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更新日: 2004/10/06


2004年 7月下旬

2004年7月21日(水)

精神科薬広告図像集

 久しぶりに更新。60年代から最近の広告までいろいろと追加しました。今の精神医学雑誌に載っている広告はたいがい網羅したんじゃないでしょうか。しかし、最近の広告は、あんまりおもしろみがないですね。

猛暑

 古川日出男『サウンドトラック』や藤崎慎吾『ストーンエイジCOP』では、温暖化とヒートアイランドにより亜熱帯と化し、熱帯植物が繁茂する東京が描かれていたけれど、まさに未来の東京はそうなっていきそうな勢い。そういえば首都機能移転の話は、いつのまに立ち消えになってしまったんだろう。

甲府で40.4度、国内観測史上4位の高温記録(asahi.com)
甲府で40・4度、全国史上2位の猛暑(YOMIURI ON-LINE)
猛暑:「21日も暑かった」甲府で40.4度 歴代2位(MSN-Mainichi INTERACTIVE)

 朝日では4位、読売と毎日では2位。どちらが正しいのだろうか?
 記事をよく読んでみると、朝日では、「アメダスを含めた国内の観測で史上4位の猛烈な暑さ」、読売では「全国の気象台・測候所で観測した気温としては、1933年の山形で記録した40・8度に次ぎ、過去2番目に高い気温」という違いがあるようだ。アメダスの観測も含めれば4位、気象台・測候所のみであれば2位ということらしい。
 アメダスも含めたランキングは、

1位 40.8℃ 1933年7月25日 山形県山形市
2位 40.6℃ 1995年8月04日 静岡県天竜市
2位 40.6℃ 1995年8月05日 和歌山県かつらぎ町
4位 40.4℃ 2004年7月21日 山梨県甲府市
5位 40.3℃ 1995年8月05日 愛知県八開村

 ただし、アメダス以前の気象観測所も含めると上には上があって、

1位 42.5℃ 1923年08月06日 憮養(徳島)
2位 42.0℃ 1931年08月09日 東郷(福井)
3位 42.0℃ 1914年07月30日 水窪(静岡)
4位 41.8℃ 1942年07月24日 豊田(愛知)
5位 41.5℃ 1926年08月03日 烏山(栃木)

 ということらしい。古い記録ばっかりなので、どこまで信頼性があるかは不明なのだけれど。

2004年7月22日(木)

いただいた本

 今日は本がどっと送られてきたのでまとめて御礼。

no image 科学の最前線で研究者は何を見ているのか』 単行本
日本経済新聞社出版局
著者:瀬名 秀明(編さん)
発売日:2004/07, 価格:\1,680, サイズ:20 cm

no image SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴』 −
東京創元社(キイ・ライブラリー)
著者:マイク・アシュリー(著)
発売日:2005/07/25, 価格:\4,725

--出版社/著者からの内容紹介--
英米のSF雑誌を全冊読破した著者が贈る、詳細な歴史的ガイダンス。SFファンはもとより雑誌文化に興味を持つ読者の必携書。19世紀末の黎明期から1950年までを扱う。


夢見る猫は、宇宙に眠る 夢見る猫は、宇宙に眠る』 単行本
徳間書店
著者:八杉 将司(著)
発売日:2004/07/21, 価格:\1,995, サイズ:20 cm

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1 沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1』 単行本
徳間書店
著者:夢枕 獏(著)
発売日:2004/07/21, 価格:\1,890, サイズ:20 cm

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ2 沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ2』 単行本
徳間書店
著者:夢枕 獏(著)
発売日:2004/07/21, 価格:\1,890, サイズ:20 cm

 八杉将司『夢見る猫は、宇宙に眠る』は日本SF新人賞受賞作。すでにゲラで読んでSFマガジンと週刊読書人に書評を書きました。『SF雑誌の歴史』は、いったいいつ出るのかとさんざん待たされた本。「SF雑誌の歴史」といいながらも、描かれている歴史は1950年まで。SFファンといえどもほとんどの人にとってはあんまり馴染みのないであろうパルプマガジンの歴史が詳細に語られてます。
 瀬名さん、牧さん、それから徳間書店さんもありがとうございます。

