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5月10日(月)

 橋岡昌幸さんという方からメールをいただきました。サマータイム導入反対リンクに当ページをリンクした、とのこと。サマータイムについて扱った3月4日の日記を読んで下さったらしい。日記にも書いた通り、サマータイム反対については全面的に賛同するので、トップページにバナーをつけてみました。

 講談社ノベルスの新刊の中から物集高音『血食 系図屋奔走セリ』のみ購入。手塚治虫リミックスを特集したCOMIC CUE Vol.6も購入。しりあがり寿、吉田戦車、喜国雅彦、島本和彦などといったメンバーがそれぞれの手塚治虫を描いているけど、中でもいちばん惹かれたのは「メトロポリス」を扱った黒田硫黄の作品。これは力作。あの名作を野球マンガにしてしまうとは。モーニング増刊の「ネオ・デビルマン」も見事だったし、これは今まで絵に抵抗を感じて全然チェックしてこなかった不明を恥じるしかないなあ。「大日本天狗党絵詞」の単行本買ってこなきゃ。

 ニュージャージーからの船便で横浜港に到着した郵便コンテナが一つ、3月から忘れられたまま放置されているのが見つかったんだそうな。入っていた郵便物は全部で約3万1000通。おいおい。
 アマゾンで本を買ってる方、注文してだいぶたってるのに届いてない本はないですか?
5月9日()

 まず片手を後頭部にあて、ちょっと首をかしげ、片目をつぶって唇の端から少し舌を出す。
 そしてこう言う。
「てへ」
 妻によれば、これが正しい「てへ」のやり方だというのだが、舌を出しながら「てへ」と声を出すのは極めて難しい。舌を噛みそうになってしまうのだ。
 どうやら、「てへ」マスターへの道は遠いようだ。
 だいたい、「てへ」ってのはいったいどういう意味なんだろう。ドジな女の子が失敗を笑ってごまかすときに使う言葉のようだけど、実際に「てへ」をやる人を私は一度も見たことがないぞ。
 えー、なんでまた突然「てへ」をやってみようかと思ったかといえば、西家ヒバリwithしりあがり寿の『乳輪部隊』を読んだから。全編(昔の)少女マンガのパロディで、女の子が「てへ」をやるシーンが何度も出てくるのだ。
 しかしこの「てへ」、最初に思いついたのはいったい誰なんだろう。

 アメリカで、4代に渡る犯罪者の家系に生まれた死刑囚(幼い頃に養子に出され、裕福な家で育ったにも関わらず、やはり実の父親同様何度も殺人を繰り返したそうな)が、自分の運命はDNAによって定められていた、という理由で控訴しているそうだ。
 むう、今ごろになって、19世紀のロンブローゾによる生来性犯罪者説の復活とはまたアナクロな。
5月8日()

 久しぶりに映画を観に有楽町へ行きましたよ。
 本日初日のスタトレを観ようかどうしようかと迷ったのだけれど、結局観たのは精神鑑定を扱ったサスペンス『39』。入ってみると土曜日だというのに劇場はガラガラ。そんなに人気ないのか、この映画。まあ1年もすりゃテレビでやりそうだしなあ。
 観終わった感想はというと……。
 こんなのは精神鑑定じゃねぇよ(怒)。
 妻はけっこう楽しめたようだが、精神科医の私からすればツッコミ所満載のまったくのダメダメ映画という評価しかできない。
 なんだよ、その教授と助手のおどおどした態度は。初回の面接でいきなり話しにくい過去について尋ねてどうするよ。そういうことは信頼関係を築いてからすることだろうが。なぜ鑑定人は自分のプライベートなことをべらべら話す。それでもあんたらプロか。それに普通、多重人格なら責任能力はあるはずじゃないのか、教授。
 まともであるはずの教授や助手、それに弁護士や刑事といったキャラクターは精神的に不安定で、かえって容疑者だけが唯一まともにみえる、というのがおそらく演出の意図なのだろうが、最初から鑑定人たちにプロらしさが一ミリも感じられないというのはどうかと思うぞ。
 結局この映画、一見リアルな法廷劇のように作られているが、登場人物たちの言動には全然リアリティがないし、病態もめちゃくちゃだし(主人公の母親はいったい何の病気なのかさっぱりわからないし、容疑者がぶるぶる震えて人格が交替するなんてシーンはもう笑うしかない)、つまりはテレビドラマなんかにありがちな異常心理風味のファンタジーなのですね。まあファンタジーとして作ったというのならそれでもいいのだが、そういう映画の中で実在する刑法39条への異議を申し立てるというのは、フェアな態度ではないんじゃないか。
 それに、『CURE』や『なぞの転校生』のときも感じたことだが、精神病院のシーンも相変わらずのひどさ。なんか七夕の飾りみたいなものを抱えた患者が廊下を歩きまわっていて、看護婦がそのあとをついてまわってるってのはいったい何なんだ。狂気に罪は問えるかという大問題を描く映画のはずなのに、肝心の狂気をステレオタイプでしか描けない発想の貧困。ああ。
 サイコサスペンスとして観るのをあきらめ、ミステリとして観てもやっぱり出来の悪い方だよなあ。重要な証拠の手に入れ方があまりにもいい加減だし、証拠を手に入れたんだったら、公開鑑定なんてやってないで法廷に提出しろよ。以下ネタバレ。共犯者も参考書くらいちゃんと始末してから夜逃げしろ。それに、夫が妻を殺したのと犯人が夫を殺したのがたまたま同じ日に起こったというのは都合がよすぎはしないか?ネタバレ終了。
 結局、刑法39条に異議を申し立てるなんていうのは単なるに建て前にすぎなくて、ちょっと目新しいサイコサスペンスを作ってみたかっただけなんじゃないかなあ。
5月7日(金)

