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7月20日(土)

米田淳一『ホロウ・ボディ』(ハヤカワ文庫JA)読了。
 基本的な感想は、前作とおなじ。なんというか、きわめていびつな小説である。設定に淫した小説、といったらいいか。どうやら冒頭では何か大変な事件が起こったようなのだけれど、別に緊迫した様子は全然感じられないし(事件を担当しているはずの女性たち(含むロボット)は、どういうわけかのほほんとマンガを読んだり本を買ったり電車でうろうろしたりしているのだ)、読み進むうちにストーリーは膨大な量の設定説明に覆い隠され、読者には今いったい何が問題になっているのか、登場人物たちが今何をしようとしているのか、さっぱりわからなくなってしまう。
 もちろん、物語としての格好すら犠牲にしたいびつさこそが魅力であるような小説も世の中にはあるのだけれど、この作品の場合、小説としてのいびつさはあんまり魅力に結びついてはいないように思える。作者が熱心に説明する鉄道やらコンピュータやらの設定には物語を犠牲にするほどの魅力があるとはとても思えないし、その説明自体何度読んでもよく理解できない。「人間の心を樹と見るのは、根茎の律動や地下茎の結びつきとして旧来の脳を、樹状の構造で記憶をため込む携帯端末として表示されるのが普通だが、その原理はAMEX_EXという脳磁入力ドライバの基礎原理であり、今はウェブもこの基礎原理に基づいて構築されている」(p.65)って、意味わかります?
 その反面、登場人物の感情の動きはあまりにも唐突で説明不足に思え、これまたよく理解できない。登場人物の誰もが勝手に悩んだり哀しんだり納得したりしているのだけれど、読者はなんでまたその場面でそんな感傷にひたっているのか理解できず、おいてけぼりのままなのだ。もっとも驚嘆すべきなのは、一人の人物が何か悲しみを抱くと(たいがいは「人はなぜ争うの」とかそういうことである)、一言二言口にしただけで、他の人物まで同じ悲しみを共有してしまうこと。テレパスですか、彼らは。
 おそらく自らが創り出したこの世界の中で遊ぶことは作者にとってたいへん楽しいのだろう。それは読んでいてこちらにも伝わってくる。それならば、いったいどこがどのように楽しいのか、どんなところに魅力を感じているのか、読者にもわかるようにちゃんと説明してほしい(いや、説明といっても設定を書き連ねるんじゃなく、物語の展開の中で、ね)。今のままでは、この世界のどこが魅力的なのか、私にはさっぱりわかりません。
 そうそう、「でし」とか「なのねン」といった奇怪な口調が登場するたびに不快感を覚えずにはいられなかったことも言い添えておきます。ま、そういう読者もいるということで。あと、181〜184ページあたりの会話はまったく意味がとれませんでした。
 わからないわからないばかりで申し訳ないのだけれど、本当に理解できないのだから仕方ない。結局のところ、これは作者が自分のために書いた物語であり、他人に読ませる小説にはなっていないように思えます。読んでいてここまで困惑した小説は久しぶりです。

7月19日(金)

乾くるみ『Jの神話』(講談社文庫)読了。むちゃくちゃである(ほめ言葉)。作者の作品では、デビュー作のこれだけ読んでなかったのだけれど、これを最初に読んでたら、その後の作品のどれを読んでも「いやまだまだ『Jの神話』よりはおとなしい」と感じて満足できなかったに違いない。その意味で、その後の作品をいくつか読んで「乾くるみ観」ができた時点でこれを読む、という読み方で正しかったのかも。ともかく、私としては今までの乾くるみ作品の中でいちばん気に入りました。今後もこの路線の作品を希望……といっても、この手は二度とできないだろうなあ。
 あと、作者が本書や『マリオネット症候群』で見せている、「いかにも赤川次郎的な、さらさらと読める女子高生ものを書く才能」にも注目したいところ。そういう文体でむちゃくちゃヘンな話を書いてしまうあたりが、また乾くるみなのだけれど。
 しかし、本書といい『マリオネット症候群』といい、乾くるみにはミステリというよりSFの血が流れているような気がします。

7月18日(木)

ポール・アルテ『第四の扉』(ハヤカワ・ミステリ)読了。ううむ、まさにこれは新本格(その中でも良質なもの)。大胆不敵な密室トリックに、無理ぎみなメタオチまで日本の新本格そっくり。ただ、「フランスのカー」かといえばそれはちょっと微妙なところで、確かに交霊会やら幽霊やらカー好みのガジェットが出てくるのだけれど、それはあくまでガジェットとして使われているだけであって、おどろおどろしさが今ひとつ足りないような気もする。
 これだけ内容がつまってて、むやみに分厚くないのもまたいいじゃないですか。日本の新本格も、最近肥大化が激しいからねえ。