精神科薬広告ノベルティグッズ

 医学都市伝説さんの更新日記から。精神科薬広告図像集でも紹介している抗精神病薬ルーランの販促用マグカップがあったそうな。これは知らなかった。ちょっとほしいかも。
 メーカーのMRさんからはボールペンはよくもらうけれど、マグカップはもらったことないなあ。ちなみに、グッズのインパクトでいえば、ポリフルの販促ボールペンが最高です。このページの下の方で紹介されてますが、さすがに白衣の胸ポケットにこれをさす勇気はありませぬ。リスのキャラクターのボールペンなんかだと、あらかわいい、とかいっておばちゃんの患者さんと話がはずんだりするんですけどね。

「アイ・ロボット」でスーザン・カルヴィン博士役を演じるブリジッド・モイナハンが来日記者会見
──物語の構想に影響を与えたアイザック・アシモフの著書を読みましたか?
 
■モナハン 撮影に入るまえに、監督からコピーを手渡されました。ただ、私には専門用語が多くて難しすぎました。

 そうか、アシモフは難しかったか……。

2004年7月23日(金)

おじさん

 近くの駅から家に帰る途中には小さな商店街があって、そこにはときどき車椅子に乗ったおじさんが出没する。おじさんは無精髭にパジャマ姿で、何やら口の中で毒づいたり、「タバコ持ってない?」と道行く人たちにねだったりしてるのだった。私も何度かタバコをねだられたことがあるが、あいにく私はタバコをすわないので、持っていない、と答えると、おじさんはいつも関心をなくしたように去っていくのだった。彼がタバコをすっている姿は見たことがない。
 今日もいつものように家に帰る途中におじさんに出会ったのだけれど、今日のおじさんは何やらぶつぶつと呟きながら、すごい勢いで車椅子を走らせていた。いったい何を言っているのか、と聞き耳を立ててみると、彼は道行く人たちのそれぞれに「お前は人間か?」と尋ねているのだった。もちろん通行人はみんな無視している。ああ、なんだかギリシアの哲学者みたいだ、と思いつつさらに聞いていると、彼の質問には続きがあった。
「お前は人間か? 水餃子か?」。彼はそう尋ねているのだった。人間か水餃子かという二分法も凄いのだけれども、改めて問われてみると、自分が水餃子ではなく人間であるという確たる根拠も思いつかないような気もする。そうでなくても、水餃子的人生ってのもなんだか気楽でよさそうだ。人間じゃなくて水餃子でもいいなあ。喰われちゃうけど。まあ、彼がそんな質問を思いついたのは、たぶん今日、商店街に新しく餃子店がオープンしたのが原因だと思うんだけど。

精神科薬広告図像集拾遺

 広告だけぽんと紹介してどんな薬なのか説明しないのも片手落ちなような気もするので、今日から、広告に対して当日記でコメントをつけていくことにしました。未発表広告も、こちらの日記で先に紹介します。まずは、未発表のこの広告から。
 1975年の臨床精神医学誌に掲載されていた吉富製薬のトリペリドールという薬の広告。トリペリドールはその名の通りハロペリドールに類似した抗精神病薬なのだが、白内障の副作用が多かったようで、現在では販売されていない。男性の横顔を白黒反転するだけでも不気味なのに、おまけにジグソーパズル状に分割してしまうという念の入れよう。見るものの不安感をかきたてる傑作図像である。
 トリペリドールの広告は、ほかにも1970年もの1974年ものがあるが、特に後者は単なる落書きのような曲線だけなのに、なんでこんなに不安感をかきたてるんだろうか。

2004年7月24日(土)

[映画]キング・アーサー

 アーサー王ものだと思って観ていると、おなじみのエピソードが全然出てこなくて(聖杯もないし、グウィネヴィアをめぐる三角関係もない。エクスカリバーは無理矢理出してるけど)面食らうのだけれど、これは伝説そのものじゃなく、その起源を描いた物語なのですね。
 この映画では、アーサーは「アルトリウス・カストゥス」なるローマ軍の一司令官。そして円卓の騎士たちはイラン系騎馬民族のサルマート人ということになっている。詳しくはこのあたりを見てほしいのだけれども、どうやらこれは最近唱えられているアーサー王伝説の起源にまつわる説のひとつらしい。サルマート人は実際に外人部隊としてハドリアヌス長城を守備するためブリテンに派遣されていたし、2世紀には「ルキウス・アルトリウス・カストゥス」という名前の司令官が実在してサルマート人部隊を率いており、顕著な功績を挙げたこの人物の名「アルトリウス」は、サルマート人社会の指導者の称号として代々用いられるに至ったのだという。映画ではこの「アルトリアス」がアーサー王伝説の起源であるという説を採用したわけだ。
 また、映画ではアーサーはペラギウス派なる異端のキリスト教を信じる者として描かれているけれど、このページの年表には、

