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更新日: 2004/10/06


2004年 4月下旬

2004年4月21日(水)

Le Monde「日本では人質は解放されるための費用を払わねばならない」

 日々魚を蹴る経由で知ったル・モンド紙記事翻訳。実際には、請求されたのは解放費用ではなく帰国費用の一部なのだから見出しは正確ではないのだけれど、日本は外圧に弱い国なので、こういう記事やパウエル発言があると、またマスコミの論調も揺り戻しが来るかもしれない。実際、このところ3人の人質を気遣う報道も増えてきてますね。

情報発信者としてのメディア・リテラシー

 まず私は、人質になった5人は、責められるようなことは何もしていない、と考えています。彼らは危険な地域で活動しているNGOや記者と同じことをしただけであり、ひとつだけ違う点があるとすれば、運悪く拘束されてしまったということ。
 まあ、人質家族のマスコミでの発言があまりにも拙かったのは確かでしょう。私としては、息子や娘の命を助けるためなら、どんな理不尽なことでも口にしてしまうのが家族ってものだと思っているので、家族の会見に対しては別に反感は覚えなかったのだけれど、世間的には、どうやらあれに反発を感じた人は多かったらしく、ネットのあちこちで、人質やその家族に対する激烈な批判を目にしました。
 私にとって不思議に思えるのは、別に自分が迷惑を被ったわけでもないのに、なんでまた、一般の人たちが彼らに対してこれほどまでに強烈な拒否反応を示すのか、ということ。私は別に人質になった方々の経歴にも自作自演疑惑にもほとんど興味はないのだけれど、日本社会に起きたこの現象は非常に不気味で、なおかつ興味深く感じられるのです。
 そして、これに対しては改めて私が考えるまでもなく、すでに優れた考察があるので引用させてもらうと、

圏外からのひとこと
最初に人質の家族と支援者が、人質の弱者としての権力を最大限に利用する形で「自衛隊を撤退しろ」という政治的な主張をした(と受けとめられた)。そして、その反動が解放された三人に対する(過度の)(非論理的な)バッシングとなって向かっているわけです。私もそうですが、「弱者の権力」に過敏になっている人が日本には多い(その多くが2ちゃんねら?)。これで挑発されるとすぐ頭に血が昇ってしまうんです。
kom’s log
ある日思春期の子供がムラから忽然と消える。ムラは総出で捜索する。すわ、神隠しか、と夜を徹した捜索が行われ、村民は疲労困憊。熊に食われたのかもしれんと、村民がささやき始めた次の日にひょっこり子供がムラに帰ってくる。子供は、日があるうちにもどれそうにもなかったので、岩の陰で寝てた、という。バカが、なにやっていたんだ、ムラは総出で探したんだぞ、と怒鳴り散らされる子供。みんな寝ないで心配したんだぞ。この子供は内心、心配してくれなんて頼んだ覚えはない、とつぶやくかもしれないが、この子供は確かにムラの迷惑者である。このクソガキが、である。しかしこれはムラの話だ。近代国家は、ムラではない。迷惑をかけてはいけない、というこのムラ感覚が、齢10年ほどの言葉とないまぜになって、目下大声で語られている。

 「『弱者の権力』を濫用した(ように受け止められた)こと」、そして「日本人のムラ感覚」という分析には、私も納得がいくところ。原因はこのへんにありそうだ。
 もし、人質の家族の発言が違っていたならばこのような事態にはならなかった(これについては疑問あり。日本人の「ムラ感覚」が原因のひとつなのであれば、たとえ家族が理想的に応対をしても人質へのバッシングは起こったろう。今ほど激烈ではなかったかもしれないが)というのなら、今後ますます必要になってくるのは、犯罪被害者およびその家族のメディア・リテラシーということになるんじゃないだろうか。メディア・リテラシーといっても、一般に言われるような、報道を受け取る側ではなく、情報を発信する側のそれ。取材を受けること、報道されることの効果を冷静に判断し、メディアを利用して世論を味方につける技術である。日本が「ムラ社会」であるのなら、その「ムラ感覚」を最大限に利用するだけのしたたかさ、といってもいいかもしれない。もちろんこの技術を誰もがすぐに習得できるというものでもないので、たぶん近い将来、犯罪被害者やその家族などに対して、会見で何を言ってはいけないか、どのようなことを言えば効果的にアピールするかアドバイスをするコーディネーターのような職業が出現するんじゃないだろうか。
 もちろん、この「情報発信者としてのメディア・リテラシー」、ウェブ上で日記を書いている私たちにも無縁ではないですね。
 そうそう、まずは、最も「情報発信者としてのメディア・リテラシー」を持っていてしかるべき政治家が、ワイドショーのコメンテーター以下の発言しかできないというこの国の状況こそ、少しは変わってもらいたいものなんだけど。

