2005-01-02 [Sun]
▼ 新年
遅ればせながら、あけまして、おめでとうございます。
初詣にも行かず引きこもり、本を読んだりゲームしたりしながら、だらだらとすごしております。正月最初の読書は平山瑞穂『ラス・マンチャス通信』。不条理なんだけど、統合失調症体験を非常にリアルに描いた作品としても読めて秀逸です。
そういや、今年は年男だ。いや別に感慨というほどのものもないんですが。
▼ SF作家誕生日カレンダー
これさえあれば、今日が誰の誕生日かすぐわかるというすぐれもの。1月2日はアシモフの誕生日で、3日はトールキンの誕生日らしい。毎月、エース・ダブルの素敵な表紙イラストつき。pdfファイルなので印刷して使えます。誰か日本作家版も作ってくれないかな。
2005-01-05 [Wed]
▼ おかゆまさき『撲殺天使ドクロちゃん』(電撃文庫)
なんかいろんな意味で評判なので読んでみました。『ライトノベル☆めった斬り!』でもラノベの頂点として紹介されていたし。
なるほど、これはラノベの極北。世界の果て。なんだか荒涼とした岬の突端に立っているような気にさせられる、そんな小説。
全編がパロディ(それほど濃くはない)とサンプリングで作られたような作品で、新しいものは全然ない。設定はドラえもん+うる星やつら+ターミネーター2みたいな感じ。まあ、平たくいえばSF押しかけ女房もの。ストーリーといえるほどのものもないのだけれど、とにかく異常なのはそのテンションの高さ。いわゆる文章作法からは遠くかけ離れた文体で、最初から最後までハイスピードで突っ走る。「日常ちゃばんじ」という表記は果たしてネタなのかマジなのかとか、一人称の語り手がその場にいない間(死んでいる間も)の出来事も普通に語られるのはどうか、とかそういう細かいことはもう無意味。ただ頭をからっぽにして読むしかない。私はギャグがすべっているように感じられてあんまり笑えなかったのだけれど、波長が合う人にとっては笑えるんでしょうなあ。こればっかりは相性だから仕方がない。
ある意味、小説という形式の限界に挑戦したような本なのだけれど、いちばん驚いたのは、本文中にはまったく書かれておらず、オマケ4コマだけで出てきたネタ(食玩のフィギュアの話)が最終話でさりげなく伏線として使われていたこと。はあ、なるほど、こういうのもありなのね。
それから、読んでいて感心したのは、作者の優れたネーミングセンス。天使による神域戒厳会議「ルルティエ」、撲殺バット「エスカリボルグ」、超電磁スタンガン「ドゥリンダルテ」、殺人濡れタオル「エッケルザクス」など、どれも本格ファンタジーに出てきてもおかしくはないほどの堂々としたネーミングではないか。ぐぐるさんのご託宣によれば、なんでも武器の名前は実際、中世英雄叙事詩に由来するらしいが(エスカリボルグ=エスカリボル+カラドボルグ(どちらもアーサー王伝説に出てくるエクスカリバーの語源)、ドゥリンダルテ=ローランの歌に出てくる名剣デュランダル、エッケルザクス=ディートリッヒ伝説に出てくる剣エッケザックス)、どれもオリジナルから少し表記が変えてあり、この表記自体は作者オリジナルのよう。ルルティエはルルティア+ルルイエかな? このネーミングと小説の内容のギャップが実に素晴らしいではないか。
ネーミングといえば、「○○だよ!ドクロちゃん!」というサブタイトルのフォーマットもいい。このタイトルから連想されるのは、クレイジーキャッツとか、ドリフターズのような、1960年代のお気楽コメディの懐かしい香りである。パターンとお約束でできていて、マニアや評論家をうならせるような仕掛けはなんにもないけれど、きっちり笑わせてもらえてなぜかほっと安心できる。まさにこの小説を象徴するサブタイトルではないか。79年生まれの作者がどこまで意識したのかは知らないが。
ただ、ドクロちゃんが未来に帰ってしまう最終話は、SF押しかけ女房ものパターンではいちばんの泣かせどころであるわけで、そこをそれまでと同じテンションのまま突っ走るのではちとつらい。もう少し緩急をつけて、物語を盛り上げるような演出を効かせてほしかったんだけど、この小説にそれを望むのはちょっと無理か。
2005-01-06 [Thu]
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_ しかし時計職人たちは最近の芸術運動は風邪を引いて、例えばイタリアの急進的なデザインや後現代主義スタイルで、このような情況は過去何十年続いて。新しい芸術スポーツスタイルでいくつかのブランドだけマイナーと独立タブブランドに反映させるため、彼らの生産高品質だけの限定版の時計。しかし、これらの運動に昇格したデザイナーの地位、彼らは制品の実用性と技術美と結び付けて、歩いていた芸術タブの前列。 [ しかし時計職人たちは最近の芸術運動は風邪を引いて、例えばイタリアの急進的なデザインや後現代主義スタイルで、このよう..]
2005-01-07 [Fri]
▼ オレたちフィギュア萌え族
例の件。
なんかもりげさんから名指しされてしまったのだけれど、私としてはあんまりこの件については腹を立てる気にもならんのですね。宮崎事件後の、全マスコミが牙を剥いてきたかに思えるほどの大オタクバッシングを潜り抜けてきている身としては、この程度のことは放置で十分としか思えないのだけど。今のネットの反応は過剰反応にしかみえません。
もちろん大谷氏の主張を真に受けて、「フィギュア萌え族って怖いですねえ。精神科的にはどうなんですか、ああいう人たちって」などと無邪気に私に話し掛けてくる人がいたとしたら、そりゃ誤解を解くために猛然と反論するでしょうが、少なくとも「大谷氏=バカ」の論調で固まっているネット上では、大谷氏を批判する気にはなれません。批判を書いたとしても、読者の多くはそれを読んで「そのとおりだね」と思うだけで、何も新しいものは生まれないわけだし。わざわざ時事ネタを扱うのであれば、私としてはむしろ読者を考えさせ、論争を巻き起こすようなテキストが書きたい。
結局のところ、今回の件では大谷氏ひとりが「フィギュア萌え族」とか珍妙な造語をつくって吠えてるだけだし、彼が描いて見せた犯人像にしたところで、逮捕された男の実像とはまったくかけ離れていたわけで、追随してオタクバッシングに乗り出す週刊誌や評論家がいるわけでもない。最近の事件でいえば、本当にオタクによる犯罪だった黒磯の女児誘拐事件のほうがオタクへのダメージは大きかったし、立ち止まって真剣に考えるべき問題ではなかったかと。