▼スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社)購入。訳者はもちろん柴田元幸。読むのが楽しみ楽しみ。あと、我孫子武丸・田中啓文・牧野修のゴーストハンター・トリオが脚本を書いた『かまいたちの夜2』も購入。しかし、我が家のPS2は現在FFXI専用機と化しているので、しばらくはできないのであった。

7月17日(水)

▼サントリーから新発売の飲料は、その名も「冷却水」。飲んでみたのだけれど、なんだかエンジンか原子炉にでもなったような気分です。

▼米田淳一『ホロウ・ボディ』(ハヤカワ文庫JA)、平谷美樹『百物語』(ハルキ・ホラー文庫)、中谷美紀『だぁれも知らない』(小学館文庫)、笠井潔『天啓の器』(双葉文庫)、ビル・S・バリンジャー『煙で描いた肖像画』(創元推理文庫)購入。

中谷美紀の『だぁれも知らない』は、優香とかさとう珠緒とか中島みゆきとかが書いている、芸能人絵本シリーズの1冊。中谷美紀はいったいどんな絵を描くんだろうか、と思って開いてみたのだけれど、これがなんとも期待はずれというか予想通りというか、かわいいさし絵なんてものは全然なく、完全に抽象画なのですね(表紙も一見真っ白なのだけれど、実はこれが中谷美紀の絵なのである)。内容も、ほかの人のが比較的ほんわかとした話が多いのに比べ、これはホームレスを題材にした実にシビアな作品。なるほど、いかにも中谷美紀らしい。

7月16日(火)

▼というわけで、恥ずかしながら(いや別に恥ずかしくはないのだけれど)帰ってまいりました。
 山口は朝からからりと晴れていたのだけれど、どうやら関東は台風7号が接近してたいへんなことになっているらしく、10時半発のはずの日航機は、1時間半も遅れて離陸。おまけに、東京上空に着いた後も、天候回復を待っていた飛行機が日本中からどっと集まっているそうで、滑走路の順番待ちでしばらくのあいだぐるぐる旋回。いやあ、ひどい目にあいました。
 旅行中の出来事については、またおいおい。

7月15日(月)


7月14日()


7月13日(土)

▼いよいよ今日はSF大会ゆ〜こんの日。午前中は松江市郊外にあるルイス・C・ティファニー庭園美術館なるところに行ってみようかとも思ったのだけれど、入館料が2000円と聞いて断念。高いよ。
 結局午前中はぶらぶらして、松江から路線バスで玉造温泉に向かうことに。松江という街は、バスを中心とする公共交通機関が非常に発達した街で、たいがいのところにはバスで行けるのですね。市内の主な名所には100円バスが巡回してるし。なかなか観光客に優しい街である。
 さて、見るからにSFとわかる風体の人々と一緒にバスに乗り込み、のんびりとバスに揺られていると、いきなり降り出した雨。雨は瞬く間に激しさを増し、みるみるうちに道路は川のように! これが、のちに暗黒星雲賞の栄誉を受けることになる「雨」なのであった。
 温泉街に入って、「ゆ〜ゆ」という建物の前でバスを降りる。まだ受付は済ませていないけれど、実はここでプレ企画として「製鉄のふるさと出雲」という、村下(むらげ、と読む。たたら場の操業責任者)と刀匠の方を招いてたたら製鉄と日本刀の話を聞く企画があるのですね。
 メモなどはとっていなかったので詳しくは書けないのだけれど、プロフェッショナルなおふたりに聞く話は実に濃くておもしろい話ばかり。私の知らないことばかりだったしね。実は今回の大会の企画の中でいちばんおもしろかったかも。
 ゆ〜ゆを出て、いまだに降り続いている雨の中をホテル玉泉まで歩いて(ズボンまでぐっしょり濡れましたよ)受付手続。開会式をぼーっと見ていたのだけれど、壇上にはなんだか知った顔ばかり登場していたような気がする。尾山さんに牧紀子さん、浴衣姿の向井くんにちはらちゃん、そしてなぜか黒マントののむのむさん。みんなSFセミナースタッフばっかりではないか。
 開会式が終わったら夕食まで1時間半、何もやることがない……のだけれど、なぜかひとつだけこの時間帯にぽつんとある企画があったのですね。それが「古代出雲王国の部屋(遺跡編)」。私と妻は、これを見るためにもうひとつの大会会場である松の湯へ向かったのだけれど……部屋はがらがら。観客少ないです。みんな風呂入ってるんですか。
 企画は、豊田有恒先生と島根県古代文化センター主任研究員の森田喜久男さんの対談形式。正直言って、期待していたような古代出雲についての話はそれほどなくて、考古学や古代史をめぐる雑然とした話に終始してしまっていたのだけれど、『モンゴルの残光』や『ダイノサウルス作戦』が大好きだった私としては、豊田先生の話がナマで聞けただけでも満足であります。もしかして、豊田先生が出演した企画ってこれだけ? そうだとしたらあんまりでは。それに、企画中だというのに後ろでスタッフ?が何やら大声でしゃべってるのはいかがなものかと。
 また玉泉に戻って夕食。確かに食事の量は多かったのだけれど、知り合いも誰もいない中(部屋ごとに食事をする場所が決められてしまっているので、妻とは別の広間で食べなければならなかったのだ)、仲居さんの「順番に座ってください」の声に従って、整然と並んだお膳の前に座り黙々と食べていると、なんだかSW2のクローン・トルーパーにでもなった気分。しかし、こういう宴会料理というのは、なぜごはんが最後に出てくるのだろうか。私はごはんとおかずを一緒に食べたいのに。
(以下は次回の更新で)

