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サイコドクターあばれぶらり旅
あばれあばれて七年余
あばれつかれて撃ち果てて
風の吹くままぶらり旅
嗚呼サイコドクター何処へゆく

2006-01-11 [Wed]

今年最初の更新 Gg[ubN}[N

 えー、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 このところめっきり更新頻度が落ちていてすいません。

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島田清次郎 Gg[ubN}[N

 その昔、『地上』を読んで感想を書いたことがあるのだけれど、その島田清次郎の本を最近ふたたび集めはじめてます。島田清次郎は大正時代の忘れられたベストセラー作家で、その著書はすべて絶版で入手困難。当然、けっこうな古書価がついているのだけれど、箱入りとか美本とかにはこだわっていないのでわりと安く手に入ってます。

 今まで入手したのは、

 

『地上 第1部 地に潜むもの』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『地上 第2部 地に叛くもの』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『地上 第3部 静かなる暴風』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『地上 第4部 燃ゆる大地』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『我れ世に勝てり』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『我れ世に敗れたり』(昭和61年 黒色戦線社 復刻版)

『勝利を前にして』(大正11年3版 改造社)

『革命前後』(大正11年再版 改造社)

『大望』(大正9年初版 新潮社)

 

 の9冊。

 国会図書館で検索すると、そのほか随筆集『早春』、戯曲集『帝王者』という著書があるらしい。『帝王者』は古書店サイトで見たことがあるけれど、15000円という高値だったので諦め。

 しかし、こうやってタイトルを並べてみるだけでも実に力強い。まさに当時の若者のカリスマだったわけだろう(『我れ世に敗れたり』だけはトーンが違うが、これは作者がスキャンダルで失脚したあとに出版社がつけたタイトル)。『大望』の巻頭には気取ったポーズの著者の写真がでかでかと載っていて、「著者に対し写真を求められる方が多いので、最近鵠沼で写したのを本書に添へることにした」とか書いてある。ほとんどアイドルである。一方、こちらのメルマガによれば、『勝利を前にして』は返品率99%という記録を作った本らしい。

Tags: 島清
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2006-01-16 [Mon]

島田清次郎の言葉 Gg[ubN}[N

 さて前回に引き続き島田清次郎の話である。私もまだ島田作品は『地上』第1部しか読んでいないのだけど、島田作品が、小説としておもしろいかつまらないかといえば、そんなにおもしろい代物ではないと思う。妙に大上段に振りかぶった大げさな文章が多いし、やたらと尊大な文体で書かれていたりして閉口することも多い。ただ、彼の文体にはなんともいえない魅力があることも確かで、いかにも若者らしい尊大さと劣等感、自信と自信のなさが裏腹になっているあたりが、なんともいえず「かわいい」のだ。

 こう書いてもわかってもらえないと思うので、島田清次郎の文章を抜き書きした島清blogというのを作ってみた。これで、島田清次郎の魅力の一端をわかっていただければと思う。

 たとえば、

創作は精神的な事業の中の最も精神的な事業である。自分は自分の全身に体得せらるゝ「大なるものの意思」を表現せずにゐられなかつた。それは現実の世界に体現すべき意思を文字によつて表現することであつた。自分は自分の創作を統一支配する根本基調は、この宇宙人生を統一支配するところの根本的なる力であらしめねばならないと念じ務めた。自分は自分に感じられる宇宙、世界、人生と、自分の作とが、そのまゝぴつたり一分のすきもなくふきぬけになる、一つの力を感じずにはゐられなかつた。

私の作の如何にかゝはらず、私の芸術家としての道は(したがつて、実行家としても亦)実に、宇宙全実在が無窮無限であり、不断に流動変化しつゝあるごとくに、無窮無限であり融通無碍である。材料が無くて困るなどゝ云ふことは、幾億々萬度生れかはつて来て、その度に創作家になつても、無いことである。何となれば材料はこの無限大にして永遠なる宇宙そのものであるからである。

 というところとか。この妙に大げさなところが島田清次郎の「かわいさ」である。

 また、皇太子(のちの昭和天皇)のヨーロッパ訪問について書いたかと思うと、島田清次郎は続けてこう書く。

芸術に興味ある彼の国々の王子や貴族達が、今、日本にどんな芸術があるかと尋ねた場合、『我が親愛なるプリンスよ、われわれの国には島田清次郎がゐて、『地上』と云ふ創作を出してゐる、そして、彼れは、追つてわれわれ一行の後より、卿等の国を訪れるであらう。』と、答へることを忘れたまふな

