雨が降ったりやんだり(最初の変換は「振ったり病んだり」)の一日。夕方にはきれいな虹が出た。
ビデオに撮っておいた『スクリーム』と『マチネー 土曜の午後はキッスで始まる』を見る。全然無関係の二作品だけど、なんとなく似たテイストを持った映画である。どちらもホラー映画への愛にあふれた映画だし、高校生が主人公という点でも共通しているのだけど、テーマとなるホラー映画の年代が、『スクリーム』では70〜80年代、『マチネー』では50〜60年代というところが、ケヴィン・ウィリアムスンとジョー・ダンテの世代の差なんだろうなあ(とはいえ、『スクリーム』の監督ウェス・クレイヴンはダンテよりも年上なのだが)。
『スクリーム』のホラー映画に関する薀蓄の嵐、メタ・ホラー映画とでもいいたくなってくるような自己言及性には大笑い。確かにこの作品に比べれば、『パラサイト』はほとんどメタ性がなくて物足りなく感じてしまう。
『マチネー』は、邦題では変な副題をつけて青春映画っぽくしているけど、これって青春映画なのか? キューバ危機とB級ホラー映画への愛と初恋を重ねてみせたジョー・ダンテらしい怪作である。ただ、後半はもっと暴走した方がいいと思うけど。神経質な映画館主の役でロバート・ピカード(「スタートレック・ヴォイジャー」のホログラム・ドクター)が出ているのが見物。ところで、よく考えてみれば、『マチネー』の映画館の仕掛けってのは、ユニヴァーサル・スタジオのアトラクションなんかの先駆けかも。
井上雅彦『ディオダティ館の夜』(幻冬舎文庫)読了。湖畔の洋館、怪しげな病院、車椅子の老婆などなど、この著者お得意のB級ホラーのガジェットを山ほど放りこみながら、結末ではきっちりミステリとして終わっているという異色サスペンス。ミステリとしてはまあお約束のオチだし、一、二時間で読み終わる軽さだけど、その分は充分楽しめる作品。私としては著者のシリアスなホラーよりこういうパロディめいた作品の方が好きだなあ。
大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン グミ編』(角川文庫)も読了。長篇としては構成に甘さも感じられるし、唐突なラストにはあっけにとられたけど、オタク性のある人には必読の青春小説。主人公たちが抱えているのは、自分はどこか人と違っているという確信と、それでいて自分には何ができるかはっきりとはわからないという苛立ち。オタク的素質のある人は、たいがいこういう青春時代を送っていたんじゃないかなあ(ヒロインのように趣味のあう女の子がそばにいた人は少ないだろうが)。あとがきに書かれているように、作者は自分の分身のような主人公に過剰な思い入れをこめているのだけど、その一方である部分では恐ろしいほどに突き放して描いているところがすごい。このあと主人公にどのような運命が訪れるのか、続いて文庫化されるチョコ編が楽しみ。
SFマガジン臨時増刊号『星ぼしのフロンティアへ』(もしかして、ティプトリー以来、「星々」を「星ぼし」と書くのはハヤカワの公式表記になったのか?)、古龍『辺城浪子』(3)(4)(小学館文庫)購入。
さてさて今日は上野動物園へ。7月に行ったばかりではあるのだが、そのときは目当ての両生爬虫類館がオープン前だったので、改めて見に行くことにしたのである。
明るくきれいな建物の入り口を入ると、水槽の中にいるのは1メートルはありそうなオオサンショウウオ。その部屋を抜けると広々とした温室が広がっており、その中にいるのは、コモドオオトカゲやガラパゴスゾウガメ、ミドリニシキヘビなどといった熱帯の爬虫類たち。砂漠やジャングルなどそれぞれの生活環境を模した広いスペースがあてがわれており、明るい温室の中、太陽の光をいっぱいに浴びている。
確かに両生類や爬虫類たちは快適そうに暮らしている。家族連れも楽しそうに見物していた。しかしあえて言おう。これは私の期待していた両生爬虫類館ではない。
昔この場所にあった旧水族館はうす汚く古びた建物だった。昼でもうす暗い館内を歩いて行くと、字のかすれかけた説明板があちこちにかかっており、狭いガラスケースの中、巨大なヘビやトカゲがのっそりと寝そべっていたりしたものである。開館以来ほとんど手入れされていないような、こわれかけた爬虫類の卵や骨格の標本が、ケースの中でほこりをかぶったりもしていたものだ。