7月12日(金)

▼今日はまず、松江市郊外の「風土記の丘」というところにある神社をお参りに。
 最初に訪れた真名井神社は、出雲国風土記にも出てくるという由緒正しい古社。後ろの茶臼山は、風土記にはカムナビ山として登場するとか。思わず某サイファイ作家を思い出してしまった私である。
 続いて神魂神社。神の魂と書いて「かもす」と読む。これまたいつできたかわからないほど古い神社である。1346年に建てられた本殿は国宝。国宝ですよ、国宝。華やかさとは対極にある質実剛健な社。境内にみなぎる荘厳な雰囲気。なるほど、出雲の神社は、鎌倉や京都の神社とはまったく違いますね。
 最後に訪れたのは八重垣神社。なんでもここはスサノオがヤマタノオロチを退治したあとに稲田姫と新居を構えた地だそうで、境内には「結婚式発祥の地」なんて立て札が立っていて結婚式場まであったりする。おまけに縁結びの神社として有名で、縁談占いの鏡の池まであったりする。最初の二つの神社に比べると、だいぶ俗っぽい雰囲気である。
 さて、その占いというのはどうやってやるかというと、ここに書いてある通り。ヴァーチャル鏡の池占いもできます。どうでもいいが、このページの困った顔の巫女さん萌え。とうに結婚している我々も、話のタネにとやってみたのだけれど、紙は15分くらい待ってようやく沈みました。なかなか沈まんものなんですね。ちなみに、鏡の池にはオタマジャクシやらイモリやらがワラワラと泳いでおりました。
 さて、続いてタクシーで松江に戻り、松江しんじ湖温泉駅から一畑電車で出雲大社へ。昼食は、大社の近くにある創業何百年という老舗の蕎麦屋に入って割り子蕎麦を食べたのだけれど、老舗のわりにはそううまくもなかった。
 さて初めて訪れた出雲大社なのだけれど、確かにむやみとでかいですね。しかも、なんでも古代の出雲大社は今の2倍近い48メートルもある高層建築だったとか。当然ながらそんな高い建物が長い年月を持ちこたえるわけもなく、数十年おきに自然倒壊しては作り直していたそうな。なるほど、時代を経るに従ってだんだんと低くなっていき、結局今程度の大きさに落ち着いたものわかる気がする。
 横にある宝物殿には、かの有名な妖刀村正(横の説明には"MURAMASA Sword"と書いてあるのである)やら、正宗の刀やら、後醍醐天皇直筆の書やら、豊臣秀吉の佩刀やらと、お宝がぎっしり。全部奉納されたもののようだ。さすがは出雲大社。恒例絵馬ウォッチングもしたのだけれど、大国主は縁結びの神様とされてるらしく、ラブラブな絵馬ばかり(中には「○○さんが戻ってきますように」みたいなドロドロなのもあるのだけれど)。なんかバカバカしくなってきたのでやめる。
 次にバスで出雲市駅に向かい、山陰本線で二つ目の荘原で降りる。ここには358本の銅剣がいっぺんに発見されたという荒神谷遺跡があるのだ。しかし、駅を降りてみて呆然。駅前にはひなびた商店が並んでいるだけで、タクシーもいなければ案内板もない。いったいどうやって行けばいいんだ。
 私が呆然と立ちすくんでいる間に、妻は駅の電話でタクシーを呼ぶ。と、すぐにどこからともなくすっと現れるタクシー。どこから来たのかは謎。
 タクシーで緑豊かな田んぼの間の狭い道を走ること10分、田園風景の中に忽然と出現するのが「荒神谷遺跡公園」。さすがに遺跡だけじゃ人を呼ぶにはつらいと思ったのか、古代の住居を復元したものだとか2000年前の蓮池だとか風土記植物園だとかいろいろと余計なものをつけ加えて、きちんと整備された広い公園に仕立ててあるのである。ただし、時間がもう5時近かったせいもあるのか、地元の人らしいおばさんとか家族連れがちらほらと見えるだけで、ほとんど誰もいない。公園内にあった立て看板によれば、今日はちょうど1984年に荒神谷遺跡が発見された日「ひかわ銅剣の日」にあたり、いろいろとイベントが行われたらしいのだけれど、もうすべて終わったあと。とりあえず遺跡を見るか、と行ってみると、山の斜面がコンクリートで固めてあってそこに銅剣やら銅矛やらのレプリカが置いてあるだけ。そしてテープの説明がエンドレスで流れている。予想はしていたが、実にうらさびしい光景である。
 まあ、確かにここは銅剣が大量に出土したというだけで、古代の遺構が残っているわけでもなんでもないので、出土地点を見たところで何にもないのであった。
 結論。遺跡を見るくらいなら博物館の方がよい。

