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11月30日(火)

 日本最古の墨書文字発見。三重県嬉野町の貝蔵遺跡で出土した2世紀後半の土器に、漢字の「田」と読める墨の筆書き跡が発見されたそうな。1996年には、この遺跡に近い片部遺跡でも4世紀前半の土器に「田」と読める墨書が見つかっているし、97年には熊本県玉名市の柳町遺跡で4世紀初頭の木製短甲の留め具に同様の「田」が見つかり、今まで「日本最古級の文字」だと言われていたとか。
 こうなると、日本最古がどうとかいうよりも、なんでまた古代の文字はみんな「田」なのか、ということの方が謎だと思うんだが。UFOに書いてある文字がみんな「王」なのと同じくらいの謎である。三重から熊本にわたって広がる伝説の田王朝でもあったのか。
 そもそも、土器に「田」なんて書いて何の意味があるのか。普通に考えれば「田」は文字じゃなくて何かのマークなんじゃないのかなあ。シャネルとかルイ・ヴィトンみたいなブランドのマークとか。きっと、2世紀から4世紀にかけての日本では、「田」ブランドの土器や留め具が大流行していたに違いない。
 おそらくこの田ブランドを生み出した一族の末裔がアメリカにわたって、田ブランドのパソコンを日本に輸出しているとみたのだが、どうか。オチがわからない人はあなたのパソコンのキーボードを見てください。下の方に田キーがないですか。ないならいいです。
11月29日(月)

 日づけは29日だけど30日に書いてます。

 例のお受験殺人。
 どうやら、動機はお受験ではなかった、などと容疑者が警察に話しはじめているようだけど、今さらそんなこと言ってもムダというものである。だって、この事件はもう容疑者個人の手を離れ、「世間」の手に渡ってしまったのだから。
 「お受験殺人」というキャッチーなネーミング。幼稚園に合格した子どもと落ちた子どもの母親同士の愛憎という2時間ドラマめいた構図。そして何よりも、この事件を語るだけで、それらしく社会批判できるというお手軽さ。これはまさに「世間」が遊ぶのにうってつけのおもちゃである。最初に報道された時点で、もうすでに容疑者の役割は終わっていたといっていい。あとはわっと群がったにわか評論家やウェブ日記書き(もちろん私も含む)が好きなように料理するだけ。
 つまりこう言ってもいい。事件ははやくも伝説と化したのである。宮崎事件やオウム事件、酒鬼薔薇事件がそうだったように、この事件も「時代を象徴する事件」の称号を得ることになるはずだ。たかが容疑者の告白くらいで、その称号を剥奪するわけにもいくまい? 今さら捨て去るには、「お受験殺人」という構図はあまりにもわかりやすくて魅力的すぎるのだ。
 10年もすればきっと、「あの頃は受験戦争がバカみたいに低年齢化してたよなあ」「覚えてる?『お受験殺人』」「あったあった」などと語られるに違いない。そこで「いや、実際のところは動機はお受験じゃなかったらしいんだよ」なんて口をはさむのは知ったかぶりの犯罪マニアぐらいのもの。容疑者自身の本当の動機をよそに、この事件はあくまで「お受験殺人」として語り継がれることだろう。
 でも、そもそも殺人の「本当の動機」なんてものは誰にもわからないものだと思うのだけど。容疑者本人も含めて。
11月28日()

 キャサリン・アサロ『飛翔せよ、閃光の虚空へ!』(ハヤカワ文庫SF)読了。敵味方の世継ぎ同士のロマンスあり、宇宙空間での超光速バトルあり、サイバースペースの冒険あり、ハードSF的科学考証あり、おまけに精神科医あり(笑)、となんでもありでサービス満点。よくぞこれだけの要素を一冊に詰めこんだものだと感心したのだが、それだけにどうもひとつひとつの要素が中途半端で食い足りない。
 なんだか、物語の設定と人物の顔見せをする序章だけを読まされたような気分である(実際その通りなんだろうけど)。魅力的なキャラクターも多いだけに、それほど活躍しないまま消えて行く人物が多いのが残念。途中で出てきた主人公ソズの母親なんか、天使のような美貌と完璧な肉体を持ち、王の実母なのになぜか踊り子として生活している(ソズが40代ってことは、母親はいったい何歳なんだ)というとんでもないキャラでいい味出してるのに、ちょっとしか登場しないのは実にもったいない。
 ちなみに私の場合、読んでいて連想したのは、帯にある『星界の紋章』というより、グイン・サーガのマリウスとイリスのエピソードだったり。『ロミオとジュリエット』ネタというのは、日米を問わず女性作家の憧れなんでしょうか。
11月27日(土)