 いや、それはいくらなんでも。

 かと思うと、

キリストのマグダレアのマリアとは、よい仲ぢやそな、うらやましやな。

かくにかくにマリア一人に信じられ、死んで行つたか淋しい男よ。

さりながらマリア一人の涙こそ、淋しい男の本望だつたろ。

マリアよ出でよ、今、日の本の清次郎に、一人のマリアのないといふわけはなし。

 自分とキリストを並べ、さらに自分には恋人がいないと嘆く島田清次郎。かわいいじゃないですか。

 きわめつけは、随筆集『早春』に収められた「ある少女へ」と題する手紙。ファンレターをくれた少女に宛てた恋文なのだけど、島田清次郎という若者の純情さと尊大さが見事に表現された手紙だと思う。見も知らぬ女性に早く会いたい一心の前半もなかなかおかしいのだけど、後半では自分のことを「偉い男」だと言ったり、相手の言うとおりにすることを「大譲歩」だと言ったり。あげくの果てには「速達で御返事を乞ふ」ですよ。こんな手紙で相手に好感を持たれると思ってる島田清次郎は実にかわいい奴だと思うのだがどうか。

Tags: 島清
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2006-01-20 [Fri]

島田清次郎と蘆原将軍 Gg[ubN}[N

 さて、また島田清次郎の話である。晩年(といっても25歳の頃である)早発性痴呆(今で言う統合失調症)を発病し、大正13年に巣鴨保養院に収容された島田清次郎。その後、蘆原将軍の侍従になって手紙の代筆などをしていた、というエピソードは印象的なのでよく知られている。コメント欄でも触れていた方がいましたね。

 これは、杉森久英が島田清次郎を描いた評伝『天才と狂人の間』で紹介されているエピソードである。

 『天才と狂人の間』の記述はこうだ。

 その頃(引用者註・昭和4年頃)、金沢出身の陸軍軍医学校生徒安田常男は、蘆原将軍という名で知られた巣鴨保養院の入院患者蘆原金次郎に一度会ってみたいと思った。蘆原将軍は佯狂ではないかという説もあったが、ともかく世界でも珍らしい症例の患者である。彼はいつも手製の大礼服に、玩具の勲章を下げ、古ぼけたシルクハットを阿弥陀にかぶって、固い木の椅子の玉座に厳然と坐し、拝謁を願い出る者からは五円ずつの拝謁料を取るのであった。

(中略)

 安田軍医生徒が恭しく御前に伺候すると、蘆原将軍は厳かに立って、一枚の辞令を手渡した。それは一枚の半紙で、

   勅語

  今般陸軍大臣ヲ命ズ

  帝国議会撃攘ノ事

 と書いてある。墨痕鮮やかな達筆なので、退出してから係の医師に

「蘆原将軍は学問のない男と聞いていたが、なかなかうまい字を書くじゃないですか」

 と言うと、

「ああ、それは侍従の島田清次郎が書いたのです」

「島田清次郎ですって?」

 金沢人の軍医には、島田清次郎の名は親しいものだった。

「将軍のすぐ側に、若い男が一人、恭しく侍立していたでしょう。あれが島清です」

 そういえば、古びた絣の着物を着流しにした、顔色の青い、痩せて貧相な男が立っていた。

 ――あれが天才のなれの果てか。

 軍医は感慨を催した。

 杉森久英はこのエピソードの出典を明記していないのだが、これに対し、柏木隆法は黒色戦線社版『地上 第1部』の巻末解説でまっこうから異論を唱えている。島田清次郎が蘆原将軍の侍従をしていたはずがない、というのである。まず、蘆原将軍が入院していたのは現在の小石川高校付近にあった巣鴨病院であるが、この病院は大正8年には荏原郡松沢村に移転し、松沢病院と改名している。つまり、島田清次郎が入院した大正13年には、巣鴨病院はなかったのである。

 では島田清次郎が入院したのはというと、西巣鴨の大塚中学校のところにあった巣鴨保養院で、これは巣鴨病院とはまったく別の病院。もちろんこちらの病院には蘆原将軍がいたことはない。つまり、島田清次郎が後に松沢病院に移されたというのでなければ、蘆原将軍の侍従を務めることは物理的に不可能なのである。もしそうだとしても、昭和4年頃には蘆原将軍は松沢病院にいたのだから、杉森の記述はおかしいことになる。

 というわけで、晩年の島田清次郎が蘆原将軍の侍従をしていた、というエピソードは、話としては面白いが、事実かどうかはかなり疑わしい。

Tags: 島清
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2006-01-21 [Sat]

Ultraviolet Gg[ubN}[N

 『リベリオン』で、一部ボンクラ野郎どもを熱狂の渦に叩き込んだカート・ウィマー監督の新作。予告編ではミラ・ジョヴォヴィッチが二丁拳銃持って戦ってますよ。アクションのあとに見得を切ったり、十字架型の扉が出てきたりと、どう見てもガン=カタの再来です。本当にありがとうございました。

Tags: 映画

スーパーマン Gg[ubN}[N

 書店の500円DVDのコーナーで「スーパーマン」を発見。ジャケットはなぜか日本のマンガ家が描いた中年男風のスーパーマンで、いかにもパチモンくさいのだが、これがフライシャー兄弟による名作の呼び声高いアニメ作品(1941-1942)なのだった。たぶんこれが日本では初のDVD化。

 収録作は、「謎の現金強奪ロボット」 「偽スーパーマン現る」「金塊輸送車を守れ!」「火山島危機一髪」「テロリストは誰だ!」の5本で、全部で42分。全部日本語吹き替え版だけど、声優のクレジットはどこにもなし。画質もあまりよくない。

