ホーム 話題別インデックス 書評インデックス 掲示板
←前の日記次の日記→

6月10日(水)

 きのうの日刊スポーツによれば、インターネットのホームページを開いている女性などを狙った新手の「単行本詐欺」が出現しているらしい。ホームページで日記を公開していた都内のある看護婦(27)のところに「あなたの日記はおもしろい。単行本にしたら売れる」というメールが送られてきたらしい。差出人は編集者で、大手出版社の関連会社を思わせる出版社名。何度かメールのやりとりをしたあと会ってみると、差出人の男性は保証金として30万円を言葉巧みに要求、彼女はつい払ってしまった。その後男性とは数回会ったが、その間、実際に手直ししたゲラを持ってきたこともあった。金を払ったあと、彼女がおかしいと思って電話をかけると、そのときにはすでに電話がつながらなくなっていたという。彼女は男性と肉体関係を持ってしまったため、被害届も出しにくい状況だとのこと。
 最後のところがなんでそうなってしまったのかよくわからないのだけれど、まあ、ホームページで自分の文章を公開しているような人々というのは、おそらく人並み以上に自己顕示欲が強く、文章にもある程度の自信を持っているような人々だろう。「本にする」と言われて舞い上がってしまうのも無理はないと思う。私だって舞い上がる。一拍おいて「こんなもん売れるわけない」と疑いを抱くけど(笑)。

 さて、たまたまこの記事を読んだ今日、本屋の新刊本コーナーで、貞奴『鯖』という、著者もタイトルもなんとも奇妙な名前のエッセイ集を見つけた。著者は上智大学の女子大生らしいのだが、帯の推薦文が坂本龍一、内田也哉子、となかなか豪華。実はこれが、ホームページで発表した日記を集めたものなのだ。つまり、ホームページの日記を出版する、という例はちゃんとあるのである。ただ、貞奴さんの文章は日記というよりは詩に近く、なんというか突き抜けた特異な文体なので、普通のホームページ日記がそのまま出版できると思ったら大間違いなのだが。
 そうそう、2年前に出た八木啓代さんの『PANDORA REPORT』という本も、もともとはパソコン通信上に発表したエッセイを集めたものだし(ラテン歌手の著者が南米で体験した出来事をつづったもので、これもとてもおもしろい)、かくいう私だって、この日記を書いていたおかげでSFマガジンに文章を書くことができた(その後何の音沙汰もないけど)。
 詐欺もあるかもしれないけど、ホームページやパソコン通信をきっかけにデビューする人々だっているのだ。才能のある人は必ず活躍の場を与えられることだろう。才能のない人は……詐欺に引っかからないように、自分の才能を知るべきです(笑)。

 しかし、誰もがホームページで自分の文章を世の中に発表できる時代になりながらなお、「本」という形式に憧れる、というのはどうしてなんだろうなあ。私は自他ともに認める活字中毒者だから例外としても、看護婦(27)たちにもやっぱり活字信仰があるんだろうか。してみると、書物の魔力も、完全に喪われたというわけではないようだな。善哉善哉。

 池袋高野書店でロバート・ブロック『アメリカン・ゴシック』(早川書房)、H・S・ホワイトヘッド『ジャンビー』(国書刊行会)購入。大塚BOOK-OFFの100円均一棚からロード・ダンセイニ『魔法の国の旅人』(ハヤカワ文庫FT)、クリストファー・ウッド『脱出せよ、ダブ!』、ロバート・ラーマン『ランナーズ』(以上ハヤカワ文庫NV)、P・ボワロー『殺人者なき六つの殺人』(講談社文庫)の4冊を購入。
6月9日(火)

