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みんなが有事法制に気を取られているすき、こそっと参議院通過。どんな法律なのかは、法務省のページの概要と日本精神保健福祉士協会の図に書いてあるけれど、やっぱりわかりにくい。詳しい条文は厚生労働省のページにあるのだけど、なぜか衆議院での修正前の条文で、修正案がどこにも見当たらない。仕方がないので、衆議院での修正案(行間があいてないのでものすごく読みにくい)と見比べてください(まあ、表現を変えた程度で、あんまり変わらないのだけど)。
この法案の成立をめぐって、日本精神科病院協会が自民党議員に献金したとかなんとか言われているし、実際日本精神科病院協会はこの法案を大プッシュしているのだけれど、その大きな理由はこのへんの条文にある。
第十六条 指定入院医療機関の指定は、国、都道府県又は特定独立行政法人が開設する病院であって厚生労働省令で定める基準に適合するものの全部又は一部について、その開設者の同意を得て、厚生労働大臣が行う。
要するに、重大事件を起こした精神障害者は、国公立の病院にしか入院しないのだ。こうした患者は、退院させて再び事件を起こせば病院が非難をあびるし、長期入院させてもそれほど儲かるわけでもない、と病院側としてはあまり入院させたい患者ではないのですね。そして日本精神科病院協会は、私立病院のオーナーの集まりである。
まあそういうわけだ。
ただ、献金があったことと法案の是非とは、当然ながらまったく別の問題ですが。
精神病院のことを、かつて「脳病院」といった。明治30年代には、東京脳病院だの戸山脳病院だの、各地に「脳病院」と称する病院がぼこぼこと建てられていった。一種の「脳病院ブーム」だったのである。
「脳病院」というと、現代の我々はなんともおどろおどろしくも薄気味の悪いものを感じてしまうのだけれど、どうやら当時としてはそうではなかったようだ。
たとえば、尾崎紅葉『金色夜叉』の中で、ふさぎ込んで、「人間というものは、今日こうして生きていても、何時死んでしまうか解らないのね」などと口にするお宮に対して、貫一はこう言うのである。
「それは病気の所為だ、脳でも
ふさぎこむのは「脳が不良」だからなのだ。まるで家電製品か何かのような言い方ではないか。
またその後、4年ぶりに貫一の姿を目にして泣き出したお宮は、やっぱり同じ表現でこう言い訳する。
「いえ、なに、私は脳が
さらに、暴漢に襲われて入院した貫一を心配して、貫一の雇い主はこう言うのである。
「脳病にでもならなければいい」
このように、「脳病」、「脳がわるい」という言葉はわりと気軽に使われている一方、本物の狂女が登場して放火をする場面では、「狂を発す」「気違さん」といった形容はあるものの、「脳病」という表現は一度も出てこない。
また、度会好一『明治の精神異説』(岩波書店)という本によれば、木戸孝允もしつこい頭痛をわずらって日記に「脳病」だと書いているそうだし、樋口一葉も、手紙の中で「先頃より脳病にて自宅に帰り居候」と書いているそうだ。
どうやら明治時代には、「脳病」、「脳がわるい」といった言葉は、頭痛、不眠、抑うつ、疲れやすさといった軽い精神症状(現在なら「うつ」とか「ノイローゼ」とか言われるだろう)や、あるいは文字通り外傷による脳障害などを意味していて、現在の「脳病」「精神病」といった言葉が持つ重苦しいイメージはまったくなかったようなのである。
つまりは、「脳病院」という名称にしても、当時としては柔らかいイメージを持つ名前として選ばれたのだろう。今でいえば、そう、「メンタルクリニック」のようなものだったのである。
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グイン・サーガ90巻である。
