2006-04-02 [Sun]
▼ 同時代の記録を更新
精神界の帝王 島田清次郎on the Netですが、同時代の記録を更新。少年時代からデビュー後までの島田清次郎の姿を伝える文章をいくつか追加したのだけど、これがいかにも島清。どこまでも期待を裏切らない男である。
まず、少年時代の島清を知る林正義の回想にはこんな風に書かれている。
独り住まいをさびしがるどころか、驚いたことには、小学五年ころから、同年もしくは一級上の女子同校生にさかんに附け文を送るという始末で、しかもかれのねらう少女はいわゆる才えん型ばかりで、勉強もでき、みめかたちも整っていないことには相手にしないという調子だった。
とにかく、相手の少女から返事のくるまで根気よく今日からみれば全くあどけない附け文を、それも差出人名義は“黒坊から”の一点張りで、盛んにラヴ・レターを郵送していた。
相手の少女が自分に興味をもっていようが、いまいが、そんなことは一向お構いなしで、自分がモーションをかければ、いかなる女性でもなびくにきまっているといったような一つの信念に似た気位と心臓の強さを自負していた。
島清という男は少年時代から、そうした型に属する心臓男だった。
小遣いには余り不自由しなかったらしいかれは、夏がくると、われわれ友達を誘って、金石や小舞子の海水浴場へよく出かけたものであるが、かれはいつも女子の海水浴場へ突入、裸体の女性群が逃げまどうのなかへ動ずる色もなく、あたりをへいげい――実際へいげいといった方が一番よく当っているが――それでも目元や口元に野性的ではあるが、どことなく魅力的な愛情をひらめかすことを忘れぬ表情で、憶面もなく泳ぎまわるという始末だった。
この場合遊泳中の女性群が逃げようが逃げまいが、また同行の男性友達が迷惑を感じようが、感じまいが、一向気にかけるというようなことなく、逆にそうした大胆不敵さを同行の友人に得々と誇っているというようなジェスチュアをとっていた。
われわれは驚いたり、迷惑をしたり、それでいてかれを引きとめることもできず、いつもかれの心臓には押され通しだった。
少年時代から、島清は島清だった。
続いて、少年時代からの親友だった橋場忠三郎はこう書く。
君は、少年時代から友達同士で遣り取りする手紙でゝも、兄か様でなければ承知せず、偶々君で呼びかけたりすると大変機嫌が悪かつたものだ。尤も君の方でも、実は他人から然う呼んで貰ひたなさからだらうが、滅多に君と呼びかけて来なかつたけども。――
勿論、誰れにだつて其様な傾向はある。けれども君のは殊に其れが甚だしく且つ露骨だつた。鳥渡(ちょっと)したことだが、これは如何にも君らしくて大変面白いと思ふ、ところが一層面白いと思ふことは、その後何年かを経過し少年から青年となつた君の上に猶、否、より甚だしき程度に進んだ其の傾向が看取し得られることだ。病的で何となく不自然のやうにすら感じられる。と言ふと嘸(さぞ)かし君は、真つ赤になつて怒るに違ひなからうが、君のその余りにも大なる、最初はあり余る稚気から生まれ途中反抗的に増大した君のその自信と傲慢とは、心ある者をして反感や不快よりも寧ろ同情と愛とを抱かしむるが如き性質のものである。
さすがに親友らしく、島田をよく観察している。
また、デビュー直後の島清について、島清の師にあたる仏教思想家の暁烏敏は、こんなエピソードを紹介している。
同君はまだ二十一歳の青年です。先日講習会に来て話しました。その折彼は、「今夜誰の話をきかなくても私の話さへきいたらよいのです」と言ひ、「私は話せと言はれてもめつたに話したことはありませんが、今夜は話したくなつて話します。諸君は今夜私の話を聞くのは幸福です」とやりましたので、皆があまりのその自信のある言葉にドツト笑ひましたが、私はその痛ましい真実の叫びに同感をしました。『地上』もこの調子で書かれてあるのです。
