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8月31日(火)

 『ホログラム街の女』でSFファンの心をつかんだF・ポール・ウィルスンが女性名義で発表したという『聖母の日』(扶桑社ミステリー)を読み終えたのだが、うーん、これは少なくともSFファンには受け入れられそうにないなあ。謎の古文書に導かれ、ニューヨークの神父と修道女がイスラエルの荒野で聖母マリアの遺体を発見してしまうというこの話、少なくとも途中まではウィルスン節全開のむちゃくちゃな展開がうれしくなってしまう奇天烈ホラーなのだが、なんだか後半からおかしくなってくるんだよなあ。結末に至るあまりにもトンデモな展開には、非キリスト教徒の私としては呆れるほかはない(真面目なキリスト教徒も怒るだろうなあ。キリスト教の話と思わせておいて、結末で提示されるのは、キリスト教ではなくニューエイジ的世界観なのだ)。
 なんだか居心地が悪くなってしまうような作品なのだが、なかなか面白かったのは、聖母の遺体を発見した修道女が、私がマリアさまをお守りしなければ、と突然己の使命に目覚めるあたりの描写。彼女が使命に目覚め、聖母を崇拝しはじめるあたりは、どうみても悪霊にとり憑かれた女にしか見えないのだ。なるほど、はたから見れば憑依と崇拝は区別がつかないのかもしれない。
 それにこの作品、キリストが生まれたのは本当は紀元前4年だから主が再臨するのは西暦2000年ではない、などと妙に正確さにこだわっているくせして、1996年は紀元前4年のちょうど2000年後、などと大間違いをやらかしているのもちょっとなあ。

 マーティン・シェンク『小さな暗い場所』(扶桑社ミステリー)、ロバータ・ロゴウ『マーベリー嬢失踪事件』(扶桑社ミステリー)購入。後者はルイス・キャロルと若き日のコナン・ドイルが探偵役を務めるミステリ。こういうのって誰もが一度は考えるネタだと思うのだが、実際にやってしまう人がいるとは。どうやら作者はSFファンダムの人らしい。納得、というかなんというか。
8月30日(月)

 理系の論文では(おそらく文系でも事情は同じだろうけど)引用元の明記は非常に大切なこととされてまして、たいがいの論文の末尾にはずらずらと引用、参照した文献のリストが掲載されている。
 で、世の中には妙な人がいるもので、どの雑誌に載った論文がより多く引用されているんだろうか、と考えた人がいる。もしかすると、引用回数が多い雑誌ほど、学界にインパクトを与えているといえるんじゃないか。これを調べれば、世の中に山ほどある学術誌の中で、どれが重要でどれが重要じゃないかがわかるんじゃないか、と彼は考えたのですね。当然これを調べるには膨大な雑誌の調査が必要になるんだけど。
 このアイディアを思いついて調査してしまったのが、ガーフィールドさんという人で、「その雑誌に載った論文が引用された回数÷その雑誌に載った論文の数」をインパクト・ファクターと名づけた。そして、この人、インパクト・ファクターのランキングを発表する雑誌まで創刊してしまう。ま、テニスの世界ランキングとかムーディーズの格づけみたいなものだ。今じゃ、このインパクト・ファクターの高い雑誌(当然英語の雑誌である)に論文をばしばし発表している学者ほど優秀とみなされたりするわけで、ひいてはその学者の出世(教授選考とか)にも響いてきたりする。
 さて、ここまでは前振りである。
 私がふと考えたのは、ウェブ版インパクト・ファクターというのはどうだろう、ということ。
 ウェブ上での注目度を測る手段として、アクセス数のランキングなら山ほどあるわけで、今じゃもう食傷ぎみである。そうではなく、そのページがどれだけ引用されたかでランキングをつけるというのはどうだろう。単純にアクセス数をとると、有名ページにリンクされれば簡単にアクセス数は上がってしまう。そこで、そのページにリンクを張っているページの数でランキングをつければ、そのページがウェブ界にどれだけインパクトを与えたか、アクセス数とはまた違った尺度で測ることができるかもしれない。ま、どうやって逆リンク先をもれなく探すのかが問題だけど。
 インパクト・ファクターについての真面目な解説はこちらを参照。

