3月10日(火)
今日は相撲の話。興味のない人にはすまん。といっても、いつだって私は興味のない人にはどうでもいい話しかしてないが。
貴乃花と曙にようやく初日が出た。しかし、いくら稽古不足とはいえ、貴乃花が開幕二連敗とは驚き。これからも貴乃花の最大の敵は病気ということになるんでしょうか。それにしても、幕内の力士ってのはたいがい持病をかかえているな。糖尿病だの痛風だの肝障害だの、ほとんど病気のデパートである。考えてみれば、あの体型で健康を維持できると思う方がどうかしているのかもしれないが。
新聞やテレビは貴乃花の病名を「肝機能障害」と伝えているけれど、これにはどうも納得がいかない。「肝機能障害」なんて病名、何も言っていないのと同じではないか。こういう病名は、血液検査をしてみてGOTとかGPTとかが高かった患者さんに、原因がよくわからないあいだ暫定的につけておくたぐいの病名であって、マスコミに堂々と発表できるような病名じゃないと思うのだが。本当は何か発表できないたぐいの病気なんじゃないだろうか、とか勘ぐってしまうぞ。
ちなみに、精神科領域のこういう「とりあえず病名」には、「抑うつ状態」や「幻覚妄想状態」なんかがある。なんか落ち込んでるみたいだけど、うつ病というには軽いみたいだなあ、というときには「抑うつ状態」。電波がどうのとか言ってるけど、分裂病かどうかよくわかんない、というときには「幻覚妄想状態」。これで保険も通るのだけど、やっぱり「○○病」じゃなくて「○○状態」ってのはあからさまに卑怯(笑)なので、普通は何度か診察したあとにもっとちゃんとした病名に変えます。
医学ってのは、原因がわからない、と認めるのを極端に嫌うもので、よくわからないものにもとりあえず名前をつけてしまえるシステムになっているのですね。よくわからないけど血圧が妙に高いなんてのは「本態性高血圧」と呼ぶことになっているし、原因はわからないけど肝臓に癌ができてた、ってのは「原発性肝癌」。「原発性」とか「本態性」とかいうのは、要するに原因がよくわからないってこと。わからないならわからないと認めりゃいいのに、大人じゃないなあ。
さて話を相撲に戻すが、元小結の剣晃が30歳の若さで亡くなったというニュースには驚いた。上位キラーとして恐れられていたのは、ついこの前の去年のことではなかったか。しかし、ここでも、私が気になったのはその病名だ。「原因不明の高熱が続く病気」のため昨年名古屋場所から休場中であったというのだが、これはいったい何なんだ。
実際は「原因不明」なわけはないと思うのだが、たぶん、プロの力士っては、いくら重い病気でもそれを世間に発表して同情されることを潔しとはしないんだろうなあ。そういえば白血病に侵されていた蔵間のときも、我々は死後にようやく病名を知ったのだった。だとすれば、我々は「肝機能障害」や「原因不明の高熱」の裏にあるものを詮索したりせず、土俵の上の彼らの姿だけを見守るべきなのだろう。
3月9日(月)
だいぶ前に買ってあったゲームを、ようやく暇ができたのでやってみる。まずは、
『Capitalism Plus』。会社経営版シヴィライゼーションといった感じの経営シミュレーションゲームである。鉱山で鉱石を採掘したり農場で農産物を育てたりして、工場で製品に加工し、都市に建てたデパートで売りさばく。ライバル会社と熾烈な製品開発競争や値下げ競争に勝ち、市場を支配するのが目的という、資本主義礼賛ゲームだ。株式売買もちゃんとできるようになっていて、ぼーっとしていると会社を乗っ取られたりすることもある。シムシティとかシヴィライゼーションみたいな育成シミュレーションが好きな人にはお勧め。でも、うちの環境ではときどき落ちるんだよなあ。やはりいまだに98というのがダメなのか。
もう一本は
『Natural』。こっちも育成シミュレーションといえばいえるが、キャピタリズムとはだいぶ違う(笑)(しかし、今じゃ育成シミュレーションといえば、たいがいはこっちの女の子育成ものを指すようになってしまいましたね)。高校生の女の子(主人公を呼ぶ二人称代名詞は「お兄ちゃん」だ)と1ヶ月の半同棲生活を送り、あんなこととかこんなことをしてしまう、というゲームである。今時こんな女子高生いやしないよ(昔ならいた、というわけでもないが)と思うし、主人公は全然努力もなんにもしていないのに、最初から女の子は主人公を慕ってくれている、というとっても都合のいい展開。そのへんは男性のファンタジーの世界のお約束なので全然かまわないのだが、ヒロインがほれる相手としては、この主人公はあまりにも性格悪すぎて感情移入できない。展開も自由度が低くて今一つ。ヒロインはかわいいし、グラフィックの質は高いんだけどね。
