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更新日: 2004/10/06


2003年 5月中旬

2003年5月11日(日)

ちょっとレイアウトを変えてみました

 なんだか妙にさわやかな感じに。飽きたらまた戻すかも。

[映画][読書]呪怨

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 映画『呪怨』を観て、そのあとに大石圭によるノヴェライズ『呪怨』(角川ホラー文庫)を読みました。ビデオ版は未見。
 映画のほうは、時系列をバラバラにした断片的なストーリーが語られるという、いかにも最近の日本ホラー映画らしい作品。以前、『女優霊』のときにも書いたけれど、私としてはこういうパターンの映画はあんまり好きじゃありません。結局どういう話だったのだろう、とパズルのピースを組み合わせて一貫したストーリーをまとめようとしても、ピースが足りなかったり余っていたりで結局うまくいかずフラストレーションがたまってしまうのです。まあ、もともとぴったりとはまらないように作ってあるのだろうけれど(★★★)。

 一方、小説のほうはといえば、著者の大石圭もやっぱり私とおなじく物語を脈絡がないままにはしておけない性格だったらしく、なんとか一貫したストーリーにまとめ上げています。映画では、いったい誰がなぜ次々と人々を呪い殺しているのかよくわからなかったのに対し、小説版では伽椰子というキャラクターをメインに据えて、かつての伽椰子の悲劇をなぞるようにしてすべての惨劇が展開することになっています(この伽椰子がまた大石圭好みのキャラになっていて、『アンダー・ユア・ベッド』よろしく愛する人のベッドの下に隠れているあたりはニヤリとしてしまう)。その上、映画版で最もわけがわからなかった遠山元刑事の娘のエピソードはばっさりカット(そもそも映画では男性だった遠山刑事が女性になっている)。おお、わかりやすい。
 ただ、わかりやすくなったぶんだけ、小説では映画版の理不尽で得体の知れない恐怖は後退し、スーパーナチュラルホラーというよりもサイコホラーの様相を呈していますね。そこが映画版の理不尽な恐怖が好きな人にとっては物足りないかも。あくまで映画とは別ものとして楽しむ作品でしょう。

2003年5月12日(月)

Naked Librarians

 裸婦の描かれた蔵書票とか、図書館の中でのヌード画像とかを集めたサイト。図書館少女萌えの貴兄に。いちおう18禁。

OFFF(Online Flash Film Festival)

 スペインのバルセロナでフラッシュフィルム・フェスティバルが開かれたそうです。最優秀作はグロテスクで美しいイメージの連鎖が印象的な作品。

 そういえば「悪の枢軸」の「枢軸」ってどういう意味だっけ、と思って広辞苑を引いてみた。

すうじく【枢軸】
(戸の枢(くるる)と車の心棒。運転の中軸の意)

 なんだかわかったようなわからないような説明である。だいたい「くるる」というのはなんだ。

くるる【枢】
扉の端の上下につけた突起(とまら)をかまちの穴(とぼそ)にさし込んで開閉させるための装置。くる。くろろ。

 ますますわからない。「とまら」とか「とぼそ」ってのはいったい何のことだ。

とまら【枢】
(ト(戸)マラ(陰茎)の意)開き戸の回転軸として、〓(とぼそ)に差し入れる突起部。
(〓は戸+向−ノ)

 なんと、戸の陰茎だから「とまら」なのか。すると「とぼそ」とは、戸の……。

とぼそ【枢・〓】
(「戸臍(とほぞ)」の意)
開き戸のかまちに設けた、枢(とまら)を受ける穴。俗に「とまら」とも。

 なんだ、へそですか。ちょっとがっかり(←辞書で「性交」とか引いて喜んでる子どもか)。しかし、へそに陰茎を入れるというのは平仄が合ってなくて感心しませんな。
 ともあれ、扉を開けるときに回転軸になる、棒と穴の構造のところを「枢」というわけですね。しかし、同じ「枢」という字に「とまら」と「とぼそ」の両方の読みがあるし、「とぼそ」のことを俗に「とまら」と言うし、なんだか昔の人も混乱してたみたいですが。

