2005-05-01 [Sun]
▼ 輪行
自転車関係のサイトを見るようになって、初めて知ったのが「輪行」という言葉。広辞苑にも載っていなければ、ATOKも変換してくれない。たぶん知らない人にとっては、この文字の並びからは意味を想像することは難しいと思う。
素直に字面をたどっていけば、「輪」で「行」く、つまり自転車を使って出かけるサイクリングのようなものを思い浮かべてしまうが、これがまったく違う。「輪行」とは、自転車を分解するか折りたたむかして専用のバッグに収納し、電車やバスなどを使って移動することをいうのである。これはわからなかった。
ヨーロッパなどでは列車に自転車専用車両があり、わざわざ分解などしなくてもそのまま持ち込めるそうなので、これは日本独特の習慣であり用語なのかもしれない。
なんとなく歴史がありそうな言葉だが(「銀輪」といった昔懐かしい言葉を思わせる)、いったい誰が言い出して、どういう経緯で生まれた言葉なのか気になるところである。
2005-05-07 [Sat]
▼ 連休
連休中は、SFセミナーの引越し企画に出たり、SFセミナー有志で1/1スコープドッグを見に行ったり。でも、個人的には今年のセミナーのいちばんの収穫は、添野さんに自転車についていろいろとアドバイスをいただけたことだったり。
▼ ペダル交換
まだ実質1週間くらいしか乗っていないけれど、シラスを初のカスタマイズ。樹脂製のペダルはくるくる回って足を固定しにくいし、樹脂の部分が早くも割れてしまっているので、新しいペダルに交換することにした。
スポーツサイクルのペダルには、専用の金具(クリートという)がついた靴をはき、足とペダルをがっしり固定できるビンディングペダル、爪先の形の金属板や樹脂板に足をはめてベルトで固定するトークリップ(ベルトのないハーフクリップというものもある)、それから足は固定されないかわりに乗り降りしやすくスニーカーでも乗れるフラットペダル(一般の自転車のペダルはこれ)がある。当然ながら足とペダルが固定されていた方が、足を持ち上げる動作も推力になって速く走れるのだけれど、そのかわり慣れないと、信号待ちなどで停車するときにこけたりしやすい。
私の自転車のコンセプトは、外出時の足がわりになる快速街乗りバイクなので、専用の靴が必要なビンディングは論外。いちいちベルトを締めるなど乗り降りが面倒なトークリップも今ひとつ。というわけで必然的にフラットペダルということになる。ペダルは、わりと評判がよさげだったアルミ製のフラットペダル、TIOGAのシュアーフット・コンパクトを選択。
阿佐ヶ谷のフレンド商会という、その筋では有名な自転車店で、ペダルとペダルレンチ(ペダルの脱着に使う特殊な薄型レンチ)を購入。さてレンチでペダルを外そうと思ったのだけれど……これが外れない。全身の力をこめても、外れない。レンチが短くて、てこの作用が充分働かないせいかも。
仕方がないので、近所にあるサイクルベースあさひ(全国に支店のある自転車屋。ネット販売でも有名)に自転車を持ち込んで、ペダルをつけてもらいましたよ。ペダル外しにはコツがあるようで、店の人はわりと長めのレンチを使って、ペダルをいとも簡単に外しておりました。うーむ。工賃525円。
早速走ってみると、おお、足とペダルがぴったりくっつく。つける前はペダルがちょっと小さいので走りにくいかとも思ったのだけれども、全然そんなことはなく、つるつるして足の位置が定まらない樹脂製よりも遥かに走りやすい。これは快適。いい買い物をしました。
2005-05-08 [Sun]
▼ 多摩湖自転車道
今日も今日とてぶらり旅。今日は自転車で多摩湖まで。
「東村山、庭先ゃ多摩湖」という歌は知っていても、多摩湖には行ったことがないし行ってみようとも思わなかった私だが、多摩湖まで自転車道が通じているということを知ってがぜん興味がわいた。しかも、起点はうちからそれほど遠くはない。ちょっと行ってみるか、とふらりと自転車を漕いでみた。
西東京市と武蔵野市のちょうど境界線上にある、五日市街道と井の頭通りの交点が多摩湖自転車道の起点である。多摩湖自転車道の英語表記は、"Tamako jitensha dô Ave."らしい。いいのかそれで。
