▼デイヴィッド・ホロビン
『天才と分裂病の進化論』 (新潮社)、エドガー・パングボーン
『デイヴィー 荒野の旅』 (扶桑社)、F・ポール・ウィルスン
『異界への扉』 (扶桑社ミステリー)購入。
『デイヴィー』の帯によれば、扶桑社からは今後、ハーラン・エリスン"Deathbird Stories"と、ウォルター・テヴィス"The Man Who Fell to Earth"が出るそうな。テヴィスのはデイヴィッド・ボウイ主演の映画『地球に落ちてきた男』の原作ですね。
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物理学者の都筑卓司氏死去 。『パズル物理入門』『四次元の世界』『マックスウェルの悪魔』などなど、ブルーバックスでの一連の著作は、科学少年だった私の愛読書でした。SF者としての今の私を作った本といっても過言ではありません。
ご冥福をお祈り……と書こうと思ったのだけれど、「故人の遺志により葬儀・告別式は行わない。(注)通夜も行わない」とあるので、「冥福」などという宗教的な言葉で死を悼むのはふさわしくないかもしれない。
冥福は祈りません。科学の楽しさを教えてくれた都筑氏に、ただただ、感謝の気持ちを捧げます。
▼ 東野圭吾
『トキオ』 (講談社)読了。「トキオ」と名づけられた息子が、時を遡って自分が生まれる前の父親に会いに行く物語……というと、なんとなくSF界の某氏を思い出してしまうのだけれど、もちろんまったく関係なし。
東野圭吾は比較的SF的設定をよく使う作家だけれど、この作品は時間SF的設定を使ってはいるものの、中身は完全に普通のサスペンス。SFのように設定にこだわって物語を進めるのではなく、あくまで設定は空気のような背景として使われてます。SFとしての興趣は薄い作品ですね。
まあそれはいいのだけれど、父と息子の絆の物語かとおもいきや、途中からは「千鶴」という父のガールフレンドが行方不明になり、それを探しに行く話になってしまうというのはどうかと思います。読者としては、父と結婚するのが千鶴ではないことを知っているだけにどうしても「千鶴なんてどうだっていいよ! それよりトキオと父親の話を読ませろよ!」と思ってしまうのですね。
それに、時間旅行という設定にしても、わざわざグレゴリウス症候群という架空の病気まで作ったところにしても、もうちょっとそれを物語の本筋にうまくからめてほしかったんだけどなあ。設定がもったいない、と思ってしまうのはSFファンだからでしょうか?
さすがに小説の巧い作者だけあって、一気に読まされてしまう作品なのだけれど、物語としての完成度はいまひとつのような気がします。
▼ 牧野修
『バイオハザード』 (角川ホラー文庫)読了。牧野修久々のノヴェライズものである。いつものねっとりとした文章は影をひそめているし、ページの下半分が白いし、視点にもブレがあるしと(まあアクションホラーに適した文体ともいえるのだけれど)、一見牧野修らしくない、全体にかなり流して書いたような印象の作品にみえる。
ただ、映画じゃミラ・ジョヴォヴィッチが演じているヒロインは、もともとお色気担当のセクシーな役どころのはずなのに、小説版ではセクシーさのかけらもなく、どこか壊れたマッチョな女にしか見えないあたりはいかにも牧野修(おまけにもうひとり、ほとんど区別のつかないマッチョな女が出てくるのである)。さらに、ゲーム版の設定を完全に無視した、なんとも厭なエンディングも牧野印(ほんとに映画でもこんなエンディングなんだろうか)。やっぱり、ノヴェライズでも牧野修は牧野修なのであった。ただ、ゲーム版の設定はまったく反映されていないので、「バイオハザード」シリーズの熱心なファンが読んだら失望するかも。
▼話題のドリンクSmap!を飲む。
普通にうまい。
所詮あるものをおいしいと感じるかどうかなど、慣れの問題なので(最初飲んだときはまずいと思ったポカリスエットも、今ではおいしく飲めるように)、常日頃からドクター・ペッパーを飲みなれている私にとっては、それほど奇異な味とは思われないのであった。どうもオロナミンCを連想している人が多いのだけれど、そうかなあ。私には、ガラナに近いように思えたのだけれど。
ここは期間限定などとはいわず、ドクター・ペッパーやメッコールみたいに、ごくたまに自販機で見かけるような通好みの飲み物になってほしいものです。
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マウスパッドの新しい使い方 。
▼『タイムマシン』 を観てきました。
