3月10日(水)
毎日毎日繰り返される日常。終わりのない現実。私たちの住むこの世界はあまりにも単調だ。平凡な人間にとっては、死ぬくらいしかこの現実から脱出する方法はないけれど、生きながらにしてこの世界から「あちらの世界」へのジャンプに成功した人たちもいる。人はそれを「狂気」と呼ぶかもしれないが、それはむしろ、この閉塞した現実世界からの「解放」なのではないだろうか。この世界を離れて「あちらの世界」へと旅立っていってしまった人たちは、いったいどんな光景を見ているのだろうか……。
なーんて甘いことを考えている人が、この日記を読んでいる人の中にも必ずいるはずだ。恥ずかしがらずに手を挙げなさい。
いや別にそんなふうに思っていても、恥ずかしいことでは全然ありません。むしろ精神病者と普段接していない普通の人は、そういうふうに考えている方が自然だろうなあ。私だって、学生時代に精神科医を志望した理由の一つに、そんな「狂気の世界」への甘い憧れがあったことは否定できないのだから。
学生時代の私と同じように漠然と狂気に憧れている向きにはまず、春日武彦氏が書いた名著
『ロマンティックな狂気は存在するか』をお勧めしておきたいのだけど、私の経験から言っても、実際そんな甘い期待は、精神科で2年も仕事をすれば打ち砕かれてしまった。確かに分裂病患者たちは、この現実とは違う「もうひとつの世界」に生きている人たちなのだけれど、実のところ、彼らの抱いている妄想のバリエーションなどというものは、たかが知れているのである。
狂気に陥った人というのは、別に現実のくびきを離れて自由な世界に旅立つわけではない。むしろ、心の中にはいくつかの穴があって、患者さんはそのうちのどれかにはまって出られなくなっている、という比喩の方が事実に近いだろう。狂い方にもいくつかのパターンがあるのだ。
誰かに見られているとか追われているとか、テレパシーで自分の考えていることが他人にわかってしまうとか、分裂病の妄想は、たいがいありふれたいくつかのパターンに収まってしまう。「スパイ」に「電波」に「テレパシー」。そこには確かにキッチュで安っぽい独特の魅力はあるものの、学生の頃に思い描いていた「狂気の世界」とはまったく別のものであった。「解放」としての狂気なんていうのは絵空事に過ぎなかったのである。精神科医になりたてのころには、ありえない出来事を真剣に主張している姿を前にすると世界が揺らぐような感覚を覚えたものだが、彼らの話を聴くのが日常になってしまえば別になんてことはないものである。本当にオリジナリティあふれる妄想世界に住んでいる患者さんに出会うことなど、めったにないのだ。
結局、狂気の想像力なんてものは、SFやファンタジー作家の想像力には遠く及ばないのである。
笠井潔
『哲学者の密室』(光文社文庫)、ジェイムズ・アラン・ガードナー
『プラネット・ハザード』(ハヤカワ文庫SF)(買わないつもりだったのだが、
大森望さんの「すごくへん」という感想を見て結局買ってしまったよ)、小松左京
『男を探せ』(ハルキ文庫)、桑原譲太郎
『アウトローは静かに騒ぐ』(ハルキ文庫)購入。
3月9日(火)
今日は当直。
3月4日にサマータイムの話を書いたところ、Hatta Shozoさんからこんなメールを頂いた。
私はコンピューターのコンサルタントを生業としておりますが、SummerTime導入でどれだけ無駄な人的リソースが消費されるのかと思うとぞっとします。やめてほしいと切に思います。
省エネのためであれば、最も良いのは「夏の甲子園を秋の甲子園に替える」ことだと思います。これは私のオリジナルではなく、むかーし誰かのエッセイでそれっぽいことが書いてあったのを思い出したのですが。
ご存じの通り、電力の消費量は、夏の甲子園準決勝にピークを迎えます。理由は誰でもわかるとおり、エアコンをがんがん効かせてテレビにかじりついている人の人口が最も増えるからですね。
