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12月10日(金)

 脳みそをヤクザに取られたと主張する人に頭部CTを撮って見せたり、フリオ・イグレシアスと結婚するために式場まで予約してしまった人と話したり。息をつくひまさえないほど忙しい一日。

 夜は森下ワークショップ忘年会。浅暮三文さん、芝居を無事終えた尾山さんら大勢が集まる。森下先生と妻は志村さんからホシヅルの折り方を習っていたよ。折れるようになったかな?>妻。

 『終わりなき平和』のゲラをきのう読み終えたので、今日は書評のアイディアについて考える。ちなみにこの作品、全然戦争SFじゃないので、ミリタリーものが苦手な人でも安心。前半とはがらりと変わった後半の展開がいろいろと議論を呼びそうな作品である。でも、私が言いたいことは全部、冬樹さんの解説で言い尽くされてしまっているんだよなあ。うーむ、なんて書こう。

 栗本薫『修羅』(ハヤカワ文庫JA)購入。
12月9日(木)

 イギリス旅行に行ったとき、ウェールズのみやげ物屋でケルト十字のネックレス(そんなに高くない)を買って妻にあげた。今日これを会社にしていった妻、会社の人にこう訊かれたそうだ。
「法の華?」
 失敬な。

 雑誌の懸賞広告にこんなのがあった。1等10名は特設会場でカリスマ美容師にカットしてもらえる。で、2等100名様は何かというと、そのイベントを見学できるのだという。うーん、そんなもん見てどうするんじゃい、と私なぞは思うのだが、見たいもんなのかね。単なるヘアカットがショーとして成立してしまうというのは、まあ料理だってショーになって久しいのだから別に驚くにはあたらないか。
 料理人、美容師と来たら今度はカリスマ外科医ってのはどうか。抽選で1等が当たると、特設オペアリーナで、神のごときメス捌きのカリスマ外科医に盲腸をカットしてもらえる。2等100名様は特等席で手術見学ができる(「砂かぶり」じゃなくて「血かぶり」席である)。見てみたいものである。「手術の鉄人」とか「どっちの手術ショー」ってのもいいな。出演するのはカリスマ外科医、しかも無免許(……そりゃブラックジャックでは)。
 さてそれではカリスマ精神科医ってのはどうかというと、19世紀には実際、積極的にカリスマを演じることによって患者を治そうという医者がいたようだ。たとえばイギリスのジョセフ・メイソン・コックスなんていう医師は、雷鳴や音楽などの効果音を背景に、患者の枕元に天使や予言者、悪魔のいでたちで現れて語りかけるとか、壁に硫黄でメッセージを書き残すとかいった手法を使っていたそうな。一種のショック療法のつもりなんだろうけど、こんなんで治ったのか、本当に。
12月8日(水)

 医学書専門店なら御茶ノ水や本郷などに何軒もあるけど、精神医学専門書店ってのはなかなかあるものではない。もしかすると都内唯一の精神医学専門書店が、京王線の八幡山駅からすぐのところにある星和書店ショールーム。なんでまた神保町とか都心ではなく八幡山なんてところにあるかというと、それは八幡山には広大な敷地面積を誇る都立松沢病院があるから。ここ八幡山はまさに東京都の精神医学の中心地なのだ。
 このショールームがあるのは、駅からすぐ、というよりもう駅の中といってもいいようなアーケードの中。普通なら雑誌や文庫中心の小さな本屋さんでもありそうなロケーションである。そして、週刊誌やマンガ雑誌が並んでいそうな店の外の平台には、精神医学雑誌が平積みにされているのである。もちろん、隣はふつうの婦人服店だったりレストランだったりするわけで、ミスマッチなこと甚だしい。おそるべし八幡山。さすがは精神医学の総本山である。
 さてこの星和書店ショールームで買ったのが、星和書店から出た新刊、武内徹『お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ』。すごいタイトルである。インパクトという点でいえば、『屋根裏に誰かいるんですよ。』をはるかにしのぐ。内容はというと、精神科医である著者がタイトルの言い伝えに興味を惹かれ、合計11000人以上にアンケートを実施(!)した結果をまとめた本なのである。むう、都市伝説を研究している精神科医がここにもいたとは。しかも、私の研究(?)している「黄色い救急車」とは、アンケートの規模も研究年数も桁違い。負けた。
 この武内先生、「橋の下」伝説に取り憑かれ、講演に招かれるたびにアンケートを配っていたが、どうしてもそれでは県内調査の域を出ない。なんとか全国調査をしたいと思い立つものの、毎日の診療や雑用に追われてままならない。そんなとき全国三千校の小中学校の先生が集まる会合でパネリストの仕事を依頼された先生、「全国」と「三千校」という言葉にふらふらと吸い寄せられ、パネルの内容などろくに考えないままに「承知しました」と即答してしまう。頭の中はもうアンケートでいっぱいである。
 その後いろいろあってこの本がまとまるのだが、最初のアンケートから本書の出版までなんと18年。この執念には脱帽するほかない。私も「黄色い救急車」を15年以上追いかけないとダメなのかなあ。
 あとはちょっと精神医学における「自分」について調べたくなって、バーナード・ランディス『自我境界』(岩崎学術出版社)と北山修編『「自分」と「自分がない」』(星和書店)。

