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6月20日()

 今日は家具を買いに新宿へ。アクタスと丸井インテリア館と回るが、結局買わず(またかい)。夕食は新宿三丁目の「ボスポラス・ハサン」でトルコ料理。ここで食べるのは2度目だけど、あいかわらず美味。
 9時からレイトショー『ディープ・インパクト』を見る。本日初日なのに客席はまばら。そんなに人気がないのか、と思ったら、そういえば今日はサッカーのクロアチア戦だったっけ。
 NIFTYなどでの評判があまりにも悪かったのでどんなクズ映画かと思ったら、どうしてどうして、SF者の琴線に触れるなかなかいい映画であった。これだから、前評判てのは当てにならない。
 地球に衝突する彗星を爆破すべく、人類の希望、宇宙船「メサイア」が宇宙へと旅立つ! 「メサイア」に搭載されているのは、彗星を爆破するための大量の核兵器、そして核爆発エンジン「オライオン」。オライオン! 懐かしい名前である。ダイダロス計画ってのもあったよなあ、そういえば。「メサイア」という名前からしても、ここは『降伏の儀式』を思い出すでしょ。
 そして「メサイア」は彗星に着陸し、彗星に降り立ったクルーが核爆弾を仕掛けるのである。科学的に正確なのかどうかは私にはわからないが、彗星着陸シーンが映像で描かれたのは、映画史上初めてではないか。このへんは、『彗星の核へ』かな。
 地上の人々のドラマはちょっとはしょりすぎで説明不足なきらいもあるが、けっこう泣けることは事実だ(このへんは『渚にて』というか『ひとめあなたに』みたいな感じ)。でも、彼らの感動的なドラマの裏では、民衆の暴動とか商店襲撃とか、シェルターに殺到する人々を射殺する兵士たちとか、正気を失った人々とか、いろいろと暗いドラマがあったはずなんだよなあ。そういう暗い部分を一切描かず、人間の美しい面だけを描いて感動を盛り上げているのは、ちょっとずるい、というか物足りない気がする。まあ、そこまで描いていたらいくら時間があっても足りないが。
 ただ、高校生の少年が偶然発見した彗星の存在を、政府が1年間も隠しておけた、なんていうのはどう考えても変(コメットハンターは全世界に山ほどいるんだから、1年もすれば軌道まで精密に計算され、インターネットで世界中に知れ渡っているはず)。
 少年の恋人の母親役で、スター・トレックTNGでターシャ・ヤー大尉を演じていたデニス・クロスビーを発見。あまりに老けていたので、最初は全然わかりませんでした。考えてみれば、スタトレはもう10年も前なんだよなあ。時の流れというのは残酷なものである。

 映画を見終わって新宿駅に着いたとたん、いきなりどっと人波が押し寄せ、駅も電車の中も大混雑に。どうやらサッカーが終わって帰るところらしいのだが、いったいどこに集まって見ていたんだ、この人々は。
 試合の結果は、彼らの表情を見れば一目瞭然。負けたわけね、やっぱり。
6月19日(金)

 以前はほぼ毎週のようにCDショップに行って新譜をチェックしていたものだが、最近ではあまりCDを聴かなくなったこともあり、めっきり足が遠ざかった。それでも久しぶりにCDショップに行くと、ついついいろいろと買い込んでしまう。最近じゃアウトロースターのエンディングテーマを歌っている新居昭乃のアルバム『そらの庭』にベストアルバム『空の森』、その新居昭乃とはいろいろと縁が深いカラクの6年ぶりのアルバム『七月の雪』、それにマイケル・ナイマンの新譜『スーツと写真』

