楽しいことと悲しいことがひとつずつあった日。
フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート』(ハヤカワ文庫SF)読了。ディックの作品は、長篇、短篇それぞれに独特の魅力があるけれど、理屈抜きにおもしろい作品といったらやっぱり短篇の方だろう。本書は、1947年から1966年までの間に書かれた短篇を集めた作品集。落ち穂拾い的短篇集にも関わらず、読ませる作品が多いのはさすがディックである。中でも最も完成度が高いのは表題作と「追憶売ります」かな(両方とも映画の原作だ)。ポール・アンダースンが主人公の「水蜘蛛計画」も、ディックのSFファンとしての一面が発見できて楽しい作品。それにしても、表題作でフリークとして描かれているプレコグは、なんだか日本の「くだん」の親戚のようである。
そうそう、『終わりなき平和』の書評を書くために読んだジョー・ホールドマン『終わりなき戦い』(ハヤカワ文庫SF)の感想を書き忘れていた。戦争SFだというので敬遠していたがどうしてどうして、おもしろいではないですか。ミリタリーSFといって思い描くようなヒロイックなところはまったくない、シニカルでブラックな物語である。雪風やエヴァなど、正体不明の敵と延々と戦いつづけるという、この手の作品の元祖といえよう。ただ、シニカルではあるものの、結局のところ敵は完全に意志疏通不可能というわけではなかったあたり、意外に楽観的な小説だったようにも思える。しかも、結末にはベタだけど泣かせるエンディングがついているし。こういうの、好きだなあ。
グイン・サーガの新刊に追いつくために読んでいる栗本薫『蜃気楼の少女』(ハヤカワ文庫JA)も読了。今回はカナン滅亡の謎が明かされるのだけど、あまりにもありきたりなSFネタなので驚きは全然なし。それより、何千年も前の文明だというのに、吟遊詩人がいたり貴族がいたりと現在の文明とほとんど変わらない描写なのがなんとも。だいたい、グイン・サーガではいろんな国が出てくるものの、どこへ行っても基本的に文化はまったく変わらないように見えるんだよなあ。
妻のお父さんが泊まりに来る。仕事柄出張が多いらしくて、ときどき山口から東京に来ては我が家に泊まっていくのである。
明日は明日で妻の妹夫婦が来るということで、妻はこの前私の両親が来たときと同じく、またもがんばって料理を作ろうと勢い込んでいる。メニューはこの前と同じだ(笑)。
そんなことせずとも、寿司でも取ればいいのに、というと妻は首を振って、東日本ではお客さんが来ると「お寿司でも取りましょうか」となるけど、西日本じゃそんなことは考えられなくて、奥さんが自分で作った料理を出さなければおもてなしとはいえないのだとか。そうなのか? でもここは東日本なんだから、寿司を取っても問題ないのでは、と言ってみたのだが、そういうわけにはいかない、と言う。そんなもんですか。
別冊GON!『絶対ホラー狂時代』を買う。友成純一が猟奇小説ベストテンを選んでいたり(新作短篇も載っている)、井上雅彦インタビューがあったりとぎっしりと記事がつまっていて盛り沢山の内容なのだけど、いくらなんでも「本当は怖ろしい岡本綺堂」は字が小さすぎ。これじゃ読む気をなくすよ。
それに、記事によってかなり質の差があるのもどうも困ったもの。特に、「日本ホラー小説大賞を狙え!」はひどすぎる。『玩具修理者』を「話の粗筋自体は、あんまり怖くもない。それに“玩具修理者”が何者だったのか、最後まで明かされないことに不満が残るところが残念だ」と評するなど、このライターにはホラーがまったくわかっていないとしか思えない。何でこんなライターに書かせたんだろうか。
個人的には、都市伝説の記事に「黄色い救急車」の項目があるのが目を引いたけど、記述からすると、どうやらうちのページか平和台病院のページを見て書いたようだ。
しかし、この雑誌の中で、どの記事よりもすばらしいのは裏表紙の広告でしょう。一見ありがちなクリスタルの広告なのだが、そのコピーが常軌を逸しているのだ。
「豪運が唸り爆運が炸裂する阿修羅級の功徳兵器。そのご利益たるや、まさに底無し!」