これらの文章が書かれたのは、『地上』が大ベストセラーになり、島清が絶頂期にいた頃。そうした時期にすでに、島清の大言壮語と傲慢さに、橋場は「同情と愛」を感じ、暁烏は「痛ましい」と表現しているのは、さすが島田をよく知る親友と師匠ならではの慧眼といえるだろう。
さて『地上』のヒロインであり少年時代の島清の憧れの人であった「和歌子」という女性について、前述の林正義はこのように記している。
和歌子という女性は当時の金沢女性の標準からいうと良くいえば進歩的なタイプだったが悪くいえばいわゆるお転婆娘といった感じの、見方によれば姉御型であり、伝法はだでもあった。
顔立ちは大和なでしこ型でなく、どちらかといえば変装でもしたら、いわゆる男装の麗人とうたわれたかも知れない。
そして、のちに島清が失墜する原因となったのは、陸軍少将令嬢舟木芳江という女性とのスキャンダルなのだが、その舟木芳江のその後の消息を、陶山密という人物が書いている。
筆者も甦生の舟木芳江には数回会つたことがある。あたかも水泳選手のようによく整つた健康的な姿体の持ち主で、どつちかといへばクララ・バウ式丸顔の美人に属する。だから彼の女に水泳着を着せてダイビングをやらしてみたいと筆者は思つたのである。然し歯切れのいゝ口調で、真直に対者の眼を見ながら、ぱきぱきと物をいふ点には左翼的な鋭角的な魅力を感じさせるのである。
ちなみにクララ・ボウというのはこういう人。当時の人気女優である。
さらにもうひとり島清が(一方的に)恋した相手としては、社会主義者堺利彦の娘、堺真柄がいるのだけれど、この女性も18才にして社会主義団体を結成した才媛。
少年時代から好みのタイプが一貫していてなんとも微笑ましい。わかりやすい人である。
2006-04-08 [Sat]
▼ エミリー・ローズ
ホラー+法廷ものという異色の組み合わせで、これはなかなかスリリングな物語。医療ミス裁判とか、最近の日本のさまざまな事件を思わせるところもあって、けっこう考えさせられる話である。
エミリー・ローズという少女が悪魔払いの途中で死亡し、神父が起訴される。検察側は少女の状態は精神症状であったとし、病院で処方された抗てんかん薬を神父が飲ませないようにしたことを問題視する。一方、弁護側は、エミリーの症状は精神病ではなく悪魔憑きであることを立証しようとする……という精神医学的な世界観と宗教的な世界観の対立を法廷闘争として描いてみせたなかなか野心的な作品、なわけだけれど。
映画は神父に同情的に描かれているし、前半では明らかに精神疾患だったエミリーの症状が、後半になると精神疾患の域を外れ、悪魔憑きとしか思えなくなってしまうなど、映画制作者がどちらの見方に観客を誘導したいかは明らか。しかし、よく考えてみれば主人公である弁護士の弁護はかなりいい加減である。
ちょっと前に、糖尿病の少女が、新興宗教団体の教祖に言われてインスリンを打たないでいたら死んでしまい、両親が提訴したという事件があったけれど、構造的には映画のストーリーもこの事件と同じ。女弁護士は、実際に悪魔憑きなのかどうか、悪魔払いが有効かどうかは脇に置いて、神父とエミリーの間に信頼関係があったことや、ともに悪魔憑きの信念を共有していたことを訴えて陪審員を説得するのだが、明らかにこれは論理のすり替えで、そんなことを言っては、新興宗教の教祖も無罪になってしまう。まあ、論理を巧みにずらしていき、実質的な勝利を勝ち取ってしまうのが敏腕弁護士たるゆえんなのかもしれないのだが。
なお、この映画のもとになっているのは、1976年にドイツで起きたアンネリーゼ・ミシェルの事件であるそうだ。事件についてはこちらに詳しい(英語)。実際には、神父だけではなく両親も、病院に連れて行くのを怠ったという過失致死罪で起訴されている。こちらにはアンネリーゼの写真と墓の写真が載っている。実際にはアンネリーゼは餓死し、両親と神父が起訴されたそうだ。記事では、アンネリーゼはおそらくてんかんであり、悪魔払いよりもむしろ医学的な治療が必要だったのではないかと結論している。まあ、ふつうそうだよな。