7月11日(木)

▼今日からしばらく山陰旅行である。まずはJAS機で出雲空港へ。
 出雲空港ってのは、なんだかまわりには田んぼしかないようなところにぽつねんとある空港である。しかも、空港のすぐそばにまで農家が迫っていてなんだか危険そう。あの家に住んでたらうるさいだろうなあ(あんまり発着便がないからそうでもないのかな)。
 空港バス(これが高い)で松江まで出てまず、今晩の宿をとる。駅前の旅行代理店では松江温泉にあるホテル一畑というのを勧められたので安直にそこに決める。あとで知ったのだけれど、駅前には一畑百貨店、私鉄は一畑電車、タクシーも一畑タクシー、バスも一畑バスと、一畑グループというのは、松江・出雲あたりを牛耳るトランスポート・タイクーンらしい。プチ西武みたいなもんですか。
 まあとりあえずは定番のスポットへでも行ってみるか、と、レイクラインというどこまで乗っても100円均一の松江周遊バスに乗って、小泉八雲の旧宅あたりへ行ってみる。この界隈には古い土塀がそのまま残っていたり、堀には白鳥が泳いでいたりと、なかなか涼しげで雰囲気のいい場所である。ただし、松江には小泉八雲記念館があったり旧宅が保存されていたりと、八雲といえば松江というイメージがあるけれど、実際のところ松江には1年ちょっとしか住んでないらしいのですね。熊本や東京に住んでた期間の方がずっと長いのだ。それなのに、八雲といえばなんとなく松江を思い浮かべてしまう、というのは松江市のイメージ戦略の勝利なのかも。
 さて八雲旧宅と記念館を覗いた我々は、ぶらぶらと堀端を歩いて島根県立博物館へ。展示品はというとさすがは出雲、当然のことながら遺跡と神社関係ばっかりである。荒神谷遺跡から出土した銅剣、銅鐸やら、高さ48メートルはあったという古代出雲大社の模型やら、小ぢんまりとはしているけれども、展示はなかなかポイントを押さえていてわかりやすい。
 ここで見つけて私が度肝を抜かれたのが、無料配布の「ドキ土器まいぶん」なる情報誌。「まいぶん」というのは、埋蔵文化財の略。タイトルのセンスについてはおくとしても、埋蔵文化財情報誌があるとは、さすが島根である。季刊ペースで出ているらしくて、夏号の特集は「横穴墓を探れ!」 イラスト入りで「POINT 1 黄泉の国 POINT 2 ウミわきウジたかる!! POINT 3 ヨモツヘグイ POINT 4 黄泉比良坂」なんて書いてあるのだ。すごいぜ島根。
 ついでに言えば、この日ホテルで見た新聞の島根版トップ記事は、「どこそこの遺跡で銅剣発見」。掘れば何か出てくるのか、このへんは、と思ってよく見ると、なんでもその遺跡は福岡県にあるものらしい。福岡の遺跡で銅剣が出た記事が島根版のトップになるのですか。そんなに遺跡が好きなんですか島根人。二人以上の島根人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、銅矛や銅鐸のうわさをしているのですか。
 いいなあ、島根。なんか憧れてしまったよ。


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