2006-03-01 [Wed]
▼ 島田清次郎と文章倶楽部
国会図書館で島清調査。まずは、同時代の作家が島田清次郎を小説として描いた作品、佐藤春夫「更生記」と正宗白鳥「来訪者」を閲覧。「更生記」は意外に長い作品だったので古本を買うとして、「来訪者」はごく短いので全編コピー。舟木芳江事件(陸軍少将の娘を誘拐監禁したとして告訴された事件)以降、文壇から干されて逼迫していた時期の島田清次郎が描かれていて興味深い。
続いて新潮社で出していた「文章倶楽部」という雑誌を調べる。当時、新潮社は「新潮」と「文章倶楽部」という2つの文芸誌を出していたのだけれど、「文章倶楽部」の方が比較的若い読者向け。ぶっちゃけて言えば文壇ワナビ雑誌である。毎号毎号、文士の顔写真や生原稿の写真が載ってるし、「東京文士めぐり」と題して文士がどこに住んでどんな生活をしているか紹介するページもある(ストーカーとかいなかったのか)。しかも後半1/3は読者投稿ページ(この読者投稿がまたおかしいのだが、それはいずれ)。二十歳そこそこでデビューして、しかもデビュー作が大ベストセラーになった島田清次郎は、文壇ワナビたちにとっては憧れのアイドルだったわけである。
さてこの「文章倶楽部」に島田清次郎は、いくつかの小説や随筆を寄せており、大正12年1月号には「鍬に倚れる人マークハム」という単行本未収録のエッセイが掲載されている。
この文章は、アメリカを訪れ、マークハムという詩人(Edwin Markhamのこと)と会ったときのことを、例によって尊大な文体で書いたものなのだけれど、60歳過ぎのマークハムが「貴方が島田さんですか、大層お若い」とフレンドリーに手を差し出してきたときの島田清次郎の返答が凄い。もう凄すぎて感動するほど凄い。
島田清次郎はこう言ったのである。
「肉体は若いが、精神は宇宙創生以来の伝統を持つてゐる……」
これでこそ島田。
私はますます島田が好きになりましたよ。
2006-03-02 [Thu]
▼ 精神科薬広告図像集更新
2000年以降の広告を追加しました。
▼ お見合いパーティ@図書館
ベルギーでは、本好きの独身男女のために、図書館でお見合いパーティをやっているのだいう。なんでも、堅苦しい図書館のイメージをぬぐい去るために、こうしたサービスを始めたのだとか。
発案者は二人の司書で、3年前、試しに18歳から35歳までの14人の独身の本好きを集め、図書館のテーブルの上に花とキャンドルを置き、赤ワインを1人1杯ずつ用意してパーティを行ったところ、司書のもとにはまた同じ企画をやってほしい、というメールが殺到したのだという。
そこで二人は、アントワープの図書館で講習会を開き、全国306の図書館から司書を集めて「図書館デート」のためのトレーニングを受けさせているそうだ。
さてその「図書館デート」のやり方はというと、まずスタッフが、たとえば「子どもの頃どんな本が好きだったか」といった質問を、部屋を回って各参加者に聞いていく。続いて参加者は、前もって用意してきた好きな本3冊または好きな一節を紹介。そのあとは普通のお見合いパーティのように一対一で話す時間になるわけだけど、むこうの「スピードデーティング」の流儀では、数分ごとにパートナーを交替していくものらしい。最後に、参加者はもう一度逢いたい人の本にメッセージをはさむ……という流れ。
本好きに出会いの場を! というのはなかなかいいアイディアなんじゃないでしょうか。偏った趣味の人はちょっと不利そうだけど。
2006-03-03 [Fri]
▼ Top 5 Worst Sci-Fi/Fantasy Movies Based on TV Shows
TVシリーズ原作のSFファンタジー映画ワースト5。1位の『ロスト・イン・スペース』は観てないが、2位の『アベンジャーズ』には納得。
▼ Top 6 Best Sci-Fi/Fantasy Movies from TV Shows
ワーストときたら、当然ベストも。1位は2005年の『セレニティ』なのだが、原作ドラマも映画も日本未公開なのでなんとも。けっこう評判はよさそうなのだけど、日本では果たして公開するのかいな。
2位5位のスタトレはまあいいとして(個人的には『スタートレック4』も入れてほしいが)、3位の"Pennies From Heaven"という映画は全然知らなかったのでちょっと驚いた。日本未公開のミュージカル映画らしいのだけど、ファンタジーなのかな?