H.G.ウェルズの古典SFの映画化。正直言ってそれほど期待していなかったのだけれど、これはなかなかの拾い物。傑作とまではいかないものの、小粒な佳作に仕上がってます(まあ、出てる俳優も地味だし、それほどヒットするとも思えないのだけれど)。
成功の秘訣はといえば、あんまり原作どおりにしなかったことですね。だいたい、『タイムマシン』という小説は、古典としての価値はあるものの、今読んだらそれほど面白いものではない。それにエロイ人とモーロック人の設定は、原作が書かれた19世紀じゃなきゃ通用しないものだろう。この映画では、80万年後の世界にタイムトラベルした主人公が、エロイ人とモーロック人に出会う、という骨子こそ同じだけれど、原作を大胆に改変して現代風の物語に仕上げてます。
特に、時間を超える場面での風景のめまぐるしい変化は今までありそうでなかった描写だし、80万年後と19世紀とをダブらせたラスト近くの場面のアイディアもうまい。ジョージ・パル版へのオマージュや、何やらスタトレを思わせるところもあったりして、マニア向けのくすぐりも充分。
特に、モーロックのリーダーに扮したジェレミー・アイアンズのお姿は一見の価値あり(★★★☆)。
▼きのう書いた『ゲーム脳の恐怖』を報じた
毎日新聞の記事 を見つけました。この記事が出た直後に単行本が出たので驚いたのだった。
改めて記事を読んで驚いたのは、学会発表が秋(11月だそうだ)と書いてあること。普通、研究成果を発表するときには、まず学会発表と論文を先にするもんでしょう。それなのに森教授の場合、まず新聞記事と一般向けの新書をほぼ同時に出し、学会発表ははるか先の秋、論文なんて影も形もない。これはどう考えても普通じゃない。マスコミ受けを狙ったとしか考えられません。はっきり言って、査読のない単行本で発表したところで、学問的には何の価値もありませんよ。ただ、もしこれから書かれるであろう論文の論旨が新書版と同じなら、とても一流誌の査読を通るとは思えませんが。
誤解されないように言っておくと、私は別にビデオゲーム擁護派じゃありません。『ゲーム脳の恐怖』の著者の主張をすべて否定するつもりはないのです。ゲームが子どもの成長に悪影響を与える可能性は当然あるでしょう。たとえば著者の主張の中で、母親が子どもにゲームばかりやらせておいて、親子のコミュニケーションが極端に少ないと、子どもの言語の発達が遅れる、というあたりは充分ありうることだと思います。
『ゲーム脳の恐怖』の最大の問題点(であるとともに、最大の笑いどころ)は、データ自体はなんとでも解釈できるのに、そこからあまりにも牽強付会な結論を導き出している(というより、はじめから決まった結論にもとづいてデータを解釈している)ところですね。こんなの科学じゃないよ。
ある本がトンデモ本であるということは、結論が間違っているということではありません。たとえ結論が正しかろうと、議論の進め方が笑えるほどに間違っていれば、それはトンデモ本なのです。
▼そういえば、今年のトンデモ本大賞の候補に上がった
畑山博『地上星座学への招待』 を出していたのもNHK出版の生活人新書だったな。NHK出版って……。
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イチローと佐々木が“アメコミ”主役に 。「イチローや佐々木がボールやバットを“武器”に、怪物(シアトル奥地に住む伝説の猿人という設定)を退治するというストーリー」だとか。
マリナーズのページ によると、「シアトル奥地に住む伝説の猿人」というのはビッグフットのことらしい。あー、間違いなく下らなそうだけれど読みたいなあ。
どんなコミックだろう、と思って探してみたら、
ありました 。なかなか頭悪そうでいい感じです。
ちなみに、記事にある野茂が出てくるアメコミの表紙は
これ 。どれが野茂だかわからん。
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日本版パニック・ルーム 。パニック・ルームを作るくらいなら書庫作りますよ私なら。
▼ 森昭雄
『ゲーム脳の恐怖』 (NHK出版 生活人新書)読了。
しばらく前の毎日新聞夕刊だったと思うのだけど、1面のトップに「ゲーム脳」がどうとか、という耳慣れない見出しを見かけたときには驚いたものである。記事の内容はというと、「テレビゲームばかりやっていると痴呆と同じ脳波になる」という研究結果を紹介して「ゲーム脳」の危険性を訴えるもの。あー、またこの手の研究かよ、しかし1面トップにするほどの記事か? と思っていたのだけれど、それから数日して書店にこの本が並んでいたのには、さらに驚いた。大新聞の一面使ってプロモかよ!
