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更新日: 2004/10/06


2004年 4月中旬

2004年4月11日(日)

いらく続き。
「自己責任」は彼らを批難し、やりこめるための、判りやすいが無内容なタームとして、あまりにも安直に多用されているのではないか。

 まさにそのとおりで、人が他人(特に犯罪の被害者)に対して「自己責任」と口にする場合、そこにはどこか非難や差別の視線が含まれているような気がする。たとえば引用もとの日記が例に挙げていた海外旅行中のOLとか、女子高生とか、社会運動家とか。
 掲示板で、

> つまりは渋谷で遊んでいた女の子が事件に巻き込まれたら、
> 犯人を責めるより先に女の子を責めるような人たちとおなじだと思うのですね。

このたとえは少しおかしい思います。

「フェンスを乗り越えて高速道路を横断しようとした人が車にはねられたら
 ドライバーを責めるより横断した人を責めるような人たちとおなじだと思うのですね」
と言っているようなものです。

 という書き込みがあったのだけれど、これが何を意味しているのか私にはよくわからなかった。投稿者は、つまり最初のたとえ(Aとする)がおかしいと主張しているわけだ。そしてそれは2番目のたとえ(Bとする)と同等のものであると。私にはAとBが同等のものだとは思えない(渋谷で遊ぶことと、高速道路を横断することの間にはかなりの隔たりがある)。また、「おかしい」ということは、最初のたとえAが「イラクへ行った3人のたとえとしては適切でない」という意味だと思う。もちろん「たとえ」である以上、完全にパラレルであることはありえないのだけれど、私にはそれほど的を外しているとも思われない。そしてまた、イラクへ行って復興支援をすることが高速道路を横断するという違法行為と同等とも私には思えない。イラクでは拘束された3人ばかりではなく多くのNGOや記者たちが活動しており、彼らの活動に対して私としては敬意を抱きこそすれ、「高速道路を横断した」などと非難することはとてもできないのである。
 ……と書いていたら、上記書き込みの方から補足説明があった。やはり、イラクへ行った3人は、たとえAよりもたとえBに近いのではないか、という論旨であったようなのだけれど、上記の通り、私としては、彼らの活動が、高速道路を横断するようなものであり、周囲の人々に多大な迷惑をかけている、という意見には承伏できない。

 それから、私の使った「感謝」という言葉に対して違和感を表明された方もあったけれど、確かに「感謝」という言葉はやや不用意であったかと思う。
 私は別にボランティアではなく職業として精神障害者を援助している人間のはしくれにすぎないのだけど、援助者というのは、もちろん感謝されればうれしいけど、別に感謝を期待して援助しているわけではない。援助を受けている側が、少しでもいい方向に向かってくれればそれでいい。被援助者に歓迎されないこともあるし、援助が結局不調に終わって虚しさを感じることだって往々にしてあるのだけれど、それも覚悟のうち。感謝は、あくまで二次的なものだ。私は別にイラク人全員が日本人全員に感謝の気持ちを抱くとか抱いてほしいなどと思っているわけではない(そんなことはありえない)。高遠さんのケアによってイラクの子供(のうちのごく一部)が少しでもよい方向へ向かうということ。それがひいては我々日本人への、いや、この世界全体への恩恵になるのではないか、と考えるのだけれど、甘いですかね。

Random Personal Picture Finder

 別に芸術的でもなんでもなく、撮った当人以外の人にとっては何の意味があるのかもよくわからない、ふつうの人が撮ったふつうの写真をランダムに検索。右上のボタンを押すと、次々に新しい写真が探せます。世界中でふつうの人々がふつうに生きているということを確認する幸せ。なんか八谷和彦の「メガ日記」プロジェクトを思い出します。たまにエロい写真があってどきっとしますが、それもまたよし。

ヒューゴー賞ノミネート

 1953年のレトロ・ヒューゴー賞(ヒューゴー賞が選出されなかった年の年間ベスト作品を決めるというもの)のノミネート作品も発表されているのだけれど、その候補作がすごい。『鋼鉄都市』、『華氏451度』、『幼年期の終わり』、『重力の使命』、『人間以上』。これがすべて1年のうちに発表されたんですか。まさにSF黄金時代。