2006-03-04 [Sat]
▼ 島田清次郎と悪い仲間
今日は駒場の日本近代文学館で、雑誌「悪い仲間」を調べてきました。昭和2年に創刊されて、昭和3年には「文芸ビルデング」と改題、昭和4年には廃刊、という短命な雑誌ながら、辻潤や萩原朔太郎、稲垣足穂らの作品も載っていてけっこうマニアック。それでいて、文壇美男投票とか悪ふざけ気味の記事も載っている同人誌的な雑誌である。えーとコンピュータ雑誌でいえば『遊撃手』みたいな感じ?(そのたとえは、かえってわかりにくい気もする)
さて、この雑誌に掲載された島田清次郎の詩は、2月4日に5篇紹介したけれど、調べてみたところあと2篇あることがわかった(なお、2月4日の記事に引用した詩も、初出雑誌に基づいて誤記を訂正しました)。
まず、「悪い仲間」昭和3年3月号に、「私に就いて」「まちあぐみては」とともに「無題」という作品が掲載されている。
「無題」
どこかで、
覗いてゐる
聴いてゐる
泣いてゐる
哄つてゐる
ひそひそと、
話してゐる
動いてゐる
歩いてゐる
壁に指紋が
窓に吐息が
鉄柵に青い手が
ブルブルと、
ふるえてゐる。
昭和3年5月号には「たばこ」という作品が載っている。
「たばこ」
機関車――そんなにも私は煙草を吸ふのだ。
部屋が煙でむせび、
投げ出した足が私には見えない。
(お前、おまへ、おまへ)!
私はむせび泣いて、愛人に、煙に、呼びかける。
だが、密閉された部屋からでも、
やがてお前は易々としのび出て行くのだ。
私は激しい嫉妬から、
もはや煙草は吸ふまいと思つた。
どちらも精神病院生活の孤独を描いているが、まあ、あとの5篇に比べると凡作である。
さてこれらの作品がなぜ掲載されたかについては、畠山清身が昭和3年4月号の編集後記で書いている(これについてはコメントで野口さんも書いておられたが)。
前号に島田清次郎の詩を載せたところがニセモノか本モノかと聞く不届者がある。悪い仲間はニセモノで売らうなんてケチな了見は微塵もないから安心して呉れ。あれは一党の小林輝が酔払つて親父の家にあばれ込み、気狂とあやまられて巣鴨保養院に投り込まれた際偶然島清の隣室になつた為一ケ月間毎日話し込んでゐた。其時チリ紙に書いた原稿を貰つて来たのがあの詩だ。(尤もこれは悪い仲間本部の指令による小林の行動なのだがそれは内密だ)今号の小林の創作に其時の気狂病院がよく描かれてゐる。僕も小林と共に三月始め島田を訪問して娯楽室で十分程話した。春先で頭がボンヤリしてるとの事だつたが随分確かなものであつた。ほとんど恢復して本人も出たがつてゐるのだが、警察の手で入れられたので一寸出るに困難だと云ふことである。
全体に悪ふざけや冗談の多い雑誌なので、「悪い仲間本部の指令」というのはジョークだろう。要するに、酔っ払って暴れて保養院に入れられた小林輝がたまたま島田清次郎と出会って入手した原稿、ということらしい。「今号の小林の創作」というのは、小林輝の「青蝿と風船とパラ
その後、島田清次郎の詩は、昭和3年9月号に「私は置き忘れて来た」、昭和4年6月号に「朝」、そして昭和4年10月の廃刊号には「明るいペシミストの唄」と、一篇ずつぽつぽつと掲載されている。そして、翌昭和5年4月、島田清次郎は精神病院の中で世を去るのである。
気になるのは、畠山の編集後記に「ほとんど恢復して本人も出たがつてゐるのだが、警察の手で入れられたので一寸出るに困難」と書かれていること。畠山の記述を信じるならば、昭和3年3月の段階では、精神的には充分退院可能な状況にあったといってよさそうなのだが、当時、警察経由で精神病院に入院した場合、本当に退院は困難だったのだろうか。島田清次郎の場合、東京に誰も身元引受人がいないという事情もありそうだが、そのへんをちょっと調べてみる必要がありそう。
2006-03-05 [Sun]
▼ 島田清次郎略歴
これまで長々と島田清次郎について書いてきたが、そういえばこれまで彼の生涯をきちんと書いていないことに気づいた。もともと島田清次郎という人物自体マイナーすぎるほどマイナーなだけに、これでは不親切すぎる。たぶん島田清次郎? それ誰? という人の方が多いのではないか。そこで島田清次郎の生涯を、素敵エピソードも交えて紹介しておこう。
島田清次郎は、明治32年2月26日、石川県の美川に生まれた。実家は回漕業を営んでいたが、清次郎が生まれた翌年に父親が亡くなって没落。母子は貧しい生活を送ることになる。母方の祖父が金沢で遊郭を営んでいたのでそこに移り住んで小中学校に通うが、間もなく祖父も米相場に手を出して遊郭の経営も傾き始める。
小中学校では神童といわれていたこともあり、島田はこの頃から自分のことを天才だと信じるようになる。ノートには「清次郎よ、汝は帝王者である。全世界は汝の前に慴伏するであろう!」「人類の征服者、島田清次郎を見よ!」などと書きつけていた。
