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11月10日(火)

 この間の日曜のことだ。私は妻に買い物を頼まれ、近所のスーパーに行くことになった。ネギやキャベツ、ウーロン茶を買ったあと、メモのいちばん最後に目を走らせたところ、そこには鉛筆書きの妻の文字でこう書かれていた。
「生クリーム(動物性)」
 これがのちに大きな問題となろうとは、そのときの私は知る由もなかった。
 クリームなら乳製品だろう、ということで私は乳製品売り場に向かった。しかし、生クリームという文字はどこにもない。売り切れか? 私は困惑した。よく見ると、「生クリーム」はないが、「ホイップ」と大きく書かれた紙容器がある。そういや「ホイップクリーム」という言葉を聞いたことがある。これだろうか。
 ただ、生クリームとホイップクリームってのはなんだか違うような気がする。どう違うのかはよくわからないが、名前が違う以上、まあ違うんだろう。それに、手にとってみると、どうやらこれは植物性脂肪らしい。パッケージにも「生クリーム」とはどこにも書いていない。どうもこれは違うようだ。
 探してみても、「ホイップ」はあるが「生クリーム」はない。私は困惑して、そのへんの売り場を必死に探し、ようやく乳製品売り場の脇で、袋に大きく「生クリーム」と書いてある品物を発見した。これだ。これに違いない。私はそれを買い、意気揚揚と家に帰ったのであった。
 しかし、あにはからんや、自宅に戻った私を待ちうけていたのは、不満げな妻の顔であった。妻は眉をひそめ、これではない、というではないか。実は、私が買ってきたのは、コーヒー用に小さな容器に分けて包装されたクリームの袋詰め。ちゃんと「十勝産生クリーム使用」と大きく書いてある。妻が買ってきてほしかったのは、これじゃなくて、料理用の生クリームなんだそうな。しかし、これ以外「生クリーム」と書かれた商品はひとつもなかったんだけどなあ。
 そして今日、今度は自分で同じスーパーに買い物に行ってきた妻は、「スジャータ 純乳脂40」という名の商品を買ってきて、これが生クリームだ、という。
 え? 私は絶句した。これなら、この前の買い物のときにも気づいてたし、手に取ってもみた。しかし、パッケージのどこにも「生クリーム」という文字はなかったので、結局これは違うだろう、ということで私が棚に戻した商品なのであった。
 これが生クリーム?しかし、「生クリーム」とはどこにも書いていないのか。なんでこれが生クリームなの? そんなのわからないじゃん、と言ってみても、妻は、これが生クリームなのだ、というばかり。そうなの?
 生クリームなら、「純乳脂」などとわけのわからん名前をつけずに、大きく「生クリーム」と書かんかい。それとも、生クリームなのに生クリームとは名乗れない、何か後ろ暗い理由でもあるのか。
 私は間違っていますか?(たぶん、間違ってるんだろうな。ああ、わかってるとも)

 鎌倉シネマワールド、採算が合わず来月で閉鎖だそうな。ま、当然といえば当然か。松竹系の劇場で映画を観ると必ず宣伝をやっていたが、何度見ても行ってみたいとは思えなかったものなあ。地元だというのに、最後まで行かなかったな。

 今週は毎日、深夜のBS2で「香港の黒沢明」キン・フーのアクション映画の連続放映。きのうは、のちにツイ・ハークが(無断で)『ドラゴン・イン』としてリメイクした『龍門客棧』。今日は傑作中の傑作といわれる『侠女』の第1部。このあいだ買ったビデオが早くも役に立つぜ。録画録画っと。
11月9日(月)

 家に帰ると、早川書房から封筒が届いている。
 なんだ、なんだ、いったいなんだ、これは、と頭の中疑問符だらけになりながら開けてみると、おお、年間ベストの依頼ではないか。私のことを覚えてくれていて、しかもまたも書かせてもらえるとはありがたい話である。
 しかし、よく読むと、11月20日が締め切り。げげ。あと10日くらいしかないじゃないか。ベストを選ぶということなら、やっぱりいちおう今年の話題作くらいは押さえておかなければなあ。今は『屍鬼』を読んでいるところなのだが、『レッド・マーズ』も早く読まなきゃ。
 『夏のロケット』と『ヴァスラフ』も私ごのみな話っぽいし、そうそう、『クロスファイア』も読んでおかなくちゃ(10日でこんなに読めるのか?)。しかし、そろそろネットに上がり始めた感想を読むと、誰もが『クロスファイア』の前に『鳩笛草』を読んでおくべきだと言っているではないか。これは困った。
 とはいっても、別に、本屋を探しても『鳩笛草』が見つからないというわけではない。そうではないのだ。買ってないならまだいい。本屋を何軒か回れば見つかるだろう。私の場合、確かに買ったはずなのだが、積ん読本の中に埋もれてしまい行方不明なのである。もちろん未読。つまり、『鳩笛草』を読むためには、うちに積んである膨大な本の山の中から見つけ出さなければならないというわけだ。しかも、去年引っ越しをしたおかげで、どこに何の本があるのかさっぱりわからない状態とくる。これはまさに二十億の針の中から一本の針を探し出すにも等しい。げげげ。考えただけでもげんなりする。
 そんなことなら、いっそもう一冊買ってきた方が早いような気もするのだが……うーむ仕方ない、本の山をひっくり返して探すかなあ、『鳩笛草』。
11月8日()