 この中で、「謎の現金強奪ロボット」に登場するロボットは、宮崎駿が監督した「さらば愛しきルパンよ」のロボットの元ネタとして有名。

 ストーリーは、ロイス・レーンが毎回無茶な取材をして窮地に陥ったところをスーパーマンが助けるというパターンの繰り返しで、女性が社会進出したって、結局男性が守ってやらなきゃダメなんだよ、というメッセージが透けて見える。

 ただ、このDVDに収録されてるのは全17話のうちのごく一部なので、全部をちゃんと見るには、Amazon.comあたりで米国盤を輸入したほうがよさそうだ。

Tags: DVD
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2006-01-26 [Thu]

島田清次郎とうろおぼえ座談会 Gg[ubN}[N

 さて、もはや興味を持ってくれている人がいるのかどうかもよくわからない島田清次郎の話題であります。明治時代から戦後にかけての東京の精神病院の歴史について記した『東京の私立精神病院史』(牧野書店 昭和53年)という本の「保養院」の項(前回は杉森久英氏の本にならって「巣鴨保養院」と記したが、「保養院」が正しい名称である)で、鈴木芳次氏が蘆原将軍と島田清次郎について述べていた文章を見つけたので、ちょっと長くなるが引用しておこう。

 実際には芦原金次郎は明治十五年十月十六日、東京府癲狂院(後に松沢病院)に入院、昭和十二年二月二日、八十七歳で同院にて死亡しているし、島田清次郎は大正十三年七月三十一日に保養院に入院、昭和五年四月二十九日、同院にて三十二歳で死亡しているのである。

 それ故、おのずから二人が同じ病院に一緒に居たということは全くありえない明白な事実なのである。

 この小説(引用者註・杉森久英『天才と狂人の間』のこと)が出版されて間もない、昭和三十七年八月五日の「東京新聞」の夕刊のコラムに新美成介という人によって、

伝記作家の態度“真実と虚像の間”を明確に

という見出しで、「別の病院に、それぞれ監禁されていた二人の狂人が、どんな方法でいっしょになったのか。ほんとうでないとしても、うまく考えついたものだ」と忽ち反駁の文章が寄せられたのである。

 偶々、保養院に長く勤務されたことのある宮城二三子夫人にその真偽を確実にするために問合せしたところ、左記のような御返事を頂いたので這般の事情が一層判明したのである。

「島田清次郎はたしかに保養院に入院して保養院でなくなりました。その間、私も保養院に勤務しておりましたし、死亡した時も栄養失調のような状態で、実に天才の末路のみじめさを今でも思い出せます。杉森久英著の『天才と狂人の間』が出ました時、さっそく、わが家でも読みまして、全く間違っていると話し合ったわけでして、東京新聞の夕刊のコラムを長い間、いろいろなペンネームを使って宮城が書いておりましたし、あの新美成介の本名は宮城音弥でございます」

 又、橋爪健著「多喜二虐殺」(昭和三十七年十月、新潮社)の中の「狂い咲き島清」には著者が保養院入院中の島田清次郎を見舞いに行った様子を詳しく記述しているが、その中の左記の文章は杉森久英氏の設定の間違っている事を正しく証明してくれているのである。

「帰りがけに、私はふと思いだして例の蘆原将軍はどこにいるかと聞いてみた。すると若い医員は、ほがらかに笑いながら

『あれはうちではありませんよ。もと巣鴨の岩崎男爵別邸のとなりにあった府立巣鴨病院にいたんですがね。大正八年に松沢村に移転して松沢病院となったとき、将軍もそっちへお引越しになりましたよ』

 そう云ってかれは、将軍が巣鴨病院にいたころ、乃木将軍がたずねてきたときのことを話してくれた」(鈴木注、乃木将軍と芦原将軍との会見は事実であった)

 尚、保養院長である池田隆徳博士は「脳」昭和五年七月号に「島○清○郎君の死――被害妄想及心気妄想の一例――」を発表されて入院から死亡までの概略をされているが、これは入院中の島清をしる上に貴重な資料になっている。

 ちょっと註釈をつけておくと、宮城音弥というのは日本の心理学の先駆者で『日本人の性格』『夢』などの著者(Wikipedia)。その夫人宮城二三子(旧姓・津留)は、東京女子医専の精神科教授をしていた池田隆徳の教え子であり、日本の女性精神科医の草分けとして、昭和3年から15年まで保養院で勤務していた。

 

 そのほかこの本では、巣鴨脳病院と大町桂月(アルコール中毒で入院)、ゼームス坂病院と高村智恵子、東京武蔵野病院と太宰治(バビナール中毒で入院)、慈雲堂病院と辻潤など、それぞれの病院と入院した文学者との関わりについても触れられていて、さながら精神病院から見た日本近代文学史という趣きもある。以前書いた戸山脳病院と睾丸有柄移植事件の話も載っていたりして、精神医学史マニアにはこたえられないほどおもしろい本である(そんなマニアは少ないだろうが)。

