ホーム 話題別インデックス 書評インデックス 掲示板
←前の日記次の日記→

9月10日(木)

 今日は外来初診当番の日。精神科の新患は基本的にすべて私が診なければならないのだが、今日はどういうわけかやたらと新患が多い。新患の診察では、これまでの生活歴を聞いたり病状について詳しく聞いたりする必要があるので、どうしてもひとりにつき1時間程度はかかる。で、今日の新患は全部で12名。とても一人で診られる人数ではない。
 ほかの先生にも応援を頼み、昼食抜きで2時半までかかってようやく外来終了。結局、全部で6人を診察。これは、私が1日に診た新患の新記録。いや、疲れた。なんでまたこんなに新患が多かったかといえば、実は某新聞にうちの病院のことが載ったからなのだった(患者さんが切り抜きを見せてくれた)。といっても、もちろんうちの病院が何か事件を起こしたというわけではなく、好意的な病院の紹介記事。まったく余計なことをしてくれるぜ。
 中には高速を2時間も飛ばして病院にやってきて、新聞で見たこの病院に通院したい、という人までいたのには驚いた。よく聞いてみると、患者さんの両親はどうしても東京の病院に通わせたいらしいのだが、本人に聞いてみると、「今の病院でもいいと思うけど……」というのですね。父親は「田舎の病院だと信用できない、東京の病院なら治してくれると思った」というのだ。東京なら何か特効薬があるとでも思っているのだろうか、そこまで期待されても困ってしまうんですけど。いくらなんでも遠すぎるし、何かあったときに対応できないので、今通っている病院に戻るようにと勧め、この患者さんの通院は丁重にお断りする。父親の不満そうな表情と、本人のほっとした表情が印象的。

 リンダ・ナガタ『極微機械ボーア・メイカー』(ハヤカワ文庫SF)読了。最近じゃ100ページ読んでもストーリーがつかめないSFが多い中、このわかりやすさはそれだけで貴重である。偶然ナノマシンに感染してしまったスラムの少女フォージダ。寿命がつきかけている自分の肉体を延命させるため、究極のナノマシン「ボーア・メイカー」を追い求める人造人間ニッコー、その愛人で不法ナノマシン取り締まりに執念を燃やす警察長官のカースティン。こんな具合に冒頭でまず物語の枠組みを設定してしまうので、あとはストーリーの流れに身を任せるのみ。
 ナノマシンがあまりに万能すぎてどういうテクノロジーなかさっぱりわからないなど、科学的にはかなり甘い部分も多いし、よく考えれば設定には論理的に整合性のとれない部分とかもあったりするのだが、そんな小さいことは気にしない気にしない。いかにもSFらしい派手なイメージの奔流を楽しめばいいのである。今じゃ誰も言う人もいないが、私はワイド・スクリーン・バロックという懐かしい言葉を思い出してしまった。日本作家でいえば大原まり子系。お薦め。
9月9日(水)

 古本屋ってのは、本を安く買うための場所だと思っている人が多いんじゃなかろうか。

 池袋に、高野書店という古本屋があった。以前も書いた覚えがあるが、古い幻想文学や人文書が充実しているほか、SFやミステリも珍しいものを中心に集めた品揃えで、かつては西口の大型書店、芳林堂書店の最上階に店を構えていた。店には窓もなく(というか、窓も本棚でつぶれていて)、山のような書物が所狭しと並んだ店内は、新刊書店の最上階というロケーションもあいまって、まさに本好きの頂点を極めた人間にしか立ち入りを許さないかのような静謐で厳粛な雰囲気をたたえていた。ひととおり芳林堂を回ったあと、最後にここを訪れて稀覯本をぱらぱらと眺めるのがいつもの私のルートだった。
 しかし、私は実際にここで本を買ったことはほとんどないのだった。
 だってむちゃくちゃ高いんだもん(笑)。
 そう、この古本屋は、強気な値つけで知られていたのであった。他の店で1000円で買った本が、ここでは3000円なんてことも珍しくなかった。確かに絶版本なんだけど、その値段はあまりといえばあまりにも客の足元を見てるんじゃないか、と思うような値段の本ばかりだったのだった。でも、どうしてもここでしか見つからない本もあったりして、そういう本は仕方なくここで買ってたけど。
 その高野書店も何年か前にもう少し駅に近い場所に移転してしまった。歓楽街の入り口、という場所のせいか、一階は新しめの文庫中心(でもそこは高野、2000円の値がついた絶版文庫も同じ棚に並んでたりする)、二階にはかつてと同じ幻想文学の棚が並んでいるのだが、量は少なめだし、店内は明るく、以前のようなマニアックで秘密めいた雰囲気は薄れていて、私はあまり足が向かなくなってしまったのだった。