 すでにあちこちで、これが短歌? と悪い意味で話題になっている向井千秋さんの「宙返り何度もできる無重力」という上の句だけれど、私としては野尻抱介さんの意見がいちばん的を射ていると思うなあ。
 向井さんは、宇宙で宙返りが何度もできたことが、純粋に、本当に、心から、素直に、うれしかったのだ。別に何の含むところもなく、ただただうれしかったのだ。でなきゃこんな歌詠みませんて。確かに稚拙な歌ではあるのだけれど、ここは宙返りが何度もできたことに対する純粋な喜びを汲みとってあげなければダメでしょ。ゆえに、下の句でも、そのうれしさを表現しなきゃいけない。あるいは、何度もできていいなあ、という羨望ですな。「何もできない政治の無力」とかそういう、ニュース番組の解説者(木村太郎だっけ)が喜んでつけていたような下の句は全然ダメ。なんですべて政治問題に結びつけなきゃ気がすまんのかね、こういう人たちは。そもそもそれじゃ短歌じゃなくて狂歌だぞ。向井さん自らこれは短歌だと言っておろうが(いくら短歌とは思えなくても)。
 たとえば……。

 宙返り何度もできる無重力 これやりたさに苦節十年
 宙返り何度もできる無重力 体丸めて高速回転!
 宙返り何度もできる無重力 いつもより余計に回っております
 宙返り何度もできる無重力 慣性飛行でどこへでも(自由!)

 全然ダメじゃん(笑)。
 まあしかし、結局これは向井さんの個人的な喜びなわけで、そんなもんに国民がつきあってあげる義理はないと思うけど。
11月7日()

 Internet Movie Databaseは、公開された作品が調べられるのはもちろんだけど(ただし日本や香港などアジア系の映画には弱いようだ)、制作が予定されている作品まで検索できるのがおもしろい。
 たとえば制作年は「1999-2005」、ジャンルは「Sci-Fi」(「サイファイ」って呼び名はけっこう一般的らしい)で検索してみると、いろいろと興味深いタイトルがひっかかってくる。
 たとえば、"Fahrenheit 451"(メル・ギブスン監督!)なんていうタイトルが上がっているかと思うと、"Martian Chronicles"なんてのもある。
 "Rendezvous with Rama"は、デイヴィッド・フィンチャー監督、モーガン・フリーマン主演らしいが本当に映画になるんだろうか。
 もうひとつ、本当に? と疑いたくなるのが、グレゴリイ・ベンフォード原作の"Cosm"。ヤン・デ・ボン監督でダスティン・ホフマン主演? うーむ。
 "Hitchhiker's Guide to the Galaxy"の監督はオースチン・パワーズの人ですな。なるほど。
 "Impostor"という映画はディック原作らしい。原作は何なんだろう。
"Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring"。これは2000年から2001年にかけて3部作として公開予定らしい。実写なんだろうな。
 主人公の顔が怖いと日本ではヒットしなかったゲーム"Tomb Raider"も、海外では大人気らしく映画化の予定があるらしい。しかもリュック・ベッソン?
 スーパーマンの監督を降りたティム・バートンの新作は、古いSF映画のリメイク、"X: The Man with the X Ray Eyes"ですか。スーパーマンよりずっとバートンらしい映画のような気がする。
 しかし、中でももっとも期待しているのがこれ。このタイトル、馬鹿っぽくていいではないですか。いったいどんな話なんだろうか。わくわく。

 今日は思いっきり手抜き日記になってしまった。すまんね。
11月6日(金)