大谷氏という人は、昔かたぎの事件記者あがりのジャーナリストなわけで、基本的には弱者の側から巨悪を糾弾するスタンスの人です。義理と人情を重んじる演歌的センスの持ち主といってもいいでしょう(大谷氏がカラオケでよく歌うのは、大阪西成の日雇い労働者を歌った『釜ヶ崎人情』だそうな)。そういう大谷氏にとって、オタクというのは最も理解不能な人種であることは想像に難くないわけです。問題になったコラムにしても、つまりは「今の若い奴らの考えてることはわからん、けしからん」とぼやいているにすぎないんじゃないかと思うのですね。事件にかこつけて、常日頃から癇に障っていたことを書いてみたのでしょう。「フィギュア萌え族」というネーミングにしても、「みゆき族」「アイビー族」(だいぶ時代は飛ぶが)「くれない族」「たけのこ族」といったなつかしの流行語並みのセンス。おそらく、彼には、つねに庶民の側に立っているはずの自分がなぜ叩かれるのか理解できていないんじゃないかと思いますね。そして、私はそういう、ものわかりが悪くて頑固なオヤジが嫌いじゃないのですよ。
オタクであることが本当に肩身が狭く感じられた宮崎事件の頃に比べ、今はヴェネツィア・ビエンナーレで「萌え」が紹介され、電車男がベストセラーになる時代なわけで、むしろ私としては、オタク文化に抵抗する最後のサムライたる大谷氏にはがんばってほしいとエールを送りたい。だって、仮想敵のひとりやふたりいなくちゃつまんないじゃないですか。マスコミや自治体までが、妙にオタク文化にものわかりがよくなっている(あるいは、ものわかりがいいふりをしている)現状は、なんか居心地が悪いのです。叩かれてこそ発展するのが文化というものでしょう。まあ、今のところ大谷氏は仮想敵としてはあまりにも小粒すぎますが。
ところで、『新婚夫婦殺人事件』『陰毛怪怪殺人事件』など大谷氏の事件記者シリーズは、いかにもつまんなそうなタイトルに反して傑作ですよ。いや、だから大谷氏のネーミングセンスは最悪なんですってば。
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▼ VALISからの手紙 via Boing Boing
eBayで、クラウディアという女性が、フィリップ・K・ディックからの、1974年から75年までの書簡60通を売りに出してます。スタート金額は1000ドル。『ヴァリス』(と『V.A.L.I.S.』)と『ユービック』についての記述、それから神秘体験についての記述があるとか。74年といえば、まさにディックが連続した神秘体験をしたことで有名な年。私はそれほどのディック好きではないのだけれど、ファンなら垂涎の手紙なんじゃないでしょうか。詳細はこのページで。
このクラウディアさん、以前には『火星のタイムスリップ』のサイン本もオークションに出してます。ディックといったいどういう関係だったのかはよくわからない。
▼ V for Vigilante
6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上昇していた。
「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。
これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。
この結果を坂元教授は「かっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいため」と分析している。
なんとなく納得がいくような気がしてしまうのは、自警団的な活動をするスーパーヒーローの危うさという、ちょっと前のアメコミが直面した問題を思い起こさせるためか。ローレンス・ワット=エヴァンズの「COOL」(SFマガジン2004年9月号)が、まさにヒーローに憧れる少年のふるう暴力を扱った作品だった。
ただ、子供の攻撃性が上昇するのが果たして悪いことなのかどうかは別に考える必要あり。私としては、正常な攻撃性の発達は人間にとって必要であり、攻撃性が低すぎるのもかえって人間として不自然だと思いますが。悪者と戦う「正義の味方」は古今東西の子供文化に共通するヒーロー像だし、まさに「かっこいい正義の味方と自己同一視」するごっこ遊びは、鞍馬天狗や黄金バットの頃から(いやそれ以前から)子供の遊びの定番でしょう。それを「攻撃性を高める」という理由で有害とみなすのであれば、それは運動会の徒競走で順位をつけないのと同じくらい馬鹿馬鹿しいことになってしまう。
そして、これらのゲームによって上昇するという攻撃性と、たとえば暴力や殺人に至るような極端な攻撃性は質的に同じものなのかどうかの検討も必要でしょう。
さらに、意識調査で多くの保護者が懸念を示したという「戦いのシーンで血が流れる」「攻撃にかかわった人数が多い」などは、たとえ子供の攻撃性には影響がなかったとしても、子供の心理に別の影響を与えている可能性もある(たとえば自傷傾向や恐怖感など)。
ぜひ原論文を読んでみたいんだけど、何の雑誌に載るのか、どの学会で発表されるのかどこにも書いてないのが謎。
2005-01-08 [Sat]
▼ 故ケネディ元大統領の妹、ローズマリーさん死去
ロボトミーとケネディ家の犠牲になって一生を失った女性がひっそりと死去。
1918年9月13日、ボストン生まれ。知的障害があったとされるが、23歳の時に白質切除(ロボトミー)を施され、生涯の大半を施設で過ごした。ローズマリーさんの存在が公になったのは、故ケネディ大統領が就任直後の60年だった。
白質切除を施される前に書かれたローズマリーさんの日記には、舞踏会や洋服のこと、欧州への旅行、ホワイトハウスにルーズベルト大統領を訪ねたことなどが書かれている。95年に出版された36〜38年にかけての日記では、コンサートやオペラの感想などが普通に書かれていた。しかし、父は、彼女の成長とともに知的障害の事実が世間に漏れると、ケネディ家の名声に傷がつくと考えるようになった。一家の医師団も、白質切除を施すべきだと助言した。
▼ 映画『暗闇のスキャナー』の画像
アニメだったんだ。
2005-01-10 [Mon]
▼ ゴ━━━━(゜∀゜)━━━━ル!!ふたたび
1月8日の華麗なシュート動画の真相らしきものが。
ふくみみ1月9日 スーパーゴール!!(・∀・)のコメント欄によると、
かなり有名な動画でして、プレミア開幕前の時期に流されたファンタジーサッカーの宣伝(別バージョンあり)。
確か、動ナビ(一説によると最も影響力の大きな日本語サイト)で紹介されていたし、fazed.netでもヤンキーにサッカーの面白さを啓蒙するために投稿されていた。
スペインリーグの動画を使った合成映像ですが、問題は音声ですね。スペイン語わからんけれど、独自に付けたもの?