 さて、今日2ヶ月ぶりくらいにその高野書店を訪れたのだが、なんだかまたまた以前と雰囲気が変わっている。1階は文庫が主というのは変わっていないのだが、レジの前には「古本の売り上げで森を育てよう」などと書いたミニコミ紙や新聞記事のコピーやらが並んでいる。私としては、古本屋は品揃えがすべてであって、その売り上げで店が何をしようが知ったことではないのだが。妙なことを始めたなあ、と思ってよく見ると、店名まで高野書店ではなくなっているではないか!
 なんだかイヤな予感がしたので二階へ上がってみると、案の定、古い幻想文学やSFの棚がまったくなくなり、並んでいるのは比較的新しい本ばかり。しかも、全品定価の半額、古本屋としてはかなり投げやりな値のつけ方である(最近のチェーン店にはこういう値つけが多いけどね)。一階にある赤川次郎や西村京太郎の文庫も半額である。そりゃ高いって。
 私は呆然として、(私にとっては)つまらない本ばかりになってしまった棚を見渡した。レジの女の子に訊いてみると、「前のオーナーが店を手放して、8月から経営が変わったんです」という。「高野書店はどこかへ移転したというわけじゃないんですか」と食い下がってみたが、「手放したということですが……」と連れない返事。そうか、6月頃にやっていた狂ったような半額フェアは、閉店セールだったのか、と今ごろになって気づいたにぶい私である。
 そうか、本当になくなってしまったのか、高野書店。ポケミスが揃っていた神保町の東京泰文社といい、高野書店といい、個性のある古本屋が次々となくなっていくのは寂しいかぎりである。その代わりに増えているのが、Book-offに代表されるチェーン店形式の大型古本屋なのだが、こういう店では掘り出し物はほとんど望めない(たまに珍しい文庫が思いがけない安値で買えることがあるが)。
 古本屋は本を安く買うところだというのも間違いではないのだが、私なんかにとっては、古本屋というのは、まず第一に、もう手に入らなくなった本を入手するための場所である。全国どこへ行っても同じような、本を安売りする古本屋ばかりでは、古本屋めぐりの楽しみもなくなってしまう。確かに、商売としてはその方が儲かるのかもしれないけど、大げさにいえばこれは文化の破壊ではないか。
 でも、私は3000円とか5000円とかの値がついた本を手に取ってはため息をつくだけで、高野書店でも東京泰文社でもほとんど本を買わなかったんだよな。だからつぶれるんだって? ごもっとも。

 今日は池袋西口周辺を巡回。
 芳林堂書店で講談社ノベルスの山田正紀『長靴をはいた犬』と西澤保彦『実況中死』を購入し、西口公園の同心円の中心にちょっとたたずんでウルトラマンガイアを想い(笑)、HMVではザバダック『はちみつ白書』購入。ボーカルが上野洋子さんならもっとよかった、と思うのはないものねだりですか。遊佐未森のシングル「ボーダーライン」も購入。なんか全然今までと雰囲気が違うんですけど。これからはこういう路線なのかな。私の好きだった未森さんはもういないのですね。
9月8日(火)