 

 さらに、この本の巻末には「古い病院を語る」という実に安直なタイトルの座談会が掲載されていて、老先生たちが思い出話に花を咲かせているのだが、これがむちゃくちゃ面白い。みんなうろ覚えで話している上、ほとんど話したとおりに文章に起こしてるもんだから、何言ってるんだかさっぱりわからないのだ。保養院と島田清次郎について語ったところはこんな感じ。

野村 私が東大の医局から見学にいった、昭和三年のころには、有名な誇大妄想の「大地」を書いた、金沢の先生の早稲田の舟岡のちょっと思い出もないんだけど……(島田清次郎)早稲田の教授の娘を誘惑して捕われた。

小峯 ええ。

野村 「大地」と、ロンドンへ行ったりした、誇大妄想で有名な……来住弥次郎先生が副院長で、都留さんが医局員で案内してもらった。うん「大地」の作者で有名になって凋落した……。

田辺 「大地」というのは小説でございますか、内容がそういうものじゃなく、書いた患者さんが誇大妄想……。

野村 ええ、名前を言えばすぐわかるんですが。

田辺 金子先生の図書の中に「大地」というのがあるんですよ。三冊。

野村 三冊出したわけですよ。「われ世に破れたり」と「最後に勝てり」と「大地」と、ロンドンにいって帰ってきたのと、そのころはもうだいぶ――文章だけですけどね、内容もね新潮社から出たんですから、たいしたもんです。生田長江の序文がついてたんですから、天才として推賞されたんですから、たいしたものです。早稲田の文学部の教授のお嬢さんを誘惑して逗子の方へつれていって、掠奪結婚ですね、思い出せない。

青木 だれだか病跡学の大家があったが、……分裂病で。

野村 ですから都留さん、宮城夫人に当時のことをきけば覚えていらっしゃるでしょうね。都留さんは土田病院に変わる前に保養院にいたわけですからね。保養院から脳研へ来て宮城君と恋愛する前の、土田病院に私が鎌倉脳病院にいったときには、都留夫人はパートできていたんですから。

田辺 それは何年ごろでしょう。

野村 一一年でしたか、都留さんが結婚する前です。逃避してきていた。あんまりすっぱ抜くとおこられちゃう。

小峯 門脇という先生、名前きいたことがある。

野村 きつねつき診断で……。

田辺 池田隆徳先生というのは、その後埼玉の方へ帰られた……。

関根 ええ。西川越病院の院長で、やめられてから埼玉県の何か。

野村 あの、何って言ったっけな、そこでも顧問か何か。

田辺 女子医専の教授でしたからね。

関根 ああ、そうでしたか。

青木 石丸さんの……埼玉でね、アベ、阿部君か。

小峯 阿部政三。

野村 そうそう。あの病院の顧問か。

田辺 それが西熊谷病院という――。

小峯 いや、西熊谷病院というのは、前からあったんです。新たに作った。

小峯 あれは、池田先生は顧問としていったんじゃなくて、院長になったんですか。保養院がやけてから、院長であすこに住んでおられたから……。

 座談会するなら、ひとりくらいちゃんと知ってる人呼んで下さい。野村氏は結局最後まで島田清次郎の名前も代表作『地上』のタイトルも思い出せないまま。しかも島田清次郎が誘惑したのは早稲田の教授の娘じゃなく、海軍少将の娘だし。それなのに、誰一人として助け船を出す人もいない始末。田辺氏の言っている3冊の『大地』は、たぶんパール・バックのやつだ。全然話がかみ合ってません。

 しかも池田隆徳博士がその後どこの病院に行って、そこで顧問をやってたのか院長になったのかも、さっぱりわからない。実にアバウトな座談会である。

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安田常男とは誰か Gg[ubN}[N

 結局、杉森久英『天才と狂人の間』の記述は誤りであり、島田清次郎と蘆原将軍は会ったことがない、ということで間違いないと思われるのだけれど、そうなると疑問なのは、杉森久英はいったいどこから安田常男という軍医学校生徒が、蘆原将軍の侍従になった島田清次郎を見た、というエピソードを見つけてきたのか、ということである。

 考えられるのは、

1.杉森久英のでっち上げ。

2.安田常男がウソをついた。

3.安田常男はウソをついたつもりはなかったが別人を島田清次郎と勘違いしていた。

というあたりだろうか。

 「安田常男」で検索してみたところ、金澤医科大学(旧制)を卒業した大幸英吉という医師が書いた医事放談(第八巻)という自費出版書籍の目次が見つかった。「安田常男先輩を惟う」と書かれているところをみると、金沢出身の安田常男という医師が実在したことは確かなようである。ということは、このエピソードは1の完全なでっちあげではなく、安田常男が書いたなんらかの文章にもとづいている可能性が高いことになる。あとは、安田常男が島田清次郎について書いた文章を探せばいいわけだが……これはなかなか難しそう。

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2006-01-27 [Fri]

