冤罪者  折原一 文藝春秋(2095円)

 折原一のミステリを、私は「単身者のミステリ」と呼びたい。それほど、折原作品には、一人暮らしのアパートが頻繁に登場する。それも、無機質で、個性のない、どこにでもあるようなアパート。

 折原ミステリは、本物の○○やら、○○と名乗る人物やら、作中作の中の○○やら何やらが入り乱れているという、極度に技巧的、人工的な叙述推理だ。ある章で「○○です」と名乗った人物がいて、他の章に地の文で○○と書かれた人物がいたとしたら、折原ミステリに慣れた読者には、それが同一人物でないことは明々白々たる事実だろう。すべての登場人物に裏がある可能性があり、すべての登場人物に、実は別の人物である可能性がある。こうしたミステリは、人間関係が濃厚な土地ではとうてい成り立たない。彼らの住む場所としては、無機質で人工的、個性のない都会のアパートやマンションが格好の舞台なのだろう。

 さて、本書『冤罪者』は、一見「単身者のミステリ」ではないかのようにはじまる。

 前半は、女性連続暴行殺害事件の容疑者として逮捕された河原輝男の冤罪疑惑をめぐる物語。河原の逮捕から十二年後、ノンフィクションライターの五十嵐友也のもとに、獄中の河原から手紙が届く。自分は誓って無実であり、かつてこの事件を精力的に取材していた五十嵐の力で疑いをはらしてほしいというのである。当初、五十嵐は激しい拒否反応を抱く。十二年前の事件の被害者の中には、五十嵐自身の婚約者もおり、五十嵐は河原を激しく憎んでいたからである。しかし、拘置所で河原と面会した五十嵐は、その無実を訴える真摯な態度に自分の確信がぐらつくのを覚え、ジャーナリストとして中立な立場から記事を書くことを決める。そして記事を読んだ読者から、決定的な新証言が寄せられるのだが……。

 あらすじだけ書くとまるで社会派ミステリのようだが、実際に読むとまったく印象は違う。冤罪というテーマを扱っていても、作者は決して社会告発という方向には向かわない。作者の筆はきわめてクールで、容疑者にも、警察側にも、決して肩入れしようとはしない。どんな社会的な素材もあくまで伏線として使ってしまうあたり、まさにこれぞ本格の魂なのだが、このあまりの主張のなさはある種の人々の反感を買うかもしれない。

 さて、ストーリーの後半はいつもの人工的な「単身者のミステリ」になっていき、怒涛の展開をみせる。これだよ、これ。やっぱり折原一はこうでなくっちゃ。結末の着地もみごとなものだが、かつてのようなどんでん返しの連続はなくって、半ば予想のつくおとなしめの解決になってしまっているのが残念(予想がついてしまったのは、私がすれた読者になってしまったからかもしれないけど)。私はこの作者の、破綻すれすれの狂ったようなどんでん返しが好きだったのだ。そうした狂気にも近いどんでん返しへの執念が、最近の作品では薄れたような気がする。

 ちなみに、この作品には何個所かにWWWの画面写真が使われているのだが、描写におかしなところがいくつかあるし、結局インターネットはそれほどストーリーに密接にからんでくるわけでもない。使いようによってはもっとおもしろいものになっただろうに、と残念でならない。


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