 『週刊地球TV』によれば、韓国では「アダム」なる男性ヴァーチャル・アイドルが大人気で、CDの売り上げは15万枚に達したそうな。ドラマに出演したり、キャラクターグッズを出したりと大活躍で、今後は小説まで書く(!)とか。「アダム」のページを見る限り、我が日本が誇る伊達杏子とそう変わりないように見えるのだが、かの国と日本ではどこが違うんだろう。伊達杏子が流行らなかったのは、芳賀ゆいや藤崎詩織を経てきた90年代日本では、アイドルの虚構性なんてものはすでに周知で陳腐になっており、上から仕掛けられたヴァーチャルアイドルなんてものには誰も見向きもしなかったからだろうけれど、韓国ではそれがまだ新鮮だった、ということなのかな。
 それなら、伊達杏子も台湾とか香港に持っていけば売れるかも。千葉美加みたいに、日本で売れなくて香港で売れたアイドルもいることだし。伊達杏子よ、第二の千葉美加を目指せ(笑)。
 同じ番組で紹介されていたのだが、アメリカで大ヒットしているジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』という映画がなかなか面白そう。ある平凡な男の日常を24時間中継しつづける番組が大当たりしている近未来のアメリカ。ただひとり、その番組を見られないのが主演のトゥルーマン氏。実は彼の住む街全体が巨大なセットであり、彼が街で出会う人間はすべて俳優なのである。もちろん、彼だけはそのことを知らない。
 うーん、なんとも分裂病的というか、筒井康隆的な設定がSF心をくすぐる。早く日本でも公開されないものか。
6月18日(木)

 山田風太郎『太陽黒点』(廣済堂文庫)読了。結末で明かされる真相と特異な動機が印象に残るが、今まであまりに幻の傑作という評判ばかりが高かったせいか、期待はずれというわけではないものの、それほどものすごい作品とは思えなかった。風太郎ミステリなら『妖異金瓶梅』や『十三角関係』の方がすごいと思うのだけど。
 私にはむしろ、昭和38年に書かれたこの作品に出てくる学生たちのものの考え方が、現在とあまりにも違うことの方に驚いた。ヒロインの女子大生は、借金を返すためにたった一度だけ売春をするのだが、そのあと裸で男と抱き合っている自分の写真が送られてくる。実はそれは合成写真なのだが、「自分は売春したのだから、写真が合成でも本物でも同じこと」と、写真を送りつけてきた人物を亡きものにしようと考える。普通こんなこと考えるかなあ。当時の学生ってのは、本当にこんな思考をしてたんだろうか。わずか35年前の話なのに、まるで異文化である。
 そうそう、すでにいろんな場所で話題になっているが、この本はなんと帯、裏表紙のあらすじ、解説、そして折り込みの新刊案内と、あらゆる箇所でネタがバラされているという不憫な作品なので、買うときにはタイトルをちらりと確認したら、目をつぶってレジに持っていき、カバーをかけてもらってそれを絶対にはずさないまま読むこと(できるか、そんなこと)。廣済堂出版は何を考えているんだか。

 冬樹蛉さんが、6月16日の日記「たとえ狙って撃っていたとしても、報道では決まって少年は銃を“乱射”したことになってしまう」と報道の常套句について指摘しておられる。冬樹さんはそのあとで私の4月24日の日記から、罪を犯して捕まる医者は“エリート医師”だし、死体で発見されるOLは必ず“美人OL”になってしまう、という常套句の例をあげているが、今朝の「やじうまワイド」を見ていたら、もうひとつ似たような例を見つけた。
 犯罪などで大金を手に入れた場合、必ず使われる言葉が“荒稼ぎ”。どんなに理知的な犯罪でも“荒稼ぎ”というのは犯罪者に失礼ではないのか。「俺の犯罪はそんなに荒っぽいものじゃないのに」と思っている犯罪者もいないとはかぎらない。今日のニュースによれば、高校野球賭博で四億円を“荒稼ぎ”した男が逮捕されたというのだが、この犯人、地方予選のビデオまでチェックした上でオッズを決め、決勝戦のオッズは、まさに実際の試合の得点差と同じだったそうだ。ここまで高校野球を研究し尽くした上での犯罪なのに、使われる言葉は強盗と同じ“荒稼ぎ”。どうもおかしいと思うのだがなあ。
 冬樹さんにならって広辞苑を引いてみたところ、「(1)力わざの仕事、荒仕事。(2)手段を選ばずに荒っぽく、また一時にかせぐこと。強盗などにもいう」とある。やはり荒稼ぎは荒っぽくなければいけない。
 報道に限らずこの種の常套句ってのはけっこうあるもので、「住宅街」はやはり「閑静」でなければ感じが出ないし、一部で話題の「本好きにはたまらない」なんていうのも書評用語の常套句。
 書評といえば、郷原宏という書評家(詩人とも書いてあったが、この人の詩を見たことがないぞ)が文庫解説の締めに使う常套句はものすごい。「そこに一冊の○○(作家の名前を入れる)があるかぎり、私たちに退屈の二文字はない」というのだ。郷原さん、このフレーズがよっぽど気に入っているようで、たいがいの作家の解説に使っている(笑)。いやあ、さすがは詩人ですね。
6月17日(水)

