指定医二人以上の診断結果にもとづき、都道府県知事の命令によって強制的に入院させることができる、という精神病棟の入院形態である。いわば知事の公権力発動としての入院である。
 この措置入院について、多くの人が気になるのは次の二点だと思う。
(1)精神障害でもないのに措置入院にさせられたり、症状がなくなっても隔離され続けるようなことはないのか。
(2)他者に害を及ぼすような患者がすぐに退院になってしまうようなことはないのか。

 まず(1)の疑問なんだけど、これについて述べるには、この制度の歴史からみていく必要がある。
 現在の措置入院の制度ができたのは、昭和25年に精神衛生法が制定されたときだ(それまでは精神病者監護法なる法律があって座敷牢が認められていた)。ただし、当時は、措置入院ではなく強制入院といわれていた。いかにも恐ろしげな名称ですね。現在では精神衛生法は二回名前を変えて精神保健福祉法に、強制入院は措置入院に名前が変わっているが、措置入院の規定自体は、昭和25年以来まったく変わっていないのである。
 最初に書いた措置入院の規定を読めばわかるとおり、これはけっこうあやうい規定である。「自分自身を傷つけ、他人に害を及ぼす」(これを縮めて自傷他害という)なんて、いくらでも拡大解釈の可能性がある。だから法律の意図としては、二人以上というあたりが安全装置のつもりなのだろう、たぶん。さらに自傷と他害についても厚生省の告示で定義されている。自傷とは主として自己の生命・身体を害する行為を言って、単に浪費や自己の所有物の損壊などの行為は含まない。浪費で措置入院させられちゃたまらんわな。他害とは、他人の生命、身体、自由、貞操、名誉、財産等に害を及ぼす場合と決められているのだが、これまたあいまいでよくわからない定義だ。要するに刑罰法令に触れる程度の行為ということらしいのだが。
 あまり知られていないことだが、診察と保護の申請は誰でもできることになっている(もちろん虚偽の申請をした者には罰則がある)。すなわち、あなたを陥れようとする人物と精神保健指定医二人が結託すれば、あなたも強制的に入院させられてしまう可能性がないとはいえないのだが、そこは医者を信じてくださいというほかはない。
 さて、精神衛生法が施行されて14年後の昭和39年に、アメリカのライシャワー大使が、アメリカ大使館の玄関前で精神分裂病の青年に刺されるという事件が起きた。日本は外圧、特にアメリカには弱い。国は震え上がった。当時の警察庁長官の国会答弁がこうである。
「突発的に出てくる精神病者というのは、私たちの聞く限りにおきましても三十万人にちかいということでございまして、こういうものを将来警察対象として常時警戒をするというような体制をどういうふうにしてやっていくかということにつきましては、非常に苦慮をいたしておる次第でございます。(略)精神病者というものを治安の対象に考えるという方向に将来は備えていかなければいけない」
 なんとも差別的な答弁である。確かに精神障害者による突発的な事件は起きる可能性があるのだが、30万人の精神病者すべてをその予備軍とみなす発想は乱暴としか言いようがない。結局精神衛生法は精神障害者の取り締まりを強化する形で改正。「緊急措置入院」の制度が誕生した。「自傷他害のおそれが著しく、急速を要する場合」には、72時間にかぎり、精神保健指定医一名のみの診察で強制的に入院させることができるようになったのである。この場合、72時間以内に通常の措置入院にするかどうか決めなければならない。
 ということで、措置入院というのは、医療というよりはむしろ保安的な発想から生まれた入院制度ではあるのだが、現在では患者の人権にかなり配慮した制度になっており、実際上は、精神障害でもなんでもない人が措置入院になることはまずありえないといっていい。
 たとえ強制入院になったとしても、患者は都道府県に対して退院請求を出す権利が認められているし、措置入院患者については、6ヶ月おきに定期病状報告を都道府県に提出して審査を受けなければならないことが決められている。ただ、結局のところ、措置入院や医療保護入院というのは本人の意思によらない強制的な入院であり、それは人間である医師の診断にもとづくのだから、疑おうと思えばいくらでも疑えるし、絶対に間違いのありえない制度を作るのも不可能だ。それはもう原理的にそうなのだから、悪用される可能性をいちいちあげつらうのは虚しい行為としかいいようがない。結局は、前にも書いたとおり、医者を信じてくださいというほかはないのですね。信じられないという人も多いのはわかってるけど。

