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1月20日(火)

 プレステ販売でSCEに排除勧告が出たとのニュース。安売りをさせない、中古ソフトを売らせない、という点が独占禁止法に違反していると判断されたそうだ。私はもちろん中古ソフト賛成派なのだが、このニュースにはどうも釈然としないものを感じる。つい何日か前にはCESAが「違法中古ソフト撲滅キャンペーン」なる勇ましいものをぶちあげたばかりではないか。「撲滅」とはまた穏やかではないが、つまりはCESAもSCEも中古ソフト販売は著作権法上違法だと主張しているわけでしょ。それなのに、今度は中古ソフトを売らせないことが独占禁止法違反になるというのだろうか? それとも中古ソフトには「違法中古ソフト」と「適法中古ソフト」があるのだろうか。
 私のような古本ジャンキーにとっては、古本屋や中古CD屋が適法(それとも実は違法なの?)で中古ソフト屋が違法である理由がさっぱりわからないのだが、誰かわかりやすく説明してくれないだろうか。本やCDが対象になっている再販制度が関わっているのではないかとも想像するのだが、それではもし再販制度がなくなったら古本屋も違法になってしまうのだろうか。もしそうだとしたら私は再販制度廃止絶対反対なのだが(笑)。

 井上雅彦編『侵略!』(廣済堂文庫)読了。とても水準の高い珠玉ぞろいのアンソロジーでびっくり。特に菅浩江「子供の領分」には泣けました。10年前ならこの本は「侵略SFアンソロジー」と呼ばれたろうに、とかちらりと考えたりもするけれど、この完成度の前にはジャンル分けなどもうどうでもいいや。読むべし。
1月19日(月)

 何年か前、都内の病院に勤めていたころのことだ。外来で、抑うつ状態の若い女性患者を診察して入院させた。どうってことのない軽いうつ病で、抗うつ剤でも出して二、三週間もすればよくなると思っていたのだが、入院手続きを済ませたあと、「あの……先生だけに話したいことがあるんですが」と近づいてきた。とりあえず面談室に行くことにして、「なんでしょうか」と聞くと、彼女は真剣な表情でこう言った。「実は私、愛を歌って歴史を変えたんです」
 仕事柄、患者さんの話すたいていの言葉には驚いたりすることはないのだけれど、このときばかりは驚いた。なんせ、ただのうつ病だと思っていたのだ。「はい?」と思わず聞き返すと、彼女はまた「昔、愛を歌ったことがあって、それで歴史を変えたんです」と繰り返す。どうもそう説明すればすべてがわかってもらえると思っているらしい。
 私は驚くよりも感動していた。妄想ってのはたいがいいくつかの類型に当てはまってしまい、慣れてしまうとそれほど面白くないものなのだけれど、彼女のような妄想に出くわしたのは初めてだった。それに、愛を歌って歴史を変えた女性に会うこと自体めったにあるもんじゃないでしょ。もしかすると、この女性こそ伝説のソングマスターなのかも(笑)。
 すると今度は、彼女は一枚のメモ用紙を見せてくれた。「織田信長」とある。「織田信長、ですか」と間が抜けた返事をする私。裏も見てください、というのでめくってみると、「豊臣秀吉」とある。
 聞いてみると、「我が家は織田信長の末裔で、呪われた血筋なんです」というのだけれど(あとで父親に確認したが、そういう事実はなかった)、なぜ「豊臣秀吉」なのかはついに教えてくれなかった。この患者さんは三週間もしないうちに妄想はほとんど消え、スムーズに退院していった。最初の見込みのうち、少なくとも入院期間については当たっていたわけだ。
 こういう患者さんを診ると、つくづく人の心ってのは不思議なものだと思う。また、こういうこともあるから診断というのは難しいのだ。結局、彼女についた病名は「分裂感情障害」。分裂病とうつ病の中間にあたる病態という意味で、あいまいでずるい病名といえないこともない。でも、そもそも「分裂病」とか「うつ病」とかいった病名分類自体、外科や内科の病名とは違って別に生物学的な根拠があるわけではなく、外見的な症状の特徴をとらえてつけたものだ。原因だってまだ謎のままである。当然あいまいな部分を含んでいるし、中間領域だってあって当たり前なのだ。この辺のいいかげんさが精神医学のわかりにくさにつながっているのだよな。

 きのう書いた『硝子の家』は早くも入手できたが、『元禄百足盗』はまだ見つからない。
 影山任佐『エゴパシー』読了。
1月18日()