 朝日新聞によれば、全国の消費者団体や有機農業グループなど76団体による「遺伝子組み換え食品いらない! キャンペーン」が日比谷で集会を開き、厚生省に「組み換え食品の禁止」を、農水省に「組み換え飼料の輸入禁止」を求め、「消費者の選ぶ権利を守るため、遺伝子組み換え食品の表示義務づけ」を要求したとのこと。
 遺伝子組み換え食品って、そんなに悪いものですかね。確かにリスクもわずかながらないとはいえないが、それよりもメリットの方がはるかに大きいと思うのだけれど。実は、私自身には、遺伝子組み換え食品に対する抵抗感は全然ないのだ。食品に「これは遺伝子組み換え食品です」と書かれていたとしても(安ければ)買って食べるだろう。こんなことを書くとまた「精神科医失格」とか言われてしまうかもしれないけど(笑)、そこまでヒステリックに反対する必要もないんじゃないかと思うのだが。
 検索エンジンで探してみると、出るわ出るわ、組み換え食品に反対するページが山ほど見つかった(賛成するページはほとんどなかったなあ。ここまで反対の声ばかりが大きいってのも不健全な気がするのだけど)。いろいろとのぞいてみたのだが、どうも禁止を訴える根拠がはっきりしない。最大の論拠は「安全性が確立されていない」ということらしいが、完全に安全性が確立された食物なんてあるのかな。種無しスイカや交配を重ねた穀物なんかも自然界にはありえない食品だと思うのだけどな。「遺伝子には現代医学ではまだまだわからないことが多い」とか「自然の法則に反する」とか言われても説得力がないし(遺伝子治療もダメなんですか)、多くのページは単に「不安だから不安」と繰り返しているばかりで、その根拠がよくわからないのだ。
 おそらく、反対の最大の理由は、「遺伝子を組み換える」という行為が「不自然」であって「神の領域」に触れているような気がするということなんだろうなあ。「自然の摂理に反している」ように思えるから、人々は感情的に嫌悪感を覚えるのだろう。そして困ったことに、感情的に「ぜったいにイヤ」という人に対しては、論理的な説得は通用しないのですね。これでは話し合いにならない。いくら安全な原発ができたとしても「原子力」という言葉を聞いただけで嫌悪感を示す人は多いだろうし、遺伝子組み換えにしたって同様だろう。
 まあ、嫌悪感を示す人がいる以上、表示を義務づけることには賛成するが、組み換え食品を禁止してしまうことは、長い目で見ればマイナスにしかならないんじゃないかな。組み換え食品が普及すれば、食品の値段は安定することになるわけだし、世界的な食糧供給のためにも、遺伝子組み換え技術は絶対に必要だと思うんだけどね。
 遺伝子組み換え食品については、一方的に反対するページが多い中で、ここのページは公平な視点で書かれており好感が持てた。作者の意見と読者からの感想が区別しにくいのが難点だけど。

 長山靖生『人はなぜ歴史を偽造するのか』(新潮社)購入。前著『偽史冒険世界』と同じく義経ジンギスカン説やら竹内文書やら怪しい歴史を扱った本なのだけど、「教科書が教えない歴史」なんかと同じ棚に置いてあったりするので見逃さないように。
6月16日(火)

 奥泉光『グランド・ミステリー』(角川書店)読了。いやあ、ひさびさに読み応えのある小説、というか「物語」を読んだという印象。戦記小説として始まり、推理小説、恋愛小説、SFと、次々とジャンルを横断していくこの小説は、壮大で豊穣な「物語」としかいいようがない。読みはじめこそ、息の長い文章にてこずらされたけど、至福の時間を味わうことができた。いやあ、小説って、本当にいいものですね(水野晴郎か、私は)。『「吾輩は猫である」殺人事件』も読まねば。