安中で侍マラソン愛・蔵太の気ままな日記より)

 侍マラソンといえば勝新主演の「まらそん侍」……と思ったら、映画の舞台がまさに安中藩。史実だったのか! 安中市では清酒まらそん侍やマラソン焼酎も売ってるようです。
 ここの写真をみると、侍だけじゃなくカオナシやアトムも走ってますね。

2003年5月13日(火)

ココカラ

 「カラッダノソトハーキレイニナタヨー」という、ココカラのCMソングが耳についてはなれず、気がついたら外人風の巻き舌で歌っている今日この頃。いったいあの声は誰の声なんだ。
 しかし、ココカラくんの姿をみるたびに、巨人のドシンを思い出すのは私だけではないはず。

アンダーワールド

 女ヴァンパイアと狼男族の戦いと恋を描いたダークなアクション映画らしい。女ブレイド、というかソーニャ・ブルーっぽい感じだとうれしいのだけれど。ヒロインを演じるケイト・ベッキンゼールの立ち姿はなかなか凛々しくてさまになってます。しかし、「トゥーム・レイダー」に「バイオハザード」と、ハリウッド映画にも戦闘ヒロインものが増えてきましたね。よろこばしいことです。

なぜ私に振られるのか

 よくわからんのですが、もしかすると私はバカシステムに詳しそうだと思われてるんでしょうか。バカシステム研究家。他人から見た自分のイメージと自己イメージとのギャップに悩むことの多い日々であります。
 しかし、私も見かけほどバカシステムに詳しいわけじゃないので、こういうシステムの正式名称は知りません。Incredible Machineというゲームもあったけど、あのタイトルも単なる普通名詞っぽいし。正式名称がないなら「バカシステム」でいいや(なげやり)。

2003年5月14日(水)

睾丸移植ふたたび

 老化と性にまつわる医学を扱ったロジャー・ゴステン『老いをあざむく』(新曜社)という本を購入。

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 まだぱらぱらとめくっただけなのだけれど、なかなか興味深い記述を見つけました。この本には、「睾丸移植」について書かれた一章があるのだ。
 睾丸移植といえば、私もかつて大正14年に起きた睾丸有柄移植事件について、精神医学史の知られざる一挿話として紹介したことがあるのだけれど、睾丸移植というアイディアをどこから思いついたかは謎だった。この本によれば、どうやら睾丸移植は前田教授の思いつきではなく、当時全世界で流行していた最新の手術だったようなのである。
 20世紀初頭、ウィーン大学の生理学教授であるユージーン・シュタイナッハは、精巣の中にテストステロンを作る細胞を発見。ここから、年を取った精巣に若い精巣を移植すれば若返れる、というアイディアが誕生、瞬く間に全世界を席巻することになる。
 1916年、シカゴのフランク・リズトン博士は同僚をわきに連れて行き、自分の陰嚢のこぶを見せて彼を唖然とさせたそうだ。博士は自分自身の一対のそばに別の男性の睾丸の一部を縫いつけていたのである! 博士は54歳で手術を行うまでは元気がなくなったと感じていたが、手術後はめきめき体調がよくなったし、セックスも順調になったのだとか。
 カリフォルニアのサン・クウェンティン刑務所の医師スタンレーも、睾丸移植の実験を行っている。彼は処刑された囚人から睾丸を取り出し(人間のものが手に入らないときはヤギやブタで代用したとか)、どろどろにすりつぶしたものを太い注射器で腹部の筋肉に注入。数週間のうちに、被験者たちのニキビ、喘息、リウマチ、老衰は顕著に改善、囚人運動会でも目立って成績がよくなったという。
 最初のシュタイナッハ教授自身は、別に睾丸を移植しなくとも、精管を縛ればホルモンを必要とする精子が出なくなるから、余分のテストステロンが血流に入って体を活気づける、というアイディアを思いつき、これをシュタイナッハ手術と名づけている。年老いて詩が書けなくなった詩人のW.B.イェイツはこの手術を受け、ちょっとだけ創造力を回復したとか。
 1920年代になると、アメリカのジョン・ロムルス・ブリンクリーなる商才に長けた開業医が、ヤギの睾丸を神経と血管のついたまま患者の睾丸に接合する手術を考え出し、肉体的、精神的な老化のほか、インポテンツ、精神異常、動脈硬化、パーキンソン病、高血圧、皮膚病……などなどに効果があると大宣伝を展開、多くの有力者の支持を得て一大帝国を築き上げている。
 また、フランスのボロノフ博士はヒツジ、ヤギ、ウシで動物実験を行ったあと、1921年、うつ病患者にサルの睾丸を移植。患者は、手術後は非常に気分がよくなったと語った。さらに74歳の患者は手術後は活発で陽気になり、軽く20歳は若返った気がすると主張した。ボロノフはヨーロッパでの睾丸移植の第一人者として認められることになる。
 そして1924年(ちょうど日本で睾丸有柄移植が行われた年!)、イギリスの王立医科大学では由緒ある年一回のハンター講義のテーマとして睾丸移植が選ばれ、講演者のウォーカー博士は、睾丸移植は「疑いようもなく有望である」と断言したのだそうだ。
 というわけで、睾丸移植は決して無茶な手術というわけではなく、当時の最新理論に基づく手術だったようである。ただ、いくらなんでも、前田教授のやったような、二人をそのまま縛って密着させておくなんていう手術は、誰もやってなかったようだけれど。