ちなみに、映画の字幕では"epilepsy"をすべて「欠神発作」と訳していて、「てんかん」という言葉を一切使っていないのだけれど、なぜこんなふうにしたのか疑問。そんなに「てんかん」を使うのが怖いのか。しかし原語で"epilepsy"と言ってるのに「てんかん」と訳さないというのは誤訳だと思うのだが。
出演者では、悪魔に憑かれた少女を演じたジェニファー・カーペンターの演技がすばらしい。本当に何かに取り憑かれているような迫真の演技で、地味な映画をひとりで盛り上げていた(★★★)。
2006-04-09 [Sun]
▼ 浦和の歌
きのう、BOOK OFFで奇妙な曲を聴いた。
男声ボーカルの歌うスローなバラードなのだけれど、サビの部分でいきなり「浦和、西浦和、東浦和〜、北浦和、南浦和〜、武蔵浦和、中浦和〜」と浦和の駅の名前を感情を込めて歌い上げるのである。歌詞は、西浦和に住んでて中浦和にバイトに行って君と出会ったけれど、今は隣に君がいない、みたいな内容のラブソングで、笑いどころはまったくない。それなのにサビでは浦和の駅の名前熱唱。いったいこの歌はなんなのか。
いろいろ検索してみたところ、2ヶ月ほど前に同じ曲を聴いた人がいるようだが、曲名はまだわかっていないようだ。
あの曲知りたいという掲示板にも、今年の1月に、
[73057] 無題 投稿者:さいたま 投稿日:2006/01/19(Thu) 20:00
最近有線で聞いた局ですが、男性Voのバラード風で
「浦和、西浦和、武蔵浦和、北浦和・・・」と浦和の駅がバシバシ出てくるのですが、どなたかご存知ですか?山崎まさよしの「OneMoreTime〜」みたいな感じですかね
という質問があったが、回答は得られていない。一度聴いたら忘れられない曲だと思うのだが、これほどまでに情報がないというのは、いったいどういうことなのだろうか。
誰か、この曲についてご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。
ちなみに、浦和の歌といえば、「ねらい打ち」の節で「浦和、浦和、北浦和〜」と歌う替え歌があるが、それとはまったく別である。
(追記)歌のタイトルなんて検索すればわかると思いこんでいた私を嘲笑うかのように、今のところ手がかりは杳としてつかめていない。考えられる限りのキーワードで検索し、さらに有線のサイトでその時間あたりに流れていた曲を調べてみたが、該当する曲はなかった。すると考えられるのはリクエスト曲(リクエスト曲はウェブ上には曲リストが出ない)だ。誰かがこの曲をリクエストしたのである。それも、1月、2月、そして4月と3回も(おそらく流れた回数はもっと多いだろう)。が、ここまで誰にも知られていないような曲(おそらくインディーズだろう)をリクエストする人がそうそういるとは思えない。ということは、リクエストしたのは同一人物。しかも何ヶ月もの間何度もリクエストをしていることから、アーティストの大ファンか、あるいはごく近いところにいる人物と考えられるのだがどうか。ことによると本人かもしれない。ただし、今のところ誰のなんという曲なのか誰もわかっていないので、プロモーション活動は実っていないようだが。
2006-04-16 [Sun]
▼ 俺にさわると危ないぜ
小林旭主演の1966年作品。原作は都筑道夫の『三重露出』。といっても、当然ながら原作になっているのは、日本を舞台にアメリカ人が書いたスパイ小説という設定の作中作の部分のみ。女ニンジャが出てくるあたりは原作に添っているが、主人公の設定などは映画オリジナルである。
ベトナム帰りの報道記者本堂大介(小林旭)は、飛行機の中で美人スチュワーデスのより子(松原智恵子)にひとめぼれ。しかしより子は何者かに拉致されてしまい、大介は外国人や黒ずくめの女たちに襲われる。実は、亡くなったより子の父親はかつて沖縄で陸軍参謀をしていたときに、どこかに軍用金の金塊を隠しており、その金塊をめぐり暴力団や外国人、さらには「ブラックタイツ団」と名乗る女ニンジャたちまでが争っているのだった。より子を助けようとする大介は、否応なく抗争に巻き込まれていく。ちなみに、大介の父(左卜全)は忍術マニアで、いろんな珍道具を大介にくれる。007でいうQの役である。
