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2月20日()

 光瀬龍久々の長篇『異本西遊記』(ハルキノベルス)を読む。西遊記とはいってもそこは光瀬龍のこと、舞台は唐代ではなく幻想の古代中国だし、目的地は天竺ではなくサマルカンドに変更されている。
 もちろん、かつての傑作群と比較するのは酷というもの。現代風俗を織り交ぜたりして軽さを目指しているのだろうけどあんまりうまくいっていないし、ストーリーはないも同然。ところどころに作者が顔を出していきなり戦時中の想い出話を始めたりするところなど、いかにも老作家の手すさびという感じだ。
 光瀬宇宙SFの原点に西域への憧れがあるのは有名な話。この作品でも作者が描きたかったのはストーリーよりもあくまで西域らしく、はっきりいっておもしろくない物語の合間合間に、荒涼たる西域風景の描写が入ると、一気に文章が引き締まってくる。まさにかつての光瀬節そのまま。さらにオリハルコンとかアシュラオウ、リーミンとかいう固有名詞までちらちらと顔を見せるのが懐かしいところ。
 まあ、熱心な光瀬ファン以外は読まなくてもいいような作品だけど、いまだ書かれていない光瀬龍のシリアスな西域ものに思いを馳せるよすがにはなる。期待してるんですが、光瀬先生(いつか第三の『派遣軍帰る』が書かれる、という話もあったなあ)。

 ユーロスペースでは今日から4月2日まで「ロシア映画秘宝展〔幻想&SF〕特集」をレイトショー上映。まずはゴーゴリ原作のカルトホラー映画『妖婆・死棺の呪い』を、溝口@書物の帝国さん、森山@独断と偏見のSF&科学書評さんと待ち合わせて観に行く(あとから森太郎@森太郎のサイトさんも合流)。
 スタッフが二人もいるので例のDASACONという衝撃的なネーミングの由来などを訊くが、溝口さんは「森さんが強く推したので決まった」と言うし、森さんは森さんで「この名前で本当にいいのか、と何度も念を押した」と言うしで、誰がつけたんだかよくわからない。しかし、この名前がのちのちまで語り継がれるんだぞ。本当にこれでいいんですか。いいというなら止めはしませんが(笑)。
 さて映画の方だけど、魔女にからかわれて逆に殺してしまった神学生ホマーが、三晩の間魔女から恐ろしい復讐を受けるという話(いいのかこんなまとめ方で)。前半はやや退屈だが後半になると物語は俄然盛りあがる。美女の死体は甦るわ、棺は飛びまわるわ、特撮のてんこもりである。特に、異様な姿の妖怪が大挙して襲いかかるクライマックスは圧巻。なるほど「ヴィイ」というのはこういう生き物だったのか(笑)。
 確かにところどころ笑ってしまうようなところもあるのだが、特撮は決してチープではなく、かなり力を入れて作られていることがわかる。ソビエトの特撮人の心意気が伝わってくるような映画である。美人の女優さんの演技も迫力があるし、今だからこそ笑って観られるが、もし子どもの頃に観たとしたら、トラウマになるくらい怖い映画だったかも。
 家に帰ってから、本当に文豪ゴーゴリがこんな話を書いたのかと思い、創元の『怪奇小説傑作集』の「ヴィイ」をめくってみたところ、これが映画と寸分たがわぬほど同じなのだった。台詞までほとんど同じなのは驚きである。やるな、ゴーゴリ。

 しかし、今年に入ってからの私は『なぞの転校生』『地球に落ちてきた男』『アインシュタインの脳』とマイナーな映画ばっかり観てるな。
2月19日(金)