叔父の庇護を受けて商業高校に通うが、弁論大会で校長を弾劾する演説をして停学。さらに読書や創作にかまけて学業を怠るようになり落第、退学となり叔父からも学資を出してもらえなくなる。
自活しなければならなくなった島田は、さまざまな職業を転々とするが、傲慢で人を見下したような態度のためどれも長続きしない。大正6年には目をかけてくれていた暁烏敏という仏教思想家の紹介で京都の宗教新聞「中外日報」に小説『死を超ゆる』を連載。これが商業紙デビュー作となる。翌大正7年にはわずか19歳で中外日報記者として迎えられるが、例によって仕事を頼んでも「僕はそんなつまらないことをするために入社したのではない」という調子なので、わずか二ヶ月でクビに(このあたりのことは涙骨回想録にも詳しい)。
さて中外日報主筆の伊藤証信は、友人の評論家生田長江に宛てた紹介状を島田に渡していた。大正7年、島田清次郎はこの手紙を持って上京し、生田長江に長篇『地上』第一部の原稿を手渡す。島田は原稿を読んでくれるまで生田宅に何度も日参。生田は辛辣な批評家として知られていたが、この島田の小説をドストエフスキーやトルストイとも比較して大絶賛。こうして『地上』第一部は華々しい宣伝とともに新潮社から刊行されることになり、大正8年には文芸愛好家ばかりか一般読者もまきこんだ大ベストセラーとなる(ただし第一部は無印税の契約だったので島田はまったく儲からなかった)。
島田は続けて『地上』を第4部まで刊行。いずれも版を重ね、合計50万部を売り上げて、大正期を代表するベストセラーとなったのである。しかし自ら「精神界の帝王」「人類の征服者」とまで豪語する傲岸不遜な振る舞いは文壇では嫌われ、揶揄する声も多くなる。それでも一般読者には絶大な人気で、島田は『大望』『帝王者』『勝利を前にして』など力強いタイトルの本を次々に出版していった。
雑誌「新潮」の公開質問状で、商業学校時代からの親友だった橋場忠三郎から心のこもった忠告を受け、病的な傲慢さと主人公があまりに英雄すぎることを批判されても、「彼は事実、余りに英雄に相違ないのだから仕様がない」とまったく聞き入れようとはしなかった。
この頃に書かれた断章「閃光雑記」では、「日本全体が己れに反対しても世界全部は己れの味方だ。世界全部が反対しても全宇宙は己れの味方だ。宇宙は人間ではない、だから反対することはない。だから、己れは常に勝利者だ」「滑稽なる案山子共よ、実力なき現代諸方面の人々よ。――今に、目がさめよう」などと書き記している。
あるときなどは出版元の新潮社を訪ね、社長の佐藤義亮に向かって、「自分の小説が、これほど世に迎えられようとは実際思っていなかった。それにしても、第二巻などはあまり売れ過ぎるように思う。これは恐らく、政友会で買い占めをやっているのであろう。現代日本の人気者といえば、政友会出身の内相、原敬であるが、今や新しく小説家島田清次郎も人気を得ている。これが気に入らず、政友会は、島田清次郎を民衆に読ませないためにために、ひそかに『地上』の買い占めをやっているに相違ない」と真顔で言ったそうである。
大正11年1月、それまでファンの女性と手紙のやりとりをしていた島田は、山形県に住む女性の家にいきなり押しかけて強引に関係を結んで結婚。島田は、同じ年の4月からはアメリカ、ヨーロッパ各国をめぐる半年間の外遊に出発。島田が船上で林田総領事夫人に強引にキスを迫ったという事件が新聞で報じられると、それまでも島田の暴力に耐えてきた妻は実家に戻り、二度と島田の元には戻らなかった。また、ちょうどその前に外遊していた皇太子に自分をなぞらえて「精神界のプリンス」と自称。実際、アメリカでは大統領と握手しているし、イギリスでは文豪ゴールズワージーやH.G.ウェルズと面会、日本初の国際ペンクラブ会員にもなっている。アメリカの老詩人エドウィン・マーカムと面会して「貴方が島田さんですか、大層お若い」と言われ、「肉体は若いが、精神は宇宙創生以来の伝統を持つてゐる……」と答えたのもこの外遊中のこと。
帰国後、実質上『地上』第5部となる『我れ世に勝てり』(「改元」第1巻)を出版。大正12年にはファンレターをきっかけに手紙のやりとりをしていた舟木芳江と逗子の旅館に宿泊。これが監禁陵辱であるとして芳江の父親である海軍少将から訴えられる事件が起きる。結局告訴は取り下げとなるが、この女性スキャンダルは新聞や女性誌に大きく取り上げられ、理想主義を旗印にしてきた島田清次郎のイメージは大幅にダウン。最大の味方だった世間からも見放され、注文もなくなり、原稿も受け取ってもらえなくなってしまう。