 「なんでも鑑定団」に森下一仁ワークショップで知り合った友人が登場。25年前に撮影所でもらってきたという、大量のルパン三世(第1シリーズ)のセル画に、40万円の値がついていた。よかったね、Aさん。
 そのほかにも、石ノ森章太郎の初期単行本だの手塚治虫のサイン入り原画だの、高額鑑定が続出。こうも高いと絶対に私の手元に渡る可能性はないわけで、はあそうですかと感心するばかり。しかし、ここまで高いってのも異常だと思うのだがな。アニメグッズのバブルもいつかそのうちはじけるんじゃないかなあ。そうしたら、高い金を出してグッズを買い集めた連中の自殺が相次いだりして。まあ、真のオタクなら評価額など関係なく持っていること自体に価値を見出すだろうから、評価額が下がっても一向に痛痒を感じないだろうけど。
 ルパン三世のセルがここまで高いってのは異常なように思えるけど、よく考えてみれば、ダイヤモンドが高いのとそう変わりはないような気もする。っ違うのは、ダイヤモンドは多くの人がその価値を信じており、アニメグッズの価値を信じているのはごく少数の人々、ということだけだ。価値なんてものは所詮はフィクションであって、ダイヤモンドとアニメグッズの違いは、フィクションを信じている人の数の違いでしかないんじゃないだろうか。ダイヤモンドに価値がある、というフィクションを信じる人が減ってくれば、きっとダイヤも暴落するんだろうな。そうか、そうならないように、宝石メーカーは「給料3ヶ月分の……」などといって我々にフィクションを植えつけているわけか。
 ということは、コレクターが自分のコレクションの価値を維持するためには、コレクションには価値があるというフィクションを世の中に知らしめてくれる「なんでも鑑定団」やお宝雑誌がずっと続いてくれる必要があるわけだ。自分のコレクションの金銭的価値にこだわるコレクターは、「なんでも鑑定団」に出資すべし(笑)。
 あー、私は経済学にはまったくの門外漢なので、的外れなことを言ってるかも。

 ディーーン・クーンツ『ミスター・マーダー』(文春文庫)、篠田節子『夏の災厄』(文春文庫)、アンリ・バルビュス『地獄』(岩波文庫)購入。文春文庫の2作品は両方とも解説が瀬名秀明(特にクーンツの解説は24ページもあるという力作)。もちろん帯にも大きく「瀬名秀明」の名前が。やっぱり今いちばん勢いのある作家なのだなあ。
6月8日(月)

 今日は宴会帰りで酔っ払ってるので乱文多謝。

 松田聖子は歯科医と再婚したし、鈴木杏樹は担当の外科医と結婚。というわけで最近では医者や歯科医とのお見合いを斡旋するクラブが大人気で入会者が殺到しているらしい。
 私はこのニュースを聞いたとき、二つの意味で驚いた。一つ目は、かつてのアイドル時代にはレコードを集めたこともあるものの、近頃では単なるエキセントリックなおばちゃんとしか認識していなかった松田聖子という人物が、今でもこれほどまでに女性への影響力を持っていたのか、ということ。もう一つは、実際には収入面でも待遇面でも厳しくなりつつある医者という職業が、まだブランドとしての価値を持っていたのか、ということ。
 私も数年前の医師国家試験の帰りに、この手のお見合いクラブのチラシを受け取った覚えがあるし、その後もよく私の家にダイレクトメールが送られてきたものだ。この手のクラブは、男性側は医者・歯科医限定で入会金が安いのだが、女性側の入会金はその2倍程度。極端な売り手市場なのだ(逆から見れば買い手市場かな。そもそもどっちが売り手なんだ?)。
 当時の私は、人並み程度には女性とお付き合いしたいと思っていたが、口下手が災いして実際に付き合った経験などほとんどなかった。そんな私がこの手のクラブに入会しなかったのは、ひとえに、「医者」というブランドに惹かれて集まってくるタイプの女性には全然興味を覚えなかったからだ。偏見かもしれない。だが、高いお金を払ってまでこういうお見合いクラブに入るような女性は、高収入でステータスも高いという「医者」の虚像を求めて来ているような気がする。しかし、実際に結婚してみると、その虚像と実像があまりにも違うことに愕然とするのだ。私のように女性側の期待に答えられないオタク系精神科医は、早晩愛想をつかされて離婚という結末に至るだろう。
 医者余りのこの時代にも、まだ「医者」というブランドが神通力を持っているということには驚くばかり。こういう人たちは、医者の実情を知っても、まだ医者との結婚を望むんだろうか。

 そういや、冬樹蛉さんが6月7日の日記で見合い結婚が一割を切ったという厚生省の統計に触れて、「コンピュータで相手を選んで、恋愛して結婚しました」なんてのはどっちに入れてるんだろう?と書いていたが、こういうお見合いクラブで知り合った相手と結婚したという人もけっこういそうな気がするが、どちらに入るんだろうなあ。こういうクラブで知り合って結婚したという知人がいるが、周囲には「恋愛」だと言っていたらしいから、おそらくこういうパターンも恋愛結婚に含まれてしまっているのだろう。冬樹さんの書いているとおり、クラシカルな見合いは減っているかもしれないが、新しいタイプの見合いは逆に増えているのだろうな。

