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1月20日(水)

 えー、突然だが日記のタイトルを変えようと思います。
 「読冊日記」というタイトルは「毒殺日記」とかけているのだけれど、声に出して読むのならともかく、字面だけではシャレだかなんだかわかりにくいし、そもそもモトネタである「グレアム・ヤング毒殺日記」という映画の知名度もきわめて低い(この映画のタイトルを意識しているから、インデックスページでは「風野春樹の読冊日記」と自分の名前を冠しているのだ)。単に読書日記だから「読冊日記」だと思っていた人も多かったみたいだ。
 確かに読書日記という面もあるんだけど、それだけではなくいろいろ雑多な内容も書いているわけで、このタイトルでは、内容をうまく表しているとはいいがたい。
 てなわけでいろいろと新しいタイトルを考えた結果、
「セイシンカから世界を眺めて」
 というタイトルにしてみることに決めた。
 一応これなら、モトネタを知っている人にも知らない人にもだいたいこの日記の性格がわかってもらえるかなあ、と思うんですが(念の為言っておくと、モトネタはA.C.クラークの『スリランカから世界を眺めて』。「ンカ」しか合ってないけど)。
 ほかにも、「人工セイシンカの秘密」とか「地球がセイシンカする日」とか「サイコの猿の惑星」とか「北大路ルサンチマン」とかいろいろ考えたんですが、すべてボツ(笑)。
 ただ、このタイトルだと困るのは、すべての発言が精神科医としてのものだと思われてしまう懸念があることですね。私のことを決して精神科医の代表だと思わないこと。私がここで書いていることはたいがい、きわめて偏った個人の意見にすぎないんだからね。
 明日からタイトル変更予定。
1月19日(火)

 当直。
 「宙返り何度もできる無重力」の下の句発表。そんなにおもしろくもない上の句なのに、なかなかよくできた、というかストレートで前向きな句が揃っていて、なるほどこういうふうに作るのね、と感心。でも、私としてはもっとひねくれた句も読みたかった気もするが。邪悪な句を集めた暗黒物質賞とかつくればよかったのに。
 しかし、小中学生の部で選ばれた「星がまたたき拍手する」ってのは、ちょっとなあ。他の賞ならともかく「科学技術庁長官賞」はまずいだろう、こういう科学的に正しくない句は。そもそも七七になってないし。
 向井千秋さん自らの「着地できないこのもどかしさ」は、かつてミールに取り残されたロシアの宇宙飛行士たちの気持ちを詠んだ名歌(笑)。

 古龍『楚留香 蝙蝠伝奇』(小学館文庫)読了。なんでまたこんなに1冊が薄い本で全3巻なのかと思ったら、実は第1話は上巻のみで完結。中巻と下巻は別の話になってしまうのである。しかもシリーズものの中間の巻だけを訳したらしく、何度も以前の事件やかつての敵について言及されるのがよくわからなくてもどかしい。ちゃんと最初の巻から訳してほしかった。
 武侠小説だというので、アクション主体のカンフー小説かと思ったのだが、意外にも本格推理小説の色合いが濃い物語である。上巻は、甦った死者には同時刻に死んだ別人の意識が入っていたという謎に合理的な解決が与えられる話だし、後半には船上での連続殺人について推理合戦が繰り広げられるシーンがある。金庸の小説みたいな超人的な技と技の応酬という場面はほとんどなく、戦いのシーンもあっさりしたもの。
 昨今のヒーローは、トラウマかかえてたりアル中だったりと、何かしら欠点があるものだが、この小説のヒーロー楚留香にはそんなものはない。明朗闊達でやたらと強く、知力にも秀で、美形で女にはモテモテ。まったく全然悩まない。本書を楽しめるかどうかは、このあまりにも古風なキャラについていけるかどうかにかかっているでしょうね。
 出版元はアジア・ハードボイルドとして売り出そうとしているらしいけど、これはどうみてもハードボイルドじゃないなあ。解説で田中芳樹が書いている通り、ルブランのルパンものみたいな、懐かしの古典的冒険推理である。あまりに大時代な展開にはちょっと辟易しないでもないが、たまにはこういうのも悪くはないかも。
 余談だけど、作中の武芸の技に、扶桑の甲賀から伝わった「大拍手」という技が出て来たりするのだが、これは、どうみても真剣白刃取りですね。
1月18日(月)