大正13年7月、宿代も払えなくなり、知り合いの作家の家を転々としていた島田は、7月30日午前2時半頃、巣鴨の路上を人力車で通行中、警察官の職務質問を受ける。浴衣に血痕が発見されたため逮捕され(本人の説明によれば「帝国ホテルに夕食に行ったが、島田だと言ってもボーイが待遇をしてくれなかったため殴って逃げた」とのこと)、警視庁の金子準二技師による精神鑑定の結果、早発性痴呆(現在の統合失調症)の診断を受け巣鴨の保養院に収容された。
入院中には、新潮社に受け取ってもらえなかった改元第2巻を春秋社から『我れ世に破れたり』として出版。さらにわずかな詩を雑誌「悪い仲間」などに発表。病状は快方に向かっているように見えたが、結局そのまま退院することなく昭和5年4月29日、肺結核のため31歳で死去。
「文芸ビルデング」昭和4年10月号には、「明るいペシミストの唄」と題された島田の詩が掲載されている。
わたしには信仰がない。
わたしは昨日昇天した風船である。
誰れがわたしの行方を知つてゐよう
私は故郷を持たないのだ
私は太陽に接近する。
失はれた人生への熱意――
失はれた生への標的――
でも太陽に接近する私の赤い風船は
なんと明るいペシミストではないか。
2006-03-09 [Thu]
▼ 島田清次郎ファンサイト開設
とうとう作ってしまいました、島清ファンサイト。タイトルは「精神界の帝王 島田清次郎 on the Net」。
ただ問題は、島清の書いた作品より、他人が島清について書いた文章の方が圧倒的に面白いということ。「早春」や「閃光雑記」みたいな断章は面白いのだけど、小説や随筆は今ひとつ。ある程度の長さの作品になると、翻刻したいと思えるようなものはあまりない。というわけで、今のところ作家についてのサイトでありながら、他人の文章ばかり翻刻しているという妙なサイトになってます。
現在翻刻してある文章の中でのお薦めは、藤原英比古「狂人となつた島田清次郎君を精神病院の一室に訪ふ記」という文章。著者はマンガ家なので挿し絵入りなのだけど、島清の似顔絵が妙に現代的なタッチなのが面白い。驚いたのは、影のところにスクリーントーンらしきものを使っていること。大正時代にスクリーントーン(のようなもの)があったとは知りませんでしたよ。
文章も軽妙でなかなか面白くて、特に、狂人だと思っていた島清から、正常であるはずの著者自身――そして島清を見せ物にしようとするジャーナリズム――の非常識さを鋭く指摘されて、立場がぐらぐらと揺らいでいるあたりが読みどころ。島清の振る舞いのおかしさを何度も強調しているのは、著者が自分の立場を守ろうとする必死さの現われのよう。著者がどこまで意図していたのかはわからないが、狂人と言われている島清と、彼を持ち上げて一気に突き落とした社会と、どちらが正常なのか、と問いかけているようにも読める。
2006-03-11 [Sat]
▼ ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女
これはティルダ・スウィントン様の映画ですよ! 『コンスタンティン』のガブリエル役もよかったけど、この映画で白い魔女を演じているティルダ・スウィントン様のかっこよさといったらもう最高。中性的な人外のものを演じさせたらもう向かうところ敵なしである。ライオンとか不細工な子供とかもうどうでもいい。ティルダ・スウィントン様の出てくるシーンだけ編集してつなげて見たいくらい。特に白熊の引く戦車に乗り、二刀流で悪ガキどもをなぎ倒す戦闘シーンのりりしさはもうほれぼれするほど。病的なくらいの色白の顔で装飾的な兜をかぶった姿を見ると、ティルダ・スウィントン様なら素でエルリックを演じられるんじゃないかと思いましたよ。
ただし、それ以外のストーリー面は予定調和的すぎていまひとつ。それに、これはあくまでSF者の見方なのだが、『ロード・オブ・ザ・リング』に比べると、架空世界の強度といおうか、自律性が弱いのが気になるのだ。ナルニアの住人は「クリスマス」を知っていて、子供たちを「アダムの息子」などと呼ぶが、するとナルニアにもキリストが存在し、キリスト教があるのか。なぜ魔女はターキッシュ・デライトというお菓子の存在を知っているのか(ナルニアにもトルコがあるのか)。なぜ英語を使うのか。ガス灯があり、きちんと製本された本があるようだが、この世界にはそうしたものを作る技術があるのか。観ていて、そういうことがいちいち気にかかってしまう。ファンタジー音痴だったもので、原作は未読なのだが、こうした謎は続巻で明かされるのだろうか(ティルダ・スウィントン様に★★★★)。
2006-03-12 [Sun]
▼ 短篇「二つの道」を翻刻
さて島清ファンサイトなのだけど、本人の書いた小説作品がないのは淋しいので、「二つの道」という短篇を翻刻してみた。作者本人をモデルにした思想家北輝男と、丘という旧友の対話が軸になっていて、島田の社会問題への関心を反映した作品である。
丘という人物のモデルは、後に「島田清次郎君の発狂」を書いた中山啓で、二作を読み比べてみると島清がいかに自分を美化し、都合の悪いところは書いてないかがわかってなかなか面白い。
