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大阪のゴスロリカップル両親殺傷事件について、なぜだか私に取材を申し込んできた記者がおりまして、その記事が明日発売の週刊朝日に載っております。早売りの号を買ってきましたが、なんか言った覚えのあるようなないようなことが、自分なら決して書かないような文脈で使われていて、こそばゆいなり。
深夜のアニメを見て、アニメらしからぬアダルトなストーリーが気になっていたので、買ってきました、「君が望む永遠 DVD specification」。久しぶりにプレイするギャルゲーであります。まだひとつしかエンディング見てない(遥エンドでした)のだけれど、これは重い……。いやあ、これほど選択肢を選ぶのがつらいゲームは初めてです。さすが、名作の誉れ高いだけのことはありますな。
これはつまり、「別れ」の物語ですね。出会いではなくて別れに重点を置いたゲームってのは画期的なんじゃないかなあ。いや、あんまり最近のギャルゲーに詳しい訳じゃないからよく知らないのだけれど。この歳になると、ほら、いろいろとね、思い出したりするのよ、このゲームやってると。そういう痛い思い出をかきたててくれるあたりが、またすばらしいのですね。
遥エンドにたどり着いたにもかかわらず、私としては今のところ水月がお気に入りです。というか、遥エンドは実質的に水月の物語だし。たぶん水月エンドは遥の物語なんでしょう。このシナリオ構造がまた、憎いではないですか。
インストールしてみました。今まではCD2WAV32+午後のこ〜だでエンコードして、曲名を手で打ち込んで、Winampでプレイリスト作って聴いて……と面倒なことをやっていたのが、すっきりと1本のソフトでできてしまうのは快感。ただ、どうもiTunesのエンコーダの質はあんまり評判よくないらしいし、iTunesでエンコードしたファイルはID3タグの日本語がunicodeになってしまうので、Winampだと化けてしまうのが難点。これはもうiTunes以外使うなということですか。
毛日記というところで知ったのだけれど、このわけのわからないフレーズでGoogle検索すると、なんと2560件ものページが引っかかる。「シジュウカラの肉の山」でも約3000件。
そのほとんどがエロサイト。JavaスクリプトがONだとウィンドウがどんどん開くので、Javaスクリプトを切ってみると、そこに広がっているのはウィリアム・バロウズ的ともいうべき機械翻訳とカットアップで作られた奇怪なテクストの数々。
の彼はシジュウカラの肉の山によってほとんど窒息させていた.
メリーの仕事が!公正な罰金を解決することを行っているを収縮を感じることができる.
ばされた腕すなわちから. なっていた,はにちょうど分,彼女の及び感じ,今年の人. 一緒に坐らせるために覚醒していた. 女はあることを彼女の友人が言ったときに抗議し始まった速い訪. 待つように告げた。が彼のズボンのファスナーを開け,彼の雄ん鶏を. で彼は彼女の顎を持ち上げ.
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たぶん洋物のポルノ小説の一節を機械翻訳したものなんでしょう。「彼の雄ん鶏」は"his cock"の直訳だろうし。検索でひっかかるようにするのが目的なんだろうけど、こんなフレーズで検索する人はそうはいません。
「10代から熱烈なファンで手紙を出したが思うようにならないので嫌いになった。仕返しをして困らせようと思った」
港区内のスナックに「私は大女優の高橋由美子。美人で名誉も地位もある。現金10万円ずつを送らなければやくざを動かす」などと記した手書きの脅迫状とカッターナイフの刃先を郵送した疑い。
同様の脅迫状が都内の飲食店や暴力団事務所に送りつけられる事件が99年11月から約600件起きており、警視庁は関連を調べている。
現金の送り先として港区に住む同姓同名の大学教授宅と、さいたま市の理容室を指定していた。「港区の住所は高橋さん本人が住んでいると思った。理容室は実家だと思っていた」と話しているが、理容室は高橋さんとは全く関係がなかった。
もう、どこに突っ込んでいいのかわからないほど最初から最後までどこまでも間違っているのだけれど、なんだかとても人間の業というか哀しさを感じさせてくれるニュースで、私の心の琴線に触れました。「嫌いになった」はずなのに「私は大女優の高橋由美子。美人で名誉も地位もある」と書いてしまうあたりが特に。
普通にファンレターを出すごく普通のぐっぴーファンが、なんだかよくわからない地点にまでたどり着いてしまうという不思議。「ぐっぴー」なんていう愛称を覚えている私もどうかと思うが。
東京国際フォーラムで、リバーダンスを観ました。「リバーダンス」というのは、アイリッシュダンスをベースにした世界的に有名なダンスパフォーマンスで、私は1999年の初来日のときにも観ているのでこれで2回目。4年ぶりに観たリバーダンスは、曲目やストーリーは同じなのだけれど、最初のときとはだいぶ演出が変わってました。