 以前、おそろしく気難しい患者さんを受け持っていたことがある。
 とにかく細かい点へのこだわりが非常に強い人で、ひとつひとつ細かい要求を紙に書いては、面接のたびにそれを読み上げる。壊れた鞄を修理に出してほしいと看護婦さんに頼み、修理が済んで届いてみれば、まだ治っていないからもう一度送り返せといってきかない。また、身の回りの品物もすべて行きつけのデパートで買いたいから買いに行かせろという。そのとき外出は禁止となっていたので、デパートまで行くことはできないから生活用品は病院内の売店で間に合わせて欲しいと言ったのだが、なかなか納得してくれない。
 結局、入院中はデパートには行けないので、看護婦さんが売店で買ってくることになったのだが、彼には売店の品物は気に入らないらしく、あれこれと難癖をつけては返しにいかせる。本人に買いに行かせれば、取り寄せはできないのか、など売店にも文句をいう。まさに看護婦さん泣かせの患者さんだった。
 中でも彼がいちばんこだわっていたのがシャツである。背中のところにタグがついているシャツは、チクチクするのでどうしても嫌だというのだ。行きつけのデパートで買うシャツならタグがついていないので、自分で行けないのなら看護婦がそれを買いに行ってこいと言う。それはできないと私は言ったのだが彼はいっこうに譲らず、私では埒があかないからもっと上の先生と話させろ、と言い出した。
 仕方なくちょうどそこにいた年配の先生に応援を頼み、彼と話してもらうことにした。ひととおり彼の主張を聞き終えると、「なるほどねぇ」と、一見のんきそうにその先生は言った。
「そういう人って、けっこう多いみたいですね。実は私の友達にも、シャツのタグが気になるって人がいてね。彼がいつもやってた方法があるんですよ」
「どんな方法なんですか?」それまでむすっとした表情をしていた彼だったが、引きこまれるように訊いていた。
 すると、先生は少し間を置いてこう言った。
「シャツを裏返しに着るんです」
 それを聞いた患者さんは、一瞬呆然とした表情をしたあと、大笑いをしたのだった。それまで私や看護婦さんに対しては見せたことのないような、肩の力の抜けた笑いであった。
「わかりました。裏返しに着てみますよ」
 ひとしきり笑い終えたあと、彼は素直にそう答えた。
 それからの治療も決してスムーズにいったとはいえないけれど、それをきっかけにして、彼も自分の主張ばかりを依怙地に繰り返すのをやめ、私たちのいうことも少しは聞いてくれるようになった。少なくとも、肩を怒らせてにらみつけるように話をすることはなくなった。
 そして、他人の手を借りることを嫌い、たったひとりで常に張りつめた糸のように生きてきたつらさを、ぽつりぽつりと語り始めたのも、そのあとのことだ。
 結局退院までの間にはそれ以上の進展はなく、彼は誰の手も借りず、ぴしっとした服に身を包んで一人で病院を出ていったけれど(だいたい生き方なんてそう簡単に変わるものではない)、彼が少しだけでも自分の今までの生き方を振り返ってくれたってことは、この入院も決して無駄ではなかったのだと思う。
 彼の心をほぐしたあの年配の先生の一言、そういう一言が言えるかどうかが、つまりは治療者としての経験の差ってことなんだろう。私も緊張をほぐそうと思って患者さんに冗談を言ったりするのだが、とても心をほぐすようなところまではいかない。怒られたことならあるんだけど(笑)。
 言葉には確かに人の心を動かす力がある。現在の精神医学界では薬物療法や生物学的研究が全盛とはいえ、言葉の力を使いこなすテクニックは、今なお――というより、薬物療法の限界が明らかになり、人格障害など薬物があまり効かない症例が増えてきた今こそ、重要さを増してきている。
 でも、こればっかりは長い年月をかけて経験によって学んでいくしかないんだよなあ。道は遠い。

 小島瓔禮『猫の王』(小学館)、真鍋俊照『邪教・立川流』(筑摩書房)購入。妖しい本を買ってしまった。
 『爆笑大問題』によれば、太田光は『屍鬼』を読んでるそうな。
1月17日()