たとえば、中学時代の柔道について中山啓は
中学は同じ金沢の第二中学で、僕が四年の時に彼は一年生で、よく柔道をもんでやつたものであつた。その時分は全く小さな子供であつたが、きかぬ気の男で、やたらに負けるのが嫌で、投げると武者ぶりついて来る男であつた。
と書いているのに対し、島田の小説では、丘にこう語らせている。
『――僕、丘です、あの柔道をやつた丘直太郎です。……何年位会はないだらう。六年にもなるかしら、僕はおぼえてゐる。級仕合に君に負けた口惜しさから君をあの桜の並木で袋たゝきにしたことをおぼえてゐる。うん、あれから、もう君は学校へ出なかつたが、あれから――どうしてゐたか?』
島田清次郎は『地上』が出る前後、住む場所にも困って一時中山啓の家にいたそうだが、中山啓は当時の島田についてこう書いている。
僕の家に来た時は乞食のやうな、なりをして居り、体から乞食のやうな臭気を発するので、それをすつかり洗濯をし、僕の衣物なんかを着せて、どうにか不自由のないまでにしたのである。
いよいよ『地上』が出て、名声があがると、島田式と云ふ高慢が芽を現はして来たので、家に居ると僕や妹や僕の両親を、全く奴隷視する様になり、『お前の家に居てやるのを光栄とおぼえろ』とか、何とか云ふ変な事を云ひ出したのである。
両親からも抗議が出、妹からは手を握るの、何のと云ふ抗議が出、何だつたかつかの機会に、余り乱暴な事を云ふので、僕も堪忍袋の緒をきつて、家の外へ投げ出してしまつたのである。彼は衣物の泥を払ひもせず、おぼえて居ろと立ち去つて、車屋に荷物を取りに寄させて、ドコかへ移つてしまつた。
まあこうしたことがあって島田も中山啓に腹を立てていたせいか、小説の中の中山をモデルにした丘の描写はひどいもの。
額は狭く、低く、偏狭だが頭蓋の中央は高く、石塊のやうにもれ上り、短い太い眉毛の下の窪んだ瞳はどうかすると三角形になるほど引きしまつて病的に輝き、下顎は角ばり、歯の出た、熱情が固く岩のやうに凝結してしまつた顔容である。熱情家の自己感の強い男が、世間に苦しめられ、裏切られて、偏屈者にこりかたまつたといふ感じだ。どうかするとたしかに人を殺せる男になつたな、この丘君は、と彼は考へた。
いくらなんでもこれはないんじゃないか。
さらに、島田が手を握ったという中山の妹は「二つの道」では売春婦として登場。実際どうだったかは知らないが、これも事実ではないんじゃないかと思う。
しかも、物語の最後に、丘(中山)は、「僕の代りに、せめて君だけでも偉くなつてくれ、たのむよ、たのむよ」と手を合わせて北(島田)に哀願するのである。ある意味、小説という形をした復讐ともいえるかもしれない作品である。
今回の島清様語録。
でも、人類と云ふ生物全体が、同情すべき生物ではないのかしら。
僕は永久の強者で僕は永久の勝利者なんだから、僕の仲間入りするところは常に月桂冠が輝やくのだ。
僕は君達より生じて、君達を超越したもの、君達は憎むのが役目で、憎まなくてはならない。しかし、僕は憎まなくともよいのですよ。僕にはそんな必要がないのだからね。
なんか、仮面ライダーカブトの「天の道を往き、総てを司る男」天道総司みたいだ。
2006-03-14 [Tue]
▼ isolatr beta
もちろん冗談サイトなのだが妙に心惹かれるものを感じるのは、私に厭人癖があるからだろうか。特にFAQページが素晴らしい。答えはすべて"NO"。さらに文章をすべて画像にすることにより検索者を寄せつけない親切設計。
"Antisocial Networking"という言葉を考えてみた。"Antisocial"は、ここでは「反社会的」という意味ではなく「非社交的」という意味である。矛盾しているようだが、人間の中にはネットワークしたいという願望と孤独でありたいという願望の両方があるものではないか。Social Networking Serviceの距離感は、どうも私には近すぎる。江戸川乱歩の言う「群衆の中のロビンソン・クルーソー」の安らぎを感じられるようなサービスはないものか。明示的には誰ともつながることなく、でも誰かが見ていてくれている、というような。草創期のインターネットには確かにそれがあったのだが(それともそれはただの錯覚だったのか)。からっぽの洞窟のひんやりとした安らぎに身を横たえていたい。冬の海まで車を飛ばして24時間砂を食べていたい。長い線路をひとり歩いてそっと枕木に腰をおろしたい。
いうまでもなく、この文章は矛盾だらけだ。結局私は、どこにも存在しない銀河通信を、ネットの理想として追い求めているだけなのかもしれない。
_ 西村 [初めまして。たまに、拝読させて頂いております、西村と申します。 35歳の男、会社員です。こっそり読んでいたのに、いき..]