ストーリー的な進展はあまりないのだけれど、長台詞好きのキャラクターがほとんど出てこないためか、いつもの巻で感じるような冗長さはあまり感じられない巻。シルヴィアのきわめて境界例的な造形にはリアリティがあるけれど、境界例とは時代の病であるわけで、果たしてファンタジー世界に存在しうるかどうかは疑問の残るところ。
あとがきには、かつてけなされたことも大したことじゃないと思えるようになった、と書いてあるけれど、確か以前のあとがきにも何度か同じようなことが書かれてあったような。ほんとうに「大したことじゃない」と思っているのなら、そもそも何度も何度も書いたりはしないでしょう。
この法律がなんだかわけがわからないものになってしまっているのは、「何の罪もない子どもたちが突然殺されるような理不尽な犯罪が二度と起こりませんように」という願い、「人殺しといて無罪になってしばらくしたら社会に出てくるってのはどうよ」というごく普通の人の感情、それと民間病院の「そういう難しい患者は、利益を追求せざるを得ない民間病院にゃちょっと荷が重いなあ」という思惑と、「精神障害者の早期退院、早期社会復帰を目指しましょう」という世界的な流れとがごちゃごちゃに入り混じっているから。
だから、障害者に刑罰の代わりになるものを課そうというのか、事件の再発を防ごうというのか、はたまたきちんと治療して早めに社会に戻そうとしているのか、いずれにしても中途半端でわかりにくくなっている。だいたい、多くの批判者がいうように、精神障害者の犯罪は全体の84.3%が初犯であり、重大犯罪の前科・前歴のある者は6.6%にすぎない(平成13年版犯罪白書)ので、この法律は再発防止という役にはほとんど立たないことになる。障害者による重大な事件を防ぐためには、事件を起こしてしまった者をどうこうするよりも、まだ起こしていない人に対する医療を底上げした方が効果が高いのだ。法律が施行されても、いずれまた精神障害者による不幸な事件が起こって、国民の不満は高まることになるでしょう。
皮肉なことだけれど、ここまで批判にさらされたことにより、この法律は施行されてしばらくは厳格に運用されることになり、この法律で入院した患者はむしろ今までより早期に入院を解除されることになるでしょうね。批判者のいうような「無期限の拘禁」にはおそらくならない。
ただし。
法律的な「退院」と、ふつうに考える「退院」とは違うのである。
たとえば、精神保健福祉法という法律には、次のような条文がある。
第29条の4 都道府県知事は、第29条第1項の規定により入院した者(以下「措置入院者」という。)が、入院を継続しなくてもその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがないと認められるに至ったときは、直ちに、その者を退院させなければならない。
これを読むと、自傷他害のおそれがなくなったら、すぐに退院できると思うでしょ。
違うのだ。
現実には、措置入院から退院したとしてもすぐに病院を出て行ける患者は少ない。措置入院は解除にするけど、続いて医療保護入院または任意入院で入院を継続するという場合が多いのですね。あんまり長い間漫然と措置入院が続いていると、早く解除するよう都道府県から指導が入るから(だって措置入院の費用は全額国と都道府県の負担だから)、措置は解除せざるをえないのだけれど、かといって家族や親戚は帰ってきてほしくないと思っているし、第一、地域社会には退院した彼らを受け入れる場がない。そういう事情で、入院形態を変えただけでずるずると入院が延びる、ということはよくあるのである。
というわけで、「新しい法律による入院」からは「退院」しても、入院形態を切り替えるとか、別の病院に転院するとか、そういう形で入院が続くことは十分ありうるんじゃないかと。
結局、地域での受け入れが変わらなければ今と何にも変わらない、ということ。こればかりはいくら法律を整備してもどうしようもなくて、つまりは、あなたは精神障害者を隣人として受け入れることができるか? ということになる。どうですか?
