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9月20日(月)

 イギリス旅行編へ。
9月19日()

 イギリス旅行編へ。
9月18日(土)

 イギリス旅行編へ。
9月17日(金)

 イギリスに行く直前だからというわけではないのだが、ロバータ・ロゴウ『マーベリー嬢失踪事件』(扶桑社ミステリー)読了。ヴィクトリア朝イギリスを舞台に、老境のチャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)と若き日のコナン・ドイルが協力して誘拐された少女を探すという物語。ルイス・キャロルの性格じゃ名探偵なんて柄じゃないし、血気盛んなドイルとはとうていうまくやっていけそうにないよなあ、と思っていたら、やはりキャロルはドイルのお節介をうとましがっていてろくに捜索などしようとしない。ドイルが娼婦の館に潜入しようと言った日にはおじけづいて引き返してしまう始末。むう、なかなかわかってるじゃないですか。主人公がこういう性格なのでなかなか話が進まないのが難点だけど。
 誘拐事件に史実上の売春防止法案をからめたストーリーはいかにも女性作家らしく手堅くまとまっているのだけど、まあ熱心なキャロル・ファン以外にはお勧めしません。

 深夜まで荷造りしながら見た『ヴァニーナイツ』の最終回は、ありきたりな結末になるのかと思いきや、思わずあっけにとられる不条理エンディング。果たして、制作者以外に意味がわかる人がいるんだろうか。しかし、まさかこんなとんでもない話になるとは、最初に見始めたころには思いもしなかったよ。

 さて、荷物をまとめて、明日からいよいよイギリス行き。では、行って来ます。
9月16日(木)

 今度は大のクイーンファンである妻が、イギリスに行ったらフレディ・マーキュリーのお墓参りに行きたいと言い出したので、またも検索検索。しかしいろいろ検索条件を変えてもなかなかフレディの墓所は見つからない。最後にようやく見つけたフレディの略歴のページで発見した一文に妻はうちのめされたようだ。
Freddie was cremated, rather than buried, and there is no gravesite to visit.
 no gravesite.
 しかしそんなことではめげない妻は、今度はどっかの学校にあるフレディの銅像を見に行きたいとか。はいはい、行きましょうね。しかし学校に銅像。校長先生の銅像みたいなのが立ってるのか。
9月15日(水)

 月曜日に妻が突然飛行機のチケットを取ってきて決まったイギリス旅行なのだが、イギリスといえば、実は私が以前から行きたかったのがオークニー諸島というところ。古代の住居跡「スカラ・ブレイ」(これが「ウルティマ」に登場する都市名の元ネタである)やら巨大なストーン・サークル「リング・オブ・フロッガー」など謎の古代遺跡が山ほどある島である。
 しかし、このオークニー諸島というのはイギリスの北の果て、日本で言えば礼文島みたいな場所にある島なので行くとしてもかなりたいへんである。ガイドブックで調べたり(これがほとんど載ってないのだ)、インターネットで検索しまくったりして、今回の旅行中にそこまで行けないか、まる一日かけて必死に計画を練る。どうやら、この季節だとフェリーの本数が少ないので飛行機を乗り継いで行くしかないようだが、考えてみるとそこまで行ってしまうと日程のほとんどがつぶれてしまう上、海外旅行がほぼ初めてに近い私のスキルではこの強行軍は不安が残るので、今回は泣く泣くオークニーは断念。
 結局私のわがままで一日妻を振りまわすことになってしまった。まさかいきなりそんなとんでもないところに行きたいと言い出すとは思わなかった、と妻はあきれた様子。すまんねえ、普通の観光名所には全然興味を示さず変なところばかりに行きたがる男で。
 しかし、今回こそ諦めたが、次の機会には必ず行きたいなあ、オークニー諸島。来年……は行けないかもしれないが、何年か後には。まあ、スカラ・ブレイは数千年も待ってくれているのだから、あと数年くらい待たせてもそんなに怒りはしないだろう。

 ケイレブ・カー『エイリアニスト』(ハヤカワ文庫NV)、ツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』(創元ライブラリ)購入。
9月14日(火)

 今日は当直なので、明日は休日だというのに病院に泊まり。
 加納朋子『ななつのこ』読了。確かに北村薫との類似は感じるけれど、これはこれでいい話。というか、この本をけなしたりすると「人として最低」と言われそうでなかなか批判しにくいたぐいの作品である。全体をまとめる仕掛けはちょっと物足りないかな。
9月13日(月)