 今日は今日とて目黒にソファを見に行く。私はきのうの大塚家具で見たソファのうちのどれかでいいと思うのだが、妻はどうしても見に行くといってきかない。わざわざ目黒くんだりまでつきあわされて、私は終始不機嫌である。私が不機嫌だと、だんだんと妻も不機嫌になっていく。妻は気に入ったソファを見つけたようだが、どうも決心がつかなかったらしく、結局今日も買わずに帰る。
 夕食は目黒の「メコン川」というカンボジア料理店。カンボジア料理というのは初めてだが、ここの料理はどうも気の抜けたタイ料理という感じでそれほどうまくは感じられない。タイ料理だと辛い料理にもどこかマイルドさがあるものだが、ここでは辛い料理はひたすら辛く、まるで胃の腑を焼き尽くさんばかり。なんだか明日腹を下しそうな予感がする。かといって辛くない料理はいいかといえばそうでもなく、なんとも特徴のない凡庸な味である。これは、カンボジア料理自体がまずいのではなく、この店がダメなんだろうなあ。ビールが妙に充実していて、東南アジア各国のビールに、イギリスのエールまでおいてあるのが唯一のとりえ。
 料理も期待外れで、ますます不機嫌。
 ちなみに、私はいつもエスニック料理店の情報は、こちらを参考にしてます。

 田中啓文『水霊 ミズチ』(角川ホラー文庫)読了。日本神話にバイオホラーという、流行りの素材を組み合わせたノンストップホラー小説。長い物語だけれど読み始めたらやめられず一気に読まされてしまうし、あまりといえばあまりに意外な奇病の正体には呆然とするほかはない(唐沢なをきの某マンガを思い出しましたよ、私は)。この真相を読むためだけでも、この本を読む価値は充分にある。エンタテインメントとしては文句なく楽しめる作品である。
 ただ、ストーリーや構成はいいのだけれど、その一方で魅力のあるキャラクターがひとりも登場しないのがちょっと気にかかる。主人公はロリコンで嘘つきだしその恋人は異常に嫉妬深いし、肝心のヒロインもあんまりかわいく描かれてるとはいいがたい。村長とか考古学者とか脇役に至ってはあまりに紋切り型。キャラをこれほどイヤな奴揃いにすることは全然なかったと思うんですが。
 それに、ファックスの暗号(?)とか、読者がすぐぴんと来るようなことを、主人公がいつまでも気づかないってのもどうかと思う。ちょっと読者の知性を低く見積もりすぎているのでは。

 今日は不機嫌なおかげで辛辣モードに入ってしまったかも。
1月16日()

 ソファを買いに「ゆりかもめ」に乗って有明の大塚家具へ。
 久しぶりに来た湾岸は、あいかわらず昔あこがれた未来都市みたいだけど、前に来たときに比べればはるかに人の住む街らしくなっていることに驚く。以前の、完成する前からすでに廃墟みたいだった非現実的な風景も好きだったんだけどなあ。

 前にも書いたように、私は家具屋が嫌いである。妻は家具を見ているのが好きだというのだが、私は退屈で仕方がない。できれば私はどっかで待っていたいのだが、私も座るソファともなればそうもいかない。ソファは座ってみなければわからないのだ。
 ソファは見た感じどれも同じように見えるのだが、これが座ってみると違いは一目瞭然。アメリカ製のソファはふわふわしていてどうも私には座り心地が悪い。ドイツやイタリアのソファは割合硬くて日本人向け。アメリカ製のソファの座面にはウレタンを一つ入れてあるだけだけど、ヨーロッパ製のソファには、座面に硬さの違うウレタンを5層も重ねているものもあったりして、そういうのは値が張るのだそうな。こういうのって家具に詳しい人にとっては常識なんだろうけど、私は初めて知りました。
 ソファは10万円程度のものから、高いものでは100万円を越えるものまであって、見た目だけでは全然違いがわからないけど、店員の説明によれば、いろいろと見えないところに違いがあるらしい。いや、家具の世界も実に奥が深い。
 わざわざ有明まで来たので、今日こそはソファを買って帰らねばと思っていたのだが、結局妻と私の意見が合わず保留ということに。それに輸入物のソファはどれもべらぼうにでかくて、日本の住宅にやさしくないしなあ(背もたれもひじ掛けも不必要なまでに分厚いのだ)。ってことは、またいずれここまで来なければならないのか。やれやれ。