イタチ野郎トランプ

 イラクお尋ね者トランプに始まるトランプシリーズ最新作。スペードのAはシラク大統領、ハートのAはマーティン・シーン。そのほかマイケル・ムーア監督、バーブラ・ストライザンド、スーザン・サランドン、ティム・ロビンス、ジョージ・クルーニーなどが入ってます。つまりはアメリカの保守派にとっていけすかない奴らのトランプってことですね。ちなみにジョーカーはジミー・カーター元大統領で、なぜか金正日はスペードの2。今なら「USS ジョージ・ブッシュ」ネイヴィーキャップとセットで45ドル! ちなみに発売元は保守派ニュースサイトなので冗談じゃなくマジです。

タカ派トランプ

 ついでにこちらは反戦派が作ったタカ派トランプ。なんかもうどっちもどっちという感じですが。スペードのAはチェイニー副大統領で、ジョーカーはブッシュ大統領と「大量破壊兵器」! ……って、すでにそれは人じゃないんですが。

バカシステム

 海法さんが教えてくれたのですが、きのうのバカシステムは、Rube Goldberg Machineというようです。ルーブ・ゴールドバーグというのは、こういうバカシステムが出てくるマンガを描いた人の名前だとか。
 リーダース英和辞典にも載っててびっくり。

Rube Goldberg, Rube Goldbergian
-a 《簡単にできそうなことをするのに用いる》非常に手の込んだ〈機械・計画・仕組みなど〉

 Rube Goldberg Machineで検索すると、バカシステム・コンテストのページがいっぱいでてきます。

2003年5月15日(木)

微生物ぬいぐるみ

 新井素子さんあたりほしがりそう。なんせ、ミトコンドリアや赤血球のぬいぐるみも持ってるくらいだから。

SelectSmart.com

 どのアニメキャラが好みか、どの作家の小説を読めばいいかから、どの党を支持すればいいのか、子どもの名前は何にすればいいのかまで、質問にYes/Noで答えるだけであらゆることを決めてくれるサイト。私はエヴァでは伊吹マヤがタイプで、すでにグノーシス主義者で、アジアでは台湾に住むとよくて、SFはハインラインを読めばいいらしい。

トレッキーなバンド"WARP11"

 メンバーみんなTOSの制服着てキャプテン・カールとかドクター・ヒューイットとか名乗ってるのも痛いんですが、"DON'T KLINGON ME"、"HELP ME SPOCK"、"SEVEN OF MINE"、"REPLICATE MY LOVE"などなど、スタトレづくしの曲目もかなり痛いです(一部の曲はMP3ダウンロード可)。
 "TREKKIE GIRL"の歌詞はこんな感じ。誤訳やぎこちないところもあると思うけどご勘弁を。