炸裂するのはせつなさだけではなかったようだ。阿修羅級の功徳兵器。ありがたいのかおそろしいのかさっぱりわからない。
「薔薇の花壇に紅い妖花が咲き乱れ、高嶺の花は恋の病魔に魅入られる!」
「任侠妖術ここに極まる!量子力学がもたらす最新鋭の霊符」
「告 来たる99年12月24日、大悪魔ブエルが人間界に君臨! 怒号の巨大霊力が日本列島に荒れ狂い、師走の地上を妖気で覆う!!」
任侠と量子力学、大悪魔ブエルと師走といった、語彙の微妙なずれ具合になんともいえない味がある。中でもいちばんすさまじいのがこれ。
「人工精霊FOBS 部分軌道爆撃系人工精霊 仕様:万能用長距離型攻撃や他者の遠隔操作などに対応。人工精霊とはあなたの命令に従う霊的ロボットで、霊的ミサイルに例えることができます(中略)1ビンに1体の人工精霊を封入。1体につき1願望有効」
なんだかよくわからないのだが、私の知らない間に、世の中ではものすごいものが売られていたようだ。この広告のためだけでも、この雑誌を買う価値はあるというものである。
とても今までと同じシリーズとは思えない装丁の世界探偵小説全集第3期、カーター・ディクスン『九人と死で十人だ』(国書刊行会)、カーター・ディクスン『かくして殺人へ』(新樹社)、宇月原晴明『信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』(新潮社)、森青花『BH85』(新潮社)、エリザベス・フェラーズ『細工は流々』(創元推理文庫)、ホラー・アンソロジー『おぞけ』(祥伝社文庫)購入。祥伝社のアンソロジーは『舌づけ』『さむけ』に続き、「け」で韻を踏んでいる。とすると、次のタイトルは『吐きけ』?
『ファウンデーションの危機』は買うべきかどうか思案中。
帰り道にある輸入食品店でルートビアを発見。"DAD'S"というブランドの青い缶である。
おお、ルートビアといえば、スヌーピーの大好物(ついでに、『Xファイル』のモルダーの好物でもある)。想像の世界で撃墜王になったスヌーピーが、第一次世界大戦中のフランスのカフェでよく飲んでいる飲み物が、このルートビアなのだった。
なんでも、ルートビアというのは、「ビア」とはついているもののノンアルコールの子どもの飲み物だそうで、それをカフェで粋に飲んでいるのがおかしいのだそうだが、「ピーナッツ」を初めて読んだときの私は中学生。ルートビアなんてものはもちろん見たことも飲んだこともないわけで、それ以来、「ルートビア=スヌーピーがカフェで飲んでいる粋な飲み物」として脳裏に刷り込まれてしまったのであった。
そのときから、いつかルートビアを飲んでみたい(しかも、スヌーピーのごとく粋に飲みこなしてみたい)と思い続けて幾歳月。とうとう今までルートビアを飲む機会のないまま私は馬齢を重ねてしまったのだった。
そういえば私がルートビアを知るきっかけになった「ピーナッツ」も、作者シュルツ氏の癌のためにとうとう最終回を迎えるとか。50年近くにわたり「ピーナッツ」一作だけを描き続けたというのは、これはすごいことですよ。ここ10年くらいは描線がかなり震えてたけど、そこを逆に味にしてしまうあたりもすごい。そして50年間変わらぬあのシニカルでノスタルジックな世界。偉大なりチャールズ・シュルツ。そこで今日は、シュルツ氏の生み出したチャーリー・ブラウンにライナスにペパミント・パティといった名キャラクターたちを思い出すよすがに、生まれて初めてルートビアを飲んでみることにした。
家に帰り、冷蔵庫でよく冷やしたルートビアを、風呂上がりにぐっとあおってみる……ううう、なんだこれは。ウナコーワの味がする。しかもむちゃくちゃ甘い。
コーラ系の変な飲み物(ドクター・ペッパーとかメッコールとか)はたいがい大丈夫な私だが、これはちょっともう二度と飲む気はしないなあ。スヌーピーよ、お前はこんなものが好きなのか。今まで感じていた親近感がちょっと遠のいたぞ。
ああ、まだ口の中が甘ったるいよ。
いまだにぽつぽつとアンケートの回答が届くので、黄色い救急車のページも少しずつ更新してます。
