ロボトミー lobotomy

 ロボットみたいにするからロボトミー、と思ってる人がもしかしたらいるかもしれないが、それは違う。そんな率直な(笑)名前、いくらなんでもつけるわけがないではないか。第一、ロボットはrobot、ロボトミーはlobotomy。綴りが違う。
 ロボトミーのlobo-というのは、中肺葉とか前頭葉とかの「葉」という意味。一方、-tomyは切断とか切除を意味する。いわゆるロボトミーは、正式にはprefrontal lobotomyといい、「前部前頭葉切截術」と訳されている。つまり、前頭葉の前の方を切っちゃうぞ、ということだ。

 この手術を発明したのは、ポルトガルのエガス・モニス(1875-1955)。リスボン大学神経科教授にして、下院議員や外務省高官を歴任した政治家という人物である。1910年のポルトガル共和国樹立に参加し、政党党首や大臣も務めているし、マドリード駐在の大使だったこともあれば、ヴェルサイユ条約調印のときには自国の代表だったという。
 この人の珍しいところは、普通とは逆に、政治家をやめたあとに医学の分野での業績をいくつも残していること。このへん、邪推する余地はいろいろとあるが、やめておこう(笑)。とにかく、モニスは1935年、60歳のときにロボトミーの基本を考案、治りにくいうつ病や不安神経症の患者にばしばしと実施して(おいおい)、劇的効果が得られたと発表した。
 その後、ロボトミーの術式はアメリカで改良され、第2次大戦後の一時期には、精神分裂病の患者に対して盛んに行われ、全世界に大ブームを巻き起こした。当時はまだ精神分裂病に対して効果を示す薬が開発されていなかったこともあり、ロボトミーは画期的な治療法として迎えられたのである。しばらく前までは、このころロボトミー手術を受けた患者が、精神病院の片隅でぼんやりとたたずんでいたりしたという話である。私は見たことがないが。
 なお、驚いたことに、1949年には偉大な業績の創始者として、モニスにノーベル医学賞が与えられている。ノーベル賞ってのもけっこう間違いをおかすものなのだ。

 さて、標準的なロボトミーのやり方について、ちょっと説明しておこう。まずは、こめかみのあたりにきりきりと小さい穴をあける。穴があいたら、その中に細い刃を突き刺し、手探りでぐりぐりと動かして前頭葉の白質を切断する。おしまい。

 おおざっぱである。むちゃくちゃおおざっぱである。

 そもそも前頭葉は、脳の中でももっとも人間らしい知的活動をつかさどっているといわれている部分である。正確にどのような機能を持った場所かということについては、いまだによくわかっていない。それなのに、とにかく切ってしまう、という無謀さには恐れ入ってしまう。
 当然ながら、そのうちロボトミーを受けた人は性格・感情の上での顕著な変化を示すことがわかってきた。つまり、手術を受けた人は、楽天的で空虚な爽快感をいだくようになり(だからうつ病に効くとされたわけだ)、多弁で下らないことをいう。また、生活態度に節度がなくなり、反社会的犯罪行為を示す者もいたという。さらに意欲が乏しくなり、外界のできごとに対して無関心、無頓着になる。
 こういうことが問題にされるようになり(当初はこういう性格変化が逆に病状にいい影響を与えるとされていて、まったく問題にならなかったのだ)、さらに抗精神病薬が開発されるようになったこともあり、1970年代以降はロボトミーはほとんど行われていない。

 さて、たいがいの本では、ロボトミーの項目は今の私の説明のように「今ではほとんど行われていない」と結ばれているのだが、ただひとつ、講談社の精神医学大事典だけは異彩を放っている。
 どういうわけか、やたらとロボトミーに肯定的な表現ばかりが目につくのだ。薬物療法の効果にも限界があり、危険の少ない新しい術式の登場にともなってロボトミーも捨てがたい治療法として再認識されるようになってきた、とか。1977年のアメリカの報告では、あらゆる治療が効かなかったのに脳手術ではよくなったものが78%もいてロボトミーは有効との結論が出された、とか。現在も日本を除く欧米諸国、ソ連やチェコでも行われていて3年ごとに国際学会も開かれている、とか。
 それもそのはず、この項目を執筆した広瀬貞雄という人は日大医学部の名誉教授で、百数十例ものロボトミー手術を執刀し、自ら眼窩脳内側領域切除術という新術式を開発したほどのロボトミーのエキスパートだったのですね。
 事典の項目といえど、執筆者の立場によってバイアスがかかっている場合があるから辞書を引くときには注意しましょうね、という話。