420‐430年
ペラギウス派異端ローマで非合法化(418年)。しかしブリテン島では、"親ケルト派"からの支持を多く集める。伝統主義者(=親ローマ派)はローマ教会を支持。この頃、ブリテンは小さな"暴君達"により支配される。(Prosperによる)
429年
ブリトン人の助祭Palladiusの要請で、教皇Celestine一世は、司教のAuxerreのゲルマヌスとTroyesのLupusを、ペラギウス派異端との論争の為に、ブリテン島に送る。以前軍人だったゲルマヌスは、滞在の間に、ブリトン人を率いてウェールズでの"ハレルヤの勝利"("Hallelujah Victory")をもたらす。

 とあり、このあたりの史実を(中途半端に)取り入れているものと思われる(ゲルマヌスも卑劣な役で登場するし)。ペラギウス派異端とは、Wikipediaによれば、

神からの聖寵を必要とはせず、自分の功徳によって救霊に至ることが可能であるというもの。原罪の否定もしくは軽視し、幼児洗礼を否定していたとされる。

 という思想であり、つまり、人間の本性は善であって、原罪なんてものはない、自由意志で善行を積めば救済される、ということ。これに対して、人間はすべて重い原罪を背負っており、いくら自分で努力しても贖罪なんて無理、神に自らの運命をゆだねるしかないのだ、というのが正統派キリスト教の考え方。この違いは、アーサーと司教らの対比的な描かれ方に反映している。
 それから、映画の中では「ウォード」と言われている顔に色を塗った原住民たちはピクト人ですね。このピクト人の南下を食い止めるために、ハドリアヌス帝は長城を作ったわけです。映画ではグウィネヴィアはピクト人ということになっていて、すっかり半裸の女戦士。女戦士好きとしてはうれしいのだけれど、雪が降ってる中でも薄着なのはいくらなんでも寒いと思う。

 とまあ、いろいろと史実を取り入れて新機軸を打ち出してはいるのだけれど、それが面白さに貢献しているかというと、微妙なところ。アーサーたちがサクソン人と戦わなければならない理由が今ひとつはっきりしないし、グウィネヴィアとのロマンスもほとんど描かれていない。だいたいオープニングと全然照応していないラストはどうかと思います(★★☆)。

キンニャモニャ

 上野に行ったら、夏祭りですごい人出。
 秋田の竿灯とか青森のねぶたとか佐渡おけさとか、いろんな地方の祭りの団体が順繰りに大通りを練り歩くという、なんとも節操のないお祭り(まあ上野らしいといえばらしいのか)なのだけれど、その中で初めて見たのが、隠岐のキンニャモニャという奇怪な名前の踊り。「なんたらかんたらキンニャモニャ〜」と延々と繰り返すだけの単純な踊りなのだけれど、踊り手の動きがとてもシャープで、見ていて気持ちがよかった。動くところでは素早く動き、止めるべきところではきちっと止めるといったメリハリがあるのです。しかし、キンニャモニャってなんだ。

今日の精神科広告

 今日紹介するのは、1972年の臨床精神医学に掲載されていた抗うつ薬ノリトレンの広告である。おそらくカラー版もあるはずだが、未発見。一見してわかるとおり、これこれなど、一連のセレネースの広告と同じイラストレーターによる作品。外は晴れているのに、瓶の中だけは大雨で鬱々としている、というあいかわらず非常にわかりやすい絵でうつの症状を表現している。ただ、この作品の場合、同じノリトレンの広告と表現があまりに似すぎているのが気になるのだけれど。また、上の2点はうつ症状のヴィジュアルな表現としてわりと的確なのだが、これはちょっとどうかと思う。これはあまりにもエキセントリックすぎて、むしろ統合失調症のイメージに近いのではなかろうか。
 ノリトレンという薬自体は、古典的な三環系の抗うつ薬で、作用も強いが副作用も強い薬である。古い薬ではあるが今もまだ有用で、私はSSRIが全然効かない難治性のうつ病に使ってみたら、あっさりよくなったという経験がある。