もともと水道の水路だったところだけに、自転車道はきれいにまっすぐ伸びている。住宅地の裏を抜け、駅前を通り、西武新宿線と並走しながらも、ひたすらまっすぐ多摩湖まで続いているのである。まっすぐとはいっても一般道とひんぱんに交差するので車止めや信号があちこちに設けられていて、そんなにスピードは出せない。それに街中の道だけに生活道路としても使われていて、歩行者やママチャリも多く、スピードを出すと危険。まったりのんびり走るのが吉。妙に手を大きく降りながら歩いている人をよく見かけたのだけれど、そういう歩き方が流行っているのか。
西武新宿線の花小金井駅、小平駅前を通過、そこから今度は西武多摩湖線の脇を通って萩山駅、八坂駅の前を通過。写真は、花小金井と小平の間あたりにあった小平ふるさと村。昔の建物が移築してある施設で入場無料。親子連れが「江戸東京たてもの園をしょぼくした感じだなあ」とか言ってたけど、まさにそんな感じ。
自転車道を10キロほど走ると多摩湖(村山貯水池)に到着。残念ながら、工事中で堤防上には上がれない上、どこもかしこもフェンスが張り巡らされていて、湖面はほとんど望めない。この写真も、腕を伸ばしてフェンスの上にカメラを出してようやく撮ったもの。手前にあるのが大正時代に造られたという取水塔。なかなか味のある建物である。ちょっと惑星ナブーの王宮っぽい気もしないでもない。湖面の向こうには西武園ゆうえんちが見える。
自転車道は多摩湖を一周している。せっかくなので時計回りに湖を一周してみたのだけれど、やっぱり水面が見えるところはほとんどない。たまに、車道の上を渡る橋の上から見える程度である。ただひたすら林の中を突き進むと、ときどき怪しいホテル街があったり、西武ドームが見えたり、西武園ゆうえんちがあったりする。アップダウンは思ったほどきつくなく、スポーツサイクルなら快適に走れる。ママチャリだとちょっときつい。雲行きがあやしいが、結局雨は降らなかった。
多摩湖のちょうど西の端あたりで休憩。妙なデザインの橋があり、道が森の中へと続いていた。行ってみようかと思ったけれど、今回はやめておく。
突如出現した朱塗りの八角の五重塔。山口観音という寺の千体観音堂である。これは絶対に「珍日本紀行」ネタになりそうな新興宗教の聖地に違いない、と思ったのだが、これが弘法大師ゆかりの由緒ある名刹だそうである。意外だ。
帰りは途中まで同じ道を戻り、小平ふるさと村のところで青梅街道に出て自宅までショートカット。帰ってきてふとシャツを見ると、羽虫がたくさんくっついていた。自転車走行はおおむね快適なのだが、身体に当たった羽虫がくっつくのだけは閉口する。顔にも当たるし。絶対に口にも入ってるね。
走行距離50.57km。
▼ 尻と手首の痛み
前回荒川に行ったときには、サドルと当たる尿道のあたりが痛くなったので、今回はパッド入りのインナーパンツを購入して使用してみた。これが非常に効果的で、今回は全然痛くならなかった。サドルのポジションを、前がやや下がるように変えたせいもあるかもしれないけれど。
もうひとつ自転車に乗って痛くなったのが手首、特に小指球のあたり。手をまっすぐ前に伸ばしてみればわかるのだけれど、掌を下にしてフラットバーのハンドルを持つ姿勢というのは、決して楽な姿勢ではないのですね。長距離を走る自転車が、たいがいドロップハンドルなわけがようやくわかった。ドロップハンドルの方が、フラットハンドルよりも手首に負担がかからないのである。
そこで手首への負担を少しでも軽減するために、小指球のところにパッドの入ったサイクルグローブを買ってみたのだけれど、やっぱりそれでも手首は痛む。今もマウスを握っていたのだけれど、机に接した手首(小指側)が痛い。ハンドルの左右に縦のバーエンドバーをつけるというのもひとつの手だが、サイクリングロードならともかく、迅速なブレーキングが必要な街乗りでは今ひとつ不安が残る。なんとかならんものか……。
2005-05-09 [Mon]
▼ 通勤報告
(自宅−病院−自宅)
走行時間57分02秒
走行距離18.98km
平均速度19.9km/h
最高速度35.0km/h
だんだん最短(と思われる)コースを効率よく走れるようになってきた。