その通りだよなあ。もちろん「学業に差し支えないように夏休み中にやらなければならない」という理由はあるんだろうが、それにしてもなぜまた真夏の最も熱い盛りに高校生に野球をやらせなければいけないのか。どう考えてもあれは地球にやさしくないし、選手にもやさしくない。選手は冬に補習をするとかして、大会は秋にするわけにはいかないんだろうか。
そのうち選手の誰かが熱射病で死ぬまで改善されないんだろうなあ、あれは。
3月8日(月)
妻と買い物に行った帰りに神社の前を通りかかると、境内で何かの撮影をやっている。時代劇か何かだろうか、と思って近づいてみると、照明とレフ板に囲まれて、戦隊もののような仮面をつけた女の子が、短いスカートから白いパンティをのぞかせながら飛び蹴りをしているではないか。
おお、これはどう見ても変身ヒロインもの。しかもこのパンティののぞき具合は、Vシネマかテレ東あたりの深夜ものと見た。しかしこのコスチュームは見たことないなあ。なんだろうこれは、と首をひねりながら見物していると、妻は早速スタッフらしき人に声をかけて聞いている。
なんでも、4月からテレ朝系深夜枠で始まる
『バニーナイツ』という新番組のロケだそうな。推測はほぼ当たってましたな。しかし、ついにテレ朝も深夜変身ヒロインものに手を出すのか。まあ『テロメア』も似たようなものだったけど。
キューブリック監督死去。ああ『AI』は幻に終わってしまったのか。
3月7日(日)
朝帰りをして爆睡。午後3時ごろ起きたあとは妻も私もひたすらゲームをしてだらだらとすごす。
妻は私が買ってきた
『WoRKs DoLL』が気に入ったようですっかりはまっている。これって要するに懐かしの『リトル・コンピュータ・ピープル』ですね。ミニキャラが家の中でうろうろしているのを見て楽しむという環境ソフトである。子供が育って行くのを見守っているようでなかなか楽しいのだけど、エロを求めて買った人はがっかりしただろうなあ。
私はプレステの
『ワールド・ネバーランド2』。これも『WoRKs DoLL』と同じような箱庭世界ゲーム。架空世界で仕事をし、恋愛をし、結婚して子どもを育て、と日常生活を送るゲームである。これが単調なんだけどはまってしまうのだなあ。仕事が単純だったり、会話パターンが少なかったりと難点は多いのだけど、そこはプレステの容量の限界ってことなんだろう。こういうゲームこそ、大容量のパソコンで出してほしかったなあ。あとは恋人を複数持てないのと離婚ができないのが難点かな(おい)。
3月6日(土)
今日は私が大学時代に所属していた「新月お茶の会」という創作サークルの部室獲得記念パーティ。SF専門というわけではなく、ミステリ、ファンタジイでもなんでもありの雑多な創作系サークル。伝統ある東大SF研の向こうを張るつもりなどさらさらなく、私がいたころはごく小規模にちまちまやっていたのだが、ここ2、3年は毎年コンスタントに5〜10名が入部しているようで、異様に膨れ上がっている。いったいどうしたことなのか。
私がいた頃は1学年に3人いれば多い方だったので、まさに隔世の感。当然のことだが、パーティ会場も知らない顔ばかりである。いやあ変わったものだ。
パーティのあとは若い連中とは別れて、朝日新聞学芸部のO氏、講談社少年マガジン編集部で金田一少年の担当をしているT氏、東京大学図書館に勤めるA氏とともに飲み屋になだれ込む。O氏は学芸欄でアニメや特撮の記事をばりばり書いて、庵野秀明や水木しげるのインタビュー記事を載せたりしているという、
タニグチリウイチさんの朝日版みたいな人(「アニマゲDON」という力が抜けるようなネーミングは彼の責任ではないとのこと)。一方のT氏は金田一少年の担当で、MMRの登場人物としても知られる(笑)。
T氏から聞いた話で新鮮だったのは、現在コミックにとって脅威になりつつあるのは、BOOK-OFFとマンガ喫茶だということ。コミックは新刊から2日もすればBOOK-OFFに並んでしまう上、乱立しているマンガ喫茶は新刊でなく古本屋から本を仕入れているところが多いらしく、それがコミックの売り上げをかなり圧迫しているのだそうな。中古ゲームソフト問題と同じ構図ですね。