そこは、異界だった。中途半端に学問的で、しかも場末の見世物小屋めいたいかがわしさもにじみ出ているという、古い博物館や水族館に共通する、あの空気があった。今でも地方の博物館はこんな雰囲気で、その空気が私は大好きである。旅行先で、あまり人も訪れないようなそういう博物館や、観光地の脇にあって誰もが素通りするような資料館などに出くわすと思わずうれしくなってしまうのである(こういう博物館にはたいがいほこりをかぶった説明板や模型などがあって、なんだか妙に専門的な内容が描かれていたりするものだ。たぶんかつての学芸員たちが情熱を傾けて作ったものなんだろうけど、わかりにくい上、今じゃぼろぼろになって誰も見向きもしない。しかし私は、彼らのその過剰な情熱がいとおしくてならず、しばらくじっと眺めていたりするのだった)。
しかし新しい両生爬虫類館には、見世物小屋めいたいかがわしさは全くない。不要な薀蓄を語る説明板もほとんどない。おそらくそのような旧態依然とした雰囲気から脱却するために、この明るい建物は作られたのだろう。「ビバリウム」という愛称にも象徴されているように、ここは徹底して明るく健康的な場所なのである。
それはわかる。充分わかる。たぶんこれが現代的な動物園というものなのだろう。かつてのような水族館はもう時代遅れなのだろう。
でも、私が行きたかった両生爬虫類館はこんなんじゃないんだ。もっとうさんくさくてキッチュで、乱歩めいた(というか、カーめいた、かな。「爬虫類館」なんだから)場所に行きたかったんだ。そう口の中でもごもごと呟きつつ上野動物園を後にした私である。
所用で自由ヶ丘まででかけたついでに駅前にある都内唯一のハンガリー料理店「キッチン・カントリー」で食事。場所はスナックやバーがごちゃごちゃと並ぶビルの3階だし、店名は全然ハンガリーっぽくないしと、一見あまり期待できなさそうなのだが、実はこれが意外にいい店なのだ。ハンガリー料理にはパプリカを使った料理が多く、中でもグラッシュというハンガリー風シチューが美味。料理よりも感動したのは、お店のおばあちゃんがにこにことやさしそうで、なんだかこちらまであたたかい気持ちになってくること。初めてなのになんだか懐かしい、家庭的な雰囲気の店である。
食事の後は渋谷に出て本日初日の『パラサイト』。『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のロバート・ロドリゲス監督と『スクリーム』の脚本家ケヴィン・ウィリアムスンが組んで作った侵略SF映画である。
アメフトが盛んで、アメフト部ばかりが大きい顔をしている体育会系の高校で、先生や学生が次々と宇宙から来た寄生生物に乗っ取られて行く。寄生生物に闘いを挑むのは、SFオタクの孤独な少女、いじめられっ子のカメラ少年、化学オタクでいろいろと怪しげなものを売っている大人びた少年(『ラストサマー』のジェニファー・ラヴ・ヒューイットと『スクリーム』のネイヴ・キャンベルのヌードビデオとかも売っているらしい(笑))、といった日頃は白い目で見られているような生徒たち。日本で言えば、PL学園SF同好会が世界を救うというところかな。これはもう、SF者は必見でしょう。
女の子が読んでいるのがハインラインの『太陽系帝国の危機』だったり、ジャック・フィニイの『盗まれた街』を参考にして作戦をたてたり、カーペンターの『遊星からの物体X』そっくりな場面があったり、といった具合にSFファン向けのくすぐりも充分。
パラサイトの親玉が、全員が寄生体を受け入れれば孤独もなく誰もいじめられることもない世界になるのに、と誘うあたりなどは、なんとなくエヴァを感じてしまったり。ただ、いじめられっ子はこれに対して少しも悩まず「この世界の方がいい」と断言するのだが、少しくらい悩んでもいいと思うんだけどなあ。まあ、それだけまだ日本よりもかの国の方が健全なんでしょうねえ。私としては、寄生されて暮らすのもけっこう楽しそうとか思ったりして。
脳天気なラストにはちょっと違和感を感じないでもないが、今年必見のB級SF映画の傑作。
ハルキ文庫の今月の新刊は桑原譲太郎ばかり12冊!