あの子は全エピソードを知ってる
あの子はゴーゴーブーツをはいてる
あの子は赤いミニスカートはいてる
あの子はぼくにカーク船長を演じさせる

トレッキー・ガール、トレッキー・ガール
ぼくらは行くよコンベンション、あの子はぼくを立たせてくれる(エレクション)
ガール、ぼくのトレッキー・ガール
あの子は肌を緑色(グリーン)に塗ってる、でもハロウィーンじゃないんだ
あの子はゆさぶる、ぼくの素晴らしい新世界を

あの子はいつも論理的
あの子の車はボルボ、ぼくらの(愛の)スペースシャトルさ
あの子はまるでブリトニー・スピアーズ
ただ何ポンドか重いし、耳は尖ってるけどね

トレッキー・ガール、トレッキー・ガール
モノクロの外宇宙を愛してる
ガール、ぼくのトレッキー・ガール
ぼくはあの子のレナード・マッコイ、そしてあの子は上物(リアル・マッコイ)
あの子の髪はカールの入ったスポック・カット

そして夜になるとあの子はぼくに言うのさ
あなたの共生生物を私の中に入れてってね
あの子はぼくの円盤部を分離させる
イェイあの子はほんとにわかってる

そしてぼくがパワーを失った夜には
そう、フェイザーを撃つ気力もない夜には
あの子はぼくの艦長丸太(キャプテンズ・ログ)をにぎるのさ
光子魚雷発射!!

 バカバカしすぎる……。

2003年5月16日(金)

式場隆三郎

 最近、式場隆三郎という精神科医に興味を惹かれてます。別に日本の精神医学史に残るような業績は何一つないし、実際どんな精神医学書にも名前が出てくることはないのだけれど、この人は戦前から戦後にかけて、おそらく日本で最も有名だった精神科医なのですね。
 私の手元には昭和36年に出版された『現代知性全集(49) 式場隆三郎集』という本(すごいタイトルだね)があるのだけれど、この全集に収められているメンバーはいえば、大宅壮一、和辻哲郎、小林秀雄、佐藤春夫、中谷宇吉郎……という面々。つまりは、当時はそうした錚々たるメンバーに伍する「知性」とみられていたということですね。
 この式場隆三郎先生、いちばん有名な業績はというと、あの「裸の大将」こと山下清を発見し、保護者兼プロデューサーとして売り出したこと。山下清作品集を何冊も刊行したり展覧会を開いたり、一緒にヨーロッパ旅行に出かけたりもしてます。三島由紀夫とも親交があったらしく、三島は『仮面の告白』刊行直後、自らの同性愛傾向を認めた書簡を式場先生宛てにしたためてます(何年か前にこの書簡が公開されて話題になりました)。
 生涯に書いた著書はなんと194冊。特にゴッホ研究の権威として知られ、ゴッホについては50冊以上の著書(まあ画集の解説文も含めてだけど)があります。『処女のこころ』『人妻の教養』などの女性向け実用書はベストセラーになり、「女性問題評論家」(って何?)としても知られていた……というのだけれど、おびただしい数の著書は今ではほとんど忘れ去られ、現在でも読まれている本はたったの一冊、「日本のシュヴァルの理想宮」とでもいうべき奇怪な建築について書いた『二笑亭綺譚』(ちくま文庫)のみ。
 しかも式場先生の活動はそんなものにはとどまらず、おそろしく多岐にわたってます。若い頃には小説も出版しているし、民芸運動の父と言われる柳宗悦とともに日本民芸協会に参加したりもしている。昭和14年には頭脳薬品シキバ・ブレノンなる謎の薬品を創製、発売したりもしてます。戦後になると、松方コレクションの返還と上野の国立西洋美術館設立に尽力したり、日刊紙「東京タイムス」を創刊して主筆兼社長になったり、日比谷出版社を創立して永井隆『長崎の鐘』をベストセラーにしたり、伊豆にホテル・オームロを建設して取締役社長に就任したり……という具合。なぜか帝国華道院会長に就任したり、日本ハンドボール協会会長になったりもしてます。
 本業の精神科の方では昭和5年、32歳で静岡県大宮病院長に就任、38歳のときに市川市に国府台病院(現在の式場病院)を設立。どうも、医者としてはともかくとして、実業家、文筆家、芸術愛好家として、おそろしくエネルギッシュな人物だったようです。
 彼が建てた式場病院は、今なお広大なバラ園で有名で、その庭は一般に開放されてます。中井英夫の『とらんぷ譚』に登場する、バラ園のある精神病院「流薔園」は、この式場病院をヒントにしたものでしょう。
 中井英夫は式場病院のバラ園について、いかにも幻想文学者らしく「それよりも何より嬉しいのはここが精神病院だということで、狂気と薔薇ぐらい(かた)みに映り合い(ひび)き合うものは少ないだろう」(「薔薇と狂気と」)と書いているのだけれど、式場隆三郎が自分の病院にバラ園を作った意図は、それとはまったく正反対のところにあったようです。