 このあいだ亡くなった吉田正氏に国民栄誉賞内定だそうだ。ふうん。なんだかどうでもいいや、という感じである。まあ、私はとっくの昔、手塚治虫に賞が与えられなかったときから、国民栄誉賞なんてものは見限っているのだが。
 それでもまだ、これまで国民栄誉賞をもらっていたのは、少なくとも私の知っている人だった。しかし、吉田正氏という人物のことは、死亡記事が出るまで私はまったく知らなかった。仕事帰りに駅売りの夕刊紙の見出しに大きく「吉田正氏死去」とあったのを見て、いったいこれは誰なんだ、阪神の元監督だっけ(失礼)、とか思って首を傾げたくらいである。妻にも聞いてみたが、妻も吉田正が誰なのか知らなかった。吉田正という(たとえ偉大な作曲家だとしても)こないだまで存在も知らなかったような人物が国民栄誉賞をとるというのは、なんだか不思議なことに思える。
 我々ふたりだけの例で一般化するのは危険だが、たぶん私くらいの年代の人間で吉田正氏を知っている、さらに何らかの思い入れがある、という人はきわめて少ないんじゃないだろうか。
 「吉田正」をキーにgooで検索してみたが、わかったのは有線大賞に吉田正賞なる賞があって、97年度の受賞者はSPEEDだったということくらい。吉田正氏は、「SPEEDは伸びるよ!」と興奮気味に話していたらしい。この時点ではとっくに伸びていたと思うのだが(笑)。infoseekでは、千葉県立小金高等学校校歌のページが先頭。ネット世界においては吉田正氏の位置づけは、この程度のものなのだ。
 つまり、国民栄誉賞は「国民」という言葉を冠してはいるものの、私らやネット使用者層のことなど眼中にはないのだ。所詮は、自民党の支持層である年配の地方在住者にアピールするためのものなのだろうな。
 私は、手塚治虫も藤子不二雄Fも星新一も、国民栄誉賞をもらってもおかしくないと思うのだけどなあ。芸能界でいえば、筒美京平が、数多くのヒット曲を作曲したヒットメーカーとして吉田正氏と共通していると思うのだけど、筒美京平が国民栄誉賞をとる……とも思えないなあ。
 現在ではヒットメーカーといえばやはり小室哲哉だろう。あと50年くらいしたら小室哲哉が国民栄誉賞をとるんだろうか。20歳くらいの連中は「小室哲哉、誰それ? なんか古くさい曲」と鼻を鳴らし、70、80のじいさんばあさんが「おお、懐かしいのう」と小室メロディを聴いて涙を流す日がきっと来るに違いない。うむ、そういう日が来れば、小室哲哉も国民栄誉賞をとるかもしれないな。まあ、50年後まで国民栄誉賞があるとも思えないけど。
6月15日(月)

 もう10年近く前から蔵書リストをこつこつと打ち込んでいるのだが、それによると私の蔵書はすでに6000冊以上はあるらしい。こんなに買ってどうしようというのか。一日一冊読んだとしても16年分(笑)。
 リストは別にデータベースソフトで作っているわけではなく、ベタなテキストファイル形式。結局はこれがいちばん便利な気がする。プラットフォームが変わっても使えるし、検索や加工にはAWKスクリプトやGREPを使えばいい。
 以前、作者別や出版社別の冊数をカウントしてみたところ、1位は栗本薫+中島梓、以下、山田風太郎、山田正紀、辻真先、荒俣宏の順であった。やはり多作家は強いな。しかし、山田正紀や荒俣宏がこれほど上位に来るとは意外である。辻真先は一時集めていたことがあるのだ。今じゃもうやめたけど。
 海外作家だと、ディクスン・カー、アシモフ、クーンツ、ディック、クイーンの順。つまらんランキングですね。
 出版社別では、もちろん、早川書房がダントツ1位(笑)。いったいどれだけの金を早川書房に貢いだことか。早川の社長は私の家に足を向けて寝ないように。
 さて、AWKスクリプトの練習代わりに、蔵書のタイトルに含まれる漢字のランキングというのも作ってみた。
1234567891011121314151617181920
 なんだか禍禍しい文字が並んでいるな(笑)。2位と3位は、上下巻の本が多いからでしょう。それを除けば上位は「殺人」の二文字。そんなにミステリ買ってたっけなあ。「・・物語」とか「魔界・・伝」とか、シリーズものに含まれている文字は順調に上位をキープしてますね。このランキングが何の役に立つのかって? 無論、何の役にも立ちません。役に立たないからこそおもしろいと思うのだが、おもしろいと思っているのは私だけか?