2005-05-13 [Fri]
▼ 通勤報告
今日は午前中は病院に行き、午後は荒川保健所へ。石神井川沿いを走って王子まで行ってみたが、川沿いの遊歩道は両岸とも路面がタイル張りになっていてガタガタ揺れるのには閉口する。手首や尻も痛くなるし、自転車もどうにかなりそう。
さて帰る段になって、荒川区から自宅までどうやって帰ろう、とルートを考えた。荒川区といえば荒川。荒川といえばサイクリングロード。そうだ、荒川サイクリングロードを通って帰れば高速で走れて快適に違いない、と決意したものの、荒川保健所から荒川まではけっこう遠い。なんと、意外なことに荒川区は荒川には面していないのであった(まあ、もともとは隅田川が荒川の本流だったから、荒川区ができた当時は面していたのだろうけれど)。
とはいえ荒川まで出てしまえば非常に快適。平日の夕方にはサイクリングロードにはほとんど誰もいないので、人も車も信号もない広くてまっすぐな道をすいすいと走れる。私のようなにわか自転車乗りでも30キロ超のスピードが軽々と出せる。空がきれいに晴れてたらもっと心地よかったんだろうけれど。
(自宅−病院−保健所−自宅)
走行時間2時間51分17秒
走行距離56.05km
平均速度19.6km/h
最高速度39.8km/h
1日の走行距離としては今までで最長。
2005-05-15 [Sun]
▼ ヤクザ
アメリカの自転車メーカーで、アイアンホース社という会社がある。
まあ、普通のスポーツサイクルメーカーなのだけど、フリーライド系バイクのラインナップのネーミングが尋常ではない。その名もYakuzaシリーズ。しかも、グレード順に、組長、叔父貴、兄貴、若頭、博徒、チンピラと分かれている念の入れよう。日本にも輸入されていて、自転車屋に行ったら「人気のYakuzaシリーズ」とか宣伝されていて目を疑いましたよ。
「俺の愛車はヤクザの組長だぜ」
「いいなあ、俺はチンピラ……」
とか、アメリカのマウンテンバイク乗りのあいだでは、そういう会話が普通に交わされているのだろうか。まあ、ヤクーサ・ボンズの国だからな(意味不明)。
私は兄貴に乗りたいな(←誤解を受けやすい表現)。
2005-05-16 [Mon]
▼ 自己言及的択一テスト
というか、論理パズル。
問1 答が(B)になる最初の問は次のうちどれ? (A)1 (B)2 (C)3 (D)4 (E)5
問2 2問連続で答が同じになるのは一ヶ所だけ。どれとどれ? (A)6と7 (B)7と8 (C)8と9 (D)9と10 (E)10と11
問3 答が(E)になる問はいくつある? (A)0 (B)1 (C)2 (D)3 (E)4
という感じで続いていく。解はひとつしかないらしい。けっこう難しい。
▼ 世界裸バイクを乗ります
"World Naked Bike Ride"(WNBR)という、裸で自転車に乗ろうよイベントの公式サイト。今年は6月11日に全世界のバカが裸で自転車に乗るという。去年のイベントの写真はこのへんで。本当に裸だ。なんかクイーンのプロモーションビデオみたいだ。もともとはスペインで行われていた"Ciclonudista"というイベントが源流らしい。
公式サイトの右上には日本語で「世界裸バイクを乗ります」と書いてあるけど、今のところ日本ではやらないようだ。誰かやりませんか。私はごめんこうむるが。
2005-05-18 [Wed]
▼ 最近の購入本
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自転車ツーキニストとして知られる疋田智氏のエッセイ集。バイシクルクラブ誌の連載やメルマガの内容をまとめたもの。実は自転車のことはあまり書かれてません。
というような話はともかく、私がこの本を買ったのは、ひとえに幻のマンガ「中央線の秋」が収録されているからなのだ。もちろんあの頃のT大生のトラウマとなった「その24」(本では「その19」)も完全収録。まあ、「中央線の秋」自体は、疋田氏のサイトでURL手打ちすれば読めますが。ちなみに、web版と本とで話数が違っているのは、「小笠くんのこと」とは関係ないゴルゴコラ(おそらく疋田氏の作ではない)がはぶかれているからです。できればそっちも読みたかったけど、商業出版では絶対無理ですな。