斎藤環による実に理路整然とした『ゲーム脳の恐怖』への反論なのだけれど、あー、これは悔しい。斎藤先生の文章で、読んでいてこれほど「負けた」と思ったものは初めてです。
斎藤先生がこの反論で使っているのは脳波に関する初歩的な知識ばかり。ラカンの話だとかひきこもりの話だとかなら、こちらもへー、そうなんだー、と思って読むしかないのだけれど、この文章では私も知っている知識ばっかりが使われていて、だからなおさら、なぜ自分にはこういうふうに反論できなかったのかと悔しくなってくる。言い訳すれば、私はそれほど日常的に脳波検査をやっているわけではなかったため、今ひとつ自分の脳波の知識に自信をもてなかったのが敗因か。
なるほど、精神科医ならこういうふうに淡々と学問的に反論しなきゃいかんのだよな。私もまだまだです。
2001年11月、ノースダコタ州の州都ビスマルクで、ゴミ捨て場とトラック置き場の周りをさまよい歩いていた日本人女性が警察に保護される。彼女は東京から来た28歳で、警察官が彼女に質問すると、道路と木が書かれた手書きの地図を見せ、映画「ファーゴ」の中でスティーブ・ブシェミ演じる誘拐犯が雪の中に埋めた100万ドルを探しているのだという。警察官がいくらその映画はフィクションだと説明しても、彼女はまったく理解しなかった。その3週間後、警察官は、ファーゴ近郊、デトロイト湖付近の森の中で、彼女の凍死体が発見されたことを知る……。
このニュース、日本ではほとんど知られていないけれど、アメリカでは珍奇なニュースとして有名で(すでに都市伝説化すらしているようだ)、彼女の名前で検索すると、山のようなページがヒットする。
タイトルでリンクしたページは、イギリスのジャーナリストが、彼女を題材にしたドキュメンタリーフィルム(彼女の最後の一週間を「ラ・ジュテ」風に静止画の連続で再構成するものだそうだ)を撮るために、ノースダコタと日本を取材して明らかにした彼女の真実。
まず、彼女は、別に宝探しに来て死んだわけではなかった。別に、フィクションと現実とを混同していたわけではない。東京にいたときの彼女は、一時はOLをしていたものの、やがて酒に溺れるようになり夜の仕事をするようになる。東京に来ていた既婚のアメリカ人ビジネスマンと恋愛し、そして失恋。
彼女がビスマルクのホテルから最後にかけた電話は、そのアメリカ人男性へのものだったという。そして彼女の実家には遺書の手紙が送られていた。つまり、彼女は大好きな映画の舞台で自死するために、アメリカへやってきたのだった。
真相がわかってみれば、実にありふれた、どこにでもあるような失恋話だ。でも、新聞の片隅に「奇妙な事件」として報じられ、個人ニュースサイトのネタにされる事件の背後にあるのも、こんなありふれた、どこにでもあるような哀しい物語なのかもしれない。
大学のとき所属していた同人誌サークル「新月お茶の会」のOB、現役生が集まって行われたパーティ。なんと今年で22周年を迎えるそうだ。我々がいた時代からすでに最盛期は過ぎたといわれていたものだが、まさかこんなに続くとは。
残念ながらMMRのトマル隊員は欠席だったけれど、朝日新聞のアニメ記事で有名な小原篤記者は来ていたので、いろいろと雑談。
今年はちょうど鉄腕アトム誕生した年であり、誕生日の4月7日には「鉄腕アトム誕生」を報じる朝日新聞号外(そんなものが出たのだ)が出たのだけれど、この記事を書いたのも小原記者だそうだ。しかし、小原記者はこの記事を書くにあたってたいへん苦労したのだという。
なぜかといえば、厳密に言えば「アトム誕生」という表現は不可能なのだ。
もともとアトムは、天馬博士が息子トビオの代わりとして造ったものであって、アトムという名前はその後サーカスにいた時代につけられた、いわば芸名である。つまり、誕生した時点では、そのロボットはアトムではなかったのだ。しかし、見出しでは「アトム誕生」としなければわけがわからない。仕方がないので、小原氏は「製作した天馬博士は『トビオ』と呼んでいるが、市民たちの間では、かつて手塚治虫が描いたマンガの主人公にちなんで『アトム』と呼ぶ声が高まっている」というような記述にしたそうな。うーん、メタフィクショナル。
あと、話題に出たのは、今年はどうやら「オタク」という言葉が誕生して20周年らしい、という話とか。中森明夫が「漫画ブリッコ」の連載「『おたく』の研究」で「おたく」という言葉を初めて使ったのが、1983年6月号でのことであり、今年はちょうどオタク誕生20周年にあたるのだそうだ。こちらは別に記念イベントが行われたという話は聞かない。
あ、ワンダバスタイルとの関係について現役生に聞いときゃよかった。
