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更新日: 2004/10/06


2004年 5月下旬

2004年5月21日(金)

箱男

 宇都宮でも立てこもり事件があったけれども、私が気になったのは断然こっちの方。

木製箱に男性を監禁=逮捕の64歳、動機を追及−千葉
 千葉県松戸市で妻の知人男性(39)を自宅に監禁したとして、無職***容疑者(64)が人質強要処罰法違反の現行犯で逮捕された事件で、**容疑者は「箱ベッド」と呼ぶ約1メートル四方の手製木箱に男性を閉じ込め、一緒に中に入り、内側からくぎを打って出られないようにしていたことが19日、松戸東署などの調べで分かった。また、同容疑者が過去に放火で実刑判決を受けており、「裁判はでたらめ。やり直せ」などと同署員らに要求していたことも判明。同署などは監禁の動機について、さらに詳しく調べる。 (時事通信)
(Yahoo!ニュース)
千葉ではナイフで妻の知人男性を脅かして一緒に木箱に立てこもった男が19日午前零時すぎ、人質強要処罰法違反の現行犯で逮捕された。松戸東署の調べだと松戸市三ヶ月、無職、***容疑者(64)。18日午前11時すぎ、自宅で流山市の男性(39)をナイフで脅かして押し入れ下段にある1辺1メートルの木箱に一緒に閉じ込もり、驚いた妻(43)が近くの交番に通報した。

 木箱は正面に戸があるが外から開けられない構造で、署員が箱の外から説得を続けたが、**容疑者は中から「出られない」と拒否したり、「妻を呼べ」と要求したり、さらに身の上話をしたり。約13時間後、よいやく箱を開けて男性を無事解放したが、狭い空間に大の男2人で入っていたため、2人とも疲れた様子だった。男性はこの日午前、妻をめぐって**容疑者と話し合うために自宅を訪ね、騒ぎになったらしい。
SANSPO.COM

 最初は、単に箱の中に男性を閉じこめただけかと思ったら、なんと、一緒に入ってしまってしまっている。男二人、一辺1メートルの箱の中。なにやら非常に猟奇的といいますか、不条理劇のような奇妙さを感じる事件であります。吉田戦車のマンガみたいだ。しかも、「箱ベッド」と呼んでいる、ということは、この容疑者、この箱を以前からベッドとして愛用してたんだろうか? 閉所愛好家?
 この犯人の心理を「幼児化という病理」ととらえ、そこに現代社会の不気味さを感じている方もいるけれど、いくら現代社会が病んでいるからといっても、こんな事件はそうそう起きるもんじゃないでしょう。私としてはこの事件に、そういったいかにも精神科医が言いそうな社会病理の分析ではとても割り切ることのできない、ものすごく個人的な情念を感じる。ここにはヘタな分析を拒む何か、ざわざわと私たちの心を波立たせる何かがある。それは、わかろうとすればするほど本質から遠ざかってしまうような「何か」であって、名づけるならば「生命」とでもいうものなのかもしれない。そして、私はそこにとても惹かれるのです。

胎内で青いケシの花

 見出しにちょっとびっくり。

『「超」税金学』の書評

 一発ネタばっかりですいません。

朝日ソノラマ

 文庫本が届く。いつも送っていただいてすいません。SFマガジンでは非ライトノベル担当なので書評できなかったことを心苦しく思っていたのだけれど、今月の新刊は、タイトルを見ただけでひっくりかえりそうになりました。

no image 火星の土方歳三』 −
朝日ソノラマ
著者:吉岡 平(著)
価格:\580


 バローズの火星シリーズの火星で、土方歳三が闘う! ものすごいインパクトのあるタイトルだ。しかもイラストは末弥純。これは読むしかないでしょう。

2004年5月22日(土)

鶴田謙二『コメット』(講談社)
no image コメット』 −
講談社
著者:鶴田 謙二(著)
発売日:2004/05/23, 価格:\2,940


購入。SFマガジンとかヴァーナー・ヴィンジの表紙絵とかSF2001のちらし絵とかエマノンの絵とかを収録した画集。しかし、こうしてみるとほとんどの絵に女の子が描かれてますな。「コメット」は、もちろんキャプテン・フューチャーの愛機コメット号だとか。画集もいいけどマンガを描いてほしいなあ、マンガを、と鶴田謙二ファンの99%が思っているだろうことを言ってみる。
 しかし、せっかく書影を入れるようにしてみたのに、アマゾン、no imageばっかりだ……。

