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更新日: 2004/10/06


2003年 5月上旬

2003年5月1日(木)

自由を考える

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東浩紀・大澤真幸の対談本『自由を考える』(NHKブックス)読了。うん、これはなかなかおもしろい本ですね。これを読めば、東浩紀が去年のSFセミナーで盛んにセキュリティとか住基ネットとかの話をしていた理由がよくわかります。あと、『動物化するポストモダン』だけじゃ今ひとつ釈然としなかった「動物化」という言葉の意味合いもこの本を読めばすっきりします。
 二人とも問題意識が似ているせいか、対談は最初から最後まで「同感です」ばっかり(まあ細かいところでは意見の違いもあるのだけれど)。まあ、話がかみ合わないままに終わってしまう東浩紀と笠井潔との対談みたいなスリルはないのだけれど、そのぶん一つのテーマにそって話題が深まっていて、対談特有の散漫さのない読み応えのある本になってます。
 実は私は哲学とか思想の本が苦手でして、その大きな理由は用語の煩雑さにあるのですね。この人のいってる「○○」は、あの人の言葉でいえば「××」で、でもほんとはちょっとニュアンスが違う、とか、その反対に、ある人が作った「○○」という用語に別の人が勝手に違う意味を与えて使っていたり、極端な場合では同じ人の同じ用語でも初期と後期じゃ意味がちょっと違う、とか。もうちょっと互換性考えてくれよ! と文句も言いたくなるのだけれど、この本だと、観客のいる場で行われた対談であるせいか、随所で用語のすりあわせが行われていてとてもわかりやすい。
 この本全体の主題となっているのは、権力というものがかつての古典的な管理社会のイメージから、環境的でみえないものに変わってきているということ。たとえばマクドナルドでは椅子を硬くして回転を早くしているとかいうような、誰も気づかないような管理の仕方ですね。携帯電話で買い物ができたり、アマゾンで買い物をしたらお勧めの本を教えてくれたりと、管理されることによって生活は便利になっているし、むしろ私たちは管理されたがっているんだけど、そこからは言葉にしにくい「何か」が失われているんじゃないかと。
 これを私自身の領域にひきつけて考えてみると、触法精神障害者の処遇、いわゆる保安処分の問題がありますね。かつての左翼な方々は「権力が思想犯を収容する口実に使うかもしれない」という論理で保安処分に反対していたのだけれど、こういうレトリックはもう無効になっている(それに、この論理だと障害者なら収容していいってことになってしまう)。むしろ、大多数の人は、思想犯なんてどうでもいいから、危険な人は病院に入れて出さないでおいてほしい、と思ってるわけですね。大多数の精神障害者はいい人ですよ、と言ってみたところで、ある確率で精神障害者による事件が起きることは避けられない以上、一般の人に対する説得力には乏しい。では、精神科医としてどういう論理で「精神障害者の犯罪から社会を守れ!」という声に反論をしていくことができるのか。保安処分を強化することによって、私たちの社会から失われるものはあるのか。それはいったい何なのか。そういうことを考えるヒントになりそうな本であります。

ギブスン

1967年のカナダのヒッピーの生態を紹介したニュース・フィルム。前半に登場する、茶色い服でやせたメガネの青年「ビル」は、19歳のウィリアム・ギブスンその人(要Windows Media Player)。

3Dディスプレイ、ヨーロッパで発売

『終戦のローレライ』にも出てきましたね、こういうの。開発したActuality Systemsのサイトによればお値段は40000ドルらしい。あと10年もすればフルカラー化されて個人でも買えるくらいになってないかなあ。普及するとしたらきっかけはもちろんポルノでしょうが。

2003年5月2日(金)

[読書]小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ』(講談社)

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 メフィスト賞受賞作にはめずらしいハードカバー。
 「いつかお前たちの周りで、誰かが〈のっぺらぼう〉を見るようになったら呼んでほしい」。そういって姿を消した兄。そして20年後、息子が突然、人の顔が〈のっぺらぼう〉に見えるようになった、と言い出した。兄さんに会わなきゃ……というオープニングに、同じハードカバーのメフィスト賞受賞作『ダブ(エ)ストン街道』みたいなファンタジーなのかな、と思って読んでいたら、途中から死体がごろごろ転がりだして、おややっぱりミステリだったのかと思ったら、最後には……(以下自粛)。
 ううむ、私にはいささか食い足りない小説でした。読みどころは、ノスタルジーあふれる「パルプ町」の描写なのだと思うのだけれど、どうも作者と私ではノスタルジーのツボがずれているのか、さあノスタルジーを感じてくれぇ、と言わんばかりの描写にはあざとさを感じてしまう。それに、結末はいくらなんでも唐突すぎます。いきなりマレビトだのタガイモノだのいわれても、全然納得いきませんよ。

ピノコ!

