2009-11-09 [Mon]
▼ 「天国のスプーンと地獄のスプーン」の出典
前回の「ドラッカーの95歳の詩」の例のように、「名言」や「いい話」の中には出典があやふやなまま流布してしまっているものが少なくない。
たとえば、ダーウィンは「最も強いものや最も賢いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残るのだ」とは言っていないし、アインシュタインは「ミツバチがいなくなったら、人類は四年で滅亡する」とは言っていない。二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」などとは言わない。
「誰が言ったかは重要ではない、大切なのは内容だ」という立場もあるだろうが、私はそういう立場はとらない。誰が言ったのかは重要である。95歳のピーター・ドラッカーが言ったのと64歳のドン・ヘロルドが言ったのでは受け止め方が違ってくる。
以前、別の場所にも書いたことがあるが、出典があいまいな「いい話」の代表格として、「天国のスプーンと地獄のスプーン」という話がある。
有名な話なので知っている人も多いと思うが、いちおう紹介しておこう(引用は生きる言葉 :名言・格言・思想・心理による)。
ある日,地獄へ行ってみると,たくさんの亡者が丸いテーブルを囲んで座っています。テーブルの上にはたくさんのごちそうが並べられているのに,亡者たちはそれを食べることができず,飢えに苦しんでいました。よく見ると,亡者たちの片腕が椅子に縛り付けられ,もう一方の腕にはものすごく柄の長いスプーンがくくりつけられています。亡者たちは,懸命にテーブルの上の食べ物をスプーンですくって食べようとするのですが,柄が長すぎて口にもってくることができません。ということは,地獄には食べ物がないわけではない。食べ物があっても食べられないから,そこが地獄なのです。ところが,あるとき天国へ行ってみると,人々はごちそうのならんだ丸いテーブルを囲み,互いににこにこ笑いながら話し合っています。飢えなどまったく関係ありません。見ると,地獄と同じようにみんな片腕が椅子に縛りつけられ,もう一方の腕に柄の長いスプーンがくくりつけられています。なのに,どうしてこんなに地獄と違うのでしょうか。
見ていると,天国の人たちは,スプーンですくった食べ物を自分の口に入れようとはしていません。テーブルの向かい側の人の口に入れてあげているのです。向かい側の人たちは,こちら側の人の口に入れてくれています。 そう、天国の人たちはお互いに助け合いながら生活しているのです。
トルストイ「天国と地獄」
こんなふうに、トルストイの「天国と地獄」が出典と書かれている場合も多く、TOSS(教育技術法則化運動)のサイトでも「トルストイの名作「天国と地獄」を通して,子どもが真剣に考える授業」とあるが、実のところトルストイに「天国と地獄」という作品はない。生徒から「この話はトルストイのどの本に載ってるんですか?」と質問されたら、先生はどう答えるんだろうか。「いい話」だから出典は間違っていてもいい、という態度は、疑似科学を道徳の授業に使うのとそう変わらないのではないか。
また、出典がダンテの『神曲』であるという主張もある(シルバーバーチは語るより)。
本当の生命原理の鉄則と言うのは、お互いがお互いのために自分を役立てるということなんですよね。「ダンテの神曲」の中の長いスプーンで食べる食事風景の話って知っていますか?鈴木:知らないです。
有希:お話の中に天国と地獄の食事風景があるらしいんですよ。で、天国にも地獄にも同じように丸いテーブルがあって、そこにはご馳走が山のように積んであって、その回りにみんな座って食事をするんですけど、みんなお腹ペコペコなんです。でも、そこに長いスプーンが置いてあって、これで食べなければいけないという規則があるんです。地獄の方はどうかというと、一生懸命食べようとするんだけど口に入れようとするとポロポロこぼれてしまうんですね。それぐらい長いスプーンなんです。なかなか食べられないから、お腹は空いたままだし、残り少なくなってくると、我先に取ろうとして争いがひどくなってくるんです。では天国はどうかというと、自分はペコペコなんだけど、回りの人もお腹が空いているように見えると、自分は後でいいからと言って反対側の人に食べさせてあげるんです。そうすると相手も自分に食べさせてくれるんですね。食事が無駄にならずに、すぐお腹がいっぱいになったという、そういう話なんです。だから、本当にお互いがお互いのためにしているだけで、すぐに充実するし、何も無駄はないし、いさかいも起こらないということを教えてくれてます。これってすごくいい話だなぁと思ったんです。金八先生でもやっていましたね。
長田:そうなんですか。
有希:ええ(^・^)
ペ:ダンテの話だとは知らなかったな。仏教の話だと思っていました。
ダンテの『神曲』は最近河出文庫版を読んだばかりだが、そんな場面はなかった。ついでにいえばダンテの地獄はそんなに生ぬるいものではない。
一方、仏教ではスプーンが箸に変わり、「三尺箸の譬え」という名で知られており、お坊さんが説法などで使うことがあるようだ。「三尺三寸箸」(なぜ三寸伸びたのかは不明)という和食レストランチェーンの名前にもなっている。しかし、「地獄・極楽の食事風景」というページで検証されているとおり、この寓話で描かれる地獄と極楽は、正統的な仏教の地獄・極楽風景とはかなり異なっている。また、検索したかぎりでは、この説話が「三尺箸の譬え」という名前で知られるようになったのはかなり最近のことのようである。
私の知るかぎり、この寓話が仏教方面で最初に使われたのは、鎌田茂雄『華厳の思想』(1983年)という本である(講談社学術文庫版でp.167-168)。
