大正14年6月、東京の戸山脳病院での話である。
「慶応大学外科の前田教授が病院にきて、谷口院長立ち会いのもと、公費患者ABの両人を一体に密着させて手術をした。すなわちABの腰部にBの右腕を縛りつけ、Aの陰嚢を切開して肉体から脱離せずに睾丸に精糸のついたまま、Bの右腕を切開して、その中に睾丸を移植し、両人を密着させて、身動きもならぬように縛りつけ、十日間を経過させようとした。ところが相手が狂人なので、注文通りに、ジットおとなしくしているはずはない。3日目には縄を咬み切って離ればなれになり、Aは死亡した。Bも本年2月に死亡した」
これが当時世を驚かせた
睾丸有柄移植事件である。ここに引用したのは看護人から警察署への申し立てである。これはいったい何事なのか。何を考えてるんだ、前田教授。「右腕に睾丸を移植」って言われても、これだけではさっぱり意味のわからない手術である。それに看護人も「相手が狂人なので」じゃないだろ。普通の人だってこんなことされたらおとなしくなどしているはずがない。
前田教授の目的は、教授自身による次の釈明で明らかになる。
「Aは睾丸の内分泌が多いのが原因で精神病者となり、Bは睾丸の発育が不充分な患者なので、Aの睾丸をBに移植するのが、一挙両得の方法だと考えてこの手術をした。Aの睾丸を切り取ってBに移すのでは効果が少ないから、有柄移植を試み、両者を十日ばかり密着せしめてから、分離せしむるつもりであった。死の直接原因は手術のためではない。手術はすでに動物試験では成功しているのだから、医者としての治療範囲を出なかったことを断言する。ただ相手が、手術を承諾することのできない狂人であったことに対しては、徳義上責任を感ずる。しかし仮にこれが問題となるようなら、我々医学者は、新しい手術には一切手出しができず、従って日本医学の前途に暗影を投ずるものだと思う」
いっそみごとなまでの開き直りである。しかし「一挙両得」ってのも無茶な話だ。
結局この事件、院長が辞職しただけで、教授も院長も不起訴処分となったという。今では考えられないような時代の話である。
もちろん睾丸と狂気の関係は今では否定されている。
さて、前田教授はなぜ睾丸を移植しようなどと考えたのだろうか。
教授がそんな手術をいったいどこから思いついたのか、長らくわからなかったのだが、最近(2003年)になって、ロジャー・ゴステン『老いをあざむく』(新曜社)という本の中に、「睾丸移植」についての記述を見つけた。どうやら睾丸移植は前田教授の思いつきではなく、当時全世界で流行していた最新の手術だったようなのである。
20世紀初頭、ウィーン大学の生理学教授であるユージーン・シュタイナッハは、精巣の中にテストステロンを作る細胞を発見。ここから、年を取った精巣に若い精巣を移植すれば若返れる、というアイディアが誕生、瞬く間に全世界を席巻することになる。
1916年、シカゴのフランク・リズトン博士は同僚をわきに連れて行き、自分の陰嚢のこぶを見せて彼を唖然とさせたそうだ。博士は自分自身の一対のそばに別の男性の睾丸の一部を縫いつけていたのである! 博士は54歳で手術を行うまでは元気がなくなったと感じていたが、手術後はめきめき体調がよくなったし、セックスも順調になったのだとか。
カリフォルニアのサン・クウェンティン刑務所の医師スタンレーも、睾丸移植の実験を行っている。彼は処刑された囚人から睾丸を取り出し(人間のものが手に入らないときはヤギやブタで代用したとか)、どろどろにすりつぶしたものを太い注射器で腹部の筋肉に注入。数週間のうちに、被験者たちのニキビ、喘息、リウマチ、老衰は顕著に改善、囚人運動会でも目立って成績がよくなったという。
最初のシュタイナッハ教授自身は、別に睾丸を移植しなくとも、精管を縛ればホルモンを必要とする精子が出なくなるから、余分のテストステロンが血流に入って体を活気づける、というアイディアを思いつき、これをシュタイナッハ手術と名づけている。年老いて詩が書けなくなった詩人のW.B.イェイツはこの手術を受け、ちょっとだけ創造力を回復したとか。
1920年代になると、アメリカのジョン・ロムルス・ブリンクリーなる商才に長けた開業医が、ヤギの睾丸を神経と血管のついたまま患者の睾丸に接合する手術を考え出し、肉体的、精神的な老化のほか、インポテンツ、精神異常、動脈硬化、パーキンソン病、高血圧、皮膚病……などなどに効果があると大宣伝を展開、多くの有力者の支持を得て一大帝国を築き上げている。
また、フランスのボロノフ博士はヒツジ、ヤギ、ウシで動物実験を行ったあと、1921年、うつ病患者にサルの睾丸を移植。患者は、手術後は非常に気分がよくなったと語った。さらに74歳の患者は手術後は活発で陽気になり、軽く20歳は若返った気がすると主張した。ボロノフはヨーロッパでの睾丸移植の第一人者として認められることになる。
そして1924年(ちょうど日本で睾丸有柄移植が行われた年!)、イギリスの王立医科大学では由緒ある年一回のハンター講義のテーマとして睾丸移植が選ばれ、講演者のウォーカー博士は、睾丸移植は「疑いようもなく有望である」と断言したのだそうだ。
というわけで、睾丸移植は決して無茶な手術というわけではなく、当時の最新理論に基づく手術だったようである。ただ、いくらなんでも、前田教授のやったような、二人をそのまま縛って密着させておくなんていう手術は、誰もやってなかったようだけれど。
- 参考文献
- 金子嗣郎『松沢病院外史』(日本評論社)
- ロジャー・ゴステン『老いをあざむく』(新曜社)
(last update 03/05/17)