2006-03-15 [Wed]
▼ 漢字の秘密
テキサス州にある、ワールド・バイブル・スクールのサイトの中にあるFlashコンテンツ。漢字には聖書のメッセージが隠されており、聖書が真実であることを証明している、と主張しております。
たとえば聖書が正しければ、バベルの塔をみた神が言語を分割し、人類はバビロンから世界各地に散っていったので、中国人はバビロンから西方へと移住してきたことになるが、移住を意味する「遷」の字は、「大」(great)+「巳」(division)+「西」(west)+「しんにょう」(walk)で、まさにこの逸話を示しているとか。「巳」って"division"か? 「やむ」という意味はあるけど。
さらに「西」の字は「一」(one)+「儿」(man)+「囗」(enclosed garden)で、中国の西方にあるエデンの園を示している。最初アダム一人しかいなかったエデンの園にイヴが加わり、「西」+「女」で「要」(to want, desire)となる。
また、神は土に息を吹き込んで生命を造ったが、「土」(dust)+「口」(breath, mouth)+「ノ」(alive)で「告」(to talk)になり、さらにそこに「しんにょう」(walk)を加えると「造」(create)になるという。
エデンの園には生命の木と善悪の知恵の木の2本の木があり、知恵の木の実を食べることは禁じられていたが、「木」× 2 +「示」で「禁」になるのはこのことであるそうだ。
どっかで聞いたような話だなあ、と思ったら同じ主張をした本を8年も前に話題にしてました。しかもその本買ってるし。すっかり忘れてた。
_ ROCKY 江藤 [C・H・カン&E・H・ネルソン『旧約聖書は漢字で書かれていた』(同文書院)、出版当時に私がと学会月例会でレポートしま..]
2006-03-19 [Sun]
▼ 短篇「あるゴロツキの嘆」を翻刻
島田清次郎の小説翻刻第2弾として、短篇「あるゴロツキの嘆」をアップロードしました。これも、大正9年に刊行された短篇集『大望』に収録されていて、以降一度も復刻されていない作品。前回の「二つの道」は、「僕は君達より生じて、君達を超越したもの」など、いかにも島田らしい大言壮語が微笑ましいものの、小説としては今ひとつ面白みに欠けるものだったけれど、こちらは文句なく面白い。「俺」の一人称形式で、汚れた都会の片隅であえぐように生きている男と女の出会いを感傷的に描いていて、どこかハードボイルド風の味わいもある作品である(別に犯罪が起きるわけではないが)。
遊郭で少年時代を過ごした作者だけあって、「二つの道」同様、売春婦の描写は実にリアリティがあるし、中盤に出てくる3人姉弟の不気味さも捨てがたい。愛する女との出会いで救いを得るのかと思いきや、後半では自分と同類の駄目人間たちに囲まれて安らぎを得てしまうという、救いがたい駄目っぷりもすばらしい。
最後の握手のぬくもりの未だ冷めぬうちに女の小さな後姿は夜の闇に吸はれて見えなかつた。俺は人通りの絶えた電車路を、複雑な心持で歩んで行つた。濃い深い闇には、停留場の血色の灯が夜気にうるんで、くるり/\とまたゝくのが俺の心に映つた。早寝の大店は既に大戸を閉めきつて、時折飾窓の電光が街路に白く闇を切り裂いてゐた。若い厚化粧の女がすれちがひざまに、生々しい肉臭を残して行くのに、俺は今、別れたお菊を思つた。
このへんの描写など、実に巧い。これを21歳で書いたというのは、やはり天才的。
2006-03-21 [Tue]
▼ SPIRIT
実に懐かしいテイストの香港アクション映画であるこの映画を、「泣ける映画」として宣伝しているCM担当者の猛省をうながしたい。いったいどこで泣けばいいんだ。中華系の映画に英単語一語タイトルをつける悪しき風潮もそろそろ終わりにしてほしい。「方世玉」みたいに「霍元甲」でいいじゃん。もしくは昔の香港映画のように、「レジェンド・オブ・ラスト・ヒーロー」とか。
「ドラゴン怒りの鉄拳」で、ブルース・リーが日本人に毒殺された師匠の復讐に立ち上がっていたけれど、この映画はその師匠の話(ただ、霍元甲の本当の死因は日本人による毒殺ではなかったようで、真実の霍元甲については「精武英雄」霍元甲死す!というページに詳しい)。また、同じく霍元甲の半生を描いた映画に『激突!キング・オブ・カンフー』(1982)という作品があり(未見)、こちらの監督は本作のアクション監督ユエン・ウーピン。
さて、久しぶりに弁髪姿のリー・リンチェイ(この映画では「ジェット・リー」よりこの名前の方がふさわしい)が見たくて観に行ったのだけど、あまりにもひねりのない、ベタすぎる脚本にびっくり。いったい何十年前の脚本ですか。わかりやすすぎる反戦メッセージにもげんなり。アクションはさすがにユエン・ウーピンの振り付けで安心して見ていられるのだけれども、リーリンチェイももう40歳過ぎ。往年のキレは見られない。
中盤で舞台が隠れ里みたいな村に移ると、小雪っぽい女性も出て来たりして、話はなんだか「ラスト・サムライ」そっくりに。いつ新政府軍が攻めてくるのかと思いました。さらに、後半では原田真人がラスト・サムライとそっくりの役で出て来る。(役柄的に)同一人物かと思ったよ。さすがに日本人による毒殺という後味の悪い結末は、ブルース・リーの時代には許されても、今では受け入れられないと思ったのか、日本人観客に対する配慮として高潔な武術家中村獅童を登場させているのだけど、この役柄も非常にベタ。もうステレオタイプな展開の嵐ともいうべき映画で、これを受け入れられるかどうかが評価の分かれ目だろう。
日本版オリジナルのエンディングテーマ曲は病んだ雰囲気で、映画におそろしくそぐわないことこの上ない。オリジナル版では、ジェイ・チョウが、大ファンであるジェット・リーに直接頼まれ、喜び勇んで書き下ろした入魂の一曲だったそうで、これが聴けないのは残念だ。
香港映画ファンでリー・リンチェイファンならぜひ観るべき。そうでない人には必要のない映画です(★★)。
_ 某田 [不正確な情報です。香港側が「日本ではこのタイトルで 流通させてちょーだい」と決めるらしいです。 なぜかというと外国..]