続いて大久保に回り、朝まで合宿。「惑星ソラリス」(タルコフスキー版)を眠らずに3回も観たぜ! 眠らずに観るコツは、見せ場(ハリーをロケットに乗せて打ち上げるシーンとかドアをぶち破る場面とか)以外は画面を見ないこと(←そんなんじゃ観たとはいえません)。
まだちゃんと読んでいないのだけれど、メモ代わりにリンク。
この記事を読むと、ネット自殺が決して日本だけの現象ではないことがわかります。19歳の女の子が自殺ディスカッショングループで話し合ったあと、青酸カリを飲んで自殺したそうだ。また、20歳のノルウェーの男性は掲示板で自殺仲間をつのり、17歳のオーストリアの女性と一緒にノルウェーの断崖から飛び降りたとか。掲示板で知り合ったともに40代のドイツ人男性とカリフォルニアの女性がホテルでピストル自殺をしたという例もあるらしい。
どうも日本と違うように思えるのは、このディスカッショングループが、1990年に設立されて以来、はっきりと「プロチョイス」(自殺を選択する権利重視)の哲学を謳っているというところ(「プロチョイス」というのは、本来は中絶を選択する権利を重視する立場のことで、生命重視で中絶反対の「プロライフ」と対立する考え方)。いかなる理由であれ、自殺は人間の権利として擁護されるべきだ、というわけで、いわば確信犯なのだ。日本だと、ここまで過激な立場というのはあまりないような気がする。まあ、このディスカッショングループがそうだというだけで、海外の自殺系サイトがすべてそうというわけではないのだろうけど。
海外ニュースのネタ元は、だいたいMetafilter、memepool、Boing Boing、Jim Romenesko’s Obscure Store and Reading Roomあたりです。有名サイトばっかりですね。
えー、昨日の件の続きなのですが、相手側は、ここにリンクされたせいでトラフィックが130ギガバイトにも上り、250ユーロも払うはめになったからそのぶん支払え、と言ってきてます。今の為替相場だと35000円くらいですか。まあ、ものすごい額じゃなくてよかった。
私としては、たとえ払うにしても、250ユーロ全部を払う必要があるとは思えないのですが、こういう場合、果たして支払う義務はあるものなのでしょうか。それとも、義務はなくとも、道義的には払っといた方がいいものなんでしょうか。私はこういうことにはまったくうといもので、詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひアドバイスをいただきたいと思います。
しかし、2時間の間をおいて、フレンドリーなのと冷たいのと、2通もメールが来たのはなんでだろう……。
サンドマンのポスターとか、ヨーダのポスター、ガンダルフのポスターとかがいい感じです。
ブリトニー・スピアーズがハリポタを持ってる図はなんかわざとらしいし、キム・ベイジンガーも何か勘違いしてるんじゃないか、という絵柄だが、クリスティーナ・リッチがアイン・ランドの『水源』を抱えているポスターはなかなかいい出来。これならほしいなあ。ちなみに、アイン・ランドについては日本アイン・ランド研究会やLeftovertureが詳しい。1998年にランダムハウスが発表した「20世紀の小説ベスト100」の一般読者投票結果で1位と2位と7位と8位を占めた作家だというのだけれど、3位と9位と10位をL・ロン・ハバードが占めているような投票結果はどうも信用ならないような気もする。ま、それはともかくクリスティーナ・リッチにこういう作家を組み合わせるあたり、実に渋い。
『1984』を持って笑顔で走るマリオン・ジョーンズというのは、どういうシチュエーションだかさっぱりわからない奇妙な図である。『老人と海』を読むビル・ゲイツというのもどうかと。
さらしるさんのところにも、かのサイトのウェブマスター氏から同様のメールが来ているらしい。請求額はうちと同じく250ユーロ。ウェブマスター氏からのメールには「転送量増大による追加料金は約250ユーロ」とはっきり書いてあるので、その全額を(少なくとも)2人に請求しているというのは解せない話です。さらに、うちに来たフレンドリーな1通目のメール(「いいサイトですね」という社交辞令から始まって「英語が下手ですいません」と結ばれております)では「コストの一部を払ってほしい」と書いてあるのに、ビジネスライクな2通目では「250ユーロ全額を払ってほしい」と読めるのも不思議。
それに、私自身はもともとこのビデオのことをBoing Boing(ここでも直リンクしています)で知ったのだけれど、ウェブマスター氏はBoing Boingにも250ユーロの請求メールを送ってるのかな?