 病院の敷地は一万二千坪ぐらいだが、そのうち約三千坪ぐらいをバラ園にした。(中略)バラは二千本ぐらいで、その種類は約六百種である。もとより、つるバラも多い。春の五月、秋の十月は病院の内外には、無数の美しいバラの花々が咲きそろう。(中略)精神病院らしい陰惨さをもたせないように、努力した。この意図はほぼ成功して、近くの子どもも親しんで入ってくるようになった。数年前の春のバラの頃、アメリカのある大学の精神病学者が視察に来たことがある。そのときちょうど市川市内の幼稚園のこどもたちが数百人も病院の庭へきて遊び、昼食をしているのだった。アメリカの医学者はびっくりしてしまった。世界中どこの精神病院も、いかめしい感じや、恐ろしい感じがして、おとなも近づかない。それなのにこの病院では、まるで遊山にでもいったように子どもたちが楽しく遊んでいるではないか。
(式場隆三郎「精神病院の緑化」 昭和35年)

 今でこそ地域との衝突や偏見の解消のため、精神病院の地域への開放が進められるようになってきたわけだけど、現在よりもはるかに精神病への偏見が強かった当時としてはきわめて先進的な発想といえるでしょう。この一点だけでも、式場隆三郎は再評価されてもいいんじゃないかと思いますね。誰か式場隆三郎伝を書いてくれないものでしょうか。
 ちなみに日本のレーサーの草分けである式場壮吉は彼の息子……だったと思うのだけれど、ちょっとソースがないので確認がとれません。だとすると、式場壮吉の妻である欧陽菲菲は義理の娘ということになります。

じゃんけん拡張案

 グー、チョキ、パーに「リザード」と「スポック」を加えて5種。でも、「スポック」(「長寿と繁栄を」のポーズ)はけっこう出しにくそう。
 さらに「水」「火」「空」「スポンジ」を加えた7種じゃんけん。こんなの覚えられるか! しかしなぜスポンジ。
 なぜ拡張したかというと、ふつうのじゃんけんだとあいこが多いからだというのですね。確かに2人でじゃんけんをする場合、普通の3種じゃんけんだとあいこになる確率は1/3、5種だと1/5、7種だと1/7と少なくなります。では3人でじゃんけんをする場合、3種、5種、7種でそれぞれあいこになる確率は? ……というのは中学の数学の練習問題になりそう。

マンガ喫茶からコミック作家へ 利益還元策で協議開始へ

 記事の内容はともかく、「コミック作家」という表現にはなんだか違和感を感じます。普通「マンガ家」じゃないの?
 記事を見ていくと、どうやら「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」という団体があるらしい。どうやら、この会にはマンガ家だけじゃなく、原作者やプロダクションのメンバーも入ってるから「コミック作家」などという耳慣れない言葉を作ったみたい。
 どうでもいいけど、「幻世紀」という言葉は妙にかっこいいです。単なるOCRの認識ミスなのだろうけれど。なるほど、21世紀は幻世紀だったのか。