 ノリトレン、セレネース、デリトンなど70年代の大日本製薬の広告を彩っているイラストは、シュールレアリスティックで非常にインパクトが強いものばかり。私が精神科薬広告を集め始めたきっかけになった広告でもあるのだけれど、探すたびに新しい作品が見つかるので、いったいいくつあるのか全貌はいまだ不明である。
 だいたいどの雑誌でも同じだが、医学雑誌でも広告は表2、表3、表4あたりや雑誌の巻末にまとめて載っていることが多い。しかし表紙や巻末の広告部分というのは、製本をするときにまっさきに捨てられてしまう部分なのだ。だから残っているものは少なくて、たまたまダブりなどで製本を免れた雑誌や、ずさんな製本屋が表紙も含めて製本してしまった雑誌にかろうじて残っている程度。そのかろうじて残った広告を拾い集めたのが当ギャラリーなのであります。

2004年7月25日(日)

[読書]J・R・R・トールキン『指輪物語1 旅の仲間 上1』(評論社文庫)
新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1』 文庫
評論社(評論社文庫)
著者:J.R.R. トールキン(著),J.R.R. Tolkien(原著),瀬田 貞二(翻訳),田中 明子(翻訳)
発売日:1992/07, 価格:\735, サイズ:15 x 11 cm

--内容(「BOOK」データベースより)--
恐ろしい闇の力を秘める黄金の指輪をめぐり、小さいホビット族や魔法使い、妖精族たちの、果てしない冒険と遍歴が始まる。数々の出会いと別れ、愛と裏切り、哀切な死。全てを呑み込み、空前の指輪大戦争へ―。旧版の訳をさらに推敲、より充実して読みやすく美しい、待望の「新版」。

 今さらながら『指輪物語』を読み始めました。実は、映画は観たけれど、今まで原作を読んだことがなかったのだ。こんなふうに、私には、当然読んでおくべきだけれども実は読んでないという基本図書がいっぱいあります。
 退屈だという噂の絶えない序章の部分だけれども、映画を観たあとだからか、ホビット村のイメージがつかめるし、メリアドクなどの固有名詞にしてもぴんとくるので、なかなか興味深く読めました。『指輪物語』については、映画を観てから原作を読むというのが理想的かも。
 映画版しか見たことのない読者として驚いたのは、ビルボが失踪してからフロドが旅立つまでの間に17年もたっているということ。しかもフロド50歳ですか。それから、ホビット庄が意外に広いのにも驚き。フロドが屋敷を売り払って別の村に引っ越すという場面があるのだけれど、荒野を野営しながらとぼとぼと旅して3日もかかっているのだ。映画ではホビットは小さな村の中だけで暮らしているようなイメージだったのだけれど、実は広大な土地にいくつもの村が点々としているということだったよう。
 映画と原作で大きく違うのはメリーとピピンが同行する動機で、映画では偶然フロドたちに出くわしてついてきたように描かれていたけれど、原作ではフロドの旅の目的を知った上で自分の意志で同行を決めているのですね。単なるいたずら者とばっかり思ってたけど、案外いい奴らだったようだ。それから映画と違うところといえば、ホビットたちがものを食べる場面が多くてこれが実にうまそうなところとか、何かにつけては歌を歌いたがるところ。追われる身ながらけっこうのんきだ。
 訳はおおむねこなれているのだけれど、旅立ちを意味する「鹿島立ち」という言葉が使われているのにはちょっと首をひねる。この言葉、鹿島神宮に由来する言葉なのだが……ファンタジー世界で鹿島?
 まあ、今まで食わず嫌いしてきたけれど、初めて読んだ『指輪物語』はなかなか面白い。映画との違いに着目しつつ、続きも読んでみることにします。

