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8月10日(土)

栗本薫『運命の糸車』(ハヤカワ文庫JA)読了。ついにメインキャラ2人が直接対決したり、最初期から登場していた(その割には出番が少なく不遇だったけれど)キャラクターが大きな運命の変転を迎えたりと、かなりドラスティックな展開のある巻なのだけれど、不思議に今ひとつ盛り上がりに欠けますね。キャラクターが自分の意志で動いているというよりも、物語の都合によって動かされているように感じられてしまうのが残念。

8月9日(金)

▼あれはなんていう名前なんだろうか、車庫と車道の段差のところに置く板。道を歩いていると、車のある家の前には必ず置いてあるところをみると、目立たないながらもかなり売れている商品とみえる(私は車を運転しないのでわからないのだが)。だいたいすべりどめのためにギザギザが入っているのだけれど、ときおり、何やらローマ字で文章が書いてあるのを見かける。
 昔の漫画だと、コマのすみにローマ字で作者のひとりごとが書いてあったりしたものだが(小山田いくとか)、ちょうどそんな感じである。文字とあれば何であろうが読まずにいられないのが活字中毒者の宿命。段差のところに置くやつに書かれた文字を読んでみたところと、そこにはこんなことが書いてあった。
NINGEN ITARUTOKONI SEIZANARI
MIOSUTETEKOSO UKABUSEMOARE
NARANUKANNIN SURUGA KANNIN
ZINZIOTUKUSITE TENMEIOMATU
MATEBA KAIRONO HIYORI ARI
 諺である。しかも妙に抹香臭い。いかにも中小企業の社長あたりが好みそうな諺ばかりである。しかし、なんでまた段差のところに置くやつなんぞに説教されなければならないのか。だいたい「人間至るところ青山あり」の読みは「じんかん」じゃないのか。
 そして最後の行はこうくる。
KOROBANUSAKINO 「STEPACE」
 なるほど、この段差のところに置くやつの商品名は「ステップエース」というらしい。つまり、この段差のところに置くやつは、自分自身を宣伝していたというわけなのか。
 しかも、浮き彫りになったこの文字は、車の滑り止めという機能と、自らを宣伝する機能をあわせ持っているということになる。諺のセンスはともかく、ふたつの機能を兼ね備えているあたりが製品としてなかなか美しいではないですか。ただ、私としてはたとえ車を買ったとしても、こんな諺が書かれた段差のところに置くやつだけは買いたくないと思ったのだけれど(それじゃダメじゃん)。

▼恩田陸『月の裏側』(幻冬舎文庫)、栗本薫『運命の糸車』(ハヤカワ文庫JA)、神林長平『宇宙探査機迷惑一番』(ハヤカワ文庫JA)、我孫子武丸・田中啓文・牧野修『三日月島奇譚』(チュンソフト)、フランツ・カフカ『掟の問題ほか』(白水社)購入。

8月8日(木)

グラハム・フィリップス&マーティン・キーツマン『聖杯の守護者』(中央アート出版社)を読みました。いつものように「読了」でないのは、途中で投げ出してしまったから。さすがにこれは読めないよ、私には。
 日本でも「○○山は実はピラミッドだった」とか何とかという超古代史本がけっこうな数出ているのだけれど、イギリスはまさに超古代史の本場。なんせ、ストーンヘンジをはじめとする謎の巨石遺跡やら古代の墳墓やらがそこらじゅうにある国である。その手の本が出ていないはずがない。
 この本は、そんなイギリス製トンデモ本の中でも質の悪い方なんだろうなあ、たぶん。それでも、まずはUFOアブダクションから始まって、ストーンヘンジにエジプト、アーサー王伝説、薔薇十字団、聖堂騎士団などなど、これらをすべて結び付けてしまう荒業にはびっくり。おまけに悪の秘密結社があって、著者たちに攻撃を仕掛けているとか言い出す。ただし、その根拠はどこにあるのかというと、すべてチャネリングと霊感なのですね。学問的根拠などまるでなし。昔どんなことがあったかも、次にどこにいけばいいのかも、全部霊能者による霊感によって知らされる。かくして、出来事は霊感オンリーで進んでいく。
 こうなると、読んでるほうとしては、はあそうですか、としかいいようがない。確かに帯にも「超常ノンフィクション」と書いてあるんですけどね。超常系の人というのは、こういうのを読んで「なるほどそうなのか」と信じられるのかなあ。そのへんの心理が私にはどうしてもわかりません。

▼言わずもがなの註釈ではあるのだけれど、きのうの「ミノルのSF」がなぜミノルかというと、このへんからきています。

8月7日(水)