なんかおどろおどろしいタイトルだけど、どんなことが書いてあるんだろう、と思って読んでみると、予想したとおり、いや予想以上に偏見に満ちていてずさんきわまりない本でげんなり。まさか21世紀の今どきになって、これほどまでにひねりのないゲーム悪玉論が復活するとは思わなかった。
まず、まえがきからして萎え萎えである。
著者は幕張メッセで開催された「テレビゲームショー」に行って、その異様な雰囲気にショックを受けた、というのだ。
というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見まわしてみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。
このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。
そして、まえがきの最後にはおきまりのフレーズ。
わたしたちはもう一度、未来ある子どもたちが、空想の世界で生きるよりも自然の世界を大切にし、五感を働かせてのびのびと野山を走り回り、親子や友達とのふれあいを大切にするような教育について考え直す必要があります。
いきなりまえがきで結論が出てしまっているのにはびっくりだ。つまりは、こういう結論を前もって用意した上で書かれた本なわけですね。あとはゲームがいかに脳に悪いかを延々と述べる。
論旨は、要するにこういうことである。
痴呆の人の前頭前野の脳波は、β波が少なくてα波が多い(β/α値が小さくなる)。
↓
ゲームをやっている最中の脳波は、β/α値が小さい。
↓
また、ゲームばっかりやってると、ふだんからβ/α値が小さい脳波になる(これを著者は「ゲーム脳」と呼ぶ)。
↓
ゲームばっかりやってると前頭前野の活動が低下して痴呆化するぞ!
これはどう考えても論理的におかしい。痴呆者のβ/α値が小さくて、ゲーム脳のβ/α値も小さいからといって、ゲーム脳=痴呆ということにはならないだろう。実際、α波は痴呆のほかリラックスした状態だとか、視覚的に注意を向けたり精神的な作業をしているときにも増えるので、α波増加=脳機能低下というのはあまりにも乱暴な物言いである。
おまけに、著者は「ソフトウェア開発者8人の脳波を測定してみたところ、8人とも痴呆者と同じ脳波を示した」というのである。その理由として、著者はこんなふうに推論している。
ソフトウェア開発者は、視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、ずっと使い続けているわけではありません。開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。
むちゃくちゃな言われようである。じゃなにかい、プログラマーには創造性はいらず、痴呆とおなじかい。この結果から導かれるのは当然「β/α値が小さいからといって別に痴呆と同じとは限らない」という結論のはずなのだけれど、著者はどうやらそうは考えないようなのだ。
また、本の後半では、「運動をしたあとβ/α値が上がる」ということが述べられていて運動が推奨されているのだけれど、本の前の方のグラフとよく比較してみると、運動をやっている最中のβ/α値は、ゲーム中のβ/α値と同じくらいである。つまり、運動をしてもゲームをしてもβ/α値は低くなるわけである。
著者が言うように、β/α値が低くなるのが悪いことだとするならば、運動も脳に悪いことになってしまう。これを隠すために、この本では姑息なトリックが使われている。運動の方のグラフでは、運動をしている最中からやめたあとまでを掲載して運動後にβ/α値が上がることを強調し、ゲームの方のグラフでは、ゲームを始める前からゲームをしている最中までを切り取り、ゲームを始めるとβ/α値が下がることを強調しているのだ。
最後に、この本を書いた森昭雄という人はどんな人かといえば、カバーには「医学博士。日本大学教授、日本大学大学院教授」とある。ミソはどこの学部の教授なんだか書かれていないこと(おまけに年齢も出身大学も書かれていない)。「医学博士」と書かれていると何だか医学部の教授のように錯覚してしまいかねないが、実はこの人、日本大学文理学部体育学科の教授なのである。なるほど、運動の効用を強調するはずである。
しかし、こんなずさんなトンデモ本が(一見権威があるように思われている)NHK出版から出版され、おまけに大新聞の1面を飾ってしまうとは。ゲーム脳なんかより、それがいちばん怖いですよ、私は。
▼ 平谷美樹2連発!