 ついにアクセスカウンタが1000突破! 500までは1ヶ月以上かかったのに、そこから1000まではわずか10日でした。読んでくださっているみなさん、どうもありがとうございます。

 さて、なんだか最近同居人ネタばっかりになっているような気もするが、今日もまずは彼女の話から。
 山口出身の同居人は河豚が好きである。テレビで河豚鍋の番組を見ては、河豚を食べに行きたいという。亡くなったおじいちゃんが作ってくれた河豚刺しがおいしかったのだそうだ。一方私はほとんど河豚など食べたことがないので、どこがうまいのか、と聞いてみたところ、体がぴりぴりっとするところがおいしいという。でも、最近はそういう河豚はあんまりないとか。おい、そりゃあたってたんじゃないのか。そのおじいちゃんは河豚調理の資格持ってたのか、と聞いてみたら、「さあ」と首をかしげる。おいおい、そりゃまずいだろ。

 その同居人は午後から宝塚劇場のジャニーズコンサートに。私の方は久しぶりに神保町に向かうが、私は日曜日に神保町に行ってはならないという基本中の基本を不覚にも失念してしまっていたのだった。当然ながら古本屋は全部休み。直木賞候補作『風車祭』(文藝春秋)、『カフカ寓話集』(岩波文庫)、横溝正史『蝶々殺人事件』(春陽堂文庫)、『精神療法マニュアル』(朝倉書店)、『アポトーシス』『神経堤細胞』(東京大学出版会)と新刊書店で本を買う。
 ずっと探している鮎川哲也編『硝子の家』、朝松健『元禄百足盗』(どちらも光文社文庫)の2冊は、どの本屋でも見つからない。両方とも去年出たばかりの本なのだけれども、どうしたわけかどこを探してもないのである。もう古本屋しかないのだろうか。こういう中途半端に新しい本というのが、案外いちばん見つかりにくいんだよな。
 ディーン・クーンツ『心の昏き川』読了。傑作とはいわないまでも、読んで損はない力作。
1月17日()

 芥川賞も直木賞も受賞作なし。
 ちなみに今回の直木賞候補は次の5作。
北村薫『ターン』
折原一『冤罪者』
京極夏彦『嗤う伊右衛門』
桐野夏生『OUT』
池上永一『風車祭』
 私はてっきり京極夏彦か桐野夏生(未読だけど評判はいいので)が取るものと思っていたので受賞作なしは意外。これだけ面白そうな作品が並んでいるというのに、選考委員は何を考えているんだろうなあ。
 しかし、折原一が直木賞候補だったとはびっくり。直木賞向きの作風ではないと思っていたのだが。逆に北村薫は直木賞向きの作風なので、そのうちとるでしょう。ファンタジーノベル大賞出身の池上永一も候補だったのかあ。やはり『風車祭』は読まなきゃな。直木賞にも落選したことだし(←ひねくれもの)。

 西崎義展氏が覚醒剤取締法違反などで逮捕されていたそうな。会社は倒産するわ、逮捕されるわ、最近さんざんですね、この人は。
 同居人によれば、2年くらい前に西崎さんの会社の秘書の求人広告があって、ヤマトファンの彼女は今の会社をやめて西崎さんの秘書になろうか、と考えていたらしい。
 会社やめなくてよかったのう、同居人よ。
1月16日(金)

 今日は東京に帰ってきたのだが、女子高生のスタイルは柏崎でも東京でもほとんど変わらない。まあ前にも書いたとおり、流行の終わりに関する情報は伝わりにくいきらいがある(ルーズソックスのように)ようだけど、この季節だと柏崎でも東京でも、ほぼ全員がバーバリーのマフラー姿である。それも大多数はライトブラウンのチェック。わずかにグレーのチェック。去年の冬もそうだった覚えがあるから、この流行は珍しく長続きしているとみえる。
 道ゆく女子高生たちのすべてが同じマフラーをつけているという姿は、私には相当気味の悪いものに思えるのだけれど、本人たちはそうは思わないのだろうか。この辺の感覚が、すでに私と彼女らの間では完全にずれてしまっていることを強く感じる。
 私は高校生の頃にも、同じ年頃の女の子のことが全然理解できなかったので、単に世代が違うせいだけではないかもしれないのだが(笑)。
 12月5日の日記で書いた患者さんの女子高生が「普通になりたい」と泣いていたのは、かつていじめられた記憶のせいかと思っていたのだが、それは彼女の特殊事情とは関係なく、たぶん彼女くらいの女の子には共通する思いなのだろうな。同じ格好をすることによって「女子高生」というブランドの中に埋没してしまうことは、とても楽なことだから。彼らはいったいどこで個性を発揮してるんだろう、と思ってしまう私の考え方は古いのかも。
 まあ、患者さんとして女子高生や女子中学生が来ることもあるので、理解できないとばかり言っているわけにもいかない。とはいっても、彼らの考え方を認めた上で、自分の価値観を押しつけることなく彼らの悩みに向かっていくことは非常に難しい。青少年精神医学を専門にしている年配の先生なんかはどうしているのだろうな。

