トップ    映画  精神医学  掲示板  メール    .

更新日: 2004/11/14


2004年 10月下旬

2004年10月22日(金)

「スパイダーマン」のライミ監督、「呪怨」米国版製作へ
[ロサンゼルス 20日 ロイター] 映画「スパイダーマン」で観客の心をつかんだサム・ライミ監督が22日から、監督にとっては初となる本格的なホラー映画製作に取り掛かる。
 同監督が製作・監督を手掛けるのは、日本で大ヒットした清水崇監督の「呪怨」の米国版「The Grudge」。
 以前からホラー映画製作に興味をもっていた監督は、「呪怨」を米国風に変えた作品を作るつもりはないとした上で、「せりふが英語というだけの、原作に忠実な作品を作りたい」と述べた。
 清水監督も、ライミ監督とともにメガホンを取る。米国人の観客にも分かりやすいよう、脚本は米国人が担当する。
 主演は、サラ・ミシェル・ゲラー。

 うわあ、ものすごくツッコミ所の多い記事なんですけど。もしかして釣りでしょうか?
 「監督にとっては初となる本格的なホラー映画製作」って……。『死霊のはらわた』はホラーじゃないとでも? 『ギフト』は?
「以前からホラー映画製作に興味をもっていた監督」……まあそりゃあそうだろうけどなあ。
 あと、サム・ライミは製作だけで、監督はあくまで清水崇だし。それに22日から製作に取り掛かるわけじゃなく、22日公開なんですけど。
 これほど穴の多い記事は初めて見ましたよ。ものすごく英語に不自由な記者が適当に訳した記事なんでしょうか。

[読書]サックス・ローマー『怪人フー・マンチュー』(ハヤカワ・ミステリ)
怪人フー・マンチュ- 怪人フー・マンチュ-』 単行本
早川書房(ハヤカワ・ミステリ)
著者:サックス・ローマ-(著),嵯峨 静江(翻訳)
発売日:2004/09/10, 価格:\1,155, サイズ:21 cm

 「中国人を出してはいけない」という項目をノックスが十戒に加えたくなった気持ちがよーくわかる小説。だって、この作品に出てくる中国人ときたら怪しすぎ。しかも、謎の殺人が起きると、西洋には伝わっていない東洋の秘薬を使ったのだ、などとくるのだ。確かにこんな都合のいい登場人物を出していいのだったら、本格ミステリは成り立たない。
 まあ、この作品自体は、歴史的価値はともかく、それほど面白いものじゃないですね。密室殺人が起きたかと思ったら10ページもしないうちにあっさり解決したり(犯人がフー・マンチューであることは最初から決定済み)、探偵とワトスン役がとらわれの身になったかと思ったら、ワトスン役に一目ぼれしたアラビア美女に助けられたりの繰り返し。悪の天才たるフー・マンチューにしても何をやりたいのかはっきりせず、今ひとつキャラが立っていない。
 むしろ興味深いのは「黄禍」関連の描写。

「幻の黄禍が」ネイランド・スミスが言った。今や現実のこととして、西側世界に迫っているのです」
「“黄禍”などと!」
「あなたもほかの連中も、そうやってばかにしている。われわれは友情の証として差し出された右手を握り、隠された左手にナイフが握られているかどうかを調べない! 世界の平和が脅かされているのです、ミスター・エルタム。それと知らずに、あなたは途方もない事態を引き起こそうとしているのです」

 とか、

 自分は今、知の怪物と闘っている。彼が勝てば、西洋が東洋に負けてしまう。

 というように、フー・マンチューとの闘争は、一貫して白人対黄色人種の戦いとして位置づけられているのだ。ほとんど被害妄想的ではあるのだけれども、考えてみれば植民地化した中国の人間がロンドンに潜り込んで怪しげな策略を巡らしている、というのは関東大震災のときに朝鮮人が井戸に毒を入れている、というデマが流れた構図にも似ているわけで、洋の東西を問わず普遍的な不安といえるのかもしれない。このような漠然とした不安感が形をとったのが、フー・マンチューものをはじめとする黄禍ものなのだろう。ベストセラーになるのもうなずけるのだけれど、今の読者にとっては、ちょっと東洋人のステレオタイプな描き方が鼻についてちょっとね。