 今日は東京国際ファンタスティック映画祭の最終日。一日休みをとって、ジェット・リー2本立てを観に行く私と妻。
 まずは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ・アンド・アメリカ』。もっと短いタイトルつけた方がいいと思うんだが、まあそれはともかく「ワンチャイ」シリーズ久々の復活作品は、シリーズでおなじみの黄飛鴻一行がなぜかアメリカ西部に出現、インディアンやならず者たちと戦う物語。もう何の説明もなくいきなりアメリカなのである。しかも映画が始まってしばらくすると、主人公は川に落ちて岩に頭を打ち、記憶を失ってしまう。このこてこてで強引な展開にはもうあっけに取られるばかり。
 なぜアメリカにいるかというと、弟子が西部に病院を開業して1周年になるので招かれたのだそうだ。そんな簡単な理由でいいのか。それに、劇中でも、中国からアメリカまでは船で半年の距離だと言っていたような気がするのだが……。まあ、そんな細かいことを気にしていたらこの映画は楽しめない。
 脚本の破綻や納得の行かない点は山ほどあるが、すべてをジェット・リーのアクションとテンポのいい演出でねじ伏せた快作。今までありそうでなかった拳銃対カンフーの異色対決も堪能できる。久しぶりに香港カンフー映画らしい映画を楽しませてもらいました。

 二本目は、香港映画には珍しいSFアクション『ブラック・マスク/黒侠』。ツイ・ハークと喧嘩別れしていたジェット・リーが、ひさびさにツイ・ハークとコンビを組んで撮った作品。
 主人公は、かつて某国で痛覚神経を切除されるという改造手術を受けた極秘部隊701団の超戦士だったが、今は香港に逃れて真面目な図書館員として働いている。そんな中、701団が香港に出現、マフィアのボスを次々と襲撃し始めた。黒社会を乗っ取るつもりらしい。主人公は仮面をかぶり「ブラック・マスク」として701団に戦いを挑むのだ!
 この映画には欠点が多いが、その中でも最大のものは、マスクがあまりにもかっこ悪いことにつきる。なんだかダンボールで適当に工作したようなマスクなのである。こんなマスクつけて戦われてもなあ。ジェット・リーの魅力は、あの童顔で鋭いアクションを見せるアンバランスさにあるのに、顔が見えなければ魅力半減である。画面も全体に暗くて、1本目みたいなアクションの爽快さもあまり感じられない。私にとっては1本目に比べてかなり退屈な映画であった。
 ところでこの映画、ヒロインは妙に軽いノリでうるさく主人公にまとわりついてきて、単なる自分勝手な馬鹿女としか思えないのだけれど、なぜか最後は主人公と結ばれてしまう。香港映画っていうと、こういうキャラクターが多いのだが、香港ではこういう女性が人気なんだろうか。それともツイ・ハークの好みなのかな。

 映画が終わってロビーに出てみると、馳星周が大物然として握手とかサインとかを求められてました。
11月5日(木)

 ヴェルサイユ宮殿では、国王ルイの排便の場に居合わせることは、これ以上ないほどの名誉であり、もし王がたっぷりと排便したときは、その日一日、宮廷中が晴れやかになったという。

 アリストテレスは『経済論』でこう書いている。「よき主婦というのは、尻を拭いたあと、糞紙を衣服のかくしにしまい込み、次回にまた使うか、ジャムを包むのに用いる女をいう」。だが、アリストパネスによれば、古代ギリシア人は、小石を使って肛門を拭いていたらしい。

 ローマの皇帝ヘリオガバルスは、ともに食事をした相手に残酷な仕打ちをして愉しんだ。彼らがたっぷり飲むのを見てから、手足と排尿器官を縛り上げ、排尿できないようにした。彼は、人々がそうして死んでゆくさまを眺めていた。

 中国には、石灰を満たした樽や箱に胸まで埋めるという拷問がある。食糧は罪人の手の届く場所に置くが、塩辛いものばかり。水も自由に飲めるが、排尿してすっきりした瞬間、石灰が生石灰に変わって、今度は逆に罪人に激しい痛みを与えることになる。この繰り返しで、罪人は爛れ死ぬのである(引用者註・正しくは「生石灰が消石灰に変わる」だと思うが)。

 天文学者ティコ・ブラーエは、神聖ローマ皇帝ルドルフ二世の旅行に随行したとき、差し迫った尿意を口にすることができず、それが原因で発症した尿閉に長い間苦しめられ、二年足らずで死去した。彼の墓碑銘は「この上なき学識を誇りながら、礼儀のために落命せし男、ここに眠る。その人生を一言で言おうなら、賢者として生き、愚者として死んだ男」。