サイトの評価基準のマイナス要素として、以下のものを追加しようかな、と。
・「背景が星空」のトップページ
・書き手が読み手を笑わそうとしていながら、自分のほうが先に笑っているようなサムいページ
 と細田さん。「背景が星空」……って、うちがまさにそうではないか。そうかマイナス要素だったのかこれは。こういうトップページは多いかと思っていろんなサイトを見たけど案外少なかったので、これにしてみたんだけどなあ。それに、トレッキーだし(トップページの星はどっかの海外のスタートレックサイトから入手したものである)。
 実は、そろそろこの表紙にも飽きてきたのでそのうち模様替えでもしようかと思っていたところだったのだが、細田さんにあんなことを言われたから変えたのだと思われるのも業腹なので、しばらく(いやたぶん私のことだからずっと)このままとする。ノックスの十戒を読んだときまっさきに考えたのが「これをすべて破ったミステリが書けないか」だった天邪鬼な私としては、このようなことを言われるとますます意地でも変えたくなくなってしまうのである(当然、のちに聖書の十戒のくだりを読んだときも「いつかこれをすべて破ってやるぜ」と考えたものである。でもあれは「殺人」がいちばんのネックなんだよな。外科医になればよかったか<をい)。
 次に模様替えをするときには、背景からアイコンに至るまですべてのパーツを意味もなくフランスの素材サイトから使用し、フランス直輸入!(笑)とか称してみようかな、とかそんなことを考えてみたこともある。


 とか、


 とか。
 いや、何の意味があるのかと言われても困るのだけど。
 まあ、冷静に考えてみればこんな部品を使って見るに耐えるページができるとも思えないし、そもそもページのデザインとかそういうことは大の苦手な私なので、これで面倒な模様替えをしないで済むいいわけができたのはめでたいことでもあるのだが。

 佐藤賢一『傭兵ピエール』(集英社文庫)、鮎川哲也『五つの時計』(創元推理文庫)、リチャード・ヴィラー『戦場を駆ける医師』(原書房)購入。
2月18日(木)

 精神医学雑誌には一例報告というのがあって、ある医師の経験した珍しい症例とか興味深い症例を紹介するような論文がよく載っている。たったひとつの症例だけであれこれものを言っているわけで科学的な立場からすればあんまり意味はないし、たいがいは精神医学全体の進歩にはなんら寄与しないような論文が多いのだが(問題発言かも(笑))、読んでいて断然おもしろいのはこういう論文である。
 こないだ見つけたのは、臨床精神医学の1992年11月号に載った論文で、タイトルが「『ミロクザル』に憑依された1症例をめぐって」(山口利之)。タイトルからして謎である。ミロクザルって何だ。
 登場するのは初診時46歳の男性公務員。憑依現象の症例は女性が多いので、この年齢の男性というのは珍しい。以下、原論文の通り。
 患者は「憑きものが自分の行動や考えを操る」と訴えて受診した。「『ミロクザル』が勝手に私の口を動かして喋ったり、からだを重くさせたりします。頭から風のようなものを吹き出し、時には記憶さえ失わせます。『ミロクザル』に負けないように頑張っていますが、相手の方が強いので負けてしまいます」と立て続けに喋り始めた。
 医者が「『ミロクザル』はあなたが病院へ来たことをどう思っているんでしょうか」と尋ねると、声の質が1オクターブ高くなり、にわかに猿を思わせる顔貌となって、「一緒に来た方がよかったんだわね、先生! ウゥー、ウゥー(低い唸り声で)、いずれにしても出て行かなおさまりがつかんわ!」と叫んだ。
 医者が「『ミロクザル』は出て行こうと思っているんですか」と問うと、「出るに出られぬ籠の鳥! ナンミョウホーレンゲキョウ、○○○(某仏教宗派)の仏はクソ仏!」と大声で述べる。
 医者が「出たいが出られないんですね」と聞くと、「ウゥー、ウゥー(高い唸り声を発する)、フィー、フィー(強く息を吹き出し、顔貌は忿怒の形相に変わる)、出て行かなおさまりがつかんわ! フィー、フィー、仏のすることではないわ! (大声で叫ぶ)、見てけつかれ!……このやろう!(手とからだを振るわせ大声で叫ぶ)」という。
 医者が「『ミロクザル』にも自分の世界があるんでしょうね」と尋ねると、「よわったな! よわったことがこの事実! 必ず富士の○○寺へ帰ります。ウゥー、ウゥー(低い唸り声で)」と答える。ここで一瞬の沈黙の後、怒りの表情が崩れ、我にかえったかのように「こういうことを毎日やっているんです」と述べ、ちょっと照れ笑いを浮かべてもとの穏やかな表情に戻った。
 というのだが、「ミロクザル」の口調はユーモラスで、なんとも牧歌的な光景のようだ(憑依されている本人にとってはたまったものじゃないのだろうが)。ミロクザルという印象的な生物は、別に民間伝承に出てくるものでもなんでもなく、この患者が作り出した生物らしい。自分で作った生き物に憑依されるというのも珍しいな。患者には信仰をめぐる葛藤があり、信仰へのアンビヴァレントな感情を、聖なる菩薩と不浄なる猿の融合で表現しているのではないか……と論文の著者は考察してますが、それが正しいかどうかはさておき、ミロクザルという言葉のインパクトはなかなかのもの。この人、なかなか造語センスがありますな。