2004年4月14日(水)

喩え

 えーと、締め切りなんでイラク話はお休み。
 と思ってたのだけれど、ちょっとだけ。
 最初に喩えをつかったのは私なのだけれど、喩えに喩えを重ねるのは不毛なのでもうやめましょう。喩えはあくまで喩えでしかなく、複雑な問題では、どんなにぴったりな喩えを使っても、いや、ぴったりに思えてしまうからこそ、抜け落ちてしまう部分は必ず出てくる。わかりやすい喩えは理解を助けるけれど、その喩えに基づいて何かを考えるのは危険です(「相対論は間違っていた!」とかいう人には、こうした誤りを犯している人が多いです)。私もこの問題では、今後極力喩えは使わないようにします。

感謝とか使命感とか

 これは書こうと思ってて煩雑になるので書かなかったのだけれど、健全な援助を長く続けるためには感謝とか使命感だけではダメだと思うのだ。感謝だけを求めていては不満ばかりが高まってくるし、使命感だけではいっこうに変わらぬ現実の前にいずれ挫折する。太く短くがーっとやって燃え尽きたら辞めるくらいのスタンスなら、それだけでもいいのだけれど、長く続けるためにはそれだけでは足りない。長く続く援助のために必要なのは、春日武彦がいうように、「好奇心」だと思うのですよ。人の行けないところに行きたい、知らないことを知りたい、という好奇心。「こんな国があるのか!」「こんな家族がいるのか!」という驚き。もちろん長く続けていけば、見るもの何も新鮮に見えなくなってくる時期というのはあるわけで、好奇心だけでも立ちゆかない。つまり、好奇心と使命感は両輪なのではないか、と。
 私は、おそらくあの3人に限らず、イラクのような危険な場所に自分から渡る人たちには、使命感(「援助された方が良い方向に向かっているのを見る幸せ」も含みます。もっと短くて適切な言葉がちょっと思い浮かばないのだけれど)とともに、そうした好奇心もあるのではないのかな、と思うのですね。そのような利己的な動機というのは往々にして非難されがちだし、援助の現場でもあまり語られないことなのだけれども、実は援助や取材といった活動にとって「好奇心」というファクターは、とても重要なものなのではないかと思うのだ。
 自分のことを考えてみると、「感謝されたい」という気持ちはあんまりなくて、「好奇心」の方が強いかな。まあこれは人それぞれなんでしょうが。

自己責任

 私としては「自己責任」というのは、自分を戒めるために使う言葉であって、他人の行動を批評するときに使う言葉ではないと考える。

フリーズ

 1992年に、アメリカ留学中に「フリーズ」という英語がわからず銃殺された高校生の事件があった。あのときには日本の世論は犯人非難一色。被害者の自己責任を問う声は一部にはあったものの、それほど大きくはなかったように思う。マスコミのバックアップもあって、家族は銃規制を求めて運動を始め、170万人もの署名をクリントン大統領に手渡したのだった。
 もし今あの事件が起きたらどうだろう。即座に被害者と家族はDQN呼ばわりされて、2ちゃんねるで罵詈雑言を浴びせられているんじゃないだろうか。
 もちろん簡単に「被害者かわいそう、犯人ひどい」一色に染まってしまうのもどうかと思うのだけれど、わずか10年近くの間に、日本の世論もがらりと変わったものだと思いますね。

 しかし、「フリーズ」事件のアナロジーで考えるなら(喩えは使わないと言った舌の根も乾かぬ内にこれですよ!)、「自衛隊を撤退させろ」じゃなくて「イラクの治安を早くなんとかしろ」と政府に求める団体があってもいいような気もする。日本政府に求めても無理なんでアメリカ政府にかな。そういう市民団体ってないんですかね。

2004年4月15日(木)

