梅原克文『カムナビ』(角川書店)下巻を読了。うーむ。これはまさに「心の底からどうでもいい」((c)みのうらさん)小説。これだけキャラクター描写の下手な小説は久しぶりである。女性が登場すると必ずワンパターンな外見描写が出てくるのが不快。「豊満なバスト」とか「可愛い丸顔」とか「小ぶりなヒップ」とかそんなんばっかり。この人はそういう視点でしか人物を見ていないのだろうか。
読んでいて笑ってしまうのは、文章のあちこちから作者の性格が透けて見えるところ。主人公は何一つ主体性がないし、超能力を身につけた人間は決まってパチンコで生計を立てている(ほかにすることないのか)。車の中に200万円の札束を見つけたくらいで仲間の素性を疑いはじめるし、制限速度60キロの道を80キロで走ったくらいでびくびくしてたりもする。つまりは小心者なのだなあ。女性描写のぎこちなさもなんだかそう考えると微笑ましくなってくる。
文章については、森が出てくると必ず2、3種類の植物の名前が書かれているのはなぜかとか、車が走っている場面では必ずエンジンの排気量を書くのはなぜかとか、「セルリアンブルーの空」というのはトートロジーではないのかとか(「セルリアン」は空という意味)、いろいろつっこみどころもあるのだが、まあその辺はどうでもいい。
致命的なのは、結末で明かされるカムナビの正体に全然説得力が感じられないこと。あまりに飛躍が激しい上、科学的にもまったく納得がいかない。大風呂敷を広げること自体は大歓迎なのだが、嘘をつくならもっと上手についてくれないと。
核武装論ばかりが話題になっているが、asahi.comによれば、辞任した西村真悟防衛政務次官はこんな発言をしていたらしい。
「個人的見解としてね。核とは『抑止力』なんですよ。強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない」
「社民党の(集団自衛権に反対を唱える)女性議員に言うてやった。『お前が強姦されとってもオレは絶対に救ったらんぞ』」
「オレら」と複数形で語るなよ。あんたといっしょにしてもらいたくないぞ。でもいるよなあ、こういうたちの悪いオヤジ。品性下劣とはこのことである。
しかしインドネシアの党名ってのは、闘争民主党とか国民覚醒党とかなんでまたこんなに怪しげなのかね。訳語の問題もあるのだろうけど。
牧野修『リアルヘヴンへようこそ』(廣済堂文庫)読了。相変わらず、箍がはずれてしまった人を描かせたらうまいなあ、この作者は。『カムナビ』と並行して読んでいたせいか、文章のリズムのよさが特に印象に残った。むろんひっかかるところもあるのだが、そこはあくまで意識してひっかかる部分として書かれている。『カムナビ』のひっかかり方とは全然違うのですね。
『スイート・リトル・ベイビー』でもそうだったが、牧野ホラーでは説明役のキャラクターが出てくることが多いようだ。作者の説明癖はあとがきにも書かれているけれど、私にとってはこういう作者の姿勢は好ましく思える。
「霊、などというものはないよ。それが死んだ者の魂という意味ならね。さっきの現象は君と私が〈語り得ぬ世界〉を媒介として造り上げたんだ。ある意味二人の幻想だとも言える」(p.218)
「孝雄の霊などは存在しない。しかし我々の間でそれは孝雄の霊として振舞うだろう。さっきのようにね。それならば、正しい術式を用いさえすればそれを呼び出すことも可能になる」(p.219)
などといった説明に出くわすと、多少無理があったとしてもうれしくなってしまう。説明してしまったらホラーじゃない、という人もいるかもしれないが、それだと私には中途半端なだけに思えてしまうのですね。SF者の血なのかなあ。
少なくとも私には、論理が存在しないことより、常軌を逸した論理の方がずっと怖い。
ただ、付記はちょっと蛇足のような気もするな。
あと、今になってようやく思いついたこと。
牧野修『スイート・リトル・ベイビー』と、9月1日の日記で引用した信田さよ子『アディクション・アプローチ』の一節
新生児はもっとも無力でありながら、周囲のケアがないと生きられないので「ケアを誘発する」というパワーを行使する。ケアがないと死ぬかもしれないという恐怖を抱かせることで周囲を支配するのだ。
との関係。
エドガー・ライス・バロウズ『火星の幻兵団』(創元SF文庫)、篠田真由美『イシュタルの子』(廣済堂文庫)購入。しかし、廣済堂文庫がこれほどまでに要チェックな文庫に成長するなんて、数年前には考えられなかったことである。