とのこと。
うーん、やっぱり本物じゃなかったのか。残念。
2005-01-11 [Tue]
▼ シアトルの映画館の前でエピソード3の公開を待ち続けるファンのブログ
1月1日から並んでいるらしい。ちなみに、スターウォーズ・エピソード3の公開は5月19日。シアトルの気温。
Jeff Tweitenという24歳のこの男性、エピソード2のときも同じ映画館の前で3ヶ月半並び続けていたとか。いやなんというか、若いっていいね。
▼ 図書館ミュージカル
動画。見てる人の反応が楽しい。単なる迷惑だという気もするが。
同じサイトには沈黙のダンスパーティとか、地下鉄レクチャーという同系統のネタもあるけれど、前者は怪しい儀式みたいだし、後者は危ないおっさんにしか見えず、図書館ミュージカルの微笑ましさには負けてます。
▼ ほら男爵と睡魔
画面を見ているぶんには凝っていて面白いけれど、お話に起伏がないのでちょっと眠くなる。
「ほら男爵の冒険」は、恥ずかしながら結構な部分を寝て過ごしてしまった。全体的に、美しくはあるのだけれど、ストーリーは平板なところもあるのだと思う。
ストーリーとしてはそれほど一貫性がなく、イメージの連続のような映画なので、正直なところ寝不足の私は途中で何度かうつらうつらしてしまったのだけれど
読書系サイトの3人が3人とも眠くなる映画、カレル・ゼマン恐るべし(「中二階日記」だけは『悪魔の発明』の感想ですが)。いや、でもおもしろいのよ、ホントに。私は星五つつけたくらいだし。
2005-01-13 [Thu]
▼ ディズニー、『トロン』をリメイクへ
懐かしい……。
脚本家として名前が挙がっているBrian KlugmanとLee Sternthalを調べてみたんですが、脚本家としては全然実績がなく、2006年予定のWarriorという映画しか書いてないみたいですね。
▼ 米澤穂信『春期限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)
目立たずでしゃばらない「小市民」になることを目指す高校1年生の男女が、心ならずも事件に巻き込まれ、封印していた推理の才を発揮して身の周りの謎を解いていくという、いかにも創元らしい「日常の謎」系ミステリ。ある意味、本格ミステリ版「超人ハルク」(テレビ版)かも(別に謎を解いたからといって町にいられなくなって放浪したりはしないけれど)。
全編にわたってなんとももどかしい、というか、わかりやすいカタルシスを排除して、謎は解いても決して核心には迫らないという書き方が徹底していて、第1話を除いて「犯人」と直接対決することは一切ないし、最大の謎である小佐内さんの過去も、最後まではっきりとは語られない。『春期限定いちごタルト事件』というタイトルにしても、意識的に核心からずらしたつけ方のような。この「ずらし」が作品の味になっているのだけれど、そのせいでなんとなくうすぼんやりと印象の話が多い中で、「For your eyes only」のラストの、身も蓋もないほどに皮肉で爽快な切れ味の鋭さが素敵。勝部先輩萌え。
しかし高校に入りたての男女がいつもくっついてたら、小市民どころじゃなくクラス中の噂の的だと思うのだが、そんなことにはならないのか。
▼ The PalmとThe World
アラブ首長国連邦のリゾート地ドバイに建設中の巨大人工島。
The Palmはヤシの木の形をしていて、キャッチコピーは「世界の八番目の不思議」。人工島の上には60のホテルと5000戸の別荘、5000室のリゾートマンションが建つのだとか。
The Worldの方は、ドバイの沖4キロのところにある9キロ×6キロの楕円状の海域に、250〜300の小さな人工島を世界地図の形に並べ、それぞれの島に高級別荘を建てて売り出すのだという。総工費は18億ドル。ほええ。
ドバイでは800メートル、160階建ての世界一高い高層ビルも計画中だというし、今や世界一バブリーな都市ですな。
▼ 「○○族」から「○○系」へ
「フィギュア萌え族」関係のページを回っていてたどりついたページ。「○○系」のルーツがオタクにあるというのは初耳である。本当にそうなんだろうか。たとえば(ラーメンの)「家系」(いえけい)とか「シブヤ系」とかの「○○系」が、すべてオタクが使っていた用語を元にして広まったとは考えにくいものがあるのだが。
2005-01-14 [Fri]
▼ 「頭悪い」「心の病気」「二度と来るな」個人HPで患者中傷 水戸協同病院の女性医師 病院側、処分を検討
見出し長すぎ。
サイト持ちの医者としては他人事じゃない話なので、医療系日記では話題騒然。
http://d.hatena.ne.jp/chirin2/20050114#p6
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20050114#p4
http://www.doblog.com/weblog/myblog/11576/892766#892766
http://d.hatena.ne.jp/CROCODILETEAR/20050114#p1
私だって本名さらして7年もやってるわけで、ある程度書いていいこといけないことの区別はついているつもりでいるけれど、まずいことをまったく書いてないとは限らない。私も、ディテールをぼかした上で実際の患者さんについて書いたことがあるし、自分の基準では問題ないと思っていても、本人が見て不快に思うかもしれないという可能性は否定できない。
まあ、この女医さんについていえば、ここまで赤裸々な本音を無防備に書いてしまうのはいかにもまずい。たとえ匿名でウェブ日記を書いていたとしても、ウェブはプライベートじゃなくてパブリックな場であり、自分の書いたものには責任が伴ってくるのだから(私があえて本名でやっているのは、それを忘れないようにするという意味合いもあります。後付けの理由だけど)。
ただし、やっかいな患者の悪口や、ハードスケジュールな手術のグチを同僚やスタッフと言い合うことだったら、それは医師の精神衛生上必要なことだし、精神科医としては大いにお勧めしたい行為だといえる。聖職者たる医師が患者のことを悪く思うこと自体が許せない、という潔癖な人もいるだろうけれど、それはいくらなんでも現実的ではない。聖職や愛情の美名の下に、心の中に湧き起こる気持ちの抑圧が強制されるとろくなことにはならないのは、介護疲れや幼児虐待の問題が教えるとおりである。
医者と患者の関係というのも人間と人間の関係である以上、腹の立つ患者がいるというのは当然のことだし、そうでなくとも医者というのはグチのひとつも言わなきゃやってられない仕事である。医師にも発散の場は必要である。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざ」というくらいで、腹立ちや不満を自分の中に抑え込んでおくのは体に悪い。春日武彦氏も『援助者必携 はじめての精神科』で書いていたけれど、あの患者には腹が立つとか苦手だとかいう感情は、むしろスタッフの間で発散した方が医療者は疲れ果てずにすむし、ひいては言いたくても言えなかった感情を共有できてチーム医療もスムーズにすすむ(これは医者に限らず看護職や福祉職の人にもいえることである)。また、手術中の臓器を食物にたとえるなどの不謹慎なジョークには、手術の緊張感を緩和する効果がある(初めて解剖実習をする医学生の間で、「壁に耳あり」などのブラックジョークが広まっているのも同じ理由)。でも、それはもちろん医療関係者同士で話すべきことであって、公共の場で書いたりしゃべったりしてはいけないのは言うまでもないのだけれど。おそらく、この女医さんは、治療や患者について同僚と自由に話し合う環境に恵まれなかったのではあるまいか。
それからもうひとつ、この記事には気になるところがある。見出しにもなっている「心の病気」という記述について、この記事では「中傷」だと書いてあるのだけれど、それはどうだろう。
「心の病気」が出てくるのは、16年5月25日の記述。
耳鼻科にはいろんな患者さんがいらっしゃいます。不定愁訴といいまして、原因もなくいろいろな症状を訴える方がいます。のどがちりちりする。口が渇く。耳がかさかさいう。くびがいたい。メマイがする。などなど。本物の病気ももちろんあるのですが。はっきり言って心の病気っていうのが圧倒的に多いです。普通の人なら全く気にしないことが気になって気になって仕方がない。ストレスフルな人に多いです。なぜって体の症状を気にしていればストレスのことを考えなくてもすむから。自分で病気を作り出している。大丈夫! 太鼓判をもらっても、治らないor気になってしまうあなた! 一度「心療内科」の受診を!(笑)
精神的な問題をかかえた患者が眩暈や首の痛みなどの身体症状を訴えて耳鼻科を受診することがあるのはまぎれもない事実だし、耳鼻科的な検査をして異常がない場合、心因性を疑って心療内科の受診を勧めるのも耳鼻科医としては問題なく正しい。
これを中傷だとみなすのは「心の病気」に対する産経新聞記者の偏見のあらわれだと思うのだが。ただ、最後の「(笑)」で内容の正しさが台無しになっているのが残念(笑)←これも余計
▼ TrackBack
どうも誰からもTrackBackされない。今日など私を含む何人かの記事に言及しているブログがあったのだけれども、ほかの人にはTrackBackしているのに、私にだけはしてくれていない。もしや私は嫌われているのだろうか。他のサイトの中の人は裏でメールのやりとりをして私だけをつまはじきにしているのだろうか。と、被害妄想めいた思いに陥っていたのだけれど、よく確認してみたら、tb.rbのパーミションを755に変更するのを忘れていた。いやいや、本当に私だけが仲間はずれにされていた可能性も(←妄想です)。
2005-01-15 [Sat]
▼ 芳崎せいむ『金魚屋古書店出納帳(上下)』『金魚屋古書店(1)』(小学館)
古書店「金魚屋」を舞台にした古本マンガ。というか、古本マンガマンガ。『出納帳』の2冊は、2003年に少年画報社から出た本の出し直しだが、それぞれ6ページずつの書き下ろしが新規収録されているという、ファン泣かせの作り。『金魚屋古書店』はその続編にあたる。
全編にわたり実在のマンガをからめた人情話が展開するのだけれど、『009』と『河童の三平』の話あたりまではおもしろかったのだが、人情話があまりにもベタすぎてひねりがないのと、似たようなパターンが繰り返されるのでちょっと飽きてくる。
それに、設定があまりにファンタジーすぎるのもちょっとね。もちろん、このマンガの最大のファンタジーとは、古本屋の地下に巨大書庫があって無限のマンガが収蔵されていることではない(いいなあ、うっとり)。古本業界界隈に美男美女が大挙して集結してるということなのだ。(知っている古本マニアたちの顔を順に思い浮かべながら)そんなやつぁいねえ! 特に美男美女セドリ師なんてどこの世界の生き物ですか!