芥川龍之介の島田清次郎評 Gg[ubN}[N

芥川 島田清次郎など斎藤君(斎藤茂吉)に云はせると「地上」に既に早発性痴呆の症状が現はれてゐるといつてますがね。

伴純 僕はもつと先きからだと思います。金沢にゐる頃僕は時々逢つたのですが、大言壮語して何百枚書いたと威張つてゐたものです。それが十五、六の少年なんで変な気がしてゐました。私はあの頃から病気が始まつたのだと思ふのです。

芥川 然し解りませんよ。彼の作が二、三百年後にはどういふ眼で見られるかは。今の若い作家で、兎も角あれ丈書ける人は少ないと思ふですね。正宗白鳥氏が『改造』に書いてゐますが今度活動になつた「我もし王者たりせば」のフランソア・ヴイヨンは、十五世紀の人ですがひどい犯罪者で何年に死んだかも解らん程の男ですが今は大変な人気で、研究の本も出てゐるんですからね。然し彼が認められるまでは、三世紀もかかつてゐます。あらゆるものを認めたアナトール・フランスまでが認めなかつたのですから、時世によつて人間の運命など変るものですね。例へば今の十人殺しとかをやる罪人も戦国時代に生れたら、どんな武将となつたかも知れないし、芸術上の天才も戦国時代などに生れたら、随分みじめなものでせうからね。そしてさういふ天才が戦国時代に埋れてゐなかつたとは云ひ切れませんからね。天才には随分悲惨な最期を遂げた人も多いですね。

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2006-01-28 [Sat]

島田清次郎と保養院 Gg[ubN}[N

 コメント欄の野口さんの書き込みで教えられた、池田隆徳(島田清次郎が入院していた保養院の院長)の書いた「島○清○郎君の死――被害妄想及心気妄想の一例――」(精神衛生学会刊『妄想』(昭和七年)所収)という文章を国会図書館でコピーしてきました。それほど長いものではないので全文を紹介してみます。

 昭和五年四月二十九日、天才的の青年文士島○清○郎君は保養院の一室で死んだ。其末路は淋しかつた。

 君が保養院に入院したのは大正十三年七月三十一日で、巣鴨警察署から住所不詳として公費患者で送られて来た、其の入院するに至つた事情が、翌日の東京日々新聞の記事によつて大体知る事が出来る。

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あはれ天才島清クンの末路

精神病者と鑑定され昨夜保養院送り

 青山墓地の爆弾事件犯人捜査のため巣鴨署では三十日午前一時から全署員を督して管内の総密行を行つた所、午前二時半ごろ巣鴨町二ノ三五先道路で怪しい男を発見し、刑事が取押へると汚れたゆかたになまなましい血痕を発見したので、こいつ大きな獲物とばかり、有無をいはせず引捕へて取調べると、はじめは辻褄の合はぬ事を申し立てゝゐたが、これなん先日吉野博士の宅におしかけ、居候をきめこんでお得意の一問題起こした天才島○清○郎クンと判明したので、同署でももてあまし、引取り方を徳田秋声氏に交渉したが、同氏も受けつけてくれず、今更放還する訳にもゆかず閉口してゐる。同署警察医の鑑定では精神病者なることが確実なので、更に警視庁金子技師の鑑定を仰いだ結果、いよいよ精神病者として三十一日午前九時巣鴨町庚申塚四一四保養院(私立の精神病院)に送られた。

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 翌日型の如く診察して大体次のような答弁を得た。

『年は二十六歳、住所は震災前には代々木富ヶ谷一五六、震災後は郷里金沢に行つたり来たりした。東京では方々友人の所に行つた、此所に来たのは先輩を訪ねる途中警察へ連れられ其れから車で来ました』。

『体を診て下さい、神経衰弱なんです、私は昨年以来或事件で脳を悩ました、他人が私の云ふ事を正解せず、常に反対する、財政上の事かなんかで、僕の病気は脳の病気で味方の医師でなければ判らぬ』。

『友人を訪ねても独身の処ならば宜しいが、妻子のある所には一週間二週間と永居は出来ぬ、気の毒です』。

『入院の前日帝国ホテルに飯食ひに行つたが入れて呉れない、金は二三円持つて居つた、島○だと言つても待遇して呉れない、それでボーイを殴つて逃げて来た、五六人で追駆けて来て日比谷公園の所で私を殴つた、其私を殴つた者は国粋会の佐○間だと言ひました、其時鼻血が出て衣物に血が着いて居たんです』。

『海防義会の評議員桜○昌○少将が媒酌人で○木よ○えと結婚する事になつて居る』。

『知人では浅草左衛門町に長○川○太郎と云ふ遠い親戚がある、世話して呉れる先輩は本郷森川町一番地の徳○秋○』。

『郷里には伯父西○八○が金沢市尻垂坂通町三丁目六に居て、地主で代書をして居ます、母は其伯父の厄介になつて居ます、東京の人達は駄目だから郷里に帰ります』。

 君は白皙黒髪にして眉目清秀、一見して天才児の風がある、病的の症状としては顔貌表情乏しく談話低声で渋滞し、記憶稍不良で感情稍鈍麻し、意志減退して居る、早発性痴呆の破瓜病と云ふ事が判つた。其内に時々親戚知己等の面会があつて、遺伝や既往歴等が判つて来た、父は常○と云ひ三十一歳で病死した、母はみ○と云ひ、五十歳で健存して居る、父方祖父は脚気で五十余歳で死し祖母は長命した、母方祖父が精神病だつた、其れから母の弟が精神病である、君は一人子で同胞がない。