比喩の話で、地獄と極楽とどこがちがうかというと、どちらも同じように円卓につき、ごちそうがいっぱい並んでいるが、地獄の人たちは椅子に坐り左手は縛られていて、右手だけに長いスプーンが結びつけられている。それで「めしを食え」と鬼に言われる。さあ、食べようと思っても、椅子に固定して縛られて、長いスプーンなので遠くのごちそうしか届かず、それをすくって食べようとすると、パーンとみな背中にいってしまって口に入らない。背中はごちそうのくずだらけだが、みな痩せ細って、「おまえがぶつけたからこっちへいった」と言ってどなる、「なんだ、おまえぱかり伸ばすからおれが取れない」とどなる。
ところが極楽は、まったく同じ場面だが、こちら側のA君は円卓の向かい側のB君に、「お先にどうぞ」といって、長いスプーンにごちそうを入れてB君の口にやる。B君はそれをいただいて「ありがとうございました、お先にいただきました。それでは……」といってB君もまた長いスプーンでごちそうをすくって「さあ、どうぞ」とA君にやる。A君も、「どうもありがとう」といただく。
地獄と極楽は同じ舞台設定なのだが、極楽の人はみなニコニコしておいしいものを食べ合っている、地獄の人は全部背中へとばしている。同じ舞台であっても、ちょっとした悲の動きによって地獄にも極楽にもなるのだということをよくいうが、まさに法蔵が、なぜ頓教ではいけないのか、なぜ円教でないといけないのかというのは、仏国土の現成ということを考えているわけである。
ここでは箸ではなくスプーンとなっているが、出典は特に記されていない。
では海外ではどうなのか、と調べてみると、やはり前回の老人の詩と同じ『こころのチキンスープ』という本に行き着く。さらに"long","spoon", "hell"などでサーチしてみると、アーニー・ラーセンというアメリカの説教師のページなどいくつかのサイトが見つかるが、出典はあいまいである。
さらにいろいろと探してみてようやくたどりついたのが、アーヴィン・ヤーロムという精神科医が書いた『集団精神療法の理論と実践』(Theory and Practice of Group Psychotherapy)という本である。この本の冒頭に、こんな説話が書かれているのである(訳は筆者)。
ユダヤ教敬虔主義の古い説話がある。天国と地獄について神と対話をしたラビの話である。「地獄を見せてあげよう」と神は言われ、ラビをある部屋に案内した。部屋の中央には大きな丸いテーブルがあり、まわりに座る人々は飢えて絶望した様子だった。テーブルの真ん中には、全員に行き渡るくらいの量のシチューが入った大きな壺があり、おいしそうな匂いにラビは思わず唾を飲み込むほどだった。テーブルのまわりの人々はとても柄の長いスプーンを持っていた。そのスプーンでは壺からシチューをすくうことはできるが、スプーンの柄は腕よりも長いので、口に運ぶことはできないのだった。ラビは彼らがひどく苦しんでいる姿を見た。
「それでは、天国を見せてあげよう」と神は言われ、ラビと神は別の部屋に向かった。その部屋は、最初の部屋とまったく同じに見えた。同じ大きな丸いテーブルがあり、人々は同じように長い柄のスプーンを持っていた。しかし彼らは満ち足りてふっくらとしていて、笑いながら話していた。最初、ラビはどうしてなのか理解できなかった。神は言われた。「簡単なことだ、彼らはお互いに食べ物を与えあうことを学んだのだよ」
ヤーロムといえば、集団精神療法の第一人者である。さらにこの本は、集団精神療法のバイブルともいわれていて、1970年の初版以来現在まで何度も版を重ねている名著(ただし日本では未訳)。この本を読んだ数多くのセラピストたちが世界中に広めた可能性は高そうである。
気になるのは「ユダヤ教敬虔主義の古い説話」(原文では"Old Hasidic story")という部分だが、ヤーロム自身ユダヤ人であり、ユダヤ教についてそういい加減なことをいうとは思えない。また、この寓話で描かれる地獄像は、キリスト教の地獄にも仏教の地獄にも合致しないが、はっきりとした天国・地獄の概念のないユダヤ教のものと考えると、なるほどしっくりとする。
それでは本当にユダヤ教の説話にこの話があるのだろうか、と調べてみると、1966年に出版されたユダヤ教徒向けの聖書(もちろん旧約だ)の注釈書"The Rabbi's Bible"に、地獄では長いスプーンとフォークで食事をするという寓話が出てくるのである(天国については書かれていない)。ユダヤ教の説話であるというのは間違いないようだ。
さらに、Mosh Krancという人物の"The hasidic masters' guide to management"というユダヤ教徒向けの経営書には、ロムシショクのラビ・ハイム(Rabbi Haim)という巡回説教師の語ったエピソードとして描かれている。このバージョンでは、スプーンは特に長くはなく、そのかわり腕に添え木を当てられて曲げられないということになっている。
ロムシショクとは、ルンシスケスとも呼ばれるリトアニアの村である(かつてはユダヤ人村だったがホロコーストで住人は殺され、1950年代にはダム湖に沈んだ)。さらに調べるとRabbi Chaim from Rumshishok(1813-1883)という説教師が実在し、比喩に富んだユーモラスな説法で有名だったというから、もしかするとこの人物がこの寓話を生み出したのかもしれない(確証はない)。
ともあれ、もともとはユダヤ教の説話で、1970年に精神科医アーヴィン・ヤーロムが著書に書き、それがきっかけで世界に知られるようになったようだ、というのが現時点での結論である。
どうでもいいが、私としては、腕にスプーンをくくりつけられたり添え木を当てられたりするホラー映画みたいな天国は、いくら天国だろうが御免被りたいところである。
2009-11-02 [Mon]
▼ 「95歳の老人の詩」の本当の作者
経営学者のピーター・ドラッカーが95歳に亡くなる直前に書いたとされる詩がネット上のあちこちで引用されている(たとえばピーター・ドラッカー95歳の詩 - Apelogなど)。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
しかし、これは本当にドラッカーの作なのだろうか?