 日本テレビの「爆笑大問題」によれば、爆笑問題の太田光はヴォネガットの新作『タイムクエイク』にはまっているらしい。太田、やっぱりただものではないかも。
 この番組のエンディングに流れているのが大ヒットしているhide with spread beaverの"pink spider"なのだが、宴会のとき、このグループ名の意味を伊藤典夫師匠に教えてもらった。「おっぴろげたお×んこ」という意味だそうな。なるほど。日本語ならとても言えないことも、英語なら平気でいえるという好例ですね。いったい、英米人はどう思ってるんだか。
 女性アナがこのグループ名を読み上げるのを聞いてニヤニヤしましょう<変態。
6月7日()

 今日も『YAKATA』プレイ中。RPG部分は、「○○の鍵を手に入れるには、あの人のところへ××を持っていって……」と物々交換が延々と続くクズRPGにありがちなシナリオでげんなりするのだけれど、やっと第4章「迷路館」に到達。自殺した老ミステリ作家の遺した「究極のミステリ」の原稿を求めて編集者や作家が集まってくる、という綾辻行人らしい設定。ようやく面白くなってきたぞ(10時間以上プレイしてやっと面白くなるってのも問題あると思うが)。ここでは綾辻さんの知り合いの作家やマンガ家が実名で登場。編集者も山ほど登場するのだけど、これもモデルがいるんだろうなあ。私にわかったのは「奇談社」の「宇多山」だけだったけど。評論家の「のぞみ」ちゃん(♀)というのは、やっぱり大森望なんだろうか。

 夕食を食べ終わって食器を下げていると、なんだか焦げ臭い匂いがする。
「なんか臭いんじゃない?」と言うと、一瞬置いて、居間にいた妻が飛び上がるように立ちあがり、台所に駆け込んできた。彼女がものもいわずにグリルを開けたとたん、部屋中に焦げ臭い匂いが広がった。グリルの中では何か真っ黒な物体が燃えている。
 おそるおそる、「何それ」と聞いてみると、彼女は短くこう言った。
「たらこ」
 しかし、目の前にあるのはたらことは似ても似つかない物体である。たらこはすでに完全に炭化して真っ黒になり、炎を上げて燃えていたのであった! グリルでたらこを焼いていたのをすっかり忘れていたらしい。
 火を吹いて燃えるたらこを見たのは、生まれてこの方初めてのことである。

 そうそう、ポケモンが見たいのにお兄ちゃんがゲームをやってて見られない、といって14歳の弟が17歳の兄を刺して重傷を負わせる、という事件があったらしい。うーん、踏んだり蹴ったりですね、ポケモン。これでまた、ポケモンは子供に悪影響を与える、などという論調が高まったりしなければいいのだけど。今ごろ、『ポケモン・カルト』の著者は、そら見たことかと大喜びだろうな。
6月6日()

 『YAKATA』なんだけど、RPG部分とミステリ部分の乖離があまりにも甚だしくてついていけません。グラフィックはどこへいっても変わり映えしなくて、新しい館に行っても、探検する喜びが全然感じられない。クソゲーとまでは言わないが、7時間遊んだ限りでは凡作という印象である。こうなると、アイテムやモンスターの名前のミステリネタに喜びを見出すしかないのかなあ。メルカトルたるが一緒に襲ってきたときには笑ったぞ。

 柴田よしき『RED RAIN』読了。この小説のどこが「SFラブストーリー」(カバーにそう書いてある)なんですか? 人類という種自体の存亡という壮大なテーマを扱っているにも関わらず、主人公であるシキの行動も思考も、あくまで個人的、感情的であって、SFとしての広がりに欠ける。明らかに続編を意識したエンディングも中途半端で不満が残る。
 それより、「宇宙人はそんなに簡単に地球に来れないよ。太陽系の周囲にはぶ厚い小惑星帯があるんだ。……(ワープ航法を使ったとしても)宇宙規模で時間軸と距離軸を考えた場合、小惑星帯と地球の間の空間を正確に目指して移動するのは、地球そのものから誘導してやらなけりゃまず無理だと思うよ」(p.118)という台詞が、私にはどうもよく理解できないんだけど。作者の言う「小惑星帯」ってのは、火星と木星の間にあるのとは違って、冥王星のさらに遠方の軌道上で太陽系を球形に(しかも密度がかなり高いらしい)とりまいているということなのかな。
6月5日(金)