 ふいに『マトリックス』の音楽(といっても本編のではなく予告編のやつ)が聴きたくなったので、エニグマのアルバムを買う。"MCMXC a.D."と"The Cross of Changes"の2枚。目当ての曲は2枚目の方に収録されていて無事聴くことができたのだけど、笑ってしまったのは、大伴良則なる人物が書いている"MCMXC a.D."のライナーノーツ。この人、グレゴリオ聖歌が何なのかさっぱりわかっていない上に、「タイトルの『MCMXC a.D.』が何を意味しているのか皆目見当がつかないが」とまで書いているのだ。はあ、見当もつきませんか。
 まあ、無知は仕方ないよ。でも、これは96年に出た再発廉価盤。それなのに、91年に初めて出たときのライナーノーツをそのまま収録して満天下に無知をさらけ出しているってのは、どうかと思うんだけど。

 あと、未完の第2部が初収録された夢枕獏『月に呼ばれて海より如来る』(廣済堂ブルーブックス)、櫻井進嗣の洞窟探検ノンフィクション『未踏の大洞窟へ』(海鳥社)購入。
12月7日(火)

 スキャットマン・ジョン氏死去。享年57歳。ヒットチャート的にいえば典型的な一発屋である。それは間違いない。でも、本当に驚くべきことは、彼が幼いころからどもりという障害(それにアルコールやドラッグの問題も)をかかえながら、何十年もかけてそれを受容して、しかも吃音を逆手にとって彼独自の歌唱法を編み出してしまったことだと思うのだ。このへんのページを読むと、彼の真面目で誠実な人柄が伝わってくる。最近の彼がどうしていたのか私は全然知らないのだけど、一瞬の熱狂的なブームが過ぎて忘れられたあとも、彼は別に落胆することなく、何事もなかったかのように、ただのジョン・ラーキンとしてまた静かにピアノを弾いていたような気がする。
 そんなふうならいいな、と思うだけなのだけど。

 上遠野浩平『ブギーポップ・カウントダウン エンブリオ浸蝕』(電撃文庫)、セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』(文春文庫)、貫井徳郎『妖奇切断譜』(講談社ノベルス)、山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社)購入。
12月6日(月)

 オタクってのは、けっこう精神的には安定しているものである。私も、オタクのための精神医学を夢想していたことがあるのだけれど、これがなかなかうまくいかない。だいたい、精神科の外来をやっていてもオタクが来ることなどほとんどないし、オタクっぽい人が来たとしても、そのオタク性と精神科的な症状とは全然関係ない。オタクってのは、精神医学の枠組にはなかなか乗らないのである。
 非常におおざっぱな物言いをしてしまうと、オタクに精神科医はいらないのだ。だってなあ、自分の妄想に充足している人に対して、精神科医が何をいえばいいというのか。オタクは、オタクであることによって、すでに救われている。精神科医が必要になるとしたら、それは現実側からの突き上げが激しくなって妄想を維持できなくなってきたとき(たとえば結婚とか)なんだけど、そのときの選択だって単純なものだ。オタク道を貫きとおすか、現実と妥協するか。どっちかを選ぶしかない。これじゃ精神科医の出番なんてないよ。
 きのうの柳下さんの話は、妄想と現実の齟齬を暴力で解消しようとする人々の話だったのだけど、ではそうならないためにはどうしたらいいか、というと、柳下さんは、そこはオタクなので(笑)、「妄想と生活の糧を一致させてしまえばいいんじゃないの」というのですね(宮台真司なら「妄想なんて抱くのをやめてまったりと生きろ」というところである)。
 でも、「妄想と生活の糧を一致させる」なんて柳下さんならともかく、誰にでもできることではないよねえ。きのうの聴衆の間では「それには、やっぱり努力しなきゃいけないねえ」と無難なところでまとまってしまったのは、やっぱり聴衆の年齢層が高いからなんだろうなあ。おそらくもっと若い人の間では「努力をしなきゃいけない」というのはもはや常識ではないんじゃないかな。そもそも妄想(「夢」といってもいいかも)を持つことすら難しいのでは。
 今、精神科医が必要なのは、むしろそんなふうに自前の妄想すら持てず、オタクにすらなることができない人々なのだろうと思うんだけど、正直言って私はあんまりそういう人には同情できないんだよなあ。

