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更新日: 2004/10/06


2003年 10月中旬

2003年10月17日(金)

[映画]トゥームレイダー2

 前作同様、ジョリー姐さんの男っぷりのよさにほれぼれすればそれでいい映画。今回の最大の見せ場はなんといっても、襲いかかってきたサメをパンチ一発で撃退するどころか、手なずけて「イルカに乗った少年」よろしく乗り物にしてしまう場面。これだけでもう、惚れました、一生ついて行きます、と頭を下げたくなってくるではないですか。
 ストーリーとかアクションとかはもうどうでもいいです。すべての生命の起源である「生命のゆりかご」に隠された「パンドラの箱」、その箱には「生命」と「反生命」が収められていて……という設定には、ちょっと諸星大二郎風味を感じてわくわくしたんだけどなあ。なんでそれがこんな話になってしまうんだか。しかし、『スピード』以後のヤン・デ・ボン監督映画はどうしてみんなこんなにつまらんのでしょうか。『スピード』だけがまぐれだったんでしょうか。こんなに見ていてたるくなるアクション映画は久しぶりです(★★)。

[映画]シモーヌ

 そうそう、こないだ観た『シモーヌ』の感想を書くのを忘れてました。
 『ガタカ』(脚本・監督)、『トゥルーマン・ショー』(脚本)のアンドリュー・ニコルの最新作。今回はコンピュータ上で作ったヴァーチャル女優が大人気になってしまって一騒動、という話なのだけれど、あいかわらず古典的なSFのアイディアストーリーみたいな映画である。こういう映画ばっかり撮る監督というのもある意味貴重かも。ただし、実際にCGアイドルがテレビに登場し、アニメキャラに萌え狂う人々の住まう国日本からみれば、設定には別に新味はないし、アイディアストーリーの割りにはオチに切れがないのが残念なところ。それから、完全無欠のヴァーチャル女優シモーヌを演じているレイチェル・ロバーツが、どう見ても爆発的な人気が出るほど美しくもないし、アカデミー賞を取るほど演技力があるようにも見えないのが最大の難点(★★★)。

アイデンティティーの数え方

 『マトリックス・レボリューションズ』とか『キル・ビル』とか、チケットぴあで、これから観たい映画の前売り券を購入。ある映画の券を買ったところ、売り場のお姉さんは、私に向かってこう言った。
「アイデンティティー1枚1300円になります」
 もちろん『アイデンティティー』というのは映画のタイトルである。お姉さんが言ったのは、『アイデンティティー』の前売り券は1枚で1300円、ということだ。しかし、なぜか私はその言葉を聞いて、深く納得するものを感じたのである。なるほど、アイデンティティーは1枚2枚と数えるのか。そして1枚たったの1300円だったのか。確かに、それくらい薄っぺらで安っぽいものなのかもしれない、アイデンティティーなんてものは。
 実際、1枚2枚という数え方は、アイデンティティーにはぴったりな気もするのである。
「アイデンティティー1枚ください」

Googleヒット数が一番多い日本人名って誰だろう?

 小泉純一郎約215,000件とかは反則なんでしょうか。もともとの「名前のメジャーさ」(「メジャーさ」の定義がはっきりしないのでなんともいえないのだけど)とは趣旨が違う気もしますが。私の名前なんて日本中探しても私ひとりしかいない気がするけど、約1950件もヒットするし。佐藤一郎指数38.9%。明らかに、同姓同名の人が多いかどうかと佐藤一郎指数は比例しないでしょう。

2003年10月18日(土)

ナスカ平原にゴミ集積所、地上絵横切り収集車

 「収集車は1週間ほど前まで約1カ月間、1日2回ずつ平原を横切っていた」ってことは、私がナスカへ行ったときもゴミ収集車が走ってたということですね。なんとも。
 ただ、「地上絵を横切り」とはいっても、さすがに有名なコンドルやサルなんかの絵を横切っていたというわけではなくて、直線とか四角形とかを横切った、ということでしょうね。ナスカ平原には有名な動物の地上絵以外にも、意味のよくわからない直線や四角形、三角形などの図形が山ほど描かれているのだ。「クジラを描いた地上絵から約1.5キロ」ということは、こちらの地図の下の方の三角形や四角形のあたりかな。
 しかし、それ以前に、地上絵のトカゲの尾をぶったぎるような格好でパンアメリカン・ハイウェイが通ってるのをなんとかした方がいいと思うんだけど。まあ、ナスカの地上絵は急速に風化が進んでいるそうなので、いずれ消えてしまうのは間違いないでしょうね。ペルーにとっては大切な観光資源なので、本当に消えてしまいそうになったらなんらかの対策が取られるんだろうけど。