 ふと思いついたネタ。ケン・ソゴルと梁石日くらい違う。

 日本にはあちこちに「○○度チェック」のサイトがあったりするけど、どうもこういうのは海外にもあるらしい。その名もユナボマー度チェック。あなたがどのくらいユナボマーに近いかがわかります。
8月29日()

 夜中に旅館を抜け出して向かった先は有楽町。そう、今夜は『マトリックス』の先々行オールナイトをやっているのである。夜更けの劇場は6、7割程度の入り。オールナイト特有のにぎやかさは全然なくて、拍手もなくみんな静かに観賞してました。ちょっと肩透かしかな。
 さて映画だけど、2199年のコンピュータ業界ではグリーンディスプレイに半角カナが使われているのか、というツッコミはさておいて、前評判通り、香港映画さながらのワイヤーアクションとCGの融合した映像の美しさは一見の価値あり。カンフー・アクションも、アメリカ人でこれだけやれば合格点でしょう。キアヌ・リーヴスがやせたのにも驚いたけど、それよりキャリー・アン・モスのクールなアクションと体に密着した黒の衣装がいいなあ。ちょっと眠たげな目がまたたまりません。
 ただ、ネタはというと、最近ありがちでやや食傷気味なテーマですね、これは。『ダーク・シティ』とか『トゥルーマン・ショー』とか『オープン・ユア・アイズ』と基本的には同じ話である。「この現実は本物の世界ではないのだよ」という、SFファンには古くから馴染みのアイディアではあるのだが、カルト映画ならともかくこんなSFネタの映画が大ヒットしてしまう時代になったとは、感慨無量というかなんというか。「現実の裏に本当の世界がある」などと言っても客が無理なくついてきてくれるくらい、バーチャル・リアリティが当たり前になってしまったということんなんだろうなあ、これは。
 しかし、ラストまで行っても物語が全然終わっていないのはどうかなあ。背景となる世界観もまだはっきりしていないし(ちょっとは説明があったが、全然納得できんぞ、あんな説明では)。まあ、そのへんは続いて制作されるという2、3作目で明かされるのかな。
 それから、いくら先々行オールナイトでも、プログラム制作くらい間に合わせてほしかったなあ。
 映画館を出て日比谷の方にぶらぶら歩いていくと、日曜の朝5時だというのに東宝ツインタワービル前に謎の行列が。しかもどこからともなく人がわらわらと集まって列はどんどん伸びて行く。なんでも宝塚のチケット取りだとか。恐るべし宝塚ファン。

 DASACONに帰ると、東洋大SF研の田中香織嬢による世界構築が行われているところ。つまり、田中さんに、いろんなSF関係者が何歳くらいに見えるか答えてもらって、田中さんの主観による年齢順を作ってしまおうというもの。どうやら、田中さんによれば、日下三蔵は39歳で私は30歳らしい。私が30歳というのは正しいんだけど、日下氏は私の高校の同級生なんだがなあ。そんなに老けてみえますか、日下三蔵。しかし、いちばん驚いたのは、「火浦功は60歳くらい」発言ですね。そうか、そうなのか。若い世代にとっては、もうすでに伝説の作家と化しているのかなあ。銀河のあらゆる星でその名がささやかれる伝説の作家サンティアゴ火浦功。そのうち叙事詩に歌われることになるのかも。
 その田中嬢が第2回DASACON大将を受賞してDASACON2は終了。例によって近くのルノアールに集まってだらだらとだべったあと、帰宅して爆睡。楽しうございました。スタッフのみなさん、ご苦労様。
8月28日(土)