3人に強いストレス障害 人質事件の高遠さんら

 果たして高遠さんは、「こんな経験をしたけど、日本人を嫌いにはなれない」と言ってくれるだろうか。

2004年4月22日(木)

[読書]貴志祐介『硝子のハンマー』(角川書店)

 とりあえずK・W・ジーターとは関係なし。
 やっぱり巧いなあ、貴志祐介は。今度は本格ミステリだというのでどうなることかと思ったのだけれど、脇役に至るまでしっかりと立ったキャラクターに、綿密なリサーチとそれを読者に伝える技術、そして圧倒的なリーダビリティは健在。まさに職人芸であります。
 プロットはきわめて単純で、ビル内で起きた密室殺人の謎を探偵役とワトソン役が追う、という言ってみればそれだけの話なのだけれど、『毒入りチョコレート事件』以上にめまぐるしい仮説の提示と検証の連続に、著者ならではの綿密なリサーチに基づくセキュリティや建築関係の細かいディテールとがあいまって、内容はきわめて濃厚。密室もので、これだけ建築関係のディテールが細かく描写された作品というのは、ちょっと記憶にないくらいです。確かに、密室といえども建築物の一部である以上、現実の建築技術や錠の構造と密接な関係を持つのが当然なのだけれど、本格プロパーの作家ほど、そのあたりをあいまいにする傾向がある(まあ、パズラーとしてはあまりに煩雑になるからだろうけれど)ので、これは新鮮でした。
 おそろしく贅沢にトリックを使い捨てていく前半の展開から、後半は一転して倒叙ミステリになるあたりは、いかにも『青の炎』の作者らしいところ。まさに貴志祐介らしさのあふれる小説であり、本格ミステリを貴志祐介流に料理したヌーヴェル・キュイジーヌ、という感じですね。

 そうそう、唐突に2ちゃんねるの詩・ポエム板が出てくるのには笑いました。しかも作中に登場するスレを実際に立てた人までいるし。

ブラックジャックによろしく 精神科編 第5回

 うーん、前回書いたとおり、精神科での体験を通して主人公が自分を見つめ直す話になりそう。あと、今回トイレに閉じこもってた統合失調症患者のキャラクターは、なんだかあまりにも普通の人すぎて、今ひとつ統合失調症っぽくないですなあ。
 あの新聞記者、ずいぶん長いこと保護室に入ってたような気がしたけど、作中時間ではまだ1日しかたってないんだっけ。

スターリンvs.ヒトラー

 ロシアのコミック。ロシア製だからか、スターリン強すぎ、ヒトラー情けなさすぎ。スターリン、空まで飛んでますよ

2004年4月23日(金)

人質問題と「世間」

 私の目下の関心事は、こないだも書いたとおり人質事件に対する社会の反応の方なのだけれど、これについては、骨のダイスを転がそうで書かれているとおり、阿部謹也のいう「世間」の考え方を適用するとわかりやすいようだ。
 阿部謹也によれば、「世間」とは、欧米にはみられない日本独自の生活の形であって、日本人一人一人の行動を拘束しているものだという。「世間」の中に生きる人の行動原理は3つの原則によっていて、それは贈与・互酬の原則、長幼の序、共通の時間意識であるという。
 そして、「世間」で暮らす人は「世間」の人々にのみ視線を向けて暮らしており、自分の「世間」以外のことに関心を向けることはほとんどない。そして、戦争や災害、病気や事故といった突発的な事件は、「世間」の中に根を持たない外界から突然襲いかかってくるものと受け止められるのである。

 私としては、この手の日本人特殊論は、日本人の欧米に対する劣等感とそれと裏返しの優越感がないまぜになっているようで、これまではあまり好みではなかったのだけれど、このところのパウエル発言やル・モンドの記事、ニューヨーク・タイムズの記事(読むには無料のメンバー登録が必要)と、それについてのMetaFilterのスレなどを見ていると、やっぱり日本の人質バッシングというのは、国際的にも特殊な現象であるようだし、そこには日本人の国民性とでもいうものが大きく関わっていると考えた方がよさそうに思える。