疑問をもったらまず原文にあたってみるのが基本なので、いろいろと検索して調べてみたのだけれど、奇妙なことに、いくら探してもドラッカーの原文はどこにも見つからない。
ただし、非常によく似た文章がナディーン・ステアという85歳の女性の作として流通していることがわかった。
人生をもう一度やり直すとしたら、今度はもっとたくさん失敗したい。
そして肩の力を抜いて生きる。もっと柔軟になる。
今度の旅よりももっとおかしなことをたくさんする。
あまり深刻にならない。もっとリスクを冒す。
もっと山に登ってもっと川で泳ぐ。
アイスクリームを食べる量は増やし、豆類の摂取量は減らす。
問題は増えるかもしれないが、想像上の問題は減るだろう。
というのも、私は毎日常に良識ある人生をまともに生きてきた人間だからだ。
もちろん、ばかげたことも少しはやった。
もし生まれ変わることがあったら、ばかげたことをもっとたくさんやりたい。
何年も先のことを考えて生きる代わりに、その瞬間だけに生きたい。
私はどこに行くにもいつも万全の準備を整えて出かけるのが常だった。
体温計や湯たんぽ、レインコートなしにはどこにも行かなかったものだ。
人生をやり直すとしたら、もっと身軽な旅行をしたい。
もう一度生き直すとしたら、
春はもっと早くから裸足で歩き出し、秋にはもっと遅くまで裸足でいる。
もっとたくさんダンスに出かける。
もっとたくさんメリーゴーラウンドに乗る。
もっとたくさんのディジーを摘む。
それぞれの瞬間をもっとイキイキと生きる。
これは、サンドラ・マーツ編『間違ってもいい、やってみたら』(講談社)、ジャック キャンフィールド他編『こころのチキンスープ』(ダイヤモンド社)、ラム・ダス『人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう』(ヴォイス)など多くの本に引用されている有名な文章である。原文もすぐ見つかる(ただし原文は"I would pick more daisies"で終わっているので、最後の一文は蛇足)。「ドラッカー作」の詩はどうやらこれを改変したもののようだ(ドラッカーが盗作したと考えるよりはその方が自然だろう)。
実は、この文章が日本でピーター・ドラッカーの作として流通するようになったきっかけははっきりしている。2005年11月14日に発行された「超一流の年収を稼ぐスーパービジネスマンになる方法」というメルマガである。
今週は少々趣きを変えて、インターネットで見つけた95歳の老人の詩を ご紹介します。この文章はこの方でなければ絶対に書けない名文です。
私たちへの遺書だと思ってお読みになると、何某かのインスピレーションを シェアし合えると思います。
■もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、もっとたくさん冒険をし、行ったことのない場所にも もっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
【中略】
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、 秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの 子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
見ての通り、「ドラッカー作」とされる詩とほぼ同じである。
しかも、「ドラッカー作」の詩では、このあとにメルマガの筆者が書いた、「今日のポイント」の部分まで詩の一部にしてしまっている。私にはこれはどう考えても説教臭い蛇足としか思えないのだが。
■今日のポイント■私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を 思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、 無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがあるんだ。
メルマガをよくみればわかるのだけれども、この詩がピーター・ドラッカーの作とはどこにも書いていない。
しかし、同じメルマガの編集後記にはこんなことが書いてあるのである。
現代経営学の父ピーター・ドラッカー氏が亡くなりました。
95歳まで教壇に立ち続けた氏はインタビューで次のように語っています。
「私は誰かに学んだのではない。いつも多くのことに興味があり、 その真実を探りながら、手繰り寄せたものを人に教えていただけだ。 すべてのことを、私は人に教えながら学んだにすぎない」
ドラッカー氏以外は言えない言葉かもしれません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
これでは、引用した詩もドラッカーの作と勘違いする人が出ても当然というものだろう。
メルマガの筆者は、1年後に発行した号で、
以前、私がインターネット検索で見かけ、感動して、このメルマガでご紹介した『95歳の老人の詩』を覚えておられるでしょうか?
その後、「この詩の全文が知りたい」「タイトルは?」「何の本に掲載されているのでしょうか?」「作者はピーター・ドラッカーなのでは?」等々・・
予期せぬ質問メールが殺到したものの、詳細がわからずそのままになっていたのですが・・・
先週、読者のMさん(他2名の方からも頂きました、ありがとうございました)からお答えメールを頂戴しましたので本日はその本をご紹介します。
この作者は85歳の女性の方なのだそうです。
年齢もそうですが、てっきり作者は男性の方だと思いこんでいました。 (申しわけありません、自分の中でも丁度この日に亡くなった経済学者のピーター・ドラッカー氏と無意識にかぶってしまった点があったようです)
と書いているのだけれど、訂正もむなしく、ネット上ではドラッカー作ということになって一人歩きしてしまったようなのだ。
ということで、この詩がドラッカーの作ではないのは確実である。それではこの含蓄ある詩の真の作者であるナディーン・ステアとは誰なのだろうか。
1982年に出版されたBobbe L. Sommer著"Never ask a cactus for a helping hand!"という本には「ケンタッキー州ルイヴィルに住む85歳のナディーン・ステア」の作とある。ナディーンさんはアメリカ人女性らしい。また、この本では詩ではなくてエッセイとして掲載されており、この文章はもともと詩ではなかったことがわかる。
そして決定的な証言が、バイロン・クロフォードというコラムニストが書いた"Kentucky Stories"という本にある。
ナディーン・ステアの文章を読んだケンタッキー州在住のクロフォード氏は、電話帳で作者の名前を探して感動を伝えようとしたのだが、電話帳にはナディーン・ステアの名前はなかった。そこで電話帳にあるステア姓の番号にかけてみたが、ナディーンという女性はいなかった。電話に出たのはローラ・ステアという女性で、この14年間というもの、全米から週に1回は転載許可を求めて電話がかかってくるのだとか。
ただし、ローラ・ステアは文章を書いた人物を知っていた。電話がひんぱんにかかってくるようになって何年かした後、ローラはナディーン・ストレイン(Nadine Strain)という名前を小耳に挟み、もしかしたら、と電話をかけてみたところ、まさにエッセイを書いた当人だったのだという。エッセイの初出は1978年3月27日の"Family Circle"という雑誌で、このときに名字を誤記されたのだった。ナディーン・ストレインは熟練したピアニスト兼オルガニストで、高齢者演劇サークルのメンバーでもあった。ナディーンはたいへん謙虚な女性で、自分の短い文章のおかげでステア家に大量の間違い電話がかかっていたことにとても驚いていたそうだ。ナディーンはほかにはまったく文章を書いたことがないという。
ナディーン・ストレインは1988年に老人ホームで死去。遺体はルイヴィル大学医学部に献体として贈られたそうだ。