 きのうのテポドンの話には、掲示板やメールで多くの情報をいただいた。掲示板に書き込んで下さったlunaさん、ちびたさん、ちはるさん、メールを下さった小川さん、大田さん、どうもありがとうございました。特に、小川さんが協力しているMissile.indexのページは、各国のミサイルの詳しい情報が掲載されていてたいへん参考になりました。
 みなさんから寄せられた情報を総合すると、「テポドン」とはやはり、北朝鮮本国での呼び名ではなく、アメリカが命名したもの。アメリカによってミサイルの存在が初めて確認されたテポドン(大浦洞)基地の名前をとって名づけられたもので、テポドン基地は、ノドン(蘆洞)基地から3kmほど離れた場所(すぐそばなんですね)、北朝鮮の東沿岸にあるとのこと。
 「ノドン」「テポドン」に限らず、かつての東側の兵器の名前ってのは、アメリカの命名によるものが多いですね。有名な「スカッドミサイル」もそうで、試しに英和辞典でScudを引いてみたところ、「疾走する、突風」などの意味のほかに、なんと「(矢が)的を高く大きくはずれる」という意味もあったので驚いた。兵器にはまったくうといので知らなかったのだが、このネーミングって、もしかしてジョーク?
 さて、テポドンの名の由来について、テポドンのテポは「大砲」という意味(ハングルで書くと「大浦(テポ)」と「大砲(テポ)」は同じ)という説があるようだけど(掲示板でちはるさんが紹介していましたね)、これは「ノドン=労働」説と同じくまったくのガセらしいので、信じないようにしましょうね。でも、北朝鮮での命名ではない、というところさえ押さえておけばこんな誤解はしないはずなんだけどなあ。アメリカがわざわざハングルで「大砲」なんて名前つけるわけないではないか。それに「テポ」が「大砲」なら「ドン」は何だ。発射音か(笑)(しかし、ハングルってのは、ひらがなだけの日本語みたいなものだから、同音異義語が多くてややこしそうだな)。
 きのうは「新聞を読んでもニュースを見ても、インターネットで検索してみても全然わからない」などと書いてしまったが、発射翌日の朝日新聞と京都新聞には、テポドンの名前の由来についての説明があったそうだ。私の見た毎日新聞とスポニチと東スポ(笑)には載ってなかったなあ。どうした毎日新聞、もうちょっとがんばれ。

 仕事から帰ってきてたまたまテレビをつけてみると、なんだか熟女が視聴者の悩みに答えるというような番組をやっている。全然興味のない番組なのだが、ぼーっと眺めていたら、前の彼には3週間で振られ、今は別の人とつきあっていて幸せなのだが、別れた彼が忘れられないというなんともお気楽な悩みの再現フィルムが始まった。つまらんなあ。
 しかし、どんなところにも日記ネタは転がっているものである。「別れた元彼を諦めきれない」とナレーションが流れているとき、画面に出たセンセーショナルな字体のスーパーには、こう書いてあった。
「元彼を締めきれない!」
 締めきってどうしますか。

 毒やせ薬を送りつけた女子中学生は、「本当に飲む人がいるとは思わなかった」と話しているそうだが……まあ、普通はそう思うよなあ。君は間違ってないぞ。君は、同級生の知性をちょっとばかり高く見積もりすぎてしまったんだね。
9月7日(月)