 以前、恥ずかしながらHTMLでは行間があけられないなどと書いてしまったのだが、最近ようやくやり方に思い至った(いや、お恥ずかしい話である)。そこで、文章の行間をあけてみると、おお、読みやすいではないか。もっともブラウザによっては以前と全然変わらないと思うのだが、まあ害にはなるまい。過去の日記も少しずつ変えていくことにしよう。

 順調に刊行を続ける異形コレクションの第5弾『水妖』を購入。
6月14日()

 子供のころから不思議に思っていたのだが、車体の右側に企業名が入っている場合、「輸運ータクドコイサ」という具合に右から左に書いてあるのはなぜなんだろう。進行方向と読む方向を一致させるためだろうか。それとも、左面とのシンメトリーを保つためなんだろうか。どっちにしろ読みにくいのであんまり意味があるとは思えないのだがなあ。
 信号待ちをしながら「サイコドクター運輸」と左から書いてある車と「輸運ータクドコイサ」と右から書いてある車をカウントしてみると(ヒマだね、私も)、ほぼ5対5の割合だった。思ったよりも少ない。大型トラックのドアの下あたりに書いてある「一般」の文字も、「一般」と「般一」が混在しているし、タクシーの横の地域名(?)も「日暮里」やら「田古江」やら会社によってバラバラである。
 私の記憶では、以前はもっと右からの車が多かったような気がするのだが、たぶん最近ではロゴが決まっている会社が多く、ロゴは勝手に左右反転させるわけにもいかないため、結果として左からの表記を採用する車が増えたんじゃないだろうか。
 ただ、運送会社はどうも保守的なところが多いらしく、ほとんどのトラックがいまだに右表記。それでも、数字だけは右から書くと混乱してしまうので、会社名は右からで、その下の電話番号は左から、というなんだか一貫性のない書き方をしているトラックも多い。そんなことをするくらいなら、会社名も左から書いた方が見やすいのに。
 社名にアルファベットや数字が入ることも多くなった今となっては、右からの表記はどう考えても時代遅れだと思うのだが。右からの表記では、数字が混在すると途端にわけがわからなくなってしまうのだ。そのいい例が、あるトラックのドアに書かれていた「号79第可認理処物棄廃」の文字。果たしてこれは79号なんだろうか、97号なんだろうか。これがアラビア語かヘブライ語なら、本文は右から、数字やアルファベットは左からという規則があるから、79号で間違いないんだけどな。トラックはすぐに目の前を通りすぎてしまい、左側の表記がどうなっているか確認できなかったのが残念。
6月13日()

 どうも、このところ私は映画の神様に見放されてしまったらしい。
 今日は有楽町へ出て『ディープ・インパクト』の先行オールナイトでも見るか、と思って上映40分前に映画館に行ったら、すでに「お立ち見」状態のため断念。CGだけのクズ映画という評判なのに、これほどまでに混むとはなあ(クズ映画とわかっていながらわざわざオールナイトを見に行く私も私だが)。
 仕方ないので隣の映画館でやっていた『追跡者』を見ることにする。映画の邦題はセンスのないものが多いけど、この邦題は、前作『逃亡者』と照応していて、原題U.S.Marshalsよりうまいという珍しい例。
 時計を見ると7時15分。7時20分上映と書いてあるので急いで館内に入ると、なんと、映画はもう始まっているではないか。しかも、前方の横の方の席しか空いていないので、スクリーンを斜めから見るしかない。立腹する妻。呆然とする私。あとで知ったのだが、私が見たのは平日のスケジュールで、土日は6時半上映開始だったのである。
 『オタク学入門』で岡田斗司夫が書いていたように、ハリウッド映画というのは、30分目までに登場人物をひととおり紹介して、第一の山場をつくるシステムになっているようで、30分を過ぎて入場した私のような人間は、人物関係がさっぱりわからなくて混乱してしまう。それでもなかなか楽しんで見られたってことは、最初から見れば、この映画はかなり面白かったんだろうな。
 次の回をもう一度最初から見ると、おお、伏線の数々が手に取るようにわかる(笑)。それに、囚人護送機墜落という、この映画最大のスペクタクルシーンも見逃していたようだ。たまにはこういう見方も、物語作りの参考になっていいかも。
 映画そのものは、手堅く作られた追跡サスペンス。オーソドックスなだけに、飽きずに見られる安定感がある。ウェズリー・スナイプスはハリソン・フォードに比べて小粒だけれど、主演のトミー・リー・ジョーンズの存在感で見せる。屋上に追い詰められて絶体絶命のシーンでの意外な脱出方法には、思わず島田荘司を思い出してしまった(笑)。
6月12日(金)

