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10月10日()

 久しぶりに洞窟探検隊出動である。
 1月3日の七ツ釜鍾乳洞(長崎県)2月8日の龍河洞(高知県)に続き、今年訪れる3番目の洞窟は、東京都の日原鍾乳洞(「にっぱら」と読む)。洞窟探検隊を名乗っていながら、地元の洞窟に今まで行ったことがなかったというのは情けない話だが、生来の怠惰ゆえどうしても休日にまで早起きしてまで行く気になれなかったのである。まあ、いつかは行きたかった洞窟でもあるし、せっかくの連休なので今日ようやく行ってみることにした。
 朝の7時半頃に起き、ゴーゴーファイブとロボコンを見てから出発。なるほど、日曜日も早く起きるとこんな番組をやっているのか。早起きはしてみるものだなあ。
 最寄りの駅から東京の西の果て奥多摩駅まで電車を乗り継いで2時間半。しかし、秋晴れの休日、こんな日に出かけようという人が少ないわけがない。何かの事故で(またかい)中央線のダイヤが乱れたせいもあって下りの中央快速は平日朝のラッシュ時並みの混み具合だし、青梅線も家族連れやら登山者やらでごったがえしていてとても座れない。終点奥多摩に着いたときにはもうかなり疲れ切ってしまった私たちである。ここからさらにバスで終点の東日原まで30分。ここまで来るともうあたりはとても東京都内とは思えないような景色である。周囲はどちらを見てもうっそうとした緑の山、遥か眼下には澄んだ渓流。そんな景色の中をさらに歩いて30分でようやく鍾乳洞に到着。合わせて3時間半の長い道のりである。
 なんでも平日は鍾乳洞前までバスが通っているらしいのだが、休日に限りなぜか2キロ弱手前の東日原が終点になってしまい、そこから歩かされることになっている。休日はマイカーが多いので渋滞するから、というのが表向きの理由なのだが(実際車が一台通るのがやっとの箇所が多く、すれ違いのためにあちこちで車が退避していた)、東日原から歩いて行くと、沿道には何軒ものみやげ物屋が並んでいるではないか。もしや、バスが手前で止まる真の理由は、みやげ物屋からの圧力のせいなのでは、とふと疑念を抱いてしまった(おんなじようなことが、須藤真澄の『おさんぽ大王』にも書いてあったような気がするが、本の山のどこかに埋もれて確認できず)。
 さて、肝心の日原鍾乳洞であるが、規模も美しさも、龍泉洞や秋芳洞みたいな一級の鍾乳洞に比べると数段落ちるなあ。まあ、予想通りといえば予想通りなのだけれど。
 この洞窟、どうやら1200年も前から山岳信仰の対象で、修験者の修行の場だった上、江戸時代からすでに観光地になっていたようで、長年の間数多くの人間が松明を持って入ったため、白かった石灰岩は黒く汚れているし、鍾乳石も昔はあったのかもしれないが今では折られてしまったようでほとんど残っていない。それに、そこらじゅうの壁に観光客が1円玉を貼っているのはいったいなんのつもりなんだ。もしかすると、お賽銭のつもりなんだろうか。場所によっては、壁一面にびっしりと貼られた1円玉が蛍光灯の光を反射して銀色に光っているくらいである。池にコインを投げ込む気持ちくらいならわからないでもないが、いくらなんでも天然記念物の鍾乳洞の壁にコインを貼ることはないだろ。
 ただ、昭和38年に発見されたという新洞の方は自然のままに残されていて、長い鍾乳石や石筍といった洞窟美が味わえるのだが、こちらは観光客の狼藉を警戒したためか、美しい鍾乳石も網ごしにしか見られないのが難点。さらにこの新洞、旧洞よりかなり標高が高いところにあるらしく、狭くて非常に急な階段をひたすら上らされることになる。出口は旧洞の入り口と同じなので、出るときにはまたすべりやすい階段をひたすら下るしかない。暗くてスリルのある洞窟はいくつもあるが、この洞窟は別の意味で怖いぞ。
 妻に洞窟の感想を訊くと「神秘力が足りない」とのこと。むう、神秘力(しんぴりょく)という言葉を初めて聞きましたよ、私は。でも「神秘力」ってのはけっこういい言葉かも。体力75、魔力54、神秘力98とか。デビルチョップは神秘力ってのも。
 点数は、規模★★、探検度★★、神秘度★★、総合★★(5点満点)。これまでの洞窟の点数は洞窟ランキングを参照のこと。東京から近いからといってここに行くくらいなら、まずは福島のあぶくま洞+入水洞に行きましょう。
10月9日(土)