教員養成セミナー

 という雑誌に、書評のようなエッセイのようなよくわからない原稿を書きました。なんで頼まれたのかよくわからないのだけれど、毎月いろんな分野の人が書いているコーナーらしくて、依頼されたときにもらったコピーを見ると、森山さんとか青木さんとか、知っている名前がちらほらと……。紹介する本は2冊で、そのうち精神科の本を1冊入れてほしい、とのことだったので、春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』と、ダン・シモンズ「ケンタウルスの死」(『20世紀SF 6』所収)を選びました。いちおう教員志望者向けSFということで。

[映画]ドーン・オブ・ザ・デッド

 うーん、つまらなかったというわけではないのだけれども微妙。
 まず、ロメロ版の『ゾンビ』とはまったくの別物。ロメロのゾンビというのはSF的理屈づけがあり、その生態もわりあいロジカルに設定されていたのだけれど、このリメイク版では理屈づけまったくなし。とにかく、なんだかわからないけれど朝起きたら町中の人がゾンビになっていた、それだけ。まあ、今どき隕石が落ちてきて……とか言われてもあまりにも現実味がないので、これはこれでひとつの見識というものでしょう。
 それから、人間のみなさん強すぎです。マッチョな黒人警官は言うに及ばず、ヒロインまで平然として鉄パイプでゾンビの頭を貫いて殺すありさま。しかも、チームワークよすぎます。だいたい、ゾンビ映画というのは、ゾンビを怖がる映画じゃないのですよ。孤立無援の閉鎖空間、しかもいつ仲間がゾンビになるかわからない極限状態での人間ドラマなのです。ゾンビ映画というのは、極限状態に於ける人間の醜さと、それとうらはらの崇高さが描かれる物語なのです。イギリス産ゾンビ映画である『28日後……』は、醜さの方を強調しすぎているきらいはあったけれど、ゾンビ映画の本質をうまくとらえた映画になってたのだけれど、この映画はグループ内での葛藤がうまく描かれていないのが物足りない。
 たとえば、犬を助けるため、というふざけた理由で女の子が自分でトラックを運転して外へ出ていき、窮地に陥ってしまう場面があるのだけれど、ここで他のメンバーがどうするかというと、全員で協力して彼女を助けに行くのですね。見ず知らずのくせに結束固すぎですよ、あなたたち。日本人だったら「自己責任だから」とか言って女の子を見捨ててるね。唯一、利己的にみえたヒゲの警備員も、なぜか最後の方になると仲間たちを助けるために犠牲になって雄々しく死んでいく。最初と性格変わりすぎです。
 それから、結末はちょっと描きすぎの感がありますね。オリジナル版みたいに宙ぶらりんのエンディングでもよかったんじゃないだろうか(★★★)。
 あと、『ビッグ・フィッシュ』も観たのだけれど、感想は明日。

2004年5月23日(日)

[映画]ビッグ・フィッシュ

 ティム・バートンといえば、一貫して現実社会への呪詛に満ちた映画を撮り続けてきた監督。最近の『スリーピー・ホロウ』や『猿の惑星』では初期作品ほどには切実な叫びは感じられなくなってきたとはいえ、その視点は常に迫害される側にあった。つまりは、つねに「みんな以外のうた」((c)永野のりこ)を歌い続けてきた監督なのだ。そのティム・バートンがこんな映画を作ったんだな、と思うと感慨深くもありちょっと寂しくもある、というのが実感。
 この映画の主人公のエドワードはスポーツ万能で社交的、すぐに誰とでも友だちになれる人物。今までのバートン映画なら、ナードな主人公をいじめる悪役になっていてもおかしくないようなキャラクターである。しかも、父と子の和解を描いた映画なんて。バートンらしくないにもほどがある。と、観る前は思った。
 でも、やっぱりバートンはバートンだった。サーカスや巨人(いかにも初期バートン作品の主人公になりそうなキャラクターだ)やシャム双生児といったいかにもバートンらしいフリークス趣味はそのままだし、ファンタジーと現実の対立を描いた映画だからといって、最後にファンタジーから現実世界に帰るような野暮なことはしない。息子が父と和解するきっかけは、父親のほら話の中にある真実を知り、自らファンタジーの語り手になることだ。バートンは相変わらずファンタジーを愛し、フリークスを愛している。その上で、バートンは世界を呪うのではなく、まるごと肯定する映画を作り上げているのだ。ファンタジーは、以前のような逃避の場所ではなく、現実をより豊かにするものになっている。『バットマン・リターンズ』で誰も愛さず誰にも愛されなかったペンギン(ダニー・デビート)は、この映画では主人公に愛されている。ここが、今までのバートン映画と違うところだ。何より、バートン作品のこの変化が感動的だ。
 この映画を撮る前にバートンは父親を亡くし、そして父親になったそうだけれど、確かにバートンはそれによって成長したのだと思う。でも、彼の息子が、長年彼を支えてきたリサ・マリーではなく、ヘレナ・ボナム=カーターとの間の子供だというところが、以前からのファンとしてはなんだか釈然としないことも確かだ。いや、よけいなお世話なのだけれど。でも作品は文句なく優れているので、星は五つ(★★★★★)。