日本ではピーター・ドラッカー作といわれ、本国アメリカでもナディーン・ステアと名前を誤記されたまま。とはいえ、アメリカの片隅でひっそりと亡くなった市井の女性の叡智は、今も語り継がれている。自分の文章が経営学の権威が書いたことにされていると知ったら、慎み深いナディーンはきっと微笑んでくれるんじゃないかと思う。
【追記】
……と終われば美しかったのだけれど、実はこの先がある。
この文章はどうやらナディーン・ストレインのオリジナルではないようなのだ。ナディーンの文章は、ユーモリスト、エッセイスト、風刺漫画家として活躍したアメリカのドン・ヘロルド(1889-1966)という人物がリーダース・ダイジェストの1953年10月号に掲載したエッセイに酷似しているのである。両者を比較したページもあるが、これは確かにインスパイアなどと言い逃れできないほどそっくりだ。おそらく、ヘロルドのエッセイを下敷きにして、ナディーンはこの文章を書いたのだろう。
ドン・ヘロルドは、皮肉の効いた名言をたくさん残した人物で、
「仕事はこの世で最高のものだ。だから、少しは明日のためにとっておこうではないか」
「貧乏には、楽しいことが沢山あるに違いない。 でなければ、こんなに沢山の人が貧乏であるわけがない」
などの言葉がある。95歳の経営学者ではなく、こうした言葉を残した64歳のユーモリストの書いた文章だと思って読めば、冒頭に引用したエッセイの見方もちょっと変わってくるんじゃないだろうか。
なお、ドン・ヘロルドのエッセイはスペイン語に訳され、1989年にPluralというメキシコの雑誌に85歳の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩として掲載されて以来、スペイン語圏でも間違って引用され続けているとか(85歳が強調されているところをみると、ナディーンの文章を訳したものと思われる)。
名言に権威づけをしたがるのは日本もメキシコも変わらないらしい。
2009-09-26 [Sat]
▼ セドナ旅行5日目
さて実は昨日から宿を移り、市街地からかなり離れたエンチャントメント・リゾートというホテルへ移動している。ボイントン・キャニオンという渓谷の中にある広大な敷地をゆったりと使って作られたリゾートである。建てられたのは1987年とけっこう古いが、2006年にリノベーションされていて、古さはそれほど感じられない。無線LANも完備されてるし。
なんでもここボイントン・キャニオンは「ボルテックス」のある聖地だとかで、建設時には反対運動も巻き起こったとか。ホテルのマークが様式的なインディアンの横顔だったり、テントを模した瞑想ルームがあったりと、ネイティヴ・アメリカンと癒しのイメージがうまく使われたリゾートだ。
土地を奪っておいてイメージだけを勝手に使うとは盗人猛々しいという気もしないでもないが、たいへん居心地がいいリゾートなのは確かだ。ここにいると、まあ、難しいことはともかく、気持ちいいんだからいいじゃん、という気分になってくる。
敷地内には客室コテージが点在、あまりにも敷地が広いので荷物を運ぶためゴルフカートのような車が走り回っている。まったくの山の中なので、夜は天の川がくっきり見えるくらい星がきれいだし、敷地内では鹿や野兎が跳ねているのも見た。まさにおとといは兎、きのうは鹿……ってやつだ(わからないひとはいいです)。
さて、実は昨日の午前中はカセドラル・ロックという岩山に登るはずだったのだけれども、10日ほど前に大雨による土砂崩れが起きてまだ復旧が終わっていないとのことなので中止。せっかく歩く気満々でセドナにやってきたというのに、これでは私のやる気が収まらない。そこで今日は、ホテルのすぐそばにあるボイントン・キャニオン・トレイルという約4キロのトレッキングコースを歩いてみることにした。雲ひとつないアリゾナでは、日中は暑くて死ねるので、出発は早朝。
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写真はホテルからトレイルの入口。カードキーで門があく。右端の岩は2日目にも見たカチーナ・ドール。2日目に行ったところとは岩を挟んでちょうど反対側にいることになる。
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トレイルから見たホテル全景。
見上げれば赤い岩山、近くには緑の木々、物音に振り向けば鹿の親子が道を横切っていたりする。日本に比べれて乾燥しているので、汗もそれほど出ない、歩いていてたいへん気持ちのいいコースである。
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しかしわれわれときたら、筋金入りのインドア派であり、日本ではほとんど体を動かしたこともない自他共に認める運動不足。道は比較的平坦なのだけど、行けども行けども終わりが見えず、「ここが俺たちにとっての終点だ」と宣言して途中で引き返そうかと思ったこと数回。山道からさっと見晴らしのいい場所に出て、ついに"END OF TRAIL"の看板に出会ったときのわれわれの喜びときたらもう言葉では言い表せないほどであった。
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往復約8キロの道のりを4時間弱で歩ききり(遅いね、いくらなんでも)、勇躍ホテルに帰り着いたわれわれを待っていたのは、WATSUである。
WATSUとは何か。WATER + SHIATSUの合成語で、ストレッチと指圧を組み合わせた水の中で行うマッサージの一種だそうである。日本人ではとても思いつかない略し方からもわかるように、開発者はアメリカ人のハロルド・ダルという人物で、すでに30年近くの歴史があるとか。私もよく知らないのだが、妻がここのスパは有名なのでぜひここで施術を受けたいというので、「自分だけずるいずるい」と駄々をこね、私も受けることにした。
水着を着て予約した時間にスパに行くと、体格のいい男性セラピストが迎えてくれた。スパの屋上にある小さなプールに入り、両足に重しをつけ、シリコーンの耳栓を入れる。後ろから抱えられるような体勢で、プールの中でぐるぐると引き回されるのである。体の力を抜き、ふわふわと海藻のように漂うのは確かに気持ちがよくて、目を開けると青空と赤土の山が目に入ってきてたいへん爽快。ときどき手足を曲げ伸ばししてくれたり、背中や頭のツボを押してくれるのだが、指圧というより触ってるだけという感じで、これは日本人的にはとてもマッサージとは思えない。
ただ、ぐるんぐるんとプールの中を回されるので、これがだんだんと気持ち悪くなってくるのだ。抱きかかえられて背筋を曲げた体勢になったときなど、胃を圧迫されて思わず戻しそうな気分になるのだが、ここはプールの中、そんなことをしたら大惨事である。プールは使えなくなりあとの客にも影響が出る、と思うとぐっと我慢するほかない。
1時間のセッションの後半はひたすら気持ち悪く、WATSUはもう二度とやらない、と心に誓ったのだけれども、いくらぐるぐると回しても口と鼻は常に水上に出してくれていたその技術はさすがとしかいいようがない。
物心ついて以来、男性とこれほど密着して接したのは初めてだということも付け加えておきたい。
2009-09-25 [Fri]
▼ セドナ旅行4日目
この日の午前中は、ホーリークロス教会やスライドロック州立公園など、セドナ近郊の名所をいろいろ回る。ホーリークロス教会は、フランク・ロイド・ライトの弟子だという女性デザイナーが私費を投じて建てたもの。ただし彼女が建物を設計したのは後にも先にもこの教会のみで、弟子というより一方的な信奉者に近いという。
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教会から見下ろすとたいへん目立つ豪邸は、ガイドさんによれば、レーシックを発明したルーマニア人眼科医のものだとか。ただし、調べてみてもレーシックの発明者に、該当しそうなルーマニア人は見あたらないので、ほんとうかどうかはわからない。
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水がきれいなスライドロック州立公園では、中米系の太った子供が川を滑って遊んでいた。なんでスライドロックというんだろうと思っていたのだけど実際に見て氷解。岩を滑るからなんですね。それにしても太りすぎだ。