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あとはこれ(↑書影の大きさが違うのが気になる)。以前から気になっていたpeanuts全集をついに購入。amazonで30%offだったので。
1950年から2000年までの全作品が全25巻に収められるらしいのだけれど、既刊ははじめの3巻のみ。年2冊のペースなので完結までには12年かかる。それまでに出版社がつぶれてなければいいけど。
2005-05-22 [Sun]
▼ ブレイド3
やっぱりこのシリーズは1が最高ですなあ。怪奇趣味の色濃い2もあんまり評価しなかったんだけど、3はそれに輪をかけて単なる散漫で退屈な映画になってしまっている。
冒頭の登場シーンは、ブレイドがいつものように「かっこいい俺様」ぶりを発揮していて素敵なのだけれど、そのあとの展開がなんとも散漫。
今回の敵キャラであるドラキュラは、すべての吸血鬼の祖だというわりには、ただのマッチョな兄ちゃんで、街中でブレイドと出くわしてもただ逃げ回るだけ。えー、むちゃくちゃ強いんじゃないの? なんで走り回って赤ん坊人質にとって捨てぜりふ吐いて消えちゃうの? おまけに変身するとプレデターになるし。それは吸血鬼じゃないよ。
ブレイドが殺人犯として捕らえられるとか、血液工場の場面とか、部分的にはいいアイディアもあるのだけれど、それが物語としてまとまっておらず、巧く生かされていないのが惜しい。
こういうシリーズ映画後半の宿命かもしれないが、全般にブレイドというお馴染みのキャラをふまえたギャグ映画みたいな感じ。あからさまなギャグ担当キャラがいたり、iPodで音楽聴きながら戦闘したり(イヤホンして自転車で車道を走るくらい危ないぞ)と、なんか違う方向に行ってしまったような。これが完結編ってのはちょいと寂しい(★☆)。
▼ バタフライ・エフェクト
去年からずっと公開を心待ちにしていた作品。なるほど、『リバース』や『恋はデジャ・ブ』のような、よくできた時間SF映画の秀作で、幼児ポルノや動物虐待といった陰惨なテーマを取り入れつつも暗くなりすぎず、数々の伏線が絡み合うロジカルな面白さのある作品に仕上がってます。いくらなんでも、ほんのちょっとしたことで登場人物の運命大きく変わりすぎ、とも思うけれど、そこを否定したら「バタフライ効果」自体を否定してしまうので始まらないだろう。
ただ、ロジカルな作品だけに、脚本にいくつかの不整合がみられるのが気にかかる。中でもいちばん気になるのは、過去を変えた場合、主人公以外はそれを認識できないはずなのに、カルロスだけ変化を認識できていたこと。ついでにいえばそのとき過去で起こしたのはかなり大きな変化なのだが、手の傷以外未来がまったく変わっていない、というのは「バタフライ効果」というテーマ自体を揺るがす不整合なんじゃないかと。
エンディングはこの手の作品じゃ定番のものでちょっと物足りないけれど、手堅くまとまってはいる。ただ、脳損傷関係の伏線がどっかへ行ってしまったのは解せない。どうやら元々のディレクターズ・カット版ではこのへんの伏線に意味を持たせてあるらしいが。
一緒に観た妻の意見によれば、主人公のヒゲは明らかにキリストを意識したものであり、だから人殺しをする時間線でだけヒゲの形が違っていたんじゃないか、とのこと。ただ、そういう視点からみると結末は今ひとつ納得がいかないのだけれど、ディレクターズ・カット版の結末は(ぐぐって読んでしまった)、まさに妻の指摘する通りキリストらしいものになっており、整合性(ロジカルな整合性ではなく物語的な)という点ではこちらに軍配が上がる。好き嫌いは分かれるだろうけれど(★★★★)。
2005-05-26 [Thu]
▼ 星のダンスを見においで
ふと、「星のダンスを見においで 笹本祐一 谷村有美」で検索したら、1件しか引っかからなかった。笹本祐一の『星のダンスを見においで』のタイトルは、谷村有美の同名曲に由来するという知識は伝わってますか?
完顔阿骨打の『嘆きの健康優良児』というタイトルはフェアチャイルドの曲から来ているという知識は伝わってますか?