 SFマガジンの塩澤編集長から久しぶりに原稿の依頼。来月創元から出る『終わりなき平和』のクロスレビューを書いてほしいとのこと。
「『終わりなき戦い』は読んでますか?」と訊かれたので、正直に「実は読んでないんですぅ」と答えたら、電話の向こうの編集長、「うーん」となんだか困ったような声になった。慌てて、やりますやります、『終わりなき戦い』もすぐに読みます、と答える。
 そのあと鶴田謙二の表紙絵の話とか『クリスタルサイレンス』の藤崎慎吾の話とか。なんでも、藤崎さんにはSFマガジンに書いてもらおうという話もあるけどしばらくは本業が忙しいらしい、とか。

 夕方から秋葉原に出て石丸電気でCDを見る。ここまで来ると、さすがに他の店には置いてないようなCDも多くて助かる。池袋ではどこを探してもなかった中司雅美のシングル『Forever』、遊佐未森のプロデューサーとして知られる外間隆史のソロ・アルバム『裏庭』(遊佐未森も「空のラジオ」という曲を歌ってます)、"Pi-Bi-Li-Las-Pa Blue-Sphere"という歌詞が妙に耳について離れない藤田陽子『スフィア』、ヤプーズ『ヤプーズ計画』(これは、牧野修『忌まわしい匣』の帯にある大森望の惹句を読んで久しぶりに聴きたくなった)、太田裕美『キャンディ』、ZABADAKのベスト盤『ストーリーズ』、といったCDを購入。しかし、ヒットチャートとはまったく無縁の選択である。
11月26日(金)

 お受験殺人。「母親同士の心のぶつかりあい」と聞いて、サイキックバトルを思い浮かべてしまった不謹慎な人間がここにいます。
 事件の舞台となった音羽周辺は、私が以前住んでた場所のすぐ近く。しかし、あのへんに住む母親たちの間に、子どもの受験をめぐってそれほどの緊張があったとは、住んでいながらまったく知らなかったなあ。私にとってはあのへんは、緑が多くて通学に便利な(しかし買い物には不便な)場所でしかなかったのだ。たぶん、当事者でもなければまったく知らない世界というものがあるんだろう。
 同じ空間に住んでいながら、私たちは、それぞれの立場によってまったく違う世界を生きているというわけだ。
 そりゃ、誰がどんな世界を生きようが勝手なのだけど、この事件の母親たちの生きている世界というのは、私にはどうにも理解に苦しむところがある。たとえば、受験のためにていねいな言葉遣いの練習を繰り返したとか、変な言葉を使わないようにテレビも見せなくなったとか、「意気込みを見せたい」「少しでも早い番号なら有利なのではないか」と出願の朝には父親が幼稚園の前に列をなすとか。ほとんど生活のすべてが子どもの受験で占められているといっていい。
 うーん、たかが幼稚園受験に、そこまで必死になる価値があるのんだろうか。親たちにそう訊いたら、何言ってるんですか、もちろんあるに決まってるじゃないですか、と当然のことのように答えるんだろうなあ。
 そんなことを漠然と考えながら竹下節子『カルトと宗教と』(文春新書)を読んでいたら、こんな一節を見つけた。
いったんカルトの論理を無批判的に受け入れてしまえば、そのグループやリーダーやイデオロギーなどが、メンバーの関係性のすべてになってしまうのがカルトの特徴だ。