 さて、この「世間」の視点から今回の事件を見てみると、まず、「世間」で暮らす人は主に「世間」の内側にしか関心がない、というのがひとつ。サラヤ・ムジャヒディンとかは「世間」の外側の存在であって、災害と同じようなものなのであり、世論の関心はもっぱら「世間」の内側の存在である人質に向けられることになる。。
 つぎに、ボランティアとか市民活動家とかフリーの記者とか、人質になった人たちがそもそも「世間」のはみ出し者であった、という点がある(また、以前指摘したように、「女」「子供」といった「世間」の周縁部の存在だった点もあるだろう)。そんな彼らが失敗を犯せば、「世間」はことさら強くこれを非難することになる。これが大使館員とか商社の社員とか、「世間」のまっとうな構成員であったとすれば、世論の反応は大きく違ったはずだ。
 最後に、家族の会見で「世間を騒がせて申し訳ない」という謝罪がなかった(あとになって謝罪したが、そのときにはすでに遅かった)という点。日本の社会では、たとえ自分は何も悪いことをしていないとしても、「世間」を騒がせたことをまず謝罪しなければならないのだ。それがないままに自己及び自己の家族の都合を優先したがために、彼らは「世間」からいっせいにバッシングを受けることになったわけである。
 このように、「世間」の考え方を使うと、私が疑問に思っていた点が、わりときれいに説明できるみたいだ。私はけっこう納得がいったのだけれど、みなさんはどうですか。

落書き

 前の項目で、以前からの疑問がいちおう解けたこともあり、もうイラクの人質関係で書きたいことは書き尽くしたので、もうイラク関係のことは書かないつもりなのだけれど、最後にもうひとつ。
 一昨日の日記で、「人質になった5人は、責められるようなことは何もしていない」というところを書きながら、なんか似た文章をどっかで見たことがあるなあ、と思っていたのだけれど、やっと思い出しました。

"The Juwes are the men that will not be blamed for nothing"

 切り裂きジャックが壁に残したという落書き。

人質達を責めないで
私は人質が嫌いです。
人質は幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
(中略)
努力のそぶりも見せない
忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも
何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
(中略)
私は人質が嫌いだ
ウン!
人質が世の中のために何かしてくれた
ことがあるでしょうか いいえ 人質は常に
私達おとなの足を引っぱるだけです。
(中略)
定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ
目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ
何が星目がちな つぶらな瞳だ
(中略)
そんな人質のために 私達おとなは
何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで
ひとりでもお礼を言う人質がいますか
これだけ人質がいながらひとりとして
感謝する人質なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか
それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ
私達おとなだけで
せつな的に生きましょう ネ
 
人質はきらいだ 人質は大嫌いだ
離せ 俺はおとなだぞ
誰が何といおうと私は人質が嫌いだ
私は本当に人質が嫌いだ

 最初の項だけにしとけばよかったのに、こういうことを書いて茶化してしまうのが私の悪い癖なんだよなあ。
 まあ、これをどう感じるかは読む人にお任せします。まったくその通りだと思うもよし、「おとな」に対する皮肉だと思うもよし、悪趣味だと思うもよし。ただ、元ネタは「子供は大切に育てるものだ」という建前がちゃんと機能していたからこそ名作と呼ばれたわけで、こうもみんなあけすけに本音を語る時代になってしまうとインパクトも薄れますな。
 で、イラク関係の日記は、本当にこれでもう終わりです(メンタルケア関係についてはまた何か書くかもしれないけど)。

2004年4月24日(土)

発言小町 最近のSF小説

 「発言小町」と「SF」という取り合わせに意表を突かれる。
 質問者は、小学6年生の息子におすすめのSFを探しているのだけれど、解答はなんだかどうもかなりずれているような気がする。
 瀬名秀明や北野勇作、神林長平とかティプトリー・ジュニアまで勧めている人もいるのだけれど、本を読まない小学6年生にいきなりそれはちょっと無茶なんじゃないだろうか。

子供さんにお薦めするSFなら上にも何人か紹介してらっしゃいますが、神林長平さんがおすすめかも。

 そうかなあ。
 ライトノベルを勧めてる人がほとんどいないのもどうかと思う。ただ、私なら母親から勧められたライトノベルなんて読まないけどね。そもそも母親が息子にSFを勧めるという時点で無理があるのかも。

人質問題と「態度」
裏モノ日記(4/23)より
 市民活動に関わる人々は、今回の人質バッシングに対し、それが何故、起こったの か、これをまず、真摯に分析するところから始めないと、大衆に対し自分たちの意見 を浸透させることはまず、永久に不可能だろう。何が悪いか。これは明らかである。 “態度が悪い”のである。“平和”“善意”“子供たち”という、誰も否定出来ない 言葉を楯にすることで、自分たちに賛同しないものは全て戦争の責任者なのだ、と無 言で協調を押しつけてくる、あの態度が問題なのである。人というものは、反対でき ぬタテマエを突きつけられて同調を求められると、“自己の選択権を無視された”と とってしまう生き物なのだ。しかもそういう同調を求めてくる人たちは、自分たちの善意を否定されるという可能性をツユも脳裏に思い浮かべようとせぬ。
(中略)
これは、言説の正しさとはなんの関係もない。人は結局のところ、正しさではなく、態度とか、ものの言い方とか、顔つきとか、そういうことで人を判断する。思想信条の異なるもの同士でも肩を組んで酒を飲むことは出来るが、態度の悪いもの、生意気なものとは席を同じくする気も起きないものなのである。