 しかし、テポドンってどういう意味だ?
 これはきわめて当たり前の疑問だと思うのだけれど、新聞を読んでもニュースを見ても、インターネットで検索してみても全然わからない。ノドンという名前が、アメリカの軍事衛星で初めて確認された場所の地名(「蘆洞」と書くんだっけ?)だったことを考えれば、テポドンというのも北朝鮮の地名だろうと想像はつくのだけれど(当然ながら、ノドンもテポドンも北朝鮮での呼び名ではない)、「テポドン」という場所が北朝鮮のどのあたりかくらい報道してくれてもいいようなものだと思うのだが。
 覚えている人も多いと思うけれど、「ノドン1号」は、長いこと「労働1号」と呼ばれていたのだった。ノドンというのは、単に米軍が北朝鮮の地名からつけたコードネームにすぎなかったはずが、どういうわけか朝鮮語で同じ発音の「労働」ということになってしまった。これが日本人の持つ北朝鮮のイメージにあまりにもぴったりだったせいで、長い間誰も「労働1号」というネーミングに疑問を持たなかったのである。あまりといえばあまりに単純なミスで、この話を読んだときには呆然としてしまった。なんで誰も疑問に感じなかったんだ?
 今回、打ち上げられたのが果たして、人工衛星「光明星1号」かミサイル「テポドン1号」なのかって問題も、新聞やテレビでは「政府はこう発表している」と報道するだけで思考停止に陥っているのだけど、お願いだからもう少し思考力を使ってほしいぞ。政府の発表やアメリカの情報をそのまま伝えるのでは、大本営発表と同じではないか。
 「発射角度から人工衛星ではない可能性が高いと政府が発表した」などと新聞には書いてあるが、どういう根拠で人工衛星ではない可能性が高いのか、もっとちゃんと説明してくれや。北朝鮮の発表した発射時刻や発射角度、方向を使って計算してみれば、どの程度もっともらしいかくらいすぐわかるはずだと思うのだけれど(野尻さんの掲示板によれば、北朝鮮の発表もけっこうもっともらしいようですね)。北朝鮮の発表のどのへんが嘘っぽくてどのへんが本当らしいのか、ロケットの専門家でも呼んできちんと科学的に解説してくれ。
 テポドンはなぜテポドンなのか、打ち上げられたのはなぜ人工衛星ではないのか。報道するなら、そういうところもちゃんと根拠を示した上で報道してほしい。この問題に限らず、根拠や原因を示さず結果だけを伝える報道が多すぎる。マスコミがこんなことだから、情報を鵜呑みにするだけで科学的批判力のない人間が増えるのだ。やれやれ。

 おまけ。テポドンを検索している途中で見つけたページ
9月6日()

 池袋で買い物をした妻と待ち合わせ。待ち合わせ場所の喫茶店でダージリンのミルクティーをオーダーする。高級感を出そうとしているのだろうけど、なんだかごてごてとした内装で、居心地の悪い喫茶店。出てきたティーカップもなんだか高そうな品である。
 紅茶を飲もうとティーカップを持ち上げようとしたのだが、困ったことに取っ手が小さくて、穴の中に指が入らない。必然的に取っ手を親指と人差し指で両側から押さえるような持ち方になってしまい、非常に安定が悪い。仕方がないので左手で反対側の縁を押さえて持ち上げるのだが、紅茶がなみなみと注がれているため、左手の指がとても熱い。しかし、熱いからといって指を離しては紅茶をこぼしてしまうので、顔を近づけてすするようにしてなんとか飲むことができた。
 こういう小さい取っ手のティーカップ、ときどき(特に高級な喫茶店で)出てくるのだが、これはいったいどうやって飲むのが正しいのだろうか。妻は指が細いので穴に指が入るのだが、いくらなんでも紅茶の国イギリスの人間がすべて私よりも指が細いとも思われないのだが。

 黒澤明死去。とはいっても、実は私は黒澤映画はほとんど観ていない。だから、黒澤というと世界的な巨匠という評判だけは知っているものの、私にはどうもその「すごさ」というのが実感できていない。ちゃんと観た作品といえば『用心棒』くらいなのだが、これも私にとっては「つまらなくはないが……」という程度。『ゴジラ』のすごさはわかったのだが、『用心棒』のすごさはどうもぴんと来なかった。それ以来、黒澤映画にはどうも食指が動かないのだが、やっぱり『七人の侍』くらいはきちんと観ておかないとなあ。
9月5日()

 きのうの答えは「おちいし・おーがすとむーん」。確かに、「五月」と書いて「めい」と読ませるというのは聞いたことがあるが、いくらなんでも「おーがすとむーん」は反則だと思うのだが。

 さてきのうの「高校生クイズ」で書き忘れたことがひとつ。クイズの問題に、「北極点と南極点を通る経線を何と言う?」というのがあったのである。私は一瞬、問題の意味がわからなかった。経線ってのはすべて北極点と南極点を通るのでは? 即座にボタンを押した高校生の回答は「子午線」。ピンポーン。正解。そうかぁ?
 どうも腑に落ちないので広辞苑で「子午線」を引いてみたところ、「(1)ある地点の天頂と天の北極と南極を通過する天球上の大円。(2)地球上の一地点と地球の南北極とを含む平面が地球表面と交わった大円」とある。一方、「経線」の方は、「地球表面上における位置を表すために、経度が等しい地点を連ねた仮想の線。子午線」とある。そうすると、経線と子午線は同じ意味じゃないのか? この問題は間違いとはいえないものの、クイズの問題としては不適当だと思うんだがなあ。