 さて今日はネットSF者のコンベンション、あるいは大きなオフ会、DASACON2。夕食を済ませてから本郷の旅館に向かう。
 まずは寮美千子さん東雅夫さんの対談から。寮さんの作品は読んだことがないが、童話作家といった肩書きや『星兎』『ノスタルギガンテス』といったタイトルから、線の細い神経質そうなタイプを連想していたのだが、実物の寮さんは予想に反してきっぷのいいお姉さんといった感じで、本音にあふれた豪快な爆笑トークが繰り広げられたのであった。いやあ、来てよかった。妻が『ノスタルギガンテス』を買ってサインももらっていたので、あとで読んでみよう。
 前回はずっとオークションに参加していたのでいろんな人と話せなかったのを反省して、今回はオークションにも参加せず後ろの方で森山さん野田さんとかとひたすら雑談。でも、永年探している『梅田地下オデッセイ』が出ていたようで、参加すりゃよかったかな、とちょっと後悔したりもする。
 米田淳一さんとは、前回はどうやらお互いなんとなく話しにくかったようで、挨拶もしないままに終わってしまったのだが、今回改めて挨拶。浅暮三文さんの紹介で、倉阪鬼一郎さんとも初対面の挨拶。小児愛の話題でコメントして下さった雪樹さんとも初対面。
 午前0時ごろ、u-ki総統、鈴木力両氏による『もてない男』論争が始まったのだが……もとになった『もてない男』を読んでないので2人の争点がよくわからず議論に参加できなかったのが残念。私には、2人ともそんなに違ったことを言ってないように見えたのだがなあ。まあ、2人の議論を聴いていて興味を惹かれたので読んでみるか。
 さて夜もふけてきた午前2時ごろ、妻と一緒にこっそりと旅館を抜け出して向かった先は……。
 以下明日。
8月27日(金)

 ここんとこ毎日、夜は世界陸上を見ているのだが、これが実におもしろい。なぜおもしろいのかといえば、それは別に今回の大会が特におもしろいというわけではなく、おそらくその理由はTBSの中継の仕方にある。
 確か前回の世界陸上でもそうだったのだが、TBSの方針は非常に簡単だ。
 レースを完全にドラマとして再構成してしまう。
 もちろんどんなスポーツ中継でもある程度ドラマ性を意識してはいるのだが、TBSの世界陸上ではそれが徹底している。普通の陸上中継だと、レースの前には必ず各レーンの選手の紹介をするところだが、知らない国の知らない選手ばかり出てくるあの場面は、一般の視聴者にとってはかなり退屈である。よって、はぶいてしまう。そのかわり、レースの前にそのレースに出場する有力選手の背景など見所をVTRで解説する。レースを彼らヒーローたちの対決のドラマに変えてしまうわけだ。レースがおもしろくなるかどうかは、ひとえにこのVTRの出来にかかっているといっていい。
 110mハードルの場合だと、まずは、有力選手にハードルなぎ倒し男とか勝てない世界記録保持者とかスポンサーから見放された男とか勝手な(特に最後のなんて失礼だよなあ)キャッチフレーズをつけて親近感を湧かせる。しかしまあ試合は水物なので有力選手が決勝に残らないことだってある。事実、結局キャッチフレーズをつけた3選手のうち2選手は決勝には残らなかったのだが、そんなときでも大丈夫。今度は「彗星のごとく現れた新星、ハードルぶち壊し男が現れた!」とやる。ニューヒーローを作り出してしまうのだ。いやこれには感心してしまった。
 要するにこれは、各選手の「キャラを立たせる」ということ。これはスポーツマンガや格闘マンガの手法ですよ。これは、スポーツ中継としては画期的なんじゃないかなあ(スポーツ番組はあんまり見ないので、はっきりとはいえないが)。
 もとから陸上マニアだという人にとってはそんなVTRを何度も流すより全選手の紹介という情報があった方がありがたいのだろうし、たとえば在日外国人にとっては、有力選手と日本選手以外にはまったく触れないTBSの中継は不親切としかいいようがないだろう。それでも、陸上にさほど詳しくない私のような視聴者にとっては、選手のキャラが立てば、今まで誰が誰だか区別がつかなかった黒人選手にも感情移入がしやすくなってありがたいのですね。織田裕二と中井美穂の「ちょっと陸上に詳しい素人」といったスタンスの妙にはしゃいだ調子のしゃべりも、「キャラ」への感情移入を高めるための装置といえるだろう(もちろん詳しい人にとってはうるさいだけなのだろうが)。これはこれで、一つの手法として優れていると思うのだが、どうですかね。
 例えば野球中継や相撲中継でも、このTBSの手法を使ったら、新しいファンをつかめるんじゃないかと思うんだがなあ。相撲だったら、下位の取り組みにも「遺恨の対決」とかなんとかむりやり見所を作り出して勝手に盛り上げてしまう。熱心なファンが多い分野なのでかえって顰蹙を買うかもしれないけど、正統的な中継以外にこういういちげんさんにもやさしいイロモノ的中継があってもいいと思うんだけど。