全体としては、お色気シーンもちょっとあるコミカルなアクション映画なのだけど、沖縄出身の女ニンジャたちが戦争の影を背負っているあたりはこの時代ならでは。女ニンジャの使う忍法オクトパスポット(どういう忍法かは、エロい方面で考えていただければ、だいたい当たってると思います)と、小林旭がそこから逃れる方法など、いくらなんでもあまりに露骨でバカバカしくて素敵。そのニンジャたちが揃いも揃ってみんな次々と小林旭の腕の中で死んでいくのは笑いどころなのかどうか迷うところ。さらに下着姿で縛られる松原智恵子など見所満載。ラストのパンチもかわいい。楽しい映画です(★★★☆)
光文社 (2003/09)
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2006-04-19 [Wed]
▼ 天軍
ひとことで言えば韓国版『戦国自衛隊』。
2000年の南北首脳会談以来、密かに韓国と北朝鮮は新型核兵器を共同開発していたのだが、2005年に至ってそれが米国の知るところとなり、核兵器は米国に移譲されることになる。それに不満を抱いた北朝鮮の将校は女性核物理学者を拉致し、核兵器を奪ってボートで鴨緑江を下る。彼らを追う韓国軍将校らとの激しい銃撃戦が展開していたちょうどそのとき、上空を433年ぶりに巨大彗星が通過。彗星のエネルギーにより(?)、彼らは1572年にタイムスリップしてしまう。
彼らが出現したのは女真族と朝鮮族の戦闘が繰り広げられている辺境の小村。そこで彼らは若き日の李舜臣と遭遇。李舜臣といえば、のちに豊臣秀吉の水軍を撃退する韓国の偉大な英雄。しかし彼らが出会った李舜臣は、武科試験に落ちてやけになっており、盗みを働き、朝鮮人参の密売をするやさぐれ者だった。このままでは李舜臣は将軍にならず、朝鮮半島は秀吉に侵略されて日本の植民地になってしまう!
最初はコメディタッチだった物語は、徐々にシリアスさを増し、さらには血しぶきの量も増し、最後は国威発揚映画に。このところ日本は右傾化しているとか言われるが、右傾化の度合いでは韓国には到底かないませんな。『ロスト・メモリーズ』も安重根の伊藤博文暗殺が失敗して日本に植民地化されてしまう話だったが、韓国でタイムトラベル映画が作られると、どうしていつもこういう話になってしまうのか。いがみ合っていた北朝鮮将校と韓国将校が、李舜臣の旗のもとで共に戦う場面とか、ラストは13隻の亀甲船で300隻の日本水軍を迎え撃つ場面で終わるあたりとか、なんというか非常にわかりやすく男らしい映画である。
SF的にはいい加減の極地で、まあ彗星エネルギーでタイムスリップするのはいいとしよう(これを認めないと始まらないし)。しかし、彗星の接近で月面上のアメリカ国旗がはためいて飛ばされるという描写はどうか。さらに核兵器には10分後に爆発するタイマーがセットしてあるのだが、タイムスリップ後は1分進むのに1日かかるという説明はさっぱり理解できない。彗星接近に伴い、進むスピードが早くなるというのも謎。さらには、この手の映画ではどこの国の映画でも同じとはいえ、タイムパラドックスにはまったく留意してません。近代兵器使いまくり。
コン・ヒョジンという女優が核物理学者を演じているのだけれど、どうみても物理学者にはみえない。こんなに無茶な核物理学者役のキャスティングは、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』のデニス・リチャーズ以来である。まあ、でもこういうバカバカしい映画も嫌いじゃないんので星3つ半(★★★☆)。
_ Bar [>どうみても物理学者にはみえない 同意しつつも新たな萌えの可能性を見た…。 しかし、日韓ともこういう国威発揚モノブー..]