 ダン・シモンズ『エンディミオン』(早川書房)購入。ああ、また分厚い未読本が増えていく……。
2月17日(水)

 リチャード・レイモン『逆襲の〈野獣館〉』(扶桑社ミステリー)読了。うーん、別に意外な結末があるわけでもなく、ただのホラーになってしまってますね。主役の男女はもうどうでもいいような連中ばかりなのだけれど、訳者あとがきに書かれているとおり、ホラー作家ゴーマンのキャラクターはさすがにレイモンで、みごとなまでの鬼畜ぶり。しかし、クライマックスで関係者全員が野獣館に集まってきて死闘を繰り広げるのはお約束とはいえ、女の子たちまで館に入っていくのはなんとも不自然だよなあ。

 個人的には最近じゃいちばん期待の持てるSFマンガ、富沢ひとし『エイリアン9』(秋田書店)の第1巻を購入。「第一期コンタクト」という言葉や、なぜエイリアンが飛来したのかなど背景を謎として残したまま進行する物語にエヴァの深い影響を感じてしまうけど、これはこれでよくできたSFコミックになっている。ただし、主人公3人の顔の見分けがつきにくいのが困りものだけど。
2月16日(火)

 本日当直。
 やっぱりこれは書いといた方がいいかなあ、いちおう精神科医として。
 最近、精神病院で患者さんがインフルエンザに集団感染して亡くなったという記事がいくつかあったのだけど、突っ込んだ報道が何もないまま、精神病院ってのは治療がずさんで危ないところだ、という印象を残すだけの報道で終わりそうなのが残念。
 今勤めている病院は、内科病棟もあるし夜間は内科医も一緒に当直してくれるので安心なんだけれど、これほど恵まれた病院は本当に珍しい。たいがいの民間精神病院は、週に1日内科医が来るくらいだし、夜間は精神科医一人だけで当直するのが普通だ。
 そして精神科医には内科の研修を受ける義務はないため、内科的な処置には自信のない医者も多い(恥ずかしながら私もその一人)。
 それなら、なぜ高熱を出した患者さんをほかの病院に転送しないのかって?
 受け入れてくれないのだ。一般の病院は、精神科の患者だというだけで嫌な顔をしてなかなか入院させてくれない。まあそれもわからないではないのだ。内科医のいない精神病院に勤める精神科医が不安なのと同じように、精神科医のいない一般病院に勤める内科医も不安なのだろう。そして、大きな総合病院でも、どうしたわけか精神科だけがない病院がけっこう多い。