さて本日の買い物。
『SFスナイパー』(ミリオン出版)、津島誠司
『A先生の名推理』(講談社ノベルス)、鈴木博之
『東京の[地霊]』(文春文庫)、
『イギリス怪奇幻想集』(現代教養文庫)。それに、『タイム・シップ』の前に再読しとこうかと思ったら、なんと持っていないことに気づいた
『タイム・マシン』(ハヤカワ文庫SF)。
3月8日(日)
SFマガジン1977年1月号を入手。別にバックナンバーを収集しているわけではないが、この号は時間SF特集なので買ってみた。文庫のターザンは1000円もするくせに、マガジンの古書価は全然高騰していないとみえて、この辺の号は二束三文で売られている。さすがに創刊号から50号くらいまでは高いけど。
特集に収められた短篇は、ディックの「時間飛行士へのささやかな贈り物」、ボブ・ショウのスローグラスもの、ファーマーの『デイワールド』の原形短篇、そのほかにもティプトリー、ムアコック、ディッシュとなかなか豪華な顔ぶれ。
しかし、特集の内容よりも気になるのは、てれぽーとの欄にあった同人誌の告知。「海外SF研究会」というところが出している「現代SF全集」という企画で、2ヶ月に1冊のペースで未訳作品を翻訳紹介していたらしい。第3回配本が「第11巻ニーヴン篇」で、第4回は「第23巻ファーマー篇」だとか。この頃のSF文庫最新刊が『伝道の書に捧げる薔薇』だから、まだニーヴンなどろくに紹介されていなかったころのことだ。今後の予定は「第16巻ショウ&プリースト篇」、「第15巻ロバーツ篇」。ロバーツ篇は特大巻で、なんと『パヴァーヌ』の完訳が予定されていたらしい! これは果たして本当に出版されたのだろうか。気になるなあ。
3月7日(土)
ジオシティーズのトップページあたりを散歩していたら、なんと当ページがテクノポリスでの
アクセスランキング2位になっていることを発見した。ちなみに1位はウルトラマンのページ、3位はUFOビリーバーのページである。ファンの多いウルトラマンに勝てないのは仕方ないと思うが、UFOに勝ったのはちょっと嬉しい。SF者として(笑)。
開設からわずか3ヶ月でここまで来られたのもみな、ご愛読くださっている読者の方々のおかげである。どうもありがとうございます。
さて私のページがあるテクノポリスってのは、一応はSFと科学関係のコミュニティということになっているのだが、
うちの周辺を巡回してみても、SFを扱っているページは驚くほど少ない。目につくのは、工事中とか超科学関係のページばかり。なんだか、今のSFの状況の縮図のようで、ため息。
しかし、こういうランキングなどに載るということは、多くの方々にこのページを知ってもらえるというプラスの面もあるけど、その一方でマイナス面もあるのですね。今まではリンクしていただいていたのがSF関係者ばっかりだったなので、ある程度、読者層の均質性が保てていて、割合好き勝手なことを書けていたのだけれど、読者が広がっていけばそうもいかなくなるわけだ。今後は誤解を受けることも増えてくるのだろうが、ここでスタンスを変えては「あばれ旅」のタイトルがすたる。なんとか今までのスタンスを守っていきたいものである。
マーガレット・ミラー
『眼の壁』(小学館文庫)購入。いやあ、今まで全然注目していなかった文庫から、突然ミラーの未訳作品が出るとは。ハルキ文庫からは山田風太郎や小松左京が復刊されているし、文庫戦争は出版社にとっては死活問題なんだろうけど、無責任な読者の立場からすれば、幻の作品が読めてありがたいかぎり。
3月6日(金)
いやはや、きのうの心中の話にこんなに(といっても3件だけだけど)反響があるとは思わなかった(
掲示板参照のこと)。しかも、そのうちの2件は否定的。そんなに変なこと書きましたかね、私は。
まず、武蔵小金井さんのご意見。