 君は小児の時から癇癪強く自恣だつた、十八歳の時に蓄膿症に罹つた、其外に著患はない、気質は勝気で憤怒し易く、智力は敏捷であつた、中学三年まで修め、次で商業学校一年修業した。

 其後の診察の時に妄覚がある事を愬へる。

『時々誰か催眠術を掛ける、前からそんな事がありました、其時は頭が苦しくなります、隣に寝て居る人の蒲団が恐ろしく見えた、気味が悪い』。

 入院後三四箇月して、春秋社の神田豊穂氏が大泉黒石氏と同伴で私を訪問して来られた。島○君が原稿を持つて居るそうだが、大泉氏に校閲を願つて物になるようだつたら出版し度いと云ふ事である、其れで君を呼んで来意を告げたら快く原稿を渡した、一二週間後に再び大泉氏が来られて、文章は纏つて居るから出版して貰はうと云ふ事である、其れで君を呼んで其旨を告げ、書物の名を求めたら「我れ世に敗れたり」と命名した。大正十三年十二月、其書は出版された、原稿料は在京の親戚の手を経て郷里の母親の手に入つたようである。

 其頃は終日無為に暮らして原稿等は書かない、無趣味で茫然として眉を顰め、時々悲しそうにして居る、室内に痰を吐き散らし、窓から放尿する、其頃から時々診察の時に、

『言ひ悪い事ですが黴毒と○○に罹つて身体が痒くて節々が痛みますから癒して下さい』。

と言ふ。○○の方は事実だが黴毒は事実ではない、血液の反応も陰性である。軽い心気妄想と考へられる。

 又時々人物誤認症があつた、診察中突然私に向つて『あなたは大化会の○○さんですね』と云つた事があつた、又雑誌記者等の面会の時に人を間違へたり、旧知の人を知らないと言つたりした、其等の人の話によれば以前は非常に傲慢で、其れが為めに親友がなく、先輩の人にも感情を害して居る、又利己的で原稿料が手に入つても友人等に奢るやうな事はなく、皆自分で使つて仕舞ふ、先年原稿料二万円這入つた時にも、其れを持つて一人で洋行して来たと云ふ事である、又かつて一高に行つて演説した時に、自分は漱石以後の文豪であると非常な気焔だつたそうである。併し今では私等無名の医師に対しても非常に丁寧である。其後しばしば看護人に向つて、『馬鹿野郎』とか『無礼者』とか怒鳴る事がある、其理由を問ふに、

『看護人が催眠術を掛けて私を殺さうと思つて居る、危険です』と言ふ、被害妄想である。

 其頃頻りに方々に書面を書いて出さうとする、若槻総理大臣、横田大審院長、床次本党総裁、後藤新平子爵等に宛てたものである(次頁に掲げたのもその一つ)。内容は多くは退院に就いて尽力を頼んだものである。

 こんな容態で大正十四年は過ぎた、其後松岡看護人は小林と云ふ死刑囚と同じ顔をして居ると云つた事がある、其頃は能く手拭で頭を包んで居た、診察の時にも其手拭を取らない、頭から背、腹全部痛いと愬へる、前述の妄覚や妄想は矢張り時々現はれて居る、斯くして大正十五年と昭和二年は過ぎた。

 その後は多くは臥褥して稍沈鬱して居る、人に接するのを嫌ふ。

 昭和三年七月二十三日板橋税務署から税務官吏が病院に調査に来た、其れは君の所得額は印税収入で一箇年二万円となつて居るが、其所得税がずつと滞納になつて居ると云ふのである、其れで全盛時代にはそんな事もあつただろうが、今は精神病で而も公費で入院して居るから、そんな税金は納められる筈がないと言つて帰へした。

 昭和四年になつて新聞を切抜いたり、時々原稿を書いたりして居ることがあつた。又衣類や蒲団を破る事がある食器を窓から捨てることがある。

 昭和五年一月になつて左の肺尖加答児(カタル)を起して来た、三十七度余の発熱があり、時々咳嗽がある、其為めダンダン衰弱して来た。

 其れに下痢も加はつて来た、肺の患部はズンズン進んで来た、遂に四月二十九日、君は天才を抱いて空しく斃れた、行年三十二歳、其末路は淋しく哀れで、而も短命であつたが、君の創作の収穫は長命の凡人の遠く及ばない処である、殊に君のローマンスに至つては、世人に一大センセーシヨンを与え、世の父兄に一大教訓を示した。

 ということで、保養院入院から死までのあらましがわかるのだけれど、この文章を読んでまっさきに思ったのは、「この患者って本当に早発性痴呆(現在の統合失調症)なの?」という点である。