あと、入り口を北向きにするくらい本の傷みに気を遣っているのなら、川沿いに古本屋を建てるのはやめた方がいいと思うのだが。川があふれたらたいへんなことになるぞ。特に地下書庫なんて水浸しになったら悲惨。
▼ 喜国雅彦『本棚探偵の冒険』(双葉文庫)
コレクターなら当然、凝った造本の親本(初版・函・帯・月報付き・検印入り)で持っているべき本なのだけれども、「読むために買う」派の私は文庫版で購入。単行本に比べて文庫は拍子抜けするほど重みに欠けるのだけれど、文庫の耽美的な表紙絵もこれはこれで捨てがたい。
内容はというと、日下三蔵とかダイジマンとかのマニアを見慣れている身としてはそれほど驚くようなことは書いていないのだけれど、古本マニアの生態をここまでおもしろく、テンションの高い筆致で描いたエッセイは初めてじゃないだろうか。たとえジャンルは違えども、オタクやコレクターの気がある人なら誰しもが(ある程度までは)共感できるはず。コレクターというのはどこかマゾヒストに近いものがあるものだけれど、そこを自虐的なギャグにしてしまっているところがまた素晴らしい。これこれ。古本マニアの生態ってのはこれですよ。『金魚屋古書店』に欠けていたのはこれですね。コレクター魂と自虐。あと収納問題。
しかしこの文庫の帯は、誰に向けて書かれているのか謎。
石井女王様が発売当日、開店前に先頭に並んでゲットしたこの文庫を、一週間後よしださんが百円均一台で広い、十年後に彩古さんが十万円で買うだろうと日下さんが予想する爆笑エッセイ集!
これで手に取ろうと思う人はかなり限られているような気が。
2005-01-16 [Sun]
▼ Hanzi Smatter 一知半解
tianさんという方が、タトゥーやTシャツに書かれた漢字の意味を解説してくれるブログ。おバカな写真を見てるだけでも楽しい。
中でもいちばん笑えたのが、Watersportsという記事で、Joanne L.さんという読者からのメールに答えたもの。
友だちが来年日本に遊びに行く予定なのですが、その前に日本語を書いたTシャツを作ろうとしています。彼はどんなウォータースポーツでも大好きなので、『私はウォータースポーツのファンです』と書きたいそうです。彼の知り合いが日本語の文を書いてくれたのですが、私は漢字についてはイヤな経験があるので、シャツに印刷する前に、正しいかどうか確かめておきたいと思います(以前、別の友だちが背中に「もっと激しくぶって」と漢字で刺青を入れたのですが、それを彼女は二年間も「私は可愛い」と書いてあると思いこんでいたのです)。これがその文です。ここには本当に『私はウォータースポーツのファンです』と書いてありますか?
そして、Joanneさんの友だちがTシャツに印刷するつもりだという文がこれ。
彼の知り合いは何か勘違いしていたか、あるいは彼に恥をかかせるつもりだったとしか思えません。ただ、彼の知り合いは、「打っ掛け」と漢字で書く日本人はまずいないこと、そして「打っ掛け」から性的な意味を感じる日本人はそうはいないということを知らなかったのではないかと。
2005-01-17 [Mon]
▼ ビル・ゲイツ萌えポーズ写真
ノーコメント。
▼ イアペトゥスの写真
すでに野尻ボードなどで話題になっているけれど、本当に不思議な地形。ほぼ赤道に平行に、幅20キロ、高さ13キロの山脈が、1300キロにわたって続いているそうだ。スラドではデススター説、レールガン説、リングワールド説、パーティングライン説などが(笑)。
▼ amazon.co.jpの404 Document Not Found
これは初めて見た。再現しようとしてみたのだけれど、いつもの犬しか出てこない。
2005-01-18 [Tue]
▼ 宦官
またHanzi Smatter 一知半解より。これも笑った。彫り師は絶対にわかって彫ってますね。どうせ意味わかんないだろ、と思って嫌がらせをしたのかも。
▼ ルイ・ステーの絵
アルツハイマー病にかかった画家の絵とペアで紹介されることが多かったせいで、ルイス・ウェインの猫のアクセス数がまた増えてきている。不思議なのは、同じページ上にあるというのに、同じく統合失調症にかかった画家であるルイ・ステーの絵は、まったくといっていいほどリンクを張られないこと。まあ、これは別に不思議でもなんでもなく、単にステーの絵は、サイケデリックなルイス・ウェインの絵に比べてインパクトという点で劣るからなのだろうけれど、ルイス・ウェインの絵はやはり特殊であって(急性期の一時期にウェインのような絵を描く患者はいるが、長期にわたって書き続ける患者はまずいない)、実際の統合失調症患者の描く絵に近いのは、むしろステーの絵の方である。
アルツハイマー病患者の絵の方も、最後の絵は色の塗りわけやシンメトリーがあまりにも整いすぎていて、痴呆患者の絵としてはそれほど典型的ではないように思える。もちろんどれもプロの画家の絵ということで、一般の人の絵の変遷とは違っているのだけれど。
ところで、こういう絵画などの芸術作品から精神病を理解しようとする学問を「表現精神病理」といって、もともとかなり趣味的な精神病理学という学問の中でも、さらに趣味的でマニアックな学問領域である。この「表現精神病理」、最近はすっかり廃れたかと思っていたのだけれど、精神神経学雑誌の2004年10月号に、「3次元コンピューター・グラフィックス(3DCG)の表現精神病理――統合失調症患者の発病前後の作品から」という論文が載っていたのには、驚くとともになんだか懐かしさを感じてしまった。表現病理の題材も時代に応じて変化しているよう。そのうち萌え絵を題材にした論文も出てくるかも。
2005-01-19 [Wed]
▼ 研修医の頃
研修医時代の話をする。
研修医といえば、特に外科系などでは1週間も家に帰れないとか、なかなか眠れないとか、おそろしく忙しくて非人間的な扱いをされているものだが、少なくとも私の研修はそれはそれはヒマであった。当時は今のようなローテート制度がなく、精神科オンリーの研修だったから、あまり参考にはならないかもしれないけれど、私の入った医局はちょっと特殊なところがあって、放任主義といおうか、何をしろとも言われなかったし、何をしていても許されたのだった。
私の所属していた大学病院分院の神経科は開放病棟しかなく、しかも入院しているのはわずか15人ほどの慢性患者だけ。今思えば彼らはひとりとして長期に渡り入院し続けている必要のある患者はおらず、教育用・研究用としてだけ入院させられていたような気もする。
私たちがしたのは、まず先輩医師の面接に同席して書記役(シュライバーという)を勤めたりして、精神科の面接内容を把握すること。それから、いよいよ自分ひとりで患者さんと面接し、話を聞く。1回につき少なくとも30分以上は話を聞き、その内容をカルテに書き記した。聞く技術としては、まずは先入観を交えずに虚心に聞くこと。エキセントリックな妄想を語る人がいたとして、それをありえないと否定するのではなく、かといって奇矯の魅力に溺れるのでもなく、ただそうした体験として、ニュートラルな態度を保ちながら話を聞く技術である。そして聞くことと同様に重要なのが、それをいかに記述するか、ということ。はじめは逐語的に書いていたので1回の面接につきカルテ1ページが埋まることも珍しくなかったが、徐々に内容のまとめ方を覚え、簡潔に書くようにしていった。それでも、その面接の中でキモにあるような重要なやりとりについては、そのままカルテに書き記した。
患者の話を聞いて、そしてそれを記述すること。これがつまり精神病理学という学問の基礎である。一切の予断を交えずに患者の話を聞き、それを記述し、そこから何かを見出そうとする態度のことを「現象学的」などといったりする。