▼なんか日記の更新が滞ってますね。すいません。

▼SF大会に行って、改めて衝撃を受けたのが、その平均年齢の高さである。
 SF大会参加者の平均年齢は毎年1歳ずつ上がっていく、というのはよく言われる話なのだけれど、それは決して冗談ごとではない、ということを実感しましたね、私は。SF界の高齢化は着実に進んでいるのである。こうなると、もう先細りは目に見えているではないか。そのうちSFは伝統芸能と化し、政府に保護されて細々と続いていくものになってしまうのかもしれない。
 もうそろそろ、SF界の少子高齢化の問題について真剣に考えるべきときに来ているのではないか。
 SFも、業界全体として、何か若者を呼び込むための方策を考えた方がいいんじゃないだろうか。
 たとえばこういうのはどうか。
 少年誌にSFのマンガを連載する。
 そんなのいっぱいあるじゃないか、SFマンガやライトノベルを読んでいても、SFに移行しないのが問題なのではないか、と思う人もいるだろう。
 そうではない。SFマンガではなく、SF作家を描いたマンガを連載するのだ。タイトルは、そう、「ミノルのSF」はどうか。

 おじいちゃんの書庫で古いSF小説を見つけ、ぱらぱらとめくっていたミノル。そのとき、突然ミノルに昭和時代のSF作家の霊がとりついた! SF作家は、未完に終わった大作を完結させたい一心でミノルにとりついたのだった。霊の助けを借りてSFを学び始めるミノル。ミノルはまず中学のSF研究会に入会、続いて小説をSFマガジンに投稿。霊の力を借りて書き上げた小説は審査員一同の大絶賛を受ける。中学生にしてプロへの道を歩み始めたミノルだが、彼の前にはライバル(大物作家の息子とか、未完の作品を完結させるのは俺だ、と主張するサイファイ作家とか)が立ちはだかるのだった。ミノルの挑戦は続く。神の一行を目指して!

 生き霊ということで。

8月6日(火)

▼当直。

▼掲示板で、「高飛び」なのに陸路とは納得がいかない、というような書き込みがあったのだけれども、私は「地下活動」が地上で行われるのには納得がいきません。地下に潜伏したテロリストは入り組んだ下水道網の奥にあるアジトに潜んでなきゃいけないし、地下出版物は地下の巨大な印刷所で印刷しなきゃいけない。アングラ芝居は当然地下劇場で上演されるべきであろう。

▼竹本健治『フォア・フォーズの素数』(角川書店)、西澤保彦『人形幻戯』(講談社ノベルス)、八木剛平・田辺英『日本精神病治療史』(金原出版)購入。

8月5日(月)

妻の両親と息子を殺害したあげく、妻を連れ去って逃亡していたという事件。まことに不幸なことなのだけれども、世の中には暴力を振るうことによってしか自分の優位を誇示できない人というのが存在するのです。たとえば、池田小事件の宅間被告もそういうタイプですね。そういう人は、他者に暴力を振るうことによって自分の強さを示せば、別れた妻も振り向いてくれるんじゃないかなんて、そんなことどう考えてもあるわけないようなことを、本気で思ってしまいかねないわけです。ま、こういう思考というのは、ドラゴンを倒せばお姫様は俺のもの、という古来からあるパターン通りで、人間の心に染みついているんじゃないかとも思うんですが。
 しかし、私がこのニュースでいちばん気になったのはそういうことじゃなくて、行くあてもなく逃避行を続けた果てが、富山だったということ。北である。日本海である。そういえば、以前岡山で母親を殺害して自転車で逃亡した高校生も、逮捕されたのは秋田。やはり北。日本海。
 逃避行といえば北、という発想もやっぱり、人間の心に染みついているんだろうか。南に向かった逃亡者というのは、石垣島で逮捕されたオウムの林泰男くらいのものじゃないだろうか。
 ただ、逃避行=北というのは日本人特有の発想ですね。これがアメリカなら、北のカナダじゃなく南のメキシコに逃げそうなもの。フランス人もあんまり北には逃げそうにない。イギリスでは日本と同じく北かな。荒涼としたハイランドなんて、いかにも潜伏に向いてそうだ。イギリスの逃亡者の例はほとんど知らないのだけれど、スチュワート家の王位継承者ボニー・チャーリーが、イングランド軍から逃れて向かったのはハイランドだった(その後彼はフランスに渡るのだけれど)。
 私が考えるに、このボニー・チャーリーと同じく、日本にも「逃避行=北」という発想の元になった人物がいますね。もうおわかりでしょう。そう、源義経。北への逃避行を繰り広げる人々の心の奥底には、源義経がいるんじゃないかと思うんですが、どうですか。

8月4日()

