まず、こう書くとたいがいの人は驚くんじゃないかと思うのだけど、電気ショック療法は現役の治療法である。ロボトミーみたいに今では廃れた治療法だと思ったら大間違い。確かに一時期批判を浴びて下火になったものの、最近になってうつ病の治療法として再び見直されてきている療法なのである。
電気ショック療法(正式には
「電気けいれん療法(electroconvulsive therapy:ECT)」という)は、特に難治性のうつ病に対しては安全でしかも非常に効果も高い治療法として知られていて、自殺の危険性の強い重症うつ病の患者に対しては、これしかない、と言ってもいいくらい。アメリカ精神医学会の報告によれば、電気けいれん療法はうつ病の治療法の中で最も有効率が高く、難治性うつ病に対しても50%に有効なのだそうだ。ただし、なんで効くのかはいまだによくわかっていない。薬物でもそうだけど、精神科の治療法の場合、とりあえずやってみたら効いた、という事実が先で、理論は後追いのことが多いのだ。
そもそも電気ショック療法は、1938年にイタリアのツェルレッティとビニが開発した治療法で、精神疾患患者の頭に電極をあて、脳に通電してけいれんを引き起こすというもの。なぜそんなアイディアを思いついたかといえば、当時のヨーロッパでは分裂病とてんかんは拮抗する、という考えがあったのだ。分裂病患者はてんかんになりにくいし、てんかん患者は分裂病になりにくい(今では否定されてますが)。それなら人工的にてんかんを起こしたら分裂病は治るんじゃないか(抗精神病薬など何もない時代である)、というわけで、1930年代にはウィーンのザーケルによるインスリンショック療法(インスリンを注射して人工的に低血糖発作を起こすのである。けっこう危険)やら、ハンガリーのメドゥナによるカルジアゾールけいれん療法(薬物を注射してけいれんを起こす。注射のあとしばらくはハンパじゃなく不快)やら、ショック療法がいくつも生まれたのである。
1938年4月、ツェルレッティらは身元不明の分裂病患者に世界初の電気けいれん療法を施行、合計11回の治療によりこの患者は改善、予後は良好だったという。よかったね、ということなのだけれど、最初に試したのが身元不明の患者ってあたりがツェルレッティさんたちの自信のなさを示しているような気もしないでもない。
当時は精神病の薬など何もない時代。電気ショックは瞬く間に世界を席巻し、日本の精神病院でも盛んに行われるようになったのだった。ただ、その使われ方にはいささか、いやかなり問題があったのだけれど。
松本昭夫の手記『精神病棟の二十年』(新潮文庫)には、昭和30年代の精神病院の電気ショック療法の様子が克明に描かれている。
畳が敷かれた部屋に連れて行かれた。三、四人の男が寝ている。その中の一人は、口にタオルをくわえて、全身をガタガタと震わせている。その光景は私の眼に異様に映った。
次の男の番になった。タオルを口にしっかりとくわえさせてから、係員が器具の二つの端子を二、三秒間男の左右のこめかみに当てた。すると、男の身体が、一瞬硬直し、のけぞって失神した。それから全身をガタガタと震わせた。ちぎれそうにタオルをくわえた口から、激しい息遣いが聞えた。私の心は氷ったようになった。
これが電気ショック療法だった。しかも、麻酔をすることもなく生のままかけていたのだった。それはまさに処刑場の光景だった。係員は冷酷な刑吏のように見えた。
そのうちに、私の番になった。何か叫びだしたい恐怖を感じたが、今更逃げ出すことも出来ず、どうにでもなれといった捨て鉢な気持になって、床に身を横たえた。
タオルを口一杯にかんだ。瞬間的に電流を走るのを感じたが、その後の意識はない。
さらに、精神病院への潜入ルポとして有名な大熊一夫『ルポ・精神病棟』(朝日文庫)には、電気ショックが患者たちの間で「電パチ」と呼ばれ、恐怖の対象だったことが書かれている。
女子病棟保護室。副院長は電気ショック療法用の二つの電極を握っていた。
「なぜ脱走した」「だれが計画したんだ」
問い詰めながら、電極で花子のほおをなでた。ビリビリッ。100ボルトの電流で感電させられるたびに、花子は身をよじった。反抗的な顔は一転して恐怖に引きつった。説教は続く。
「こんなことやられて気持ちがいいかい」「悪いことやったと思わないの」
これじゃとても治療とはいえない。ただの拷問である。
当時は麻酔などかけず、ナマで電気をかけることも多かったので、けいれんを起こしたときに骨折したり呼吸停止を引き起こしたりという例も少なくなかったし、電気ショック後の記憶障害も問題だった。当時は反抗的な患者に電気ショックを行っておとなしくすることが多かったのだけれど、それは恐怖によって患者を押さえつけるようなもので、あくまで一時しのぎにすぎないし、治療効果など期待できるはずもない。