 日露戦争で戦った日本軍の司令官奥保鞏(おくやすかた)は、多くのフランスの諷刺画の題材になった。"Oku"はフランス語の"Oh, Cul!"(おお尻)と同音だからである。「奥将軍を記念して日本海を奥海と改名」などという漫画もある。「奥海(ラ・メル・ドキュ)」は「尻の糞(ラ・メルド・キュ)」の駄洒落。

 などなど、糞尿にまつわる役に立たない知識がどっさり紹介されているジャン・フェクサス『うんち大全』(うーん、すごいタイトルだ)購入。こいつは無類におもしろい。

 深夜のテレビ東京でやっていた61年の米国映画『冷凍凶獣の惨殺』を見る。おお、これは本格怪獣映画ではないか。美しいコペンハーゲンの街を襲う怪獣! 戦車や軍艦、銃器などは実際の軍隊の協力を得ているためかものすごい迫力なのだが、怪獣の特撮は「プルガサリ」並みというあまりのアンバランスさがへろへろで楽しい。Internet Movie Data Baseで調べてみると、この映画らしい。なんとマニアックなものを。テレ東恐るべし。
11月4日(水)

 朝、通勤電車に乗ったら、なぜだか異様に混んでいる。いつもは文庫本くらい読める程度の混みようなのだが、今日に限っては車内はぎゅうぎゅう詰めで、手足すら動かせないほどの恐ろしい混雑ぶり。なんでもドアコックがいたずらされたおかげでしばらく山手線が止まってしまい、20分ほどの遅れで運行されているとのことである。迷惑な話だ。
 電車に乗った(というより押し込まれた)とき、私は過ちを犯したことに気づいた。他の客はドアの側を向いているのに、私だけが他の客と向かいあうようになって中を向いているのである。他の客は申し合わせたかのように、ほとんど全員がドア側を向いている。しまった。こういうときは外を向くものであったのか。

 このとき私が思い出したのは、以前、エレベータに関するある疑問を確かめるべく実験をしたときのことである。エレベータに乗ったとき、全員がドア側を向いて立つのはいったいなぜなのだろうか。最近のエレベータは階数を音声で教えてくれるものも多く、ドア上の階数表示を常に見ていなければならないとも思えない。横を向いたり後ろを向いたりしてもいいじゃないか。こういった疑問を抱いた私は、あるとき、試しに壁側を向いて立ってみたのである。結論。壁側を向いても特に問題はない。ただし、エレベータに乗った全員の視線が自分に注がれているような気がすること以外は。これは非常に気まずいものであった。そして私はもう二度とこんな実験はするまい、と硬く心に誓ったのだった。

 あの誓いを覚えておきさえすれば。私は深く後悔した。なぜなら、私の顔のすぐ前に大学生らしい男性の顔があったのである。顔と顔の距離は30センチ程度。胸から下は完全に密着している。これはつらい。私と大学生風は、お互いなるべく目を合わせないようにして、次の駅までの数分間をやりすごしたのであった。
 これが若い女性ならよかったんだけどなあ、と思ってしまう私はすでにオヤジになりかけてますか?

 中学高校の6年間、通学のとき毎日のように眺めていた大船観音の表紙に惹かれて『ぬっとあったものとぬっとあるもの』(ポーラ文化研究所)購入。6年間毎日眺めていながら、あの奇怪な観音像の由来について調べようともせず、この本を読んで初めて知ることになったのは我ながら情けない。
11月3日(火)

 秋葉原にビデオを買いに行く。
 昔買ったビデオは1年くらいしたら録画機能がぶっ壊れてしまい、以後再生専用ビデオと化していたのだが、録画ができないというのはさすがに不便なので、買いかえることにしたのだ。
 妻は絶対に録画した番組のインデックスがつかないとイヤだというので、テープナビ機能のついている日立のビデオを選ぶ。最近話題のS-VHS ET機能もついている最新機種なのだが、これが55000円とはビデオも安くなったものである。昔は10万円以上したもんなあ。しかし、数年前まではビデオといえば黒いのが多かったのだけれど、最近じゃほとんどすべてがメタリック。黒の前はまたメタリックの時代があったような気がするので、これは流行なんだろう。いくらなんでも、ここまで各社が全部同じ色にしなくてもいいのではないか。もうちょっと個性があってもいいと思うんだけどなあ。まあ、昔の木目調テレビってのもどうかと思うが。
 家に持ち帰ったビデオは、早速妻が接続(妻はこういうオーディオ機器の接続が得意なのである)。すると、なんと見られるチャンネル数がかなり増えた。増えたのはケーブルテレビのチャンネル。実は、去年買った東芝のワイドテレビは、CATVが38チャンネルまでしか映らなかったのである。44チャンネルや45チャンネルの、無料の映画チャンネルはいくら見たくても映らなかったのが、今ようやく見られるようになったというわけだ。