しかし出版社がBOOK-OFFを相手にするということは、古本屋という長い伝統を持つ文化を相手にすることであって、これはさすがに無理だろうなあ。
その後、新本格ミステリやSFの未来について語り合うが、私の立場は読者(とちょっとだけ作家)の立場からのものなのに対し、彼の視点はやっぱり編集者のものなんだよなあ。それも、日本で最も売れているマンガ雑誌の編集者の視点。どうすれば売れるか、というところが出発点になっていて、それをSFやミステリに適用するのはどうも違和感を感じる。確かにそういう視点も必要だとは思うんだけどね。
結局、終電も逃がしてしまい、朝までただひたすら語り合っていたのだった。
いや、なかなか楽しい夜をすごせました。
3月5日(金)
観てきましたよ、
リバーダンス。リバーダンスっていっても日本じゃあんまり知られていないので、そんなに客が入らないんじゃないかと思っていたのだが、そんなことはなく広い東京国際フォーラムAホールは大入り満員である。さすがはフジサンケイグループの力。
私たちの席はというと、去年11月のチケット発売直後に買ったので、前から5番目という絶好の位置。早めに買っておいてよかったぜ、と己の先見の明を自画自賛し、そればかりか鼻高々で妻に自慢していたところ(嫌な奴である)、前の席に小学生くらいの子供がぞろぞろとやってきた。後ろから派手目の服を着た母親が来て、3人の子を席に座らせている。
げっ。まさか子供が来るとは。ぎゃーぎゃーわめいたりしないだろうなあ。しかしここはS席だぞ。そこに3人の子連れで来るとは、この母親、むちゃくちゃ金持ちなのでは。
妻は「絶対芸能人の子供だよ」と耳打ちする。そうかもしれんな、と思っていたら、しばらくしてやってきたのは案の定芸能人。それもなんと
五木ひろしではないか。しかし、リバーダンスと五木ひろし。これは誰も思いつかない組み合わせだな。
ちなみに子供たちはまったく騒ぐことなく、きわめて優良なマナーで観賞していた。観劇慣れしとるな、こいつら。
さてリバーダンスだが、これは
凄い。
ただただその一言である。
普段大きな文字を使わない私が、あえて大きなフォントで主張したくなるほど凄いショウである。
もう一度言う。
これは凄い。
例えそれほどダンスに興味がなくても(私もそうだ)、このショウは絶対に楽しめる。
アイリッシュダンスってのは基本的には手を使わず、足の動きだけで見せるダンスである。ケルト音楽は好きだけど、いくらなんでも足技だけでは飽きるのではないか、などと観る前には思っていたのだが、始まった瞬間にそんな不安は吹き飛んでしまった。
確かにダンスがメインではあるのだが、それだけではなく、ゲール語の聖歌、フィドルなど民俗楽器のソロ、フラメンコもあるし、黒人タップダンサーとアイリッシュダンサーのセッションなど見所は山ほどある。これはもうダンスショウなんていう生易しいものじゃないですね。歌と踊りと楽器が渾然一体となったジャンルミックス・エンタテインメントなのであった。
ラストでダンサー全員が一糸乱れぬ動きでアイリッシュステップを踏むと、まさに体を揺るがすような振動が椅子から伝わってくる。
こいつは凄いよ。
久々に感動しましたよ、私は。
ちなみに、なぜリバーダンスに五木ひろしが来ていたかだが、
このページを見て謎が解けた。4月から始まる芸能生活35周年記念公演「歌・舞・奏スペシャル」で
「映画『タイタニック』の主題歌などをリバーダンス風にアレンジしたダンスパフォーマンスにも挑戦する」のだそうな。
やれやれ。
(せっかく心の底から感動してるというのに、こういうオチかい)
3月4日(木)
asahi.comによれば「2001年度サマータイム制導入法案を4月にも提出へ」だそうだが、私はサマータイムには断固反対。だってなあ、うちには、パソコンに電話、ビデオにCDコンポ、炊飯器に電子レンジと、内臓時計が少なくとも20個以上はあるぞ。これを全部1年に2回も修正しろというのか。
当然、サマータイム導入となれば「サマータイム対応」と銘打った電気製品が続々と発売されるんだろうなあ。もしやこれは電気業界と結託して消費拡大、景気回復を目論む政府の陰謀なのでは。