外務省のCG親善大使

 むう、外務省までこんなことを。名前は「京美ちゃん」でどうか(古い)。しかし、「2003年生まれの21才」ってことは今は2024年ですか。

2003年5月17日(土)

[映画]サラマンダー

 『ガメラ3』続編(嘘)。
 ロンドンの地下で眠っていた巨大な竜が地下鉄工事をきっかけに目を覚まし、またたく間に増殖して全世界を席捲、人類は滅亡寸前に。イギリスでわずかに生き残った人々は地下にコロニーを作り、竜に怯えつつひっそりと暮らしていたのだけれど、そこにマッチョなアメリカ海兵隊の生き残りがやってきて「なぜ竜と戦わないんだ腰抜け」、とまあそういう映画です。
 えー、つまりは、イギリス人後ろ向きすぎるから、前向きなアメリカ人が教え導いてやらないとだめだね、お前ら俺たちについてこいや、という話のような。アメリカ人が「英雄のいる国は幸福だ、英雄を求めている国は不幸だ」なんて挑発するシーンもあるし、このところの国際情勢を踏まえた上で観ると、なかなか意味深げです。
 一方、肝心の竜(「サラマンダー」という単語は原語では一度たりとも出てきません)なのだけど、これは火を吹くし空を飛ぶという伝統的なドラゴンですね。ただ、最初に発見されたのはオス一匹だけだったのに、そのあとどうやって増えたのかは謎。おびただしい数の竜の中でオスはたったの一匹だけで、あとは全部メスだけという設定も納得いかんなあ。そんなんでどうやって種を維持してるんだろ。このへんを納得させてくれる竜の生態についての疑似科学的な説明が全然ないのが不満なところですね。
 まあ、物語は「強い男が勝つのじゃあ」というマッチョな男のドラマであるからして、精力絶倫の最強のオスを倒して幕、という終わり方じゃなければならないので、オス一匹だけという設定は仕方ないのだけれど。物語の構造上、エイリアンみたいな女王じゃまずいのだ。
 それから、せっかくイギリスを舞台にしてるんだから、廃墟と化したロンドンの光景をもっとじっくり見せてほしかった。ビッグベンやタワーブリッジがちらっと出てきた程度なのは、予算の関係なんでしょうか。
 しかし、スキンヘッドで筋肉隆々のマシュー・マコノヒーには驚き。最初誰だかわからなかったよ。あと、トレッキーな方は、ドクター・ベシアがちょっと出てるのに注目(★★)。

更新

 過去日記のCSSを変えてみたり、用語辞典にショック療法を加えたり、睾丸有柄移植事件の項目を書き加えたり、いろいろといじくってます。

2003年5月18日(日)

聖セバスチャン図像集

 14世紀から現代に至るまでの聖セバスチャン図像を集めたサイト。
 聖セバスチャンというのは、ローマ軍の矢を全身に浴びせかけられて死んだ殉教者。苦悶の表情を浮かべた半裸の美青年として描くのがお約束で、宗教画にしてはかなりエロティックで耽美的な図像が多いのが特徴。
 三島由紀夫がこれを見て初めて射精をしたという、グイド・レーニ描く聖セバスチャンや、その三島が聖セバスチャンになりきって篠山紀信が撮影した写真もあります。三島のはこっちの写真の方が大きいですが。
 そのほか、ギュスターヴ・モローの聖セバスチャン、現代の画家Maurice Heerdinkのなんかゲイっぽい聖セバスチャンとか、Giorgio Croceによる全身タトゥー(?)の聖セバスチャンなどなど、大量の聖セバスチャン画像が見られます。

[読書]モーリス・ルヴェル『夜鳥』(創元推理文庫)