[読書]小林めぐみ『食卓にビールを』『食卓にビールを2』(富士見ミステリー文庫)
no image 食卓にビールを』 文庫
富士見書房(富士見ミステリー文庫)
著者:小林 めぐみ(著)
発売日:2004/08, 価格:\567, サイズ:15 x 11 cm

--内容(「BOOK」データベースより)--
歳は16、花の女子高生。小説家で物理オタクで、さらに人妻!?一般人の3倍のスピードで人生を駆け抜ける主人公の日常は、とってもとっても刺激的!ある時は宇宙人の犯罪者と量子物理学的議論を展開し、ある時はミミズ型宇宙人と釣り談義―なぜだか身の回りに集まるUMA(未確認生物)たちの無理難題を、幅広い知識と面白がりな性格で大岡裁きのごとく華麗に切り抜ける。奇妙・奇天烈・奇想天外、そしてちょっぴりセンス・オブ・ワンダー!地球の危機より家計のやりくりと食後のビールが気になるお年頃でミステリアスなヒロインが繰り広げる変でおかしな事件・冒険を9本収録。小林めぐみが贈る“おさな妻”SFコメディ待望の登場です。

食卓にビールを (2) 食卓にビールを (2)』 文庫
富士見書房(富士見ミステリー文庫)
著者:小林 めぐみ(著)
発売日:2004/10, 価格:\567, サイズ:15 cm

--出版社/著者からの内容紹介--
ミステリアスヒロインによるSFコメディ、早くも第二弾!
女子高生で物理オタクで小説家で人妻のヒロインのまわりでは日夜へんてこりんな事件が起こり続けていた。銀河連邦所属国家のレアメタル鉱脈の争奪戦に巻き込まれたり、ホムンクルスの脱走の手助けしたり…もう大変!

 ビール好き人妻女子高生が宇宙人と出くわしたり通販で手作り銀河を買ったりというヘンな日常を描いた連作。
 掲示板で勧められて読んでみたのだけれど、これは確かにおもしろい。科学ネタのちりばめ方もうまいのだけれど、軽妙としかいいようのない語り口がすばらしい。これは語りで読ませる小説ですね。こういうエキセントリック、というかボケ役のキャラが主役の小説の場合、だいたい常識人が脇に控えていて話を現実に引き戻すものだけれど、この作品ではツッコミ役不在のまま話がどんどんあさっての方向に転がっていく。かといって発散してしまうのではなく、最後の着地では不思議に日常に戻ってくるという、このへんのバランスが絶妙。2巻収録の中篇なんて、話はふらふら迷走していて伏線も全然回収されてないのだけれど、それでいいのだ、と思わされてしまう力技がすごい。
 それから大胆な省略の仕方もうまい。女子高生で人妻で作家、などという特異な人物が主人公なんだから、普通の作家だったらだいたい主人公の紹介とか結婚の経緯とか、そういうところから語り始めるものなのだけれど、そのへんの説明は一切なし。主人公の名前すらないのには驚いた。このあたりの省略の妙が、ふいに宇宙人と出くわしてもまったく違和感のない世界観をつくりあげております。
 自分にはとうてい真似のできない語りを持っている作家には、どうしても評価が甘くなってしまうな。
 しかし、まだ20歳になってないからとパチンコ屋に入ることも躊躇する女子高生が、平気でビール飲んでるのはどうかと思うなあ。教育的に。あと、この作品が「富士見ミステリー文庫」から出ているのが最大の謎。ミステリー?