それから、残りの時間はひたすら本を読む。シュナイダー、コンラート、テレンバッハ、中井久夫、ヤンツァーリク、サリヴァン、安永浩、木村敏などなど。うちの医局はクラシックな精神病理を奉じていたので、精神病理関係の本ばかりである。最近流行りの生物学系の本はほとんどない。これをひたすら読むのである。私は、これらの本から精神科の基本的な考え方を身につけた。ちなみにクラウス・コンラート『分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み』(当時は『精神分裂病―その発動過程』というタイトルで出ていた)は1958年の本である。これほど古い文献が今も現役で使われている医学分野というのもそうはないに違いない(最近の研修医もこの本を読むのかどうか知らないが)。
つまりは、何もやらなければヒマであるが、やるべきことはいくらでもある。そういう研修なのであった。今にして思えば、実に偏った研修だと思うし、他科から比べれば呆れるほど楽に思える研修ではあったのだけれども、それでもやはり、この研修こそが「精神科的」なものの象徴であり、精神科でやっていくことの覚悟を教えてくれていたように感じるのである。楽をしようと思えばいくらでも楽はできる。しかし、やろうと思えばやるべきことはいくらでもある。選ぶ主体はあくまで自分。それが精神科だということを、私はこの医局で学んだのだった。
この、あまりに時代遅れな医局は数年前に解体されてすでにない。
2005-01-21 [Fri]
▼ The sign of Satan
最近のカルチャーショック。
人気ブログBoing Boingで、ブッシュ大統領の娘が大統領の顔の横で「悪魔のサイン」を作っている写真が話題になっているのだけれど、このサイン、日本人にとってはキツネにしか見えません。日本人が欧米でキツネの影絵をやってみせたら、悪魔の印だ! とか言われるんだろうか。
Signe de satanという悪魔のサイン解説サイト(フランス語なのでよくわからないが)によれば、どうやら中指と薬指だけを折り曲げるのは"I love you"のサインで、中指、薬指、親指を曲げると「悪魔のサイン」になるらしい。欧米圏に行く人は注意しましょう。
▼ 尾崎です
尾崎が好きだった。
大学生の頃に尾崎と出会って衝撃を受けた私は、さっそく彼の作品集を買い、愛唱していたものである。
孤独のうちに生き、挫折を繰り返し、孤独のままに死んでいった尾崎は、かつての私のアイドルであった。
尾崎とは、もちろん漂泊の自由律俳人尾崎放哉のことだ。
さて、最近久しぶりに尾崎放哉の句を読み返してみた私は、そのトーンがなにかに似ていることに気づいた。
ヒロシである。
咳をしても一人 ヒロシです。
おお、なんだかぴったりくる。
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる ヒロシです。
蟻を殺す殺すつぎから出てくる ヒロシです。
マツチの棒で耳かいて暮れてる ヒロシです。
打ちそこねた釘が首を曲げた ヒロシです。
こんなよい月を一人で見て寝る ヒロシです。
こんな大きな石塔の下で死んでゐる ヒロシです。
冬川にごみを流してもどる ヒロシです。
にくい顔思ひ出し石ころをける ヒロシです。
淋しいからだから爪がのび出す ヒロシです
一本のからかさを貸してしまつた ヒロシです。
墓のうらに廻る ヒロシです。
入れものが無い両手で受ける ヒロシです。
犬よちぎれる程尾をふつてくれる ヒロシです。
春の山のうしろから煙が出だした ヒロシです、ヒロシです、ヒロシです……。
こんなにぴったりはまるとは思わなかった。自虐と孤高は紙一重、ということだろうか。
2005-01-22 [Sat]
▼ 城戸光子さん死去
via 粕谷知世のクロニカ【記録】 via burukong Blog
『青猫屋』で第8回ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した方。残した作品は『青猫屋』たった一作なのだけれど、burukong Blogの佐藤茂さん(第9回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞者)によれば、『ユリス』という第2作が書かれていたそうだ。機会があればぜひ読んでみたい。
2005-01-23 [Sun]
▼ ピーター・グリーナウェイ DVD-BOX
OKさんが紹介していたピーター・ウィアーDVD- BOX1、私も以前からamazonの注文ボタンを押そうかずっと迷っていたのだけれど、それ以上に迷っているのがこのボックスセット。
ピーター・グリーナウェイ DVD-BOX 紀伊國屋書店 2005-02-19 売り上げランキング 4,237 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
グリーナウェイは好きな監督なのだけど、、実のところこのBOXに収録された初期作品にはそんなに思い入れはないのだった。続巻に『プロスペローの本』と『ベイビー・オブ・マコン』が入るならぜひ買いたいのだけど……(そのとき自分の棚にVol.2だけ並んでいるのはなんとなく気持ち悪いのでこの第1弾もほしいのだ)。『ベイビー・オブ・マコン』は、シンメトリーにとことんまでこだわりぬいたあげくに、おそろしく悪趣味になってしまった怪作。でも、3枚組で16800円(amazonではその20%offだけど)ってのは高いなあ。
▼ 急増!ネット依存の恐怖
NNNドキュメントの急増!ネット依存の恐怖という番組を見たのだけれど、これがすごかった。体重150キロで一日16時間ネットゲームをしている35歳無職は確かに問題だと思ったけれど、親子でネットゲームにはまっていて、家の中にいるのにチャットで会話する母娘とか、そんなのざらにいるような気がするのだが、なんだかおどろおどろしげなナレーションとBGMで、いかにも恐ろしいことのように盛り上げる。
途中で案の定、「ゲーム脳」の森昭雄教授が出てきたときにはあちゃー、と思ったが、その後の展開が、なんとも想像を超えていた。ネットゲームをきっかけに多重人格を発症した事例が紹介され、いきなりエンディングテロップが出ておしまい。え、結論は?(カルテらしきものそのまま画面に映っていたけれど、それが実際のカルテだとすると問題あるんじゃないかな。水戸の女医さんよりも問題多いような)。
もともと解離の傾向のある人だったら、ネットをきっかけに多重人格が顕在化することだってあると思うのだけど、それはあくまで特殊な事例であって、ネット依存の番組の結論にもってくるってのは無理な話。多重人格の話の途中でエンディングテロップが出たときは呆然としましたよ。これで終わり? これで終わりなの? その前の話とのつながりは? なにひとつ検証もすることなく、ネットはおそろしいという印象を視聴者に与えただけで終わり。はたしてこんなものがドキュメントといえるんだろうか。
あと、番組では、単なるSCT(文章完成法)の結果を「精神鑑定」とか言って紹介していたが、鑑定というのは検察や裁判官に依頼されて行うものであって、SCTは単なる心理検査である。わざわざ「精神鑑定」という言葉を使ったのは、番組制作者の無知でなければ、ネット依存者がなにか警察沙汰になるような問題を起こすかもしれない、という印象操作なのではないか。
ひさびさに、ネットに対するむき出しの悪意に満ちた、実に不愉快な番組を見た。
2005-01-24 [Mon]
▼ Return Of The Bunny Suicides