仕事帰りに池袋を通るので、ニムさんが10月17日の日記に書いていた、池袋要町のブックオフに行ってみることにした。入ってみると、そこはやっぱりブックオフ、ひととおり回ってみても掘り出し物はほとんどない(ブックオフにそういうものを期待しちゃいかんだろ)。なんか古本屋特有のわくわく感がないんだよなあ、ブックオフには(たまに、100円均一棚にとんでもない本があったりすることもあるが)。
何も買うものがないので仕方なく、たまたま持っていないスティーヴン・キング『ガンスリンガー』『ザ・スリー』(角川文庫)と、フリッツ・ライバー『魔の都の二剣士』『死神と二剣士』『霧の中の二剣士』(創元推理文庫)を買う。うう、せっかく古本断ちしてたというのに、買うものがなくても思わず買ってしまう古本屋の魔力である<買うものがないなら買うなよ。
しかし、ライバーのこのシリーズ、三巻の巻末に次巻予告があって「ご期待下さい」とあるんだけど、出たのは確かこの三巻だけだったはずだよなあ。
池袋まで歩いて帰る途中にある八勝堂書店を覗くと、めちゃくちゃ高いミステリやらSFやらがいっぱい(NW-SF1冊2000円とか大坪砂男全集全2巻30000円とか)。眼福眼福。おお、わくわくするが、こりゃとても買えんのお。
学級崩壊というのは、やっぱり電子とかニュートリノとかを放出しながら崩壊するのだろうか。
梅原克文『カムナビ』(角川書店)上巻まで読み終えたのだが、ううむ、なんだかなあ。土偶、蛇神信仰、人体発火……という道具立ては伝奇小説として期待させるに充分なのだが、小説としては文章があまりにもぎくしゃくとしている。なんだか、書かなくてもいいようなことまでだらだらと書いて長くなっているような感じなのですね。分量はこの半分くらいでも充分なような気がするなあ。たとえば、家が出てくるたびになんで5LDKとか8LDKとか間取りを書かなければならないのか(主人公は外から見ただけで江口の家が8LDKだとわかったらしい。ものすごい観察力である)。
さらに致命的なのは、キャラクターにまったく魅力がないことですね。女性キャラは「美貌」だの「魅力がある」と書かれているだけで、読んでいても全然魅力的には見えないし、その女性キャラが登場するたびに主人公は判で押したようにドキドキして下心ばかり抱く。こいつは中学生かい。
これからストーリーはどんどん壮大になっていくのだろうが、ここまでのところ、全体に漂うのは、壮大とは程遠いチープさである。
というわけでこれから下巻を読みます。
ブルース・ウィリス主演の『シックス・センス』を観る。監督・脚本はインド出身のM・ナイト・シャマラン。なんと1970年生まれの29歳。私より若いのか。
冒頭、いきなり出てくるのは「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」というブルース・ウィリスからのお願い。そればかりでなく、この映画の宣伝ではことあるごとに「秘密」が強調されているのだが、これは宣伝としてまずいんじゃないかなあ。ミステリーの場合、「驚愕の叙述トリック!」などという文句がそれだけでネタバレになるのと同じように、あまりにも「秘密」を強調すると、どんな秘密があるんだろう、ということに気を取られて映画が楽しめなくなる可能性が強い。それに、この映画の場合、そういう観方をしていれば、ちょっと勘の鋭い人ならわかってしまうだろう。まったく前例のないアイディアというわけでもないし。これから観る方は、「秘密」のことは忘れて無心で観るのが吉。私はほとんど事前に情報を入れずに観に行ったので、しっかり驚かせていただきました。
小児精神科医役のブルース・ウィリスと、特殊な能力を持つ子どもとの交流を描く、というと昨年の駄作『マーキュリー・ライジング』が思い浮かんでしまうけど、もちろんこれはまったく違うテイストの話。子どもは自分の能力と折り合いをつけ、精神科医は過去と折り合いをつける物語であり、サイコホラーでもあり、伏線の張り巡らされた本格ミステリでもある。これ以上は、何を書いてもネタバレになってしまいそうなので書けません。