 それから、最近じゃあ精神科医療は長期入院から早期退院へと趨勢が変わってきており、大学病院とか都市部の病院ではなるべく早めの退院が勧められることになっている。だけど、患者さんは、すぐに退院できて社会に復帰できる理想的な人ばかりではないのですね。医学的な理由にしろ社会的な理由にしろ(家族が引き取ろうとしない、家族が亡くなってしまったなど)、そうした流れからドロップアウトし、長い入院をしなければならなくなる患者さんは確実にいる。
 ある精神科医が、10年以上勤めた大学病院から民間病院に移ったところ、かつて退院したあといつのまにか病院に来なくなったので、よくなっていたとばかり思っていた患者さんが、病棟にたくさんいたので驚いた、と書いていた。そんなふうに、早期退院を目指す進歩的な病院には受け入れてもらえなくなってしまい行き場のなくなってしまった患者さんたちを、最後に受け入れてくれる病院というのが、どこの地方にも(たいがいは街外れに)必ずあるのだ。  そういう病院には、何十年も入院している患者さんもいるし、だから当然、歳をとって免疫の衰えた患者さんが多くなる。それに、入院依頼は、そこに入院できなければほかにどこにも行き場がない、という患者さんばかりなので、仕方なく定床以上の患者さんを入院させた上、4人部屋に6人、8人の患者さんを入れることも行われている。
 これを精神科医療の暗部、と呼ぶ人もいるのかもしれないけど、これは暗部なんかじゃなく社会にとって必要な存在なんだろうと思う。アメリカではこういう病院を廃止して精神病患者の早期退院を徹底させたところ、行き場のない患者さんは街にあふれ、ホームレスが激増したそうな。日本とアメリカのどちらの制度がいいのかは、簡単には答えられそうにない難しい問題だ。もちろん日本の制度にも改善の余地は充分にあるけれど、その前に少なくともこういった病院の実情をちゃんと報道しなきゃ話が始まらない。
 これは、ひとつの病院だけの問題じゃないし、医療制度を改革すればいいという問題でもない。精神病患者を人目に触れないところに閉じ込めておくことですませようとする、日本の社会自体の問題なのである。
2月15日(月)

 例のメールがまた来たよ。もううんざり。
 メールってのは、「私の名はクリストファー・エリクソン」で始まるあれ。これを受け取ったことがある人は多いんじゃないかなあ。私は今までに何通受け取ったことか。
 どう見ても明らかなネズミ講メールなんで、今まできちんと読んだことがなかったのだが、今日は何も日記のネタがないので(笑)読んでみることにした。ヒマだね私も。
 最初のフレーズがあまりにも印象的なので、私ははじめこのシステムを考えた人物がクリストファー・エリクソンなのだと思っていたのだが、よく読むとエリクソン氏は単なる参加者の一人であって、開発者はポール・ジョンソンという人物らしい(もちろんこのメールの内容を信じればの話だが)。ただしこのメール、どこが誰の文章なのかどうもわかりにくいところがあるので、もうちょっと文章を練り直した方がいいと思います(たとえばシステムの説明などは、クリストファー・エリクソンではなく、開発者からのメッセージとして記すべきだろう)。
 うちにはこのメールは2年くらい前から断続的に届いているのだが、よく読むとすべて同じではなく少しずつ変化していることもわかった。97年の最初のバージョンではだらだらと文章が書いてあるだけで読みにくいし、アルファベットは2バイト文字が使われていてなんとなく洗練されていない感じである。しかし、98年11月以降に届いたバージョンでは文章に「私の名はクリストファー・エリクソン」などといった見出しがつき、アルファベットも1バイト文字になっている。ただ改行が減って全体に黒っぽい感じになったのでかえって読みにくくなってしまっているのだが。
 文章の細かいところも変わっていて、97年版では「90日以内に600万円以上の収益」をうたっていたのが、最新版では「1000万円以上の収益」に上がっている。しかし、97年版では手当たり次第にメールを出し「2週間以内に15〜20通の注文が来なければならない」と書かれていた部分は、最新版では「7〜10通」となっている。ノルマが減っているのだ。ノルマが減ったのに収益が上がるとは面妖な、と思ってよく読めば、最初はレポート代は1通につき500円だったのが、最新版では5000円と10倍に値上がりしているではないか! 5000円も払うかい、こんなものに(いや500円だって払いたくないが)。
 文章の構成などは変わっておらず、必ずラストは西洋の諺「何も努力をしない者は何も望む資格はない。」「わずかの時間と努力そしてわずかの投資をして成功を収めるか、それらを惜しんで今まで通りの生活を送るか、それはあなたの決断次第。」(笑)と締めてあるのだが、最近届いたバージョンに限っては、ラストにこんな文句が加わっていた。
リストが思うように集まらない方には、ニフアドレスを5000件あたり1万円でお譲りしてます。希望される方は、メールアドレス及びリスト希望の旨を明記して×××××××まで送金して下さい。送金確認次第、1週間前後で送信します。尚、送金方法は現金のみに限らせて頂きます。
 こんなもののために、アドレスが売買されてるとは、まったく。