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午後は、シャトルバス(無料!)に乗って、テラカパキやヒルサイドといったギャラリーやショップが並ぶ地区を回ってみた。このあたりはセドナ市内でもおしゃれっぽい地域で、売られているものも絵画や彫刻などアップタウンに比べて高い。
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しかし、そんなおしゃれなテラカパキ地区の道路を挟んだ向かいに、セドナUFOストア(通販もやってますよ)にクリスタル・キャッスルという怪しげなショップが並んでいるのがおもしろいところ。
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このUFOストアには、エリア51Tシャツだの、地元のUFO研究家が書いたガイドブックだのが売られていた。
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こうして写真を並べてみるとなおさら感じるのだけれど、セドナというのはどうもテーマパークじみた町である。ネイティヴ・アメリカンの聖地という触れ込みで、町にはドリームキャッチャーやカチーナなど、ネイティヴ・アメリカンが作ったみやげ物があふれているにも関わらず、実際のネイティヴ・アメリカンはここにはほとんどいない(地価が高く住めないのだ)。ここに住んでいるのは白人の年配者がほとんどで、その他の人種はごく少数。観光客も白人が圧倒的に多い。トレッキングやジープツアーなどさまざまなアトラクションが用意されているが、町全体に生活感がなく、ゴミ一つ落ちていない。この町は、白人のための、ネイティヴ・アメリカンと癒しのテーマパークなのである。
セドナにはサンダーマウンテンという岩山がある。観光ガイドは必ず、セドナに滞在していたウォルト・ディズニーがこの山を見てビッグサンダーマウンテンを思いついた、という話を紹介してくれるのだけれど、この話はかなり疑わしいと私は思う。
ウォルト・ディズニーがセドナに滞在したのは40年代から50年代頃のことらしい。ディズニーが亡くなったのは1966年。一方、ビッグ・サンダー・マウンテンは1974年頃から計画が立てられ、オープンしたのは1979年。デザインしたのはトニー・バクスターという社員である。これだけ年代が離れていると、さすがにディズニーが思いついたとは言いがたいのではないか。
また、セドナがネイティヴ・アメリカンの聖地であるという言説もかなり疑わしいと思っている。確かにネイティヴ・アメリカンがこのへんに住んでいた跡は残っているのだけれど、聖地であるという証拠はどこにもない。ここが聖地だという話は、すべてこの地にニューエイジの人たちが集まってきてからのものなのである。
セドナがニューエイジの聖地になったのは1980年頃からのこと。そうなるに至った過程のあるエピソードは、日本ではあまり知られていない話なので、紹介してみたい。
1940年代にセドナに広大な牧場を購入し邸宅を建てたのが、トランスワールド航空(TWA)社長のジャック・フライ。TWAは当時大富豪ハワード・ヒューズに買収され、潤沢な資金を背景に大躍進を続けていた。邸宅を含む牧場の敷地のごく一部が、現在はレッドロック州立公園になっている。
ジャック・フライ社長の妻ヘレンは、アメリカ屈指の大富豪であるコーネリアス・ヴァンダービルト4世の元妻という人物で、芸術家としてセドナの最初のアートセンターを作ったメンバーの一人でもある。
ジャックとヘレンは1950年に離婚。ヘレンは引き続きセドナに住み続けるが、70年代になるとヘレンはエッカンカー(Eckankar)というニューエイジ教団にのめりこむようになってしまう。莫大な財産を持ったヘレンはエッカンカーにとっては重要メンバー。どういう経緯かは明らかでないが、1976年にヘレンは邸宅と牧場を教団に贈与。その後ヘレンは自宅を買い戻そうとしたが叶わなかった。1979年にヘレンは死去。遺族と教団との泥沼の法廷闘争の末、土地と邸宅は結局教団のものになってしまったのである。
セドナがニューエイジの聖地になった背景には、こんな生々しい話もあった、というわけである。
2009-09-24 [Thu]
▼ セドナ旅行3日目
翌日は現地ツアーでグランド・キャニオンへ行ってみる。ほらやっぱり定番だし一度は見ておきたいと思うじゃないですか。セドナはこのあたりの観光の中心地なので、いろいろとツアーが出ているのだ。
参加者はアメリカ人のお年寄りが多くて日本人はわれわれ二人だけ。やっぱり普通のアメリカ人は車で行くんだろう。
さて初めてみたグランド・キャニオンなのだけれども、ひとはあんまり巨大すぎるものを見ると遠近感がつかめず実感が湧かなくなるもので、なんかやたらとでかいという感想しか持ちようがない。だいたい動きも何もないのでマット画だったとしても区別がつかない。
送信者 sedona |
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というわけでグランド・キャニオンについては特にこれ以上話すこともないので、スカンクの話をする。スカンク。
セドナ周辺はスカンクが多いところである。フラッグスタッフへの道路を走ると、かなりの頻度でスカンクの死体が転がっているのを見かける。車に轢かれたのである。スカンクといえばくさい屁なのだけど、実際その臭いはたいへんなもので、死体の脇を通るだけで車の中に臭いが漂ってくるくらい。実際に轢いてしまったりすると、臭いがとれず車は売るに売れなくなりたいへんだそうだ。
ホテルに戻ってからも、駐車場にスカンクが出てホテルの人に追い払われている場面に遭遇。ハチ公物語をリメイクした『HACHI』という映画で、庭にスカンクが現れてリチャード・ギアが慌てるという場面があったのだけど、実際田舎町であれば町中にスカンクが現れるのは珍しいことではないのかも。
ナヴァホ族居留地の中にあるキャメロンという町のみやげ物屋に寄って(やっぱり並んでいるのはカチーナとかドリームキャッチャーとか。でもカチーナはナヴァホ族じゃなくホピ族では?)、夕方にはセドナに帰り着き、夕食はメキシコ料理店で。さすがアメリカだけあって、どこのレストランでも分量が多くて、だいたい前菜とメインを一皿ずつ頼んでふたりで分けて食べればちょうどいい感じ。あと、ビール好きからすると、どこのレストランにも地ビールも含め複数種類のビールがあって、エールやスタウトなどが飲めるのがうれしい。日本だとラガービールしか選択肢がないからなあ。それから禁煙が徹底しているのもたいへんうれしい。
アメリカではペットボトルや缶の飲み物といえば、甘ったるいソフトドリンクしかない(水を除いて)と思っていたら、アリゾナ・グリーン・ティーという飲み物が売られていた。どうやらアメリカでは緑茶が健康飲料としてブームになっているらしい。さっそく買ってみたら、これが緑茶というか、お茶にたっぷりの蜂蜜を入れて朝鮮人参で味付けした代物。いやお茶がいくら健康にいいと言ってもこんなに甘くしちゃ台無しだと思うのだけど。
2009-09-23 [Wed]
▼ セドナ旅行2日目
2日目の午前はボルテックス・ツアー。セドナ周辺のボルテックス(大地のエネルギー湧き出ずる処)とされている場所を回りましょうという企画だ。われわれ夫婦は、一人旅の日本人女子(このへんはほんとうにそういう観光客が多い)と一緒にボイントン・キャニオン、エアポートメサ、あともうひとつどこか忘れたが三ヶ所のボルテックスを回った。
下の写真はボイントン・キャニオンで、左端に突き出た岩はカチーナ・ドールと言われているもの。
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ボルテックスとされる場所でわれわれが寝転がったり座ったりしている脇で、ネイティヴ・アメリカンの方が笛を吹いたり太鼓叩いたりしてくれるのである。なんじゃそりゃと思われるかもしれないが、そういうツアーなのだから仕方がない。
この通訳さんがなかなか強烈で、スピリチュアルな世界にどっぷりつかった、まさに筋金入りのトゥルー・ビリーバーという感じの方。
たとえば「江本さんの本を知ってますか?」といきなり言い出す。
江本さん?