 なるほど、これも実にわかりやすい分析。ただ、これが「人」一般に言えることなのか、「日本人」に限ったことなのかは、ちょっと保留したいところ。

2004年4月25日(日)

「未納3兄弟」と菅代表が批判 3閣僚の国民年金未加入

 なんだかなあ。このあいだの「やるやる詐欺」といい「未納3兄弟」といい、最近の菅代表、妙な芸風に目覚めてませんか。しかも、そのことごとくがすべってるし。

菅直人の今日の一言(2004-2-19)
若者の活字離れが言われて久しいが、今や日本人全体が活字離れ。テレビによる表面的な映像や情緒的な発言で、政治が判断される風潮は恐い感じがする。

 と批判しておきながら、まさに情緒的としかいいようのない造語でウケを狙おうというのはどうか。いや、情緒的な発言が世論を引きつけるのに有効とあればそれを利用するのは別にかまわないんですが、それにしてはあまりにも、言語感覚が、ねえ。いくらなんでも、いまどき「3兄弟」はないでしょう。

Juergen Specht

 東京在住のドイツ人写真家Juergen Specht氏のサイト。日本のヘンなものを海外に発信してます。コスプレホームレス秘宝館とか伊豆極楽園の写真もいいけれど、何気ない東京の風景の切り取り方がすばらしい。
 マトリックス・イベントの写真を撮ったのもこの方。

[読書]恩田陸『MAZE』(双葉文庫)

 アジアの西の果ての荒野に建っていて、いったん入ると、戻ってこない人間が数多くいると伝えられている、白い直方体の建築物(通称『豆腐』)の謎をめぐる物語。
 恩田陸の謎解きものにははじめからあまり期待していなかったので、意外にちゃんとしたチェスタトン風味の解決がついていたのは高評価。恩田陸の小説は、なんだか雰囲気に流されるうちに、細かいところがあいまいなままごまかされてしまうような作品が多くて私はちょっと苦手だったのだけれど、この作品では、自らの作風を逆手にとって、雰囲気自体をミスディレクションにしてみせているのがうまい。でも、やっぱり単なる一民間人の主人公がわざわざ呼ばれた理由がよくわかりません。それに、お得意の幻想的結末は、この作品ではちょっととってつけたようで不発ぎみ。

2004年4月26日(月)

シャーロッキアンが謎の死、コナン・ドイルの呪いか
 グリーン氏は3月27日、自宅ベッドで靴ひもで首を絞められ、玩具に囲まれた死体となって発見された。靴ひもを締め付けるのに木製のスプーンが使われていた。

 見立て殺人?
 死んだリチャード・L・グリーンというのは、この人ですね。『アーサー王物語』(岩波少年文庫)とか『神々のたそがれ』(学研)などを書いた児童文学作家ロジャー・ランスリン・グリーンの息子でもあるらしい。

Earthlings: Ugly Bags of Mostly Water

 スタートレックに出てくる架空の言語クリンゴン語を話すコミュニティの人々を追ったドキュメンタリー映画。『トレッキーズ』みたいなものかな。
 この映画にも出演している言語学者のスピアーズ博士は、息子のアレクサンダーが3歳半になるまでクリンゴン語だけで育てたという。完全にクリンゴン語だけで育てたら児童虐待と言われても仕方ないところだけれど、母親は英語を使ったので、子供は英語とクリンゴン語のバイリンガルとして育ったそうだ。
 スタトレファンなら、息子の名前がアレクサンダーという時点ですでににやりとするはず。TNG、DS9に出てくるクリンゴン人士官ウォーフの息子の名前がアレクサンダーなのだ。

2004年4月30日(金)

SFセミナー

 というわけで、明日はSFセミナーです。いつもとは会場も日にちも違うから間違えるな!
 私は今年は忙しくて、ほとんどお手伝いできませんでした。申し訳ない。当日も、たぶん夜からの参加になってしまうかも。

電子レンジとマシュマロで光速度を測定する実験方法

 マイクロ波の周波数はわかっているので、波長を測定してやれば光速度が出るのは当然といえば当然。で、波長を測るのにマシュマロの溶けムラを使うということなのだけれど、これで正確に波長がわかるのかな? もちろん、レンジにターンテーブルがあったり内壁に鏡を張ってあったりするとダメになってしまうけれど。

Tetra Vaal(動画)

 このショートフィルムはなかなかすごいです。アフリカのスラム街や街角に、当たり前のように銃を構えたロボット警官がいる風景。お気楽なロボコップとは違い、こちらはより生々しくて衝撃的。
 監督はNEILL BLOMKAMPという人。エンバシーという、カナダにあるヴィジュアル・エフェクトの会社の宣伝用ビデオでもあるらしい。


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Written by Haruki Kazano