(カルトは)集団で閉鎖に向かい、その中の個人は健全な識別能力や批判能力を失っている。
 そこではたと気づいた。これは、この事件の親たちにも当てはまるんじゃないだろうか。つまり、「お受験」というのは、一種のカルトなんじゃないか(カリスマ的なグルはここにはいないが)。そう考えてみると、親たちの非論理的な信念は例の「定説」にそっくり。この事件の加害者がなんとなく憐れに思えるのは、彼女がマインド・コントロールの犠牲者でもあるからだろう。
 そして、そのマインド・コントロールの責任の一端は、「お受験」などという言葉まで作り出して過熱をあおったマスコミにもあるように思えるのだが……。

 夜はSFセミナー打ち合わせ。帰りの電車内での雑談で出た話なのだが、本棚の写真を何枚か見せて部屋の主を推理する、というSFコレクター版『誰もいない部屋』をやるというのはどうですかね。でも有名な人の書棚だと見ただけでわかっちゃう人がいそう。

 『飛翔せよ、閃光の虚空へ!』200ページまで。主人公ソズの弟はケルリックというのだけど、これが一ヶ所だけエルリックと誤植されていて、一瞬違う小説を読んでいるのかと思ったよ。
11月25日(木)

 もちろん『ときめきメモリアル2』は買わないとね。さすがにピンクのポケステはついてない通常版だけど。あと、ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』(早川書房)も買わなきゃならんし、牧野修『忌まわしい匣』(集英社)と佐藤亜紀『ブーイングの作法』(四谷ラウンド)も買うしかないだろう。散財したあげくにやたらと重い荷物をかかえて帰る。あ、SFマガジン忘れた。
 しかし、妻が『クロノ・クロス』にはまっているので、家に帰っても『ときメモ』プレイできず。げ、名前を呼んでもらうだけで11ブロックもいるのか。明日メモリーカード買ってこなきゃ。
11月24日(水)

 池袋駅の小さな古本市で、大量のSF系文庫が安値で出ていたのはこないだ書いたとおりなのだけど、そこでもらったブックカバーに記されていたのが三ノ輪にある古本屋の名前。もしや、そこに行けばさらに大量のSF文庫があるのでは?とさらに期待に胸を膨らませつつ降り立ったのは地下鉄日比谷線の三ノ輪駅。
 目指す古本屋は駅のすぐそばにあったのだけど、どこにでもあるような文庫本とマンガが中心の小さな店で見るべきものなし。まあ、古本市に出す本と店頭に並べる本は違うという店も多いので別に落胆はしなかったのだけど。
 さて三ノ輪駅の近くをぶらぶら歩いていて見つけたのが浄閑寺というお寺、通称投込寺。この通称に「おお」と驚いたのは、山田風太郎の傑作「怪異投込寺」を思い出したから。門の前にある由緒書きによれば、このお寺、安政の大地震のときに、新吉原の遊女たちが投げ込み同然に葬られて以来、数多くの遊女たちが葬られて来た寺とのこと。しかしなぜか、この寺、裏門のような入り口はあるものの、一周してみてもちゃんとした山門が見つからない。由緒書きも裏門のところにあったし、この寺、正門がないのか?
 ただし、「怪異投込寺」の舞台は、「道哲寺、正確には西方寺という。明暦のむかし、道哲という乞食坊主が、日本堤の東詰にささやかな堂宇をいとなんで、囚人、ゆきだおれ、引取人のない遊女などの屍骸を葬って、あつく回向したのがそのはじめだが、時代とともにだんだんぞんざいになって、いまでは心中者、下級の遊女などの哀れな屍骸が出ると、一朱二朱の安い埋葬料でかつぎこみ、犬猫同様に穴のなかへ投げ込むので、俗に『投込寺』と呼ばれている」とのことなので、どうやらこの寺とは違うらしい。
 さらに近くには目黄不動尊を発見。目白、目黒、目青、目赤、目黄の五色不動のひとつですね。ミステリファンなら『虚無への供物』を思い出すかな。こっちも門が閉ざされていて中を覗き込むことしかできないのが残念。