 栗本薫『時の潮』(ハヤカワ文庫JA)読了。久々(10年ぶりくらい?)にスカール大活躍の巻。このへんの時間感覚は、さすがに大河小説の魅力ですな。以前指摘したような文章の荒れはこの巻では特に感じられないけれど、最近は展開が急になってきて、予定のストーリーを消化することに汲々としているような感じがする。特に50巻あたりの、心理描写がやたらと長くてストーリーが遅々として進まなかった頃に比べると、物語のスピードは雲泥の差。キャラクターも最初の頃とは全然性格変わってるし。まあ、ここまで読んできたからには、最後まで見届けるか。
1月15日(金)

 成人の日である。
 私が20歳になったころといったら、大学に入って2年目。私の人生の中でもっともひねくれまくっていたころであった。もちろん成人式なぞには行く気もなかった。
 大学でも、合コンなどしたりして遊んでいる連中には全然馴染むことができず、かといって熱心に勉強している人々にも馴染めず、ひとり孤立していたのであった。
 唯一のなぐさめといえばSF・ミステリ創作系の学内サークルで、毎週土曜日には必ずこの学生会館で仲間とだべり、同人誌には毎号毎号、山ほどの小説を書き、御多分にもれず将来は作家になることを夢見ていた。
 医学部には、医学部サッカー部だのなんだのと、医学部だけのサークルや部というのがあって、多くの医学生はそういう部に入って互いに親睦を深めたりしていたのだが、そういう医学部だけで閉じてしまう雰囲気を嫌悪していた私は、そういう部にはひとつも入る気にはならず、全学のサークルだけに入っていた。おかげで今でも同じ医学部にはあまり友達がいないのだが。
 むろん、女友達などできるはずもない。中学高校と男子校に通っていた私は、大学に行きさえすれば女の子と知り合える、と内心期待に胸をふくらませていたものだが、当然実際はそんなことはないわけで、2年たっても誰とも仲良くなることができず、ひとり鬱々としていたのである。私とて別に孤独を愛していたわけではなく、女の子と知り合いたいよー、と悶々とする日々をすごしていたのだった。ふっ、今となれば若き日の恥ずかしい想い出ですな。
 ひとことでいえば、暗い20歳である。そう、成人した頃の私は、むちゃくちゃ暗かったのだ。

 その後、念願の女性とのおつきあいを始めたり、自分を受け入れてくれる集団を発見したりして、私はずいぶんと穏やかになった。
 ただ、あの暗くひねくれていたころの自分を思い出したくないかといえばそうでもない。むしろ、あのころに戻りたいとすら思うこともあるくらいなのだ。
 あのころの狂ったような創作への情熱、あれはもう二度と戻ってこないに違いない。
 結局、私は満たされない自分を小説にぶつけていたのであり、まがりなりにも満たされてしまうと、描くべきものがなくなってしまったのである。
 私は、精神の安定とひきかえに、創作力を失ってしまったのだ。
 まあ所詮、満たされたくらいで失われてしまうような創作力では、作家になったとしても長く続けていくことは無理だったろうが。

 だから、今鬱々とした20歳を送っている人にはこう言っておこう。
 希望を失うことはない。
 あなたを受け入れてくれる集団はきっとどこかにある。
 そして、少なくとも私くらいには社会復帰できる。
 ただ、それによってあなたは何かを失うかもしれないけれど。
1月14日(木)