「水にありがとうというときれいな結晶ができるんです」
ああ、水伝!
私がちょっとニヤリとしかけたのに目ざとく気づいたのか、通訳さんはむきになったように早口でまくしたてる。
「日本では賛否両論あるようですけど、私は信じてますから」
セドナは空がきれいで飛行機雲がくっきりと浮かび上がるのだけれど、彼女がそれを見て「アメリカにはなかなか消えない飛行機雲があって、ケムトレイルというんです。アメリカでは周知の事実なんですが、ワクチンを高く売るために豚インフルエンザのウィルスを政府が空から撒いてるんです」と言い出したときにはもう、どう反応していいやらたいへん困った。今度は陰謀論ですか。
彼女にセドナに来たきっかけを尋ねたら、「離婚です。夫がわたしのスピリチュアルな世界を理解してくれなくて、3年前にセドナに来たんです」とのこと。
ああセドナに来てよかったね、と心から思った。別に皮肉でもなんでもなく、彼女が受け入れられる場所があって本当によかった。彼女のような人は日本では生きにくそうだから。
結局、ボルテックスが何なのかは最後までよくわからなかったのだけれども。
写真は、エアポートメサから見たセドナの住宅街。緑の中にさりげなく隠れるようにして住宅が点在している。
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そして午後には、私のたっての希望でスケジュールに組み込んだ場所へ行くことに。
セドナから北へ車で40分行くと標高2100メートルの高原の町フラッグスタッフに着く。そこからさらに高速道路を西に向かうこと50分、まったくなんにもない荒野の真ん中に突如現れるのが地球にあいた巨大な穴、バリンジャー隕石孔、またの名をアリゾナ大隕石孔である。
約5万年前、20〜30mの隕石が落下してできた、直径1.2キロメートル、深さ170メートルの巨大な穴である。
ここは、私にとっては子供の頃に見た科学図鑑には必ず載っていた憧れの場所なのだ。
現地での呼び名はシンプルに"Meteor Crater"。隕石孔といえばここ以外ないね、という実に傲慢な態度である。さすがアメリカ。
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クレーターの脇にはヴィジター・センターがあって、隕石やクレーターについて、写真や映像でかなり充実した説明がなされている。シアターもあって、隕石孔について解説する10分ほどの映画が繰り返し上映されているのだけど、それを見ていて驚いたことがひとつ。その映画のナレーターは確かに「バリンガー」と発音していたのだ。
ええええ、30年来バリンジャー隕石孔だと思っていたけど、実は違ったのか。そうすると『歯と爪』の作者もほんとはバリンガーだったりするのか?
さらに屋外にはアポロ司令船のテスト機と宇宙飛行士の名簿を刻んだ壁があったりする。よく考えればクレーターと全然関係ないような気もするが、宇宙つながり?