 ついでに、最近のニュースからちょっと『ビッグ・フィッシュ』っぽい記事を。夢の「マイタウン」、加州の町をオークションで購入。そして、湖に落ちた結婚指輪、39年後に見つかる。どこが『ビッグ・フィッシュ』なのかは映画を観ればわかります。

2004年5月24日(月)

ドーン・オブ・ザ・デッド

 何か誤解されているようですが、あくまで映画の話ですってば。
 それから、「ふざけた理由で」と書いたことからもわかると思うのだけれど、私なら絶対にゾンビがうようよしている表通りを渡って女の子を助けに行ったりしませんね。たぶん私なら、「自分で出て行ったんだから自業自得だよ。我々は生き残るために最善の選択をしたんだ、そうだよね」とか周囲に同意をもとめつつ、ショッピングモールの隅でちょっぴり自己嫌悪に陥りながらうじうじしてるんじゃないかと。おそらく日本人なら、何か特別な宗教的背景がある人じゃないかぎり、十中八九助けに行かないんじゃないかなあ(助けに行く、と言い切れる人を私は尊敬します)。だからこそ、映画の登場人物たちの行動に唖然としたし、日本人との感性の違いを感じたわけですが。
 まあ、映画の中の話ですから、実際にアメリカ人が映画のような場面に立たされたらどう行動するかなどわからないのですが。私としては、映画は理想化されすぎていて、ほんとだったらもっとエゴがむき出しになるような気がします。

[読書]ロード・ダンセイニ『世界の涯の物語』(河出文庫)
世界の涯の物語 世界の涯の物語』 文庫
河出書房新社(河出文庫)
著者:ロード・ダンセイニ(著),中野 善夫(翻訳),中村 融(翻訳),安野 玲(翻訳),吉村 満美子(翻訳)
発売日:2004/05/01, 価格:\893, サイズ:15 x 11 cm


 楽しい楽しい。
 『驚異の書』と『驚異の物語』の2つの短篇集をまるごと収録したダンセイニ傑作集。前半の「驚異の書」の収録作は、華麗なる神話世界を描いていて正直言ってとっつきにくい話も多かったのだけれど、後半の「驚異の物語」になると少し作風が変わって、なんとも身も蓋もないオチがついたホラ話が増えてきて、実に楽しいのでありました。
 ダンセイニといえば異邦の神話というイメージがあったのだけれど、実は現代イギリス(といっても20世紀初頭だけど)から始まる作品が多いのも意外。ダンセイニ世界では、現代イギリスと「世界の涯」の幻想世界が地続きでつながっているのでした。しかも、世界の涯は海を越えた彼方とかにあるのではなく、これがなんとロンドンから列車で行けるのだ。ヴィクトリア駅で、駅員と顔見知りでないと売ってもらえない紫色の切符を買い、どこぞの駅で降り、原野の小路を歩いていくと、そこが「世界の涯」なのだそうな。そんなに簡単に世界の涯にいけるとは思わなかった。なんだかホグワーツ鉄道みたいなのだけれど、これはハリポタがダンセイニに倣ったということなんでしょうね。
 そして、世界の涯では次から次へと信じられないものに遭遇する! たとえばパイプをふかす羊とか、嘘をつかない政治家とか。……ダンセイニに、こんなベタなジョークを言われるとは思いませんでしたよ。ひねりの利いた軽妙なジョークが多いのもこの作品集の特徴で、「三つの悪魔のジョーク」の、聞くと必ず笑い死にしてしまうジョークというアイディアなんて、モンティ・パイソンの先駆じゃなかろうか。ダンセイニは難しい、と思い込んでいる人向けの短篇集ですね。まあ最初の方はちょっと我慢してくれ。