 掲示板でダーガーのページを紹介して下さった方がいらっしゃるので、病跡学会のところで触れたヘンリー・ダーガーについて少し。まずは、内藤さんが紹介して下さった日本語で書かれた略歴のページ。英語版のダーガー・ページはここ。ギャラリーで絵画がいくつか見られる。もうひとつ、こっちはジオシティーズにあるダーガーのページ(英語版)。ここにある絵がいちばん写真写りがいいかな。ヘンリー・ダーガーからナウシカやセーラームーンまでを「ファリック・ガール」という造語で読み解こうという斎藤環さんの論文はここにある。
 どこのページでもダーガーは「アウトサイダー・アート」というくくりで語られているようだけど、どうもこの分類には違和感を感じてしまう。精神を病んでいる人の描いた絵、というような意味あいなのだろうが、それならゴッホの絵もアウトサイダー・アートか? それにダーガーは果たして本当に精神を病んでいたのだろうか? また、絵画よりもむしろ小説に愛着のある私としては、絵画ばかりが注目されて、彼が生涯にわたり書き続けた15000ページにも及ぶ超大作ファンタジーについてはあまり語られていないのも疑問である(つまんないのか、やっぱり)。
 ダーガーがペニスを持った少女を描いたのは、「男女の性的な差異に無知だったから」と一般には解釈されているようだが(斎藤環さんは異論を提出しているが)、私がダーガーの絵を見てまず連想したのは、日本のエロマンガである。斎藤さんはエロマンガをあまり読んだことがないのか言及していないが、セーラームーンやナウシカのような「戦う少女たち」を持ち出すまでもなく、ダーガーが書いたのと同じような「ペニスを持った少女」は日本のエロマンガによく登場しているではないか。
 なにやら怪しげな薬やら手術やらでペニスが生えてしまった少女がいろいろと辱めを受ける、というようなマンガですね。よくあるでしょ、こういうの。こういう作品がいくつも描かれてるってことは同じファンタジーを共有する人がけっこういるということなんだろうけど、私はどうやら共有していないようで、ペニス少女を見てもまったく性的な興奮を感じない。いったい、どこがいいんですか>こういうマンガに興奮する方。
 たぶん、ダーガーの欲望も、こういうマンガの欲望と同種のものだったんじゃないかなあ。まあフロイトとかラカン的に考えればいくらでも適当な解釈はできるんだろうけど、私はそもそも精神分析はあんまり好きじゃないのでやめときます。

 芳林堂コミックプラザにて諸星大二郎『西遊妖猿伝 9』(潮出版社)購入。「いよいよ双葉社版未収録の部分に突入」と貼り紙がしてあったが、家に帰って比べてみると、まだ双葉社版第九巻の途中まで。双葉社版とは章割りや章題がけっこう違っているようである。とり・みき『御題頂戴』(ぶんか社)、唐沢なをき『けだもの会社 1』(集英社)、西家ヒバリwithしりあがり寿『乳輪部隊』(アスペクト)を買う。あと上遠野浩平『夜明けのブギーポップ』(電撃文庫)も。
5月6日(木)