 ワイドショーでは帰国したカズの記者会見。私としてはサッカーには全然興味がないし、スポーツニュースもほとんど見ていないので、なんでこんなことになったのかどうもよくわからない。そもそもなぜ25人もフランスに連れていったんだ? 出場できるのが22人と決められているんだったら、最初から22人だけ連れていけばよかったのに。なんで、25人を連れていって途中で22人に絞るなどというアメリカ横断ウルトラクイズみたいなことをやってるんだろう? すると、記者会見がカズの罰ゲームですか?

 仕事が終わったあと、日比谷で妻と待ち合わせて『フル・モンティ』を見に行く。ずーっと前からやっている映画だが、いよいよ今日で最終日。私には興味の湧かないタイプの映画なのだが、絶対に見たいという妻につきあってようやく出かけることにしたのである。
 しかし、私は結局『フル・モンティ』を見ることができなかった。
 待ち合わせはシャンテ・シネのチケット売り場前で6時45分。10分くらい早く着いてしまったが、まだ妻は来ていないので、柴田よしき『RED RAIN』を読みながら待つことにした。しばらくして約束の時間を過ぎたが、まだ妻の姿は見えない。最終日だけにけっこう客の入りはいいようで、チケットを買った客が次々と劇場に入っていく。圧倒的に女性客が多いようだ。上映10分前の7時になると「座れます」の表示が「お席はスクリーン前方になります」に変わった。まだ来ない。5分前になると、劇場はとうとう満席になってしまった。残業で遅れているのだろうか、それともどこかで事故にでも遭ったのか。家に電話してみてももちろんいない。結局、7時半まで待ったが来ないので、私は彼女の行方を心配しつつ、仕方なく家に帰ることにした。
 家に帰ってしばらくたった9時ごろ、妻から電話があった。「いったいどこにいたんだ」と聞くと、「映画を見てた。今終わったところ」という。「途中から?」と聞くと、「最初から見てた」と答える。私は混乱した。劇場の入り口は私がずっと見張っていたはず。いったい彼女はどうやって劇場に入ったのだろうか? これは「密室」かもしれん、と一瞬だけ私は思った(笑)。
 真相はあまりにも単純である。彼女は、私が来るより前に映画館に着いており、チケットを買って映画館の中で待っていたのだそうだ。おいおい、「チケット売り場で」と約束したじゃないか。妻は、彼女がいないとなれば、私は劇場の中に入って彼女を待つに違いないと予測したのだそうだ。映画が始まったあともチケット売り場でずっと待ち続けるとは予想もしなかったらしい。私も、彼女がすでに映画館の中にいるとは思っても見なかった。携帯電話でもあればこんなことにはならなかったのだろうが、あいにく私は携帯もPHSも持ち合わせてはいない。
 結局、私はこの映画をあんまり見たくなくて、彼女はとても見たかった、その差が行動の違いになって現れたのだろうな。

 綾辻行人プレゼンツの『YAKATA Nightmare Project』(プレステ用)と、アダルトゲーム史上に残る傑作『DESIRE』完全版(WIN用)を購入。まず『YAKATA』をやりはじめる。2時間半ほどかけて、水車館が登場するところまで行ったのだが、「中村青司の館は悪夢を増幅するのです」などというよくわからん設定といい、名探偵江戸川ランコ(笑)の頭が痛くなるような登場シーンといい(二重人格という設定らしいのだが、人格が変わると髪型も衣装も変わるのはなぜ?)、なんだか嫌な予感がするのだけど……(まあ『黒の十三』よりはましなようだが)。「人喰いの木……人を喰う木の怪物」「バラの女……バラの刺で攻撃する」「エジプト十字架……ビームを放つ」というモンスター設定はなかなかよろしい(笑)。
6月4日(木)