コメントで教えていただいたのだけれども、22日に紹介した"Bunny Suicides"はAndy Rileyさんという人が書いた本で、リンク先のサイトは無断スキャンだったらしい。続編のペーパーバック版ももうすぐ出るみたい。amazonにリンクしておきます。
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▼ Return Of 急増!ネット依存の恐怖
コメント欄でのタレコミによると、どうやらきのうの番組は、去年の報道特捜プロジェクトの焼き直しだったらしい。画面写真はきのうの放送とまったく同じ。安易な番組づくりですな。
きのうは腹立ちをぶつけるだけに終わってしまって書かなかったけれど、インターネット依存自体は、精神科的にも非常に深刻な問題だと思います。MMORPGの依存性が高いのは、私もFFXIで身をもって体験したのでよくわかってるし。でも、依存の心理自体はアルコールとか買い物とかとそれほどかわりないわけで、ネットだけを特別視する必要はないし、あれほど批判されてるゲーム脳を無批判で持ち出したり、多重人格と結びつけたりするあたりは何をかいわんや。ネット依存者の日常を淡々と記録してくれれば、私らネットユーザーも身につまされる番組になったと思うのだけれどなあ。残念。
あと、番組で映ってたカルテの診断名に「インターネット依存症」と書いてあったけど、そんな病名じゃ通院精神療法とれないので、あれは撮影用に作って用意したものだと思います。
▼ Return Of 尾崎です
21日に書いた、尾崎放哉とヒロシのコラボなのだけれども、あれは自由律俳句ならなんでもいいというわけではなくて、たとえば山頭火じゃダメだ。
まつすぐな道でさみしい ヒロシです。
分け入つても分け入つても青い山 ヒロシです。
とかだと、どうもぴったりと来ない。
放哉と山頭火の違いがどこにあるかというと、それは自己のとらえ方だと思うのですね。山頭火の「分け入つても〜」の句だと、自己は薄く広がっていって、しまいには青い山と一体化してしまう。山頭火の句には、自然とともにある自分、生かされている自分という感覚があるのだ。これに対し、放哉が詠むのは、もうひたすら自分のことばかり。咳をしている自分……墓のうらに廻る自分……こんなよい月を一人で見て寝る自分……。昔、放哉が好きだった頃には感じなかったのだけれど、今読むと、放哉の句からは強烈なナルシシズムの香りが漂ってきて、なんだか辟易してしまう。この、ひたすら自分をネタにして孤独をアピールするあたりが、ヒロシと共通するところなのではないかと。
さらに、もうひとりヒロシとのコラボがぴったりくる文豪といえば、この人。
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる ヒロシです。
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る ヒロシです。
君に似し姿を街に見る時のこころ躍りをあはれと思へ ヒロシです。
啄木の歌も、学生時代は好きだったけど、今読むとあまりの自己愛の強さにもう読んでられません。
あはれかの眼鏡の縁をさびしげに光らせてゐし女教師よ
しかもメガネフェチだし。
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2005-01-25 [Tue]
▼ ゆず、ねんねね。
2005年1月16日午後10時40分、ゆずの身体がとうとう動かなくなりました。
16年とふたつきと少し、長い年月を沢山沢山動いてくれた身体でした。
須藤真澄ホームページ おさんぽ王国より。なんというか、今までずっとマンガで親しんできたので、自分の飼い猫のような親近感を覚えてましたよ。『ゆず』と『ゆずとまま』でも読み返してみます。
ゆず―生きていく私とゆず 須藤 真澄 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ゆずとまま 須藤 真澄 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
▼ 振り込め詐欺
「振り込め詐欺」と「振り袖火事」は似ているなあ、と思って検索してみたら、一件しか引っかからなかったので逆に驚いた。しかも植木不等式さんの日記だし。
2005-01-26 [Wed]
▼ 15.4%が「死人は生き返る」 長崎で小中学生調査(産経新聞)
こちらが、オリジナルの記者発表資料。うーん、似たようなニュースをつい最近も見た覚えが、と思ったら、日本女子大の中村博志教授が行った同種の調査結果が、昨年12月12日に発表されていた(「死者生き返る」2割 小中高生意識調査 理由の半数「何となく」)。今回のニュースについてコメントしているサイトは数多いのだけれど、私が回ってみた範囲では、わずか1ヶ月まえのこの記事について触れている人がほとんどいなかったのは不思議。ニュースに対して脊髄反射的にコメントしている人が多いということだろうか。過去の事象が参照しやすいのがネットのよさだと思うのだけれど。
さて、こういう記事が出ると、テレビゲームとの関連を言い出す人が必ず出てくるものだけれど、「死んだ人は生き返る」と思っている子供は全体の15.4%であり、「ゲームでリセットできるから」と答えたのは、そのさらに7.2%だから全体のわずか1.1%。テレビや本、映画の影響の方がはるかに高いことになる。とりあえず、『ナウシカ』は有害映画ということで。ウルトラマンと仮面ライダーも禁止。『百万回生きた猫』は禁書。
また、昨年の調査を行った中村教授のサイトにある、2校の小学校で行った予備調査の結果を受けた「バーチャルリアリティーと死の認識の関連性について」という資料でも、調査前にはゲームと死生観には関連性があるに違いないという仮説をたてていたにも関わらず、
死んだ人が生き返るかどうかと、コンピューターゲームの頻度、生き物を飼った経験や、身近な人の死との間のクロス分析にも優位な結果は出ていない。
今回の調査では最初の仮説であるゲーム等と死の認識の間には直接の関係は見られなかった
「死」に対する知識・経験の乏しさの原因を、当初我々は「VR経験」とリンクさせて考えていたが、それが(ほぼ)完全に否定された今となっては、むしろ別の着目点を置くべきだとする第三の仮説を立てる必要があるだろう。
と、結論ではゲームとの関連を明確に否定している(追記・上記引用中、「優位な」は「有意な」の誤変換だろう)。
同じサイトにある中村教授らによる「死を通して生を考える教育の重要性」という論文には、死んだ人が生き返る事があると信じていた18歳の女子大生が書いた感想文が紹介されていて、これがなかなか興味深い。
「実は私も先生の講義を聞くまでは『死』をよく理解していない現代の子供達と同じでした。『一度死んだ動物が生き返ることがあると思いますか?』の問い。私の答えは『そういう場合もある。』でした。先生が『一度死んだものは絶対に生き返らない』とおっしゃったのを聞いて大変驚いたのと同時にきちんと納得しました。以前、『3度生き返った女性』というニュースを見ました。ある女性が医師に死亡診断を受けた後、数時間して生き返ったという話でした。私はそのニュースを見てから動物は生き返ることもあると思うようになり、先生の講義を聞くまでは何の疑いもなくそれを信じていました。しかし先生の講義を聞いてその女性は『生き返った』のではなく『死亡していなかったのだ』と認識しました。先生のお蔭で『死』に関して知識が増えたことに感謝しています。」