 本日のお買い物、まずは井上雅彦編『侵略!』(廣済堂文庫)。山田風太郎『ヤマトフの逃亡』(廣済堂文庫)の収録作品はほとんど読んだ覚えがあるのだが買わざるをえまい。柴田元幸編訳の英米短篇アンソロジー『夜の姉妹団』(朝日新聞社)はスティーヴン・ミルハウザーとジョン・クロウリーの作品が収録されているので買い。全部短篇集だなあ。
1月15日(木)

 夕べから雪が降り出して、朝起きるともうだいぶ積もっているが、そんなものはものともせず今日は新潟へお出かけ。
 越後線を乗りつぶして新潟へ向かう。日本海沿いに柏崎と新潟をまっすぐ結んではいるものの、運転間隔は2、3時間に1本程度、全線を通して走る列車はほとんどないというローカル線である。越後線はさすがに東京の電車とは根性が違う。定刻に発車し、遅れもほとんどなく途中の吉田に到着。ここからは東京でもお馴染みのアルミボディ、長いシートの通勤車両に乗り換えて新潟へ。もうすぐ廃止になるという新潟交通線にも乗りたかったのだが、他の線と連絡する駅がひとつもないという奇怪な路線で、始点の東関屋駅に行くのが難儀なため断念。
 何もこんな雪の日に出かけなくても、と思われるかもしれないが、私のアパートは暖房を最強にしても震えるほど寒い上、食べるものすら何も買っていないので、家にいるより出かけた方がはるかにましなのである(情けない……)。
 新潟に着いたらバスで古町へ。新潟テレビ21(テレビ朝日系)で夕方にやっている「いきいきワイド」で毎日中継をしている場所(ローカルな話題ですまんねえ)で、新潟でいちばんの繁華街であるらしい。ちなみに、アクセントは「ふまち」ではなく、「るまち」。
 さてこの「いきいきワイド」の古町中継を担当しているのが村山志保さんというアナウンサー。ショートカットのとっても元気な人で、私はこの中継だけのために「いきいきワイド」を見ているといっても過言ではない(笑)。
 ここでいきなり話は変わるが、リーフの「To Heart」に「長岡志保」というキャラが登場する。これが髪型といい性格といい村山志保さんにそっくり。「長岡」は新潟の都市だし、「長岡志保」はジャーナリスト志望だったし、モデルにしたとしか思えないのだけれど、どうなんでしょうね?
 今日もたぶん中継はあるのだろうけど、さすがの私も、夕方まで待つようなことはしない。私だって大人だ。それに木曜日は確か村山さんの日ではなかったし。

 繁華街古町で私が何をするかといえば、やはりいつものごとく古本屋に向かうのであった。結局買ったのはスーヴェストル&アラン『ファントマ』『ファントマの逆襲』(ハヤカワ文庫NV)、バロウズ『ルータ王国の危機』(創元推理文庫)程度。不作。むう、新潟の古本屋はこんなもんか。
 帰りは信越本線経由。新津で途中下車して新刊書店に入ってみると(それ以外することないのか、私は)、『絶対安全剃刀』『るきさん』など高野文子の単行本がいくつも平積みされている。なぜ? と見ると「高野文子さんは新津出身です!」と書いてある。なるほど。こういう郷土出身の作家を大切にしてくれる書店はいいなあ。
 アパートに帰ってニュースを見ると大雪の話題。東京の大雪パニックの様子をトップで延々と伝えている。こんなことを全国に伝えてどうしようというのか。雪だったら新潟はもっと降っているぞ。こういうのはローカルニュースの枠でやればいいのだ。地方に住んでみてようやくわかったのだが、報道ってのは度しがたいくらい中央偏重なのだね。

 東京の同居人に電話して新潟へ行ったことを話すと「また古本屋?」との返答。読まれている。その同居人が今日どうしていたかというと……雪のふりしきる中、ジャニーズのチケットを求めて日比谷公園に並ぶ4万人のうちのひとりと化していたのであった(笑)。
1月14日(水)