そんなことを考えて「サマータイム」を検索していたら、サマータイム推進派の総本山
「地球環境と夏時間を考える国民会議」のページを発見。これまでの会議の議事録要旨が載っており、当然ながら賛成意見が大半なのだけれど、反対意見や疑問点の代表的なものもちゃんと押さえられていてけっこう参考になる。ただし、疑問にちゃんと答えられているかは別問題だけど。
例えば第1回の会議では、ある委員が私と同じタイマー修正についての疑問をぶつけているが、それに対する副座長の回答はなんともそっけない。
夏時間、冬時間は、内蔵されているものがあって、デジタル時計でもポンと押すと切り替わるものがあります。それを導入するとまたコストは高くなるかもしれませんけれど。
だあ。やっぱりそうくるか。
こんなことを言う人もいる。
「システム処理による日計の締めのスケジュールのプロセスは、かなりの期間の準備と価格のシステムの設定変更技術者を派遣する必要がある」というような意見がありますので、コンピュータのシステムに関してはいろいろな形での経費がかかってきたり、逆に言えばビジネスチャンスが広がったりということがあるということだと思います。
やっぱりビジネスチャンスを狙っているのだな。
かと思うと、
アフター5は、明るいうちに家族が学校や職場から帰り、趣味にしている小さな菜園の手入れが出来る。また、週に一度くらいは家族揃ってレストランでの食事や、2日に1回くらいはテニスで汗を流す生活がイメージできる。
なんてことを言ってるひともいるなあ。菜園にレストラン、それにテニスと来ましたか。けっ。こういうのを推進する人たちのイメージって、なんでこうもまた貧困なんだろう。まあイメージしたければ勝手にすればいいんだけど、私はそんな生活なんてまっぴらだ。だって、いくら明るくても5時は5時、24時間は24時間なんだから、余暇の時間を増やせば寝る時間を減らすしかないだろうが。
この点は、委員の中にさえ勘違いしている人が非常に多くてイヤになってしまう。
「私は朝型人間で、朝早くから仕事をしており、午前中に自由な時間が増えることは嬉しいことです」と言ってる人とか。だから増えないんだってば。
サマータイムを推進する国民会議からしてこうなんだから、一般の人はどれだけ理解しているか不安になってしまうよ。サマータイムを導入したって、単に日の出の時間と日没の時間が1時間遅くなるだけで、日照時間も増えないし、1日の長さも長くはならない。こんなのは常識ではないのか?
議事録を読んでいると、
「女性がゆとりある時間を持つには、男性も明るいうちに家庭に帰り、家事を分担し、家族との団欒を楽しみたい」という人もいれば、
「サマータイムで5時に仕事が終わると、従来の4時に相当するわけですから、まだ明るくて家に帰る気が起こりません。そこで、買い物などをするでしょうから、大変な経済効果が見込まれ、地方都市の空洞化対策にもなります」なんて人もいる。矛盾しとるぞ、おい。要するに、サマータイムを導入したらどうなるか、国民会議の人にも全然わかってないのではないのかな。
まあ、サマータイムなんぞが導入されようとされまいと、私は家に帰ればSFを読み、インターネットをやり、今と変わらぬ生活を続けていくだろう。日没が早くても遅くても何の変わりもない。単にタイマーの切り換えが面倒なだけ。こんなもの導入して何の得があるのかまったく理解できんよ。
それでもまだ、省エネルギーのためにどうしても必要だというのなら、いっそ日本の標準時自体を1時間ずらしたらどうか。
南鳥島のあたりに標準子午線を持ってくる。いや、これは別に馬鹿馬鹿しい話ではなくて、実際ウラジオストックなんか、経度は広島と同じくらいなのに日本より1時間進んでるし、日本とほぼ経度が同じオーストラリア中部だって30分進んでいるのだ。年に2回面倒な儀式をするくらいだったら、むしろその方がましだと思うんだけどねえ。
やっとでた
『ホラーウェイヴ2』購入。さくらやにて、妻から頼まれていた