というわけで、平谷美樹
『君がいる風景』 (ソノラマ文庫)読了。
死んだ美鈴を救うため、10年前の中学生だった自分の中に意識だけタイムスリップした主人公。しかし、タイムスリップを果たした彼は、美鈴がいつどんなふうに死んだのか、すべて忘れてしまっていたのだった……。
あとがきに書かれている通り、少年ドラマシリーズやかつてのジュヴナイルSFへのオマージュですね、これは。
ただ、ジュヴナイルSFを現代に甦らせた、というよりは、かつてのジュヴナイルSFをそのまんまなぞったような感じで、いささか古くささも感じられます。表紙もなんだか昔のソノラマ文庫っぽい古さ。私は楽しく読めたのだけれど、今のソノラマ文庫の読者が果たして面白く読めるかどうかはわかりません。
舞台となっているのは今から10年前の1992年なのだけども、1992年の中学生ってこんなに純朴だったかなあ。ここに描かれているのは、なんだかもっと昔の中学生みたいに思えるんですが、地方の中学生はこうなんでしょうか(まあ、このへんは私より現役教師である作者の方が詳しいに違いないのだけれど)。
ラストには論理的にいささか疑問もあるのだけれど、これまでの作者の作品の中ではもっとも楽しめました。肩肘はって背伸びしていたイメージのある神SFに比べ、中学校にフライフィッシングと、作者にとって身近な題材を使ってるからか、のびのびと書いているように思えますね。
▼牧野修
『バイオハザード』 (角川ホラー文庫)、常光徹
『学校の怪談』 (角川ソフィア文庫)、森昭雄
『ゲーム脳の恐怖』 (生活人新書)、キース・ロウ
『トンネル・ヴィジョン』 (ソニー・マガジンズ)購入。牧野さん、ノヴェライズの仕事は久しぶりですね。
▼ 平谷美樹
『百物語 実録怪談集』 (ハルキ・ホラー文庫)読了。
SF作家の書いた怪談集なので何か仕掛けがあるのかと思ったら、単に普通の怪談集なのであった。実を言えば、私はこの手の実話と称する怪談集が苦手である。どこが怖いのかさっぱりわからないのだ。この手の怪談集はたいがいそうだけれど、何か説明のつかないものを見たり聞いたりした、というだけの話が大半を占めていて、どれも同工異曲だしオリジナリティもないので、続けて読んでいるとだんだん飽きてくる。もっとも、実録怪談というものは、オリジナリティを求めるようなたぐいのものではないのかもしれないが。
30年以上生きてきて怪異な体験など一度もしたことのない(金縛りは何度かあるが、私はそれを怪異だとは思っていない)私としては、これほどまでにさまざまな体験をしている作者が素直にうらやましいのだけれど、どうも私にはこういう実話ものを怖がる回路がないようだ。モダンホラーやスプラッター、文学的ホラーならわかるし、楽しめる。でも、たとえば『新耳袋』や『女優霊』といった実話風作品の世評があれほど高い理由が、私にはどうもよく理解できないのである。どうやら私はホラー評論家にはなれそうにない。
▼ 小川一水
『群青神殿』 (ソノラマ文庫)読了。
いつも現場で働く人々の誇りをディテールにこだわってしっかりと描きつつも、痛快なSFアクションを展開してくれる小川一水。今回の作品の舞台は深海である。あいかわらず完成度の高い作品で楽しめるのだけれど、いくらなんでも元気で前向きで主人公べったりというヒロインのキャラは作りすぎです。主人公の過去だとか危機の乗り切り方だとか、お約束そのままの展開が多いのもちょっと気になる。
また、作者はエンタテインメント作家としては、かなり自分の主張を前面に押し出す作家だと思う。下手に主張を前に出すと、物語から浮いてしまって悲惨なことになりかねないのだけれど、作者の場合、主張と物語の展開が密接にリンクしているので、それほど気にはなりません。このあたりのさじ加減はうまいですね。
ともあれ、小説としての骨格がしっかりしていて、万人に薦められる作品です。
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森山さん もすでに書いているけれど、
特定遺伝子増やしネズミの脳巨大化 米グループ という記事が。
英語版の記事 によると、「マウスはみな生まれた直後に殺されたため、頭がよくなったかどうかはわからない」とのこと。ここで疑問なのは、なぜ研究者たちは、マウスをみな殺してしまったか、ですね。海外のウェブログなどを見ていると、「そりゃもちろん、生かしといたら世界を征服しかねなかったからだよ!」という書き込みがあったりしますが。
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放送中止:NHKが「ER6・緊急救命室」2話分を 。なんでも、放送中止にしたのは、「精神に障害のある患者が医師を刺すシーンがあり、病気に対する誤解や偏見を助長する恐れがあると判断したため」なんだそうだ。私はくだんのドラマを見ていないので本当に誤解や偏見を助長する内容なのかどうかは判断できないのだけれど、もし「精神に障害のある患者が医師を刺すシーンがある」というだけの理由で放送中止にしたのなら、NHKの浅慮には呆れますね。
精神科の患者が医療関係者を刺したり暴力を振るったりするというのは、実際にあることだ。私の知っている範囲でも、患者さんに刺された医者の話はときどき耳にするし、ふだんはおだやかな患者さんに殴られてショックを受け、しばらく休んでいた看護婦さんだっている。もちろん偏見をなくすことは必要だけれども、実際に存在する問題を覆い隠すことでは、決して誤解や偏見を解消することはできないと思うのだけれど。