 さて、このクリストファー・エリクソン、たぶんアメリカ発なのだろうが、海外でも知られているのだろうか、と思って検索エンジンで調べてみた。こういう人とかこういう人もいたけど単なる同名の別人だろうなあ。
 日本では大流行りのこのチェーンメールも、海外ではそれほどメジャーではないらしく、スパムメール年表に"Four Reports" chain letter mentioning Christopher Ericksonが96年11月頃に発生した、と書かれているのが見つかったくらい。
 また、日本ではこのメールは"Multi-Level Marketing"を略してMLMといわれているけど、海外ではこういうネズミ講メールのことを総称してMMFというようだ。Make Money Fastの略らしいのだけど、この略語、日本では使えそうにないなあ。

 スパムメール関係の国内ページとしてはこことかここが有名ですね。いろいろと検索している途中で見つかった人類最後のメールというショートショートはけっこう笑えました。
2月14日()

 ジェイムズ・P・ホーガン『造物主の選択』(創元SF文庫)読了。あの『造物主の掟』の続編という、ホーガンファンとしてはうれしい作品ではあるのだけれど、これはちょっと不満の残る出来。第二部までのだらだらとした展開には退屈してしまったし、第三部でようやくおもしろくなってきたと思ったら、なんとまああっけない結末。懐かしのタロイドたちもあんまり見せ場がないし……。「生きる目的は、相手の気分を悪くすることで自分がいい気分になること」という性格極悪の異星人のキャラクターには笑ったけど。

 続いて、リチャード・レイモン『殺戮の〈野獣館〉』(扶桑社ミステリー)を読む。いや確かにこれは鬼畜な話だわ(笑)。でも、噂の「衝撃の結末」ってのはこんなもんですか。確かに海外ホラーには珍しいラストだけど、日本製エロマンガとか18禁ゲームとかではごくありがちなネタでは。これで腰を抜かすような人は、エロマンガなんて読んだことがないんでしょうなあ。

 というわけで、バレンタインなんてものとはまったく無縁に過ぎる一日でありました。
2月13日()

 以前、分裂病の患者さんと面接していたときのことだ。
 この患者さん、近所の人が自分を迫害している、という妄想にもとづいて、裸のまま外へ出て近所の家に怒鳴り込み、そのため入院することになった人。しかし自分はどこもおかしくない、といって入院には納得していない。
 入院前のそうした行動について覚えているか、と私が訊いたところ、覚えている、とうなずいてからこう言った。
「今日お風呂に入りました。みんな裸でした。だからみんな近所に怒鳴り込んだことがあるんだと思います」
「でも、お風呂ではみんな裸になりますよね」
「ええ、だから私が裸になったのもおかしくありません」
 といって、自分の行動はどこもおかしくない、と主張するのである。なんだか眩暈がしてくるような奇妙な論理で、私はとても反論する気をなくしてしまったのである(こういう場合、むきになって反論してもいいことは何もないしね)。
 ちょっと整理してみると、この会話で患者さんは次のような論理を組み立てたことになる。
 前提1=自分は裸で近所に怒鳴り込んだ。
 前提2=(お風呂では)みんな裸である。
 結論=みんな近所に怒鳴り込んだに違いない。
 それからもう一つ。
 前提1=(お風呂では)裸になるのはおかしくない。
 前提2=私は裸になった。
 結論=私が裸になったのもおかしくない。
 2番目の推論はよく見れば単に「お風呂では」という前提が無視されているだけだということがわかるけれど、最初の推論はどこか根本的におかしなところがある。「裸」という共通点から、「みんな近所に怒鳴り込んだ」という結論を導き出すあたりには、どうも私たちの理解を拒むようなところがある。
 実はこういうことを研究した学者はすでにいて、アリエティという精神科医はこういう論理を「述語同一視」と呼んで、分裂病の基本障害だと考えた。最初に提唱した人の名前を取って「フォン・ドマールスの法則」などというたいそうな名前までついている。ま、名前なんてどうでもいい話だけれど。
 アリエティは、続けてこういう論理は子供や未開人にも見られると言っているのだけれど、これはあまりにも子供とか未開人を馬鹿にした言いぐさである。じゃあ何かい、子供や未開人の思考法は分裂病と同じだというのかい。そりゃいくらなんでもおかしいと思うがなあ。
 それより、こういう論理を語る人を目の前にすると、なんとなく不気味な感じがしますね。私たちが当然と思ってきた論理体系が崩壊していくような、まったく異質な「何か」に触れたかのような不安感と不気味さ。これが、子供や未開人にはない、分裂病の最大の特徴だと思う。全然科学的じゃないけど。
 この崩壊感覚ってのは、良質なSFとかホラーを読んだときにも通ずる感覚だと思うんだけど……分裂病の患者さんをSF扱いしちゃいけませんね(自分でしとるんじゃないか)。
2月12日(金)