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ヴィジター・センターを出て、いよいよ隕石孔と対面。クレーターの縁に設けられた展望台から望むのは、直径1.2キロメートルの巨大な穴である。クレーターの中には一本の草木もなくごつごつした岩が転がっている。 クレーターの底面中央には、地質学者バリンジャー(バリンガー?)が隕鉄を探すために掘った穴があいているが、一般の観光客が入れるのは外縁部までで、底に降りることはできない。
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2009-09-22 [Tue] セドナ旅行記
▼ セドナ旅行1日目
妻がセドナに行きたいと言い出したときにはびっくりした。
セドナといえば、常識的に考えて太陽系外縁にある準惑星。そんな冥王星より遠いところへ何をしに! と驚いたのだけど、妻が行きたいのはアメリカのアリゾナ州にある別のセドナだという。ほえ、そんなところにもセドナがあるんですか。
といわれてもそっちのセドナのことなど全然知らないので、計画は全部妻に任せっきりで行ってみることにした。私にとって、米国本土初上陸(トランジットを除く)である。
アリゾナの州都フェニックスから北に192キロのところにある小さな町、それがセドナである。人口10900人ほどの小さな町なのだけれど、なんと年間40万人もの観光客が訪れる一大観光都市なのだという。
赤土でできたメサが四方に美しくそびえていて、標高が高いせいでアリゾナといってもすごしやすい気温の日が多く、雨も少なく気候がおだやか。建築物の色や高さも厳しく規制されていて、赤土色と緑色を基調に、自然に溶け込むよう配慮されている(黄色いマクドナルドのマークもセドナではターコイズ色である)。全米からリタイアした老人たちが移住してくるのでこの町の住人の平均年齢は50歳以上。また、シャロン・ストーンやマドンナなど金持ちたちが別荘を構える高級保養地でもある。
さらに、セドナには、なんでも大地のエネルギーが噴き出しているボルテックスなるものがたくさん集まっているという。大地のエネルギーと言われてもなんのことやらさっぱりわからないのだが、どうもサイキックな人たちが1980年ごろに言い出したのが始まりらしい。ちなみに科学的にはまったく根拠がないという。なんでもそれ以来セドナはニューエイジの聖地になっていて、チャネラーとかヒーラーとかいった人々が多数集まってきて、街中にはクリスタルの店やサイキック・リーディングの店がいくつもあるし、日本からも「自分探し」やらなんやらの女性が数多く訪れるという。ついでにフェニックスからセドナあたりにかけては全米きってのUFO目撃多発地帯でもある(フェニックス・ライト事件は有名)。なんともあやしげな町ではないですか。
また、実はアリゾナというところは天文・地学好きにはけっこう見所の多い土地である。
まずセドナ周辺には、鉄分を多く含んだ赤土でできた、メサやビュートという台形の地形が多い。西部劇によく出てくるようなあの奇妙な形の岩山である。そして、1500mの高地にあるセドナは空気が澄んでいて、星空がたいへん美しく見える。セドナからさらに北にあるフラッグスタッフという町は、冥王星を発見したローウェル天文台があることでも有名。北西部に行けばグランドキャニオンがあるし、北東部にはアリゾナ大隕石孔、そして化石化した三畳紀の木がごろごろ転がる「化石の森」といわれる国立公園もある。
というわけで、成田から飛行機をサンフランシスコで乗り継いでアリゾナの州都フェニックスへ。そこからサボテンの点在する荒野を車で北に走ること2時間。われわれはセドナにやってきた。
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セドナについたのは夕方だったので、とりあえず夕飯。アリゾナは地理的にメキシコに片足突っ込んでるような場所なのでメキシコっぽい料理が多い。「カウボーイクラブ」という安直な名前のレストランで、サボテンのフライなるものを食べた。フィッシュアンドチップスのようにモルトビネガーをつけて食べると、ビールのおつまみに合いそうな味でわりと美味である。
ホテルのあるアップタウンは、みやげ物屋や飲食店が軒を連ねる日本で言えば温泉街みたいな場所。でもみやげ物屋は6時ごろには閉まるし、レストランもたいがい9時で閉まってしまう。そして日本人の若い女性以外は、圧倒的に老人が多い(日本人男性はほとんど見かけない)。日本ではセドナは女子好みのスピリチュアルなスポットという扱いだけど、アメリカでは老人向けの保養地的な場所みたいだ。
どこのみやげ物屋にも並んでいるのは、ネイティヴ・アメリカンが作るカチーナという人形と、キングの小説で有名な蜘蛛の巣状のドリームキャッチャー。カチーナというのは、ホピ族の信仰する精霊をかたどった人形で、10ドルくらいの量産品は手足を接着剤でくっつけてあるのだけれど、一本の木から彫った芸術性の高いものでは1000ドル以上する。夜中に動き出しそうな異星人じみた異形の姿には心引かれるものがあったのだけれど、持って帰る途中で確実に壊れそうだしあまりに高いので購入は断念(あとで安物を買ったけど、案の定家に着いたら壊れていた)。
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2009-08-17 [Mon] 古今東西時間ループもの一覧
▼ 古今東西時間ループもの一覧
「エンドレスエイト」の終了を記念して、いわゆる時間ループものの一覧を作ってみました。ここでいう時間ループものとは、意識のみが過去に戻り同じ時間を何度も繰り返し経験するパターンの作品のこと。肉体をともなったタイムトラベルが行われるものは対象外とします。1回リピートするだけでもループとみなすかどうか迷ったけど、とりあえず1回のみの作品も入れておくことににします。
小説
- J・G・バラード「逃がしどめ」Escapement(創元SF文庫『永遠へのパスポート』所収) 1956
- J・T・マッキントッシュ「第十時ラウンド」Tenth Time Around(コバルト文庫『魔女も恋をする』所収) 1957
- リチャード・R・スミス「倦怠の檻」The Beast of Boredom(ハヤカワSFシリーズ『宇宙の妖怪たち』所収) 1958
- 小松左京「倒産前日」(ハルキ文庫『月よ、さらば』所収) 1964
- 筒井康隆「しゃっくり」(中公文庫『東海道戦争』所収)1965
- 筒井康隆『時をかける少女』(角川文庫)1967
- リチャード・A・ルポフ"12:01PM"(未訳) 1971
- フィリップ・K・ディック「時間飛行士へのささやかな贈物」A Little Something for Us Tempnauts(ハヤカワ文庫SF) 1974
- イアン・ワトスン「知識のミルク」The Milk of Knowledge(ハヤカワ文庫SF『スロー・バード』所収) 1980
- ソムトウ・スチャリトクル「しばし天の祝福より遠ざかり」Absent Thee from Felicity Awhile...(新潮文庫『タイム・トラベラー』所収)1981
- 筒井康隆「秒読み」(新潮文庫『薬菜飯店』所収)1984
- ケン・グリムウッド『リプレイ』Replay(新潮文庫) 1987
- イアン・ワトスン「夕方、はやく」Early, In the Evening(SFマガジン98年10月号)1996
- カート・ヴォネガット『タイムクエイク』Timequake(ハヤカワ文庫SF) 1997
- 北村薫『ターン』(新潮文庫)1997
- 西澤保彦『七回死んだ男』(講談社文庫)1998
- スティーヴン・キング「例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚」That Feeling, You Can Only Say What It Is in French(新潮文庫『幸運の25セント銀貨』所収) 1998