最近の大きな変化といえば、ついに黄、緑、青に続く第四の色として、宮城県に「紫の救急車」という回答が登場したこと。これまで、「紫の話も誰かから聞いたことがあるような気がする」とか、(黄色の話が広まっていたけど)「でも本当は紫なんだよ、と言われていた」というかたちでは登場していたものの、「紫」単独での登場はこれが初めてである。
また、似たような伝説がないかと思い、病院にまつわる都市伝説を集めた本などをぱらぱらとめくっているのだけれど、「病院の怪談」の類いは山ほどあるものの、精神病院を扱った話はどの本を見てもまったくないのですね。もちろん、差別問題にも関わる微妙なテーマだから収録されなかったのかもしれないが、それ以前に、たぶん精神病院というのは、都市伝説の題材にはなりにくいからなんじゃないか。
都市伝説ってのは、学校とか病院とかトンネルとか、異界と日常世界との接点がよく舞台になるものだけど、病院とは違って精神病院は接点どころじゃなく、すでに異界そのものだ。異界を舞台にしては伝説は語れない。だから、普通の病院のように内部が舞台になるのではなく、精神病院の場合、内部と日常世界とをつなぐ救急車が題材になるのだろう(「口裂け女は精神病院から脱走して来た」というように語られることはあるけど、これもモンスターが出現してもおかしくない異界としての使われ方である)。
「大江戸線」はないだろ、いくらなんでも。いったん乗ったら最後、死して屍拾う者なし(このネタを思いついた人が数万人はいるだろうなあ)。
『このミステリーがすごい! 2000年版』を買う。国内編海外編のベストテンのうち『バトル・ロワイヤル』1冊しか読んでいないことに愕然とする。『ハサミ男』『ポジオリ教授の事件簿』など買ってあってそのうち読む予定の本は何冊かあるんだけど、改めて買ってまで読みたいという魅力を感じる本は全然ない(バカミス全集収録作は読んでみたいけど)。私はもうすっかりミステリの人ではなくなってしまったようだ。
あとは中井拓志『quarter mo@n』(角川ホラー文庫)、塚本千秋『明るい反精神医学』(日本評論社)購入。
以前書いた「イライラはカルシウム不足が原因」伝説の源流について調べていたところ、月刊ペンという雑誌の1981年4月号に、その名も「イライラ、ヒステリー、それはカルシウム不足が原因」という対談記事を見つけた。
「カルシウムは、骨や歯の大切な成分でありますけど、カルシウムにはそのほか血液や組織液の中にも一定量が溶けていまして、きわめて重要な働きをしているわけです。その働きを簡単に説明しますと、神経の興奮性を抑えるということと、筋肉の働きを助ける。また毛細血管や細胞膜の透過性を調整するという。つまり、カルシウムの不足が、イライラとかヒステリーを起こしたり、落ち着きがなくなったりする原因をつくるわけです」
これは共立薬科大学の宮元貞一名誉教授の発言である。前半はまあそれほど間違ってはいないのだけど、なんでそれが後半と「つまり」で結ばれているのかさっぱりわからない、なんともずさんな発言である。ともあれ、これで「イライラはカルシウム不足が原因」という根拠不明の伝説の起源は80年代初頭にまで遡ることがわかった。わざわざ「イライラ、ヒステリー、それはカルシウム不足が原因」などとタイトルをつける、ということはこの頃まだカルシウム説は一般には膾炙していなかったと考えられる。そうすると、カルシウム説は、このころにメディアを通じて広まったのだろうか。そして、なぜ、根拠がはっきりしないにも関わらず、今ではほとんど「常識」の域にまで達してしまったのだろうか。調査はさらに続く。
本日忘年会につき1回休み(パスは3回まで)。
櫻井進嗣『未踏の大洞窟へ 秋芳洞探検物語』(海鳥社)読了。著者は日本の洞窟探検の第一人者で、秋芳洞の奥に広がる水中洞窟を探検し、次々と新しい空間を発見していった人物。著者の半生記と秋芳洞探検史が並行して物語られるのだけれど、いや、これがおもしろいのだ。