 本屋で森下一仁先生に会う(最近誰かに会うのはいつも本屋だなあ)。高知で出会ったタクシーの運転手は「おいちゃん」ではなく「おんちゃん」と言ったのではないか、と指摘を受ける。どうやら高知弁では「おんちゃん」が正しいらしい。言われてみればそうかもしれないなあ。寅さんのイメージがあったので、「おいちゃん」と言っているものだとばかり思っていたけど。

 渋谷のユーロスペースに行き、ロングランヒット中の『アインシュタインの脳』を観る。もう上映開始から2ヶ月が経つというのに、いまだにけっこう混んでいるのには驚き。
 この映画、BBC制作のドキュメンタリーで、行方不明になったアインシュタインの脳を探してアメリカを駆け巡る近畿大学の杉元助教授を追っているのだけど、これがなんとも抱腹絶倒のおもしろさ。この杉元助教授、極度のアインシュタインおたくなので、アインシュタインTシャツを売っていれば即購入するし、アインシュタインの銅像を見つければ裸足になって登ってしまう始末。ひたすらアインシュタインの脳を求め、道ゆく人を呼び止めては日本訛りの強い英語で片っぱしから訊いて回る。いや、これほど強烈なキャラクターは久々である。
 最後でようやく登場するのが、助教授が捜し求めていたアインシュタインの脳を持っているハーヴェイ博士なのだが、ああ、40年の間に博士にいったい何が起こったのか。気になるなあ。

 一部で盛り上がりを見せる「女子生徒口腔粘膜精子伝説」ですが、すでに遥か昔に私の日記でネタにしてます。いや別に先取権を主張しようというわけではないのだけれど。

 デイヴィッド・ウィングローヴ『生ける闇の結婚』(文春文庫)購入。ああ、ついに1巻も読まないうちに完結しちまったよ。
 新大久保BOOK-OFFにて某所で話題の星新一『声の網』(角川文庫)、クリス・クレアモント『暁のファーストフライト』(ハヤカワ文庫SF)、小林弘利『水曜日にまた逢おう』(角川スニーカー文庫)購入。小林弘利、昔好きだったんだけど今はどうしているのか。
2月11日(木)

 乾くるみ『塔の断章』(講談社ノベルス)読了。なるほどこう来たか。悔しいがまんまと騙されてしまった。
 言っておくが犯人を指摘することなら簡単である。トリックにしても使い古されたもので、目新しいことは何もしていない。それなのに結末を予想できないのだから評価してもいいと思うのだが、このような書き方をすることに必然性があるのかどうか、読み終えてどうも釈然としないのも事実。叙述トリックも新味がなくなってしまった今では、もうこういう使い方しかできないんだろうか(すまんね、もどかしい書き方しかできなくて)。
 いや騙された人間が何を言っても仕方ないですね。トリックとしては成功、小説としては失敗作と言っておきますか。だってねえ、子どもの頃の描写とか出てきたら、いったいこれが結末にどう結びつくかと思うじゃないですか、普通。

 続けて栗本薫『ゴーラの僭王』(ハヤカワ文庫JA)読了。グイン・サーガではこのところ、女性キャラの魅力がどんどん薄れてきているような気がする。リンダやリギアも、初登場のときに比べ格段に頭が悪くなっているが、中でももっとも痴呆化が進んでいるのがアムネリス。この巻のアムネリスなど、まるで単なるバカ女。昔の面影はどこへやら、である。まさに逆アルジャーノン現象。作者は女性キャラを描くことには興味を失ってしまったのだろうか。まあ、もともとこのシリーズの女性キャラは魅力的とは言いがたかったけれど、それにしても最近の惨状はひどすぎますよ。

過去の日記

99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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