 病院からの帰り道、駅へ急いでいると、ちょっと前を歩いていたおばさんがいきなりかがみこんだ。かと思ったら、それっきりそのまま動かない。どうしたんだろう、と前に回ってのぞき込むと、そこにいたのは真っ白な子猫。おばさんは猫をあやしていたのであった。
 その子猫のかわいさときたら、筆舌に尽くしがたいほど。ちょっと首を傾げてみゃーおと鳴いたり、ごろごろと歩道に寝転がったりするしぐさときたら、おばさんでなくとも思わずあやしたくなってくる。ああ、なんでこんなにかわいいのか。この猫のためならすべてを失ってもいい(いや、嘘だけど)。
 私も猫の魔力に捕まり、しばらく猫をなでていたのだが、その間私の横を通りすぎる人たちが、2種類に分類できることに気づいた。
 まずは何事もなかったかのように通りすぎる人。
 そして、立ち止まって猫とたわむれる人である。同じ分類に属するけれど、少し勇気のない人たちは、「いいなあ、自分も猫と遊びたいなあ」と言いたげな表情でこちらを眺め、通りすぎたあとも未練がましそうに何度も振り返る(笑)。
 たぶん、人間のプロパティを開けば、数枚目のタブシートに「猫(C)」というチェックボックスがあって、生まれつきその猫属性がオンになっている人とオフの人とがいるんじゃないだろうか(ウィンドウズ95ユーザー以外には全然通じないネタですまん)。
 そんなわけのわからない比喩を使わなくても「猫好き」と「そうでない人」と簡単に表現できるって?
 そうかもしれんなあ(弱気)。

 池袋芳林堂にて、栗本薫『夢魔の四つの扉』(ハヤカワ文庫JA)、立川昭二『江戸病草紙』(ちくま学芸文庫)、精神医学のえらいひと中井久夫の『最終講義』(みすず書房)購入。そして、ああついに山田風太郎『太陽黒点』(廣済堂文庫)刊行! 傑作と謳われながら、昭和40年代以降一度も再刊されず、きわめて入手困難だった幻の長篇ミステリー。古書市に出れば一万円は下らないこの本が、たったの543円+税で手に入るなんて、なんていい時代になったんだろう(感涙)。
 宗教書コーナーに行ってみると、聖書関係のトンデモ本が2冊も出ている。『イエス・キリスト空白の17年』は、イエスは青年期にチベットへ旅して聖人となっていた、と主張する本。まあ、青森で死んだくらいだから、チベットにいたとしても全然不思議はないのですが(笑)。そういえば、シャーロック・ホームズも空白期に東洋を旅していたという説があったなあ。これは立ち読みだけで買わず。
 もう一冊はC・H・カン&E・H・ネルソン『旧約聖書は漢字で書かれていた』(同文書院)。タイトルだけでもうネタは明らかですね(笑)。「船」という漢字は「舟」に「八」人の「口」(=人)が乗っているということで、これはノアの方舟にノアとその妻、3人の息子とそれぞれの妻、計8人が乗っていたということを示しているらしい。また、「福」という字は「ネ」=神であり、「一」=最初と「口」=人でアダム、「田」はエデンの園。つまり、最初の人間アダムにとって、幸福とは神に与えられた園にいることだった、という意味を表しているのだそうだ。とにかく全編この調子で突っ走るものすごさ。これは次回のトンデモ本大賞の有力候補になるんじゃないかなあ。思わず買ってしまいました、私(馬鹿?)。
6月11日(木)