 レイ・ブラッドベリ『瞬きよりも速く』(早川書房)、石原孝哉/市川仁/内田武彦『ミステリーの都ロンドン』(丸善ライブラリー)、竹下節子『カルトか宗教か』(文春新書)購入。
11月23日(火)

 家に両親が来る。
 なんと、結婚して2年になるが、両親を家に呼んだのは初めてである(別に仲が悪いとかそういうわけではなく、単に無精だから呼ばなかっただけである)。妻はきのうから緊張した様子で掃除したり食事など作ったり。そんなことせずとも、どっかうまいレストランで食事でもした方が(そしてあわよくば両親に金を払ってもらった方が)いいんじゃないか、と妻に言ってみたのだが、一言のもとに却下。「仮にあなたが人んちに呼ばれたとして、外で食事して金を払わされるのと、家で食事を作ってもらうのとどっちが好感度が高いと思う?」。なるほど、納得。
 うちの母親はきわめておしゃべりなのだが、父親は無口。今日も、ほとんど母親が一人で3時間以上しゃべりまくって帰って行った。まったく、疲れるぜ。
11月22日(月)

 2時ごろに突如停電。もちろん病院なので非常用電源に切り替わったのだけど、病院内は真っ暗だし、コンピュータも落ちてしまったので処方入力もできない。30分くらいで復旧したけど、原因がさっぱりわからず、今日から始まった旧病棟取り壊し工事のせいじゃないか、などと勝手なことを言い合う。自衛隊機墜落のニュースを知ったのは5時過ぎのこと。

 なんでだか手の指に発疹ができてしまい、赤く腫れ上がって痒いこと甚だしい。妻は、土曜に朝まで酒を飲んで不摂生をしたせいに決まっている、というのだが。うーむ、30過ぎて無理のできない体になってしまったんだろうか。

 訳者に惹かれて、ふだんなら守備範囲外ながら、創元の新刊、リチャード・ティモシー・コンロイ『スミソン氏の遺骨』を購入。この本、ユーモア・ミステリながらなぜか訳者は浅倉久志なのだ。こんなふうに、訳者を信じて買う本ってないですか? 私の場合、浅倉久志、伊藤典夫両巨頭のほか、浅羽莢子くらいかな。

 山村正夫死去。一冊も読んだことないや。『湯殿山麓呪い村』の作者だっけ。しかし、本業の作家としてよりも篠田節子、宮部みゆきの師匠としての方が有名、というのはどういう気持ちだったんだろうなあ、本人としては。
11月21日()

 さて今日は、抗精神病薬なんて影も形もない時代には、精神病に対していったいどんな治療をしていたか、という話。昔の精神病院ではただ患者を閉じ込めていただけ、と思われがちだけど、そんなことはない、ちゃんと治療はしていた。ただ今の目から見れば相当とんでもない治療法なのだけれど。
 1747年のベストセラー大衆医学書"Primitive Physic"によれば、メランコリーに対してはツタを浸した酢で頭を1日数回拭くこと、「狂暴な狂気」に対しては、大きな滝の下に患者を置き、患者の力がつづくかぎりその滝の下に患者を置くこと、あるいはバケツで患者の頭に水をかけることを勧めている。荒っぽい冷水ショック療法ですね。日本でも、江戸時代から主に密教系の寺院で精神病患者を滝に打たせる治療が行われていたというから、水流が狂気に効くという発想は、洋の東西を問わないようだ。
 また、18世紀の最先端の治療法として「電気療法」があり、ロンドンの何ヶ所かに置かれた電気治療機で、数年間で何千人もの患者が治療を受けたとか。
 しかし、当時もっともポピュラーだった治療法はといえば、なんといっても瀉血である。静脈を切って「悪い血」を外に出すというもの。1回に200ml〜400ml程度の瀉血は日常的に行われていたし、ベンジャミン・ラッシュという医師に至っては、1回目は20〜40オンス(500〜1100ml)を勧めている。ベドラムのトマス・モンローによれば、大量の瀉血を繰り返し、強力な嘔吐剤や下剤を繰り返し与え、多量の阿片系の薬剤で患者を昏睡させたり、長時間に渡って強い冷水のショックを与えるのが標準的な治療法であったらしい。
 まあこういう時代だから、1725年のパトリック・ブレア医師の学会報告も驚くにはあたらない。あるとき、風車で揚水された水が80トンほど入る、高さ10メートルの貯水タンクを発見したブレア医師、これは使える、とひらめいた。彼は、ある既婚の女性患者に瀉血、嘔吐剤、下剤、発汗剤、水銀といった当時の治療法一そろいを2ヶ月ほど大量に処方しつづけたあと、彼女をタンクの下に作った部屋に連れていき、目隠しして裸にしばりつけ、最初は30分、次に60分、3回目には90分の間、落下する水流の下に置いたという。4回目に水流の下に連れていったときには、彼女は恐怖のあまりひざまずいて許しを乞い、今後はずっと愛情深く従順で務めに忠実な妻になることを約束した、とブレア医師は満足げに学会で報告したそうな。
過去の日記