 近くの古本屋にて川又千秋『海神の逆襲』(トクマノベルス)、花輪莞爾『悪夢小劇場』(新潮文庫)購入。
8月26日(木)

 帰宅途中、なにげなく歩道脇の電柱に目をやった私は、なんとなく違和感を感じて足を止めた。電柱には近くの病院の広告があり、その下に通りの名が書いてある。別に何の変哲もない普通の電柱である。しかし、何かがおかしい。しばらくじっと電柱を見つめていた私は、ようやく違和感の源に気づいた。
 「不忍道り」
 その電柱にはそう書いてあったのだ。
 まさかこのへんの電柱はすべて「道り」なのか。と思って次の電柱まで進んでみると、やはりそこも「不忍道り」である。しかし、その次の電柱は正しく「不忍通り」なのであった。
 今住んでるところに越してきてほぼ2年。ほとんど毎日のようにここを通っていたが、今までまったく気づかなかった。不覚である。
 「不忍道り」。なんとなく忍びの道の厳しい掟を感じさせるいい名前である(え、感じない?)。

 たまたま見つけたページ、運命の再会!A先輩と私。ひょっとして有名ですか?

 ルーファス・キングの短篇集『不思議の国の悪意』(創元推理文庫)読了。原題は"Malice in Wonderland"。しゃれたタイトルである(誰でも思いつきそうではあるが)。タイトルでも解説でも「悪意」が強調されているので、どんなに底意地の悪い作品が収められているのかと思っていたのだが、今の目から見ればなんということはないユーモアあふれるほのぼのとした作品ばかりではないか。しかも、表題作と、スラップスティックな「マイアミプレスの特ダネ」という冒頭の2作は確かにおもしろいのだが、あとはどうということのない作品ばかり。これがエラリー・クイーン絶賛の短篇集? うーん、看板に偽りありという感じ。

 横田順彌編の奇想小説コレクションなる新シリーズの第一巻、白井喬二『東遊記』(島津書房)が出ていたが、ちょっと値段が高すぎるので買わず。発刊の言葉で横田さん、売れれば200巻でも500巻でも出すと豪語してるけど……売れるかぁ?
8月25日(水)

 本屋での出会い、というやつに憧れていた。
 本屋でふとなにげなく『世界殺人鬼百選』に手を伸ばしたら、横からすっと伸びてきた手とぶつかる。びくっとしたかのように手が引っ込められたかと思うと、「あ、すいません」と、か細い声。声のした方を見ると眼鏡をかけた内気そうな若い女性が立っている。「あの……」と思い切って声をかける私。「こういう本、お好きなんですか」。「ええ……」。恥ずかしそうに目を伏せる女性。「ぼくも好きなんですよ。素敵ですよね、テッド・バンディとか」。見つめあう目と目。恋の予感。とか、そういう場面である。あるでしょ、よくマンガとかドラマとかで。
 この日記をお読みの方ならおわかりの通り、私は普通の人間よりはるかに本屋に通う頻度が高い。だから、今までの人生で一回くらい、こういう体験があってもいいと思うのだが、実際のところ、こんな出会いの体験はものごころついてから一度としてない。おかしいなあ、本屋での出会いというのは、あれはフィクションだったのだろうか。
 そのほか本を使った出会いのパターンとしては、とり・みきのネタで、女性とすれ違った瞬間にすばやくリルケの詩集を落とし「落としましたよ」と声をかける、ってのがあったなあ。「それ、私のじゃないですけど」と眉をひそめられたら、「いえ、この本はあなたのような方にこそふさわしい……」と畳み掛けるのだそうだが、これはさすがに実行した人はいるまい。
 ここまで書いてから気づいたのだが、もし最初に書いたような出会いが起こるとしたら、まず新刊コーナーだろう。お、ホーガンの新刊が出てる、これはデフォルトで買わねば、と平台の『仮想空間計画』に手を伸ばしたら横から伸びてきたほっそりとした手がその上に重なる。ホーガンファン同士の幸福な出会い……と、しかしよく考えてみればこれはありえない。なぜかといえば、マニアが無造作に平台のいちばん上の本を取ることはありえないからだ。私もそうだが、こういう場合、必ずその下の2番目か3番目の本を取る(そして状態をチェックする)。つまり2人の手が本の上で重なることはない。
 というわけで、本屋での出会いに憧れる人は、本の状態など気にせずいちばん上の本を買うように。