 「メフィスト」を立ち読みしていて巻末の広告にびっくり。講談社ノベルスで上遠野浩平が出るのかあ。もちろん、作者初の非ブギー作品。発売は来年初夏で、タイトルは『殺竜事件』……ううむ。

 愛川晶『夜宴』(幻冬舎ノベルス)購入。本格美少女ミステリーと言われたら、買っちゃうよなあ。
12月5日()

 今日は、下落合に知り合いの出る芝居を観に行く。タイトルは「セブンス・ヘブン」。森下一仁ワークショップでの友人、尾山則子さんの初脚本作品にして、おまけに女優デビュー作! さらに、これまた森下ワークショップで知り合った役者の斎藤出海くんも出演している。尾山さん、脚本家&女優デビューおめでとう。
 観客席には見知った顔がちらほら。浅暮三文さんらワークショップのメンバーのほか、尾山さんの人脈で、森下一仁さん、永瀬唯さん、藤元直樹さんに浜田玲・みらい子夫妻とSF関係者の顔も。
 お芝居はというと、尾山さんの趣味全開のSFファンタジー。王子様のお妃選びの話のはずが、後半になるといきなり電脳SFになり、さらにキリストまでからんでくるというひねりまくった話には唖然としたけど(果たして一般客はついていけたんだろうか)、やたらと登場人物が多すぎて混乱気味。キャラクターをもう少し整理して、その分深みのある人物描写をしてくれたらもっとおもしろくなったと思うのに残念。役者全員に見せ場を作らなきゃいけない事情でもあったのかな。

 芝居のあとは高田馬場のルノアールでうだうだしたあと、6時からのSF乱学講座を見に行くため高井戸に向かう。今月は柳下毅一郎さんの「『マトリックス』とトレンチコート・マフィア」
 映画『マトリックス』と、学校で銃を乱射したトレンチコート・マフィアには共通点があると指摘し、さらに『マトリックス』と同じテーマを非SFとして描いたのが『ファイト・クラブ』だと語る。これらの映画や事件に共通するのは、この現実に対する違和感と非現実的な妄想、そして、そこから脱出するために何らかの努力をするのではなく、一足飛びに暴力(または武器)によって打破しようとしてしまう姿勢。それが現代アメリカ(日本も)の風景というわけである。

 近くの古本屋で、赤江瀑『絃歌恐れ野』(文藝春秋)、笠原伸夫編『小説集 地獄』(現代思潮社)購入。
12月4日(土)

 お、森下先生2日の日記に反応して下さっている。「遺伝子メール」というのもなかなかいいですね。はるか未来に栄えるであろう知的生命たちに送る遺伝子メール。
 「学研遺伝子ブロック」ってのもいいな。手軽にできる遺伝子工作。

 教育出版のページの中にある84年〜98年までの流行語大賞のページ(それ以前のは? と思う人もいるかもしれないが、「流行語大賞」の制定自体が84年なのである)。
 昔は新語部門と流行語部門に分かれてたんですねえ。でも、どう違うのかさっぱりわからないんですが。「激辛」が新語で「新人類」が流行語って、どういう区別なんだろう。
 「キャバクラ」(85年表現賞)とか「セクシャル・ハラスメント」(89年金賞)のように、完全に定着した言葉もあるが、そういう例はごく少数。たいがいは、そういえば、こんなのもあったなあ、とおぼろげに思い出すような言葉ばかりなのだが、中には「ネバカ」とか「ノリサメ」とか、今となってはどういう意味なのか全然見当もつかない言葉もあったりする。ま、それが流行語の運命というものなのかもしれないけど。
 意外な発見もあって、今年大賞をとった「ブッチホン」はどうやら、90年銀賞の「ブッシュホン」を踏まえたもののようだ。「プッシュホン」→「ブッシュホン」→「ブッチホン」と2段階に変形したおかげで、原形から離れて何のモジリなのかさっぱりわからなくなってしまっている。ところで、「ブッシュホン」って何? 「ブッチホン」発案者は、よくこんな昔の流行語を覚えていたものである。

 あ、今日でこの日記2周年。
12月3日(金)

 田端の駅から5分くらいのところにあるフランス料理店「ビストロ・ワカヤマ」で夕食。ときどきここで食事をするのだけど、この店、「フランス料理店」ときいて思い浮かぶのとはまったく正反対の店である。店のページに写真があるので見てほしいのだけど、さびれた商店街の一角にあって、外見はほとんど小料理屋。とてもここでフランス料理が食べられるとは信じられない店構えである。店内もカウンターと畳敷きのお座敷席と、これまたまるっきり飲み屋。それなのに、出されるのは本格的で、しかもむちゃくちゃ安いフランス料理なのである。もちろん、形式ばったところは全然なくて、料理はみんな箸で取りわけて食べられる。
 シェフのプロフィールなどは、店のページを参照。このシェフが以前開いていた店はけっこう有名だったらしく、白洲正子、ドナルド・キーン、多田富雄と錚々たる人々が推薦文を寄せている。
 8時を過ぎれば常連客が集まってきて、なんともアットホームな雰囲気。とにかく、うまい上に安い! お薦め。