 そういえば、国書刊行会の世界探偵小説全集は刊行が止まっているけどどうしたのかな?
 ついでに言えば、福山庸治が何年か前週刊モーニングに連載していた「臥夢螺館」がもう一度読みたくてたまらないのだが、あれはいつになったら単行本になるんだろう? たぶん、福山庸治のことだから、自分の満足のいく作品になるまで執拗に加筆やら訂正やらしているのだろうけど。

 「ニュース23」で精神分裂病の特集。今まで一般の人々の目から隠され、ほとんど「触れてはならないタブーゾーン」のような扱いだった分裂病にスポットを当てたことは、とりあえずほめておきましょう。
 番組は、「自分は分裂病です」と隠すことなくカムアウトして各地で講演をしているという青年の生活を追っていき、その前後に青年自らが分裂病のイメージについて街の人々にインタビューした映像が入る、というもの。街の人々の回答はというと、「こわい」「何をするかわからない」「二重人格みたいなもの?」などといった幼稚な反応ばっかり。そうかー、普通の人の分裂病観ってのは、この程度のものなのか。分裂病患者と毎日接するような仕事をしていると、その辺の感覚がわからなくなってしまう。
 しかし、この特集自体はあまりにも踏み込みが浅すぎて不満が残る。登場した青年は、私が画面で見たかぎりでは、現在のところ分裂病の症状はまったくないように見えた。おそらく、分裂病の中でも非常に軽い病態なのだろう。そして、画面に登場する分裂病患者はこの人ひとりだけ。妄想を延々と語ったり、何かに聞き入るしぐさをして笑ったり、大声で叫んだりするような重症の患者は登場しない(もちろん、人権問題になるので登場させることができないのだ。マスコミが取り上げにくいので分裂病の実態は世の中にはなかなか知られず、そのため分裂病への偏見が高まる、という悪循環がある)。分裂病という病気そのものについての説明もほとんどない。これでは、分裂病という病気が、実際よりもずっと軽い病気だと誤解されてしまいかねない。
 分裂病はこわくなんかないんだよ、と言いたいのだろうが、これでは新たな誤解を生んでしまっているんじゃないかなあ。
 言っておくが、分裂病はこわい、という一般の人の意見はまったく正しい。別に、暴力的だからとか何をするかわからないから(今日は詳しくは書かないけど、これは間違い)、というのではない。分裂病というのが、自我が障害される病気だからだ。普通の病気や怪我ならば、失明したとしても脚を失ったとしても、自分はあくまで自分である。しかし、分裂病では自分が自分であるということ自体が揺らいでしまう。自己と他者の境界があいまいになってしまう。だから、自分の考えがまるで他人の声のように聞こえたり(幻聴)、自分の考えが他人に取られるように感じたり(思考奪取)してしまうわけだ。これがこわくないわけがあるだろうか。
 本当に精神分裂病への偏見をなくすつもりなら、まずは分裂病の実態を正確に伝える必要があるんじゃないかな。テレビという媒体ではそれが難しいのもよくわかるのだが。

過去の日記

98年6月上旬 YAKATA、「医者」というブランド、そしてなんでも鑑定団の巻
98年5月下旬 流れよ我が涙、将棋対チェス、そしてVAIOの巻
98年5月中旬 おそるべしわが妻、家具屋での屈辱、そしてジェズアルドの巻
98年5月上旬 SFセミナー、WHITE ALBUM、そして39.7℃ふたたびの巻
98年4月下旬 エステニア、エリート医師、そして39.7℃の巻
98年4月中旬 郷ひろみ、水道検査男、そして初めての当直の巻
98年4月上旬 ハワイ、ハワイ、そしてハワイの巻
98年3月下旬 メフィスト賞、昼下がりのシャワー室、そして覆面算の巻
98年3月中旬 結婚指輪、左足の小指の先、そしてマンションを買いませんかの巻
98年3月上旬 ポケモンその後、心中、そして肝機能障害の巻
98年2月下旬 フェイス/オフ、斉藤由貴、そしてSFマガジンに載ったぞの巻
98年2月中旬 松谷健二、精神保健福祉法、そしてその後の男の涙の巻
98年2月上旬 ナイフ犯罪、DHMO、そしてペリー・ローダンの巻
98年1月下旬 肥満遺伝子、名前厄、そして大阪の巻
98年1月中旬 北京原人、アンモナイト、そして織田信長の巻
98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

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