今日の精神科広告

 今日の広告は、2004年の日本社会精神医学会雑誌に掲載された睡眠導入剤ハルシオンの広告。発売元はファイザー株式会社である。
 非合法で高く取引されていたり、記憶障害を起こしやすかったりと、不名誉な理由で有名になってしまっている薬だが、一緒にお酒を飲むなど無茶なことをしなければ比較的安全に使える薬である。ただし、長期連用はあまりお薦めできないが。
 かつてはアップジョン社から発売されていたため、隠語で「アップジョン」などと呼ばれていたが、アップジョン社は95年にファルマシア社と合併してファルマシア&アップジョンに(その後ファルマシア社に社名変更)。さらにファルマシア社は2003年にファイザー社と合併して、今の発売元はファイザー株式会社になっている。世界的に製薬業界は再編が進んでいて、合併や社名変更は日常茶飯事。あんまり頻繁なので、ある薬が今はどの会社から出ているのかわからなくなってしまうこともしばしばである。

 さて、「ハルシオン」という名前は英語では"Halcion"と綴るのだけれど、綴り違いの"halcyon"は「カワセミ」という意味。だから、広告では鳥が寝ているイラストが使われているわけだ。
 さらにもとをたどれば"Halcyon"は、ギリシア神話に登場する風神アイオロスの娘ハルキュオネ(アルキュオネともいう)の名前に由来する。ハルキュオネとその夫ケユクスはとても仲むつまじく、お互いを「ゼウスとヘラのようね」と言い合ったため、その傲慢さが神々の怒りを買い、ケユクスは航海中に嵐に遭って死んでしまう(私には、ゼウスとヘラが仲むつまじいとはとても思えないのだが)。嘆き悲しむハルキュオネの姿にヘラが同情し、二人はカワセミに変えられて再会したのだという。鳥になったハルキュオネは海の上に浮かぶ巣を作り、冬至の頃に卵を産んだ。そこで父である風神アイオロスは、ハルキュオネが卵を産む間、海に風を吹かせず凪にするようにした(神話なので当然ながら、ハルキュオネに風を鎮める力がある、という話など、別バージョンもいろいろある)。このことから、冬至前後の天候の穏やかな時期のことを"Halcyon Days"といい、またそこから転じて平穏で幸福な「古き良き日々」のことを"Halcyon Days"というのだそうだ。
 つまり、穏やかで幸福な眠りを与える薬だからハルシオン、というわけである。

2004年7月26日(月)

The Grudge予告編

 ハリウッド版『呪怨』の予告編。普通の日本家屋にサラ・ミシェル・ゲラーという取り合わせが似合わないことこの上ない。しかし、サラやつれましたね。昔はふっくらしてかわいかったのになあ。日本版の『呪怨』もアメリカで公開されるらしく、公式サイトができてます。

今日の精神科広告

 今日の精神科広告は、はるかに時代を遡って、1934年の精神神経学雑誌に掲載されていた睡眠薬カルモチンの広告である。図像的には、単に薬のイラストが描いてあるだけでそれほどおもしろくないのだけれど、なんといっても薬の名前が有名なので選んでみた。
 この薬の名は、日本文学好きの人なら聞いたことがあるに違いない。昭和初期の作家たちに愛用者が多く、太宰治、金子みすゞらが自殺に使ったことでも有名な睡眠薬である。夢野久作も「猟奇歌」で「カルモチンを紙屑籠に投げ入れて又取り出してジツと見つめる」という歌を詠んでいる。当時の睡眠薬の代名詞といってもいいだろう。
 成分はブロムワレリル尿素。ただし、太宰治も3回も自殺に失敗しているように、実を言うとカルモチンは、きわめて大量に飲まなければ、それほど致死性の高い薬ではない。致死性という点では、呼吸抑制を起こしやすいバルビタールやイソミタールなどバルビツール酸系の薬物の方がよっぽど危険である。とはいえ、依存性、耐性を生じやすく、中毒を起こしやすいことは事実で、こうした危険性があるため、今ではベンゾジアゼピン系の薬に取って代わられていて、あまり使われなくなっている。
 それでもカルモチンと同じ成分は、リスロン(2001年に製造中止)やウットという市販薬にも含まれているし、処方薬としてはブロバリンという名前で今でも売られている薬である。さすがに普通の不眠症の患者に対して処方するような薬ではないが、精神科の病院では、どうしても眠れない患者に対して不眠時頓服薬として使っていることもけっこう多かったりする。古い薬のようだが、カルモチン(の成分)はまだ現役なのである。