99年11月中旬 カムナビ・オフ、古本市、そして定説の巻
99年11月上旬 @nifty、マラリア療法、そしてまぼろしの市街戦の巻
99年10月下旬 スイート・ヴァレー・ハイ、口呼吸、そしてクリスタルサイレンスの巻
99年10月中旬 少年隊夢、笑い反応、そしてカムナビの巻
99年10月上旬 2000円札、カエル、そして日原鍾乳洞の巻
99年9月下旬 イギリス、怪文書、そして臨界の巻
特別編 英国旅行の巻
99年9月中旬 多重人格、オークニーに行きたい、そしてイギリスの巻
99年9月上旬 家族、通り魔、そしてもてない男の巻
99年8月下旬 家庭内幻魔大戦、不忍道り、そしてDASACON2の巻
99年8月中旬 コンビニ、液晶モニタ、そしてフォリアドゥの巻
99年8月上旬 犯罪者ロマン、イオンド大学、そして両生爬虫類館の巻
99年7月下旬 ハイジャック、あかすばり、そしてさよなら7の月の巻
99年7月中旬 誹風柳多留、小児愛ふたたび、そして動物園の巻
99年7月上旬 SF大会、小児愛、そして光瀬龍の巻
99年6月下旬 小此木啓吾、上野千鶴子、そしてカルシウムの巻
99年6月中旬 妄想、解剖学標本室、そしてパキャマラドの巻
99年6月上旬 睾丸握痛、アルペン踊り、そして県立戦隊アオモレンジャーの巻
99年5月下旬 トキ、ヘキヘキ、そしてSSRIの巻
99年5月中旬 鴛鴦歌合戦、星野富弘、そして平凡の巻
99年5月上旬 SFセミナー、ヘンリー・ダーガー、そして「てへ」の巻
99年4月下旬 病跡学会、お茶大SF研パーティ、そしてさよなら日記猿人の巻
99年4月中旬 こっくりさん、高い音低い音、そしてセバスチャンの巻
99年4月上旬 日記猿人、生首、そして「治療」は「正義」かの巻
99年3月下旬 メールを打つ、『街』、そしてだんご3兄弟の巻
99年3月中旬 言語新作、DASACON、そしてピルクスの巻
99年3月上旬 サマータイム、お茶の会、そしてバニーナイツの巻
99年2月下旬 バイアグラ、巨人症、そしてドッペルゲンガーの巻
99年2月中旬 クリストファー・エリクソン、インフルエンザ、そしてミロクザルの巻
99年2月上旬 犬神憑き、高知、そして睾丸有柄移植の巻
99年1月下旬 30歳、寺田寅彦、そしてスピッツの巻
99年1月中旬 アニラセタム、成人、そしてソファの巻
99年1月上旬 鍾乳洞、伝言ダイヤル、そして向精神薬の巻

97-98年の日記

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