 今日から始まった「ウルトラマンガイア」を見る。ティガ、ダイナという最近のウルトラマンはほとんど見ていないのだが、これはなかなか見ごたえのある第一回であった。これは次回も見なければ。特撮はどうしてもちゃちに見えてしまうシーンもあるのだが、力が入っていることは伝わってくる。ウルトラマンが着地すると土ぼこりが高く舞い散る演出など、とても印象に残るシーンも多い。ストーリー上も、主人公が「俺に力をくれ」と自ら望んでウルトラマンになる能力を手に入れるという展開など、今までのウルトラマンとは違ったことをやろうという意気込みが伝わってくる。
 ちょっとほめすぎたかな。まあ、冷静に見ればアラも多いんだけれど、それでも久しぶりに見たウルトラマンは予想を上回る出来のよさだったのは確か。これは、シリーズ構成と脚本を担当している小中"lain"千昭さんの功績でしょう。しかし、池袋の西口公園の真ん中に立てばウルトラマンになれるとは驚き(笑)。

 さて夜からは、本日初日の洪水映画『フラッド』のレイトショーを観に行く。監督は『アビス』などで撮影監督をしていたミカエル・ソロモンで、これが初監督作。なんとなく、聞いただけで「参りました」と言いたくなってしまうような名前の監督である(笑)。
 最初から最後までとにかく全編水浸しの映画なのだが、普通のパニック映画とは違って洪水との戦いが描かれるわけではなく、洪水そっちのけで現金をめぐって三つ巴の戦いが繰り広げられるというストーリー。特に目新しいことをしているというわけではないが、基本に忠実な作りで2時間充分楽しめる作品(パニック映画にはお定まりの犬は出てこないけど(笑))。
 私としては、この映画には大満足だったのだけれど、それは映像やストーリーよりも、ミニー・ドライバーが出ていたからという理由につきる。この女優さん、以前観た『グッド・ウィル・ハンティング』でもヒロインを演じていて、最初はなんでこんなかわいくない女優を使っているのだろうと思っていたのだが、見終わったころにはすっかりファンになってしまった。ハリウッドの主演クラスの女優では珍しく、黒髪、丸顔、ファニーフェイスのなんとなく東洋的な顔立ちの女優さんで、よくも悪くも一度見たら忘れられない顔である。私としては、クールで中性的なところとか、よく動く表情がとても魅力的だと思うのだが、普通の人は、なんでこんな女優が好きなの? と思うかも。
 いいと思うんだけどなあ、ミニー・ドライバー。
9月4日(金)

 日本テレビの高校生クイズで、日本文学の英語版タイトルから原題を当てるという問題があった。"Wild Geese"が『雁』で、"Setting Sun"が『斜陽』というのはわかったのだが、全然わからなかったのが、"Dark Night Passing"。
 さて、わかりましたか? これは、志賀直哉の『暗夜行路』だそうな。言われてみれば確かに。しかし、「ダーク・ナイト・パッシング」という響きは、どう見てもモダン・ホラーのタイトルだよなあ。クーンツの作品だと言っても全然違和感がないぞ。"BATMAN:Dark Night Passing"でもいいな(それは"Dark Knight Returns"だって)。
 そういえば、ピーター・グリーナウェイの勘違い映画(笑)『枕草子』の原題は"Pillow Book"である。たぶん、清少納言の『枕草子』自体の英題がそうなっているのだろうけど、このタイトルだと『枕草子』よりも遥かにアダルトな雰囲気である。映画の内容がけっこうアダルトだったのは、これは英題のイメージをもとに映画を作ったからだろうなあ。日本人だったら、『枕草子』というタイトルで淫靡な映画を撮ろうとは絶対に思うまい。同じ時代に『源氏物語』という大アダルト小説(笑)があるわけだし。でも、"A Tale of Genji"と"Pillow Book"を比べたら、どう考えてもいやらしいのは"Pillow Book"の方だよな。
 しかし、日本文学のタイトルの英語訳を考えるというのも、なかなかおもしろい。『吾輩は猫である』は"I,Cat"とか。『舞姫』は"Dancing Princess"になったりするのかな。『人間失格』は"Disqualified From Human"かいな。なんかSFっぽいぞ。