2004年7月27日(火)

中島らも死去

 『今夜、すべてのバーで』はまぎれもなく傑作でした。
 思い出したのは、1985年にミステリ作家で翻訳家の小泉喜美子が、新宿のバーの階段から転落して脳挫傷で亡くなったこと。亡くなった年齢も、奇しくも同じ52歳。東京、大阪という違いはあれど、二人とも都会的で、洒脱で、才能あふれる人でした。

今日の精神科広告

 今日も戦前の1931年の神経学雑誌に掲載された広告を紹介します。もはや図像も何もありませんが。
 薬の名はテトロドトキシン。広告にも「純正河豚毒素」とあるとおり、フグの毒素を抽出したものである。致死量は2〜3mg程度。青酸の1000倍の毒性で知られる猛毒である。テトロドトキシンは神経毒で、神経伝達を遮断する効果があるため、当時は鎮痛剤として使われていたのである。
 広告にも「有力なる鎮痛麻酔剤 モルヒネの及び得ざる作用を補充す」とあるとおり、モルヒネのような習慣性がないため、鎮痛薬として重宝されたようだ。「各種神経痛、ロイマチス(リウマチ)諸症、喘息、胃痙攣、破傷風其他の痙攣諸症、夜尿症、掻痒性皮膚諸症の頑固なる場合等」に効くそうだ。
 神経痛、寝小便に悩むあなた、テトロドトキシンはいかがでしょうか?

2004年7月28日(水)

人とスキンシップ

 日々是魚を蹴る経由で、人とスキンシップ

今では人権問題があって到底できませんが、この実験は大二次世界大戦直後のスイスで、 心理学者ルネ・スピッツにより行われました。実験対象は、戦争で孤児になった55人の乳児で、当時考え得る最高の設備を整えた施設に入れられました。そこにないのは、父母だけでした。
よく訓練された保母や看護婦が子供たちの面倒をみていましたが、人工乳の哺乳だけは、抱かないようにして、つまり人間的スキンシップなしに行われました。その結果、27人が2年以内に病気で死亡し、残った子も17人が成人前に死んでしまいました。11人は成人後も生き続けましたが、その多くには知的障害や情緒障害がみられたと言われます。

 スピッツは、乳児期の母子関係と精神発達について実証的な研究を行ったことで知られる精神分析学者なのだけれど、私は寡聞にしてこの実験のことは知らなかった。果たして本当にスピッツはこんな非人道的な実験をしたんだろうか。
 『新版 精神医学事典』(弘文堂)のスピッツの項(執筆は小此木啓吾)によると、スピッツは1887年ウィーン生まれ。フロイトから直接教育分析を受け、1938年にニューヨークに移住。マウント・サイナイ病院、ニューヨーク市立大学教授、レノックス・ヒル病院の研究員などを経て、1956年にはコロラド大学の精神科教授になり翌年デンバーに移住。1963年に一時期ジュネーブに移り、児童分析と発達の研究に従事したが、ふたたびデンバーに戻り、1974年に死去。
 このプロフィールからみてもわかるとおり、スピッツが第二次世界大戦直後にいたのは、スイスではなくアメリカ。1963年にはジュネーブに移っているが、その時代には「戦争で孤児になった乳児」はいないだろう。
 確かに「母性的養育を剥奪された子供はどうなるか」というテーマについては、スピッツをはじめ、アンナ・フロイトやボールビィなど多くの精神分析学者が研究しているので、似たような実験がなかったとはいえないのだけれども、少なくともスピッツが第二次大戦直後のスイスで実験をした、というのは疑わしいように思える。
 上に引用した部分の出典がいったい何なのかについては、ちょっと調べてみたいと思います。手元の本をめくってみた限りでは、「アンナ・フロイトとバーリンガムが、第二次大戦中に戦争によって家庭が崩壊してしまった子供たちのための戦時収容所を作り、母性的養育の剥奪についての長期的な研究をした」というのがいちばん近そうな感じなのだけれど……。
 あと、こういう研究結果というのは、母親は仕事をせず家庭で育児をするべきだ、というような政治的な主張や、母親のいない子供は不完全である、というような偏見に結びつきやすいので、取り扱いには注意が必要。別に母性的養育ができるのは母親だけじゃないのだ。