洞窟の中ではヘルメットのライトだけが頼りだから、電池が切れれば暗黒の世界である。普通のダイビングなら水面に上がれば息つぎができるが、水中洞窟では浮上しても岩の天井があるだけ。空気のある場所に出たとしても安心はできない。タンクに帰りの空気が残っていなければ帰ることはできないのだ。洞窟の中では無線も通じないし、入り口から数キロも離れた場所では、誰かが助けに来てくれることなど期待できない。何万トンもの岩と完全な暗黒の中、助けてくれる者は誰もいないのだ。
そして、いくつもの水中洞窟を越え、今まで人間が誰も足を踏み入れたことのない壮大な鍾乳洞を発見したときの喜び。
本の後半、著者はたったひとりで5キロを超える洞窟を往復、ほとんど死を目前にしながら入り口にたどりつく。自分に自信をなくし、さらに洞窟探検のパートナーでもあったた妻を失った著者は、極度の抑うつ状態に陥り、精神科に通いながら無気力な日々を送る。しかし、2年後、彼は哀しみを乗り越えてトレーニングを開始、1998年、320メートルの水中洞窟を越えて新しい空間を発見するのである。新しい空間にたどりついた彼は、粘土の斜面をよじ登り、しばらく声をあげて泣きつづけたという。
あまり知られていないケイビングの世界を描いた貴重なノンフィクションである。
スタートレック・ヴォイジャーまるごと24時間録画中。
asahi.comの記事にこんな表現があった。
長嶋監督が山室寛之代表とともに、工藤投手の自宅前に姿を見せたのは午後2時過ぎ。工藤投手が子ども連れて帰宅したところに、はちを合わせた。
「はち合わせ」なら聞くが、「はちを合わせる」という表現は初耳である。ウェブ版とはいえ新聞記事、文章表現についてはきちんとした校正を経ていると信じていたのだが……「はちを合わせる」なんて日本語、ないよね?
たまたま今週は、恋愛妄想の患者さんを何人か診察した。恋愛妄想ってのは、相手が自分のことを好きだと確信してしまう症状。ホントは自分が相手を好きなんだけど、それを「相手が自分を好き」と混同してしまうのである。自分の感情を相手に投影してしまうわけだ。もちろん、きわめてはた迷惑な症状なのだけど、私としては、彼らの確信の深さには、ある意味うらやましさすら感じてしまう。
というのも、私は人の表情やまなざしなどノンヴァーバルなメッセージを読み取るのが苦手(別に「さらばシベリア鉄道」の彼女のように近視だからというわけではない)で、他人が自分のことをどう思っているのか、今一つ確信が持てないのである。おかげで逃がしたチャンス(って何?)も数知れないような気がする。要するに、気がきかない人間なのだ。こんなんでは、精神科医にはあんまり向いてないような気もするが、なってしまったものは仕方がない。
私にとっては、世界は不確実であり、他人とは究極的には理解しあえない存在だ。それに対し、恋愛妄想の人たちの世界には確実なものが存在する。そして、私はこれから彼らを治療することにより、彼らの確実な世界を破壊しなければならないのだ。それが、私の仕事である。
まあ、そういう人たちの場合、その確信が致命的なまでに間違っていることが問題なのだが。彼らは自分の確信と現実とが食い違っていた場合、現実の方が間違っていると判断してしまうのである(では確信がたまたま正しかったら病気ではないのか? おそらくそういうことになるだろう)。
なんかまとまりないね、今日は(<いつものことです)。
99年12月上旬 君は近視、セブンス・ヘブン、そしてカリスマ精神科医の巻
99年11月下旬 投込寺、お受験、そして田の巻
99年11月中旬 カムナビ・オフ、古本市、そして定説の巻
99年11月上旬 @nifty、マラリア療法、そしてまぼろしの市街戦の巻
99年10月下旬 スイート・ヴァレー・ハイ、口呼吸、そしてクリスタルサイレンスの巻
99年10月中旬 少年隊夢、笑い反応、そしてカムナビの巻
99年10月上旬 2000円札、カエル、そして日原鍾乳洞の巻
99年9月下旬 イギリス、怪文書、そして臨界の巻
特別編 英国旅行の巻
99年9月中旬 多重人格、オークニーに行きたい、そしてイギリスの巻
99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻
97-98年の日記