 休み明けなので忙しい一日。案の定、具合が悪くなってしまっている患者さんもいる上(それも複数)、患者さんの家族からの電話も何件か。本日退院の人も二人。退院者が出たら退院サマリーを書かなくちゃいけない。おまけに入院患者までやって来たのだけど、これは土壇場でキャンセルに。でも、費やした労力は入院した場合と変わらないぞ。

 表紙を見た人のうち十中八九は「青土社の本?」と思うだろうアミーア・D・アクゼル『地球外生命体 存在の確率』(原書房)購入。単に装丁が戸田ツトム+岡孝治だというだけなんだけど、どう考えてもこれは狙ってるよなあ。地球外生命体が存在する確率は限りなく1に近い、と主張する大胆な本らしい。あと、『ウィルキー・コリンズ傑作選3 ノー・ネーム(上)』(臨川書房)も買ってみた。全巻の構成もわからないし、カバー折り返しに小さく「第1回配本」と書かれていなければ既刊が何巻あるのかもわからないという、きわめて不親切な本である。そもそも『ノー・ネーム』は全2巻なのか全3巻なのかもわからない。

 中島河太郎死去。元和洋女子大学長だったのか。
5月5日(水)

 近くのコンビニで1273円の買い物をして、1303円を出した。ところが1円玉が1枚、100円玉の下に隠れて見えなかったらしい。レジの女の子は1302円からですね、と言いながらレジに1302と打ち込むではないか。あー、1273円の買い物をして1302円出す奴がどこにいますか。もちろん、レジにはお釣り29円と表示される。しかし彼女は何の疑問も感じない風情で、29円をレジから出して私に渡そうとする。私はひとつため息をつき、100円玉をどかして下に隠れた1円を見せた。
 えーと、別に私はレジの彼女を責めているわけじゃありません。むしろ彼女のような行動は当然だと思います。だって人間、何も判断しない方が楽だからねえ。判断するにはエネルギーがいる。釣りを出すたびに表示された数字が適正かどうか判断してたら、とてもじゃないがこんな仕事やってられない。レジという機械の一部となってただ黙々と働くこと。こういう仕事をするには、それがもっとも最適な戦略なんだろう。それを責める権利など私にはありはしない。
 問題は、人間はあまりにも簡単にルーチンワークに陥りやすいということなのだな。私のような医者とか看護婦とかの職についてさえいても。注意力を常に持続させるように求めるのは人間の本性に反している(患者はそれを期待しているのかもしれないけど、無理な話だよ、実際)。結局解決策は、人員を増やして、何重ものチェック機構を作ることしかないと思うんだが、なんでまた国は医療費を減らそうとしてるんだか。
5月4日(火)

 妻が実家に帰ってしまった。
 といっても、別に私に愛想をつかしたというわけではなく、妻の妹が実家で出産したので赤ん坊の顔を見に行くというだけのことである。妻は今週末までずっと休みなのだが、私は明日までしか休めない。一泊しかできないのならわざわざ山口まで行くのもたいへんだしなあ、ということで私だけ一人で留守番をすることにした次第。
 ひとりで古畑任三郎を見て(今週はハズレ)、夕食はコンビニ弁当を温めて食べる。久しぶりに一人暮しのときに戻ったような気分である。具体的にはどういう気分かというと……そりゃ「寂しい」に決まってるじゃないですか。ほかに何があるというのか。何もないって>妻。

 ニュースステーションを見ていたら、全盲の少年ピアニストってのが登場。ナレーションによれば「天使の響き」なんだそうだ。まあ確かに彼の才能には敬意を払うけど、「全盲=天使」という結びつけ方はイヤだなあ。
 たとえば全盲のポルノ作家がいてもおかしくないし(視覚に頼らない官能的な描写をしてくれそうでものすごく読んでみたいなあ)、全盲の連続殺人鬼ってのも、これはこれでものすごい才能だと思う。ハンディキャップを負っていることとその人の人格というのは何の関係もないはずだ。全盲の人にはもちろん天才的な才能を持っている人もいるだろうけど、いいかげんな人間や意地の悪い人間だっているだろう。その割合は健常者とまったく同じはずである。
 ハンディキャップを負った人に天使とかそういう清らかなイメージを投影するのは、あとで幻滅することを思えばかえって有害だと思うんだが。