 いつものように本屋を巡回していると、ふと目に止まったのが、新刊で出ていたアンディ・ウォーホルの『ぼくの哲学』。といっても、私は別にウォーホルにはあまり興味はなく、訳者の名前が気になって仕方がなかったのだ。「落石八月月」。さてなんと読むのでしょう。奥付けを見て私は愕然としましたよ。
 答えは明日。
9月3日(木)

 今日は当直。
 いつものごとく外来に呼び出されたり患者さんに注射打ったり夜中の電話の相手をしたりと、楽しい楽しい一夜でしたよ。おかげで翌朝は眠くて眠くてたまりませんな。ああ楽しい(やけになってないか?)。

 やれやれ、日本はあっというまに毒殺魔の跳梁する国になってしまった。まるでカレー事件が日本人の中にかろうじてあった良心回路のスイッチを切ってしまったかのようである。捕まる危険が少ないと気づいた途端に、似たようなことをやる輩がここまで増えるとはね。しかし、こういう犯人の心理はいったいどうなっているんだろう。「自分に害が及ばなければ何をしてもいい」と思っているのだろうなあ、こういう人たちは。これは「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という倫理観よりさらにたちが悪い。
 毒殺という殺人方法ってのは、必ず殺せるという確実性を欠くかわりに、犯人が直接手を下す必要もないし、被害者と顔を合わせる必要すらない。人の死という生々しさを感じずにすむ、間接的な殺人なのである。だから、ブランヴィリエ侯爵夫人とかチェーザレ・ボルジアのような貴族の殺人方法だったわけだが、最近の事件にはまったく貴族的な誇り高さはない。あるのは卑怯さのみ。
 犯人がやればいいのは毒を入れることだけ。被害者が出たことも、亡くなったことも、新聞やテレビの中で知るわけだ。テレビの中のできごとってのは、これはほとんどフィクションである。人の死にまつわる、たとえば流れ出す血とか苦悶の表情とかそういったリアルなものをまったく経験することなく、自分にはまったく害の及ばないところでフィクションとしての殺人を経験できるというわけ。これはお手軽。手垢がついた言い方をすれば、犯人にとっては、これは「ヴァーチャルな殺人」なのだ。
 カレー事件から短期間のうちにここまで便乗犯が続くということは、毒物混入には、直接的な関わりを嫌い、ヴァーチャルな刺激を求める人々の欲望をかきたてるところがあったのだろう。犯人が逮捕されない限りは、これからもしばらくは事件が続きそうである、残念ながら。
 しかし、不思議に思うのだが、こういう犯人は、自分の家族、あるいは知り合いが毒入り飲料を飲んでしまうかもしれない、とは考えないのかな。そういう想像力すら欠けているのか。
9月2日(水)

 池袋のタイ料理店「メコン」にて、1000円のランチバイキングを食す。ゲン・キョウ・ワン(グリーンカレー)を食べたのだが、これがどうもあまりうまくない。米がねちゃねちゃしすぎているのだ。よく見ると、この米は普通のジャポニカ米ではないか。
 そういえば、米不足のときにはあんなに輸入されたタイ米なのに、今じゃ全然見かけないなあ。まずいまずいと悪評ばかりだったが、そりゃ日本米と同じように調理したらまずいに決まっている。当たり前のことだが、タイ料理にはタイ米がいちばんよく合うのだ。日本米ではダメだ。それなのに、どうしたわけか日本米を使っているタイ料理店が多いんだよなあ。いくらタイの野菜やスパイスを使っていても、米がこれではタイ料理としては片手落ちだと思うんだがなあ。それとも、今ではそんなに手に入りにくいのだろうか、タイ米。最近じゃ輸入されていないのかなあ? タイ米はうまいから食べたいという奇特な人間もいるんだから、選択の余地くらいは残しておいてほしいのだが。