解放

 とりあえず3人が無事でよかった。また新たに2人が拉致されてるのが心配だけど。
 3人に対して、「自己責任」を問う声(それだけならいいのだけれど、私には「自業自得だ」という感情的な非難と紙一重に聞こえます)がこれほどまでに高くなった背景としては、自作自演疑惑よりも先に、彼らのうち二人までが「女子供」だったことがあるんじゃないかな。
 この国では、女性や子供というのは、自らの責任をとれない存在であり、保護されるべき存在と考えられてます。少なくとも、心の底でそう考えている人は山ほどいる。そんな女子供が危険な場所へ出かけていき、案の定危険な目にあって「大人」(=成人男性)に迷惑をかけている。そうした構図が、「そらみたことか」と言わんばかりの批判や、ほとんど倫理的な断罪とも思えるほどに激烈な非難や中傷に結びついているんじゃないか(なんせ、政治家までが批判めいたことを口にしてましたからね)……なんてことを考えたのですが、ちとフェミニズム的すぎますかね。

 「自己責任」については、こちらの意見に賛同します。ちょうど漫画家の横山光輝が寝たばこで全身ヤケドの重体、というニュースもありましたが、それを「自己責任」だと指摘してみたところで何も生みはしないでしょう。

[読書]デイヴィッド・アンブローズ『迷宮の暗殺者』(ヴィレッジブックス)

 『そして人類は沈黙する』『覚醒するアダム』『幻のハリウッド』……と、邦訳はこれで4冊目になるものの、SFともホラーともサスペンスともつかないどっちつかずの作風がたたってか、今ひとつメジャーになりきれない作家、それがデイヴィッド・アンブローズ。
 いかにも映画の脚本家が書いた小説らしく、つるつる読めるごく普通のローラーコースター・サスペンスだな、と思って読んでいたので、第2部の最後に待ちかまえていた、あまりといえばあんまりな展開には心底驚愕しました。しかも、てっきり何かのトリックかと思ったら、本当にそのまんまだったとは……。ただ、あまりにもものすごい展開が中盤にきてしまったため、結局最後までそれ以上の驚きがなかったのが残念。確かに結末はひとひねりしてあるのだけれど、どうしてもおとなしく感じられてしまう。
 バカミス好きはゆめゆめ見逃しちゃいけない作品。SFファンもぜひ。
 なお、巻末の謝辞は絶対に本文の前に読んじゃいけません。

キル・ビル・ゲーム

 vs.クレイジー88。何度やっても40人斬りくらいで死んでしまいます。チェコのサイト。

2004年4月16日(金)

「アイコ十六歳」の今関監督、12歳買春の疑いで逮捕

 監督〜!
 正直言って鷺沢萠よりも横山光輝よりも(もちろん植草一秀よりも)ショックであります。私は一時期、今関あきよしとか小中和哉とか、その系統の監督の映画を追いかけていたことがあるので。
 今関あきよしといえば、少女を撮らせたら日本一の監督。その今関監督が少女買春とは、あまりにも意外性がなさすぎて脱力するしか。あなたは、いちばんそういうことをしてはいけない立場の人間だったのではないか、と。植草教授の場合は別にそれまでの業績は否定されないけれど、監督の場合、それまでの映画すべてが色眼鏡で見られてしまうのが痛いですね。たとえ復帰できても、もう二度と少女映画は撮れないんじゃないだろうか。それとも、大林監督あたりが撮影で使ってくれるんだろうか。
 明治の文豪田山花袋に、少女小説ばっかり書いててバカにされている作家が、電車の中で少女の視姦三昧にふける姿を描いた「少女病」という小説があったけれど、その小説の表現を使えば、今関監督はまさに「少女にあくがれるのが病であるほど」であったのでしょう。
 しかし、世間的には、今関監督というと「いまだに『アイコ十六歳』の」なんですね。私にとっては『グリーン・レクイエム』と『りぼん』と『タイムリープ』の監督なんですが。今では、モー娘ビデオの監督だと思う人が多いのかな。
 クランクアップ直後だった『少女カリーナに捧ぐ』は、いったいどうなってしまうんだろう……。