2006-03-24 [Fri]
▼ ステッキによる自己防御法再び
ステッキ護身術を紹介した数日前の記事にTrackbackをいただきました。ふだんはTrackback返しというのはしないのだけど、リンク先にとんでみたところ、挿し絵を紹介するタカさんの文章が実に愉快で素敵なので、改めてリンク+Trackbackしておきます。なるほど、こういうふうに紹介すればよかったんだな。
▼ E・E・スミス『火星航路SOS』(ハヤカワ文庫SF)
新装版が出てました。まさかこんな作品まで名作セレクションで出るとは。以前、訳がひどいとけなしたことがあるので、新版ではどうなってるかと思って買ってみたのだけど、訳にはかなり手が入れられてますね。ヒロインの使う「あんた」は「あなた」になってるし、「井戸の底の魚をつくようなもんだ!」は、「かんたんだったよ!」に。「あんたがはっきりとわたしをつれていくのをことわった事実は、あんたのねらいが当然危険なものだということをしめしているわ」は、「あなたがわたしをつれていくのをことわったのは、危険だからよ」とシンプルに。ただし、「豚が日曜日のことを何も知らない以上に、このあたりのことは何もわからない」はそのまま。
旧版よりだいぶ読みやすくなってるといっていいんじゃないでしょうか。まあ、面白いかどうかは……なのだけど。
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▼ ウィル・マッカーシイ『コラプシウム』(ハヤカワ文庫SF)
あと、すごい表紙で話題騒然の『コラプシウム』も買いましたよ!
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2006-03-25 [Sat]
▼ オンラインゲームの中国人労働者
リネージュやファイナルファンタジーXIなどのMMORPGをやったことがある人なら、他のプレイヤーとコミュニケーションを取ろうとせず、集団で狩り場を占拠して黙々とレアなモンスターを狩り続ける中国人プレイヤーの悪評を聞いたことがない人はいないはず。そんな中国人プレイヤーたちを取材したドキュメンタリーがYou Tubeにありました。中国には多くのゲーム工房があり、そこに雇われた若者たちは工房に集団で寝泊まりし(ほとんどザコ寝)、一日12時間以上もネットゲームに費やしてゲーム内通貨やアイテムを集めては、アメリカや日本などのプレイヤーに売りさばいている。彼らにとっては、それが外貨を稼ぐ手段なわけだ。ある工房の壁に貼られたスローガンは「団結 合作」。彼らのことを、アメリカのゲーマーは"Chinese gold farmers"と呼んでいるそうだ。
▼ オンラインゲームの中国人労働者 その2
こちらの記事には、もう少し詳しい中国のオンラインゲーム事情が載っていた。
こちらでは「ゲーム工房」に与えられた名前は、もっとストレートに「ヴァーチャルタコ部屋」(virtual sweatshop)。
福建省に住む Sack というプレイヤーは、タコ部屋で1日12時間休日なしでリネージュIIをプレイし、給料は時給56セント。一方、彼が月に150ドル稼ぐあいだに、雇い主は彼のキャラから6万ドルを手に入れるのだそうである。ただし、プレイする、とはいっても、キャラクターの行動はマクロにより自動化されており、彼のすることはといえば、ときどき戦いを挑んでくる他のプレイヤーを避けたり、マクロなんじゃないかと疑ったGM(ゲームマスター)(何しろ1ヶ月ずっとオンラインにいつづけているので)からのコールに答えることくらいのもの。
一方、労働者から経営者の立場になった人もいて、南京大学を卒業したばかりの Sell は、もともとファイナルファンタジーXIでのギルの売買から始めて、今では100人の「小作人」を10時間交替で働かせているのだという。といっても Sell も事務所で寝泊まりしている上、14時間勤務で月収180ドルというから、経営者の立場もそれほど甘くはないようだ。
2006-03-26 [Sun]
▼ ステッキによる自己防御法みたび
例の、英国紳士のステッキ護身術なのだけれど、魚蹴さんが意外な指摘を! この護身術、実はシャーロック・ホームズにも登場する「バリツ」だったのだ! 論文の著者であるE.W.バートン=ライトは、炭坑技術者として日本で働いたときに柔術や柔道を習い覚え、ロンドンに帰ってから護身術教室を開いた。彼はそれを"Bartitsu"と名づけたが、コナン・ドイルはそれを"Baritsu"と誤記して作品に登場させたのだという。