2006-04-20 [Thu]
▼ You Tubeで見られるSFドラマオープニング集
"Starblazers"は「宇宙戦艦ヤマト」、"Battle of the Planets"は「科学忍者隊ガッチャマン」のアメリカ版。個人的には「アトランティスから来た男」が懐かしい。もう一度見たいな。
_ louis vuitton replica [where to buy replica louis vuitton luggage サイコドクターぶらり旅 - Y..]
2006-04-22 [Sat]
▼ EXHAUSTIVE ESSENTIAL FANTASY READING LISTS
mixiの某氏の日記で知った、Jeff VanderMeer氏によるファンタジーブックリスト。前半は基本図書60冊。後半の「包括リスト」には幻想文学/マジック・リアリズム系の大量の本がリストアップされているのだけれど、その中にこんなタイトルが。
Yoshikawa, Eiji, Musashi
そうか、あれはファンタジーか。あちらの人にとっては。
2006-04-29 [Sat]
▼ Vフォー・ヴェンデッタ
なんのひねりもない、真正面からの革命礼賛映画だったので、ちょっとどう反応すればいいのか困った。今の時代にこれをやるというのは、やっぱりノスタルジーとしかいいようがないんじゃなかろうか。
モチーフとしては、『巌窟王』(作中にも映画が登場する)+『オペラ座の怪人』といったところなのだろうけれど、日本人なら浦沢直樹を連想するはず。「ともだち」が支配する世界で、第39次中央アジア紛争に関わった人々が次々と殺されていく話みたいな。作劇が古典的、というかいささか古くさいところまで浦沢直樹っぽい。ただ、浦沢ならこの話で20巻分は引っ張るだろうけど。映画だと、いきなりなんの伏線もなくウィルス事件の話が出てきたりと、あまりに駆け足すぎるきらいがある。長い原作を無理矢理2時間に収めたような印象があるのだ(実際そうなんだろうけど)。
現代社会批判としても、あまりに60年代的すぎるメッセージは中途半端に思える。原作は未読なのだが、もっと魅力的な話なんだろうか。
妻は、Vとゴードンはかつてホモセクシュアルな関係にあって、イヴィーが独房で発見したメモはそれを女性に置き換えてVが記したものだろう。朝食に同じ料理を作っていたのはそのためだろう、という説を唱えていたが、それはどうかな(★★★)。
▼ レゴによるCD射出装置
CD射出してどうする、という気もしないでもないが。
2006-04-30 [Sun]
▼ 自傷行為
発売されてしばらくたつのですが、こころの科学127号に書評を1本書いています。対象本は、日記でも取り上げた『ホラーハウス社会』です。
この号の特集は「自傷行為」。自傷といえば境界例、リストカットを思い浮かべる人も多いだろうけれど、実際には統合失調症や発達障害などでもみられるわけで、特集では幅広い角度から自傷を扱った論文が掲載されていて興味深い。
私としては、自傷者に共感できない人が、なんとか理解しようとして、しかし過剰に肩入れもせずに冷静に書いた論文が面白いし、役に立つ。それに対して妙に自傷者に肩入れして「つらさを共有しよう」とか「自分の若いころを思い出して接しなさい」とか抽象的なことをいっている論文は全然ぴんとこない。そんなこと言われたってなあ。 私は自分の体に傷をつけるなんて痛そうなこと考えたこともないので、リストカットなどの自傷をする人には全然共感することができない。ほんとにわからないので「つらさを共有」なんてできませんよ。でもなんとか理解したいとは思ってるわけで、同じような立場で書かれた論文の方が役立つのだ。