 ああ、あのとき違うテレビを買っとけばなあ。当時は平面ブラウン管テレビといえばソニーのベガひとつしかなく、平面テレビはまだ普及するかどうかわからない、などと言う後ろ向きなオノデンの店員の言葉に丸め込まれて従来型のテレビを買ってしまったのだが、1年後に同じ売り場に行ってみればどこを見ても平面テレビだらけではないか。ワイドテレビ自体は、単に顔が横長になるだけで全然意味がないと思うけど、今考えると画面はやっぱり平面の方が遥かにいい。
 しかも、東芝のテレビにはITヴィジョンなどというほとんど使わない(テレビ東京の一部の番組しか対応していない)機能がついており、リモコンにもITヴィジョン関係のキーがやたら目立つところに並んでいる。これが使いにくいことこの上ない。東芝がこの機能に力を入れていることはわかるが、だからといって使いもしない機能のキーをリモコンの真ん中に置かなくてもいいだろう。
 さらに、音声を副音声に切りかえるというただそれだけのことをするために、
(1)リモコンの蓋を開ける
(2)メニューキーを押す
(3)カーソルキーを2回押して「音声切換」を選ぶ
(4)「決定」キーを押す
(5)「主音声/副音声」にカーソルがあるので「決定」キーを押す
(6)カーソルキーを1回押して「副音声」を選ぶ
(7)「終了」キーを押す
という7つものステップが必要なのである。主音声に戻すには、当然もう一度同じステップを繰り返す必要がある。嫌がらせか、これは。つまり、東芝は、音声切換というのはほとんど利用しない機能だと思ってるわけね。へえ、それが東芝の思想というわけだ。
 必要のない機能が目立つ場所にあって、簡単に操作できるべき機能は奥に隠れているというのは、人間工学的に最悪のデザインである。東芝の商品に対する考え方はよーくわかりました。先を見る目がない店員のおかげで、我々はクズのようなテレビを買ってしまったというわけだ。ちっ。

 まあとりあえず、これで深夜アニメを見るために遅くまで起きている必要もなくなったし、スーパーチャンネルのスタートレック・ヴォイジャー24時間放送への準備も万端。これでより豊かなオタク生活が送れるというものである。
11月2日(月)

 ニール・スティーブンスン『スノウ・クラッシュ』(アスキー出版局)ようやく読了。主人公はしがないピザ配達人だけどひとたびサイバースペースに入れば最強の剣士。その彼がひょんなこと(本当に「ひょんなこと」といった感じなのだ)からスケボーを操る美少女と知り合って……というオープニングは、なんだかアニメかコミックになりそうな話。確かにサイバーパンクではあるんだけど、ギブスンほど文学臭さが感じられず、リーダビリティは抜群。これがあと数年早く訳されていれば、サイバーパンクのイメージも変わっただろうに。
 しかも、ただのサイバーパンクなのかと思ったら、途中からいきなり本格歴史宗教SFの要素がからんできてしまうのには驚いた。でも、これだけの設定が、すべて主人公と人工知能の会話で処理されてしまうのはもったいないなあ。
 今年の海外SFの中でも一二を争う傑作。難点は、ちょっと長すぎることくらいかな。それに、も少しラブコメ成分が高いといいかも(笑)。

 病院帰りに池袋西武のリブロに向かっていたところ、偶然知り合いに声をかけられたかと思ったら、挨拶も早々にいきなり「多重人格について教えてください」とか訊かれて狼狽する。あまりに突然でうまく答えられなかったが、精神科医としては、そんなときでもちゃんと答えられなきゃいけないかもな。でも、多重人格を扱った科学書なら、私よりずっとたくさん読んでいるのでは>森山さん
11月1日()