[読書]神林長平『あなたの魂に安らぎあれ』(ハヤカワ文庫JA)
no image あなたの魂に安らぎあれ』 文庫
早川書房(ハヤカワ文庫JA)
著者:神林 長平(著)
発売日:1986/03, 価格:\798, サイズ:15 x 11 cm

--内容(「BOOK」データベースより)--
核戦争後の放射能汚染は、火星の人間たちを地下の空洞都市へ閉じ込め、アンドロイドに地上で自由を謳歌する権利を与えた。有機アンドロイド―人間に奉仕するために創られたそれは、人間のテクノロジーをひきつぎ、いまや遥かにすぐれた機能をもつ都市を創りあげていた。だが、繁栄の影では、ひとつの神話がアンドロイドの間でひそやかに伝えられている。「神エンズビルが天から下り、すべてを破壊し、すべてが生まれる…」果して破壊神エンズビルは本当にあらわれるのだろうか?―人間対アンドロイドの抗争を緻密なプロットで描く傑作!


 『膚の下』の予習のために再読。改めて、実に完成度が高い作品だということを再認識しました。夢と現実、人間そっくりのアンドロイド、幻視発生ユニットや電気ウマ、アルマジロ型掃除機といったガジェットが大量に出てくるなど、確かにディックの影響が色濃いのだけれど、ディックと違うのは、構成が破綻せず、すべての伏線がしっかりと処理されて終わること。いわば優等生のディック(笑)。多数の登場人物の出し入れも実に手慣れたものだし、結末のスペクタクルも見事。エンタテインメントSFとしては、のちの神林作品よりもきちんとまとまっているし映像的だし、むしろ完成度が高いといえるほどだ。
 ただ、完成された作品が常に最も優れているとはいえないのが小説のおもしろいところで、このデビュー長篇のたぐいまれな完成度を手放すことこそが、神林SFの進化の始まりだったんじゃないだろうか。物語としての完成度の高い小説ではなく、エンタテインメントとしてはいびつな、しかし神林長平にしか書きえない小説。その現時点での最高峰が、『あな魂』の印象的なラストシーンに直接つながる『膚の下』なのだ。
 本書を読んでないと『膚の下』の感動が半減するので、『膚の下』を読む人はその前に読んでおくように。『帝王の殻』は後でもいいです。

2004年5月26日(水)

この日記には、私的意見や、悪趣味な冗談が含まれています。

[読書]神林長平『天国にそっくりな星』(ハヤカワ文庫JA)
天国にそっくりな星 天国にそっくりな星』 文庫
早川書房(ハヤカワ文庫 JA)
著者:神林 長平(著)
発売日:2004/02/10, 価格:\735, サイズ:15 x 11 cm

--内容(「BOOK」データベースより)--
おれは坂北天界、私立探偵だ。太陽光が原因の奇病・日陰症のせいで、愛する玲美とともに、ここヴァルボスへと移住してきた。青空はきれいなのに、影ができない不思議な惑星だ。そんなある日、2件の捜索依頼が舞いこむ。ひとりはヴァルボス人の犯罪者ザーク、もうひとりは地球人の宗教団体教祖の家出した娘。調査を始めたおれは“死後の世界に真実がある”という教義に触れ、ヴァルボスのとんでもない秘密を知るが…。