過去に同様の例がないかちょっと探してみたのですが、リンクの考え方について解説しているサイトはたくさんあるものの、ほとんどは著作権やネチケットの話で、今回のケースのように、リンクすることによって相手に金銭的な実害が及んだ場合について書かれたページは見当たりません。ということは、これが最初の先例になるんでしょうか。ということで、この件がどう決着するにしろ、ニュースサイト管理者の方々は今回の例を他山の石としてください。
さて、今回の件で、ほかの方の反応は、というと……
- go -(6/17)
この手の話題になるとかならず得意げに「リンクフリーだ!」って喚く人がいるけど、過負荷で金銭的な損害を思わず負ってしまって側にいきなり「リンクフリーなのになんで自分で手を打たないんだ」とかいわれてもどうしようもないでしょ(´Д`;)
Masuda Masashi's network engineering diary(6/17)
「払わなければいけない"その法的根拠"を教えろそれから判断する」と聞いてみるのはひとつの手かな。
Graphic Wizard's Lair
法的に払う義理はない気がする。技術的に対処可能なのに、なにもしなかった向こうの落ち度もアルとおもうし。
見下げ果てた日々の企て(6/17)
件の請求メール読んでないので判断できない部分もありますが、微妙なところだとは思います。
ぽかずかきぶん
まあどっちにせよ有効な訴状が来なければ実質的に問題ないので、それまでは放置でいいんじゃないかなーと思うです。
愛・蔵太の気ままな日記
俺だったらどうするかなぁ、とりあえず「そちらの毎月のトラフィック量はどのくらいで、それの増大が私のサイトのリンクに基づく、という根拠を、第三者に判断できる資料と共に示してください。具体的なそれによる被害額とかも」というようなことを、もう少し丁寧な文体でメールするかもです。
Books by 麻弥
転送量の増大による追加料金をリンク元に請求することが法的に認められるとは思いにくいのですが、でももし自分がリンクしたことがきっかけで、相手が金銭的に大ダメージをこうむったら寝覚めが悪いのではないかと思います。
本日の厳選モノ(6/18)
でも、ネットに上げた時点で転送量のことは考えるべきだし、直リンは技術的に回避できる問題だし・・ってことで、知らない方が悪いからドイツ人の負けかと。あと、どれくらい損害を与えたかという具体的な証拠も必要だしね。
法的にはみなさんのご意見通りだと思うし、ファイルをウェブに公開している以上、転送量増大は当然予想できる範囲内であり、たとえ追加料金払わなきゃならなくなったとしても、リンクした側に支払いを要求する筋合いはないと思います。でも、法的な問題は別として、ここから直リンクしたことがきっかけで転送量が跳ね上がったのは事実であり、心情的には責任を感じなくもないのが難しいところ……。
まあしかし、「あなたの問題については気の毒に思っているが、あなたの追加料金を私が支払う必要があるとは思えない」というような趣旨で返事を送ってみようかな。2通目のメールの末尾には「7日以内に返答せよ」と書いてある(2通目はえらく高飛車なのだ)ので、タイムリミットまであと5日。しばらく考えてから、英作文を書いてみることにします。
追記:ちょっと誤解を受けてしまったようなので一言。上のリンク集は、あくまで今回の問題に対する反応リンク集であって、別に上で引用したサイトにドイツから請求メールが来たわけじゃありません。私の知る限り、メールが来ているのはうちと、さらしるさんのところだけです。誤解を招きやすい表現ですいませんでした。
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1970年生まれのクラシック批評家がなぜか出した2ちゃんねる論の本。2ちゃんねるは連句や
しかし、いったいこれは誰に向けて書かれた本なんだろうか。初心者向けに書かれているようにもみえるけれど、それにしては最初から最後までネット的な文体で飛ばしてみたり、カバー裏の著者紹介に、
著書に『クラシック名盤ほめ殺し』(中略)などがあると思われ。共著多数ぽ。
と書いてみたりと2ちゃんねらー受けを狙っているようにも見える。しかし、2ちゃんねらー向けとすると、2ちゃんねるについての概説が長々と書かれていたり、吉野家コピペや2ちゃん用語の説明をしてみたりと、あまりに薄すぎるところが気になってしまう。結局、どちら向けとしても中途半端な本に思えてしまうのである。
ちなみにこの本、
洋泉社訂正とお詫び祭り【2本目】
と題された紙切れが入っていて誤植の訂正をしているのだけれど、このネタだけのためにわざと誤植をした可能性が高いですな……(ちなみに、有名な1本目の誤植は『クラシック批評こてんぱん』で著者の名前「鈴木淳史」が、表紙から奥付まですべての箇所で「鈴木敦史」になっていた、という豪快なもの)。