 もうひとつ。同じ日々是魚を蹴る経由で、ドイツ皇帝の実験の話
 うーん、ドイツ皇帝じゃなくて、もっと古い話じゃなかったっけ、と調べてみて発見したのが金川欣二氏のWho's Afraid of Noam Chomsky?という文章。

 歴史家ヘロドトスによると、紀元前7世紀のエジプト王プサメティコス一世は、生まれたばかりの2人の赤子を羊の群といっしょにし、一言も言葉を掛けないようにして育て、赤子がどの言語を初めて話すようになるかを調べるように命じたとされている。赤子が最初に発した単語は bekosで、紀元前7・8世紀の小アジアで話されていたプリュギア語でパンを意味する。これによりプサメティコス一世はプリュギア語を最も古い人間の言葉であるとした。

 イギリスの歴史家ロバート・リンゼイの史書によると、15世紀のスコットランド王ジェームズ四世は、生まれたばかりの子供を聾唖者に世話をさせ、一切話しかけることを禁じたところ、子供が最初に発した言葉はヘブライ語であったと伝えられている。

 フランチェスコ会修道士パルマのサリンベネの年代記によれば、13世紀の神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世もまた、同じ疑問に取り憑かれた人であった。世話をする乳母に言葉を掛けることを禁じて育てた子供が、最初に発する言葉が人類最初の言葉であろうと考えたが、話すようになる前に子供は全員死んでしまったという。

 フリードリッヒ2世は失敗したけれど、プサメティコス1世とジェームズ4世は成功したようですね!

今日の精神科広告

 今日の広告は、抗てんかん剤リボトリール。小児科でよく使われるため、抗てんかん剤の広告には子供の写真を使ったものが多いのだけれども、このリボトリールの広告は、何を思ったのか裸の幼女が傘を差している、という衝撃的なもの(雷=けいれん発作が落ちても、傘=薬で守られているから大丈夫だよ、という意味なのだろうけれど)。しかしなぜに裸なのか。
 これまで、リボトリールの広告はこれきりと思っていたのだけれど、実は、最近カラー版を見つけてしまいました。それも2バージョンも。どちらも、1981年の臨床精神医学に載っていたもの。1月号10月号。私には、白黒版の女の子とは別人のように見えるのですが、どうでしょう。しかしロシュの担当者はよっぽど幼女が好きだったのか。

2004年7月29日(木)

容量が足りない

 精神科薬広告図像集とか画像の多いコンテンツを作ってしまったおかげで容量がピンチです。niftyは標準で20MBしか容量がないのだ。もちろん増設もできるのだけれど、10MBごとに月400円と、けっこうお金がかかってしまう。いっそのことまた移転しようかなあ。ちょっと調べてみたかぎりでは、SAKURA InternetとかSTEP SERVERとかが安くてよさげ。

人とスキンシップ

 いろいろ調べたのですが、掲示板でsynonymousさんが指摘しているとおり、昨日の人とスキンシップの典拠となっているのはルネ・スピッツが1945年に発表した論文"Hospitalism: An inquiry into the genesis of psychiatric conditions in early childhood."であるようです。発達心理の分野では非常に有名な論文です。
 原論文にはあたっていないのですが、この論文を紹介した文章によれば、まず昨日の引用文と大きく異なっているのが、意図した実験ではなく、あくまで観察だということ。いくら戦後間もない頃とはいえ、いくらなんでも実験は無理でしょう。それから、メキシコの孤児院と、アメリカの女囚刑務所に付属した保育所の子供を比較したものであるということ。
 スピッツ論文の内容は、Primary Preventionという英語論文に紹介されているのだけれど、synonymousさんの翻訳を引用させていただくと、

1945年にルネ・スピッツは、捨て子養育院の子供たちについての彼の経験を、刑務所の育児室の子供たちと比較して報告した。刑務所よりも、捨て子養育院の物質的状況は良かったが、病気や死の割合が高かった。捨て子養育院の幼児はよく成長していたにもかかわらず、施設に収容されて1年後には刑務所の子よりも成長が劣っていた。2年の間に、捨て子養育院の子の37%は死んでしまったが、刑務所の子は5年後になってもみんな生きていた。この2つの条件の差は、刑務所の子たちはお母さんが面倒を見ていたのに、捨て子養育院の子たちは専門の看護婦が面倒を見ていたことである。