 新宿東映パラス2にて、インド映画『シャー・ルク・カーンのDDLJ ラブゲット大作戦』を観る。何のことだかさっぱりわからないタイトルだが、シャー・ルク・カーンというのが主演俳優の名前、DDLJというのは"Dilwale Dulhania Le Jayenge"の頭文字で、ヒンディー語で「勇者は花嫁を奪う」という意味でインドの民謡のタイトルらしい。「ラブゲット大作戦」は日本でつけた悪趣味サブタイトルで特に意味はない。こんなわけのわからんタイトルで客が入るのか? と訝っていたのだが、流行りのインド映画の割りには、実際あまり客が入っていないようだ。むちゃくちゃおもしろいのになあ、もったいない。
 インド映画というと歌あり踊りありアクションありロマンスありのなんでもありてんこもり映画というイメージがあるが、この映画はちょっと違う。主人公が意味もなくセスナ機とかけっこをしたりダンクシュートをしたりというインド映画らしい「濃さ」も確かにあるものの、基本的にはきわめてストレートなラブコメなのである。
 前半はロンドン在住のインド人である主人公とヒロインが、ヨーロッパ一周卒業旅行で知り合い、最初反発しつつも、徐々に惹かれあうようになるまでを描く、ロケを多用したヨーロッパ編。後半ではがらりと雰囲気を変えて、親の決めた婚約者の存在や、ヒロインの父親の大反対など、数々の困難を乗り越えて主人公はヒロインと結ばれることができるのか、というインド編。気恥ずかしくなるほどストレートな展開ながら、3時間を超える上映時間の間、だれる箇所がまったくない。
 ヒロインはヨーロッパ編ではしょっちゅう露出度の高い服を着ている上、バスタオル1枚で踊るわ、雨の中でずぶぬれになって踊るわ、雪の中をミニスカートで踊りまくるわ。まあハリウッド映画に比べればたいしたことはないのだが、インド映画の限界に挑戦したサービスシーンなんじゃないだろうか。この女優さん、よくみると両さんのごとく眉毛がつながっているのが気になって仕方がないのだが、この映画では表情の変化がとてもキュートである。
 これまで公開されたインド映画を観て、あまりのくどさに辟易した人にもお勧めできる作品。ヒロインの妹が12歳の眼鏡っ娘なので、そっち方面のひとにもお勧めだ(笑)。
 これほどおもしろい映画だというのに、なんでまたこんなに不入りなんだろうなあ。

 映画のあとには、新宿のトルコ料理店「イスタンブール」で食事。定番のシシ・ケバブのほか、パンに塗って食べるペースト料理、トルコ風ピザなどなどどれも美味。日本人にもなじみやすい、どこか懐かしい味である。ただし、デザートはむちゃくちゃ甘ったるいので、好みが分かれるかも。陽気なトルコ人のおばさんがとってもフレンドリーな店である。
10月8日(金)

 今日の日記は食事中の方にはあまりお勧めできません。

 今日は外まで夕食を食べに出かける。
 家の近くの夜道を妻と2人でぷらぷらと歩いていたところ、路上に何か生き物らしいものがいるのを見つけた。
 なんだろう。少し近づいてみて私はこうつぶやいた。
「あ、カエル……」
 体長10センチくらいはあるだろうか。けっこう大きいカエルである。しかし私たちが近づいてもぴくりとも動かない。まったく、これっぽっちも。従って、私は当然の結論としてこう付け加えざるをえなかった。
「の死体」
 妻はちらりとそれを見てびくっと体を震わせた。
「あー、厭なものを見てしまった」妻は顔をしかめている。
 帰りは違う道を通ろう。私たちはそう心に近いつつ、少し大回りにカエルをよけてその道を通りすぎたのであった。