しかし、わたしは母なので、残した子供の末路を最悪の方向に考えてしまう気持ちは分かる。母親は最悪、最悪を考える。そうやって、幼い我が子を本能的に守ってゆくしかないのだし。だから、建設的な父親像が必要です。
しかし、わたしは健常者なので、自殺者の心理は分からない。だから、殺人と言われようとも、心中する母子は減らないと思う。
母親の心情としてはよくわかるのだけれど、それを「本能的」と言ってしまうところには、待ったといいたい。親子心中ってのは、決して本能的な行動ではないのです。東アジアのごく限られた文化圏にのみ認められる行動で、欧米にはまず見られないのですね。アメリカで心中した親子がいたとしたら、全然同情なんか集まらず、それこそ銃を乱射して自殺した犯人と同様に扱われてしまうはず。だからこそ私は、新聞だけでも「心中」という言葉を使わないようにして、親子心中に同情したり美化したりする文化を否定していけば、少しずつ親子心中は減っていく、と思うのですね。親子心中というのは、あくまで「子殺し」プラス「自殺」なのです。
次は岸壁の母さん。
>つまり、「無理心中」なんてものは、学校で銃を乱射したあげく自殺する犯人と大して変わらないのだ。
無理心中を無差別殺人と同じとするのは精神科医として失格ではないか。
失格ですか(笑)。批判は歓迎しますが、論拠を示してほしいのですが。
私としては、無理心中と乱射自殺犯人とは、他者の生命の軽視と私物化、自他の未分離という点において、きわめて類似した現象だと思うのです。類似した現象がなぜ違う形で現れるかといえば、たぶん日本とアメリカの社会的病理の違いでしょう。日本では伝統的に子供が親の所有物とみなされてきたこと、アメリカでは男性の積極性が重視され、積極的であらねばならない、という強迫観念のようなものがあること。その辺が、家族を道連れにする日本と、無関係の人々を巻き込むアメリカの違いになっているような気がするのですが、岸壁の母さんのご意見は如何?
えー、それから、これはあくまで「できれば」なのですが、ご意見をお寄せくださるのはありがたいのですが、できればメールアドレスを書いておいてほしいのですけど。
3月5日(木)
パチンコにはまって借金苦に陥った母親が、子供二人を道連れに無理心中した、という。こういう母親には同情できないなあ、私は。
百歩譲って自殺はいいとしよう(本当は全然よくない。なんで自己破産しないんだ)。でもなぜ一人で死なない。なんで子供も一緒に殺さなければならないのか。こういう親ってのは、子供を自分の所有物かなにかだと勘違いしてるんじゃないだろうか。
そもそも、心中という言葉がいけない。「心の中」がどうして一緒に死ぬことを指すのか、私にはよくわからないのだが、とにかく「心中」という言葉には、「曾根崎心中」だとか「心中天網島」などという芝居があるように、甘美なイメージがつきまとっている。これがいけない。今回の事件などは、どう考えても、殺人プラス自殺だろう。全然甘美なんかじゃないぞ。アメリカ流にいうなら、拡大自殺ということになる。つまり、「無理心中」なんてものは、学校で銃を乱射したあげく自殺する犯人と大して変わらないのだ。
テレビも新聞も「無理心中」という言葉を使っているけど、なんでこういう古めかしい言葉を使うのかなあ。いっそ、「心中」なんて言葉、禁止用語にしてしまえばいいのではないか。「母子三人が無理心中」だと同情を引く見出しだが、「母親が子供二人を殺害し自殺」だったら、誰も同情はしないだろう。そうすれば、心中という選択肢を選ぶ人も減っていくと思うのだが。
あ、もちろん「心中」の禁止は報道に限る、ということにしましょう。近松の芝居やアン・ルイスの歌が放送禁止にならないように。
遊佐未森ベスト・アルバム
『ミモメモ』(未森メモラブル・ソングスの略(笑))購入。名曲「Silent Bells」がようやくアルバムに入ったのがうれしい。いい曲が揃ってるけど、ちょっと曲順に違和感が。
3月4日(水)
実は、私は超能力者なのである。
高校生のころのことだ。自宅で机に向かって問題集を解いていると(真面目な学生だったのだ、高校生までは)、ふいに側頭部に今まで経験したことのない感触を覚えた。なんだろう。私は側頭部に神経を集中させた。すると、目の風景が奇妙にゆがむ。私には何が起こったのか、とっさには理解できなかった。もう一度側頭部に神経を集中させる。また、風景がゆがんだ。どうも、眼鏡が動いているらしい、と私は気づいた。