いや、ツインテールがもともと怪獣の名前だということを知らない人が多いらしいと知って驚いたのでちょっと。
▼ レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
タダ券の期限が5月いっぱいだったので、何か観なければと思って観た映画。ティム・バートン風のダーク・ファンタジー的な世界を舞台に、両親を失った3きょうだいが、遺産を狙うオラフ伯爵を相手に知恵と勇気で戦う……という話なのだけれども、ジム・キャリー演じるオラフ伯爵が、「憎めない悪役」どころかシャレにならないほどの極悪人なので、どうも生々しくていけない。エキセントリックなキャラクターも多数出てくるが、どうもわざとらしく映ってしまう。バートンかジャン・ピエール・ジュネあたりに撮らせたなら、奇人たちへの共感がにじみ出てきた味のある作品になったのだろうが……(★★☆)。
2005-05-28 [Sat]
▼ ワンダランドへ
これまでよりもちょっと長距離を自転車で走ってみようと思ったのである。ただし、単に走るだけじゃつまらない。何か目的地がほしい。それも、ひとつだけではなく、いくつかのポイントを回るうちに、自然に長距離を走れていたらなおいい。いろいろと考えているうちに、かつて読んだ中井英夫『虚無への供物』に出てきた、目白・目黒・目青・目赤・目黄の五色不動を思い出した。そうだ、東京の五色不動を自転車で回るというのはどうか。名付けて「ツール・ド・五色不動」(←自転車で走れば何でも「ツール・ド」がつくと思っている)。
ヒップバッグには東京23区の地図と、サブテキストとして『虚無への供物』。もちろん腕時計は逆向きにはめて。さあ、ワンダランドへ出発しよう。果たして一日で全部回れるだろうか。
「こうやって、一日じゅう、わざと時計を逆しまにはめておくんです。見るたんびにオヤと思ってね、勝手に過ぎちまう時間という奴を邪魔するみたいだし、そんな簡単なことで何かこう、異次元のワンダランドにでも入ってゆけそうな気がして面白いですよ。やってごらんなさい」――『虚無への供物』より
ただし、私の時計は振動に弱い機械式なので、写真を撮ったあとはすぐ外したけど……。
▼ 目白不動
国電の目白駅を出て、駅前の大通りを千歳橋の方角へ向うと、右側には学習院の塀堤が長く続いているばかりだが、左は川村女学院から目白署と並び、その裏手一帯は、遠く池袋を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっている。この斜面だけは運よく戦災にも会わなかったので、戦前の古い住宅がひしめくように建てこみ、その間を狭い路地が前後気ままに入り組んで、古い東京の面影を忍ばせるが、土地慣れぬ者には、まるで迷路へまぎれこんだような錯覚を抱かせるに違いない。行き止りかと思う道が、急に狭い降り坂となって、ふいに大通りへぬけたり、三叉に別れた道が、意味もなくすぐにまた一本になったりして、それを丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だが、豊島区目白町二丁目千六百**番地の氷沼家は、丁度その自然の迷路の中心に当る部分に建てられていた。
自宅から1時間くらい自転車に乗って、目白に着いたのは9時50分頃。氷沼家があったとおぼしいあたりに行ってみると、今も細い路地が複雑に入り組んだ迷路になっていた。ただ、当然ながら「古い東京の面影」や「丈高い煉瓦塀」、ましてや「五百坪ほどの庭」(氷沼家には広大な庭があるのだ)などは影も形もみえない。小さな家々やアパートが立ち並んでいるばかりである。
車は千歳橋のところで上の目白通りへ出ると左に折れたが、見るともなく窓の外を見た亜利夫は、ふいに短く声をあげた。
「あそこ、あんなところに……」
「何よ、騒ぎ立てて……」
「うん、ほんのチラッとだけどね、五色不動の何とかっていう看板みたいなものが見えたんだ。ホラ、あの左の上のほう……」
「あれア目白不動でさあ」
若い運ちゃんが、まっすぐ前を向いたまま、こともなげにいった。
目白不動には参拝客も少なく、社務所の戸も閉まっている。がらがらと戸を開けて声をかけ、護身御守を購入。事故に遭いませんように。どうも、ちょうど今日の3時から不動尊のご開帳だったらしいが残念ながら待っている暇はない。先を急ぐ。
▼ 目赤不動
目白不動から神田川に出て、川沿いを江戸川橋まで。江戸川橋を渡って右折、くねくねと曲がった道を走る。途中、金剛寺坂を上って春日通りへ。伝通院前に出て善光寺坂を気持ちよく下る。この坂の途中には、道の真ん中に椋の老樹が立っている。なんでも切るとよくないことが起こるのでこのままになっているのだとか。白山通りから本郷通りに入れば、目赤不動のある南谷寺はすぐそこである。10時55分、南谷寺到着。
ここでは、御本尊の目赤不動を参拝することができた。
曲り角に立った牟礼田は、ふりむくようにして、とある高みを指さした。“日限地蔵”と名づけられて、線香や供花の飾られた社がその角にあることは、二人も気がついていたけれども、その上の小高い空地に建っている一本の標柱にまでは眼が届かなかった。そこには、くろぐろとした墨の字で、こう書かれていたのである。
目赤不動再建予定地
いちおう目赤不動には来てみたものの、『虚無への供物』のこの描写は、どう考えても南谷寺のものではない。日限地蔵は動坂の上にあったそうだから、標柱が立っているのは、今の駒込病院あたりだろうか?