 さて、食事を終えてすっかり満腹した私たちは、機嫌よく同じ道を家へと戻ってきた。そう、そのときの私たちはその道に何があるのかすっかり忘れていたのであった。道路をちらりと見た瞬間、私は行きのできごとを思い出し、何気なくつぶやいてしまった。
「カエル……」
 そう口にした瞬間、私は激しく後悔した。
 そこには、2時間前とまったく同じ場所に、カエルがいた。しかも、違う方向から見たせいか、あるいはまさかとは思うが、私たちが夕食を食べている間にここを通った誰かがふんだのだろうか、とにかく行きには気づかなかったが、カエルの腹部から何かがはみでているではないか。
 私も、妻も、それをはっきり見てしまった。
 私が妻にうらまれたのは言うまでもあるまい。
10月7日(木)

 2000円札が発行された場合、いったい肖像画は誰になるのだろうか。発表によれば守礼の門と源氏物語の一場面が描かれるというのだが、そうすると肖像は入らないってことなんだろうか(少女マンガ家か誰かに頼んでむちゃくちゃ美形の光源氏の顔を描かせたら、それはそれで人気が出るかも)。やっぱりお札には肖像画が不可欠だと思うんだけど、どうだろう。
 肖像画で思い出したのがこないだ旅行したイギリスのお金(イギリスの例ばっかりで恐縮だが、それしか知らないのだから仕方がない)。イギリスでは、なんと紙幣どころか硬貨にまで、すべてエリザベス二世の顔が描かれているのであった(お札だと、表には女王、裏にはディケンズとかファラデー(また渋い選択ですな)とかの肖像画が描かれている)。どのお金を見てもエリザベス二世。しかもよく見ると同じ額面の硬貨でも、若い頃の女王が描かれたものと老けた顔のものがあるではないか。肖像が実物よりあまりに若くなりすぎたので切り替えたらしい。芸が細かいぞ。
 しかし、そうすると、皇太子が国王に即位したら、すべての貨幣の肖像があの頼りなさげなチャールズの顔に切り替わるのだろうか。財布の中のすべてのお金にチャールズ。何か買うたびに目の前にチャールズ。嫌だなあ<失礼です。
 イギリスの例にならえばお札の肖像にはやっぱり天皇……ってわけにはいかんだろうなあ、日本では。しかし、どうせ2000年記念のお祭り紙幣なのだから、いっそのこと歴代天皇バージョンの125種類の2000円札を発行してしまうというのはどうか。そして、何枚かは1万枚に1枚しか刷らないレア紙幣にしたりして。インターネットでは、「私の持ってる安徳天皇札を後醍醐天皇札と交換しませんか」とかトレーディング情報が飛び交う。傷みのないレアものには50000円くらいの値がついたりして。でもこれじゃ、コレクションして死蔵する人が増えるから、経済効果としてはマイナスだな。
10月6日(水)

 このところ洋書ばかり読んでいるので、新刊本がたまる一方。
 ついに出た梅原克文の『カムナビ』(角川書店)と、個人的には『カムナビ』より楽しみにしてたジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食わせろ青尾蝿』(翔泳社)購入。
 『アストロ球団』の3巻と4巻をまとめて買ったついでに、妻がはまっている『ヒカルの碁』の3巻が出ていたので購入。帰ってきて(自分が読んでから)妻に渡すと「私も買った!」とバッグから『ヒカルの碁』を出したではないか。これがあの「賢者の贈り物」ってやつですか?<違います。

 もうみんな飽きてるだろうけど、"Uncut"読書日記を続ける。5本目の短篇は"The Trafalgar Lockdown"。今までホラーだったのにこの短篇だけなぜかいきなり宇宙SFである。女流画家の主人公は恒星間探査船トラファルガー号に(なぜか)搭乗し、コールドスリープで14年間の眠りにつく。しかし、まだ11年しかたっていないのに彼女は目を覚ましてしまう。しかも、まわりのポッドはすべて空で、船内にはまったく人気がない。いったいトラファルガー号に何が起こったのか……という割合ありがちな設定の作品。
 彼女がメインブリッジにたどりつくと、そこにはめっきり老け込んだ様子の船長がたったひとりで座っている。彼女が説明を求めると船長は、プログラムがダウンして宇宙船はコースをそれ乗組員のほとんどが死亡、自分と彼女だけが生き残った、と説明する。その口調に不審を感じた彼女が調べていくと、どうやら船長はコールドスリープに入らず11年間たったひとりで過ごしていたらしい。なぜそんなことをしたのか、と問い詰めると、船長は驚くべきことを口にする。乗組員として彼女を選んだのも事故を起こしたのも実は船長だった。前の航海で妻を亡くした彼は、亡き妻に似た彼女を乗組員にし、自分は眠らずに全裸で眠る彼女の姿を11年間見ていた、というのである。
 なんだかなあ。もう読むのやめようかなあ。
10月5日(火)