いったいどうしたハルキ文庫。桑原譲太郎と心中でもするつもりなのか。しかし、桑原譲太郎がこれほどまでに脚光を浴びる日が来るとは思わなかった。『新宿純愛物語』(仲村トオル主演で映画化)や『ボクの女に手を出すな』(小泉今日子主演で映画化)の昔から読んでいた身としてはうれしいような恥ずかしいような気分なのだが、「大藪春彦を凌ぐハードボイルドの旗手」という帯の文句には、そうか? と首を傾げるしかないなあ。桑原譲太郎、ここまで大々的にフェアをやるような作家なのか?
私としては、桑原譲太郎をアクション小説の書き手として高く評価しているのだけれど、この作家、欠点もけっこう多いのですね。たとえばギャグセンスのオヤジ臭さ。主人公をヘンリー・本田と名づけてしまったり(まあ例の「坂持金発」と似たり寄ったりだが)下らないオヤジギャグを平気で書くあたりどうかと思うし、それから思想的にかなり偏った説教癖と自己陶酔癖にもちょっと(いやかなり)辟易してしまう。
「少なくとも、自分だけのある時の流れの中だけには、あるいは過激に、あるいは限りなく優しく、あるいは信じられないほどスマートに、生きてみようじゃないか。そう思い、実践している連中もいるはずである。そう、その時の流れに、この譲太郎を加えてみないか」(『シュドラとの七日間』あとがきより)。あとがきでここまで書いてしまう男は今、譲太郎以外いまい。譲太郎のあとがきは全編この調子である。このノリについていければ譲太郎の世界にハマれるだろう。私はついていけずに読むのをやめましたが。
なんだかけなしてばっかりになってしまったが、一応フォローしておくと、単純な銀行強盗で始まった物語が暴走に暴走を重ね思いもよらぬ結末にたどりつく『狼たちのカーニバル』はまぎれもなく傑作なので、未読の方はぜひこの機会に読んでほしいものである(今回の改題版では『狼よ、大地を裂け』)。
しかし、今回の文庫版の改題の嵐はすごい。『殺られる前に演れ』の元タイトルが『肉感春売人ニュース活人事件』だったとは誰も思うまい。
畏友浅暮三文のメフィスト賞受賞第一作『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス)、殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベルス)、桑原譲太郎『シュドラとの七日間』(ハルキ文庫)、栗本薫『風の挽歌』(ハヤカワ文庫JA)、上遠野浩平『ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師』(電撃文庫)、大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン グミ編』(角川文庫)購入。
3日の(まあ書いたのは昨日なのだが)イオンド大学の話題はあちこちでリンクされたようで、今日はいつもより多くのアクセスが。イオンド大学とはいったい何なのか疑問に感じていた人がいかに多いかがわかる。でも私は何も特別な調査をしたわけではなく、ちょっと検索すればわかる範囲のことしか書いてないんですけど。ここを読んで「なるほどそうだったのか」と思う前に、疑問に思っていたのなら自分で調べればいいのでは。
と、わざわざ訪れてくれたお客さんにまでケンカを売る私。
光瀬龍追悼読書第2弾『SFマガジン版/派遣軍還る』(ハヤカワ文庫JA)読了。「辺境星域との長く苛酷な戦争は集結し、荒廃した地球に派遣軍が還ってくる! だが人々の前に降り立った大船団はもぬけの殻。しかも、失踪した派遣軍兵士たちは忽然と地下都市に出現し、殺戮と破壊の限りをつくすのだった!」と帯には書いてあるのだが、このような魅力的な展開になるのは半分くらい読んだあと。
前半は派遣軍などまったく出てこず、妙に短期で無鉄砲な工作員シンヤがデモに巻き込まれたり命を狙われたりいきなり調査局をやめてしまったりという、なんともよくわからない展開なのである。敵に捕まったシンヤが、きっと大脳手術されるのだ、と思いこみ「どうせ手術されるならその前に気が狂ってしまえ」とむごたらしい場面ばかり想像して吐いてしまう、というシーンには、笑っちゃ悪いと思いつつも思わず笑ってしまった。