 こういう日、オタク精神科医としては、横浜市大の患者取り違え手術と、ピカチュウH同人誌逮捕事件では、どちらをネタにすればいいか悩むところだが、結局目新しい切り口が見つからんのでどっちも取り上げないのであった(なんじゃそりゃ)。
 去年からやってる「黄色/緑色の救急車」伝説のアンケート、そろそろ終息してきたかな、と思っていたのだが、ここにきて「figaroさんのところから来ました」とあるアンケートが続々(笑)。figaroさんが宣伝してくれてたんですね。どうもありがとうございます。
 サンプルもかなり多くなって、少しずつ分布が見えてきたようだ。詳しくは集計結果のページを参照してほしいのだけど、南東北〜北関東、京都を中心にしてその東側の富山、静岡あたりにかけての地域、それから山口〜北九州に「緑色の救急車」地域がある。その他の地域はほとんどが黄色で、黄色と緑の人数の比からみても、黄色がもともとの形で、緑色はそこから派生した形、と考えていいのではないだろうか。北海道で2人、愛媛から1人の方から、黄色から緑に伝説の内容が変化した、ととれる情報がよせられたことも、この推測を補強している。
 特に興味深いのが茨城で、黄色でも緑でもなく「青い救急車」の伝説が伝わっている地域があるらしい。茨城は、南東北の「緑」と南関東の「黄色」がせめぎあっている上、独自の「青」が加わり三色が混沌としている状態。
 緑色が優勢な三地域の共通項は何なのかはいまだ不明。方言周圏論にもとづけば、東北も九州も京都からほぼ等距離だからってことになるんだろうが、今どき情報が京都から伝播してるとはとても思えない。第一これでは京都も同じ色だという説明がつかない。
 これからも引き続き情報をお待ちしていますが、今後は伝説の発信源についても調べていきたいと思います。「○○」という本に載っていたとか、マンガにかいてあったとか、何でもいいですからお待ちしています。都市伝説関係の本とか、いろいろ調べたんだけど、全然載ってないんだよなあ。

 栗本薫『時の潮』(ハヤカワ文庫JA)購入。(爆)はやめろって。使い方違うし。
1月13日(水)

 田中哲弥『やみなべの陰謀』(電撃文庫)読了。かつて書店でたまたま発見した『大久保町の決闘』を一読驚嘆し、森下一仁先生のワークショップでその年のベストに選んだりして周囲に大久保町を布教していた私としては、今これほどまでに田中哲弥がネット上で話題になっているのは実にうれしいかぎり(そのわりには一般の知名度はまだ低い気がするけど)。
 本書でも、『大久保町』以来かわらぬ語り口のうまさと絶妙なテンポが堪能できるけど、それに加えて今度は凝りに凝った構成が楽しめる。よくこんなことやろうと思ったなあ。しかもこの枚数で。ギャグの中にも伏線をはりめぐらし、独立した5つの章が最後にはまとまって、きっちりした時間SFになっているところがすごい。
 ただ、ひと癖もふた癖もありそうなキャラとか美女とかが何人も登場するのだけれど構成上、ひとりひとりのキャラはそれほど書きこまれてない。もっと活躍が読みたい魅力的なキャラが何人もいるだけに、これはちと残念。
 また、最後の第5話はちょっとはしょりぎみなので、時間論理がどうなってるのかまだいまひとつ納得がいかない(図解でもしてみるかな)。まあそう目くじら立てる話でもない気もしますが。
 でも……やっぱりシリーズもの、キャラクターもの全盛の電撃文庫では売れそうにないよなあ。

 やっと見つけた永野のりこ『ちいさなのんちゃん』(アスペクトコミックス)、小松左京『物体O』(ハルキ文庫)を買う。
1月12日(火)

 きのうのドラガノン(一般名アニラセタム)は、掲示板のflareさんの指摘によれば、アメリカでは記憶力を高める作用のある薬として出回っているそうな。本当にそんな効果あるのかなあ。
 ちなみに本日の日刊スポーツでは、ドラガノンのことを「幻覚、興奮作用のある薬」と説明してあった。うーん、そんな副作用聞いたことないぞ(ごく稀にはそういう副作用もあるのかもしれないけど)。いくらなんでもこの説明の仕方はないだろう、基本的には痴呆や脳梗塞後遺症の薬なんだから。そんなになんでもかんでも怪しい薬に仕立て上げたいのかね。
 ハルシオンは即効性のあるすぐれた睡眠導入剤なのに、以前からの悪用事件のおかげでこのごろじゃ処方しにくくてかなわんし、ヒルナミンとドラガノンも、いかにも危ない薬であるかのように報道するマスコミのせいで、悪いイメージがついてしまいそうで心配である。こういう薬は決して怪しい薬などではないんだってば。精神科では普通に使われる薬剤であり、切実に必要としている人がいるのだ。マスコミの側も、服用している人(精神的に不安定で動揺しやすい人も多い)が報道を見てどんなふうに感じるかちっとは考えてくれ。