『サイレントヒル』に、『屍鬼』風吸血鬼シミュレーション(笑)
『ヴァンピール』も買う。
明日はいよいよアイリッシュなダンスショウ
『リバーダンス』を観に行く予定。以前から楽しみにしていたのだ。
3月3日(水)
ウルトラランキングというアクセス解析サービスを導入してしばらくたつのだが、このサービスのおもしろいのは、当ページを読んでくれている方がどこから飛んできたかがわかるところ。アクセスしてきたドメイン名がわかるわけではない。あくまでうちのページがどこからリンクされているかがわかるだけである。
このランキングによれば、うちのページに来た方がその前に見ていたページのベスト6は以下の通り。
いやいや、予想通りというかなんというか(しかし、このページが6位に来るとは)。4位のページには今はうちへのリンクは張られていない。リンクがあったのは短期間だと思うから、瞬間風速がすごかったということだろうなあ。まあ何にせよ、リンクしてくれたみなさま、どうもありがとうございます。
やっぱりシュワちゃんがパスポートなくして困ってたら入国させるだろ、人として。それに直筆サインは絶対ゲットしたいと思うよなあ、普通。法務大臣になったんだからそれくらい役得があってもいいと思ったんだろうなあ。気持ちはわかるぞ
中村正三郎(あ、このリンクは違うな)。しかし、政治家の起こす不祥事としては、異様にわかりやすい動機の事件だなあ、これ。
いずれオタクが政権を握るようになったら(なるのか?)、こういう大臣が増えるような気もする。
緒方剛志さんの絵に惹かれて(グラフィック監修だけだけど)
『WoRKs DoLL』購入。『雪色のカルテ』と同じスタッフだけに、またまた凝ったシミュレーションゲームみたい。
3月2日(火)
鮎川哲也『五つの時計』(創元推理文庫)読了。
実は私、鮎川哲也の作品をほとんど読んだことがない。凡人探偵とか時刻表トリックとか日本のクロフツとかそういう評判を聞くたびに、どうも地味で辛気臭いような気がして読む気がしなかったのだ(そういやクロフツもほとんど読んでないな)。しかし、鮎川哲也といえば今や本格ミステリ界の長老である。本格ミステリファンを名乗るからにはやっぱりそういうことじゃダメだろうなあ、食わず嫌いはいけないよ、うん、と思ったのがこの短篇傑作選を読んでみた理由。
読んだ感想なのだが、ううむ、やっぱり事前の予想どおり、面白くありませんでした。確かに論理的ではあるのだけれど、真相が明かされても全然驚きが感じられないのはどうもなあ。私の考えでは、本格ミステリはSFと似たところがあって、人間が描かれていなくても展開が不自然でも全然かまわないから、今まで信じていた世界が結末で一気にぐるりとひっくりかえるような衝撃が決め手だと思うんだけど。そういう感動が、鮎川作品にはないんだよなあ。
しかし、巻末の座談会では、山口雅也、北村薫、有栖川有栖といった本格作家たちが一様に大鮎川をほめたたえている。ってことは、これを面白いと思えなければ本格ファンとはいえないってことなのか? だとしたら私はニセ本格ファンでいいです。ごめんなさい。私には鮎川哲也の面白さはわかりそうにありません。
わかりそうにない、といえば私には写真の見方もよくわからないんだよなあ。今日の夜は妻と待ち合わせて、虎ノ門のギャラリーへ。妻の知り合いが写真展を開いているのだという。ギャラリーは小ぢんまりとしていて、入り口はまるで普通の家のよう。大通りから引っ込んだところにあるし、一見するととてもギャラリーには見えないし、ふりの客は絶対に入らないような建物である。ふうん、写真展ってのは、こういうところでやるんですか。
展示されているのはベトナムやインドを旅して撮った写真なのだが、今まで写真展なんてものにはとんと縁がなかった私なので、どんなところにポイントをおいて観賞すればいいのか全然わからない。ベトナムの露店を撮った写真に、日本の合体ロボのパチモンみたいなのがいっぱい並んでたのが面白かったですね(いいのか、こういう見方で)。