 こちらは初読。
 太陽光にあたると死んでしまうという奇病に冒された人類は、地球を離れて惑星ヴァルボスの地下にある空洞都市に移住。そこには人間に似ているがどこか異質な思考を持ったヴァルボス人が住んでいて……という、なんだか『あな魂』のセルフパロディのような設定で始まる作品。
 軽い調子で書かれていてすらすら読めるのだけれど、実は意外にディープな神林ファン向けの作品かもしれない。神林SFを読みつけない読者だと、「ふーん」で終わってしまう可能性がありそうだ。
 物語は現実と仮想現実をめぐるいつもの神林節(ただし、コメディタッチ)。特に、ジャンドゥーヤと主人公の軽妙なやりとりがいかにも神林らしい。思索や内省ではなく、「普通の人間の現実感覚」の強さが強調されているのもおもしろい。ただ、最後の最後で少しだけ触れられているように、この主人公の揺るぎない自信が本当の強さかどうかは、かなり疑問なのだけれど。興味深いのは、主人公にとってはきわめて重要な存在で、主人公の自信を支える根拠にもなっているヒロインが、まるで幻のように存在感がなく、いったいどこがどう魅力的なのかほとんど描かれていないということ……。脳天気に思える物語だけれども、決してそれだけの話ではないのだ。
 途中で明かされる(とりあえずの)真相が最近の某有名映画にそっくりなのは別に大した理由はなくて、SFじゃ昔からありふれたネタであるというだけのことだろう。あと、神林をセカイ系の先駆としてとらえてみせる解説は、いくらなんでも乱暴な飛躍が多くて首を傾げます。

[読書]ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史』(講談社現代新書)
〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター 〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』 新書
講談社(講談社現代新書)
著者:ササキバラ ゴウ(著)
発売日:2004/05/20, 価格:\735, サイズ:18 cm

--出版社/著者からの内容紹介--
宮崎 駿、吾妻ひでおから ときメモ、プランツ・ドールまで なぜ萌えるのか

まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか? 「萌え」行動の起源とは? 70年代末から今日までの歴史を辿る。

●なぜ宮崎 駿は、あんなに少女ばかりを主人公にしてアニメを作るんだろうか?
●最近よく聞く「萌え」っていう言葉は、結局のところ何なんだ?
●小説はあまり読まないが、村上春樹はなんとなく読んでしまうのは、なぜだろう。
●最近のまんが、アニメや小説では、なぜあんなに「妹」がもてはやされるんだろうか。
●『少女民俗学』を書いた大塚英志も、『制服少女たちの選択』を書いた宮台真司も、なぜあんなに少女のことばかり気にするんだろうか。
――おたく文化を鮮やかに論じる!

 短いながらなかなかの労作。実は私はアニメには薄いので、なかなか興味深く読みました。
 帯には「なぜ萌えるのか」などと大層な問いがでんと大きく書かれているのだけれど、本文ではそんな答えにくい問いはさらりと流して、「美少女」と「萌え」の歴史をたどっていく。まあ、このやり方は正解でしょう。著者は、美少女を、男に「根拠」を与えてくれる存在と規定して、歴史の教科書みたいな語り口で70年代から90年代までの美少女史をまとめてみせる。あまりにもわかりやすくまとめられすぎているので、ちょっとうさんくさい気もしないでもないが、膨大なアニメの歴史を美少女という切り口からコンパクトに手際よくまとめた手腕は素直に認めたい。
 ただ、美少女マンガ・アニメの歴史を概観した1章2章の充実度に比べて、ジェンダー論や時事問題にまで足を踏み入れた3章4章は、カバーする内容の広さの割りには分量も短すぎるし、観念的になりすぎて説得力も薄らいでいるのが難点。実例を挙げてもうちょっと書き込んでくれれば説得力も増したと思うのだけれど。
 あと、セカイ系の先駆なら、神林長平よりも、あきらかにこの本に取り上げられているような80年代の美少女アニメの方でしょう。

2004年5月30日(日)

ブラックジャックによろしく 精神科篇

 ずいぶん遅れてしまったけれど、今週分の感想。
 なんかもうどうでもよくなってきましたが。
 今回の話ではいろいろとヘンなところがあるのだけれど、まず保護室の中で統合失調症患者(しかも、かなり不安定な状態)と母親を、二人だけで面会させるというのがあまりにも不用意すぎる。こういう場合は、主治医同席のもとで面会室を使ってもらうか、あるいは病状不安定という理由で面会をお断りするのがふつうである。
 しかも、この母親は面会時にはかなり患者本人にプレッシャーを与えてしまう性格のようだ。だとすれば、なおさら面会には細心の注意を払うべきだろう。たとえこの母親の性格を研修医の主人公が知らなかったとしても(いや、ちゃんとカルテ読んでれば知ってるはずだが。まさか読んでないのかな?)、指導医は知っているはずであり、患者が母親に暴力をふるったり、面会後に患者が自殺未遂をしたとなれば(実際してしまうわけだが)、それは指導医の責任ということになる。ところで、主人公の指導医って誰なんだ。教授か? それから、もちろん自殺未遂したことは家族に知らせないといけない。
 また、夜になってから患者と主人公が保護室の中と外で語り合うのも疑問。一見患者と医者が心を通い合わせるうるわしいシーンに見えるが、保護室に入ってもらうというのは、静かな環境で休んでもらうということである。特に夜はゆっくり休ませてやれ。医者の自己開示(自分のプロフィールなどを患者に話すこと)については、ある程度はいいという人からしてはいけないという人までいろんな立場があるが、私としては、この主人公程度なら問題ないと考える。
 今回の話は、なんだかいろいろあったけど心が通じ合いました、と一見ほのぼのしたトーンのラストで終わっているのだけれど、そんなことより主人公は「母親と二人だけで面会させた」という大きな判断ミスが自殺未遂という重大な結果をもたらしたことについて猛省すべきだろう。それから、このマンガでは統合失調症の心因だけを強調していて、薬物療法の重要性について全然描かれていないのも疑問。