 しかし、1955年にはすでにスピッツの論文は心理学者からの批判を浴びていて、そもそも観察開始時の子供たちの健康状態が考慮されていないことなど、統計的にコントロールされていないことが指摘されてます。また、ダイアン・E・アイヤー『母性愛神話のまぼろし』(大修館書店)という本でもスピッツの研究は痛烈に批判されていて、捨て子養育院では十数人の保母さんが働いていてひとりひとりの子供に対してそれほど関心を向けていなかったし、子供たちの多くが亡くなったのは麻疹の流行による可能性があるとか。
 以上は、『母性愛神話のまぼろし』と丹羽淑子編著『母と乳幼児のダイアローグ―ルネ・スピッツと乳幼児心理臨床の展開』(山王出版)から。いやあ、何でもある本屋が近くにあるっていいなあ。さすがに買う気にまではならなかったので、立ち読み(いや、ジュンク堂なので座り読みか)。
 もちろん、スキンシップは大切だとは思うのだけれど、スキンシップしなければ死んでしまう! とか、スキンシップしないと一生取り返しのつかないことになるのだ! というような言い方になると、どうも強迫めいていて、「ゲーム脳」と同じうさんくささを感じてしまいます。だいたい、最初に引用した「人とスキンシップ」のもとになる文章を書いたらしい旭丘光志先生なる人物は、『決定版・水飲み健康法―地球と人類の健康を復元させる自然回帰の水』、『宇宙慈悲よありがとう―宇宙神道がひらく21世紀の普遍真理』、『つらい痛みが3分で消えた―自然治癒力を高める“気”の医学真圧心療道の秘密』などの著作がある人らしいし。

「檄」「姑息」「憮然」意味取り違え7割…文化庁調査

 医学では、「根治的手術」に対して「姑息的手術」とか「姑息的治療」といった言葉がよく使われるけど、これは別に「卑怯な手術」という意味じゃなくて「その場しのぎ」という意味。ただ、「その場しのぎ」といっても別に悪い意味じゃなくて、より生活しやすくするために必要な治療なのですね。精神医学は、そもそも姑息か根治かなんていう区別がない分野なんで、私は「姑息的治療」なんて言葉を久しぶりに思い出したのだけど。

2004年7月30日(金)

日本小児科医会「子どもとメディア」アンケート

 子育てと医療と裏モノとの記事から。
 「テレビ、ビデオ、テレビゲーム・携帯用ゲームなどが子どもにどのような影響を与えると思われますか。考えられることを3つお答え下さい」という設問なのだけれども、選択肢が悪い影響ばっかりです。何も悪い影響なんかない、と思っていても3つ選ばなきゃいけないんでしょうか。その前の設問16の偏り方もすごい。すさまじいばかりの偏向調査ですね! その日本小児科医会「子どもとメディア」の問題に対する提言(pdfファイル)。この中の「日本小児科医会の活動」という項に、「子どもとメディアの問題の調査を行う」とあるのだけれど、もしかして、これが調査ですか?
 大丈夫か、日本小児科医会。

今日の精神科広告

 今日はサイコゾン。1981年の臨床精神医学に掲載されていた広告である。「サイコゾン」というなんともストレートな名前("Psychoson"をそのまま英語で解釈すれば「キチガイ息子」である。ちなみにサイコドクターは「キチガイ医者」)もすごいが、ウェイン・キャットをそのまま広告に使ってしまった大胆さもすごい。ただ、使われているのはウェインの絵の中でも発病初期のごくおとなしいもので、キャプションには(小さくて読みにくいかもしれないが)「敵意ある眼差し」とあるが、この段階ではそれほど敵意があるようには見えない。
 薬の一般名はクロチアピンといって、デリトン(こちらも強烈な広告で知られる)と同じ。広告には「第4の抗精神病薬」などと大げさなことが書いてあるのだけれど、今では発売されていないし、私も使ったことがないのでどんな効き目の薬なのかよくわからない。どうも短命な薬だったようだ。


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Written by Haruki Kazano