南谷寺前に文京区教育委員会が立てた由来書には、「三代将軍家光から、現在の土地を賜り」とあり、江戸時代から同じ場所にあったように読めるのだが、「再建予定地」というのはどういうことなのだろう。戦災で焼けて、一時、動坂上に目赤不動を再建する計画があったが結局中止になった、ということなのだろうか?
本郷、動坂の都電の停留所から、追分に向って幅広いだらだら坂をのぼりつめると、右手に一宇の御堂があって、日限を切って願いごとをすれば霊験さらにあらたかという“日限地蔵”が祀られている。この場所には、戦前は別な草堂が安置されていたので、地蔵のほうは、涎掛の朱色も古びた路傍の石仏にすぎなかったのだが、昭和二十年四月の空襲を境に様相を変え、いまでは信者も殖えて、供花と線香の煙とが絶えない。
日限地蔵のほうも、今は作中で描写されている場所にはなく、1985年に徳源院という寺に移されている。『虚無への供物』の舞台となっているのは1954年〜55年。50年たてば街並みは大きく変わってしまう。
目赤不動でも御守を購入。次は三ノ輪の目黄不動に向かう。
▼ 目黄不動
目赤不動と目黄不動は案外近い。富士神社の前の通りを通って動坂を下る。西日暮里で山手線をくぐり、舎人線建設中の日暮里から日暮里中央通りを通って11時45分に三ノ輪。
永久寺――。
近頃では、ようやく五色不動の名が知られ始めたせいか、この寺も幟ようのものを掲げてその一である旨を記しているが、この当時は俗に“鼠不動”と呼ばれて、門前にもまだ、その由来を記した石碑が立てられていた。
(中略)
大通りに面してはいるものの、夜は人通りも少い片かげにひっそりと門をひらいているその寺の前で、亜利夫は不安げに足をとめた。
目黄不動永久寺は、五色不動の中でいちばんがっかり度の高い寺である。地下鉄三ノ輪駅のすぐそばで大通りに面しているのに、まったく参拝客もいない。門を入って正面にある建物は、お寺というより、こういうのがオシャレだと勘違いした人が建てた、ただの家にしか見えない。寺務所もしんと静まりかえっていて誰もいないし、御守も売っていない。
ただし、『虚無への供物』では、この界隈はけっこう重要な場所である。登場人物たちが集まる
――一九五四年の十二月十日、外には淡い靄がおりていながら、月のいい晩であった。お酉様の賑わいも過ぎた下谷・竜泉寺のバア“アラビク”では、気の早い忘年パーティの余興が始まろうとして、暖房のきいた店の中は、触れ合うグラスと、紫烟と人いきれで、熱っぽくざわめいていた。
竜泉寺、といっても、あの『たけくらべ』で知られた大音寺界隈ではない。日本堤に面した三ノ輪寄りの一角で、このあたりは、商店にしても蒟蒻屋とか炭団屋とか、手内職の麺麭工場などが軒を低く入り組んでいる、つましい装いの下町なので、バアだのキャバレエだのはおよそ場違いに見えるが、土地っ子のマスターは気にもしていない。
この描写からすると、“アラビク”があったのは、三ノ輪から土手通りを少し行ったあたりの西側だろう。このあたりの現在の地名は、西側が竜泉、東側が日本堤である。写真は日本堤一丁目交差点。この辺に“アラビク”があったものと思われる。このあたりは今でもマンションや小さな商店ばかりで、「バアだのキャバレエだのはおよそ場違い」である。
▼ ワンダランドへの誘い
さて、五色不動のうち3つ回ったからあと2つ……と思うのは甘い。五色不動は実は6ヶ所あるのだ。どういうわけか、目黄不動は三ノ輪と江戸川区平井の2ヶ所に存在するのである。目赤不動でもらった縁起書にも、目黄不動は2つ書かれている。というわけで、『虚無への供物』にはほとんど出てこないが、第2の目黄不動、江戸川区平井に向かう。
土手通りをまっすぐ南下して、吉原大門前を通過。言問橋で隅田川を渡る。実はこの言問橋界隈も、『虚無への供物』の舞台のひとつである。
「やっぱり、春が来たんだねえ」
言問橋を渡りながら、牟礼田は、そんな当り前のことをいった。
いかにも、のどかな春景色が、川沿いに遠くひろがっている。『乗合船』の書割りめいて、“柳、桜をこきまぜた”この隅田公園には、平日のせいもあるのだろう、子供づれの花見客がゆったりと往き戻りして、八分どおり咲き揃った花の、桃色ぼかしの雲の向うには淡い水色の空がどこまでものび、四人があとさきにつながって歩く土堤の上では、赤や黄のセルロイドの風車売りが、いっせいに風車を廻しながら何人もすれちがった。
(中略)
「どこか話のできるところはないかな」
そういって、のんびりと歩き始めたが、やがて皆が腰をおろしたのは、人気のない三囲神社の境内で、清浦奎五撰文『普国警察大尉ヘーン君表功碑』という、大きな石碑の前であった。
今では首都高速が公園の上を通っているなど周囲の風景はすっかり変わっているが、三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、『虚無への供物』の描写通り、人気なく深閑としている。牟礼田たち三人が腰を下ろして推理を繰り広げる『普国警察大尉ヘーン君表功碑』は、神社のいちばん奥の木陰に立っていた。
アップにしてコントラストを上げてみた。
碑の隣には、どういうわけか珍しい三角鳥居がある。東京では唯一か?