ロボット売春婦

 V林田日記で紹介されていた「ロボットの売春婦」(いや、ホントは「食べると絶頂感に達するチョコ」の記事なんだけど)が気になったので、いろいろ調べてみた。
 まず、元記事と思われるのがこれ。なんでも、性科学者でインターネット・セックスのスペシャリスト(ってどんなんだ)であるトゥルーディ・バーバー博士は、食べると絶頂感に達するチョコが5年以内に完成する、と欧州性科学会議で発表したという。また、ロボット売春婦は現在開発中。皮膚内にマイクロチップを埋め込んで体温変化を記録、パートナーが浮気をしたかどうかわかる装置についても語ったのだとか。なんだか最後のがいちばん実現性が高そうな気がする……。
 肝心の「ロボット売春婦」(robotic prostitutes)についてはほとんど記載がないので、バーバー博士のサイト(なんか70年代の生き残りみたいなうさんくさいデザインのサイトである。しかし、女性だったんですね、バーバー博士って)を見てみたのだけれど、ヘンなVRスーツを着たモデルの写真はあるが、ロボット売春婦については書かれていないようである。
 しかし、セクソロジーとか性科学という言葉も最近あまり聞かないですね。私はセクソロジーといわれると、高橋鐵とか大島清とかを思い出してしまいます。

自殺率高い医・歯学生、4年制大を上回る 茨城大が調査(asahi.com)
 男女別で学生1万人当たり・1年当たりの自殺者数を比較すると、95〜00年の場合、6年制男子は2.3人、6年制女子は2.1人。これに対し、4年制男子は文系が1.8人、理系が1.4人、女子も文系が0.6人、理系が0.7人と、いずれも6年制より低かった。94年以前も同様の傾向だった。

 これについて、A Fledgling Child Psychiatrist Media Watchingというサイトでは、

・もともとうつ病になりやすい性格(真面目、几帳面、義理堅いなど)の学生が集まっている。
・遠方から進学している学生が多く、地縁、血縁のサポートを受けにくい。
・カリキュラムが厳しく、過労になりやすい。
・必修科目が多く、一つでも落とすと留年しやすい。
・卒業と同時に国家試験がある。
・進路がほぼ決まっているので、ちょっとした路線変更やペースダウンができない。

 という原因を推測しているのだけれど、確かにその通り(特に「進路がすでにほぼ決まっていてつぶしがきかない」のと「試験が厳しくて留年しやすい」というのが大きいと思う)。あと、付け加えることがあるとするならば、
・必修科目はほとんどすべて医学関係。息抜きになるような選択科目やゼミなどがない。
・医科大学だと周囲は医学生ばかりだし、そうでなくても医学部だけが別のキャンパスにある場合があったりして、人間関係が狭くなりがちで閉塞感がある。
・親が開業医で跡継ぎになるよう求められている、周囲から期待をかけられているなどのプレッシャーがある。
 といった理由を挙げときます。私はそのころから小説書いたりSF読んだりしてたけど、真面目な学生は生活のすべてが医学一辺倒になってしまうわけで、それだと確かに息苦しいかな、と。

2004年5月31日(月)

[読書]川島誠『セカンド・ショット』(角川文庫)
no image セカンド・ショット』 文庫
角川書店(角川文庫)
著者:川島 誠(著)
発売日:2003/02, 価格:\480, サイズ:15 x 11 cm