鏡を見てもう一度同じことをしてみて、ようやく私は理解した。
耳が動くようになっている! そしてその瞬間から、私は耳を自在に動かすことができるようになっていたのである。
私は驚愕し、翌日学校で友達に自慢して見せた。もちろん、耳を動かすことのできる友人は誰もいなかった。ある友人は、「動物はみな耳を動かせるだろう。君は動物に近いのだ」と言って笑ったが、私は確信していた。私は常人にはない能力を手に入れたのだと。
さらにもうひとつ、私が高校生のときに手に入れた特殊能力がある。スター・トレックでミスター・スポックがやっているのを見て、何度も血の滲むような練習を繰り返し、ようやく会得した技だ。それは、
片眉だけを上げること。
最近、同居人にこのことを話したところ、彼女は驚くべき事実を私に告げた。彼女も実は特殊能力の持ち主だったのである。彼女の能力とは、
左足の小指だけを動かすこと。『デューン』でレイディ・ジェシカが、左足の小指を動かすことができる人間は宇宙を支配することができる、と言っていたのを読んで、何度も血の滲むような練習を繰り返し、ようやく会得したのだという。私も『デューン』は読んだが、そんなこと書いてあったかなあ?
偶然にも超能力者同士がめぐりあって結婚し、お互いに能力を隠しつつ悶々としながら生活を送り、あるときパートナーもまた超能力者であることを知って驚喜する。おお、まるで50年代SFのようなプロットではないか。とっさに思い出すのはシマックの『人狼原理』くらいだが、こういう話はほかにもたくさんあったような気がするぞ。
何の役にも立たない能力とはいえ(「いーや、宇宙を支配することができる!」と同居人は言っているが)、我々は超能力夫婦というわけだ。
そんなのは超能力ではない、という異議は却下する。
3月3日(火)
1月7日、8日の日記で書いた「日本醫事新報」という雑誌の2月28日号に、
「TVアニメ『ポケットモンスター』視聴中にけいれん発作を起こした四例」という論文が掲載されている。いやあ、これにはびっくり。醫事新報にも有用な論文が載るんですね(失礼)。
今でもポケモン問題はときどき新聞やテレビに登場しているけど、今ではすっかりアニメ業界やメディアの自主規制の問題へと移ってしまっていて、医学的な情報は、「光感受性発作らしい」という情報が事件当初に出たきりで続報がほとんど出ていない状態。今回のこの論文はポケモン事件の「その後」を医学的に語る貴重な資料だと思うので、ここで紹介しておこう。
去年の12月17日の日記と、SFマガジン4月号の私のエッセイも参照して下さい。
論文は、東京女子医科大学小児科の舟塚真氏らによるもの。著者らは「ポケモン」視聴中にけいれん発作を起こした、10歳から14歳の子供4人に光刺激試験を行っている。刺激は、もっとも発作を誘発しやすいとされている赤色、水玉、斜線の各種フィルターを装着したストロボを点滅させるというもの(これは私がSFマガジンに書いたやつですね)。それに加えて、ディスプレイ上で市松模様、縦縞、横縞、格子、同心円の5種の図形(色は白と黒、および黄と青、黄と黒)を高速で反転させる、という刺激も使用している。ちなみに、モニターしている脳波上で光突発波反応が2秒以上出現した場合はただちに刺激を中止している。
さて結果だが、4例すべてにおいて光突発波反応が誘発されており、光過敏性が認められたという。ポケモンで発作を起こした子供たちは(もちろんこの4例に限ってのことだが)もとから光過敏性をそなえた子供だった、というわけだ。つまり、かねてからの推測通り、この事件の原因は光過敏性てんかんだったのである。アニメやビデオゲームの不用意な特殊効果が、こうした子供たちにとっては凶器になりうるのだ。
一部にはアニメ・ゲーム原理主義者とでもいうべき人がいて、アニメやゲームには罪はない、本人や保護者が危険を自覚してアニメを見ないようにしろ、見るなら自己責任で見ろ、などという暴論を主張しているようなのだが、それはどう考えても多数派の横暴というものだろう。発作を起こした子供だって、アニメやゲームを楽しみたいという気持ちに変わりはないのだ。ただ光過敏性があるというだけでアニメが見られない、ゲームができないというのは、あまりにも理不尽なのではないか?
