2006-03-11 [Sat]
▼ ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女
これはティルダ・スウィントン様の映画ですよ! 『コンスタンティン』のガブリエル役もよかったけど、この映画で白い魔女を演じているティルダ・スウィントン様のかっこよさといったらもう最高。中性的な人外のものを演じさせたらもう向かうところ敵なしである。ライオンとか不細工な子供とかもうどうでもいい。ティルダ・スウィントン様の出てくるシーンだけ編集してつなげて見たいくらい。特に白熊の引く戦車に乗り、二刀流で悪ガキどもをなぎ倒す戦闘シーンのりりしさはもうほれぼれするほど。病的なくらいの色白の顔で装飾的な兜をかぶった姿を見ると、ティルダ・スウィントン様なら素でエルリックを演じられるんじゃないかと思いましたよ。
ただし、それ以外のストーリー面は予定調和的すぎていまひとつ。それに、これはあくまでSF者の見方なのだが、『ロード・オブ・ザ・リング』に比べると、架空世界の強度といおうか、自律性が弱いのが気になるのだ。ナルニアの住人は「クリスマス」を知っていて、子供たちを「アダムの息子」などと呼ぶが、するとナルニアにもキリストが存在し、キリスト教があるのか。なぜ魔女はターキッシュ・デライトというお菓子の存在を知っているのか(ナルニアにもトルコがあるのか)。なぜ英語を使うのか。ガス灯があり、きちんと製本された本があるようだが、この世界にはそうしたものを作る技術があるのか。観ていて、そういうことがいちいち気にかかってしまう。ファンタジー音痴だったもので、原作は未読なのだが、こうした謎は続巻で明かされるのだろうか(ティルダ・スウィントン様に★★★★)。
残念ながら明かされません。<br>もともとそういう原作なのです。
原作者はライオンのアスランをキリストの顕れとして描いているのでキリスト教色が強くなっているのではないでしょうか。復活や世界の創造などの場面もあります。なぜガス灯があるのかも続巻で説明されたと思います。またエルリックの次元界のように、複数の世界をつなぐ門の存在がほのめかされます。なので地球のお菓子や活版印刷はそこから伝わったのでしょう。さすがに英語を話すのはご都合主義な気がしますが…
初めましてです。<br>yuleさんも指摘しておられますが、ガス灯については続編でちゃんと説明されてますよ(えらく昔に読んだので、どの巻だったかは憶えてないですが)。<br>個人的には、この話の魅力は、各エピソードごとの相互性にあると思ってますので、各話だけでは物足りないのもむべなるかな、とは思います。前巻通読して、物語の構造が見えたときの感動こそ「ナルニア」の醍醐味かと。
多分、CSルイス的にはキリスト教は、「多数ある内の宗教の一つ」ではなく「絶対的真実」なのだと思います。<br>ルイスは神学者としても有名ですので。<br>しかも、一旦無神論者になった後に再度信仰を持ってるんで、その強度は筋金入りかと思われます。
子供の頃からのナルニアファンなのですが <br>これはディズニーが作っていいモノじゃないと思います。<br>この作品は、19世紀末の英国のちょっと変人の大学教授が書いたもの・・・児童文学ですから、ストーリーも単純と言えば単純ですが、それだけでは収まらない陰影とか哀しみ、みたいなものがあるのに・・まったく映画の中には見あたらなかったです。<br>いかにも年代ものの名画っぽく、うま〜くペンキで描かれた、<br>ニセモノ、って感じですね。 <br>まあ、ディズニーという文化全体に思うことですが・・ <br>ティルダ・スウィントンは素晴らしい!「オーランドー」「コンスタンティン」も良かったですよね。
ライオンと魔女はナルニアものでは一番ステロタイプでつまんない話だったと思います。ガス灯があるのは、そもそもナルニアの創世時にイギリス人の子供がまぎれ込んだりしたからだったはず。ナルニアもののおいしいところは、東の海の果てしない遠さとか、そこでねずみを置いて来ちゃうのがなんか切ないところとか、北の巨人たちの世界に迷い込んだ果てしない違和感と恐怖とか、なんかそういう果てしなさ壮大さ恐ろしさが世界観のベースにあって、その中で絶対的な正義であり、全面的に依存できるアスランを待ちこがれちゃうってところかなと。あれ、なんか狂信者っぽくておいしそうに聞こえないかな。物語的にはおいしいと思うんですが。<br>地球は丸くて世界は大きいところはすべて知りつくされてる、宇宙はまた別、っていうわれわれの世界観とちがう感じで。