 腹痛で病院を訪れ、手術を受けたカザフスタンの7歳の少年ムーラット君。外科医がムーラット君の体内で発見したのは、双子の兄弟の胎児! 胎児は腫瘍化していたものの、髪の毛や、爪、骨格を持っていて、7年間、ムーラット君の血液から栄養を得て体内で寄生生物のように成長してきたらしい。もともとムーラット君はシャム双生児になるはずが、体内で双子が成長してしまったということのよう。

ロボワル

香港コカコーラが「ロボワル」のフィギュアをおまけにつけて、鉤十字マークがついている! とユダヤ人から非難を浴びているらしい。うーんロボワルは「卍」で、鉤十字なのは弟のロボガキだったと思うんだけど。しかしなぜに今ごろロボコン。

ニコラ氏って

そりゃエジソンのことをトマス氏と呼ぶようなものなのでは。それに最後のところの千乃正法が分派した「某カルト教団」というのはGLAのことだと思うのだけれど、GLAに麻原が出入りしてたって話は聞かないけどなあ(高橋信次の本は読んでたらしいけれど)。どうも無理矢理オウムにつなげているような記事ですね。
 ついでに、アメリカの情報公開法で公開されたFBI調査ファイルの中から、ニコラ・テスラ
 そのほかにもジョン・レノンアルバート・アインシュタイントーマス・マンマリリン・モンローウィルヘルム・ライヒテッド・バンディなどいろんな報告書が公開されてます。
 もちろん、ロズウェル、マジェスティック12、プロジェクト・ブルー・ブックなどUFO関連の文書もここに。

2003年5月4日(日)

SFセミナー

きのう今日とSFセミナーだったのだけれど、いちおう(名ばかりだけど)スタッフなのであれこれ言うのはやめときます。というか、4日朝に見たアバレンジャーのあまりの暴れっぷりに呆然としてすべてを忘れてしまったような。どんな話だったのかはこちらを参照のこと。

2003年5月5日(月)

全国IQテスト

しかし、イギリス人ってのはものすごいことをやりますね。BBCが、Test The Nationと題して全国IQテストを行ったそうな。日本で言えばNHKが全国規模のIQテストをやったようなものである。

 結果もこちらで公表されているのだけれど、それによれば

・地域別にみると北アイルランドがいちばんIQが高い。
・体重が重いほどIQが高い。
・酒を飲む人の方が飲まない人よりIQが高い。
・収入が高いほどIQが低くなる。
・女性より男性の方がIQが高い。

 ということになっております。理由はよくわからん。まあ母集団の数もどこにも書いてないし、統計的に有意かどうかもわかりませんが。
 しかし、日本じゃこんなの公表したら大問題でしょうね。イギリスは日本のような歪んだIQ神話に侵されてないからこそ、あっけらかんとこういうテストができてしまうのかも。

白装束

例の白装束の団体、彼らの言っていることは確かにヘンなのですが、やっていることはというと非常に古典的でわかりやすい気がするのですね。彼らが白い布を張って作っているもの、あれは結界でしょう。例のスカラー波除けのステッカーは要するに護符です。あれは回路図として科学的にどうこう言うより、むしろあの紋様にこそ意味があるのですね。渦巻きや同心円に呪術的な力があるというのは古来から全世界に共通する思想です。つまり、共産ゲリラ=悪霊、スカラー波=邪気、ステッカー=護符、白い布=結界というわけ。そうした非常に原初的な呪術と(擬似)科学がダイレクトにくっついているのが、あの団体のおもしろいところ(考えてみればオウムもそうでした)。
 宗教的権威が失墜して久しいこのご時世、悪霊がどうのと宗教的用語を使っても誰にも相手にされないから、まだまだいちおう権威ということになっている科学の用語を使って煙に巻くというのは正しい戦略といえるんじゃないかな。

2003年5月7日(水)