 オーソン・スコット・カード『奇跡の少年』(角川文庫)読了。もともと私は、カードの作品はどうにも苦手である。敬虔なモルモン教徒だけあって、確固たる信念にもとづいて書かれているようなところが、すべてに疑いをさしはさまずにはいられない性癖の私にとってはどうも居心地が悪くて仕方がないのだ。中でも「アルヴィン・メーカー」シリーズの1作目であるこの作品は、非常にキリスト教の匂いの強い作品で、しかも日本人にはあまり馴染みのないアメリカ建国史を背景にしていることもあり、これまで読んだカードの中でも、いちばん読んでいて居心地が悪かった話であった。
 まず、この物語の舞台になっている改変された建国当時のアメリカがよくわからない。普通の日本人にとって、アメリカ国内の歴史ってのは、意外に馴染みがないものである。アフリカ史ほどとはいわないまでも、少なくともイギリスやフランスの歴史に比べたら、はるかに知られてないんじゃないだろうか。だから、建国当時のアメリカの歴史が語られても、どこが改変されているのかさっぱりわからなかった。確か、現実の歴史ではワシントンは首を跳ねられなかったはずだよなあ、という程度くらいしかわからない。恥ずかしながら。
 また、背景となっている思想も、私にはきわめてわかりにくかった。
 主人公の少年は、キリスト教の教えに論理的な疑いをさしはさむことにより牧師から嫌われている一方、「創造主」の生まれ変わりであり非合理的な奇跡を使うことができる。それと対立するキリスト教の牧師の側はというと、神への無心の信仰を求める一方で科学を信奉し、「合理的説明のつかないものはない」と言ってのける。
 いったい、どこがどう違うというんだろうなあ。私には、どちらの立場も同じものとしか思えないのだ。要は、どちらもキリスト教的なものの考え方にすぎないんじゃないの?
 そして、少年は、キリスト教的な善と悪の対立を超えた「創造」と「破壊」という対立軸の中で、創造の側にいる存在らしいのだけれど、善悪だろうが創造―破壊だろうが、ものごとをこういう二項対立に還元してとらえてしまうあたり、これもやっぱり西欧的なキリスト教の変形にすぎないよなあ。
 で、少年は本当に創造主で、奇跡がいろいろと実際に起こってしまうんだけど、このへんの筆致は、まるで聖書のように何の説明もなく、しかも疑う余地のないものとして描かれていて、どうにも読んでいてむずがゆくなってくる。
 ストーリーテリング自体はさすがにうまいので、決しておもしろくないというわけではないのだが、私にとっては、どうにも苦手な話だったとしかいいようがない。まあ、それでも次が出たら読むんだろうけど。
1月11日(月)

 例の青酸カリ宅配事件、今まで身元がわかっていなかった最後の送り先がようやくわかったそうな。22歳の男子大学生だったらしいけど、受け取っていたのは青酸カリじゃなくて、クロロホルムとドラガノン。
 クロロホルムの用途はまあわかりやすいんだけど、さっぱりわからんのがドラガノンの方。
 ドラガノンは脳代謝改善薬といって、脳血管性痴呆とか脳梗塞後遺症に使う薬。痴呆患者の多い老人病棟ではよく使う薬である。別に飲めばハイになれるわけでもなし、大量に飲めば死ねるわけでもない(そりゃべらぼうにたくさん飲めば死ぬけど、それはどんな薬でもそうだ)。どう考えても悪用の可能性など思い浮かばない薬なのである。
 大学生が痴呆の薬買ってどうするというんだ。いったい彼はこれを何に使うつもりだったんだろう。それに、送る方も何といって送ったんだろうなあ。
 このニュース、うちの病院では大ウケ。一連の事件のオチとしては最高なんだけど、ちとわかりにくいのが難点ですな。

 夜は、妻が見たいというので中森明菜主演の異常心理もの『ボーダー』を見る。手垢がついた異常心理ものを今さらやるってことは、よほど新しい趣向をこらしてくれるんだろうな、と期待して見始めたのだが、キャラクターも物語も単なる沙粧妙子の二番煎じにしか思えない。細身の女性ばかりが選ばれているから、犯人はモデルのスカウトを装って犠牲者を漁っていたに違いないって、そういうのはプロファイリングではなくてただの思いつきというのでは。第1話を見た限りでは、沙粧妙子に比べてもだいぶ出来が悪そう。

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99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

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