死んだら生き返らないと言われて大変驚く18歳もちょっとどうかと思うが、論文の結論でも述べられているように、別に特定のメディアが原因というわけではなく、死をタブーとしておおっぴらに語らない日本の文化の問題が大きいのではないかと。この前のネット依存の番組もそうだけれど、ゲームだネットだと、特定のメディアだけを悪玉にして攻撃したり規制したりするというのは、あまりにも安易だ。
▼ A Pill's Surprises, for Patient and Doctor Alike(The New York Times)
via Metafilter
Zoloft(抗うつ薬。SSRIのひとつ)を服用して、うつ症状は治まったけれど副作用で性欲が減退してしまった女性に、副作用止めとしてWellbutrin(これも抗うつ薬)を処方したところ、薬が効きすぎて、彼女はショッピングの間、2時間にわたってオーガズムを感じていた、という記事。
ちなみに、ZoloftもWellburtinも、日本では認可されてません。
▼ ライカーとセブン・オブ・ナインが結婚
何かと思ったら、スタトレのライカー役の声優大塚明夫さんが、セブン・オブ・ナイン役の沢海陽子さんと結婚する、ということのよう。おめでとうございます。でも、ライカーとターシャといったほうが同じTNGつながりでいいのでは。
2005-01-27 [Thu]
▼ 火病
「ファビョン(火病)」という精神科領域の病気がある。韓国人特有とされる症候群で、日本のネット界では2ちゃんねるを中心に言葉だけは広まっているのだけれども、その意味や病態については、どうも悪意があるとしか思えない歪曲がされていて、実際の「火病」とはかけはなれた意味で使われている。まあ、間違った意味が広まってしまったのは仕方がないのだけれど、正確な知識がどこへ行っても見つからないのは困ったものである。以前からそうは思っていたものの、そのうち誰かホントの意味を書いてくれるに違いない、わざわざ調べるのもめんどくさいし、と放置しているうちに、すっかり「ファビョン」という言葉はスラングとして広まってしまい、あいかわらず正しい知識はどこにもない。はてなダイアリーのキーワードが比較的まともな方だが、これにしてもやや偏向があるし、これを読んで実際の火病がどんなものか実感できる人はいないのではないか。
これは、待っていても誰も書いてくれないのか? というわけで、「火病」(Hwa-Byung あえてカタカナ表記すれば「ファ・ブュン」といった感じか)および「文化結合症候群」(Culture-Bound Syndromes 「文化欠陥症候群」は誤り)について書いてみようか……と思ったのだけれど、今日はちょっと時間がないのでまたの機会に。
とりあえず参考になる文献だけ挙げておきます。
・文化的定式化の概説と文化に結び付いた症候群の用語集(『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』(医学書院)付録)
・Lin KM, Hwa-Byung: a Korean culture-bound syndrome?. Am J Psychiatry 140:105-107,1983
後者の文献には症例報告あり。あと、PubMedで、Hwa-Byungで検索すればいくつか論文が出てきます。
▼ Audioscrobbler
パソコン上でMP3ファイルを聴くと、アーティスト名や曲名の情報がプラグインで自動送信され、自分の音楽プロフィールを作ってくれるというサービス。同じような曲を聴いている人を表示してくれたりするらしいけれど、私はマイナーな曲ばかり聴いてるせいか、あんまりお隣さんがいないみたい。私のページはこちら。いつの時代なんだかわからないような曲ばかり聴いてます。
2005-01-28 [Fri]
▼ ハイムリック法と家族の絆
医学には人名のついた病名や手技名がいろいろあるが、名前の由来になった医師がどんな人物かということは、ふだんはあまり考えないものだ。
「ハイムリック法」というのも、そんな人名由来の手技名のひとつで、気道に食べ物など異物がつまって窒息したときの救命救急処置である。「患者の背部にまわり、片方の手を握りこぶしにして患者の心窩部(みぞおち)にあててもう一方の手をその上にのせ、勢いよく圧迫する」というもので、救命救急の実習では必ず習う有名な応急処置なので、ご存じの方も多いだろう。くわしくは上腹部圧迫[ハイムリック]法あたりを参照。
このハイムリック法の提唱者であるヘンリー・ハイムリックはアメリカの外科医で、1970年代に、それまで推奨されていた背中を強くたたくやり方よりも有効だとしてハイムリック法を提唱。現在御年84歳で、ハイムリック研究所の代表の地位についている。ハイムリック法はあまりにも有名で手元の英和辞典にすら載ってるくらい。こんなに有名なのだからとっくの昔に死んだ医者かと思ったら、まだ生きていたとはびっくりだ。
さて、このハイムリック研究所の公式サイトのアドレスはheimlichinstitute.orgなのだけれども、非常に紛らわしいheimlichinstitute.comはというと、公式サイトとはまったくの別物で、ハイムリックを激しく批判するアンチ・ハイムリックサイトなのである。このサイトを運営するのは、ホリー・マーティンズという仮名の人物。「ホリー・マーティンズ」とは、映画『第三の男』で、親友ハリー・ライムが悪党であると知り、警察がハリーを逮捕する手助けをする男の名前だ。
なぜハイムリックは批判されているのか。その理由は、ハイムリックは窒息ばかりではなく、溺れた人の救命処置としてもハイムリック法を広めている、ということにある。ハイムリックは、現在、溺れたときに普通に行われているCPR(心肺蘇生法)のせいで毎年1000人以上の子供たちが死んでいる、と主張。ライフセーバー団体やハイスクールで講演したり、テレビ番組に出演してハイムリック法を実演してみせたりと、自分の手法の宣伝に努め、ハイムリック法をこそ溺水時の標準的な救命処置にすべきだ、というロビー活動を盛んに繰り広げているのだ。この結果、全米最大の私立ライフセーバー養成所では、最初に行うべき処置としてハイムリック法を教えることになった。
これに対し、医学界の主流派は強く反発。専門家は、溺れたときのハイムリック法は医学的にはまったく意味がないばかりか、生命の危険すらある、と批判している。なんだか「がんもどき」説や「インフルエンザは寝て治せ」の近藤誠医師を思わせる話である。
さらに、ハイムリックが自説の根拠としている論文にも捏造の疑いがある、という批判を受けている。この論文は、エドワード・パトリックという医師が1980年に発表したもので、湖に落ちた2歳の女の子を病院に搬送されてきたときには心停止状態、マウス・トゥー・マウスをしても気管内挿管をしても肺に溜まった水は排出できない。そこで窮余の一策としてパトリック医師がハイムリック法を使ってみたところ、女の子はチューブから大量の水を吐き出した、というもの。この文献を引用してハイムリックは自分の手法の有用性を説いているのだけれど、パトリック医師が論文に書かなかったことが二つ。ひとつはその日のうちに女の子は昏睡状態に陥り、4ヵ月後に亡くなったこと。そしてパトリックはハイムリックの親友であること。さらにはパトリックが本当にその病院に勤めていたかどうかも疑わしいらしい。
さらに、ハイムリックは現在、AIDSやガンの治療法を研究しているが、彼が提唱しているのは、患者を人為的にマラリアに感染させるMalariotherapy。まさに80年前の神経梅毒へのマラリア療法の復活である。マラリア感染により患者の免疫力が高まるとハイムリックはいうのだが、斜め読みしただけではあるけれど、どうも根拠が薄弱に思える。