▼ 目黄不動 その二
この目黄不動にしても『東京五千年史』には、
“もと江戸川区最勝寺にありしといふ”
と記されているものの、その最勝寺には現在も別な不動像が祀られ、同じく目黄不動と呼ばれているというふうで、古い史料に拠っても、それは同じであった。
言問橋からは、北十間川、旧中川、と川沿いを選んで京葉道路まで。荒川に突き当たってからは、荒川沿いを北上すると、そこに目黄不動最勝寺がある。時刻は午後1時。
こちらの目黄不動は、三ノ輪より遥かに大きな寺である。もともとは本所にあったものが、大正12年にこの地に移転してきたものだというが、地元の人らしき年配の夫婦がお参りに来るなどかなり賑わっている。ただ、御守はここでも売っていなかった。
さて荒川沿いを走ればすぐにうちに帰れるのになあ、と思いつつ、次の目的地である目黒不動へと向かう。
最勝寺のすぐ近くには、なんだかプチ築地本願寺のようなデザインの善通寺があった。
浅間神社の富士塚。社もなんにもなく、鳥居を入るとただ塚だけ(頂上に石の祠はあるが)というのは珍しいんじゃないだろうか。
▼ S精神病院
実際は目黒に向かったのだけれども、もうひとつ行こうかどうか迷った場所がある。市川市国府台にあるS――精神病院である。
市川、国府台のS――精神病院。
(中略)
このS――精神病院には、大規模な薔薇園があり、軽症の患者たちの手で、およそ千五百株ほどの薔薇が栽培されているという話は、爺やの入院話の出た時だかに耳に挟んだことがあるけれども……
平井からなら10キロほどだろうか。行けない距離ではないし、ちょうど今頃は薔薇の季節だろうから薔薇園を見てみたくもあったけれど、そうなるともう五色不動とは関係なくなってしまうのと、持参した東京23区地図の範囲外だったこと、それから体力と気力を理由に、今回は断念。S――精神病院こと、式場病院のバラ園については、式場病院のページを参照、このバラ園を作った精神科医式場隆三郎については私が以前書いた文章を参照のこと。
▼ 目黒不動
平井の目黄不動から、今度は目黒へと向かうわけだけれど、これが遠い。新大橋通りを通って新橋あたりを目指したのだが、都心部を通る幹線道路だけに交通量が多く、しかも路上駐車の嵐。車道通行に慣れない私はついつい歩道を走ってしまいたくなるのだが、歩道にも人があふれているので歩くようなスピードでしか走れない。途中、築地を通ったので、ざぼんさんを参考に、場外市場で昼食をとったのだけれど、この時点ですでに2時。急がなくちゃ。
写真は、日本橋蛎殻町で見かけたレストラン。すごいネーミングセンスだと思います。
外堀通りから愛宕通り、桜田通り、目黒通りと大通りを走って疲労困憊。もっと交通量の少ない走りやすい道があるのかもしれないけれど、このあたりには詳しくないのでよくわからない。ようやく目黒不動に着いたのは、3時20分頃。
これまでのお寺と同じようにどうせまた閑散としてるんだろう、とたかをくくっていたら、目黒不動は、ものすごい人でごったがえしていた。境内には露店が並び、本堂へと上がる石段は人でいっぱい。なんと偶然にも、12年に一度の不動明王の御開帳が行われていたのだった。参拝して記念の御守を購入。御開帳は5月いっぱいまで。
あまりにも有名で俗っぽいからだろうか。『虚無への供物』には、目黒不動はほとんど出てこないし、何一つ事件も起こらない。亜利夫の自宅が目黒にある、と書かれているだけである。
「でも、ぼくのうちは目黒にあって、氷沼家は目白にあるんですよ」
本堂の前に立てられた木の柱の前には長蛇の列ができていた。この柱は「大塔婆」(おおとうば)と呼ばれ、御開帳の期間中立てられているそうだ。この大塔婆からは、「お手綱」(おてづな)と呼ばれる五色の綱が本堂の不動像の左手まで伸びており、垂れ下がっている綱の端に触れると、不動明王と深い縁で結ばれ、御利益があるという。
▼ 目青不動