[映画]インファナル・アフェア

 邦題でかなり損をしてますね、この映画。なんとも意味不明で内容のさっぱりわからないタイトル("infernal"は「悪魔の」とか「非道な」という意味だから、「悪魔の所業」?)になってしまっているけれど、原題は『無間道』。こちらのタイトルも最後までぴんとこないのだけれど、ラストシーンでタイトルにこめられた深い意味が胸に迫ってくる仕掛けになっている。『無間道』そのままじゃ確かにいくらなんでも抹香臭すぎる気もするけれど、もう少し意味のわかるタイトルにすればよかったのに。
 アクションは最小限に抑え、主役二人の心理描写を中心に描かれる展開は、いい意味で香港映画らしくないし、おおざっぱなところやいいかげんなところがほとんどなく、最後まで緊密なサスペンスが続くあたりも、香港映画にしては珍しい。しかも、単純な泣かせじゃなく、仏教的ともいえるような複雑な後味を残す結末は、ハリウッド映画ではなかなかお目にかかれないもの。人情味のある警視ウォンやマフィアでのヤンの弟分など、脇役までが生き生きと描かれているのもすばらしい。
 ただ冒頭のところはちょっとわかりにくいです。マフィアのボスのサムが「警察へようこそ」みたいなことを言うので、最初サムが警察学校の人かと思ってしまったよ(★★★★☆)。

[映画]リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い

 19世紀小説のヒーローたちが集結して共通の敵と戦う、という『魔界転生』みたいな設定はおもしろそうなので、実のところ期待していたんだけど、なんでまたこんなダメな映画になってしまったんだか。だいたい敵方の動機があいまいでさっぱりわかりませんよ。ハイド捕まえるんだったら、わざわざクォーターメイン呼ばなくても、薬が切れたときを狙えばいいのでは。ベニスの土台に爆弾が仕掛けられて沈没しそうだから、崩壊する前に先回りしてミサイル打ち込めば大丈夫ってのは、いったいどういう理屈なんですか。えーと、それで敵は何のためにベニスを沈没させようとしてたんだっけ?
 どう見ても特殊能力なんてありそうにないトム・ソーヤーが超常紳士同盟に加わっている理由は最後に明らかになるのだけど、これで納得するのはアメリカ人くらいのものでしょう。それから、ドリアン・グレイの見せ場といえばなんといってもアレしかないので、こういう役回りになるのは必然かも。なんか続編に色気があるようなラストだけど、続編は絶対できないだろうなあ。だいたいショーン・コネリーが出るとは思えません(★☆)。

2003年10月19日(日)

[映画]閉ざされた森

 このところ毎日映画ばっかり見とります。
 レンジャー部隊の訓練中、森の中で起きた殺人事件をめぐるサスペンスなのだけれど、物語は二転三転どころか、最初から最後までこれでもかといわんばかりにどんでん返しの連続。バカミス好きな私としては、サプライズエンディングは無条件で許してしまいたくなるが、さすがにこれはちょっと反則なんじゃないだろうか。
 確かに観ている間は二転三転する物語に引き込まれるのだけれど、終わってからよく考えてみれば、レンジャー部隊の生き残りが揃いも揃って思わせぶりな証言をする意図がさっぱりわからないし、「8」なんぞというわけのわからないヒントを書いてみせた理由もよくわからない。これは、単に観客をミスリードするためだけなんじゃないのか。最後に明かされる真相は意外といや意外なのだけれど、なんでまたこんな複雑なことをしなきゃならなかったのかよくわからない。これまた単に観客を欺くためとしか思えません。要するに、登場人物の行動はすべて観客を騙すためのものにすぎず、物語内での必然性がないのですね。これはミステリとしては反則だろう。しかも、主人公が真相を察知するきっかけが、ちょっとした言葉遣いというのもどうかしてます。二人が同じ言葉使ったからってそれが何なの?
 まあ、観てる間だけ騙されてればよくて、深く考えちゃいけない映画なんでしょう(★★)。

『ファウンデーション』映画化へ?