それに、光過敏性があるかどうかは、発作が起きてみるまでは本人や保護者にも知りようがないのである。通常の小児の健康診断では脳波検査などしないし、ましてや赤色点滅や反転図形の刺激など、たとえけいれん発作を起こした子供の検査だとしても、使っている病院はほとんどないだろう。
というわけでまず必要なのは、一般の脳波検査に赤色点滅や反転図形を取り入れること。そうすれば光過敏性の有無を今よりももっと正確に知ることができる。この論文の著者は、赤色点滅より反転図形の方がさらに刺激として鋭敏だったため、反転図形を取り入れるべきだと主張している。
そして何よりも必要なのは、外国のものでも参考にしながら、アニメやゲームのためのガイドラインを作ることですね。こんなことを言うと、必ず規制に反対する人が出てくるのだが、そういう人たちは、ただ規制だというだけで反対しているのであって、これは性描写とか残酷描写の規制とは全然質が違う問題だということがわかってないとしか思えない。これは表現の自由とは何の関係もない、純粋に医学上の問題なのだ。
さて今日は笑いのない真面目な日記だったので、同じ号の質疑応答欄(泌尿器科)に掲載されている
「七四歳、男。妻は七二歳。セックスの際、挿入前に射精して終了。何かよい方法があれば」という含蓄の深い質問をもって、オチにかえさせていただく。
3月2日(月)
池袋のまんがの森へ、鶴田謙二
『有希子――不滅の少女――』改メ
『Eternal』を取りに行く。予約しなければ手に入らないというので去年の10月に予約してから延々待っていたというのに、カウンター前には箱が山積み。しかも入手したボックスのシリアルナンバーは「08243」。おいおい、『Forget-me-not』より部数が多いのかい。タイトルが『有希子……』でなくなったのは、このタイトルが岡田有希子を連想させるから……ではなく、企画の変更によりベストキャラ集になってしまい、「有希子」などというキャラが出てこなくなってしまったからだろう(笑)。
たぶん東京ローカルだと思うのだが、夜中にテレビを見ていると、ときどき
アミューズメントメディア総合学院という専門学校のCMが入る(これだけで何の番組を見てるかわかってしまうかも(笑))。
進路指導の三者面談の席で、CGクリエイターとかゲームクリエイターとかになりたい、という生徒を、先生が「もっと真面目に考えろ」とか「ゲームに夢中になるなんて今だけだ」などと説得するのだが、生徒は立ち上がってそれに反発する、というもの。
ゲームとかCGの業界のことはよく知らないのでなんともいえないのだが、同じシリーズで小説家編ってのもあって、これにはちょっと疑問を感じてしまう。
先生「小説家になりたいというお前の気持ちもわかるが、大学に行って豊かな知識を身につけろ」
女子高生「その考えが私を駄目にするんです!」
これは先生の言い分の方が正しいと思うがなあ。専門学校で学んだからといって小説が書けるようになるってもんでもないでしょうに。まあ、その点をいえばCGクリエイターもゲームクリエイターも同じだけど。第一、この学校出身の作家なんて見たことないもの。それとも私が知らないだけでライトノベル系だといるのかな、この手の学校出身の作家が。
スタニスワフ・レム
『虚数』、スターリング
『ホーリー・ファイアー』、田中聡
『怪物科学者の時代』、
『クトゥルー11』購入。こんなに買っていつ読めるんだよ>自分。
2月28日の日記で、秋葉原での何だかわからぬゲームの発表会のことを書いたのだが、詳しい情報がタニグチリウイチさんの