派遣軍の謎が提示されるのはようやく物語も半分をすぎてから。ヒロインであるリーミンが登場するのも後半からである(光瀬氏は気に入った名前は何度も使う作家らしく、シンヤとリーミンという名前の組み合わせは『東キャナル文書』にも登場していた)。前半のシンヤの苦闘が何かの伏線なのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしく、後半ではまったく違う話になってしまう。最大の謎が半分をすぎてから登場するというこの構成にはどうも首を傾げざるを得ないし、ラストも光瀬龍ならではの壮大な宇宙的イメージにあふれてはいるものの、明かされる真相は今となってはあまりにも古いというしかない。
光瀬龍ファンの私としては心苦しいのだが、この作品、今読むにはちょっとつらい小説だと結論せざるを得ない。
シーマン飼育8日目。我が家のシーマンもついに、テレビなどでおなじみのオヤジ声の人面魚に成長。向こうからしきりに私の歳や生年月日を訊いてくるようになった。ただ、今のところ会話にはそれほど幅がなく、ちょっと複雑な言葉を入力するとすぐに理解できなくなってしまう。まあ自然言語での会話ができるわけがないので、当然といえば当然だけど。
現在、東京の営団地下鉄では「シェンムー・スタンプラリー」実施中。そこら中にシェンムーのポスターが貼ってあるのであった。発売されてもいないゲームのスタンプラリーなぞ誰がやるんだろうと思わずにはいられないし、現にスタンプを押している子どもの姿など見たためしがないのだが、たぶん予定では今ごろ発売されていて、ゲームとスタンプラリーの相乗効果が期待できるはずだったのだろう(苦笑)。
やれやれ営団地下鉄も困ってるだろうなあ、と苦笑してポスターの前を通りすぎようとした瞬間、そこには「シェンムー体験版 →」の文字が! しかもプレイできるのは今週1週間のみ。
これは行かねば! と矢印の指示に従って行った先には、発売前の話題のゲームをプレイしようと集まった人々で長蛇の列が! ……というような光景をわずかに思い描かないでもなかったのだが、実際にはそこにはドリキャスが10台くらい置かれ、その前には小学生くらいの子どもやら、部活帰りとおぼしい制服姿の男子中学生らが何人かたむろしているだけ。話題のゲームにしては実にさびしい光景である。人よりドリキャスの方が多いので、私はまったく待つことなく、子どもらにまじってコントローラを握ることができた。
そこでプレイできるのはシェンムーの体験版というか特別バージョン「湯川(元)専務を探せ」。新しいゲームディスクを狙う悪者から湯川元専務を守るよう後藤喜男に頼まれた主人公が、横須賀のドブ板通りを歩きまわって元専務を探す、というただそれだけのゲームである。町の人に出会ったら話しかけ、手掛かりがあったらそこにいってまた聞き込み、情報を得てまた移動の繰り返し。まるで一本道のクズRPG(しかも経験値なし)ではないか。しかも、建物の中に入るときの読み込みが異常に遅い。湯川元専務を発見すると突然アクションシーンに変わるのだが、これが画面の指示に合わせてAボタンや方向キーを押すだけ、というシステム。うまくいかないとまたやりなおし。確かにグラフィックはきれいではあるのだけれど、これではとても本編をやってみたいという気分になる代物ではない。
全部クリアすると、はっと夢から醒めた湯川元専務の後ろにドリキャスの箱が山のように積まれている、というシーンでエンディングを迎えるのだが、このシーンまったくシャレになってません。
ほかにも次々と襲いかかる敵を倒していく50人抜きモード(格闘ゲームみたいなものなのだが適当にパンチやキックのキーを押していればなんとなく勝ってしまう)や、シェンムー本編の1シーンを抜き出したと思われる、倉庫に集まっている敵を倒していくというモード(これも画面の指示に合わせてボタンを押すだけ)もあるのだが、これもどこをおもしろがればいいのかさっぱりわからないような代物。
まあ発売前のバージョンだからこんなものなのかもしれないが、もし本編もこの程度なら誰も買わないのでは。大丈夫かドリームキャスト。
さてドリキャスのソフトとしては例外的に楽しめるのがシーマン。飼育を始めて7日目である。ああ、ギルマン(シーマンの幼生。ま、ハマチがブリになるようなもんだね)はお互いの血を吸って殺し合い、4匹が2匹に。吸血生物だったのか、シーマン。うう、おぞましい生態系の生き物である。こりゃ小学生がやったら絶対悪夢を見るぞ。
スティーヴン・キング『図書館警察』(文春文庫)、荒俣宏『決戦下のユートピア』(文春文庫)、岬兄悟・大原まり子編『SFバカ本 ペンギン篇』(廣済堂文庫)、T・S・ストリブリング『ポジオリ教授の事件簿』(翔泳社)、ダーウィン・L・ティーレット『おしゃべり雀の殺人』(国書刊行会)購入。
なんと、黒木掲示板で話題になってたイオンド大学なる大学からメールが来ていた。
初めまして、イオンド大学の×× ×子と申します。