- 新井輝『DEAR』1〜4(富士見ミステリー文庫) 2001-2002
- 梅村崇『輪舞曲都市』(エニックスEXノベルズ)2002
- 桜坂洋『All You Need Is Kill』(スーパーダッシュ文庫) 2004
- 谷川流「エンドレスエイト」(角川スニーカー文庫『涼宮ハルヒの暴走』所収) 2004
- 乾くるみ『リピート』(文春文庫)2004
- 古橋秀之「恋する死者の夜」(電撃文庫『ある日爆弾が落ちてきて』所収)2005
- 安田賢司『トゥデイ―すべてが壊れる午前零時』(新風舎)2006
- 周防ツカサ『ラキア』(電撃文庫)2006
- あきさかあさひ『終わる世界、終わらない夏休み』(ファミ通文庫)2006
- 恒川光太郎「秋の牢獄」(角川書店)2007
- 香納諒一『ステップ』(双葉社) 2008
- 河野裕『サクラダリセット』(スニーカー文庫)2009
- 森見登美彦「宵山回廊」「宵山迷宮」(集英社『宵山万華鏡』所収)2009
- 鮎川歩『クイックセーブ&ロード』(ガガガ文庫) 2009
コミック
- 手塚治虫「大あたりの季節」(秋田文庫『ザ・クレーター』1巻所収)1970
- 萩尾望都「金曜の夜の集会」(小学館文庫『半神』所収)1980
- 佐々木淳子「霧ではじまる日」(メディアファクトリー文庫『ブレーメン5』2巻所収)1982
- 原作/木内一雅 作画/渡辺潤『代紋TAKE2』(ヤングマガジンコミックス)1990-2004
- 竹本泉「ババロア絵本」(ミッシィコミックスDX『ばばろあえほん』所収) 1990
- 藤子・F・不二雄『未来の想い出』(ビッグコミック)1991
- 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 Part4 ダイヤモンドは砕けない』(ジャンプコミックス)1992-1995
- 伊藤伸平『はるかリフレイン』(ジェッツコミックス)1998
- 佐伯かよの『永遠の夜に向かって…』(ボニータコミックス)2000-2002
- 今泉伸二『リプレイJ』(バンチコミックス)2001-2004
- たなかのか『タビと道づれ』(ブレイドコミックス)2006-
- 原案/大塚英志 脚本/久保田浩康 作画/ともぞカヲル『逆走少女―終わらない夏休み―』(電撃コミックス)2008
- 光永康則「千年王女」「万年王女」(シリウスKC『怪物王女』第7巻所収)2008
- 菅原そうた『未知次元』(アクションコミックス)2009
映画、ドラマ
- 「タンゴ」(第55回アカデミー賞短編アニメ映画賞受賞) 1981
- 『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(映画)1984
- 「恐怖の宇宙時間連続体」Cause and Effect(『スタートレックTNG』第118話) 1992
- 『未来の想い出 Last Christmas』(映画)1992
- 『タイムアクセル12:01』12:01PM(映画) 1993
- 『恋はデジャ・ブ』Groundhog Day(映画)1993
- 「霊界からの誘い」Coda(『スタートレック・ヴォイジャー』第57話)1997
- 『リバース』Retroactive(映画) 1998
- 「月曜の朝」Monday(『X-ファイル』第6シーズン14話)1998
- 「さくらの終わらない一日」(『カードキャプターさくら』第12話)1998
- 『君といた未来のために -I'll be back-』(日本テレビ) 1999
- 「ドナルドのクリスマスは大変だ!」Donald Duck: Stuck on Christmas(『ミッキーのクリスマスの贈りもの』所収) 1999
- 「未完成のタイムマシン」Window of Opportunity(『スターゲイトSG-1』第72話) 2000
- 「明日が来ない」(『未来戦隊タイムレンジャー』Case File.35)2000
- 「人生は続く」Life Serial(『バフィー 〜恋する十字架〜』第105話) 2001
- 「無敵の法則」Rewind(『トワイライト・ゾーン』第28話) 2002
- 『超時空欲望 (某年某月某日)』(香港映画 日本未公開)2003
- 「沈黙の漂流船」Future Tense(『エンタープライズ』第42話)2003
- "Day Break"(米国ドラマ 日本未放映)2006
- 「パラドックス」Be Kind, Rewind(『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』第3シーズン3話) 2006
- 「プレイバック」Playback(『ペインキラー・ジェーン』第17話) 2007
- 「5時55分」5:55(『ブラッド・タイズ』第15話) 2007
- 「火曜日のデジャ・ヴ」Mystery Spot(『スーパーナチュラル』第55話) 2008
ゲーム
- 『DESIRE 背徳の螺旋』(シーズウェア) 1994
- 『かぜおと、ちりん』(シーズウェア) 1999
- 『Prismaticallization』(アークシステムワークス) 1999
- 『あの、素晴らしい をもう一度』(自転車創業) 1999
- 『Infinity』『Never7 -the end of infinity-』(KID) 2000
- 『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』(任天堂) 2000
- 『ライゼリート エフェメラルファンタジア』(コナミ) 2000
- 『花と太陽と雨と』(グラスホッパー・マニファクチュア) 2001
- 『シャドウ・オブ・メモリーズ』(コナミ) 2001
- 『歌月十夜』(TYPE-MOON) 2001
- 『パンドラの夢』(ぱじゃまソフト) 2001
- 『腐り姫〜euthanasia〜』(ライアーソフト) 2002
- 『ひぐらしのなく頃に』(07th Expansion) 2002-2006
- 『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine) 2003
- 『プレゼンス』(CLOCKUP) 2003
- 『3days -満ちてゆく刻の彼方で-』(Lass) 2004
- 『Fate/hollow ataraxia』(TYPE-MOON) 2005
- 『プリンセスうぃっちぃず』(ぱじゃまソフト) 2006
- 『七彩かなた』(千世) 2006
- 『グリムグリモア』(ヴァニラウェア) 2007
- 『リトルバスターズ!』(Key) 2007
- 『スマガ』(ニトロプラス) 2008
音楽
参考:大森望「乾くるみ『リピート』解説」、 Wikipedia英語版 Time Loop、mixi日記にコメントを下さったみなさん
(2008.8.18.追記)いくつか作品を追加しました。
(2008.8.19.追記)さらにいろいろ作品を追加。ゲーム多すぎ。
ちなみに、『タイム・リープ』は同じ時間線上をなぞっておらずループになっていないので個人的ルールで対象外。『YU-NO』もループとは言いがたい気がするので保留にしてあります。
2008-03-27 [Thu]
▼ 新日記告知
おひさしぶりでございます。
新しい日記をはてなで細々とはじめました。
内容は、マイナーきわまりないワールドミュージックのCDを1日1枚ずつ紹介するというもの。
SFとも精神医学とも関係ないです。
Before...
_ アディダスエクセルシオール [Narayanan Ramaswamy, partner, KPMG Advisory Services, Chen..]
_ トリーバーチ クロスボディ ["I respect every one of those guys in the other clubhouse...]
_ モンクレールメンズコート [3 m0.5 m0. Well.(14) Intellectual Property Rights means an..]