まず変わっていたのは、前回はロビーで無料で飲めたコーヒーが、今回は有料になっていたこと! 前回はネスカフェ協賛だったのだけれど、今回は東芝協賛になっていたのだ!<最初に書くのがそれかい。
前回同様、あるいは前回よりもさらに、すばらしく完成度の高いショーだったのだけれど、最初に観たときほどの感動が、今回は感じられなかったのが残念。やはりこれは私がアイリッシュダンスを見慣れてしまったせいか、それとも、前回は前から5列目というダンサーの息づかいまで伝わってきそうな絶好の席だったのに対し、今回は前から13列目(といっても真ん中だしけっこういい席なのだけれど)で、地響きのようなダンスステップが体で感じられなかったからかも。
踊りのおにいさんは、ジャンプの高さが前より低かったです。
フィドラーのおねえさんは、激しい曲を弾き終えて弓を振るポーズがかっこよかったです。
うたのおねえさんは、きれいでした。
フラメンコのおばさんおねえさんは、ちょっと体が重そうでした。
リバーダンスのあとは、国際フォーラムに移転したレバンテでカキとローストビーフを喰らう。
レバンテのウェイトレスはメイド服っぽくてかわいかったです。
特に眼鏡のメイドさんが以下略。
海外の赤ちゃんの名前サイトのうち、日本の名前を紹介したページ。
Ai, Aiko あたりはいいのだけれど、下の方にいくと、だんだんと聞いたことのないような名前がぞろぞろと。"Cho"という名前の意味は"butterfly"だというのだけれど、そんな名前の人知りません。"Fujita"とか"Kameko"、"Ronin"、"Tanaka"、"Yasashiku"なんてのもどうかと思います。"Nanako"は別に"child of Nana"という意味じゃないと思うし、"Usagi"の意味が"moon"だというのもどうかと。アニメの見過ぎですか。
同じようなページはほかにもあるけれど、こちらにも、"Akiyama"、"Amida"、"Raidon"など珍妙な名前が……。
ちなみに、両方のリストで"Hoshi"は女性の名前で"star"という意味だと書いてあるのだけれど、そんな名前の女性はホシ・サトウくらいのものでは。
全エンディング終了。
いやあ、これほどプレイしていてつらい思いをしたゲームは初めてだ。私はアニメを見ていたのでどんな話かはだいたい知っていたのだけれど、発売当初、まったく予備知識なくこのゲームをプレイした人は、再起不能なまでに叩きのめされたのでは(パッケージや解説書を見ても、どう見ても普通の学園ものにしか見えないのもうまい。実に巧妙なミスディレクション!)。
ゲームのポイントは、どのエンディングを選ぶにしても、主人公は誰かを傷つけなければいけないという点ですね。誰かを傷つけなければ(そして自分も傷つかなければ)前には進めない。だから実に重くつらいエンディングなのだけれど、それは実際の人生もそんなもんでしょう。複数の女の子を攻略するタイプのエロゲーが、今まで暗黙のうちに無視していた部分、誰かひとりを選ぶということは、ほかの誰かは傷つくし、自分も傷つく、という点をはっきりとリアルに描いてくれた点はいくら高く評価してもしきれないでしょう。
ただ、こんなになんの取り柄もない主人公を、なんでまた女の子たちがみんな慕っているのか、という点は、今までのエロゲーのお約束そのまんまだし、いくらなんでも水月(主人公の恋人)も慎二(主人公の親友)も、みんな察しがよすぎ。それに対して主人公鈍すぎ。これもギャルゲーのお約束なのかもしれないけれど、これはちょっと不自然。
さらに、メインストーリーが重いものである上、主人公やヒロインの心の動きもリアルに(ある意味、身も蓋もなく人間の弱さをさらけ出すほどに)描かれているだけに、サブキャラ攻略のシナリオにかなり無理が生じてきてます。サブストーリーでは、主人公はかなり身勝手な人間になってしまっているし、ヒロイン水月に至っては完全に憎まれ役。これはちょっとなあ。どうも、エロゲーのお約束の部分と、リアルな部分との間が今ひとつかみ合っていないように感じてしまいました。まあ、物語の本筋は遥と水月のシナリオ二つであって、サブキャラのシナリオはあくまでおまけととらえるべきでしょう。
全キャラのエンディングを見た上で、いちばん気に入ったキャラはというと、やっぱり最初の感想と同じく水月ですね。彼女はヒロインらしからぬ弱さ、醜さを抱えているのだけれど、それは主人公も同じだし、プレイヤーである私自身もそうだから、最も人間的であり共感できるキャラクターであります。それに対して遥は3年間眠っていたまさにお姫様キャラで、あまりにもいい子すぎてちょいと現実味がなさすぎる(そうしたキャラクターだからこそ、水月シナリオで激しく本音を漏らす場面が印象的なのだけれど。このへん本当にうまく作ってあります、このゲームは)。
ただし、主人公がどっちと一緒にいた方が幸せになれるかというと、これは微妙なところ。主人公と水月はともに弱さを抱え挫折を経験した者同士うまくやっていけるとは思うのだけれど、内面の強さを持ち、向上心のある遥といた方が、こういう流されやすい主人公は成長できるような気もするのですね。遥はまず間違いなく再び大学受験を目指すわけで、そしたら主人公は一緒に大学目指すだろうしね。
1位がデイヴィッド・リンチ。うーん、そうなのか?