 さて、きのうの東京ファンタ「ダークサイド・オールナイト」の続き。
 3本目、『カルミーナ』は、親の決めた結婚を嫌ってトランシルヴァニアからカナダに家出してきた吸血鬼の女の子が主人公のスラップスティックコメディ。ギャグ満載な上に、古今の吸血鬼映画からの引用が多くて楽しい。この映画、途中までフランス語の字幕が出るのだけれど、登場人物が「字幕が邪魔だ!」と言い出して以後字幕がでなくなってしまうというメタなギャグには驚きました。こんな機会でもなければ絶対に見なかった作品だけど、なかなかの佳作。『CUBE』といいこれといい、カナダ映画も捨てたもんじゃありませんね。

 最後の『タロス・ザ・マミー』は、タイトル通りミイラ男ものなのだが、ミイラ本体ではなく、包帯が人を襲うというのは確かに新機軸。でも、アイディアはいいんだけど、しゅるしゅると包帯が飛んできて人間に巻きつくというのは、映像で見るとけっこう情けない。ストーリーも思いっきりB級で、なんだかテレビ東京で夜中にやっているような映画である。ラストにはいくらなんでもこりゃないだろう、というような掟破りのオチが待ち構えているが、別にそれで映画全体の評価が上がるほどのものでもない。まあオールナイトなんだから、こういう「寝どころ」の映画もないとね。私は半分くらい寝ていたけど、それでもストーリーの理解には全然問題なかったと思います(笑)。
 全部終わったのは朝の7時過ぎ。帰りには高橋良平さんと堺三保さんが眠そうに歩いているのを目撃。狂乱西葛西日記によれば大森望さんも来ていたようだけど、お会いできず残念でした。
 家に帰ってからはひたすら眠って一日が終了。
 次はクロージング前のジェット・リー二本立てを見に行く予定。

過去の日記

98年10月下旬 井上陽水、アレルギー・マーチ、そして東京ファンタの巻
98年10月中旬 詰め将棋、出版記念パーティ、そしてあいまいさの巻
98年10月上旬 精神分析、万能ネギ、そしてオタクの結婚の巻
98年9月下旬 栗本薫、SF者オフ、そしてどきどきポヤッチオの巻
98年9月中旬 アダルト・チルドレン、パイレーツ、そして大脱出の巻
98年9月上旬 ミニー・ドライバー、テポドン、そしてさようなら高野書店の巻
98年8月下旬 夏休み、怠惰、そして堕落の巻
98年8月中旬 濁点、金縛り、そしてこれは球史に残る名勝負なんかじゃないの巻
98年8月上旬 クリスマス・プディング、アーモンド臭、そしてのどの小骨の巻
98年7月下旬 医療保険制度、泳げたいやきくんの謎、そしてミヤイリガイの巻
98年7月中旬 GODZILLA、解説の詩人・郷原宏、そしてSF vs ホラーの巻
98年7月上旬 俳句自動作成ソフト「風流」、木々高太郎、そして太田裕美の巻
98年6月下旬 さらばジオシティーズ、水中毒、そしてLSDの巻
98年6月中旬 精神分裂病、6000冊、そして遺伝子組み換え食品の巻
98年6月上旬 YAKATA、「医者」というブランド、そしてなんでも鑑定団の巻
98年5月下旬 流れよ我が涙、将棋対チェス、そしてVAIOの巻
98年5月中旬 おそるべしわが妻、家具屋での屈辱、そしてジェズアルドの巻
98年5月上旬 SFセミナー、WHITE ALBUM、そして39.7℃ふたたびの巻
98年4月下旬 エステニア、エリート医師、そして39.7℃の巻
98年4月中旬 郷ひろみ、水道検査男、そして初めての当直の巻
98年4月上旬 ハワイ、ハワイ、そしてハワイの巻
98年3月下旬 メフィスト賞、昼下がりのシャワー室、そして覆面算の巻
98年3月中旬 結婚指輪、左足の小指の先、そしてマンションを買いませんかの巻
98年3月上旬 ポケモンその後、心中、そして肝機能障害の巻
98年2月下旬 フェイス/オフ、斉藤由貴、そしてSFマガジンに載ったぞの巻
98年2月中旬 松谷健二、精神保健福祉法、そしてその後の男の涙の巻
98年2月上旬 ナイフ犯罪、DHMO、そしてペリー・ローダンの巻
98年1月下旬 肥満遺伝子、名前厄、そして大阪の巻
98年1月中旬 北京原人、アンモナイト、そして織田信長の巻
98年1月上旬 さようならミステリー、星新一、そして日本醫事新報の巻
97年12月下旬 イエス、精神分裂病、そして忘年会の巻
97年12月中旬 拷問、ポケモン、そして早瀬優香子の巻
97年12月上旬 『タイタニック』、ノリピー、そしてナイフで刺された男の巻

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