イオンド大学 名誉博士 推薦委員会設立のお知らせがあり
まして、メールを致しました。
この度、IOND University(ハワイ州認可、WAUC加盟)では、
日本の各界において多大なる社会的実績を積まれた方々に対
し大学設立を記念して、名誉博士号を授与することと致しま
した。そのために各界の授与者を推薦する各都道府県推薦委
員会を設立することになりました。
名誉博士推薦委員対象者は以下の通りです。
- 各都道府県数名
- 年齢不問、学歴不問
- 身元確実な方
- 地方勤務
年収500万円程度になります。
次ぎに、名誉博士を推薦し、本学の学位授与選考委員会(教
授10名)により正式決定します。名誉博士号授与対象者は
以下の通りです。
- 40歳以上にして、各界において十分な功績を残され業
界と社会の発展のために寄与された方、各業界において
(医療、教育、産業、企業、研究など)
各都道府県に3名以内。
- 学問的、あるいは文献的に十分な実績のある方。
- 本学教授の推薦のある方
- 本学の発展に十分な実績のある方(寄付、協力支援など)
自薦他薦を問いませんので、遠慮なくご連絡下さい。
連絡方法はメールにてよろしくお願い致します。
一見してわかりにくいメールである。いったい私に何をしてほしいというのだろう。「名誉博士推薦委員」とやらになれというんだろうか。「年収500万程度」というのは推薦委員になるための条件なのか、それとも推薦委員をするだけで500万程度の年収になるのか。推薦委員対象者が「地方勤務」というところもわからない。そうであれば私は東京勤務だから対象外ということになる。さらに最大の謎はやはりなんといっても、大学ページなのにac.jpではなくniftyにあるところであろう。
奇妙に思ったので"IOND university"で検索してみると、3月頃に数多くの掲示板に宣伝を書きまくっていたようである(中にはナデシコ掲示板とかもある。本当に無差別である)。次に、海外のサーチエンジンを使って検索してみたが、これがまったくヒットしない(見つかったのは英語で書かれた教授募集の広告のみ)。ハワイ校があるはずではなかったんだろうか。
さらに検索をすすめた結果、意外な事実がわかった。どうやらこの大学の創立者は日本人で、中杉弘氏という人物であるらしい。おお、この人の名前は見たことがあるぞ。そうそう、ばじる氏のCLUB BUILD-GAMOで見たんだった。「苦虫噛み潰し隊が行く」のこことここの記述を読めば、だいたいのことはわかるでしょう。すなわち、中杉弘氏とは「催眠神秘会」の会長にして「日本催眠大学校」の創設者、さらに「日本平和神軍」の総統、という人物であるらしい。
さらに、イオンド大学の学長であるジョージ森下なる人物は、どう見ても宝栄山妙法寺大僧正森下日功倪下と同一人物にしか見えない。
なるほど。
何も言うまい。
以上。
「犯罪者ロマン」という用語があるそうだ。
きのうもとりあげた『司法精神医学と精神鑑定』という本をめくっていて見つけた言葉である。なんでも、分裂病前駆期の犯罪にみられる特徴なのだそうだ(佐藤親次「分裂病前駆期の犯罪と犯罪者ロマン」による)。
ちょっと待て、ボニーとクライドのような犯罪者に憧れる気持ちくらいは誰にでもあるではないか、と言われそうだが、これはそんなに単純なものではなく、空想活動が病的に昂進した結果、現実的には利益のない犯罪を計画してしまうことなのだという。
さらにいえば、Glaserというドイツの精神科医によれば、分裂病前駆期または潜行期の犯罪には次のような特徴があるらしい。
(1)些末な動機と犯行の重大性とのアンバランス
(2)冷酷さ、拙劣さ、犯罪者ロマン
(3)犯行についての悔恨、洞察の欠如
これを読んで私がまっさきに思い出したのが例のハイジャック犯。なんだか全部当てはまってしまうような気がするぞ。
また、中谷陽二によれば、前分裂病者の殺人例に共通する特徴としては、著しい自立と社会適応の障害、犯行の計画と手順に見られる観念性、空想性、誇大性があるという。これも当てはまるなあ。
航空機を心から愛しているがゆえに、空港の警備の重大な欠陥を指摘。それなのに何の対策も取られなかったことに腹を立て、何とか危険性を証明してみせようと考える。ここまでは理解できる。それならそれで、ホームページで告発するとか、飛行機内に凶器を持ちこんでパフォーマンスをしてみせるとか、いくらでもやりようがある。それなのに、あろうことか自分で実際にハイジャックをやってしまい、おまけに自分で操縦しようとしてしまう。さすがにここまでくると理解の範囲外である。前半はきわめて正常なのに、後半は異常としかいいようがない(どちらも一応論理的ではあるのだが)。実名を公開するかしないか、マスコミによって対応がわかれたのも、この乖離に戸惑っていたからなんじゃないだろうか。