 グレッグ・ベア『凍月』(ハヤカワ文庫SF)読了。『ホログラム街の女』といい、この本といい、最近のハヤカワ文庫は薄くて読みやすい本が多い。『レッド・マーズ』みたいな重量級もたまにはいいけど、やっぱりSFは薄めの長編がいいなあ。まあ、基本的にはそう思うのだけれど、本書はちょっと薄すぎて物足りない気も。
 政治家を志す若き主人公が生々しい政治問題に巻き込まれ、それに浮き世離れした科学者の大発見が関わってくる、という、『火星転移』そっくりの構造を持った作品である。宗教問題という『火星転移』にはない要素も関わってきて盛り沢山なのだけれど、さすがにこの短さでは書き込み不足の感がある。宗教に関する掘り下げは浅いし、科学者のキャラクターも薄っぺら。ラストで起きる現象についての説明も不充分でよくわからない(『火星転移』である程度説明されるけど)。たぶん、ベアも、このネタはもっと長く書いた方がいいと思って『火星転移』を書いたのだろうなあ。軽く読めるのはいいのだけれど、ちょっと欲求不満。

 吉田戦車『ぷりぷり県 4巻』(小学館)、しりあがり寿『弥次喜多 IN DEEP 1巻』(アスペクト)、新谷明弘『未来さん』(アスペクト)購入。女子大生で眼鏡っ娘の高橋亜鉛子(あえんこ、と読む)が主人公の『未来さん』は、なんだか妙に懐かしい雰囲気のSFマンガ。懐かしいのだけれどレトロフューチャーというほど後ろ向きなわけではなく、むしろ70年代のポジティヴな未来に近い、作者独自の未来像が魅力的。でも、この作品、これで終わりなんでしょうか、ちょっとラストが唐突な気がするけど。
9月1日(火)

 8月初めまで担当していた病棟に、とても人懐こくて優しい中年の患者さんがいた。ときどき強迫的な身体症状を訴えていたけれど、病棟でも特に目立つことなくおだやかに生活していた。その患者さんの担当でなくなってから一月ほどが経つのだけれど、きのう、その患者さんが病院から一時帰宅していたとき、父親を包丁で刺したという話を聞いた。父親は病院に運ばれたが、亡くなったという。患者さんは警察に拘留されているらしい。今後、精神鑑定が行われ、おそらく措置入院の手続きが取られて他の病院へ入院ということになるだろう。
 私が担当していた3ヶ月の間には、まったく紋切り型の表現になるが、「とてもそんなことをしそうな人には見えなかった」。慢性の分裂病患者で症状もほぼ固定しており、突然感情を爆発させることなどまったくなかった。そんなことをしそうな気配などつゆほどもみられなかったのだ。私の病態の把握に甘さがあったのかもしれないが。
 でも、これは「だから精神病患者は危険だ」ということではないのですね。分裂病患者の犯罪率はそれほど高いものではないのだ。精神病患者の犯罪が、人々を不安にさせるのは、その動機が私たちには理解できないからだ。彼らの突発的な行動は、しばしば精神病に精通した医者にも予想がつかないのである。
 患者を閉鎖病棟の中から出さずにおけば、もちろん何も問題は起こらない。しかし、なるべく入院期間は短くして社会復帰への道筋をつけるというのが、最近の精神医学の方針だし、人権上も長期にわたり患者を閉じ込めておくことは許されない。この問題に、どうすればいいのかという明確な答えはない。
 精神病院に勤めている限り、こういうことは遅かれ早かれ必ず起こる。今回は私の担当のときでなくてよかった、とちょっとほっとしている自分がいて、そんな自分が少しイヤだったりする。でも、正直いって誰でもそう思うだろうけどね。