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 ルヴェルといえば、牧眞司さんが『ブックハンターの冒険』の中で「忘れられた作家」として熱っぽい文章で紹介してた作家。SF畑の牧さんが解説を書いているのはそのためでしょう。
 作風は一言で言えば「闇のO・ヘンリー」。孤独な事務員、老いた乞食、妻に裏切られた夫、娼婦など街の片隅でひっそりと生きる人々を主人公にしたごくごく短い物語が集められてます。結末はほとんどの場合残酷で救いのないものなのだけれど、「幻想」「孤独」などの作品では、その向こうに奇跡のように人生の哀感が立ちのぼってくるあたりが素晴らしい。ロンブローゾの生来犯罪者説やガルの骨相学の影響がうかがえる「誰?」も、この作者にしては珍しく余韻のある結末がうまい。
 「ピストルの蠱惑」は、夢野久作の「猟奇歌」の中の「殺すぞ!と云へばどうぞとほゝゑみぬ 其時フツと殺す気になりぬ」という歌を思い出す一作。そういえば短いルヴェルの作品はどこか久作の「猟奇歌」に通じるものがあって、久作がルヴェルを好んだというのもわかる気がします。
 ただし、もちろん傑作ばかりというわけにはいかず、いくらなんでもあまりに即物的でひねりがなさすぎるんじゃないの、と文句をつけたくなるような作品も多いのだけど。
 田中早苗の訳文は平易で読みやすく、しかもいかにも大正らしい時代がかった雰囲気にあふれていていいですね。私は、恥ずかしながら「乞食」に出てくる「あんぺら」という単語がわからなかったので辞書を引いてしまいました。

アンペラ(語源未詳) 筵(むしろ)の称
            ――広辞苑

2003年5月19日(月)

カール・ハイアセン『ホー HOOT』(理論社)

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 ホ━━━━(゚∀゚)━━━━!! ←表紙にこういう絵が描いてあるのです。
 カール・ハイアセンの新刊はなんと理論社刊のヤングアダルト小説。ハイアセンがヤングアダルト? となんだか不思議に思ったのだけれど、強烈なキャラクターたち(と動物たち)が繰り広げる狂騒的な物語の裏側に、失われゆくフロリダの自然への愛と、それを破壊する者たちへの激しい怒りが流れているのはいつものハイアセン節だし、スキンク(ハイアセンのレギュラー・キャラである元知事のホームレス)の少年版ともいうべき野生児まで登場。まさにハイアセン犯罪小説ヤングアダルト版といったところ。
 そういえば、かつてトニー・ヒラーマンは、ハイアセンを「犯罪小説のマーク・トウェイン」と形容したそうだけれど、この作品などまさに現代版マーク・トウェインそのものですね。少年版スキンクは、現代のハックルベリー・フィンのようだし。
 ただ、ヤングアダルト向けのせいか、いつものような奇人変人のモラルを無視した暴れっぷりは陰をひそめ、比較的ものわかりのよい穏当な結末になっているのが、ハイアセン・ファンとしてはちょっと物足りないところ。例えばこの作品ではマスコミは中立的な存在として描かれているけれど、いつものハイアセンならば、その皮肉な眼差しをマスコミに対しても向けたはず。さらに、ハイアセンのメッセージは「怒りは――それが正当な怒りであれば――抑えるな、むしろ爆発させよ」というものなのだけれど、この作品では最後まで怒りが爆発することはないのだ。

台湾人医師

 SARSとかそんなことより私がうらやましくてならないのは、日本でいえば医者になって3年目くらいの26歳の新米勤務医が、夏休みでもないこの時期に1週間も休みをとって観光旅行できるってことですね。どうやら同じ医学専門学校の学生・卒業生の旅行だったらしいのだけれど、それにしても1週間ですよ1週間。台湾の祝日表を見ても、別にゴールデン・ウィークというわけでもないようだし。私には、とてもとてもそんなに休みなんて取れませんよ。

2003年5月20日(火)

牧野修『呪禁局特別捜査官 ルーキー』(祥伝社)