 突然だが、土曜日から1週間、イギリス旅行に出かけることになりました。私にとっては去年のハワイに続き、2度目の海外旅行である。ま、ハワイはほとんど日本の延長みたいなものだったから、実質的には初めてといってもいいかも。
 ああ英国。推理小説の故郷にして怪奇小説の本場、その上SF発祥の地(ここでは『フランケンシュタイン』がSFの祖だという説をとることにする)。倫敦に2泊して大英博物館とかストーン・ヘンジとかを見に行く以外は、まだどこへ行くか全然決めていないのだけれど、どっかお勧めスポットはないでしょうか。SFとかホラーとかが充実した書店も教えてくれるとうれしいなあ>詳しい方。
 かつて「ウルティマ」シリーズにはまった私としては、スカラ・ブレイにはぜひ行ってみたいと思っていたのだが、あそこはイギリスの北の果てであまりにも遠いので行けないかなあ。あそこまで足を伸ばしているとほかのところに全然行けなくなってしまうし。

 西澤保彦『夢幻巡礼』(講談社ノベルス)読了。「神麻嗣子の超能力事件簿」と帯にはあるけど、これは番外編。神麻嗣子はほとんど出てこない。複雑なSF的論理を展開しているのは相変わらずなのだけれど、いつものシリーズのノリとはかけ離れて、おそろしく暗い話である。テーマは親子、中でも母と子の確執。とにかく登場人物のほとんどにどろどろとした親子の確執があるので、なんだか読んでいて気が滅入ってきてしまった。いや、だからといって別におもしろくないというわけではなく、サイコキラーの一人称で描かれる物語には引きこまれるものを感じるのだけれど。ただ、最後まで読んでもなんだか完結したような気がしないのでちょっと欲求不満気味。というか作品全体がシリーズ完結編へ向けての伏線のような話でありました。

 竹本健治『入神』(南雲堂)購入。
9月12日()

 我孫子武丸さんが8月26日のごった日記で、松岡圭祐『催眠』の感想として次のように書かれている。
 余計なことが多い割に、肝心の多重人格者は「そういうもの」としておざなりでご都合主義な設定がなされているだけ。普通ミステリ作家なら、もう少しトラウマらしいトラウマ、それもできるだけ衝撃的なものを考えるところだが、この人の書きたいものはそんなところにはないらしい。
 これを読んで思ったのは、なるほど、ミステリ作家というのはそういう考え方をするのか、ということ。確かにミステリに出てくる多重人格者にはたいがい衝撃的な幼時体験があったりするものだし、そうでなければなんだか「リアリティ」がないような気がしてしまう。しかし、実際にはどうなんだろうか。本物の多重人格者にはほんとうにそんなにトラウマらしいトラウマがあるものなのだろうか。ちょっと気になったので、多重人格を扱った論文をあさってみた。
 欧米では、多重人格は19世紀半ばから数多く報告されてきたものの、20世紀後半には激減、しかし、1980年代になると、どういうわけか突如としてアメリカで爆発的に増加、という歴史をたどっているのだけれど、今のところまだ日本での症例報告はまだそれほど多くはない(最近少しずつ増えてきているようだが)。今回は、その中から3例を紹介してみる。

 まずはアメリカでの爆発的ブーム以前の、1978年の斉藤正武ら「多重人格の1症例」(精神医学1978年3月号)。この論文では、意に添わない結婚をきっかけに多重人格になった20歳の女性N子が紹介されている。
 N子は高校卒業後就職するが、その数日後から中学校の同級生だったTとつきあうようになる。N子によれば、TはN子に強引に交際を求め、N子が誘いを断るとTは自暴自棄になり、Tの母親からは「あなたのせいで息子は悪くなった」との非難の電話が勤務先にまでかかってくるようになったという。閉鎖的な土地でもあり、Tの母の人柄をよく知っていたN子は、悪口を言いふらされるのではないかと極度に恐れ、以後Tの言葉には抵抗できなくなってしまう。N子は何度か関係の精算も考えたものの、ついにTの熱意に負け結婚することになる。そして結婚数日後から第2人格が出現し、夫に向かって、ふだんでは考えられない乱暴な口調で「あいつはおまえと結婚したがおいらはしていない」「あいつはおまえを無理して好きになった」などと言い、物を投げつけたり殴りかかったりするようになるのである。
 この女性の場合、幼児期のトラウマは特にないようである。つまり、「意に添わない結婚」が多重人格のきっかけということになる。これはとても「衝撃的なトラウマ」とはいいがたいが、人はそんなことでも多重人格になるもののようだ。