目黒から目青もそれほど遠くはないのだが、入り組んだ道に迷ってしまって、けっこう遠回りをしてしまった。どうにかして三宿通りにたどりつき、北上して玉川通りに出る。このあたり、三宿から太子堂界隈も、『虚無への供物』の舞台のひとつである。昭和女子大をはじめとする連続放火事件が起きるのがこの界隈なのである。
――渋谷から玉川電車で、四つめが昭和女子大のある三宿、その次が三軒茶屋、そこから線は岐れて、左へ行けば駒沢から二子玉川へ、右が西太子堂を経て下高井戸という駅の順序だが、ぼくたちはまず三宿で降りた。とりあえず“朝日”に出ていた、あの薔薇園を尋ねようというのだ。
昭和女子大とは反対側の右手、電車通りにある鞄屋の角を折れるとすぐに、イギリスの名家マックレディの青い薔薇“ライラック・タイム”を輸入した、その三宿ガーデンが見え、数百株の薔薇が緑の葉をそよがせている。
三宿には薔薇園は現存しないが、三宿の交差点角には花屋があり、いろとりどりの花が風にそよいでいた。
「こんなところにあったんですね」
広い境内に歩み入りながら、ぼくは感慨深くいった。青い薔薇――目青不動――そして放火。なにかひどくとりとめもないようでいながら、牟礼田さんがしきりにいっていた奇妙な暗合の意味が、おぼろげながらも判るような気がする。
目青不動に着いたのは4時20分頃。目青不動のある教学院は、三軒茶屋の駅から目と鼻の先の距離にありながら、こんもりと繁った木々に包まれ、駅前の喧噪が嘘のように静まりかえっている。境内にいるのは、ぽつんと座っているおばあさん一人。本堂も社務所も扉を閉ざしていて、ここが目青不動であることを示すものは何一つない。時間が遅すぎたのだろうか。でもまだ5時にもなっていないし……。
あちこち歩き回って見つけた石の門柱に、ようやく目青不動の文字を見つけた。読みにくいけど、見えるかな?
ということで、突発的に敢行したツール・ド・五色不動は、今ひとつすっきりしない幕切れを迎えたのだった。とはいえ家に帰るまでが遠足なわけで、ここからまた交通量の多い道を延々と走って帰らなきゃいけない。結局、走行距離は86.47km。平均速度は16.1km/h。遅すぎです。
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2005-05-31 [Tue]
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あしべゆうほ原作、ではない。
黒魔術を正面から扱った、ハマーフィルムの1968年作品。DVDで鑑賞。原作はデニス・ホイートリーの『黒魔団』(国書刊行会)。脚本はリチャード・マシスン。監督は『吸血鬼ドラキュラ』などのテレンス・フィッシャー。主役はクリストファー・リー。実に豪華なメンバーである。
さすが原作がデニス・ホイートリーだけあって、黒魔術の場面はリアル。邪教集団のリーダーであり邪眼の持ち主であるモカタのモデルは、アレイスター・クロウリーらしい。サバトの場面では、なんと山羊頭のバフォメットまで地上に降臨してしまう。ここまで、いかにも悪魔らしい悪魔が出てくる映画を見たのは初めてだ。ただし、十字架を投げつけられただけで消滅してしまうくらいちんけな悪魔なのだが。クライマックスが今ひとつ盛り上がりに欠けているのが残念だが、全編に漂うクラシックで気品あふれる雰囲気といい、珍しく正義の味方を演じるリーが見られることといい、ホラー好きなら見て損はない作品である。
見ていて思い出したのは、同じクリストファー・リー主演の『ウィッカーマン』。ストーリー的に、『悪魔の花嫁』は『ウィッカーマン』と裏表の関係にあるといってもいい。リーは、『悪魔の花嫁』では邪教集団にとらわれた若者を助け出す正義の学者、『ウィッカーマン』では邪教を奉じて生贄を捧げる小島の領主と、正反対の役を演じているわけだけれど、やはり『ウィッカーマン』の方が生き生きしていて魅力的(★★★☆)。
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