 太田忠司のショートショート集『帰郷』(幻冬舎ノベルス)読了。作者のミステリはあまり好みではないのだが、ショートショートはなかなか切れ味鋭くて。「へい」「保健室」「ただ一度」「創造」というあたり、懐かしい星新一や筒井康隆の作品を思わせる出来である。ただ、中にはショートショートというよりは、長篇ミステリのラストだけのような作品もいくつかあって、ちょっと戸惑ってしまう。オチがないのですね、つまり。「いつか、扉をたたく音」なんて、どこがショートショートなんだ、いったい。また、前半の雑誌に発表した分は良質の作品が並べられているのだけど、後半の書き下ろしの作品になると、明らかに一段質が落ちてしまうのはどうしてなんでしょう。

 前間孝則『亜細亜新幹線』(講談社文庫)も読了。ドイツの新幹線の大事故がニュースになっているけど、これは戦前の日本の新幹線計画を描いたノンフィクション。戦前の計画では、新幹線は東京と下関を結び、そこからなんと朝鮮海峡横断トンネルを掘って北京にまで到達する予定だったという。それだけではなく、崑崙を越えてテヘラン、バグダッドにまで至る中央アジア横断鉄道を作る、という雄大な構想まであったらしい。
 日本坂トンネルや東山トンネルといった難所は戦前すでに工事が進んでいたし、用地買収は戦時中、国家のためだからといって半ば強制的に行われたとのこと。戦後の東海道新幹線の基礎は、すでに戦前の段階でかなりできあがっていたことになる。なるほどなあ。鉄道には疎い私にはとても新鮮な物語でした。島安次郎、秀雄父子を中心にした男たちの情熱が詳細に書き込まれていているあたりも、なかなかつぼを押さえている。男なら燃えるでしょ。お薦め。
6月3日(水)

 精神科病棟での医者の主な仕事は、患者さんの面接をすることである。普通は、だいたい週に一回の割合で、患者さんを診察室まで呼んで、そこで病状や悩みについて話しを聞いたり、あるいはただ世間話をしたりするわけである。終わったら、面接内容をしっかりカルテに記載する。
 私が担当している病棟は古い上にあちこちが手狭になっていて、ナースステーションはいつでも看護婦さんや患者さんでごったがえしているし、診察室も狭いのが一つあるだけ。この病棟では私ともうひとりの先輩の医師とで、ほぼ半分ずつの患者さんを受け持っているのだが、診察室がふさがっていると面接がする場所がなくなってしまう。先輩医師が診察室で書類などを書いていることも多いのだが、新参者の私がどいてくれとも言いにくい。
 仕方ないので患者さんたちのたむろするロビーに出たり、病室まで出向いたりして、くつろいでいる患者さんをつかまえて面接をすることにした。最初は仕方なくやっていたゲリラ的(笑)な面接だが、これを続けているうちに、今までは見過ごしてしまっていたことに気がついた。
 患者さんの様子が、明らかに診察室とは違うのだ。診察室での患者さんたちは、明らかに身構えている。考えてみれば、白衣を着た医者と狭い部屋に二人きりでいるんだから、緊張して当然である。つまり、「よそ行き」の姿なのである。
 診察室ではそっけなくこちらの質問に短い答えを返すだけの患者さんも、ロビーの長椅子に並んで腰掛けていると、意外に豊かな表情を見せることもある(もちろん、全然変わらない患者さんだっているんだけど)。逆に看護士さんの前では水を飲むたびにむせ込んでいた患者さんが、私が見ている前では一度もむせ込まずにコップ一杯を飲み干したこともあった。「あれ、おかしいなあ」と看護士さんは首をひねっていたけど、これも患者さんは医者である私の存在を意識していたのだろう。
 普通の人なら、誰だって、仕事をしているときと家庭での姿、親しい友達と過ごしているときの姿はそれぞれ違うはずだ。人間は、無意識に「場」に応じた姿を選び取っているのですね。これがつまり社会に適応する能力ということ。
 分裂病ってのは、そういう社会適応能力が失われる病気なんだけれど、長椅子で笑顔を見せる患者さんたちを見ていると、入院期間が何十年にもおよび、一見自閉的になってしまっているような患者さんでさえ、診察室とロビーという「場」に応じて自分の姿を変える能力を持っているようなのですね。つまり、彼らはまるっきり対人関係能力を失ってしまったわけではないのだ。