 アシモフの『ファウンデーション』が2部作として映画化になるとかならないとか。なんで3部作じゃなくて2部作なのかは不明。脚本は、映画版『ファイナルファンタジー』の脚本を書いたジェフ・ヴィンター。……激しく不安なんですが。
 ジェフ・ヴィンターはアレックス・プロヤス監督『われはロボット』の脚本も書いてるらしい。主演はウィル・スミス……ってどんな『われはロボット』になるんだか。スーザン・キャルビン博士を演じるのは、ブリジッド・モイナハンという女優さんで、この人らしい。うーん、なんだか若すぎる気もするんだけど。この写真だとそんなに違和感ないかな。

2003年10月20日(月)

[読書]テッド・チャン『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF)

 「窓際のテッド・チャン」も「テッド・チャーン、テッド・チャーン、スキスキ〜」も、冬樹蛉さんに使われてしまったので、もう、
「テッド・チャン、きれいな服だね」
「きれいな服でしょ」
「何が好きなんだい」
「何が好きかしら」
 くらいしか思いつかないのであった。いや別にダジャレを考えればいいというものではないのだが。
 さて、チャンといえば、どうしてもイーガンと比べられてしまうのだけれど、イーガンの作品の場合、最新の科学的アイディアが個人のアイデンティティとダイレクトに関わってくるのに対し、チャンの作品ではもう少し社会に向かって開かれている感じがする。イーガンがどこまでいっても「自己」の物語であるのに対し、チャンの場合、「自己」よりもうちょっと長いスパンで見た、まさにタイトル通り「人生」の物語であるように思えるのですね。
 また、水鏡子氏のいう、

 グレッグ・イーガンというのは、書かれている内実を伝えたい作家であるのだなということに、はじめてのように気がついた。イーガンが伝えたいもの、それは作り出した世界であり、世界に対するヴィジョンであり、核となるアイデアであり、現実世界に対する問題意識であり、伝えるという行為を通じて裸の自分を読者につないでいきたいという意志がある。意外と赤裸々なところがある。
 テッド・チャンの『あなたの人生の物語』は、なによりよくできた<おはなし>を差しだしたいという小説のありかただ。(中略)テッド・チャンはなにかを伝えたくて小説を書いているわけではない。できあがったものを差しだしたくて小説を書いているのだ。自分を晒すことに警戒感があるともいえる。

 という対比にも思わず膝を打ちました。私としてはどちらかといえば小説としては無骨だけど衝撃力の強いイーガンの方が好みかな。チャンの<おはなし>としての完成度も捨てがたいけど。
 「バビロンの塔」は、一人の男が世界のありさまを知る物語。世界のありようの整合性でいえば「時計の中のレンズ」みたいな小林泰三作品の方が勝るのだけれど、空が天井になっていて塔の上から掘り進むというイメージがあまりにチャーミングなので許す。
 「理解」は『90年代SF傑作選』でもいちばんのお気に入りだった作品。知能が際限なくエスカレートしていくありさまを言葉で描ききってしまう力業に感嘆。
「ゼロで割る」は、ちょっと難解。数学の矛盾につきあたってしまい、世界が信じられなくなった妻の心理は理解できるのだけれど、「ゼロで割る」ことと作中の夫婦の関係がどう関わっているのかが今ひとつわかりにくいのだ。
念のため書いておくと、作中で語られる「1=2の証明」は、こういうののことでしょう。

a=1. b=1とする。
(1) a=b
両辺にaをかけて、
(2) a^2=ab
両辺からb^2を引くと、
(3) a^2-b^2=ab-b^2
両辺を因数分解して、
(4) (a+b)(a-b)=b(a-b)
両辺をa-bで割ると、
(5) a+b=b
a=b=1だから、
(6) 2=1

「あなたの人生の物語」は実に巧い。あまりに巧すぎてちょっと嫌みに感じられるほど巧いので、天の邪鬼な私はあまり感心しませんでした。
「人類科学の進化」はショートショートながら皮肉が効いた作品。確かに、先がない分野に属する人が使う論理ってこういうのだよなあ。私のかつて所属していた医局が専攻していた学問は落ち目も落ち目だったんで、こういう論理はよく耳にしたものです。有人宇宙飛行なんかあいつらに任せて、俺たちは別の道を行けばいいんだもんね、とかいうのもそうかも。
「七十二文字」は、中世の魔術的世界観がそのまま科学の地位を占めている世界の物語。めくるめくアイディアの奔流には圧倒されるけど、ストーリーはちょっと弱い。
「地獄とは神の不在なり」もキリスト教的世界観がそのまま現実になった世界が舞台。私としてはこれは別に宗教的な話ではなく、「七十二文字」同様、ある異様な世界を設定して、その世界から必然的に導き出される人間の心理や行動を、証明問題風に描いてみせた作品として読んだ。
「顔の美醜について」は、はっきりした問題意識をもとに書かれているので、この中では最もわかりやすい作品なんじゃないだろうか。もっともイーガンっぽいともいえるかもしれない。ただ、イーガンならもっと容赦なく人間を遺伝子や脳内物質レベルまで還元してしまうところだけれど。
 個人的な趣味でのベストは「理解」か「地獄とは神の不在なり」あたりか。ときどき天使が降臨してなんだかわからん奇跡が起きる世界というだけでもうわくわくするじゃないですか。


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Written by Haruki Kazano