2004年10月26日(火)

ブックレビュー公開

 SFマガジンと週刊読書人に掲載したSF書評を公開しました。当然ながら、前月分まで。今月の分は本屋で買って読んで下さい。ただアップロードするだけじゃつまらんので、書影とかリンクとかいろいろつけました。ブックレビューのページから。

[読書]ウィリアム・テン『ウィリアム・テン短編集1』『ウィリアム・テン短編集2』(創元SF文庫)
no image ウィリアム・テン短編集 (1)』 文庫
東京創元社(創元SF文庫)
著者:ウィリアム・テン(著),中村 保男
発売日:1973/03, 価格:\903

no image ウィリアム・テン短編集 2』 文庫
東京創元社
著者:ウィリアム・テン(著),中村 保男(翻訳)
発売日:1973/08, 価格:\840

 このところのSFアンソロジー・ブームの流れにのってか、今秋の創元SF文庫の復刊はなんとウィリアム・テン。うーん実に渋いセレクション。ウィリアム・テン自体がそもそも地味な作家である上、タイトルも実にそっけない。その上表紙も初版そのまんま。1巻と2巻はまったく同じ味気ないデザインで、違いといえば、表題と懐かしのSFマークの色が赤青逆転しているだけという代物。カー、イネス、ベン・ベンスンと並ぶ復刊ラインナップの中でも、テンだけはいちげんさんお断りの雰囲気を醸し出している。ちなみに1巻は4版目だけれど、2巻目は初版以来30年ぶりの復刊。
 さて復刊されたので読んでみたのだけれど、果たしてわざわざ今読む価値があるかというとこれは微妙なところ。まず、風刺色の強い作品や冷戦を背景にした作品が多いのでどうしても古さを感じてしまうし、翻訳も最近の訳と比べると直訳調でこなれていなくて読みにくい。
 まず1巻目では、平凡さを重んじる社会の末路を描いた「(ナル)P」、男性主義と男女平等主義の双方を徹底的におちょくり倒した「男性の反乱」が出色。宇宙への進出と人の親になることを対比させた「暗い星」、街角で繰り広げられる宇宙のスパイ戦をスラップスティックに描いた「宇宙のリスボン」も悪くない。でも、その他の作品は古くさいかつまらない。
 2巻目になるともっとヒット率が悪くて、そこそこ面白いのがちょっと変わった吸血鬼もの「彼女は夜しか外出しない……」と、ちょっと自伝的な「私の母は魔女だった」、宇宙人に連れ去られた二人の男のかけあいが楽しい「領事」くらいのもの。「私の母は魔女だった」は、女たちの駆使する呪い文句がすばらしい。「おまえを発狂させてしまうような疥癬でおまえが頭のてっぺんから足の爪先までかゆがりますように――でも、それは、お前の手の爪が取れちまって、掻くことができなくなってからでありますように」。ああ、こういう悪態をついてみたいものよ。
 「彼女は夜しか外出しない……」というタイトルは原題"She Only Goes Out at Night"の直訳なのだけれど、やっぱり伊藤典夫の意訳「吸血鬼は夜恋をする」の方がセンスがあってうまい。冒頭の一文を比較しただけでも、センスの違いがわかるというものだ。

(中村訳)この地方の人たちは、ジャッド先生があの黒い革の鞄の中に魔術を忍ばせて持ち運んでいると思っている。先生はそれほどの名医なのだ。
(伊藤訳)ジャッド先生の黒い診療かばんには、魔法がはいっている。この地方では、村人たちは、そう噂している。それくらいの名医なのだ。

 伊藤訳の方がはるかにこなれていると思うのだけど、どうだろう。しかも創元版では結末に致命的な誤訳がある。「写真恐怖症」と訳されている語は、おそらく"photophobia"だろうと思うのだけれど、伊藤典夫訳ではちゃんと「光線恐怖症」になっている。
 まあ、テンはアンソロジー収録作の方が面白い、という評判なんで、この2冊を読んだだけではまだまだテンの真価はわからないのかも。まずは大傑作の誉れ高い「クリスマス・プレゼント」を収録した『宇宙の妖怪たち』(ハヤカワSFシリーズ)を探さなきゃ。

2004年10月27日(水)