 同じように、精神科の外来を訪れたときの患者さんの姿も、ふだんの姿とはおそらくかなり違ったものだろう(それが同じだとしたら、かなり病状が重いということになる)。
 精神科医は患者の全体像をとらえるように、とかよく言われるのだけど、医者が週に一度程度の外来診察だけで患者さんのことを理解したような気になったとしたら、それは傲慢きわまりないことだろう。医者が見ることのできるのは、あくまで「医者を前にした患者さん」の姿だけなのである(これは入院患者さんの場合も同じで、医者にわかるのは「病院という場における患者さん」の姿にすぎない)。家では物忘れがひどくて家族を困らせている痴呆老人が、病院ではかくしゃくとしていて一見どこもおかしくないように見える、というのもよくあることだ。
 この限界は、家族の話をこまめに聞いたりすることによってある程度超えることができるけれど、その家族の話も疑わなければいけない(疑いつつ共感するというおそろしく難しい技術が要求されるのです)というのが、精神科医というもの。因果な商売ですね。ひとりの人間の全体像を把握するなんてことは、あまりにも遠い目標である。
 結論ですか? つまり、精神科医はこの限界を自覚して、謙虚になれってことです。あ、尻切れトンボですか? すいませんね。
6月2日(火)

 短歌にはあまり詳しい方ではないのだけれども、啄木の歌は好きでときどき岩波文庫の歌集をひもといてみたりする。

かなしきはかの白玉のごとくなる腕に残せしキスの痕かな

正月の四日になりてあの人の年に一度の葉書も来にけり

 など、なんだか読んでるこっちが恥ずかしくなってくるような、まるで「サラダ記念日」のような歌もあったりするのだが、その一方で、啄木の幻視者としての一面が垣間見える歌もある。

大いなるいと大いなる黒きもの家をつぶしてころがりてゆく

見よ君を屠る日は来ぬヒマラヤの第一峰に赤い旗立つ

鳥飛ばず日は中天にとゞまりて既に七日人は生まれず

「なにを見てさは戦くや」「大いなる牛ながし目に我を見て行く」

とんとんとまたとんとんと聞きしことなき音壁に伝はりてゆく

 ちなみに、私が啄木にこういう妖しい歌があることを知ったのは、幻視者啄木を描いた山田正紀の長篇『幻象機械』を読んでからである。考えてみれば、私は、人生で大事なことはほとんどSFから学んだような気がする(こんなの大事じゃないって?)。

 妖気漂う短歌、という点で啄木の後継者といえるのがかの夢野久作。久作の歌は「猟奇歌」としてまとめられているが、鬼気迫るものを感じる啄木に比べ、フィクションの度合いが強くてやや迫力を欠く。それでも彼の作品群のエッセンスが凝縮されていて充分読み応えがあるのだけど。

水の底で胎児は生きて動いてゐる母体は魚に喰はれてゐるのに

色の白い美しい子を何となくイヂメて見たさに仲よしになる

殺すぞ! と云へばどうぞとほゝゑみぬ其時フツと殺す気になりぬ

やは肌の熱き血しほを刺しもみでさびしからずや悪を説く君

自分より優れた者が皆死ねばいゝにと思ひ鏡を見てゐる

 さて、ぐっと時代を下って、栗本薫にも『花陽炎 春之巻』という耽美歌集がある。歌の出来としては、啄木、久作に遥かに劣るのだが、ここで紹介するのは、ひとえにこの本を持っていることを自慢するためである。綺譚社から昭和59年刊、布装で化粧紙の箱入りというけっこう豪華な装丁だ。確か、この本はその後再刊されていないんじゃないかな。古本屋で入手したのだが、私の買った本には栗本薫のサインまで入っていた。