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 『呪禁官』の続編。前作ではタイトルに反して主人公が呪禁官にならないうちに物語が終わってしまっていたけれど、今回はちゃんと呪禁官になってます。
 科学とオカルトが逆転して、科学がカルト宗教と化しているという世界設定はあいかわらず魅力的だし、ウィンドウズとトロンを思わせる米国製と日本製の統一呪術言語規格があったりするのもおもしろい。さらには、戦隊ものやクレヨンしんちゃん(「いただきマンソンファミリー」ってなあ)のパロディが出てきたり、語尾に「にゃ」とか「にょ」をつけてしゃべるキャラ(このキャラの扱い方に、作者の底意地の悪さが透けて見えます)が出てきたりと、実にサービス精神旺盛。そのあたりのマニア受けする要素はしっかり抑えつつも、新書ノヴェルズとしてエンタテインメントとしてもしっかりした面白さなのはさすが。
 ただ私としては、前作ラストで触れられた、この世界の成立と未来についての伏線が気になっていたので、それが全然生かされていなかったのがちょっと物足りないところでした。

extremekidnapping.com

 スカイダイビングよりも、バンジージャンプよりも、さらに強烈なスリルがほしい人むけの究極のエンターテインメント、それは「誘拐」。

 てなことで、このサイトに申し込めば、女の子ばかりの誘拐チームがやってきて攫ってくれるらしいです。いちばん安いコースは写真と脅迫状つき(誰でも好きな人に送れる)で150ドル、ビデオ撮影つきの4時間コースで350ドル、女の子ばかりのエリート誘拐チームに12時間拘束される(もちろんビデオ撮影つき)コースで850ドルだとか。詳細不明のデラックス・コースは価格応相談。
 ああ、これで誘拐チームがもうちょっとかわいければなあ。

LG21

 電車に乗ったら、こんな吊り広告が下がっていたのである。

LG21 検索結果1370件 事実がなければ、だれも買わない。

 ヨーグルトの広告なのだけれど、そんなこと言ったらパナウェーブだって1230件、マジェスティック12なんて6170件ですよ。検索結果が多いのと事実かどうかは全然関係ないのですが。

ドはドクロのド

読売朝日を合わせると、歌詞全文がわかります。
「ドはどくろのド、レは霊柩車のレ、ミはミイラのミ、ファはふぁかば(墓場)のファ、ソは葬式のソ、ラはドラキュラのラ、シは死人のシ、さあ死にましょう」
 ラがちょっと苦しい。
 調べてみると、どうやらこの替え歌にはいろんなバリエーションがあるみたいですね。ここには、「ドはドクロのド、レは霊柩車のレ、ミはミイラのミ、ファは墓場のハ、ソは葬式のソ、ラはお寺のラ、死は死人のシ、さあ怯えましょ」というよく似たバージョンが紹介されているし、「ドは土葬のド」というのもある(「ラ」の処理はこのバージョンがいちばん見事)。谷山浩子バージョンだと「ドーはドクロのドー、レーは霊魂のレー、ミーは水子のミー」。さすが谷山浩子、おどろおどろしさではこのバージョンがピカイチ。「水子」は子どもじゃ思いつけない単語だね。
 まあ、校長が歌うには不適切な歌だということは確かなのだけれど、だいたい子どもはこういう歌が大好きなもの。私も小学生の頃には「お正月には餅食って〜 喉をつまらせ死んじゃった〜 早く来い来い霊柩車〜」などと替え歌を歌ってたしね。こういう歌というのは、いつの時代も子どもたちの間に口コミで伝わっていくものでしょう。
 校長がこういう歌を歌うのは不適切なことなのだけれど、それは「死にましょう」という言葉を使ったからじゃなくて、校長が生徒の機嫌を取るだけのために「先生−生徒」という枠組みを自ら踏み越えてしまっているからですね。新聞記事からはそのへんが伝わってこないのが気になります。
 あと、どういう経緯で教育委員会に伝わったのかも気になりますね。たぶん「こんな歌覚えたよー」と喜んで母親に話した子どもがいて、けしからん、と眉をひそめた親が御注進したのだろうけれど。


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Written by Haruki Kazano