 次に第二の疑問に移ろう。
 実際の診療上では、患者が措置入院になるのは、暴れるとか物を壊すとか、なにか問題を起こして警察に保護され、こりゃどうも精神障害がありそうだし、自傷他害のおそれもありそうだ、と判断した警察官が保健所に通報する、というケースが多い。また、例えば殺人を犯して逮捕され、裁判になっても「犯行当時、心神喪失の状態にあり、責任能力はなく、刑事責任は問えない」ということになれば不起訴処分となって、措置入院となる。ということで、あくまで自傷他害の「おそれ」でしかない患者も、実際に他害事件を起こした患者も、同じ措置入院になるのである。
 それよりも多いのが、一ランク下の医療保護入院で、困り果てた家族がやっとの思いで連れてきたが、本人は入院をかたくなに拒否している、などという場合である。この場合は精神保健指定医一名の診察と、保護義務者(多くは家族)の同意によって本人の意思にかかわらず入院することになるが、これはあくまで本人に同意能力がないことが条件。同意能力がある場合は、説得して自分の意思で任意入院してもらうことになる。任意入院は、自分で退院したいときにいつでも退院できる。
 さて、措置入院となった患者はいったいどうなるか。病院内では、措置入院の患者も医療保護入院の患者も任意入院の患者も、同じ病棟で生活することになる(実際には、措置と医療保護の患者は閉鎖病棟で、任意の患者は開放病棟のことが多いが、そうでない場合もある)。措置入院専門病棟などというものは存在しないのである。
 では、措置入院した患者を退院させるときにはどうするか。実は、措置入院の患者をどう処遇すべきか、という規定は法律的には特にない。退院に関しては、自分を傷つけたり他人に害を及ぼしたりしないと認められるようになったら、ただちに措置解除しなさい、という条文が法律にあって、精神保健指定医が知事に届けを書きさえすれば、いつでも退院させることができることになっている。退院させるかどうかは、すべてひとりの医者に任されているわけだ。責任重大である。
 当然、精神科医としては、どれくらい入院させておくべきか悩むことになる。刑事責任が問われた場合の刑期と同じくらい入院させとくべきだ、といった医者もいたけれど、それはさすがに医学的にも法律的にもなんの根拠もないし、第一、病院は刑務所じゃないんだから、入院させることを刑罰と同一視しちゃダメでしょ。
 とはいえ、実際症状が軽くなってきて退院させようにも、事件を起こして入院してきた患者には、家族も冷たい。近所も大反対。医者の側としても、薬を飲んでいれば衝動的な行為はないということだけなら言うことができるけど、もし飲まなくなったとすれば、絶対に同じことをしないとは言いきれない。
 自然と、医者が好むと好まざるとに関わらず、入院は長期化してしまうのである。措置症状はとっくになくなっているのに、社会的な理由で退院ができない患者さんがたくさんいるのだ。それとは逆に、病院側が強引に退院させてしまってまた事件を起こす、という例だってある。
 じゃあ、どうすりゃいいんだ? ということになるけれど、はっきりした答えはない。ただ言いたいのは、この問題はたったひとりの精神科医に任せるにはあまりにも責任が重大すぎやしないか? ということ。
 重大な事件を起こした患者の措置入院は別枠にして専門の施設を作るべきだ、という意見もあるけど、私もそれに賛成である。はっきりいって、これは普通の病院には荷が重いですよ。

参考文献加藤正明監修『精神保健の法制度と運用』(中央法規出版)
春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』(大和書房)
(last update 01/06/16)

辞典目次に戻るトップに戻る