 しかし、今関監督の師匠格の大林宣彦もまた、少女映画ばっかり撮っている監督なわけですが……こちらも、歳を重ねるにつれどんどん露骨にエロになっていく(『はるか、ノスタルジィ』とか見てられなかったですよ)のがまた心配であります。

[読書]霞流一『スティームタイガーの死走』(角川文庫)

 不可能犯罪が次から次へと繰り出されるサービス満点の本格ミステリ。あとには何も残らないけれど、まさに「ノンストップ本格推理」の名に恥じず、一気に読める快作であるのは確かです。ただし、トリックはかなり苦しいものばかりなのだけれど、質より量で勝負ということなのだろう。
 ラストの仕掛けはいくらなんでも強引すぎるような気もするが、まあ、これは苦笑しておけばいいのでしょう。シベリア超特急ネタとか、「悪名高いOM教」とかいくつものくすぐりを出しときながら、いけしゃあしゃあとこんなオチをつけてしまうあたり、作者の方も確信犯なのだろうから。
 読んでいるうちは充分楽しませてもらったのだけれど、これが「このミス」で4位に入るべき作品なのかどうかだけは疑問です。

[読書]米澤穂信『氷菓』(角川スニーカー文庫)

 『さよなら妖精』の前に、と読んでみたのだけれど、これは地味ながらなかなかの佳作。ミステリ的には小さな謎ばかりで地味なのだけれど、何よりも学園の空気感が出ているのがよいです。特に、「古典部」という何をやるのかよくわからない部の雰囲気が、なんだか『究極超人あ〜る』の光画部のようでいい(笑)。物語のキーポイントが33年前という時点で、すでにだいたいどういう話になるのかわかってしまうのが難点だけれど、スニーカー文庫のメイン読者層にはたぶんぴんと来ないのでいいのか。

受け攻め度チェック

 やってみた。

風野さんは 妖艶受け です!

● 妖艶受けの貴方は
★性格★
飾り気のない実直な人です。
温厚で真面目、頭も良く、さらに自分のことは犠牲にしても人のために力を注ぐことのできる人格者。
情や一時的な感情に流されない、非常に理論的な考え方を持っています。
客観性や論理性など、ビジネスで有用な能力を持つあなたは、大物の風格が漂ってます。
★夜の性格★
精神的攻め・体は受けのタイプ。
自分の武器を十分に熟知しているので、利用できるものはすべて使い、自分の快楽を追い求めます。
大抵は相手を挑発して快楽を貪ります。
誘い受けとは違い、人の後ろをおとなしく歩くのを嫌います。
貴方の魅力に周りはKO寸前。

● 風野さんの前世は、将棋の駒(歩)です!

 将棋の駒(歩)……。

しまった

 『ドッグヴィル』今日までだったのか。見逃してしまった……;;。

2004年4月17日(土)

ブラックジャックによろしく 精神科編 第4回

 すっかり忘れてた。
 えー、今回は特に言うことはありません。
 ただ、今のストーリーからすると、精神科の患者や精神医療の問題を正面から描く、というわけではなく、精神科での体験を通して主人公が自分を見つめ直す、という展開になりそう。まあ、それはそれでいいのだけれど、それだけだとちょっと期待はずれかな。

[読書]矢野龍王『極限推理コロシアム』(講談社ノベルス)

 『バトル・ロワイアル』、『メロス・レヴェル』などなど、このところ流行りの不条理サバイバルゲーム小説の一冊。この作品では、サバイバルを犯人捜しの本格ミステリと結びつけたのが新しいといえなくはないのだけれど、出来の方はといえば、これは大いに不満。
 だいたい、この手のゲーム小説だと、ルールに反抗してみたり裏をかこうとしたりする登場人物が一人はいるのが常道なのだけれど、この作品では誰もがルールに唯々諾々と従うばかりなのがとても不自然。外へ通じるドアをこじ開けたり天井を破ったりしようとする人くらいいてもいいと思うのだが。あと、登場人物の動きがまるでゲームの駒のようなのも不自然すぎ。なんでそんなことするんだよ、と思ったことが多々ありました。
 あと、せっかく不完全な情報から犯人を推理する、というパズル的に面白くなりそうな設定なのに、それがどうも生かされていないのも不満。結末もどうにも中途半端でフラストレーションが残る。
 そうそう、ある人物の死について芝居をうつ場面があるのだけれど、この場面、てっきり、こちらは「もともと死んでいたのがバレたと思っている」のに、相手側は「死んだこと自体が芝居で、まだ生きていると思っている」ということで、この認識の差が伏線になっていると思ったのだけれど、関係なかったのですね……。
 すでにドラマ化が決まっているそうだけれど、さもありなん。舞台がきわめて限定されているので、非常に低予算で映像化できそうな話ではあります。しかし四夜連続って……そこまで時間かけるほどの話ですか。