 次は、精神医学1993年4月号に載っている中島一憲ら「多重人格を呈した解離型ヒステリーの1例」。ここでは19歳の女性J子の例が紹介されている。
 J子が13歳のときに母親がくも膜下出血で死亡。18歳のときには職場の同僚Aと知り合い、初めての男女交際を経験したが、わずか1ヶ月でうまくいかなくなり、関係は冷えてきていた。そんなある朝、通勤途中の駅にJ子がたたずんでいるところをAが見つけるが、J子は自分が誰だかわからない、Aの顔も見覚えがないという。そしてその頃からAの自宅に「さやか」と差出人の名が書かれた、J子とはまったく違う字体の手紙が届くようになるのだった。
 1ヶ月後、Aの自宅に突然J子が現れ「私はさやかという名前で25歳、あなたに逢いたかった」と語った。そのときの様子は、目つきが鋭く、声は低くなり、言葉遣いもふだんのJ子に比べて乱暴だったという。その後人格は頻繁に交替するようになり、「さやか」になったときにAに会いに行き、数時間から一日程度で元に戻ることが何度も繰り返されるようになる。
 人格が交替したときには、「私はさやかよ。J子にはスキがあり、J子の体には入りやすかった。私は2年前に23才で殺された。霊界での居場所ができるまでJ子の体を借りるよ」と語り、自分はJ子に取りついた霊だと主張、Aに対しては常に露骨に恋愛感情を示し、すりよって「抱いてくれ」と執拗に迫ったという(実際Aが「さやか」を抱いたかどうかは書かれていない)。
 「さやか」からJ子に戻るのは、「さやか」とAが口論になり「さやか」が不利な状況に追いこまれたときが多く、そんなときには倒れて気を失ったり、うずくまって頭をかかえて、気がつくとJ子に戻っているのだそうだ。J子に戻ったときには「さやか」だったときの記憶はまったくない。
 J子は「さやか」の存在に対しては当惑しているものの、「さやか」の行動にはどこか羨望を感じていたという。
 これは彼に振られたショックによって多重人格になった例。母の死がトラウマになっていたのではないかと推定されているが、それにしてもそれほど強烈なトラウマとはいいがたい。もしこういう小説を書いたら、なんだこりゃリアリティがない話だなあ、などと言われかねないかも。

 最後に、中西俊夫ら「多重人格の一例」(臨床精神病理97年8月号)に登場する26歳の女性Aは、16歳のときのレイプ体験をきっかけに第2の人格Bが誕生したという。最初、気を失ったAに変わってBはこの交渉を楽しんでいたが、少しするとやくざのような口調で男性を脅し、追い払ったという。その後、ホームステイ先のアメリカの老人に迫られたときもAを助けるためにBが突然出現、彼を拒絶して帰国したとか。
 この場合はレイプというショックを受け入れられないため人格が解離したというわけで、前の2例に比べれば小説的「リアリティ」が感じられるかな。ちょっとありきたりすぎる気もするが(こういうマンガを読んだことがあるような気もするなあ。タイトルは思い出せないけど)。

 3つの例に共通しているのは、おとなしく消極的な第1人格に対し、第2人格は攻撃的、積極的で、第1人格ではとてもできないようなことをやすやすとやってのけてしまうということ。第2人格は第1人格の弱点を補う形で登場しているのですね。
 というわけで、実際の多重人格者は、それほどトラウマらしいトラウマを持っているわけでもないようである。ミステリに出てくる、ドラマティックなトラウマを持った多重人格者は、あくまで小説的な「リアリティ」の産物であって、実際にはそうした多重人格者はむしろ少ないんじゃないだろうか。
 つまんないかもしれないが、現実なんてこんなもんなんです。
9月11日(土)

 銀座にある「香味」という店で、台湾しゃぶしゃぶなるものを食べてみた。なんでも専門店は都内でここだけだとか。普通のしゃぶしゃぶと違うのは、エビや魚、唐辛子、ニンニクに漢方薬などからできているという辛味のあるタレなのだが、肉も野菜もエビもすべてこれにつけて食べるのでどうも単調である。さらに「特選牛」を頼んだはずなのに、なぜか肉もそれほどうまくなかった。
 以前タイしゃぶも食べたことがあるがそれほどうまいものとは思わなかったし、やっぱりしゃぶしゃぶは和風に限るなあ。

 さて食事のあとにレイトショーの『オースティン・パワーズ・デラックス』を観たのだが、うーん、これも今一つ。どうも前作からつながっているギャグもあるようなので、前作を観ていないのがやっぱりまずかったか。
 それに、よくわからないギャグが多いのも日本人にはつらいところ。この映画のギャグには大きく分けて(1)下ネタ、(2)映画のパロディ(主として007)、(3)英語のダジャレ、があるのだが、(3)はまず字幕だけでは理解しがたいし、(2)も007をあまり観ていないとなかなか笑えない。結局わかるのは(1)下ネタだけなのだが、これではこの映画の3分の1しか楽しめていないことになってしまう。
 もっと英語がわかればおもしろかったのだろうけど、残念ながら私にはあまり楽しめない映画であった。
過去の日記

99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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