母の手にかゝりて死にし双生のかたはれを恋ふ浅春の昼

春の野にさまよひ出でよいまはたゞ狂死の母の亡霊を恋ふ

君のゐて電話をかけてくる夜中髪に溺れてわれひとり死す

魔境へと勇途出で立つ探検隊帰り来たらず大正終はる

少年がすまじき恋の刺青を肌に刺させて兄と呼ばれぬ

 なんというか、いかにも栗本薫らしい歌である(笑)。今読むと、これも彼女のその後の作品群のエッセンスなのだな。そういう意味では貴重な本かも。

 さて、話は変わる。妻が、会社でルーマニア人からおみやげをもらったといって(会社になぜルーマニア人がいるかは秘密(笑))、木製の絵皿を持って帰ってきた。絵皿を見ると、見覚えのある、髭にロン毛の男の顔が。おお、これはヴラド・ツェペシュの肖像ではないか。皿の縁には"DRACULA 1456-1462 TRANSILVANIA"とある。やはりルーマニアといえば最大の有名人はドラキュラということなのか(笑)。妻はドラキュラの悪口を言ったら怒られたそうで、ルーマニアではドラキュラは英雄、という話はよく聞くけどどうやら本当らしい。
6月1日(月)

 いつものように書店を巡回(笑)していると、『知の起源』なる大仰なタイトルの本が平積みになっている。「全人類史を覆す空前の天文学的発見」などという帯に、思わずトンデモの臭いを感じて手にとって見ると、なんとこれがあのロバート・テンプル『シリウス・ミステリー』の翻訳本ではないか。至るところで引用、紹介されながら、どうしたわけか今まで翻訳が出なかったトンデモ本の古典である(初版は1976年刊)。トンデモ本大賞に輝いたあのニャントロ星人の原点もこの本だ(パラパラとめくってみた限りではニャントロはほとんど出てこないようだが)。訳者は並木伸一郎、出版元は角川春樹事務所、と並べるだけでうさんくさくなってしまうのは仕方ない(笑)。表紙の著者名の上に大きく英国天文学協会会員と印刷されていて、怪しさ三倍増。しかしなんでこんな邦題つけたんだろうなあ。『シリウス・ミステリー』でいいのに。ずっと『シリウス・ミステリー』を読みたいと思っていた人は、きっと見過ごしてしまうぞ。
 横山信義の首都消失リアルヴァージョン?『東京地獄変』(幻冬舎ノベルス)、太田忠司初のショートショート集『帰郷』(幻冬舎ノベルス)、柴田よしきの「SFラブストーリーの傑作」(と裏表紙に書いてある)『RED RAIN』(ハルキノベルス)購入。3冊とも昔ならSFと呼ばれていたはずの本なのだけど、「SF」の文字があるのは『RED RAIN』のみ。このご時世にSFと銘打つ(裏表紙に小さくだけど)心意気がうれしいなあ。

 トロントにある小児病院のガブリエル・ブーリアン博士らが、ショウジョウバエの運動神経細胞に、老化に伴ってDNAを傷つける活性酸素を無害化するヒトの遺伝子を導入したところ、ハエの寿命を40%も延ばすことに成功したそうな。新聞の見出しには「人間の遺伝子組み込み、ハエの寿命4割延びる」とあるけど、この見出し、どう考えても『ザ・フライ』を意識しているよな。読者の感情に訴えて遺伝子治療への嫌悪感を助長するような、こういう見出しはやめてほしいなあ。反対するなら論理的にやってくれ>朝日新聞。

過去の日記

98年5月下旬 流れよ我が涙、将棋対チェス、そしてVAIOの巻
98年5月中旬 おそるべしわが妻、家具屋での屈辱、そしてジェズアルドの巻
98年5月上旬 SFセミナー、WHITE ALBUM、そして39.7℃ふたたびの巻
98年4月下旬 エステニア、エリート医師、そして39.7℃の巻
98年4月中旬 郷ひろみ、水道検査男、そして初めての当直の巻
98年4月上旬 ハワイ、ハワイ、そしてハワイの巻
98年3月下旬 メフィスト賞、昼下がりのシャワー室、そして覆面算の巻
98年3月中旬 結婚指輪、左足の小指の先、そしてマンションを買いませんかの巻
98年3月上旬 ポケモンその後、心中、そして肝機能障害の巻
98年2月下旬 フェイス/オフ、斉藤由貴、そしてSFマガジンに載ったぞの巻
98年2月中旬 松谷健二、精神保健福祉法、そしてその後の男の涙の巻
98年2月上旬 ナイフ犯罪、DHMO、そしてペリー・ローダンの巻
98年1月下旬 肥満遺伝子、名前厄、そして大阪の巻
98年1月中旬 北京原人、アンモナイト、そして織田信長の巻
98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

ホームに戻る