ひととおり見て回った後、妻はギャラリーの二階で売られていたアンセル・アダムスのカレンダーに心惹かれて購入する(おい)。1000円で安かったし。
3月1日(月)
"bedlam"という英単語がある。
リーダーズ英和辞典によれば、意味は「気違い沙汰、騒々しい混乱の場所」。Infoseek英語版で調べるとこの単語を使ったページが山ほどヒット。BEDLAM A GO GOなんていうページもあったし、そのものずばりBEDLAMというアクションゲームもあるらしいなあ。
でもねえ、この単語、ほんとは"Bethlehem"がなまったものなのだ。つまりベツレヘム。キリストが生まれた場所ですね。
それがなんでまた「気違い沙汰」なんて意味になったかというと、それはロンドンにあった「ベツレヘム聖マリア慈善病院」という病院に由来する。この病院は、もともとは1247年にロンドンのビショップスゲイトに作られた修道院だったのだが、15世紀初頭には精神病患者を収容するようになった。つまり、これこそ世界初の精神病院のひとつ、そしてその通称が"Bedlam"=べドラムだったというわけなのだ。精神病院だから「気違い沙汰」。わかりやすすぎるというか何というか……。
べドラムは1666年のロンドン大火で一度消失、1676年にロンドン郊外のムーアフィールズという場所に再建されているが、このとき設計にあたった建築家の名がロバート・フック。理系の方なら、どっかで聞いたことのある名前では? 実は彼はニュートンのライバルとして知られる科学者でもあるのだ。バネの伸びについての「フックの法則」で名を残しているし、顕微鏡を覗いて細胞を発見し"cell"と名づけたのもこの人。人間の呼吸のしくみについての本も書いている。驚くほど多彩な人物ですな。こういう人物が活躍できた時代がうらやましい気がする。
さて、このフックが新築したべドラムは、100人から150人もの精神病者を収容できるようになっており、門の上には、鎖に繋がれ叫び声を挙げる男と、憂鬱に打ちひしがれる男の石像が設置され、入る者を見下ろしていたとか。まさに狂気の世界への入り口である。
この新べドラム、「パリのチュイルリー宮にも較べられる壮麗な建築」(ってどんなだ)で、ロンドンの新名所として多くの見物客を集めた。病院側も見物人からひとり1ペニーの金を取って、独居房に鎖で繋がれた狂人を見物させたという。病院の1年の観光収入は400ポンドにも上ったというから、年に10万人もの人々が訪れたという計算になる(らしい。イギリスの通貨単位はよくわからん)。つまりこの時代、精神病院はロンドン子たちの娯楽施設だったのである!(ホガースという画家は
二人の着飾った貴婦人がべドラムの狂人を見物している絵を描いている) 今でいえば、これにいちばん近い施設は
動物園ということになるだろう。
べドラムの話ではないが、フランスのビセートルという施設では、猿回しのように、患者を鞭で打って踊りや曲芸をさせて名声を博した番人もいたらしい。うーん、まさに大槻ケンヂの「くるぐる使い」を地で行く世界ですな。
精神病院は動物園、というのは別に単なる思いつきではなくて、実際患者は動物なのだった。この頃の常識でいえば、狂人は正気を失った人間ではなく、自然な凶暴性を示している動物なのである。
狂人は人間ではないのだ。
狂人たちが、家畜小屋のような部屋で首に鉄の輪をはめられ、鎖に繋がれて収容されているのはそういうわけなのであった。
精神病患者を動物扱いとは許しがたい人権蹂躙、と現代の感覚で憤り、患者たちの悲惨な運命に心を痛めるのは簡単だが、あんまり意味のあることとは思えない。倫理観というのは時代によって変わるもの。今の基準だって決して絶対ではないのだ。いずれ、動物園で動物を見るのが許しがたい行為だと言われる時代にならんとも限らないのだから。
ロンドン美術館では、97年に
べドラム750年記念展が開かれたらしい。
そのページ。19世紀の狂人写真から、べドラムに20年間入院していた幻想画家リチャード・ダッドの絵まで。うーん、見たかったなあ。