「周知のように」禁止令

小難しい専門書などを読んでいると、「周知のように」「周知のごとく」などという言葉が出てくることがよくある。


しゅうち【周知】(名)スル
広く知れ渡っていること。また、広く知らせること。「―の事実」「趣旨を―させる」
(goo国語辞典)

 というように、「周知」といえば、広く知れ渡っていることのはず。
 しかしなぜか専門書の場合、「周知のように」のあとに出てくる内容はといえば、これがやたらと難しい知識なのですね。知らんがな、そんなもん。だから、「周知のように」と言われるたびに、なんだか小馬鹿にされているような気分になってしまう。「この程度のことも知らないような輩に、わたくしの書いた高尚なこの本を読む資格なんてありませんことよ、ホホホ」とでも言われたような気分なのだ。
 Googleで検索してみると、「周知のように」は8040件。「周知のごとく」は873件。以下に引用するのは、ネット上にある膨大な「周知の事実」のごくごく一部。

周知のように、教科書的な理解としてのコントの哲学的な視座は、啓蒙思想を受け継ぎつつ、人間の進歩としての理性をベースに諸学を体系として示すというものである。

周知のように、デュルケームは、生物の細胞が細胞を構成する諸分子の性質に還元できないということを例に、個人に対する社会の創発的な特質を説明した。

周知のように,赤外分光法は表面の研究に応用された分光法のうちで最も古い歴史を持つものである。

周知のように、1980年代に入って、イノシトールリン脂質から、レンガの破片として、、ジグリセリド、イノシトールトリリン酸という酵素活性や細胞内カルシウムの動態を調節する、細胞にとって重要な機能分子が造られることが発見され、膜脂質の研究は新しい段階に突入しました。

周知のように、チュヴァシ語は、ハザル(ハザール)や古ブルガルの言語と同系統のテュルク系言語であり、アルタイ言語学上、非常に重要視されている。

周知のように、サミュエルソンは、たとえ多数の異質的な資本財の存在を認めたとしても、同質的資本財の存在を仮定した場合と本質的には同様の巨視的生産関数を導出することができるということを示そうとしたのであったが

周知のようにデリバティブズ市場の拡大は、数理ファイナンスと呼ばれる基礎理論研究の発達と表裏一体であり、両者の間には市場の拡大がさらなる高度な研究を促進するといった好循環が存在している。

周知のごとく、ランボーの「母音」解釈にセンセーションを巻き起こしたのはロベール・フォリソン説であった。

宮崎観光の大立者は周知のごとく宮崎交通の創始者・岩切章太郎である。

カイコの神経系は,周知のように,各体節ごとに神経細胞の集合体である神経節を有し, それが脳を基点として食道下神経節,胸部・腹部・尾部神経節へと神経索が直列につながった "はしご型 "神経系から構成されている. しかも各体節からは横に神経が伸び,体壁の筋肉や感覚器を連結している。したがって,周知のように,産下行動は主に腹部神経節によって支配されている点は自明である.


 「周知のように」二連発。しかも「自明である」との合わせ技。おまけにどう考えても全然周知でも自明でもないのもポイント。
 「周知」という言葉を使っていない似たような例には、こんなのもある。斎藤環が『博士の奇妙な思春期』の中で「やおい」について論じている文章。

バリントのいわゆるオクノフィリアとフィロバティズムの対比がただちに連想されるだろう

 いや、普通連想しません。
 しかし、なぜにちょっと知識のある人間は、こんなこと誰でも知ってるもんね、という顔をしたがるのか。だいたい、専門書で「周知のように」なんて言葉を使う意味がどこにあるのか。単に「こんな知識は、私の膨大な知識の中じゃ初歩の初歩だもんね」と優越感にひたりたいだけとちゃうのか。「周知のように」なんて形容取り払っても、文章はそのまま意味が成り立つじゃないか。
 というわけで、私はここに「周知のように」禁止令を提唱したい!