 野尻抱介『私と月につきあって』(富士見ファンタジア文庫)、米本和広『増補・改訂版 洗脳の楽園』(宝島社文庫)購入。
 この間新宿で見たレメディオス・バロの絵を使った表紙に惹かれて改訳新装版『百年の孤独』(新潮社)も買ってしまう。旧版より分厚く高くなったけど、字は大きいし系図がついているし今までよりはるかに読みやすそうである。本来私は一段組よりは二段組の方が好みなのだが(なんとなく得をしたような気がするので(笑))、旧版はいくらなんでも字がつまりすぎ。
 あ、そういやダリ展見ないうちに終わっちゃったよ。ちぇ。
8月24日(火)

 東京はまるで世の終わりのような雷雨。天が裂け、轟音が響き渡る。早めに家に帰ってきてよかった。

 浅暮三文『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス)読了。著者の言葉で「近所に黒い大型犬がいる。私は彼を勝手にブラッキーと名づけている。(中略)ブラッキー、君と君の仲間のことを小説にしちゃったよ」とか書いているのでブラッキー君の活躍を期待していたら、ブラッキーいきなり死んどるやん! 主人公はブラッキーではなく、犬並みの嗅覚を持つ男阿川。冒頭から展開される嗅覚による世界の描写はまさに幻想的で見事なのだけれど、彼が追う事件の方は残念ながらそれほど魅力的じゃないし、嗅覚にもとづく世界という設定を生かしきれていないように思える。まあ、これは私がまるっきりハードボイルドに理解がないからかもしれないが。私には、この手の物語の主人公が、なんでまたここまで事件に首を突っ込んでいくのかさっぱりわからないんだよなあ。
 しかし、阿川が夕暮れの錦糸町を四つん這いになって女の臭跡を追いかけるあたりとか、頭の中に神戸グルメマップが入っており開店閉店の時間まで完璧に熟知している刑事野崎のキャラクタとか(彼がいつになったらまともな食事にありつけるかが、この小説の裏ポイントのひとつですね)、シリアスな中にもお笑いを忘れないあたり、作者の面目躍如というかなんというか。ただ、野崎刑事は重要キャラクタの割りにラストでの扱いが中途半端なので、再登場を希望。

 栗本薫『風の挽歌』(ハヤカワ文庫SF)は久々に読み応えのある巻。グイン・サーガの新刊が出るたびにわくわくしながら読んでいたころを久しぶりに思い出しました。第1巻に出てきた伏線がようやく回収されたり、大物同士の意外な出会いがあったり、忘れられた人物がいきなり注目を浴びたりと、大河小説ならではの醍醐味を味わえる一巻である。
8月23日(月)

 さてきのうの母子と父の家庭内幻魔大戦の話を続ける。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」
 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。
 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」
 きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも「お母さんお月さんはありますね」「お母さんを離れては私はありません」「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」などと書いた。母と会わせると抱き合って「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。
 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。
 第2週、娘は「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」「地球も宇宙も月も捨ててしまう」「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。
 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。
 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。
 かくして陽子は再入院。第1週には「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。
 入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。しかし飛べずに興奮し始め、「過去も現在もなくなってしまえ」と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。
 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。
 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。
 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。
 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。

 グレッグ・イーガン『宇宙消失』(創元SF文庫)、ルーファス・キング『不思議の国の悪意』(創元推理文庫)、宮沢章夫『茫然とする技術』(筑摩書房)購入。
8月22日()

 長々と書いて来たが、フォリアドゥの話もこれが最後。今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。
 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。
 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。
 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。
 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!
 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。

 Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。
 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。
 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。
 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」
 昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。
 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」
 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。
「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」
 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」
 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」

 さて長くなってきたので今日はここまで。笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。続きは明日。
8月21日(土)

 さらにフォリアドゥの話を続ける。
 今回は古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。

 悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。
 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。

 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。
 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。
 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。
 こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。
 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。
 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。

 これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。
過去の日記

99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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