 入院翌日の診察では、かなり筋の通ったことを言っているし、人名や地名もしっかりと覚えていて記憶力にも問題がなさそうだ。表情が乏しい、記憶不良、感情鈍麻、意志減退などの症状から池田医師は「早発性痴呆の破瓜病」(自閉傾向や思考の滅裂、感情鈍麻とかを主症状として、幻覚や妄想のみられない統合失調症の一型のこと)と診断しているが、裁判沙汰を起こして業界をほされ、強引に精神病院に入院させられて天才のプライドをへし折らた作家なら当然表情も乏しくなるだろうし、意志だって減退するだろう。それに、人の家に押しかけたり帝国ホテルに行ってボーイを殴ったりという活動性は、自閉傾向を主症状とする「破瓜病」という診断にはどうもそぐわない。

 数ヶ月後には終日無為にすごすようになった、とあるが、だいたいどんなに元気な人間でも長い間閉じこめられてれば無為に過ごすようになってしまうもの。窓から放尿、体の痛みを訴える、人物誤認などの症状が出現しているが、これも長期にわたる入院が原因の拘禁反応とも考えられる。肺炎と下痢を起こして死亡したのは全然精神病とは関係なく、単に当時の精神病院が劣悪な環境だったからだろう。

 島田清次郎は確かに誇大的で鼻持ちならない奴だったかもしれないが(診断をつけるなら「自己愛性人格障害」)、統合失調症ではなかったのではないか、というのがこの文章を読んだ私の意見である。

 

 さて最初に島田清次郎を統合失調症と診断したのは、この文章にも出てくる「金子技師」こと警視庁勤務の精神科医金子準二なのだが、この人はちょっと……というか、かなり偏った思想の持ち主であった。

 大正15年に出版した『現代犯罪の精神病学的研究』という本では、こんなことを書いている。

「天才と精神病は紙一重である」と云ふが、「精神病と犯罪は同胞」であつて精神病者程社会的危険性の極めて高いものもなからう。

「子供が四五人もある」と聴くと「それは犬と同類である」と驚く程堕胎を励行するエスキモー土人は、精神薄弱の人種である。

 『精神病の境界線』(昭和12年)に収録された「精神異常者は何処に行く」という文章もなかなか凄い。

 しかし日本共産党と精神異常は関係がある。昭和三年三月十五日の日本共産党検挙で、東京地方裁判所検事局で起訴処分を受けたものは、約二百人あるが、その内に著明の精神病で病院に収容されたものが、既に七人あるのは、日本共産党と精神異常と関係があると断定してよい証拠である。

 女性の心理に就いては種々の意見がある。しかし感情が興奮し易いので暗示もされ易く、従つて独立した判断をする能力に乏しく、自己を批評するには案外寛大で、他人の欠点は無遠慮に評定し、また利己的の傾向が甚しく、しかも嫉妬と復讐のためには意外の芝居は勿論、冒険までも実行する性向があるのは、女性の心理的特徴であると云ふのが定評で、多分に性格異常者の心理的特徴に女性の心理は接近して居ることが見出されるのである。

精神病者は常に社会生活の欠格者で、精神病者が一切の犯罪の候補者であることは、殺人、放火等の公安上の危険が大である犯罪程、精神病者の凶行であることが多いとの従来の犯罪統計からも判るが、将来の精神病者は何処に行くであらうか。

 まあ、もちろん戦前という時代も考慮しなければならないけれど、それにしてもかなりの偏見に満ちた考え方の持ち主といっていいだろう。こういう人物が東京都の精神衛生行政のトップに立っていたわけだ。もちろん警視庁にとっても金子技師にとっても、精神衛生の第一目的は帝都の治安維持だった。そして彼は、精神病者を精神病院に収容することが、精神病者にとっても社会にとっても幸福であると本気で信じていた。その彼の目には、令嬢誘拐事件を起こして世間を騒がせた傲慢な作家はどう映ったろうか。そして彼の偏見は、診断に影響することはなかったか……。今となってはわからないことである。

 『現代犯罪の精神病学的研究』の序文で、九州帝大教授下田光造はこう書いている。

君ガ警視庁ニ精神病主任タル間ハ、帝都幾萬ノ精神異常者ハ幸福デアリ、同時ニ此方面ニ於ケル帝都ノ治安ハ、完全ニ維持セラルルコトヲ疑ハヌ。

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2006-01-29 [Sun]

フライトプラン Gg[ubN}[N

 久しぶりに映画観てきました。ジョディ・フォスター主演の『フライトプラン』。飛行中のジェット機の中から娘が消えた、という予告編から、ズバコーン(『フォーガットン』参照)みたいのから、『オリエント急行の殺人』パターンまで、いろんなオチを想像していたのだけど、その中でもいちばんつまんないのが真相でした。主役以外の役者には全然金かけてない(名の知れた役者は機長役のショーン・ビーンくらい)ので、見所はジョディ・フォスターの演技くらいのもの。まあ、ジョディ・フォスターを鑑賞する映画としてはいいんじゃないのか。しかし、ジョディ・フォスターはなんで『パニック・ルーム』といいこの映画といい、どうしてこんなどうでもいいサスペンス映画にばっかり出るのか。子供を守って戦う母親という役柄に何か思い入れがあるんだろうが、そのせいで脚本を選ぶ眼が曇らされてるような気がしますよ(★★)。