2003年5月9日(金)

[映画]X-メン2

『X-メン2』を観ました。いちばん手に汗握るのが冒頭の大統領襲撃のシークエンスで、あとはどんどんつまらなくなっていく一方というのはどういうわけだ(中盤のマグニートー脱走シーンは、いかにも超能力アニメ調でよかったけど)。
 いや、深く突っ込めば面白くなりそうなエピソードはいくつもあるのですよ。しかしいかんせんすべてが中途半端。たとえばストライカーとその息子のエピソードとか、アイスマンとその家族の関係とか(あの弟は、天才児である兄にコンプレックスを抱いて育ってきたんだろうなあ)、同じ迫害を受けながらも信仰に救いを求めたナイトクロウラーと怒りを原動力に生きるストームの対比とか、同じ能力を持つ敵と戦わざるを得ないウルヴァリンの苦悩とか、ダークサイドに惹かれていくパイロの心の動きとか、人間の間に広がるミュータント弾圧運動とか。
 あまりにもひとつひとつのエピソードがさらりと流されすぎていて、語られざるエピソードを脳内補完しながら観ないとさっぱり楽しめません。ウルヴァリンの過去の秘密(ひっぱりすぎ)とかジーンをめぐる三角関係とか、そんなのどうでもいいから、もっとひとつのエピソードをふくらませて描いてくれよ!
 しかしナイトクロウラー、ジェイソン置き去りってのはどうかと。それでもクリスチャンですか。ジェイソンも死に方があっけなさすぎます。最後の最後に人間らしい感情が甦って「父さん……」とか呟いて涙を流しながら死んでいく……というのを期待してたんだけどなあ(★★★)。

ザ・リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

予告編では早くも『ザ・リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』がかかってました。期待してはいるんだけど、なんだか今ひとつな予感。

パナウェーブ研究所みたいな終末思想を持つ先鋭化した団体で懸念されるのは、オウムみたいに他者に危害を加える方向より、むしろヘブンズゲートとかブランチ・ダヴィディアンみたいな集団自決の道なんじゃないだろうか。しかも、マスコミが追い回し、行く先々の自治体が排除することによって、ますますその危険性は高まってきていると思うのだけれど、そうして加害者になった場合の覚悟はできてるのかな?>マスコミ

2003年5月10日(土)

nDiary

 試験的にnDiaryを導入してみました。tDiaryでもはてなでもなくnDiary。微妙にコミュニケーションから背を向けた選択は、やはり読書系の人間の定めでしょうか。しかし、締め切りあるのに何やってるんだ私は。

[読書]オーシュ卿(ジョルジュ・バタイユ)『眼球譚(初稿)』(河出文庫)

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 なんだかこのところ往年の富士見ロマン文庫みたいな様相を呈している河出文庫の新刊。「背徳の書」として有名な本なんで読んでみました。
 ああ、もっと多感だった若い頃に読めばよかった、というのが実感。玉子や眼球や睾丸といった球体へのオブセッションを軸に、露出、排泄、乱交、殺人、マゾヒズムといった背徳の宴が繰り返されるのだけれど、どんな倒錯行為の描写にもひととおり慣れきってしまった身にとっては、それほど罪深さを感じるものでもないのですね。クライマックスでは、教会での神父陵辱を叩きつけるような筆致で描いているのだけれど、それを読んでも逆に、ああ作者はそれほどまでに神を愛しているのだなあ、と思うばかり。神など信じたくても信じられない21世紀日本の我々にとっては、神を冒涜することにそれほどまでに情熱を傾けられるというのは、むしろうらやましく感じられてしまう。
 そう、実に若々しくてうらやましいのだ。この作品では倒錯行為ひとつするのでも、肩に力が入っていて、「俺は倒錯をするのだ!」というエネルギーがみなぎってます。なぜかというと、この作品に描かれている倒錯は、結局のところすべて「何か(特に神)を冒涜する」ための倒錯であって、いわば「大義」のある倒錯なのですね。それに対して現代の例えば足フェチとか二次元キャラ萌えみたいな倒錯には神なんてどこにも関係してない。ただそれが好きだからそうするだけ。自然体なのですね。
 あと、殺人を犯して逃げる先が陽光眩しいスペインというあたりがいかにもフランスらしくてこれまたうらやましい。かつてこのへんで「フランス人もあんまり北には逃げそうにない」と書いたけど、まさにそのとおり。日本人なら絶対北に逃げるね。
 ちなみに、この小説で私が最も興味を惹かれたキャラクターがシモーヌでもマルセルでもなく、マゾヒストのエドモンド卿だというあたりが私の性格を物語っているのかもしれない。


Ganerated by nDiary version 0.9.4
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Written by Haruki Kazano