8位に宮崎駿、30位に北野武、38位に三池崇史が入ってます。
なんでも11月21日でピルトダウン人が偽物とわかって50周年なんだそうで、1位は順当にピルトダウン人。
2位はフィリピンのタサダイ族。これはあまり知られてませんね。1971年のマルコス政権下、フィリピンのある大臣がミンダナオ島で、完全に文明社会から隔絶した石器時代の部族を発見。彼らは洞窟に住んで採集生活を送り、葉っぱの服を着て、独特の言語を話したという。彼らは戦争や暴力に当たる言葉も概念ももたない「愛の部族」として瞬く間に世界中で話題になり、多くの人類学者やジャーナリストが殺到。ナショナル・ジオグラフィックの表紙まで飾ったのだけれど、1974年、タサダイ族保護のため居住区は立入禁止に。1986年、マルコス政権が倒れたあと、タサダイ族の保護区を訪れたジャーナリストは、リーバイスのTシャツを着て普通の家に住んでいるタサダイ族を発見する。彼らは、例の大臣の命令で洞窟に通い、学者やジャーナリストが来るたびにカメラの前で演技していたのだった。そのときにはすでに大臣は、タサダイ族保護財団の資金を持ち逃げして海外に逃亡したあとだったそうな。
3位以降には、ミステリー・サークル、ロズウェル事件、ルイセンコ学説などが並んでおります。
こんな問題がマイクロソフト社の入社試験に出た。「南へ1キロ、東へ1キロ、北へ1キロ歩くと出発点に戻るような地点は、地球上に何カ所ありますか」。
筆記試験ではない。マイクロソフトのみならずアメリカのトップ企業の大半は3回から5回にわたる面接試験だけで、採用を決める。面接者の回答はさまざまだが、マイクロソフトの評価基準はこうなっていた。「0カ所」→不採用。「1カ所」→不採用。「∞カ所」→不採用。「∞+1カ所」→まあまあ採用か。「∞×∞+1カ所」→採用。
まあ、こういう入社試験が出たということ自体が都市伝説なのかもしれないけれど、「∞」と「∞+1」と「∞×∞+1」という、数学的にはまったく同じ解答で合否が変わってしまうというオチはどうも気持ちが悪い。数学に強い人なら即座に「∞ヶ所」と答えて済ませるはずだ。はっ、この話は、そこまで考えた上でマイクロソフトをおとしめようという遠大な陰謀なのかも。
ちなみに、答えとなる地点は北極点および、南極点から北に1+1/(2nπ) km(nは1以上の自然数)のすべての地点ですね。
このサイトでは偉大な発明を紹介します。「四角い車輪」です。
率直に言って、「四角い車輪」は、この数世紀での重大な発明の一つでしょう。
だそうです。reinvite square wheelとかそういう言い回しがあるので、よっしゃほんとに作ってやるぜ、とばかりに発明してしまったらしい。四角い車輪がどんなものかは動画を参照のこと……確かにスムーズに動いているようには見えるものの、ものすごくしょぼいんですが。しかし、彼は本気で「四角い車輪」のライセンスを売ろうとしてます。初期料金は数十万ドルから数百万ドル! 彼は本気だ。がんばれトーマス・ジョクボニス!
買った。
とりあえず第2話が「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」だったのにニヤリ。
システムはかなりガンパレに近いけれど、会話システムが今ひとつわかりにくくて、なかなか話しかけられなかったり、どうすればATが上がるのかよくわからなかったりするので、今のところ評価は保留。会話中に「心の迷宮に入る」というコマンドがあって、それを選ぶといきなりパイプ椅子に座っているシーンになるあたりが、実にうっとうしくもエヴァっぽいと思いました。しかし、シンジ君の悩みっぷりが今じゃギャグにしか見えないあたり、6年という時間の長さを感じます。
各所で話題の「タイムアウト」は、あまりといえばあんまりなネタに茫然とするほかはないバカSFの傑作。ツッコミ所も山ほどあるのだけれど、ここまで大胆不敵にやられると許すほかないでしょう(いや、でもアイルランド好きとしては納得できーんのだけれど)。バカな設定の裏で、実は、果たして歴史というものは再構成可能か、という根元的な問題を取り扱った作品、でもある。
「日曜の礼拝が済んでから」、「オルガン弾き」など、いくつも結末を思いつきそうな話も多いのだけれど、決してありきたりなオチに逃げず、かといってまったく予測不能のぶっとんだオチを用意するわけでもなく、律儀にひとひねりしたオチを持ってくるところが匠の技。アイディアストーリーから心理小説までなんでもこなせる職人芸も見事。どの作品をとってもエンタテインメントとしてきっちりと整っていてレベルの高い短篇ばかり。巧いね。