 『カルドセプト・エキスパンション』を購入するが、締め切りが迫っているので5月10日まで封印。

 SFセミナーに忙しくて全然気づかなかったが、5月2日か3日あたりに日記ページのカウンタが10万カウントを突破していたらしい。みなさん、どうもご愛読ありがとうございます。
5月3日(月)

 きのうの続き。SFセミナー夜の部。
 私としては、ここからが今年のSFセミナー最大のイベント。企画部屋を一つ受け持つことになっているのである。題して「サイコドクターあばれ旅・SFセミナー特別篇」。
 VAIOをプロンプター代わりに使っていよいよ企画開始。部屋に集まっていた人は30人以上はいたかな。思ったより盛況である。まず最初に私のウェブページを見たことがあるかどうか尋ねてみたところ、やっぱり見たことがある人が大半だった(見てないという人も何人かいたが)。えー、来てくださった方、どうもありがとうございます。
 基本的には私が趣味で集めている論文の症例紹介。ペリー・ローダンと自分を同一視した患者の話とか、「精神病の感染」の話とか、SF的に興味深い症例をいくつか紹介。お客さんからの質問が、割合初歩的なものが多かったので、(「精神科と神経内科と心療内科はどう違うんですか」とか「分裂病と神経症の違いは?」とか)もう少し基本的なところから始めるべきだったか、と反省。精神科のことって、意外と知られてないんですねえ。紹介した症例は、かなり特殊なのばかりなので、ああいうのが普通だと思わないように。もし次があるのなら、今度は基本編をやろうかな(来年もやる気なのか?)。
 ともあれ、なんとか成功のうちに終わってほっとしました。後ろの方で柳下毅一郎さんが見ていたのがいちばん緊張しました(笑)。

 さて、こういうイベントの名物といえばやはりオークションと古本市。オークション会場は溝畑、溝口、ダイジマン、といった古本の鬼たちで立錐の余地もないほど。私がオークションと古本市で買ったのは、ジョン・ウィンダム『時間の種』(創元推理文庫)、エリック・F・ラッセル『宇宙のウィリーズ』(創元推理文庫)、ジェームズ・ガン『不老不死の血』(創元推理文庫)といった創元SFの珍しいところと、ジョー・ホールドマン『マインドブリッジ』(講談社文庫)、マイクル・ビショップ『焔の眼』(早川書房)、ガードナー・ドゾア『異星の人』(サンリオSF文庫)、フレデリック・ターナー『二重の影』(サンリオSF文庫)、五島勉『カバラの呪い』(NON NOVEL)。そして「海外SFを読もうというのなら、これを持ってないやつは死ね」といわれるジュディス・メリル編『年間SF傑作選1〜7』(創元推理文庫)もオークションで競り落とす。今まで持ってなかったんですよ、すいませんね。
 表紙が怪しいスピンラッドの『はざまの世界』もほしかったのだが、前に座っていた溝口さんの全身から、並々ならぬ意気込みが伝わってきたので快く譲る。大人の態度である。

 大広間に行って見ると、初対面のOさんから、突然「風野さんはエロゲーにも造詣が深いとお見受けしますが」と声をかけられて驚く。彼が鞄の中から取り出したのは1枚のCD-ROM。「ぜひこのゲームをやってみて下さい。SFネタのエロゲーです」という。CD-ROMには『NOVA』というタイトルが印刷されている。うーん、きいたことないなあ。まあいいけどさあ、私はいつの間にエロゲー評論家になったんだ。こうなったら、来年は本当に「SFエロゲーの部屋」をやろうかなあ。
 「面白いんですか」と訊いてみると彼はきっぱりと答えた。
「いえ、つまらなかったです」
 おい。
 まあ、ゲームはありがたくいただいたのだけど、それより「サンリオSF文庫を収集してるとお見受けしますが、ぜひこの本を読んでください」とか言って『はざまの世界』をポンとくれるような人がいたらもっとありがたいなあ(←いないって)(←ホントは溝口さんに譲ったのがけっこう悔しいらしい)。

 それから、山形大医学部の柳庵君と話したり、ネット関係の人が集まっている部屋に行って寝たり(笑)と夜をすごし、朝を迎えたのでありました。
 全然企画紹介をしてないが、まあいいか。
5月2日()