裏日本工業新聞の同じ日付のところに書いてあった。やっぱり声高にしゃべっていたのはおたっきぃ佐々木で、声優らしき女性はなんと長沢美樹であったらしい(すまんね、私はアニメ系にはとんと薄いもので)。てことは、人だかりはゲームに期待して集まってたわけじゃなく、長沢美樹目当てだったわけね。よしよし、それならば健全なオタクの有り様といえよう。どう見てもつまんなそうなゲームの発表会に、なんでこれだけの人が集まるのかと不思議に思っていたのだがこれで謎が解けたわ。
3月1日(日)
初めて会った人に精神科医だと名乗ると、相手は決まって感心したような身構えたような、不思議な態度を示す。
さすがに、オレが今なに考えてるんだかわかります? とか言い出す奴には出会ったことがないが、オレの性格はどうだと思います? などと訊かれたことはある。私は歩く心理テストか。そのほかにも、けっこうまとはずれなことを言う人が多いので、みなさんも、街で突然精神科医に出くわしたときのために、覚えておきましょう。
自分の性格について訊いてもいないのに得々と話し、私って異常かなあ、などと嬉しそうに言う人。本当に精神の病に苦しんでいる人たちを見慣れている私なんぞにとっては、あなたなどは異常のうちにも入らない。そういうと(そうはっきりとは言わないが)、彼らは決まって不満そうな顔になる。私にもかつては異常への憧れがあって、それが精神科を志望した理由の一つなのだけれども、精神科医になって「異常」者たちの実態を見るにつけ、そんな憧れが「正常」者の思い上がりにすぎないことを思い知らされました。
私って多重人格なんですよ、家と会社では全然人格が違うんです、などという人。違う。そんなのは断じて多重人格じゃないぞ。
フロイトとかユングとか、そういうアレですよね、とかいう人。これも違うぞ。精神分析は、精神医学の中でもマイナーな分野にすぎないのだ。それから、いきなり自分が見た夢の話をしはじめる人もいる。だから夢判断は精神分析の領域だって。それに分析の人だって、相手の背景を何も知らずにいきなり「この夢はこういう意味ですね」などと断言するような無責任な人はいないだろう。私自身は精神分析は知識としてしか知らないし、そもそも読み解けるかどうか自体あやしいものだと思っている。それに「他人の夢の話ほど聞いていてつまらないものはない」って言ったのは誰だったっけな。私だって、仕事上、患者さんが夢の話をしはじめたら、傾聴して何かの意味が読み取れないかくらい考えてみるけれど、そうでなければ他人の夢の話ほど興味を持てない話もないくらいだ。こういう人たちはいったい、私がどんなふうに答えることを期待してるんだろうな。
最近では、オウムとか酒鬼薔薇君とかの話を振ってくる人も多い。これはいいんだけど、話すと長くなるし、食事の席の話題としてはちょっと重すぎる気がするんだがなあ。私は、ワイドショーのコメンテーターみたいに、どんなに重く複雑な事件も一言だけで割り切れるという特異な才能は持ち合わせていないのだ。
では、精神科医と会ったらどんな話をすればいいのか?
別に普通の話でいいのだ。別に私たちは人の心が読めるわけでもないし、人間の精神の秘密を知っているわけでもない。それを理解して下されば、訊きたいことがあったらなんでも訊いていただいてけっこうです。精神科医だからといって身構える必要はありません。
あ、私はSFの話なら喜んで飛びつきますよ(笑)。あまりよくしゃべる方ではないけれど。