現在使われているような精神科のクスリが初めて開発されたのは1950年代のこと。長い医学の歴史からすればつい最近のことである。それ以前のクスリなんかない時代にはいろいろと不可思議な治療法が行われていたものである。
ロボトミーなんかもそうだし、例外的に現在も使われている治療法としては
電気ショックがあります。
中でも18〜19世紀ヨーロッパの精神病治療法はといえば、きわめて乱暴なものばかり。
1747年のベストセラー大衆医学書"Primitive Physic"によれば、メランコリーに対してはツタを浸した酢で頭を1日数回拭くこと、「狂暴な狂気」に対しては、大きな滝の下に患者を置き、患者の力がつづくかぎりその滝の下に患者を置くこと、あるいはバケツで患者の頭に水をかけることを勧めている。荒っぽい冷水ショック療法ですね。日本でも、江戸時代から主に密教系の寺院で精神病患者を滝に打たせる治療が行われていたというから、水流が狂気に効くという発想は、洋の東西を問わないようだ。
また、18世紀の最先端の治療法として「電気療法」があり、ロンドンの何ヶ所かに置かれた電気治療機で、数年間で何千人もの患者が治療を受けたとか。
しかし、当時もっともポピュラーだった治療法はといえば、なんといっても瀉血である。静脈を切って「悪い血」を外に出すというもの。1回に200ml〜400ml程度の瀉血は日常的に行われていたし、ベンジャミン・ラッシュという医師に至っては、1回目は20〜40オンス(500〜1100ml)を勧めている。ベドラムのトマス・モンローによれば、大量の瀉血を繰り返し、強力な嘔吐剤や下剤を繰り返し与え、多量の阿片系の薬剤で患者を昏睡させたり、長時間に渡って強い冷水のショックを与えるのが標準的な治療法であったらしい。
まあこういう時代だから、1725年のパトリック・ブレア医師の学会報告も驚くにはあたらない。あるとき、風車で揚水された水が80トンほど入る、高さ10メートルの貯水タンクを発見したブレア医師、これは使える、とひらめいた。彼は、ある既婚の女性患者に瀉血、嘔吐剤、下剤、発汗剤、水銀といった当時の治療法一そろいを2ヶ月ほど大量に処方しつづけたあと、彼女をタンクの下に作った部屋に連れていき、目隠しして裸にしばりつけ、最初は30分、次に60分、3回目には90分の間、落下する水流の下に置いたという。4回目に水流の下に連れていったときには、彼女は恐怖のあまりひざまずいて許しを乞い、今後はずっと愛情深く従順で務めに忠実な妻になることを約束した、とブレア医師は満足げに学会で報告したそうな。
さらに、「回転機械(Rotatory Machine)」というものがある。これはつまり、クイズ・タイムショックの回転椅子みたいなものなんだけれど、動力もない時代なので、わざわざ人力で回すのである。
ヴィルツブルク市民病院の医師J.Oeggは、5人で操作され、毎分40回転の改良型の効率よい回転機械を使用した、と報告しています。どうやら当時の精神病棟にはこういう大掛かりな機械が設置されていたらしい。
なんでこんな今の眼からみれば無茶なこんな治療法が使われていたかというと、それはイギリスの医師J.B.コックスという人の理論による。彼の理論によれば、精神病というのは臓器系が病的に固定しまっている状態だから、人体を回転させることによって新しい病気を人為的に起こせば、「身体の理法」が揺さぶられ、精神病は癒されるのだ、というのである。高速回転させると、患者は意識消失したりけいれんを起こしたりするのだけれど、彼にとってはこれこそが「理法」の揺さぶりだったのですね。
ぶっちゃけた話、病気が固定してしまってるのだから、身体にショックを与えて揺さぶりをかけろ、とそういうわけである。だから、この治療法は、ものすごい騒音や悪臭のもとで進めれば、さらに効果が高く確実だ、とみなされていた。これがその後の「マラリア療法」や「電気ショック療法」に至るショック療法の発想の源である。
さらにこのショック療法の発想の源流をたどると、18世紀のJ.Brownなる医師の治療法へと行き着く。
「(精神病の)病人には不安と恐怖をつのらせるべきだ。そして狂気のあいだ中、絶望の淵にまで彼を不安に落とすべきだ。過度の興奮は加減できる回転運動の道具で鎮め、荷車を引く牛馬のように長時間しかもきびしく患者を働かすべきだ。同時に食事の処方はできる限り抑え目とし、飲み物は水以外一切禁ずるべきだ。さらにこの患者には氷による水浴が必要であり、死亡直前までそのまま放置すべきである」
これがブラウニズムと呼ばれるブラウンの治療理論なのですね。なんとも恐ろしい発想である。
また一方では、興奮したり暴力を振るったりと活動性が高まっている場合の治療も決まっていて、これが「瀉血」。血を抜くのである。高まった状態なら血を抜けばいいのではないか、とこれもまた安易といえば安易な発想。
ま、こういう時代を経て現在があるわけです。
(last update 03/10/26)