式場隆三郎 しきば・りゅうざぶろう(1898-1965)

 式場隆三郎という精神科医がいる。別に日本の精神医学史に残るような業績は何一つないし、実際どんな精神医学書にも名前が出てくることはないのだけれど、この人は戦前から戦後にかけて、おそらく日本で最も有名だった精神科医である。
 私の手元には昭和36年に出版された『現代知性全集(49) 式場隆三郎集』という本(すごいタイトルだね)があるのだけれど、この全集に収められているメンバーはいえば、大宅壮一、和辻哲郎、小林秀雄、佐藤春夫、中谷宇吉郎……という面々。つまりは、当時はそうした錚々たるメンバーに伍する「知性」とみられていたということだ。
 この式場隆三郎先生、いちばん有名な業績はというと、あの「裸の大将」こと山下清を発見し、保護者兼プロデューサーとして売り出したこと。山下清作品集を何冊も刊行したり展覧会を開いたり、一緒にヨーロッパ旅行に出かけたりもしている。三島由紀夫とも親交があったらしく、三島は『仮面の告白』刊行直後、自らの同性愛傾向を認めた書簡を式場先生宛てにしたためている(何年か前にこの書簡が公開されて話題になりました)。
 生涯に書いた著書はなんと194冊。特にゴッホ研究の権威として知られ、ゴッホについては50冊以上の著書(まあ画集の解説文も含めてだけど)がある。『処女のこころ』『人妻の教養』などの女性向け実用書はベストセラーになり、「女性問題評論家」(って何?)としても知られていた……というのだけれど、おびただしい数の著書は今ではほとんど忘れ去られ、現在でも読まれている本はたったの一冊、「日本のシュヴァルの理想宮」とでもいうべき奇怪な建築について書いた『二笑亭綺譚』(ちくま文庫)のみ。
 しかも式場先生の活動はそんなものにはとどまらず、おそろしく多岐にわたっているのだ。若い頃には小説も出版しているし、民芸運動の父と言われる柳宗悦とともに日本民芸協会に参加したりもしている。昭和14年には頭脳薬品シキバ・ブレノンなる謎の薬品を創製、発売したりもしている。戦後になると、松方コレクションの返還と上野の国立西洋美術館設立に尽力したり、日刊紙「東京タイムス」を創刊して主筆兼社長になったり、日比谷出版社を創立して永井隆『長崎の鐘』をベストセラーにしたり、伊豆にホテル・オームロを建設して取締役社長に就任したり……という具合。なぜか帝国華道院会長に就任したり、日本ハンドボール協会会長になったりもしている。
 本業の精神科の方では昭和5年、32歳で静岡県大宮病院長に就任、38歳のときに市川市に国府台病院(現在の式場病院)を設立。どうも、医者としてはともかくとして、実業家、文筆家、芸術愛好家として、おそろしくエネルギッシュな人物だったようだ。
 彼が建てた式場病院は、今なお広大なバラ園で有名で、その庭は一般に開放されている。中井英夫の『とらんぷ譚』に登場する、バラ園のある精神病院「流薔園」は、この式場病院をヒントにしたものだろう。
 中井英夫は式場病院のバラ園について、いかにも幻想文学者らしく「それよりも何より嬉しいのはここが精神病院だということで、狂気と薔薇ぐらい(かた)みに映り合い(ひび)き合うものは少ないだろう」(「薔薇と狂気と」)と書いているのだけれど、式場隆三郎が自分の病院にバラ園を作った意図は、それとはまったく正反対のところにあったようだ。

 病院の敷地は一万二千坪ぐらいだが、そのうち約三千坪ぐらいをバラ園にした。(中略)バラは二千本ぐらいで、その種類は約六百種である。もとより、つるバラも多い。春の五月、秋の十月は病院の内外には、無数の美しいバラの花々が咲きそろう。(中略)精神病院らしい陰惨さをもたせないように、努力した。この意図はほぼ成功して、近くの子どもも親しんで入ってくるようになった。数年前の春のバラの頃、アメリカのある大学の精神病学者が視察に来たことがある。そのときちょうど市川市内の幼稚園のこどもたちが数百人も病院の庭へきて遊び、昼食をしているのだった。アメリカの医学者はびっくりしてしまった。世界中どこの精神病院も、いかめしい感じや、恐ろしい感じがして、おとなも近づかない。それなのにこの病院では、まるで遊山にでもいったように子どもたちが楽しく遊んでいるではないか。
(式場隆三郎「精神病院の緑化」 昭和35年)

 今でこそ地域との衝突や偏見の解消のため、精神病院の地域への開放が進められるようになってきたわけだけど、現在よりもはるかに精神病への偏見が強かった当時としてはきわめて先進的な発想といえるだろう。この一点だけでも、式場隆三郎は再評価されてもいいんじゃないかと思いますね。誰か式場隆三郎伝を書いてくれないものだろうか。
 ちなみに日本のレーサーの草分けである式場壮吉は彼の息子。そして、式場壮吉の妻である欧陽菲菲(『ラブ・イズ・オーバー』を歌った歌手)は義理の娘ということになる。

(last update 04/02/28)

辞典目次に戻るトップに戻る