英文を最後まで読めばちゃんと書いてありますね。めんどくさくて読まなかったので見のがしてしまいました。お恥ずかしい。
2006-03-27 [Mon]
▼ 2005SFカバーアートギャラリー
眼福眼福。もうちょっと画像が大きいともっといいのになあ。
Dave Carson,Kinuko Y. Craft,Stephan Martiniereあたりの絵が気に入りました。Martiniereのこのへんのカバー絵はどれも素晴らしい。
_ SFといえば [全然関係ないけどレムさんが他界してしまいましたね。残念。]
2006-03-29 [Wed]
▼ 精神科薬広告図像集番外編
精神科薬広告図像集に、1件追加。第3室の下の方、最新の抗精神病薬エビリファイの広告です。道の彼方に雲が湧いていて、何か不吉なものが待ち受けているような気がするのは私だけか。なんとなく『ターミネーター2』のエンディングを思いだしましたよ。
さて、今回は番外編として、最近のアメリカとイギリスの精神医学雑誌に載っていた広告を紹介してみよう。最近の日本の薬の広告はあたりさわりのないイメージを追求するあまり、イラストだの動物だのが多くて、まったく印象が薄いものばかりだが、海外の広告はそれとはまったく違うのに驚かされる。ドラマ性が強いのだ。
まず紹介するのは、日本でも発売されているジプレキサという抗精神病薬の広告(クリックで拡大)。
コピーを訳すとこうなる。
私は尊厳のために戦う
統合失調症であるということは、戦争のさなかにいるようなものだ。
戦場は私の心。
毎日、私は戦っている。
見られているように感じずに人々の間ですごすために。
受け入れられるために。
快適でいるために。
私であるために。
病から解放されることはないだろう。
しかし今日――少なくとも今日は――私は戦っている。
私は娘とすごすあと一日のために戦う
私は躁うつ病だ。
でも病に支配されるつもりはない。
残りの人生を病と戦わねばならないというのなら
私の医者と、家族と、友達の助けを借りて
戦ってみせる。
なぜなら、私は娘にとっていちばん大切な人だから。
そして、彼女の母であるということは、私にとっていちばん大切なことだから。
実に力強くて印象的なのだけれども、これはちょっと日本ではありえない広告だろう。まず、「病から解放されることはないだろう」「残りの人生を病と戦う」とはっきり言い切ってしまっているのに驚く。日本ならこのへんはぼかすか、もっと楽観的な見通しを書くところだ。
さらに、日本では、特に精神障害の場合はその人と病とが同一視されてしまうことが多いけれど(たとえば、糖尿病者とは言わないが、精神障害者とは普通にいう)、この広告では、病を戦う対象としてはっきりと客体化し、普通のモデルを使うことにより、精神障害を持っている普通の人、というイメージを強調している。このあたりが、いかにもアメリカ的だ。
続いて、セロクエル。これも日本でも発売されている抗精神病薬。日本ではわりとマイルドな効き目の薬というイメージがある薬だけれど、アメリカの広告はおどろおどろしい電波塔。コピーは「息子は自分の考えが盗まれていると言っています。彼は脅えています。助けて下さい」。実にわかりやすい。
もう一枚の広告のコピーは、「夫は、ゴルフクラブを何百本も買ってきました。夫はいつも、その中にオープンで勝てる一本があるんだと言いつづけています。もう絶望しました。助けて下さい」
最後は、日本では未発売のアルツハイマー病治療薬Reminylの広告。手を握って見つめ合う老夫婦。しかし夫の体はすでに消えかけている。そして中央に書かれたコピーは「できるだけ長くいっしょにいられるように下さい」。なんとも切ない広告である。
というように、あたりさわりのない表現ばかりの最近の日本の薬の広告に比べると、英米の広告は、ヴィジュアルもコピーも、わかりやすくて印象に残る表現が多いのが特徴。広告としての質は雲泥の差といっていいんじゃないだろうか。実際のところ、これをそのまま日本で使うのは難しいだろうけれど、日本の製薬会社にも、これくらい印象的な広告を作ってもらいたいものである。
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