 とり・みき『ときめきブレーン』(ちくま文庫)、アンジェラ・カーター『血染めの部屋』(ちくま文庫)、浅見雅男『華族誕生』(中公文庫)購入。
 「ビストロ・ワカヤマ」の近くにBOOK OFFタイプの古本屋ができていたので、ラムジー・キャンベル『母親を喰った人形』(ハヤカワ文庫NV)、ユベール・モンテイエ『完全犯罪売ります』(ハヤカワ・ミステリ)購入。帰ってから『母親を喰った人形』はダブりであることが判明。そのうち放出するかな。
12月2日(木)

 唐突だが、「電子メール」という呼び名に違和感を抱いたことはないだろうか。だいたい、なんで今さら「電子」なのか。コンピュータのことを「電子計算機」と言っていた時代ならいざしらず、今どき「電子」はないだろ、という気がしてしまう。かといって、「e-」ってのもイヤだなあ。「e-ビジネス」とか「e-sekai」とか、わたしゃとても真顔では言えそうにないよ。
 「電子」などと呼ぶくらいなら、いっそこう呼んだらどうか。

「電気メール」

 おお、こう書くと、とたんになんだか昭和の香りがただよってくるから不思議ではないか。「電気掃除機」とか「電気炊飯器」とか、家庭用品にやたらと「電気」がついていた時代みたいで、なかなか風情がある。
 逆に「電気」のついているものを「電子」にかえてみても、なんだか雰囲気が変わってくる。

「電子ウナギ」

「電子ブラン」

とか。なんかこれでは酔えなさそうである。
 さて、「電気」の前の先端技術といえば当然「蒸気」。「蒸気冷蔵庫」とか「蒸気メール」となると、これはスチームパンクの世界である。『ディファレンス・エンジン』の世界なら、蒸気コンピュータがあるのだから、当然蒸気メールもあったんだろうなあ。

 さて、それでは「電子」の次に来るものといったら何だろう。「光子メール」か「量子メール」かな。意外なところで「分子メール」ってのもありかも(全然どんなものか思い浮かべられないのだが)。「分子炊飯器」とか「量子冷蔵庫」とか、わけのわからないガジェットを並べると、なんだかレトロフューチャー風なSFが書けそうである。
 でも、「量子ブラン」はあんまり飲みたくないなあ(「中性子ブラン」もイヤです)。
12月1日(水)

 話題のA以上B未満。これのキモはやっぱり「※結果に狂いが生じますので、結果表示が遅くてもリロード(再読み込み)ボタンは絶対に押さないで下さい」ってとこですね。ネットにあまた存在する占いや診断ものに対する強烈なアンチテーゼとして高く評価したい(そんな大げさなものではないと思うが)。

 太田裕美に「さらばシベリア鉄道」(詞・松本隆)という曲がある。有名な歌なので知っている人も多いと思うのだが、よく聴くとこの歌、かなり変である。なんでまた「君」がロシアにいるのかよくわからないのはともかくとしても、歌の後半で明かされる二人がすれ違ってしまった理由がすごい。まず、「ぼく」の方は照れてしまって愛してると口に出すことができない。まあ、これは普通ですね。そして「君」の方はというと、そんな「ぼく」のまなざしが読み取れない。なんで読み取れなかったかといえば、なんと「君」は近視だったからだというのだ! そして結局「君」は「答えを出さない人についていくのに疲れて」ロシアへと旅立ってしまうのである。
 近視のせいで別れた男女の歌というのは空前にして絶後なのではないか。

 ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワ編『幻想の犬たち』(扶桑社ミステリー)購入。
過去の日記

99年11月下旬 投込寺、お受験、そして田の巻
99年11月中旬 カムナビ・オフ、古本市、そして定説の巻
99年11月上旬 @nifty、マラリア療法、そしてまぼろしの市街戦の巻
99年10月下旬 スイート・ヴァレー・ハイ、口呼吸、そしてクリスタルサイレンスの巻
99年10月中旬 少年隊夢、笑い反応、そしてカムナビの巻
99年10月上旬 2000円札、カエル、そして日原鍾乳洞の巻
99年9月下旬 イギリス、怪文書、そして臨界の巻
特別編 英国旅行の巻
99年9月中旬 多重人格、オークニーに行きたい、そしてイギリスの巻
99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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