おまけに、オウム真理教まで「ニューナルコ」と称して記憶や煩悩を消す目的で電気ショックを多用していた(林郁夫『オウムと私』(文春文庫)によれば、「記憶を消す方法を考えろ」という麻原の厳命に対し、林郁夫が苦し紛れに提案したのが電気ショックだったという)とあっては、「電気ショック=悪」のイメージは決まったようなものである。
もちろん、どれも電気けいれん療法本来の使い方ではないのだけれど、どうもこうした暗い過去のイメージが強いせいか、日本ではいまだに電気けいれん療法は閉鎖的で恐怖に満ちた精神病院の象徴のように扱われ、タブー視されている。
ところが1980年代以降、欧米では日本とは逆に電気けいれん療法の再評価が進んでいるのだ。
まず日本と違うのは、欧米では1950年代にはすでに安全性の高い修正型ECTが導入されていたこと。この修正型だと、全身麻酔をかけ、筋弛緩剤を投与するので、上の引用文で描写されていたような、見た目の恐ろしい全身けいれんは起こさないし、事故も少ない。1980年代にはうつ病への高い効果が再評価され、安全で有効な治療との評価が確立している。たとえば自殺の危険が迫っている重症うつ病の患者の場合など、薬が効くまでのんびりと待っているわけにはいかず、即効性のあるECTの方が有効なのだ。
1990年にはアメリカ精神医学会が適用マニュアルを作成、1993年には45000人の患者がECTを受け、その数は年3%の割合で増加しているという。もちろんアメリカのことなのでインフォームド・コンセントは怠りない(ただ、もちろんECTへの批判意見はあるし、一般的な治療になっているとはいいがたく、アメリカの精神科医のうちでも8%が施行しているにすぎないそうだ)。
日本でも90年代になってようやく、大学病院や総合病院を中心に、麻酔医の協力のもと、少しずつ修正型ECTが行われるようになってきたところだけれど、まだまだ従来型の有けいれん性のECTしか行っていない病院が多いですね。しかも国に認可されている治療器は1938年以来まったく変わっていないというありさま。欧米では70年代に開発されたパルス波治療器が主流になっているのに、日本で医療機器として認可されている治療器はサイン波電流(コンセントから得られる交流そのまま)のものだけなのだ(パルス波の方が、必要なエネルギーが少なくてすむため、記憶障害の副作用が少なく、安全性も高い)。
実際、日本の精神病院で使われているECTの治療器は、外見だけでももうちょっと新しくしろよ、と文句をつけたくなるほど古めかしい。なんと、木箱に入っているのだ。木箱はないだろ、木箱は。箱を開けると電圧計とダイアル、それからON/OFFのトグルスイッチとランプがついているだけ。こんなんでいいのか、と思うほど簡単な機械である。
林郁夫『オウムと私』には、オウム製作の電気ショック装置についてこんなことが書いてある。
「装置は安全機構が何重にもつけられた、オウム製作の機械としては、例外的に良質なものでした。装置自体についていうならば、市販のものより使用時の安全対策が施されていました」。
もし、オウムが参考にしたのが欧米の電気ショック装置の設計図だとしたら、彼らが作ったのはおそらく日本では認可されていないパルス波治療器だったにちがいない。医療機器の認可なんか関係ないからこそ良質なものが作れたというのは……なんとも皮肉な話ですね。
次に、実際の電気ショックのやり方について簡単に。といっても、修正型のECTの場合、ほとんどが麻酔科医の仕事で、精神科医の仕事は電気をかけるボタンを押すことくらいなのだけれど。
まずは患者を手術室に運び(もちろん、今では畳部屋に並べて行うようなことはしません)、全身麻酔をかけて酸素吸入。筋弛緩剤を投与してから、マウスピースを咬ませ(いくら全身けいれんがないとはいっても、通電したときに咬筋が収縮して口の中を傷つけることがあるのだ)、両方のこめかみにつけた電極に数秒間通電(電圧は100Vが一般的)。これを週2〜3回、合計6〜12回くらい施行して1クールおしまい。簡単なものです。
なお、最近では、電気けいれん療法よりももっと侵襲が少なく安全性の高い経頭蓋磁気刺激法(Transcranial Magnetic Stimulation:TMS)という治療法も開発されてます。磁場をかけることによって脳内に電流を流すというこの方法なら、麻酔はいらないし、けいれんも起こさなければ記憶障害にもならないので、外来で手軽にできるのだそうだ。しかも治療効果はECTとほぼ同じ。
今のところまだECTやTMSは抗うつ薬の補助的な役割しかないけれど、いずれ、うつ病患者は通院して外来で電気をかけてもらったり、磁気をかけてもらったりするのが一般的になる日が来るのかも。
(last update 02/02/07)