さて、特集に掲載された論文の中で、好事家としては見逃せないものが2本。小原圭司「自傷とサブカルチャー」は、刑務所などでみられる「玉入れ」(陰茎の皮下に異物を埋め込む)や、「指つめ」「根性焼き」などの歴史を論じた文章で、これがむちゃくちゃおもしろい。「指つめ」や「根性焼き」は、江戸時代の遊女や若衆が「心中立て」(客に対する真の愛情を示す)として行っていたのが最初らしい。さらに衆道では相手への愛情を示すために「貫肉」と呼ばれるアームカットが行われていたという。
かの伊達政宗にも晩年に只野作十郎という衆道の相手がいたそうで、あるとき作十郎に横恋慕する相手がいる、という噂を耳にした政宗、酒の席で作十郎を激しく非難。驚いた作十郎は身の潔白と政宗への愛を証明するために刀で自分の腕を突き、血判誓詞をしたためて政宗に送ったという。これを見て自分の猜疑心を恥じた政宗は、自分も血判誓詞をしたためて作十郎に送り、変わらぬ契りを確認しあったのだそうだ。ほう、あの独眼竜がそんなことをしていたのか。
その政宗の手紙には、こんなことが書かれているとか。――せめて私も指を切るとか腿か腕を突いてお礼を申し上げなければならないところですが、孫子もいる年(当時、政宗は51歳である)なので、行水などのときに小姓にみられると子供にも迷惑がかかるので我慢しています。若いときには酒の肴にでもするようにも腕を裂き、腿を突いたりしていて、腕や腿はその傷で隙間もないほどなのですが……。
政宗、若い頃から盛んに自傷していたようである。というようにいろいろと意外なことが書かれている論文なので、裏モノ好きな人は必読。
さらに、そのあとの石毛奈緒子「自傷の文化史」という論文もすごい。なにが凄いって、「少女漫画における手首自傷一覧」と「日本の歌謡曲に登場する手首自傷またはそれを暗示する曲名」がずらっとリストアップされているのだ。前者は「ポーの一族」「おにいさまへ…」「はみだしっ子」から、「とびら」「ライフ」「NANA」まで。後者は1975年のシグナル「20歳のめぐりあい」から2005年の銀杏BOYZ「日本発狂」「なんて悪意に満ちた平和なんだろう」まで。どちらのジャンルにも不案内なのでどれだけ網羅的なのかはよくわからないけれど、資料としてすばらしい。
ただ、本題とは外れているとはいえ、怪奇・探偵小説における自傷の例は今ひとつ。ボアゴベ『片手美人』、ウールリッチ『爪』、小酒井不木『按摩』が挙げられているのだけれど、もうちょっとほかにあるだろ、という感じである。乱歩の「石榴」とか。私としては、顔面の自傷を扱った鬼気迫る傑作として赤江瀑「阿修羅花伝」を挙げておきたいところ(赤江瀑の本のほとんどが入手困難なのは実に寂しい)。
もうひとつ、自傷とサブカルチャー関連では、こんなニュースも。リストカットとゴス文化の関わりについては、なんとなく関係がありそうだ、とは言われてきたけれど、きちんと調査がなされたのは初めてでは。1258人の10代の若者を調査したところ、ゴスカルチャーに属していると答えたのは25人。10代全体では自傷経験があるのは7〜14%だが、ゴスに属する人53%が自傷経験あり、47%が自殺しようとしたことがあるそうだ。まあ、たった25人だけの調査結果で何か言おうというのは無理があるけど(ゴスの人が1258人中たった25人だったことの方がむしろ意外)、「ゴスのサブカルチャーに参入することが危険のサインなのではなく、むしろその逆。ゴスカルチャーに属すことによって、彼らは同年代の仲間から貴重な社会的サポートを獲得している」という結論は妥当なところ。
多方面に拡がっているゴス文化についてはこのへんの本がお薦め。
_ リリト [こんにちわ。このブログのお陰で島田清次郎に惚れました。 他のカテゴリもすごく面白い。勝手ながら、うちの会社のポッドキ..]
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