 今日は当直。
 むう、2000円札発行ですか。2000年だから2000円って、これほど思いつきだけで発行されるお金も珍しい。そんなのを出しても、単に自販機とかATMを交換する費用がかさむだけのような気がするんだがなあ。
 確かに「2」を単位にした貨幣がある国は多いのは事実だけど、しかし、そうすると日本の貨幣の、1,5,10,50,100……という美しい数列が崩れてしまうではないですか。2000円札を出すのなら、200円玉、20円玉、2円玉も出してくれないと。特に2円玉があればお釣りをもらうときなど楽になっていいと思うんだけど。「2000年に2円玉発行!」じゃインパクトに欠けるかもしれないが、少なくとも2000円札よりは役に立つと思うぞ。自販機やATMにも影響ないし。
 こないだ行ったイギリスでは、1ペニー、2ペンス、5ペンス、10ペンス、20ペンス……と、1,2,5……という数列になっていてこれも美しかったなあ(アメリカでは1/2,1/4という分け方を重視するせいか、25セント玉ってのがあって非常にわかりにくかった)。

 ファウラーは4つ目の短篇"The Master Builder"読了。この作品集でいちばん長い作品だしアンソロジーにも収録されている(文春文庫『レベッカ・ポールソンのお告げ』に「建築請負師」として所収)ので期待したのだけれど、これが全然おもしろくない。ひねりというものが全然ないんですね。もしかすると、この作家は短篇が下手なんじゃないだろうか。先を読むのが不安になってきたな。
10月4日(月)

 そういや私も柏崎にいたころには「そばに原発があってごめんね手当」をもらってたなあ。別に原発で働いてたわけじゃないんだけど。1年に2万円くらいだっけ。あれは市から出てたみたいだけど、正確にはどういう名目のお金だったんだろう。

 東海村の事故はだんだんと人災であることが明らかになってきて、その原因のあまりのずさんさにはもうあきれるしかない。いつの時代だよ、今は。原子力草創期ならいざしらず、もう少しで21世紀になろうってのに、まだこんななのかい、人間は(泣)。……というのは、人間ってものを買いかぶりすぎてるのかもしれないなあ。
 作業員には、放射性物質に対する基礎知識すらなかったとしか思えない。確かに正規の手法ってのは安全性を高めるためにゆとりをとってあってかったるいもんだから、安全度を犠牲にすれば当然もっと効率的になる。コンピュータをクロックアップするようなもんだよね。でも、クロックアップなら知識不足で失敗しても自分のマシンが壊れるだけですむけど、ウランとなると……。
 とにかく人間ってのは楽ができるときにはとことん楽をしようとする生き物だから(これはもう人間の本性なので変わりようがないし、責めても仕方がない)、システムの方に、何か「効率化」を防止するような装置が必要だったってことだろうなあ。
10月3日()

 クリストファー・ファウラーの"Uncut"は3つ目の短篇"On Edge"を読了。これはすごい、というかものすごく厭な話である。ナッツを噛んで歯が割れてしまい、歯科医を訪れた男。40分待っても自分の番が来ないので診察室に文句を言いに行くと、そこには怪しげな歯科医がいて、わかった先に診てあげよう、という。ここからは男が治療を受けている様子がこと細かに描かれていて、それだけでも生理的に厭な話なのだが、その先がまた極めて悪趣味。男が麻酔を打たれて朦朧としているうちに、歯科医は、おおっと間違えた、などといいつつも、鼻歌を歌いながら楽しげにドリルを操る。治療が終わって起きあがってみると、歯科医は頭から足先まで真っ赤に血。そして鏡の中に見た自分の顔は……。
 いかにもイギリスらしいグロテスクさにあふれた、悪趣味きわまりない短篇である。バカホラーの傑作。邦訳熱烈希望(笑)。