〈追記〉
 と、書いてから2年以上がたった。この追記では、前の文章ではあまり触れなかった日本のロボトミー情報について書いてみたい。
 日本で初めてロボトミーが行われたのは1942年(昭和17年)。新潟医大外科の中田瑞穂教授だそうだ。当時はあんまり精神科からの反応はなかったらしいが、戦後になるとアメリカ医学の影響で盛んに行われるようになる。日本のロボトミーの第一人者だった広瀬貞雄が1954年(昭和29年)に書いた論文「ロボトミー後の人格像について」によれば「著者は昭和22年以来360余例の各種症例にロボトミーを行い、手術前後の精神状態の変化を仔細に観察し」てきたそうだ。7年で360例。広瀬医師だけでも1年で50例以上ということになりますね。また、広瀬先生が日大名誉教授になったときに書いた「研究生活の回顧」という文章によれば、先生は1947年から72年までの25年間で523例のロボトミー手術を行ったとか。さらに、日本中でロボトミーを受けた患者数は、だいたい3万人〜12万人くらいになるとか。統計とってなかったんですかね。幅ありすぎ。
 ここで、ロボトミー肯定派である広瀬貞雄先生の言葉を引用しておこう。

「我々の今日までの現実的な経験としては、ロボトミーは臨床的に有用な棄て難い利器であり、従来の療法ではどうしても病状の好転を来たすことができず、社会的にも危険のあったものがロボトミーによって社会的適応性を回復し、或は看護上にも色々困難のあったものが看護し易くなるというような場合をしばしば経験している」

「精神病院内に、甚しく悩み、また狂暴な患者が入れられているということは、戦争や犯罪やアルコール中毒の惨害以上に一般社会の良心にとって大きな汚点であるとし、このような患者がロボトミーで救われることを肯定する議論もある。1952年にローマ法王PiusXIIは、その個人の幸福のために他に手段のない限り肯定さるべきだという意味の声明をした」
 なお、この広瀬先生も、ロボトミーによって患者の性格が変化し、環境への積極的な関心や感受性が減り、内省したり将来を予測して行動する能力が低下することは認めてます。でも、それ以上にプラスの変化の方が大きい、と広瀬先生は言うのですね。「著効例の中には国立大学教授、会社経営者、優秀な開業医、技師など高度な社会的機能を果たしているものも少なくない」と広瀬先生は書いております。
 さて、当初から批判の声が多かったロボトミーは、薬物療法の発達と人権意識の高まりに伴い、1960年代後半から徐々に下火になっていく。しかし、一部の病院ではその後も手術は続き、日本精神神経学会で「精神外科を否定する決議」が可決されてロボトミーがようやく完全に過去のものとなったのは、1975年のことである。

 そして、誰もがロボトミーを忘れ去った1979年、ある衝撃的な事件が起こっている。都内某病院に勤務する精神科医の妻と母親が刺殺されたのである、やがて逮捕された犯人は、1964年この医師にロボトミー手術を受けた患者である元スポーツライターだった。彼は、手術ですら奪うことのできないほどの憎しみを15年間抱きつづけ、そしてついにその恨みを晴らしたのである。
 ロボトミーが大きな話題になったのはおそらくこのときが最後。そしてロボトミーは歴史の闇に消えていった。しかし今も、かつてロボトミー手術を受けた患者たちは精神病院の奥で静かに時をすごしている。以前の文章を書いたときにはそんな患者たちを実際目にしたことはなかったが、その後見る機会があった。そうした患者たちについては、日記をどうぞ
(last update 03/05/20)

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