2004年4月18日(日)

[読書]栗本薫『グイン・サーガ94 永遠への飛翔』(ハヤカワ文庫JA)

 ついにグインが星船と遭遇し、1巻以来の謎だった「アウラ」「ランドック」、そしてグインの正体の秘密が(ある程度)解き明かされるという、グイン・サーガ史上でも一大転機となる巻。しかし、星船まわりのSF的な設定は、すでに70年代のシリーズ開始当初から構想されていたからか、今となってはあまりに古くさく思えてしまうのが難点。「了解シマシタ。マスター・ぐいん」とか、コンピュータがカタカナでしゃべるSFを久しぶりに読みましたよ。やっぱり昔の特撮映画に出てくる宇宙人みたいな抑揚のない口調でしゃべってるんでしょうか。いくらなんでもこれじゃ読みにくいし書きにくいと作者も思ったのか、途中から何やら理由をつけて普通のしゃべり方に戻ってますが。
 ラストの展開には、おそらく外伝を読んでいなければ驚けたのだろうけれど、『七人の魔道師』でグインがケイロニア王に復帰して、相も変わらずヤンダル・ゾックと戦ってることはすでに決定済みだからねえ……。

2004年4月19日(月)

「痴呆の呼び方見直して」 介護の専門家が厚労相に要望

 確かに、「痴」に「呆」という漢字のイメージは、「精神分裂病」よりよっぽど強烈なわけで、これまで呼称変更の動きがなかったのが不思議なくらいなのだけれど、今になってようやく変更の動きが出てきたというのは、やはり「統合失調症」が意外にすんなり定着したからか。そうなると、次はきっと「人格障害」の病名変更だろうなあ。いや、「精神科」自体の名称変更かも(実際、改めた病院もあるようだし)。
 ただ、「痴呆」や「ぼけ」は、「精神分裂病」とは違って、病名というよりすでに日常語の範疇になっているので、これを変更するというのはかなり難しいかもしれない。ヘタをすると、「実年」や「E電」の二の舞で、新名称を発表してはみたものの、ほとんど使われないままになってしまうのがオチだろう。たとえば、「痴呆とかぼけとか呼ぶのではなく、そうした高齢者をアリスと呼ぼう」などという人もいるけれど、このようなきれいごとだけの名前では、とても定着するとは思えない。少なくとも、家族の苦悩や介護の苦労、そして記憶や思考力を失っていくという症状の重みにふさわしい名称でなければ、当事者に使われることはないんじゃないだろうか。

解放の3人、20日に帰省へ 「いずれ会見したい」
家族側によると、3人とも極度の疲労とストレスを原因とする神経失調症と血液循環不全と診断された。

 うわあ、うさんくさい病名。こんな謎の病名を本当につけたのだとしたら、その医者は信用できませんね。まあ、家族のいうことだから、医師の告げた病名とは違う可能性はありますが。3人に診断をつけるとしたら、3人を診察した斎藤学のいうとおり「急性ストレス障害」が妥当でしょう。PTSDは、DSM-IVによれば障害の1ヶ月以上の持続が必須なので、今のところまだ該当しません。
 今本当に心配なのは、拘束そのものによるストレスよりも、マスコミの取材や匿名の嫌がらせによる二次被害ですね。今の状況は、まさに性犯罪被害者に対する「セカンド・レイプ」そのもの。本当に、なんとかならないものか。


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Written by Haruki Kazano