 新潟の病院に勤めてもう一年半になるからだいぶ慣れてきたが、新潟の言葉には最初は戸惑うことが多かった。
 関西弁や東北弁と違って、新潟弁というのはそれほどテレビでもお目にかかる機会があるものではない。だから、一昨年新潟にやってきた私にとっては、まったくのファースト・コンタクトだった。
 外来の患者さんに「頭が痛いんです」と言われたときには、この人は誰か別の人のことを話しているのかと思った。話しているうちに、だんだん自分のことを話しているのだとわかってきたのだが、それまではまったくとんちんかんなやりとりで、患者さんもきっとイライラしたことだろう。新潟弁の語尾の「です」は「です」のような意味らしい。「ですこて」となることも多い。そのほか、「先生も行く」といえば、「先生も行くでしょ」といいう意味になる。
 「家の中がちょうらもうらになって」と言われたときには、思わず「は?」と聞き返してしまった。通じないとわかったのか、患者さんは「ごちゃごちゃになって」と言い直してくれた。ちょうらもうら。なんとなく実感が出ているような気もする。
 入院患者さんがよく使う言葉は「なんぎい」。「なんぎくねえ」「なんぎかった」と活用する。これは誰でもすぐわかりますね。「難儀」から来た言葉で「つらい」とか「苦しい」という意味。
 同じように頻繁に使われる言葉に「せつない」がある。真顔で「腹がせつない」とか言われたら、私はいったいどうすればいいのだろうか?
 標準語の「せつない」は「精神的に苦しい」ときに限定して使われるが、どうもこっちの地方では「肉体的に苦しい」ときにも同じように使われるらしいのだ。これには仰天した。だから、新潟出身の女の子に「私、せつないの」と言われても、だまされてはいけません。もしかしたら腹が痛いだけかもしれないから(笑)。
 まあ一年半でだいぶ慣れてきたとはいっても、早口のおばあちゃんの話す言葉なんかはいまだに全然わからない。外国語のように流れていく言葉をただ呆然と聞いて「はあ、そうですか」などと間抜けな相づちを打ったりしているのだが、こんなことでいいのか?

 明日は更新なし。次の更新は、金曜の昼か、あるいは夜かも。
1月13日(火)

 ZABADAK『DECADE』を聴きながら柏崎へ。
 新潟は酒処であるせいかどうも酒に甘い土地柄のようで、アルコール依存症の患者さんがやたらに多く、今日も新患がひとり入院。
 こういう患者さんたちのとる入院経過はだいたい決まっていて、まずはべろべろに酔っぱらって食事さえ喉を通らない状態で入院(状態によっては点滴を打ったりベッドに抑制したりする)。何日かたつとだんだん酒が体から抜けていくのだが、運が悪ければ数日間のアルコール離脱性せん妄の時期をすごすことになる。いわゆる「蟻が皮膚の上を這い回っている」とか「壁に人の顔が見える」とかいうやつである。この時期は嵐が過ぎ去るのをひたすら待つしかない。このあと一ヶ月くらいの抑うつやイライラの時期を経ることもあるが、だいたいはけろりとした表情になって「もう絶対酒は飲みません。まじめに働きます」と頭を下げて退院していく。とはいっても、その舌の根も乾かぬうちに、また酒の臭いを漂わせた彼らと外来で顔を合わせたりすることも多いのだが。
 私はアルコールはつきあいでしか飲まない人間なので、なぜ彼らがそこまで酒におぼれるのかよくわからないし、心から共感することもできない。精神科医には患者に共感することが必要だという説が正しいならば(私はそうは思わないけどね)、私は精神科医失格ということになる。私には、そもそも正体をなくすほど飲みたいという気持ちがわからないのだ。べろべろになって意識をなくすことが気持ちがいいとはとても思えない。そんなことより気持ちのいいことはたくさんある。
 彼らがアルコールに依存しているのなら、私は本に依存しているのだ。依存しているのでなければなんでこんなに読まない本ばかり買い込んでいるんだ、私は。
 アルコールという薬物による夢に頼らなくても、目覚めていながら夢を見る方法を知っているから、というとなんだかかっこよく聞こえるが、どちらも現実から逃避していることには変わりない。ただ少し夢の見方が違うだけで。同じ逃避するにしても、私ならアルコールのような方法はとらないな、というだけの話だ。ああ、この辺の感覚は松尾由美の『マックス・マウスと仲間たち』とちょっと関係あるかも。

 今夜は当直。病院のMacで某秘密原稿を書く。こんなにいろいろと調べて原稿を書くのは久しぶり。なんだか硬い文章になってしまって自己嫌悪。もう一回書き直さねば。
1月12日(月)