復活の地

 3巻読み中。内容は相変わらず力強くて素晴らしいのだけれど、どうも気にかかるのがこのタイトル。『群青神殿』『第六大陸』でも思ったのだけれど、小川一水の小説のタイトルは今ひとつイメージ喚起力の弱いものが多い気がする。内容とタイトルがうまく結びついていないような、そんな印象を受けるのだ。
 その上、これは私だけかもしれないが、『復活の地』の場合、タイトルにどうも違和感を覚える。「復活」と「地」は、いったいどのようなつながりで結びついているのだろうか。『復活の日』とくれば、これは意味は明らかで、とにかく何かが復活する日、ということであり、容易にイメージが像を結ぶ。では『復活の地』とは? 何かが復活する土地のことだろうか? そうではなさそうだ。
 たとえば『復活の泉』だったらどうだろう。このタイトルなら、そこに行けば死者が復活する泉のようなものを連想する。『復活の呪文』なら、それを唱えれば死者が復活するような呪文だ。復活する主体は別にあり、泉や呪文が復活するわけではない。では『復活の地』はどうかというと、これは別にそこへ行けば死者が復活する土地、という意味ではない。
 また、「約束の地」とか「要害の地」といった語であれば、「の」の前に来るのは「地」の属性である。約束された土地であったり、敵を防ぐのに都合のいい土地という意味である。しかし、「復活の地」の場合、「復活」は「地」の属性ではない。
 と、このように、「復活」と「地」がどのような意味合いで結びついているのか、ぱっと見ではうまくつかめないのが違和感の原因ではないかと思うのである。
 『復活の地』という物語は、言うまでもなく「地」が「復活」する話である。もちろん、このような関係の二語を「の」で結びつけた例がないわけではない。例えば栗本薫『望郷の聖双生児』がそうであるが、この例は私にはちょっと気取った倒置法的な言い回しのように感じられる(「聖双生児の望郷」であれば平易な言い回し)。それに対して『復活の地』は「復活」も「地」も平易な語であり気取った言い回しを使っていますよ、というフックがない、また、「復活の日」「復活の泉」などと類似した構文なのに助詞「の」の担う意味がまったく違う、という理由から、私はこのタイトルに戸惑いを感じたのだと思われる。
 以上、タイトルにまったく違和感を覚えなかった人にはどうでもいいことを延々と書いてしまった。もちろん、作品自体の価値にはまったく関係のない話である。

あのベストセラー作家が45年前に巨乳ブームを予見!

 「地球規模の環境問題や放送自由化という現代に通用するテーマ」「立体テレビの普及により胸のないタレントは見向きもされず、未曾有の巨乳アイドル時代が到来」などの表現が、なんだか私が数年前に書いたレビューに似ている。巨乳云々のところは原著にはほんの数行しか書かれていないところを私が膨らませたものだし、本を読まなくても私のレビューだけ読めば書けるような内容しか書いてないし……。まあ邪推はするまい。
 あと、「気象異変はベーリング海峡をせき止めてシベリアを温暖化するというロシアの行った実験というのはSF小説ならではだが、温暖化というキーワードはお見事」(なんか日本語が変……)と書かれているが、ベーリング海峡ダムは別にSFならではの発想ではなく、当時のソ連に実際にあった構想であり、西村京太郎はそれを借りただけである。
 しかし、1969年に書かれた本が45年前とはどういう計算なんだろう。1969年生まれの私は45歳ですか。

70年代のSFマガジン

 池袋西口のティーヌンでトムヤムラーメンを食べてから久しぶりに八勝堂へ。店頭の100円均一ワゴンで70年代前半のSFマガジンが売られていたので何冊か買う。購入したのはソ連SFを特集した71年3月号と、ネビュラ賞を受賞したキャサリン・マクリーンの中篇「失踪した男」が載っている73年11月号。「どんがらがん」「デス博士の島その他の物語」「次の岩につづく」「凶運の都ランクマール」が同時に載ってる濃い号(72年11月)もあったが、ラファティとウルフは今も読めるし、ライバーとデイヴィッドスンはもうすぐ出るしなあ。
 71年3月号には、特集のほか新人競作として横田順弥と梶尾真治のデビュー作が(正確には、横田順弥の商業誌デビューは少し前の週刊少年チャンピオンだが)。梶尾真治はもちろん「美亜へ贈る真珠」。著者の抱負の言葉がすごい。「あれこれ考えた末、結局平凡にいくことにしました」と書きながら、こう続けるのだ。