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ライトノベル風味の軽い作品かと思ったら、これが意外にも異星種族の生態系の謎を追う正統派SFだったので驚き。なるほど、Sense of Gender賞の候補になるのもうなずける作品であります。続編が予定されているからか、本書だけではよくわからない設定もあるものの、今回舞台になっている惑星の物語の範囲ではきちんと論理的整合性のある解決が提出されて終わるのも実にSF者好み。
ただ、やっぱり生態系SFをやるには、この枚数では少なすぎます。異星文化の描写も不充分だし、展開にしてもあまりに簡略化されていて、粗筋みたいに感じられてしまうところもあったりする。異様な(あくまで地球人から見てだけど)生態系を持つ生物のわりには、描写があまりに地球人的なのも気になりました(まあ、これはあまりつきつめて描くと「愛はさだめ、さだめは死」みたいに、一読しただけじゃわけがわからないものになってしまうので、ほどほどでいいのだけれど)。
に、いくつかのサイトを追加しました。
妻と私は、ウィルキンソンのジンジャーエールが好きである。
初めてのレストランに入ってジンジャーエールを頼み、ウィルキンソンが出てくるとうれしくなるし、ウィルキンソンじゃなければがっかりする。私たちはそのような人間である。
ウィルキンソンのジンジャーエール、と言われても聞いたことのない人も多いだろうから説明しておくと、このジンジャーエールは、とにかく「辛い」のである。普通のジンジャーエール(カナダドライとか)は甘みがあって、子供でも飲めるごく普通の炭酸飲料水に成り下がってしまっているのだが、ウィルキンソンは違う。これぞまさに「ジンジャー」エールだとばかりに、生姜の味が濃厚で、なんとも暴力的な味なのだ。一口飲んだだけでちょっとした風邪なら治ってしまいそうな勢いである。しかしこれが、一度飲んだら病みつきになるうまさ。
このウィルキンソン・ジンジャーエール、ついこの間までてっきり輸入品かと思っていたのだけれど、実はアサヒ飲料製の国産らしい。明治5年に来日したクリフォード・ウィルキンソン氏が兵庫県有馬郡塩瀬村生瀬へ狩猟へ出かけたところ、たまたま炭酸鉱泉を発見。それを1904年(明治37年)にウィルキンソンタンサンと名づけて売り出したのがウィルキンソンブランドの始まりだとか。ただし、いつジンジャーエールが作られるようになったのかは不明。
このウィルキンソン・ジンジャーエール、自宅で飲みたいと思いつつも、うちの近くだとどこの酒屋にも置いてないので困っていたのだけれど、最近やっと池袋西武地下2階の食品売り場に売っているのを発見して買ってきました。ただし、最初は「ウィルキンソン・ドライジンジャーエール」というのを買ってきてしまったのだけど、これが失敗。「ドライ」は、普通のジンジャーエールと同じ甘口なのだ。辛口は「ドライ」のつかない「ウィルキンソン・ジンジャーエール」の方だったらしい。ということで、2回目にようやく憧れの辛口ジンジャーエールを口にすることができたのだった。
しかし、「ドライ」の方が甘口ってのはどうかと思います。
なるほど納得。いやもとより1ユーロたりとも払うつもりなどないのですが。
しかし、リンク先の日記に書かれているような内容の手紙を、英語で書く自信は私にはとてもないのでした。英作文は苦手です。
ここしばらく、下手な英語でちょっとずつ文章を作ってみたりもしていたのですが、いろんな方の意見をきくうちにだんだんと、無視した方がいいのかな、という気分になってきております。たとえ無視したとしても、相手はこっちに金を払わせる手段なんてないだろうし、掲示板で奥村さんも書かれているように、下手に反応した方がリスクが高いような気もするので。
夕方、バスに乗っていたら、後ろの席で小学1年生くらいの女の子が、お母さんにいろいろと質問しておりました。「地球はひとつしかないの?」「アメリカも日本も地球の上にあるの?」など簡単な質問のあと、女の子がお母さんに投げかけたのは、こんな質問。
「プラネタリウムはどうして丸いの?」
お母さん、ちょっと考えてから、
「ほら、地球は丸いでしょ。あれを再現してるから丸いんじゃないの?」
「ふーん」
……いや、地球が丸いこととプラネタリウムが丸いのとは関係ないと思うんだが。レンズの焦点距離とかの問題でしょう。
バスは目白駅を過ぎ、学習院大学の前を通りかかる。
するとお母さん、
「あそこは学習院。お嬢様だけど頭はあんまりよくないのよ」
小学生にそんなこと教えてどうする。というより、その評価はあまりにひどすぎないですか?
……女の子よ、好奇心を忘れずのびのびと生きてください。