 私が大切にしている宝物に、アンモナイトの蔵書印がある。直径5センチほどの本物のアンモナイトの化石に「風野蔵書」と彫られているものだ。亡くなった祖父の遺品で、祖父が校長先生をしていたときに教え子に彫ってもらったものらしい。
 彫った人間はプロではなかったらしく、印面の文字は稚拙だしところどころ欠けていて、押してもなんとか読める程度。実用性はいまひとつだし、実際に本に押したことは数えるほどしかないのだけれど、私はこの蔵書印を部屋に飾ってときどき手にとっては眺めている。何億年もの過去に生きたアンモナイトの化石を使って、知識を未来へと伝える書物に押す蔵書印を作る、という発想が実に壮大でSF的ではないか。
 私もこういうちょっとした、しかしセンスのいい物をつくって子孫に残してみたいものである。

 夜は渋谷で伊藤典夫師匠と例会。師匠によれば、「サイコドクター」は英語では気違い博士という意味になるそうな。やっぱりなあ。実は、私も薄々そうじゃないかと思ってはいたのだ(笑)。まあマッド・サイエンティストは昔からの憧れだし、精神科医も気違い博士もたいしてかわりないような気もするので、このまま行くぞ。
1月11日()

 「マルタ騎士団国」との関係を装った架空の融資話で、会社経営者ら8人から総額1億5千万円を騙し取った男が逮捕された、と朝日新聞が報じている。
 いやはや、まさか新聞の社会面でマルタ騎士団などという文字を見るとは思わなかった。ほとんど『フーコーの振り子』の世界である(あれはテンプル騎士団か)。マルタ騎士団は、十字軍のさなかの1099年、聖ヨハネ騎士団として結成されて以来現在まで900年間命脈を保ち、現在でも会員約1万人を擁しているという、裏西洋史マニアにはたまらない、怪しい秘密組織だ。一説によれば資産は数千億円とか。塩野七生の『ロードス島攻防記』に出てきたのが確かマルタ騎士団だったはず。詐欺の内容自体はM資金詐欺とたいして変わらないのだけれど、マルタ騎士団とはまたこの犯人も大きく出たものである。
 この詐欺の犯人、作り話の小道具として「マルタ騎士団国騎士手帳」を作っていたそうなのだが、このへんがなんだか昔雑誌の付録についてきた「ひみつてちょう」みたいで笑える。騎士ってものは本当に「騎士手帳」を持っているものなのかね(笑)。

 午後からは『北京原人』を観に行く。噂にたがわぬ馬鹿映画で大満足である。ストーリーはぼろぼろ、SF的突っ込み所はありすぎて書く気がしないほど。日本映画が絶好調というのが信じられなくなってくる映画である。緒形直人と片岡礼子が、北京原人を警戒させないようにといきなり服を脱ぎ出し、裸になって近づく場面は、日本映画史上に残る馬鹿シーンとして語り継がれることだろう。
 まさかこんな映画でヌードになるとは思わなかっただろう片岡礼子には、松本伊代、佐藤藍子につぐ三代目大耳クイーンの称号を与えよう。最初から最後まで乳を出したまま「ウパ!」と叫んで走り回っていた小松みゆきは、ときおり我に返って情けなくなることもあったんじゃないだろうか。しかしなぜジョイ・ウォンだけ脱がない?
 同行した同居人は半分くらい寝ていた上に「何でこんなの観にきたの」と言い放ったが、東京ドームにエイトマンを観に行った女に言われたくはないわ。

 今日から大相撲初場所。貴ノ浪の横綱昇進がかかった場所である。私は貴ノ浪のファンなので今場所は応援に力が入る。相撲の基本は押しだというのけれど、この貴ノ浪という力士、その常識をくつがえして引き相撲でここまでのぼりつめた異色の相撲取りである。とにかく、大関なのに平気で下位相手にかわし技を使うし、相手が絶対優勢という局面からも無理矢理力技で勝ってしまう(今日の相撲もそうだった)という、悪球打ちの岩鬼のような力士なのである。当然親方勢は苦言を呈するし、本人も気にしているのか何度か取り口を正攻法に変えようとしたのだけれど、どうも性に合わないようでそのたびに調子を崩してしまう。ここまで来たのだから貴ノ浪は開き直って、ぜひぜひ引き相撲で天下を取ってもらいたいものである。横綱陣に初日で土がついた今場所はまたとないチャンスだぞ。

過去の日記

98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

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