 サミュエル・W・テイラー『わたしとそっくりの顔をした男』(新樹社)読了。いや、変な作品を読んだ。なんせ、まったく無名の作者による、しかも半世紀も前の作品(1949年刊)である。なんでまたこんな本が出たのかさっぱりわからない。
 ごく平凡な男である主人公が家に帰ってみると、自分とそっくりの顔をした男が家にいる。しかも妻も友人も自分のほうを偽者だといい、飼っていた犬にまで吠えかかられるという、謎めいた(でもありがちな)オープニングで物語は始まる。この謎がメイントリックになるのか、と思った途端、謎は妙にあっさりと解決してしまう。これが、いくらなんでもこんなことあるかい、という現実ばなれした真相だし、その後も主人公は伝聞と推測だけをたよりに行動を続けるという、妙に現実感のない展開。それが、ほとんど稚拙といってもいいくらいの文章(訳者のせいかもしれないけど)ともあいまって、一種異様な雰囲気をかもしだしている。まさか妄想オチじゃあるまいな、と心配してしまったほど。
 とにかく読者の予想を片っ端から裏切る展開で、私は唖然としてしまった。なんとなく、行き当たりばったりで何も考えずに書いているようにも思えるのだが(笑)。物語が中盤に入ってからも、いきなり殺人犬を飼う愛犬家とか、人妻と不倫しているセールスマンとか、本筋とどう関係するのかよくわからない新キャラが次から次へと登場するのだ。うーん、なんだか、途中で脚本家が変わって話がつながらなくなったり、本筋とは関係のない挿話があったりするテレビドラマのようである。
 まあ、あんまり人にはお勧めしにくい作品なのだが、この奇妙な雰囲気、私にはけっこう楽しめました。帯にあるように「クローン人間の恐怖を予感させるミステリ」とは全然思わないけど。私が惹句をつけるなら「オフ・ビートな珍品サスペンス」といったところだろうか。でも、わざわざ今訳す必要はどこにもない作品だと思うな。

過去の日記

98年8月下旬 夏休み、怠惰、そして堕落の巻
98年8月中旬 濁点、金縛り、そしてこれは球史に残る名勝負なんかじゃないの巻
98年8月上旬 クリスマス・プディング、アーモンド臭、そしてのどの小骨の巻
98年7月下旬 医療保険制度、泳げたいやきくんの謎、そしてミヤイリガイの巻
98年7月中旬 GODZILLA、解説の詩人・郷原宏、そしてSF vs ホラーの巻
98年7月上旬 俳句自動作成ソフト「風流」、木々高太郎、そして太田裕美の巻
98年6月下旬 さらばジオシティーズ、水中毒、そしてLSDの巻
98年6月中旬 精神分裂病、6000冊、そして遺伝子組み換え食品の巻
98年6月上旬 YAKATA、「医者」というブランド、そしてなんでも鑑定団の巻
98年5月下旬 流れよ我が涙、将棋対チェス、そしてVAIOの巻
98年5月中旬 おそるべしわが妻、家具屋での屈辱、そしてジェズアルドの巻
98年5月上旬 SFセミナー、WHITE ALBUM、そして39.7℃ふたたびの巻
98年4月下旬 エステニア、エリート医師、そして39.7℃の巻
98年4月中旬 郷ひろみ、水道検査男、そして初めての当直の巻
98年4月上旬 ハワイ、ハワイ、そしてハワイの巻
98年3月下旬 メフィスト賞、昼下がりのシャワー室、そして覆面算の巻
98年3月中旬 結婚指輪、左足の小指の先、そしてマンションを買いませんかの巻
98年3月上旬 ポケモンその後、心中、そして肝機能障害の巻
98年2月下旬 フェイス/オフ、斉藤由貴、そしてSFマガジンに載ったぞの巻
98年2月中旬 松谷健二、精神保健福祉法、そしてその後の男の涙の巻
98年2月上旬 ナイフ犯罪、DHMO、そしてペリー・ローダンの巻
98年1月下旬 肥満遺伝子、名前厄、そして大阪の巻
98年1月中旬 北京原人、アンモナイト、そして織田信長の巻
98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

ホームに戻る