「勝つた女性・負けた女性」より
陶山密
舟木芳江
狂天才島田清二郎は、巣鴨保養院の冷い灰色の室に六年間、黄色い薄笑ひをつゞけながら生きてゐた。
舟木芳江にとつてはそれが何かの奇怪な幻実のように思はれてゐたに相違ない。たとへ彼の女の思想が労働運動に従つてゐる末兄の指導によつてこの六年の間にじりじりと左翼に転向したといふような事実があつたとしても、何としても往年の逗子養神亭事件の思ひ出は時に彼の女の魂を脅かしてゐたに違ひないのである。俄然、今春、島清の死が伝つた前後から舟木芳江甦生の消息が何処からともなく世間に聞こえてきた。
事実、舟木芳江は彼の女の闘ひ取つた左翼思想を演劇行動によつて示現すべく、今日では左翼劇場女優団の一構成メムバーとして既に「密偵」「吠えろ支那」等の舞台にも立つた。
隠忍六年間、彼の女は郊外駒沢の兄重信氏の家にひつこもつて書斎の窓から麦畑を眺めながら「一生独身」の誓ひを繰り返して自涜ばかりしてゐたのではなかつた。そこんところが「素晴しき哉、舟木芳江」と讃められないだらうか。
筆者も甦生の舟木芳江には数回会つたことがある。あたかも水泳選手のようによく整つた健康的な姿体の持ち主で、どつちかといへばクララ・バウ式丸顔の美人に属する。だから彼の女に水泳着を着せてダイビングをやらしてみたいと筆者は思つたのである。然し歯切れのいゝ口調で、真直に対者の眼を見ながら、ぱきぱきと物をいふ点には左翼的な鋭角的な魅力を感じさせるのである。舟木芳江も遂に勝つた。
底本:「婦人サロン」昭和5年9月号