Tags: 映画

金子準二について Gg[ubN}[N

 昨日もちょっと述べた警視庁の金子準二技師なのだけど、その前にも引用した『東京の私立精神病院史』の中の「古い病院を語る」という座談会の中で話題になっているのを見つけた。

松村 金子先生は警視庁にいた時分にはね。精神行政のね。精神科の方で実にこわい存在だったんです、みんなだから精神病院長も私もおやじの代わりに警視庁に行ったことありましたがね、その時植松先生がね、金子先生のお机のところでこうやってもう、こうやって、おじぎしていました、植松先生。

司会 植松先生が?

松村 そう、植松先生が、院長のそれもあったしね、教授だからね、であれだからね金子先生の前にいってね。植松先生がもうペコペコして。

司会 そうですか――。

松村 精神行政でもね、おこるのは、金子先生ですから、とくにジカにね。

司会 植松先生は別だと思ったんですよ。

松村 植松先生、そりゃあね、学界の方では上の方だけど、単に院長とすれば金子先生の監督のもとですからね。

司会 そうですか。

松村 金子先生の存在は、精神病院にとっちゃ、雷みたいなもので(笑)こわかったですよ、私のおやじなんか始終けんかしてました。

青木 こわかった。

司会 へーえそうですか。

松村 一手におさえていたんですからね。

 植松先生というのは、1915年に東京帝国大学医学部を卒業した植松七九郎で、4年間アメリカに留学したあと1926年に慶應義塾大学神経科教授になった人物。1940年には桜ヶ丘保養院の初代院長になっている。

 当時、金子技師は帝都の精神病院を一手に押さえており、金子技師に対しては教授ですら頭が上がらなかったのである。

 つまり金子技師がいったん「早発性痴呆」と鑑定して入院を命じたとすれば、それをくつがえすことは、一介の私立病院長にはとうていできなかったんじゃないだろうか。

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2006-01-31 [Tue]

閣下と呼ばれた男 Gg[ubN}[N

 さて戦前の警視庁にいた精神科医・金子準二の話の続きである。一般的にはマイナーな島田清次郎よりも、さらにマイナーな人物なので、もうほとんど誰も興味を持ってくれないのではないかという気もしないでもないが、気にせず続けます。

 臨床精神医学1981年10月号p.875-883に、「日本の精神医学100年を築いた人々」という連載の第2部第5回として、金子準二の小伝が掲載されている。執筆者は戦後、慈雲堂内科病院で金子準二と毎日顔を合わせていたという田辺子男。こうした小伝の常として、書いているのは対象者の教え子だったり親しくつきあった人物だったりするので、欠点や都合の悪い面についてはまったく書かれていない。まるで聖人君子のような描かれ方である。

 この小伝では、戦前の金子準二についてはこんなふうに書かれている。

 私は先生にお会いしたのは戦前であった。先生は警視庁技師として天下に名を轟かせていた。まさにその名は轟くというに値していたと思う。そのころの大新聞は、犯罪事件のたびごとに、先生の顔写真と談話が必ずといってよいほど載せられていたからである。

(中略)

 大正12年には東京警視庁技師として、精神病院の監督官となり、また犯罪精神病学者として大活躍を始めるのである。当時の新聞を繰ってみると、犯罪事件と先生のコメントが必ずといってよいほど載っており、昭和11年5月天下を騒がせた阿部定事件のごときは、各紙が4、5段抜きで異常心理を解剖するという見出しで、先生の談話を載せている。

 犯罪精神医学者の先駆けで、マスコミにも頻繁に登場する有名人だったようだ。今で言えば福島章みたいなポジション? しかも、警視庁にいたのだから権力はさらに大きかったはずだ。

 また、警察医で後に作家になった太田千鶴夫は、警視庁当時の金子準二を次のように描写しているという。孫引きになるが、紹介しておこう。

 大声で怒鳴っている狂人でも金子の名を聞くと、忽ち機嫌を直して笑顔になったと伝える。患者からの手紙は金子閣下とか、金子殿様とか表書きされていたようだ。退院した者達も日に五人は下らぬ訪問者があったという。先生は彼等を追払えない優しい性格だから、面倒な話もよく聞いてやった。先生は織田信長のような朝鮮髭を、もぐもぐさせて永い溜息を吐くことになる。

 この文章を田辺子男は、金子準二が障害者を愛した正義の人だったことを示すものとして引いているのだけれど、「閣下」とか「殿様」とか呼ばれていたというのは、患者から愛されていたともとれるが、むしろ絶大な権力を持つ人物として恐れられていたと受け取ることもできる。

 慶応大学教授すら頭が上がらず、患者からは「閣下」と呼ばれる男。島田清次郎を鑑定したのは、そうした人物なのであった。

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