田中光二『わが赴くは蒼き大地』(ハルキ文庫)読了。恥ずかしながら、この作品、読んだことがなかったのだ。2205年、人類は突如謎の「敵」の侵略を受けて死に絶えてしまい、生き残ったのは海中都市に住むひとにぎりの人々だけ。「敵」を倒す唯一の方法であるウィルスのサンプルを送り届けるべく、主人公たちはハワイ沖からカリブ海へと決死の旅に出発する、という一見まるでSF版『深夜プラスワン』のような海洋冒険SFなのだが、冒険だけには終わらず、人類の未来にまで物語が及んでいるところがSFならではの醍醐味。25年も前に書かれた作品ながら、古さを感じずに読むことができた。物語を急ぎすぎていてなんとなく物足りないような気もするのだが、25年前はこのくらいの長さが標準だったんだろうなあ。
続けて読了の京極夏彦『巷説百物語』(角川書店)は、京極版必殺仕事人とでもいうべき連作。京極堂シリーズは憑き物落としの話だが、こちらは逆に憑き物を憑かせる話とでもいったらいいか。妖怪小説でありながら超自然的な要素はまったくなく、あくまで論理的な解決がつけられているのは京極堂シリーズと共通するところ。「――」の多用(小松左京より多いんじゃないだろうか)と、時代がかった文章のなかのところどころに明治以降の単語がちらほらと出てくるところが気にならないでもないが、完成度の高い連作短篇集である。
今野敏『慎治』(双葉文庫)、異形コレクションXIII『俳優』(廣済堂文庫)、谷譲次『踊る地平線』(上)(岩波文庫)購入。しかし、谷譲次が岩波文庫とはなあ。そのうち虫太郎とか十蘭も岩波文庫に入る時代が来るのだろうか。
世の中には妙なことを研究してみようという人がいるもので、分裂病患者は普通の人よりも笑いが乏しいんじゃないか、ということを調べた人がいる。河崎建人「笑い表情の精神生理学的研究――笑い誘発刺激およびインタビューに対する精神分裂病者の反応――」なるタイトルの論文である(精神神経学雑誌1989年3号)。
まあ、分裂病の人はなんともいえぬ硬い表情を見せていることが多くて、あんまり笑わない、というのは精神科で働いている人なら誰でも直感的に知っていることなのだが(その反対に、何もないのに一人で笑っている「空笑」と呼ばれる現象もあるのだが)、そんなことを実証的に調査してみよう、と思った人はたぶん今まで誰もいなかった。そこをわざわざてまひまかけて調べてしまったのがこの人なのである。
しかし、いったいどうやって調べたのか。冒頭のサマリーによれば、調査の方法はこうだ。
分裂病者24名と正常者34名を対象とし録画したTV喜劇番組を笑い誘発刺激として用い、その際の笑い反応を大頬骨筋筋電図、GSR、指尖容積脈波、音声、体動によってポリグラフィー記録した。同時に隣室よりTVカメラを通して被験者の笑いの表情を観察し、検者による主観的評価も行った。笑い誘発刺激終了後16項目のインタビューを行いその際の笑い反応も大頬骨筋筋放電によりとらえ、非言語的コミュニケーションとしての笑いも評価した。
いやものものしいですなあ。さらに、1人で番組を見た場合と複数で見た場合の違いを調べるため、男女2人の検者が被験者に同席するという条件でも実験を行った。この際、2人の検者はなるべく強い笑い反応を表出するようにしたそうな。つまり、アメリカのコメディなどに入っている笑い声の役を演じたわけだ。
その結果、分裂病者では正常者よりも有意に笑いが乏しく、また正常者群では複数で番組を見た場合、単独の場合に比べて有意に笑いが増加したが、分裂病者群ではそのようなことはなかったという。これにより、分裂病者には非言語的コミュニケーションの障害がある、という結論を導き出している。まあ、常識を裏づける結果ですね。
また、喜劇番組が何かは書かれていないのだが、「著者らが充分に笑い誘発刺激になり得ると推測した番組を採用した」のだとか。さてその番組の内容なのだが、「第1部は3、4分の独立した6つのコントから構成される寸劇風の喜劇番組、第2部は死んだ振りをして金を騙し取ろうとする内容の落語から題材を取った関西風喜劇」だそうな。そして、「この笑い誘発刺激の中で特に大多数の被験者が笑うであろうと推測される70の場面を選出し、この場面をcheck pointと名づけた。代表的なcheck pointの場面としては、芸者が客を幼稚園児のように取り扱う不調和の場面、収集癖の男性が妻までもを多数収集している意外性の場面、死体が急に立ち上がる予期せぬ変化の場面、単に滑稽な動作の場面など多種多様である」のだそうな。どんな番組だ、いったい。
しかし、関西風喜劇で笑えるかどうかは被験者の出身地に大いに関係すると思うんだが、それについてはどこにも触れられていないんだよなあ。