--内容(「BOOK」データベースより)--
電話がなっている。君からだ。だけど、ぼくは、受話器をとることができない。いまのぼくには、君と話をする資格なんてない。だって、ぼくは…。あわい初恋が衝撃的なラストを迎える幻の名作「電話がなっている」や、バスケ少年の中学最後の試合を爽快に描いた表題作、スペインを旅する青年の悲しみをつづった書き下ろし作品を含む、文庫オリジナル短篇集。少年という存在の気持ちよさも、やさしさと残酷さも、あまりにも繊細な心の痛みも、のぞきみえる官能すらも―思春期の少年がもつすべての素直な感情がちりばめられた、みずみずしいナイン・ストーリーズ。

 うーん、解説くらいつけてくれてもいいと思うんだけど。
 青春小説、というジャンルに入るのだろうけれど、青春という言葉にまとわりつく美しさとか青臭さとか甘酸っぱさとかそういうイメージをすべてはぎとった、平凡でもありとげとげしくもある生の感情をすくい取った短篇集である。ただ、どの作品も同じようなトーンなので、続けて読んでいると、このとげとげしさもまたひとつの青春の類型に思えてくるのも確か。それに、本当にこれがリアルで生なのか、それともそう見えるだけなのか、とうに青春の時間を過ぎ去った私には判断しようがない。この小説に描かれた青春は、今思い返してみる自分の青春時代とはあまりにも違うし。
 ヒラマドさんお薦めの「電話が鳴っている」は、確かにこの並びに入っていると異彩を放っていて印象的なのだけれど、要するにホラーのアイディアストーリーで、たとえば小林泰三とか牧野修の短篇集に入ってたら別になんてことはなく読み飛ばしてしまうタイプの作品のような気がする。それより、「サドゥン・デス」や「セカンド・ショット」のように、何気ない少年の日常を切り取った作品の方が作者の真骨頂だと思うし、むしろ印象に残りました。

[読書]村崎友『風の歌、星の口笛』(角川書店)
no image 風の歌、星の口笛』 単行本
角川書店
著者:村崎 友(著)
発売日:2004/05, 価格:\1,575, サイズ:20 cm

 第24回横溝正史ミステリ大賞受賞作。なんだけれども、これはミステリというよりどう考えてもSF。
 電力から結婚相手、赤ん坊に至るまで「マム」がすべてを与えてくれる街で、突然停電や気象異常が起こり始める。私立探偵のトッドは一攫千金を狙って「マム」のシステムに侵入しようとするが……。
 地球から25光年離れた人工惑星プシュケ。500年前に人類が移り住んだその惑星に、250年かけてたどりついた外宇宙探査船クピドが見たものは、一面の砂漠と都市の廃墟だった。いったいなぜプシュケの文明は滅びたのか……。
 交通事故で半年間の病院生活を送り、ようやく退院したセンマ。彼は婚約者のスウに会いに行くが、何度も会ったことのあるはずのスウの母親はセンマのことを知らず、スウはまだ赤ん坊だというのだ! スウからの手紙やメールもすべて消えており、しかも、アルバムの中で彼の隣に写っているのは、まったく知らない女性だった。スウは本当に実在したのか……。
 という、舞台も設定もまったくバラバラの3つのストーリーが並行して進んでいく物語なのである。趣向としてはなかなか野心的だし期待を持たせるものがあるのだけれども、巻末の選評でも指摘されている通り、SFとしては穴がありすぎ。それに、主要キャラの心理はさっぱり理解できないし、密室トリックにしてもいくらなんでもむちゃくちゃで、科学をなめているとしか思えない。
 北村薫は、「この話をSFの視点から云々するのは、野球選手の動きに相撲の評を加えるような勘違いだと思う。近年では、非現実の舞台、条件を設定し、その作られたルールの中で謎を解くというミステリの型が市民権を得ている。これは、そういう作品である」と述べているのだけれど、それはルールがしっかり提示されている場合の話である。この作品ではルール自体があいまいだし、そもそも自然界のルールに大きく違反している。この作品を積極的に推しているのは綾辻行人と北村薫の二人だが、本格ミステリ的にはこれでいいんだろうか。よくわからないところである。
 確かにこの物語の趣向の壮大さは買うし、まったくバラバラの3つの物語がひとつになる快感は、捨てるには惜しいのだけれど……大賞を取らせるには、欠点がありすぎるんじゃないだろうか。


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Written by Haruki Kazano