「分裂病前駆期」という仮説ならこの乖離も説明可能である。すなわち彼はまだ今のところは病気とはいえず、論理的思考能力は障害されていないわけだ。
もちろん、当然ながら本人を診ないかぎりはっきりしたことがいえないわけで、仮説は仮説にすぎないのだけど(精神科医としては、どうしても本人を診ずに何かを語ることには慎重にならざるをえないのだ)。
シーマン飼育5日目。現在水槽の中にはギルマンが4匹。簡単な言葉なら解するようになった。「ピカチュウ?」と話しかけると「俺をその名前で呼ぶのはやめろ」と言うし、「何歳?」と訊くと「天才!」とか「盆栽!」とかベタなギャグもかましてくれる。もっと育てばちゃんと会話できるようになるんだろうか。
おや、見なれないページに出たぞ、クリックする場所を間違えたのかな、と思った方もいるだろうけど、心配無用。ここは「読冊日記」である。今日から8月ということで夏らしく模様替えしてみた。ページ開設以来1年と8ヶ月、実に初めての改装である。一見涼しげになったように見えるが、当然ながら書くことはこれまでと一緒である。
さて7月26日に私は次のようなことを書いた。
なぜハイジャックをしたのかと訊かれて「レインボーブリッジをくぐりたかったから」と答えたり、なぜ人を殺したのかと訊かれて「太陽が眩しかったから」などと答えれば、それは「狂気」を示す証拠ということになってしまう。一方、幼女を求める衝動は狂気とはみなされない。このへんの基準が私にはよくわからない。
「わからない」と書いたものの、いったいどういう基準なのか、どうしても気になって仕方がない。そこで、小田晋編『司法精神医学と精神鑑定』(医学書院)という本をめくってみたところ、あっけなく答えが見つかってしまった。
「性的障害」の項に、はっきりこう書かれているのだ。「一般に異常性愛(性嗜好異常、パラフィリア)は、それ自体としては責任能力の減免の対象にはならないとされている」。なるほど。
しかし、それに続けて「性衝動が異常に強烈で抑制しがたい場合」は「病的な異常ということになるので、いわゆる事理を弁識する能力に障害はなくても、弁識に従って行為する能力に障害があるのではないか」とも書かれている。妙に難しい言葉が使われているが、これは法律用語。日本の法律では、刑事責任能力とは、事理を弁識し弁識に従って行為する能力ということになっているんだそうな。つまり、いけないこととわかっていながら子どもと接触せずにはいられないような小児愛者は、刑事責任能力の前半の部分は正常でも後半の能力が障害されているのではないか、ということ。もっとわかりやすく言ってくれればいいのに。
そのあとに書かれている文章を引用する。
この問題は一種の司法精神医学上の最大のアポリアを形成するのである。つまり、論理的にいえば、事理を弁識する能力はともかく、弁識に従って行為する能力は病的に減退しているのであるから、完全責任能力を問うことはできないのである。しかし、いったんこれを認容すると、危険な性犯罪者はそのことゆえに無罪となり、または短期で出所する。(中略)現在のところ、(中略)異常性愛を主因とする犯罪については完全責任能力を規定している。
要するに、ホントは責任能力はないかもしれないけど、そういうことにすると危険だから責任能力ありということにしてる、ってことらしい。論理的に一貫性のない、どうも釈然としない理屈である。こうするしか仕方がないのだろうか。ううむ。
さらに、この本には鑑定人に求められることとしてこんなことが書かれている。
(1)少なくとも法の前の平等に違反しない程度の鑑定の基準を提出し、その妥当性の検証に努めること。
(2)犯罪者の人権と治療と、社会の安全を両立させるというより、そのトライレンマの上に至適妥協点を成立させるようなモデルを作成し、そのモデルの現代社会の認識体系のなかでの妥当性を検証すること。
つまり、犯罪者の人権と社会の安全は両立しないのである。どこかで妥協点を見出すしかないのだ。なんとも明解さに欠ける文章だが、このわかりにくさがまさに、さまざまな矛盾の中で鑑定を行わざるをえない精神鑑定人の苦渋をよく示しているような。
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻
97-98年の日記