 ニュースではオ○ムがゴールデンウィーク恒例のセミナーを開いたとかなんとかうるさい今日この頃ではあるものの、SF界じゃずっと前からゴールデンウィークは恒例のSFセミナーでSF修行(笑)と決まっている。今年は、参加4回目にして、ついにスタッフとしての参加ということになってしまった。
 思えば(「思えば」が始まると長いぞ)、私が初めて参加したSFセミナーは、庵野秀明がエヴァを語り、梅原克文がSFファンを挑発し、岡田斗司夫が大宮信光を軽くいなしたという伝説の回でありました。私とか妻とか(その頃はまだ結婚していなかったけど)は、森下一仁さんの空想小説ワークショップ一同で参加したものの、ほかには知り合いがほとんどおらず、ワークショップメンバーばかりで寂しく固まって過ごしたっけ。
 それがたった4年で、会場を見渡せばそこかしこに見知った顔が見つかるようになったってのは、やっぱりインターネットの力としかいいようがない。ウェブページを始めていなければ、知り合いは今よりずっと少なかっただろうし、今回のように企画も持てなかったわけだから。
 今回当たりを見まわして思うのは、ネット関係の人の多さ。中には、SFセミナーには初参加という人も多かったはず。今までは、何らかのファングループに参加していない個人だと、SFセミナーっておもしろそうだなあ、とは思っても、閾が高そうでなかなか参加しにくかったけれど、ネット上の知り合いが参加しているとなればちょっと行ってみようかという気にもなるはず。これからも、ネット上の活動→セミナーなどイベント参加→ファンダムへ、という人が増えてくるんだろうねえ。
 そういうこともあるためか、会場となった全逓会館は、朝一番の企画である「文庫SFあれやこれや」からほとんど満員状態。こんなことは珍しいんじゃないだろうか。朝からこれでは、午後になったらどうなるんだ、とスタッフとしては心配していたのだけど、なんとか会場には収まったようでひと安心。
 昼間の私の仕事は照明。いちばん後ろに待機して、タイミングに合わせて照明のオンオフを行うだけ。そうたいへんな仕事ではない。今年はスタッフが多いので一人に割り当てられる仕事は例年に比べかなり楽だったらしい。
 昼食は受け付け脇でモスバーガーを食べて済ませ、午後の企画に突入。ここからは森岡浩之、神林長平、篠田節子といった人気作家が続々登場。
 昼の部が終わったあとは、椅子や机を並べなおして、荷物をまとめて撤収。荷物は車に乗せてふたき旅館へ。夕食も室内でほっかほっか弁当である。
 全然企画の内容には触れていないけど、そういうことはほかの参加者のサイトで、ってことで夜の部については明日の日記で。
5月1日()

 今日から5連休である。
 今年は運よく当直も入らずフルに休めるのだけど、連休になるといつも心配なことがある。当然のことながら、私が休んでいる間にも、担当の入院患者さんは病院にいるのだ。特に今は急性期病棟の担当なので、1日2日単位で薬の調整をしてる患者さんもいたりする。あの人とかあの人とか、調子崩したりしないだろうなあ……。
 心配ではあるのだけど、休まずに病院に出て行くとかそんなことまではしない。やっぱり休みの日はきっちり休みたいからね。ここは同じ医者でも人によって違うところだと思うけれど、私としてはプライベートな時間まで仕事のために使いたくはない。気持ちを切り替えて好きなことに使う。まあ、病棟に電話くらいは入れるつもりだけど。

 早川書房より『グッドラック 戦闘妖精・雪風』届く。おお、かっこいい表紙ではないか。SFマガジンの連載と比べてみると、大筋は変わってないがけっこう加筆訂正があるようだ。なんで発売前のこの本がうちなぞに届いたかというと、この作品には精神科医が重要な役回りで登場するということで、SFマガジンから書評を頼まれてしまったのであった。私のような者が、かの名作雪風の書評を。いいんだろうか。まあ、悩むより先に早く読まなくちゃな。締め切りは近い。

 いよいよ明日はSFセミナー。私は「サイコドクターあばれ旅・SFセミナー特別篇」という合宿企画を担当することになっている。うう、ちゃんと企画ホストの大任を果たすことができるんだろうか。1時間半もの時間を、しゃべくりの苦手な私一人でもたせることができるのか。奇絶、怪絶、また壮絶!

 いろいろと不安と緊張の渦巻く皐月朔日なのでありました。

過去の日記

99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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