以上の内容は、Cleveland Sceneの記事から。ハイムリックの元同僚、溺水の専門家、さらにはハイムリックの息子に至るまでの証言を集めて、丁寧にハイムリックを批判した記事で、けっこう説得力があるように感じられる。
さて類似ドメインを取ってまでハイムリックを執拗に批判しているホリー・マーティンズの正体なのだが、これがなんと、さきの記事にも登場していたハイムリックの息子ピーター・ハイムリックであったということが、最近のCincinnati Business Courierの記事で明らかになった。
こちらの記事はわりと父親寄りで、いちおう両論併記の形をとりながらも、ところどころでピーターの人格を問題視している。前の記事にもハイムリックの広報担当者として出てきて、批判サイトの管理者をストーカー呼ばわりしていたボブ・クラフトという人物に「ピーターには白騎士コンプレックスがあったのだと思います」と言わせたり、ピーターの兄に「彼の行動は年々おかしくなっていきました。ピーターは自ら家族から離れる路を選んだのです。父と母は引きとめようとしたのですが」と言わせたりしている。記事の締めくくりも、「もしピーターが家族との関係を取り戻したいと思うのなら、家族は喜んで受け入れるでしょう」というピーターの妹の言葉である。
一方、最初の記事の中では、ハイムリック研究所に10年間勤務して解雇された医師がハイムリックの性格の欠陥を評して、「心理学者なら、間違いなくハイムリックを『成功した自己愛コンプレックス』と呼ぶでしょうね。いわゆる『神コンプレックス』ですよ」と語っている。人格攻撃の応酬である。
さて、息子は単なる正義漢気取りのストーカーなのか、それとも世界的に有名な父親の方が、誤った救急処置を広めている危険な医者なのか。私としては、ハイムリック法は、胃が破裂することがあったりと、リスクもかなり高い手技なので、第一選択として勧めるのはいただけないと思うのだが。
▼ 家の中での自慰は合法:カナダ最高裁判決
いったいどういうことかと思うだろうけれど、タイトルの通り。カナダの最高裁判所は、家での自慰は違法ではない、と判決したのだそうだ。たとえ、覗き見している隣人がその「活動」を見ることができたとしても。
ことの発端は2000年10月28日、ダリル・クラークの家の裏庭を挟んだ向かいに住む隣人が、クラークの居間での「何らかの動き」に気づいたこと。隣人の女性はファミリー・ルームで2人の若い娘といっしょにテレビを見ており、部屋の明かりはテレビ画面と、隣接した台所の光だけ。彼女は、もっとよく見るために別の部屋に移って夫を呼び、二人は暗い寝室から15分ほどクラークを見つづけていた。二人はクラークから見られないように、ブラインドを半分下ろし、それから夫は双眼鏡と望遠鏡を持ってきたのだそうだ。さらにビデオに録画しようとしたけれど、これは失敗したとか。
そして二人(S夫妻としか明かされていない)は、クラークが娘たちに向かって自慰しているのではないか、と心配して警察に通報。かけつけた警察官がクラークを逮捕し、裁判所では猥褻罪で懲役四ヶ月の判決が言い渡されていた。
そして2005年1月27日、「たとえ窓を開けていたとしても、自分の家の中は公共の場ではない」として、最高裁で無罪が言い渡され、ダリル・クラーク氏は、逮捕から4年3ヶ月を経て、晴れて放免となった。
窓開けてオナニーにふけっていたクラーク氏も無防備すぎると思うが、望遠鏡持ち出したりビデオ撮りまでしようとしたりしてまで執拗にオナニー見物していた隣人S夫妻もどうかと思います。しかし、こんなネタでカナダ中どころか全世界に名前が知れ渡ってしまったクラーク氏の心中を思うと泣けてきます。
▼ 南セントレア市建設記録
合併新市名は「南セントレア」 愛知・美浜町と南知多町というニュース。
えーと、タイトルが何のもじりかというと……まあいいや。
新市の名称については、参考にするため昨年十二月に全国の小学生以上を対象に募り、「南知多市」「美南市」など約三百三十件が寄せられた。その中に「セントレア」はなかった。
この日の協議会で、会長の斎藤宏一美浜町長や、議会や住民の代表の委員ら二十六人が名称を記入して投票。その結果、「南知多市」「セントレア市」などが上位になった。意見集約したところ「二月十七日にセントレアから飛行機が飛び立ち、新しい市の出発にイメージが良い」「ネームバリューがあり、新しい市も全国や世界にPRできる」などとして決定した。
あれだ。勢いで決めちゃって、冷静になったら後悔するパターン。
一方、美浜町野間の主婦(70)は「知多半島はいまセントレアで世界から注目されており、市の名称に使われるのはいい」と歓迎した。
すいません、「セントレア」という単語自体、初耳でした。
この勢いで、どっかに「東キャナル市」も作ってほしい、と思った。
2005-01-29 [Sat]
▼ ジェファーソン高校恋愛構造図
via BoingBoing
まずは、右の図を見ていただきたい(クリックで拡大)。
この分子模型か何かの結晶のような図形がいったい何かというと、アメリカ中西部のとある高校(仮に「ジェファーソン高校」と呼ばれている)の全生徒の、18ヶ月にわたる恋愛または性関係を図式化したもの。青が男子生徒でピンクが女子生徒。63とか12とかいう数字は、同じパターンの関係がその数だけあることを示している。つまり、ステディなカップルが63組あったということ(まあ途中で別れたかもしれないが)。
この研究は、オハイオ州立大学のジェイムズ・ムーディー教授らによって行われたもので、まず研究者たちが、全生徒約1,000人のうち832人にインタビュー。生徒達には、過去18ヶ月間の恋愛パートナーもしくは性的なパートナーを生徒名簿の中から答えてもらった。恋愛または性的パートナーがいると答えた生徒は832人中573人。研究者は、その573人の恋愛関係を構造図にし、高校全体の恋愛ネットワークを可視化してみた、というわけなのである。
なんともすごい研究もあったもので、秘められた人間関係を日の光の元に出して可視化してみせるというのは、下世話な出歯亀根性を満足させてくれるようで実にすばらしい。図をじっと見ていると、青やピンクの点のそれぞれが、ふしぎに人間味を帯びてみえてくるではないか。ひとつのピンクの点から放射状に青の点がいくつも広がっていたり、ピンクとピンクがつながっていたり。中でも目を引くのが左上にある、大きな円の周りに枝がいくつも伸びているように見える巨大コンポーネントで、ここには恋愛パートナーがいると答えた573人のうちの実に52%(288人)が含まれているのだという。
考えてみれば、mixiのマイミクというのも、人間関係可視化の欲望のなせるワザといえるかもしれない。あれも構造図にしてみたらおもしろいかも。
でも、生徒が本当のことを答えたとどうやって判断するのだろう。巨大図形の中央少し右上の方に9人のピンクとつながっている青い点があるのだが、18ヶ月で9人とですか。本当ですか。見栄を張ったりしてないですか(決してうらやましく思っているわけではない)。
しかし、私の高校時代とのあまりの違いには呆然とするばかり。さすがはビバリーヒルズ高校白書の国。青やピンクの点にすらしてもらえなかった259人の生徒たちに幸あれ。
Before...
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_ シャネル リップ ココシャイン [ちょうど5ヶ月前には、タグホイヤー大使のF1レーサーたちは、2007年ブラジルサンパウロ国際自動車連盟の1級の方程式..]
_ シャネル ファンデーション ケース 互換性 gc [足跡を踏破する世界のティソは、1853年、タブ要衝スイス力ロック正式の誕生以来、地域の限界を越えて、まぜる優良な伝統..]