 今ごろSFマガジンを買ってきたのだが、日下三蔵氏の「日本SF全集」で私のページが言及されていてびっくり。
10月2日(土)

 どうやら私には、海外旅行から帰ってくると一過性に洋書熱が高まる傾向があるようで、またも洋書を読みはじめている。100ページで挫折したハワイのときの二の舞いにならなければいいが……。ともかく、今読んでるのは、クリストファー・ファウラーの"Uncut"(WARNER BOOKS)という短篇集。わりあいわかりやすい英語で書かれていて読みやすい作品集である。これなら私にも最後まで読めるかも。
 まず最初の"Human Element"はイギリスの片田舎からニューヨークとおぼしき大都会にやってきた男が、ホテルを探してさまよい歩く間に、タクシードライバーにぼられたり、娼婦に迫られて逃げ出したら財布をすられていたり、アル中女の自殺につきあわされたりと、いろいろ酷い目に遭う話である。
 次の"Norman Wisdom and the Angel of Death"は、病院で熱心なボランティアとして働いているが、実は患者を次々と殺す殺人鬼という裏の顔を持つ男の日記という形式で綴られている話。この男、50年代から60年代のイギリスのラジオコメディ番組の熱狂的なマニア。患者にコントの内容を語り聞かせるのが大好きで、聞き手があまり面白がらないと殺してしまうのである。Norman Wisdomというのはどうやらコメディ俳優の名前らしい。
 あるとき遠方から患者が訪れ、病院側からも信頼されている彼は、患者を自宅にしばらく泊めてくれるよう頼まれる。しめしめ、獲物が向こうからやってきた、と待っていると、現れたのは車椅子に乗った若い女性。彼女はBBCのラジオコメディの膨大なコレクションを見たとたん目を輝かせ「私も古いコメディが好きなの!」。殺人鬼の男はようやく自分の趣味を理解してくれる人が現れたと大はしゃぎ、すっかり彼女に恋をしてしまうのだが……。
 どちらの話も、ブラック・ユーモアに満ちた救いのない話なのだけれど、これはどう考えてもホラーでもファンタジーでもじゃないよなあ。よくみると、裏表紙のジャンルを示す部分には"FICTION"とあるだけで"HORROR"とも何とも書いてない。ファウラーってのは、こういう話を書く人だったのか。

 テレビ朝日の戦艦大和番組を見る。しかしいくらなんでも「深海350m戦艦大和探索」はないのでは。350mでもう深海ですか。
10月1日(金)

 えー、掲示板でご指摘があったとおり、きのうの日記で「キロ」と「トン」の単位を間違えておりました。いくらなんでも16トンはないわな。お恥ずかしい話である。日記はこっそり修正しました。
 ちょいと言い訳しておくと、実際「16トン」と報道していたニュース番組があったのですね。こういう科学ネタの場合、ニュースといえどもいろいろとむちゃくちゃなことをいっているから鵜呑みにできないなあ。臨界の説明でアナウンサーが言った「中性子の速度が光の速度を超えた」という言葉も、いくらなんでもそりゃないと思ったんだが、これは核分裂で生じた粒子が媒質中の光速を超えたという意味だったらしい。わかるかい、そんなん。

 さて、9月28日に紹介した怪文書はどうやらけっこう有名な文書だったようで、掲示板やメールでさまざまな情報を頂きました。私の持っているものには右のほうに「法律違反小渕総理勤労所得甘い汁捨子活用……」と記されているのだが、「村山首相の暗躍」バージョンもあるらしい。さらに、橋本首相バージョンもあって、これは東京福袋にも紹介されている。もしや、政権交替ごとに発行されているんだろうか。もしそうだとすれば、首相が宇野、細川、羽田ところころ替わったころは大変だったろうなあ。ご苦労さまである。
過去の日記

99年9月下旬 イギリス、怪文書、そして臨界の巻
特別編 英国旅行の巻
99年9月中旬 多重人格、オークニーに行きたい、そしてイギリスの巻
99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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