とにかくヴィアンのセンスとシェクリイの諷刺精神とフリードマンの描写力、アポリネールの詩情を超える作品が書けたら、それこそもう死んでもいいくらいです。

 いかにも若々しい気負いにあふれた、いい抱負ではないですか。ただ、この中で唯一誰だか思い当たらなかったのが「フリードマン」という名前。フリードマンという作家は何人かいるけれど、時代を考えると、ブルース・ジェイ・フリードマンだろうか。ミステリ・マガジンなどに短篇が何作か訳されているほか、映画『スプラッシュ』の原案・脚本を書いた作家らしい。

 さて、70年代のSFマガジンと今のとで大きく違うのは、「てれぽーと」(読者投稿欄)のページ。とても若々しくて活気があるのだ。

最後に一言。「ぼくはコドクだ。誰かぼくと文通してくれないだろうか。もちろんSFファンで高校生の方と」ではさらば!

 と書いている岡山の高校1年生がいたかと思えば、

ファンダムに入り、会合に出席し、SF大会に参加し、ただひたすらにSFを読み続けて数年……ショートカットで若かった私も、いつのまにか(悲しい事に?)20歳になってしまいました。

 と書いている足立区の女の子がいる。

僕は今、高校受験を間近に控えて、不治の病に苦しむ中学生です。不治の病――それは昨今、急速に広がりつつある『SF病』という非常に悪性の病気なのです。

 と書く小田原の中学生もいる。とにかく読者層が若い上、誰もがSFに寄せる思いの丈を切々としたためているのである。
 「ファンジン・パトロール」のコーナーをみると、「超科学研究会」改め「空想科学研究会」の志水一夫会長が、会内のファクト部門を率いて分離、並木紳一郎の「奇現象研究会」と合併した、などと書いてある。
 確かにSFも若く、読者もまた若かった時代なのだなあ、と溜息。

2004年10月28日(木)

オラン・ペンデクの復讐
 新種のヒト化石発見 インドネシアで、身長1メートル

 人類の中で、現代人も含まれる「ホモ属」の新種の化石が、インドネシアのフローレス島で見つかった。身長約1メートルと小型で、脳容積も、はるかに原始的な猿人より小さい。孤島に生息する動物種にしばしば見られる小型化により、ジャワ原人から分かれた新種とみられるという。外敵の脅威のない孤島で、少なくとも約1万8000年前まで生存していたとみられ、長期にわたって我々の祖先と「同時代」を生きていたことになる。

 このホモ・フロレシエンシスのかすかな記憶が、インドネシアに伝わるオラン・ペンデクの伝説になったのではないか、などと夢想してみる。

読書世論調査:芥川賞・直木賞の歴代受賞作家の人気度

 芥川賞作家では松本清張、直木賞作家では司馬遼太郎が一番人気。
 そうだなあ、私だったら芥川賞は池澤夏樹、奥泉光、川上弘美の3人のうち誰にするかで悩むところ。直木賞は半村良か泡坂妻夫かな。

2004年10月29日(金)

「人食いハンニバル」シリーズ新作、来秋に発売

 「人食いハンニバル」シリーズって……まあ間違ってはいないんだけど、なんだか違和感があるなあ。「なぜレクター博士が悪に対する異常な欲求を持つようになったのかのいきさつが判明する」という出版社の宣伝からすると、これが以前から噂の「ヤング・ハンニバル・レクター」なのかな。「研修医ハンニバル・レクター」とか、「Dr.ハンニバル・レクター診療所」とか「ハンニバル・レクターによろしく」とかそんな感じになるんでしょうか。トマス・ハリスも書きゃいいってもんじゃないと思うのだけれど、巨額の出版権と映画化権料に負けたんでしょうか。
 だいたい、レクター博士がなんで悪になったかのいきさつなんて、判明しなくていいんですよ! レクターは常人の理解を超越した孤高の天才だからよかったのに。『ハンニバル』では幼時のトラウマまで持ち出してレクター博士の神秘性をはぎ取っておきながら、まだ足りないんですか。


Ganerated by nDiary version 0.9.4
上旬 / 中旬 / 下旬
Written by Haruki Kazano