▼小さい頃、うちに歯車のおもちゃがありまして、私はこれがけっこう気に入っていたのですね。まず、紙の上に半透明なプラスチック盤を置く。プラスチック盤には、大小さまざまな歯車型の穴があいていまして、内側に小さな歯車を入れて歯をかみ合わせるようになっているのですね。小さい方の歯車にはいくつか穴があいていて、この穴にペンを突っ込んでぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる何十周も回すとあら不思議、紙の上には花のようなきれいな模様が描かれているという寸法。
 歯車は大小いくつかそろっていて、しかも穴のあいている場所もいくつもあるので、毎回毎回違った模様が描ける。しばらくのあいだ私は飽きずにそのおもちゃで遊んでいたものです(ひとりっ子だったので独り遊びが多かったのだ)。
 ただし、歯車が少しでもずれるともう模様は台無し。特に円の外周近くの穴にペンを入れた場合は難易度が高くて、微妙な力の入れ具合が必要なのですね。完成直前に歯車がずれたときなど、思わず「ウキーッ」とキレそうになったものである。
 ちょっと検索して調べてみたのだけれど、このおもちゃは「スピログラフ」というものなのだそうだ。描かれる曲線は、要するに「定円の内側を転がる円の内点の軌跡」であって、数学的にはサイクロイド曲線の一種で、「内トロコイド」というらしい。子ども向けとはいえど、実に数学的なおもちゃなのであった。
 当然ながら、JAVAアプレットでスピログラフが描けるページもいくつもあって、こことかこことかで簡単に美しい図形を描くことができます。
 しかし、あの頃感じていた、ずれないように慎重にペンを進める緊張感、いったいどんな図形になるんだろうという期待感は、もちろんJAVAアプレットでは味わえない。
 なんか、最近じゃ電動版もあるらしいのですが、元祖スピログラフは今も売ってるのかなあ。最近の子どももスピログラフで遊ぶんだろうか。

8月3日(土)

名前の神秘。兄弟のうちひとりはLoserと名づけられ、もうひとりはWinnerと名づけられたのだそうだ。成長したLoserは警察官となり、やがて刑事に。一方Winnerの方はというと泥棒になり、31回の逮捕歴があるとか。人間名前どおりにはいかないものらしい。
 いちばん気になるのは、なんでまた子どもにLoserなんて名前をつけたか、ということなのだけれど、なんでも、父親が「生まれた子どもになんて名前をつける?」と娘(兄弟の姉ですね)に訊いたら、「うちにはWinnerがいるんだから、今度はLoserにしましょーよ」と答えたからだとか。いや、それを真に受ける父親も父親だと思いますが。

8月2日(金)

小川一水『導きの星II 争いの地平』(ハルキ文庫)読了。1巻の感想では、遅れた異星種族を導く、という設定のパターナリズムが気になる、というようなことを書いたのだけれど、そこはこの作者のこと、そんな単純な話ではないのであった。
 本筋はというと、もちろん一章ごとに発達していく異星文明と、それを見守る観察官たちの物語なのだけれど、どうやらその裏では星間企業が暗躍しているらしいし、さらには地球政府も何やら秘密を隠しているらしい……と、3つのレベルの物語が同時に進行しているのですね。今はまだこれらがどう融合するかはわからないのだけれど、続きがどうなるのか楽しみ。
 このシリーズでは、たとえば現場で働く人々の矜持であるとか、メカへのこだわり、女性キャラの元気さ(笑)といった、いつもの小川一水らしさは影をひそめているのだけれど、ストーリーテリングの巧みさは相変わらず。次の時代を担うSF作家として大いに期待できる作家である(よく考えてみれば、小川一水の本格SFってこれが初めてかも)。

▼すでに谷田貝さんが書いてますが、今発売されている『ゲーム批評』という雑誌のホラーゲーム特集に、私のインタビューが載ってます。
 どうせ以前のAERAとかのときみたいにちっちゃく載るんだろうな、と思っていたので、全然準備もせずにものすごくいいかげんなことをしゃべったのだけれど、なんと4ページもの記事になって、表紙にまで記事タイトルが載っているとはびっくり。こんなに載せるんなら謝礼くらいくれよゴルァとはいいませんが。ええいいませんとも。
 ただ私としては、どんなこと書かれるかわからないインタビューよりは、たいへんだけれども自分で書く方が好きですね。しゃべるの苦手だし。

8月1日(木)

▼馬鹿げたような暑さ。
 東京新聞の天声人語みたいなコラムで、暑さを詠んだ俳句がいくつか紹介されていたのだけれど、その中でもっとも私の心にヒットしたのがこの句。
念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城
 一瞬でも気をゆるめれば死んでしまうのだ。まさに灼熱地獄。念力でバリアでも張っているのか。もうこれは超能力SFの世界である。やるな、鬼城(鬼城は、「冬蜂の死にどころなく歩きけり」で有名な俳人ですね)。
 念力といえば念力家族。というわけで、なんだか、ふと念力家族(今年中に第一歌集刊行と書いてあるんだけど、いったいいつ出るんですか。出たら絶対買いますよ私は)を思い出してしまった私である。
注射針曲がりて戸惑う医者を見て念力少女の笑顔眩しく 笹公人


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