ところで、この論文の著者の河崎建人氏は大阪大学医学部の先生である。なるほど、いかにも大阪らしい研究といえよう。
買い物でお釣りをもらうときのことを考えてみると、もらう5円玉や50円玉の数は最高でも1枚だが、1円玉や10円玉は最高で4枚までもらう可能性がある(あくまで相手がもっとも少ない枚数でお釣りをくれた場合だが)。つまり、財布の中の5円玉や50円玉はそれほど増えないが、1円玉と10円玉は意識して使おうと思わない限りどんどんたまっていくことになる(同じように100円玉もたまるが、使うことも多いのでそれほど困ることはない)。財布の中が小銭であふれるのをふせぐために必要なのは、2円玉と20円玉でしょう。
200円玉を発行してもいいけど、そうすると硬貨が9種類になってしまい、これは使いこなすのが大変。人間に記憶できる数の限界はマジックナンバー7±1だといわれているけど、これがこの場合にもあてはまるとすれば、硬貨の種類はせいぜい8種類くらいが限界だと思われる。
というわけで、やっぱり私としては、発行すべきなのは2000円札ではなく、2円玉と20円玉だと思うんだけどなあ。
そういや、ロバート・L・フォワードのショートショートに、貧富の差のまったくない理想社会の話があったっけ。実はその世界の貨幣は放射性物質でできており、たまたま強欲なやつが現れて金を貯め込むと、とたんに臨界を起こして爆発するのであった。ひでえ。
霞流一『赤き死の炎馬』(ハルキ文庫)、小松左京『高砂幻戯』(ハルキ文庫)、田中光二『わが赴くは蒼き大地』(ハルキ文庫)、度会好一『魔女幻想』(中公新書)、氏家幹人『大江戸死体考』(平凡社新書)、和田秀樹『〈自己愛〉の構造』(講談社選書メチエ)購入。
大の少年隊ファン(というより東山ファン)の妻につきあって新番組の「少年隊夢」を見る。なんでも少年隊の15年ぶりのレギュラー番組だそうな。「世界まる見え」は? あれは1人ずつだから数に入れないのか。
それほど期待せずに見たのだが、これがなかなかすごい番組なのである。
普通、こういう番組だと、司会がゲストを盛り立てるものじゃないですか。しかし、この番組は違う。逆に、ゲストが司会者を盛り立てるのである。まあ、ゲストが後輩のTOKIOとキンキキッズ(さすがに豪華だなあ)なのでそうなるのは目に見えているのだが、とにかく最初から最後までゲストがかわるがわる司会者をたたえまくる! すごい番組である。毎回こうならもっとすごいのだが。なんとなく次回が楽しみになってきた私である。
上遠野浩平『ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師』(電撃文庫)読了。あいかわらず時間経過は以前の作品と重なっている上、以前出てきたキャラクターが続々再登場。ファンならおもわず年表や辞典を作りたくなってきそうな作り。こうしたマニア受けしそうなポイントをおさえつつも、メインはあくまでほのかな哀しみを感じさせるストーリー。うまいね。毎回毎回謎の組織の怪人が同じ街に襲ってくるという仮面ライダー風の設定で、これだけの話が書けるというのは並み大抵のことじゃないと思うな。
並行して読書中のクリストファー・ファウラー"Uncut"は"Perfect Casting"、"In Persia"、"Black Day of Bad Rock"と3つの短篇を読み終える。"Perfect Casting"は、作者のことばによれば、エドマンド・クリスピンのジャーヴァス・フェンものの影響を受けて書いたクライム・ストーリーだそうな(イギリスでもクリスピンは入手難らしい)。今のところ、スーパーナチュラルな要素の出てくる話はひとつもなし。ホラー作家じゃなかったのか、ファウラー。いろんなジャンルの小説が書ける器用さがあることはわかったのだが、水準はそれほど高くないような。これで190ページ。洋書としては今までの最長不倒をマークしてはいるものの、全部で406ページだから、あと半分。先は長い。
99年10月上旬 2000円札、カエル、そして日原鍾乳洞の巻
99年9月下旬 イギリス、怪文書、そして臨界の巻
特別編 英国旅行の巻
99年9月中旬 多重人格、オークニーに行きたい、そしてイギリスの巻
99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻
97-98年の日記